くだらない争いは、もうやめて!

「自閉症」という基本的な構造を持って生まれた生物を、見抜くための方法。それが「診断基準」と呼ばれているものです。いわゆる、{かかわりの障害・コミュニケーションの障害・こだわりと想像力の障害}の三つが組みになっているということ。

しかし、型式的には人類でありながらその仕様が異なっていれば、上記のような症状は"あって当たり前"のことなのです。だってそれは、ピカチュー(とても人懐っこくて可愛らしいポケモン)の家にピチュー(ピカチューの子ども)ではなくメタモン(変身というワザしか出来ないダサいポケモン)が生まれるようなものだから…。

生れ落ちたところで辺りを見渡して、そこらじゅうにピカチューばっかりいれば、メタモンはその本性に従ってとりあえずピカチューに変身する。でも、外見上ピカチューなだけで実質はメタモンだから、他のピカチューと同じ様にはかかわれない・コミュニケーションできない・感じ方も考え方も行動も違っている。更に、ピカチューの真似をすることは出来ても、ピチュー(子ども)が成長すればピカチュー(おとな)になるなんて思いも寄らないから、他のピチューたちと自分が一緒だなんていう自覚も無い。

で、とっても変身が上手いメタモンもいれば、変身がヘタクソで見るからにバレバレのメタモンもいるわけです。たま〜に、元がメタモンではなくてミュウ(とっても優秀なエスパータイプのポケモン/「変身」というワザを覚えられるのは、メタモンとミュウだけ)だったというアインシュタインやテンプル・グランティンさんみたいな人もいたりもします。或いは、外見はそっくりなのに行動がまるで違うのもいれば、化けるのが下手なだけで中身はとってもピカチューなのもいれば、外見も行動も非の打ち所のないピカチューなのに精神的には生粋のメタモン(変身が上手いだけ)というのもいます。

(ただし、自閉症の不注意の症状にADHDの注意の欠陥が合併している場合と、自閉症ではないADHDは、根本的に違います。それから、自閉症のインプットの障害から起こる学習上の困難とLDは同じではありません。しかし、表出される現象が同じならば、対処法としては流用できます。こういう人たちをぜーんぶひっくるめると、「軽度発達障害」という概念でくくることが出来ます。こういう人たちとは、共通の悩みを持っているという点では同じですが、"一生の生き難さの根本"を考える時にだけ、明確な識別が必要です。)


それで、こういうメタモン症候群の人たちである「自閉症スペクトル障害」者を、ちゃんと正しく診断すれば、全人口の1%はいると言われています。これだけいれば、立派に一つの"生き方の様式"として成立しそうなものです。更に、その両親や家族が理解して支援者になってくれれば、全人口の3%を味方につけることが出来るはずです。

しかし、現状ではちゃんと診断されている人があまりにも少ないし、自覚のない本人とか、自覚していても認めたくないと思っている本人も多いので、0.1%ぐらいしかいないことになっています。

更に、「自閉症スペクトル障害」者を取り巻く人たちほど結束の悪い集団は、他にありません。何故かというと、まず、家族の中の半分が敵であることが多いから。そして、言葉の遅れの有無・行動障害の有無・知的な遅れの有無・適応能力や学習能力の高低の違いを比べては羨ましがって、本来ならばお互いに協力し合って社会に理解を呼び掛けなければならないはずの身内同士で攻撃し合うことが多すぎます。(本人同士は、スタート地点の違い・程度問題の差・してきたことの順番と時期のズレとしか思っていないのに…。)

かと思えば一方では、自閉症の人が書いたものや診断基準の字面から、「トモダチができなくて・人付き合いに悩んでいる人」のことだと勘違いしている人がたーくさんいて、なおのこと、ややっこしくなっているわけです。だって、全く自分に"無い"モノを"有る"かのように振る舞わなければならない苦痛を訴えれば、もともと"有る"のに上手くないことに悩んでいる人たちが、自分のことだと勘違いしてしまう。かと思えば、自尊心が強すぎて自分が認められないことに憤って引き篭もっている人と、ニンゲンが普通にやっていることや自然に楽しみや喜びと感じられることがとてつもない苦痛なので閉じこもってしまう人との識別は難しいから。

できれば、最近やっと日本社会に左利きの存在が認可されたのと同じ様に、もっと数を増やして堂々とした"文化"として承認されるくらいになってほしいのに…。でも、ちゃんと「診断」できる人がもっと増えてくれないことには、しばらく、この状況は変わりそうにないでしょうね。ホント、もういい加減にして欲しい!です


        

「ささやかなお願い」へ   「ペンギン日記」へ   「25年のイノチ」へ