用語と用法

この分類全体を通して「障害(disorder)という用語が用いられているが、これは「疾患(disease)」とか「疾病(illness)」などといった用語を使用するさいに生じる本質的で重大な問題を避けるためである。「障害」は決して正確な用語とはいえないが、ここでは個人的な機能上の苦痛や阻害にともなって、ほとんどの症例に臨床的に明らかに認知可能な一連の症状や行動が存在しているというときに用いられている。個人的な機能障害がなくて社会的な逸脱や葛藤だけというのは、ここに定義する精神障害に含むべきでない。

これは、WHOの『精神および行動の障害』の臨床記述と診断ガイドライン/いわゆるICD‐10の序論に、「用語上の問題点」として述べられている部分です。

専門家の先生方や医師は、こういった用語を使うことに慣れているので、特に説明が必要だということに気づいていないのではないでしょうか?


確かに、最近の用語の使い方は、昔からの病名のイメージとは随分と違ってきています。大きなところでは、うつ病⇒気分(感情)障害、躁鬱病⇒双極性感情障害、神経症(ノイローゼ)⇒不安障害、強迫神経症⇒強迫性障害、ヒステリー⇒転換性障害または解離性障害、となっています。それから、昔からある「言語障害」や「情緒障害」といった分類とは別に、「発達障害」として新たに加えられたものに、学習障害・広汎性発達障害・注意欠陥多動性障害があるし、「心理的発達の障害」や「社会的機能障害」なんていう用語もあります。

その内、「心理的発達の障害」として分類されているICD−10のF8章には、「会話および言語の特異的発達障害」「学習能力の特異的発達障害」「運動機能の特異的発達障害」「混合性特異的発達障害」「広汎性発達障害」などがあげられています。そこの序論に、こんなことが書いてあります。(ただし、ICD−10では、生後5年以内に発症する「発達障害」なのに、「多動症」「注意欠陥障害」は次のF9章:小児期および青年期に通常発症する行動および情緒の障害 に分類されています。これは、病因よりも病態の類似性によって分類されているためです。が、「発達障害」という観点からすれば、同じものとして考えられます。)

F80―F89に含まれる障害には、次のような共通点がある。

  1. 発症は常に乳幼児期あるいは小児期であること。
  2. 中枢神経系の生物学的成熟に深く関係した機能発達の障害あるいは遅滞であること。
  3. 精神障害の多くを特徴づけている、寛解や再発がみられない安定した経過であること。

障害される機能は多くの症例で、言語・視空間技能および/または協調運動が含まれる。成長するにつれて、これらの障害は次第に軽快するのが特徴である(しかし成人にいたっても軽度の機能障害は残存することが多い)。通常、遅滞や機能障害ははっきりと認められるずっと前から存在するもので、正常な発達期間が先行することはない。これらの障害は通常、男児で女児に比べて数倍多くみられる。

発達障害の特徴として、同様の障害あるいは類似した障害が家族歴に認められるのがふつうであり、多くの症例(しかしすべてではない)で遺伝的要因が病因として重要な役割を演じているらしい証拠がある。

(中略)

さらに、この節には、上記の広い概念的規定を完全に満たさない次の2つの型の病態も含まれる。第一に、疑いのない正常な発達の時期が先行するような障害、すなわち、小児期崩壊性障害・ランドウ−クレフナー症候群・そして自閉症の一部の症例などである。これらの病態は、発症は異なるが、その特徴や臨床経過に発達障害のグループと多くの類似点があるために、ここに含まれる。さらにこれらの病態が病因的に相違があるかどうか不明であるからでもある。第二に、発達する諸機能は、遅れというよりもむしろ本来は偏りという用語で定義されるものである。これはとくに自閉症に当てはまる。自閉性障害がこの節に含まれるのは、偏りという用語で定義されるにせよ、さまざまな程度の発達遅滞がほとんど常にみられるためである。さらに、個々の症例の特色と近縁群であるということの2点で、他の発達障害と重なるためでもある。

とんでもなくあっさりと書いてあるけれど、「発達障害」をめぐる論争の焦点がここに集約されています。その部分を拾ってみます。

  1. これらの障害は次第に軽快するのが特徴である(しかし成人にいたっても軽度の機能障害は残存することが多い)。
  2. 発達障害の特徴として、同様の障害あるいは類似した障害が家族歴に認められるのがふつうである。
  3. 自閉症の一部の症例は、発症は異なるが、その特徴や臨床経過に発達障害のグループと多くの類似点があるために、ここに含まれる。
  4. 発達する諸機能は、遅れというよりもむしろ本来は偏りという用語で定義されるものである。

確かに、自閉症と一口に言っても、生涯にわたってほとんど重症度の変化の見られないものがある一方、成長と共に外見では健常者との識別が不可能になる人もいます。これは、早期発見・早期療育の成果であることもあるでしょうけれど、治療的介入によって軽症化していく部分に個人差が大きいので、必ずしも経過の違いとは断言できないところでもあります。だから、非常に重症度が高くて重複している障害が多い者から、社会生活に十分に適応できる範囲の軽症の者まで、全てを「自閉性障害」としてくくってしまうことに抵抗がある人が憤っている事柄について説明されています。

それから、「成長と共に次第に軽快して、成人後に残遺する機能障害が軽い者」もいるとか、「その子や家族歴に同様の障害がみられる」という問題は、「発達障害」には「生涯診断」の必要性があることや、生育歴から診断の優先順位(除外規定)を十分に加味して「診断」すべきことにも関連します。

また、「発達障害」が「機能発達の障害」とされていることには、大きな意味があります。それは、WHOが採用しているシステムに関連することでもあるのです。つまり、これまでずっと、慣例的に精神症状と考えられて来た事柄の中には、構造あるいは機能上の欠損や異常によって記憶・注意力・感情機能などの精神機能が阻害される、"心理的な機能障害"と考えるべきものがあるというものです。


しかし、一般には、"遅れ"というより"偏り"と定義される、新しい「障害」の概念が導入されていることはほとんど知られていないのです。

こういう事情を知らない人が、病院で我が子に対して「○○障害」という「診断」を下された時にイメージする内容がどんなものであるかについて、告知をする者は知っておかなければならないはずです。

なのに、こういう診断名を下されてしまったばっかりに、過剰な心配をして、あたかも「人生の終幕」を向かえたかのように思ってしまう人が後を断ちません。

それから、「生涯に渡って、何らかの苦悩や制約なしには生きられない」とか「一般的な幸せを押し付けられると、逆に不幸になる人もいる」というのは、紛れもない事実です。それから、後進の者たちに二の轍を踏ませないためにこうやってその生き難さを訴えていることが、逆に「絶望感」を与えて逆効果になってしまうこともあるでしょう。

でも、それは「単なるワガママ」「ただの怠惰」ではないという点では深刻に受け留めてもらいたいものだけれど、決して「そのまま続くもの」でもなければ『変化も変形も発達もしないもの」でもないのだということを分かってもらいたいから、敢えてやっているのだということを解かってください! お願いします!

悲観するあまり、決して、虐待や養育の放棄などをしないように!

マイナスからのスタートというのは、健常な子供しか育てたことのない人には味わえないような"大きな喜び"と共に育つことです。それに、大きな期待をかけて子供を押し潰してしまったり、後になって大きな失望や裏切りに見舞われるよりは、よっぽど堅実だと思いますよ! 

違いますか?


      

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