第6期 ジャーニー
(1981.4〜1983.12)
後方左から
ニール・ショーン(G)、ジョナサン・ケイン(Key/G)、ロス・ヴァロリー(B)、スティーヴ・スミス(Dr)
座っているのが
スティーヴ・ペリー(Vo)
グレッグ・ローリー脱退後、後任のキーボード・プレイヤーとして、元ベイビーズのジョナサン・ケインが迎え入れられ、メンバー構成は下記のように変わった。
ヴォーカル |
ギター |
キーボード |
ベース |
ドラムス |
スティーヴ・ペリー |
ニール・ショーン |
ジョナサン・ケイン |
ロス・ヴァロリー |
スティーヴ・スミス |
この時期のジャーニーが、まさしく黄金期の時と言えよう....。僕自身の勝手な思いこみであるが、ジャーニーのファンになり始めたのが、この時期であるという人、結構多いような気がするが...。下記のように、「ESCAPE/エスケイプ」、「FRONTIERS/フロンティアーズ」という2大名盤から、聴きだしたという人がほとんどではないだろうか??僕自身も、フロンティアーズから聴き始めたファンである。(当時高校2年の終わり頃であったが...)
ジョナサン・ケインを加えた新生ジャーニーは、1981年の春先からアルバムの制作に取りかかることとなる。ジョナサンを中心に、スティーヴ・ペリー、ニール・ショーンらは、曲作りの準備を進めていく。
そして、1981年の夏にリリースされたアルバムが、下記のアルバム「ESCAPE/エスケイプ」である。
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ジャーニーにとって、7枚目のスタジオ・アルバムで、全世界で900万枚のセールスを記録した最大のヒットアルバムである。「DEPARTURE/ディパーチャー」までは、グレッグ・ローリーとのダブル・ヴォーカルの曲もあったりしたが、本作よりスティーヴ・ペリー1本に絞られた形となる。 曲も、ハードな曲はよりライブ感覚に近く、ソフトな曲はより柔らかくといった感があり、また曲の配置も見事である。よって、メリハリのあるアルバムとなっている。ジャーニー史上最大の名盤と言えよう。また、全米第1位も記録している。
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「ESCAPE/エスケイプ」リリース後、1981年7月からエスケイプ・ツアーをスタートさせるが、全米・ヨーロッパに先駆けて、何と日本からスタートさせたのである。(これが、ジャーニーの3度目の来日となる。)
公演地:東京、名古屋、東京
エスケイプ・ツアーは、1981年7月に日本からスタートしたが、その後全米各地で行われ、1982年4月の日本公演で終了する。つまり、エスケイプ・ツアーで、ジャーニーは2度の来日してくれた訳である。
公演地:東京(初の武道館ライブが行われた。)、大阪、名古屋、福岡、京都、横浜
デビュー以来1年に1枚というペースでアルバムをリリースしたジャーニーであったが、エスケイプ・ツアーが終了した1982年は、結局のところアルバム・リリースのない年となった。1981年の夏からの1年間が精力的だったせいもあるのだろう....。
「ESCAPE/エスケイプ」に続く、アルバム制作は、1982年後半あたりから(?)始められ、年が明けて1983年2月にリリースされた。それが、下記のアルバム「FRONTIERS/フロンティアーズ」である。
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通算8枚目のアルバムである。僕が、初めて聴いたジャーニーのアルバムである。本作品も、「ESCPAE/エスケイプ」と同様に、メリハリのある作りとなっている。 ハードなナンバーなどは、「ESCAPE/エスケイプ」よりパワーアップした感があるだろうか。
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「FRONTIERS/フロンティアーズ」リリース後、フロンティアーズ・ツアーが始まり、1983年2月には来日もあった。(5度目の来日である。)
公演地:東京(武道館公演2回)、大阪、名古屋、横浜、京都、福岡
しかしながら、フロンティアーズツアーも終了し、1984年に入るとジャーニーの活動が、パタリと止まってしまう。メンバーそれぞれ、何をしていたのか???詳細は、ジャーニー活動停止期間を参照。
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