”ハッピー・バースデイ”時代 

(1972.9〜1973.1)


サンタナ離脱後....ウォルター・ハービー・ハーバードは、ニール・ショーンを核にサンフランシスコ・ミュージック・シーンに新たなるプロジェクトを創ろうと野望を抱いていたと言われている。

ハービー・ハーバードは、ニール・ショーンを中心としたセッション・チームを作りたいと考えていたようである。ニールの類い希なる才能に惚れ込んでいたようで、さらに向上させ、またニール自身のアイディアを様々な形で具体化しようと思っていたようである。

そのセッション・チームは....”ハッピー・バースデイ”と名付けられた。

ハッピー・バースデイは、以下のようなメンバーで、1973年1月まで活動が続けられたようである。

(第1期)1972.9〜1972.10

ギター ベース ドラムス
ニール・ショーン ピーター・シアーズ グレッグ・エリコ

(第2期)1972.11〜1972.12

ヴォーカル ギター ベース ドラムス
ケーシー・マクドナルド (*注1) ニール・ショーン     ピーター・シアーズ  グレッグ・エリコ     

(*注1)ジャーニー・ファミリー・ツリーには、”KATHI McDONALD"というふうに明記されている。発音がよく分かりませんでしたが...

(第3期)1973.1

ヴォーカル ギター キーボード ベース ドラムス
(グレッグ・ローリー) ニール・ショーン グレッグ・ローリー ピーター・シアーズ グレッグ・エリコ

ここから、グレッグ・ローリーも音楽シーンに再び戻ってきた。(サンタナ離脱後、グレッグは故郷に戻り、スペイン料理のレストランをやっていたと言われている。)

しかしながら、ピーター・シアーズが他のバンドの参加することを決めた為、脱退を表明。ハッピー・バースデイはあえなく解散に追い込まれた。


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ベイエリア・リズム・セクション結成〜ジャーニーへの生まれ変わり

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