ささやかなお願い

「自閉症」というと、人嫌いで・引き篭もっている人というイメージや、情のない冷たい人だと思われてしまっては困るので、ここらでちょっと説明させて下さい。

そもそも、もともと「自閉」という言葉は精神分裂病の症状の一つで、「現実との接点を失って全く非論理的で整合性のない極端な思考に囚われている状態」のことを意味していました。そして、精神分裂病の自閉期の様子と似ているということで、"広汎な発達障害"を持った人のことを「自閉症」と呼んだのです。

生まれつき広汎にわたる発達上の障害を持っているから、

「自閉症」の人たちは、普通と同じように人と係われないのです。

しかし、

現実から掛け離れた遠くの世界に住んでいるのではありませんし、

現実を無視して、勝手なことをしようとしているのでもありません。

「自閉症」の人は、確かに外見上は五体満足ですが、ちょっとだけ自我の構造が違っているのです。他者と係わり・庇護されると同時に自分をアピールして、結果的に自己を護るという心的な防衛機能が不足しているのです。そして、時間的な因果関係や、空間的な位置関係を把握する機能が弱いのです。だから、ありとあらゆる刺激が、直接的な影響を与えてしまうのです。

しかも、認知や知覚の仕方が人と違うので、入って来る情報もまた人と違っています。中には、普通なら何でもないことが非常に怖かったり、不安感が異常に強くて、ちょっとしたことに驚いて飛び上がったり・泣き叫んだり・大暴れしてしまう人もいます。或いは、その時はその場に立ちすくんでしまうくらいで済んでいても、後になって何度も何度も思い出して何も出来なくなってしまったりする人もいます。また、そういうことから回避するために逃げ出してしまったり、逆に、動けなくなってしまったりもします。

普通の人には何でもないことが、とっても気になったり、普通の人にとって楽しいことが、とてつもなく苦痛だったりしているのです。なのに、それなりに現実の世界の情報を読み取って、何とかして現実に係わっていこうとしているのです。

これを、野球に喩えてみます。「自閉症」の人は、監督の指示に従えないワガママな人ではないのです。なかなかサインが覚えられなくて間違ってしまうとか、不器用なだけの普通の人でもありません。能力があるけれど上手く出来ないのではないのです。全く違うサインを読み取っているのに、全く違う身体図式を持っているのに、普通の人たち同じフィールド上で普通にプレイすることを要求されて、普通に行動しなければならないと必死になっている人なのです。

はじめから人と違っているから、人と違うことをしてしまうのです。

だから、わざと人と違うことをしているのではありません。

そして、人を避けているのでも、嫌いなのでもありません。

そういう、はじめから欠けていてできないでいることをバカにしないで、どこがどう違うか教えて欲しいのです。或いは、私たちにも解かるように、人間における身体と心と言葉の関係や、そういう人たちで構成されている人間界の仕組みを教えて欲しいのです。それから、言葉や知能の遅れがなくて、わけがわからないままに人の真似をすれば同じように振る舞える人たちのことを、できるだけ早く見破って欲しいのです。

それから、私たちは「自閉症」だからといって、上手く人付き合いができないことの"言い訳"をしようというのではありません。人付き合いから放免される免罪符をふりかざそうというのではないのです。

ただ、かなり無理したり、勘違いしたままで「普通」にしようとしているのだということを認めて欲しいと思っているのです。そして、できればそれなりの方法で居させて欲しいと思うのです。そうしないと、生きてること自体がボランティアになってしまうので…。(そして、「どこまで付き合ったら終わりにすれば良いか」なんてことばっかり考えて生きてるようになってしまうので…。)

普通と違うことを認めてもらって、私たちのルールに従ってお付き合いして欲しい、というのが、新世紀に向けての私たちの願いです。(しかし、ルールを守らない人とは、できれば付き合いたくないと思っていることも事実です…。)


             

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