人魚姫のお話

適応が並外れてよくて能力の高い自閉症の人は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話に登場するあの想像上の生き物、人魚姫に似ています。人魚姫は人間の王子に恋して、人間の姿になることを望みましたが、それは、大きな代償との引き換えでした。足を得るためには声を犠牲にしなければならず、しかし歩こうとすると、まるで刃の上を歩くようでした。人間とコミュニケーションできなかったため、周囲の人に本当の自分を理解してもらえませんでした。そのために王子は別人と結ばれて、彼女自身もこの世界で生きていく場所を得られませんでした。

正常と表面的に似通っていることは、(略)少なくとも一部のアスペルガーの人たちには手の届く範囲内のことです。正常に近い行動を達成できるこの可能性こそ、他の形態の自閉症と対照される、アスペルガー症候群に共通した最も示差的な特徴と言ってよいでしょう。

アスペルガーの人は、日常の決まった社会行動をうまく身につければ、単に変わっているだけの印象を与えることができます。どこも狂っているとは受け取られません。もちろん、そういう苦労して勝ちとった適応には犠牲が伴います。アスペルガーの人は、他人はごく自然に身につける学習にも非常な努力を必要とします。十分な援助が与えられることや、高水準の動機づけも必要でしょう。残念なことに、高い代償を払って達成したことも崩れやすく、他人が楽にできるところでも苦労を重ねなければなりません。そうして得られたものは、高い犠牲に値するかという問題が持ち上がってきます。懸命の努力をしても、すべてのアスペルガー症候群の人たちが正常とほとんど変わらずに社会に融け込めるようになるわけではないことも一方で認識しておく必要があります。

(中略)

もちろん適応への懸命の努力を、私達はもうひとつ別の角度から見ることもできます。結局のところ、正常とはいったい何でしょう? 正常な人々にも、社会行動には多くの適応の段階と成功や失敗を伴う広大な幅があるとすると、正常と異常の境目はいったいどこにあるのでしょう。欠陥とか、互いに相容れないカテゴリーについて語るのは、はたして意味があるのでしょうか。むしろ正常な行動と異常な行動とは互いに溶け合うことについて語るべきではないでしょうか。換言すれば、私たちはアスペルガー症候群を正常なパーソナリティの異形態と見るべきでしょうか?

『自閉症とアスペルガー症候群』ウタ・フリスの論文より

 

その質問にそのまま答えると、「アスペルガー症候群の人たちは、正常なパーソナリティの異形態には違いはないけれど、多くの・特殊なサポートが必要な人々の一種であることにも違いはない。」というのが、私の意見です。

確かに、私は私の家系のアスペルガー的特性を受け継いだだけの"普通"の人であるかもしれません。だからこそ、アスペルガー的特性はそのままで、必死に社会に適応しようとして来ました。アスペルガー的な行動をして、周囲に波風を立てるたびに「反省」して、二度と同じ事を繰り返さないように気を遣い、「こういう時には人様はこういう思いをするのだから、こういう風に行動すべきだ」といった「頭でする気配り」に、がんじがらめになっていました。

しかし、私が一生懸命気を遣っていることには世間様は無頓着で、私の思いもよらないことに反応してくるのです。その時、やっと気づきました。私は結局のところ、「自分自身」を変えることはできなかった。私が、社会に適応できたのは、自分が普通になったからではなく、「他者からの視点」を持つことができるようになったにすぎなかった。

自分自身は相変わらず「自開」状態のまま、自分一人しか見えていない「自閉」的世界を抜け出てはいない。どんなに客観的に「自閉」というものを捉えることができても、人格の構造上の欠陥は治しようがないのです。それがわかって以来、私は、多少、謙虚に世の中に接するようになりました。要求が高すぎること、人情や温かみに欠けること…。それらを治すことはできません。いや、治そうとも思いません。ただ、私は「そういう人間であること」に気がついたのです。

だから、もう、自分を自分自身が作り上げた「取り決め」で自分自身を縛るのもやめました。「普通、人はこういう場面では、こういう行動をするものだ。こういうことを言わなければならない」なんて思いません。「私は、私のできる範囲のことをすればいい」と、気楽に考えるようになりました。背伸びしてとりつくろったって、どうせ「かないっこない」のだから。ただ、自分の責任だけは果たします。けれど、世の中に対して、余計なことをするのは一切やめます。

何故なら、私は、本当は一人でいたかったんです。この世に生存する為に、しなければならない最低限の人付き合い・最低限のマナー、そういったものは必要です。でも、それ以外のことはもうしません。私は、私でいられる場所を探していただけだったんです。

もう、人魚姫のように無理をして人間の足を持っている振りをするのをやめました。ただ、自分が人魚であることを認識して、人魚のままで人間世界の一員になる道を選んでいこうと思っています。

 

「こういうことを言われた時、普通の女の子なら、何かの感情が動くのね。でも、私は…。」

ファイナル・ファンタジーY.魔導戦士ティナの台詞より

 


                     

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