「私」がいない間の私

自分のことを名前で呼ぶ子供(最近では、大人も)なんて、珍しくありません。私が、人との会話の中で自分のことを「私」と言えなかったからといって、そして、「私」という言葉を使うに当たって一大決心をしたからといって、それが何だ!?と言われれば、それまでです。 

そこまでは普通のことかもしれない。けれど、私の場合は事情が違っています。一部の、引っ込み思案で内気な子供を除く大抵の子供は、自分の名前を「OOO」とハッキリ言えます。でも、私は「○」と口ごもり、同時に自分を指差ししていました。そして、常に、こんな疑問を抱いていました。

そして、

これは一見、ただのワガママです。これが「自己チュー」なのか「自己ゼロ」なのか、シロウトに区別がつくわけない! なんたって、自我と人格形成の発達異常を測る診断基準でさえ出来ていないんだから、プロにだって分かるはずもないのだ! もちろん、本人だってその正体が何であるか分からないままに、ただ漠然とした"生き難さ"だけを感じてきたのです。

その私が、どうしてず〜っとイイ子だったのかって? そりゃあ、大人たちがしっかり教えてくれたからですよ。なんてったって、状況判断能力はほとんど無いのに、学習能力だけバツグンだったから。

例えば、幼稚園の園庭で体操かなんかしていて、その日病欠した子が病院の帰りにちょうど通りかかり、私以外の子供達全員がそっちに駆け寄った時、取り残されてポツンと突っ立っていた私を先生は大誉めでした。「言うことを聞いたのは、一人だけでした」って。でも、私は、門の前を通りかかったのが誰なのか判らなかったし、みんなが一斉に駆け出した意味が分からなかっただけだった。その時に、「皆がやるようにやらずに、先生の言った通りにすると誉められる」ことを学習しました。それから、「OOの本に書いてあった」「ニュースで言っていた」と言う度に「えらいねぇ」「良く知ってるねぇ」と誉められれば、図に乗らないわけがありません。

もっとも、一度誉められると同じパターンを何度も何度も繰り返すので、最終的には「しつこい!」とか「うるさい!」と言われましたが…。そういう所は、学習能力がなかったみたいです。

そんなわけで、ず〜っと、大人の言うことと文字や言葉の情報だけに頼ってきたのでした。周りのみんなにヒンシュクを買っても、先生が助けてくれることが多かったです。今から思うと、よく無事でいられたとゾッとするようなことを、結構やっていました。けれど、だいたい、同級生に非難されてもほとんど無視していたか、なんのこっちゃかわからなくって大ボケでした。

もっとも、その頼みの綱の先生に始めて怒られた時のショックは、未だに忘れられませんが…。


そう、「私」がいない間の私は、人と一緒に行動し、人を見ていたけれど、人の間にいなかったから、「人間」ではなかったのでした。

その中で一番欠けるのは、感情の共感性だとよく言われます。確かに、感情の分化に関しては、怒り⇔恐れ・喜び⇔悲しみ・驚き⇔期待・受容⇔嫌悪といったプラチックの言う一次的情動の段階(よく、心理学の教科書に載っている)にとどまったままのような気がします。まぁ、成長するにつれ、もうちょっとは高次元で複雑な感情が芽生えてはいるようですが…。それでも、気分が極端から極端に移行したり、場面ごとにまるで別人のように豹変する、かと思えば、いつまでも固執して"やけぼっくい"状態が長く続いたりする、というような不安定さはあまり変わっていません。

普通、人がしないような行動や発言をすると、「社会性がない」とつい言ってしまいます。が、こと「自閉」に関しては、「反社会的」なのではなく「非社会的」なのだということが、はたして理解されるでしょうか? 一見、粗雑で高飛車なのは、他人を支配し服従させ自分の優越を承認させようというような「社会的欲求」が強いからではなく、獲得・保存・秩序・保持・構成といった「無生物に関係した欲求」段階に留まっているからだ、ということを見破れる人がどれほどいるでしょうか? 

他人に「心」があることが判らないのではなく、自分と違う在り方をしている「心」だから、読むことが出来ないのです。生後20年目にしてやっと「私」と言えるようになった≪私≫と、「私」と言えなくてもちゃんと人の間にいた≪あなた≫との間に溝があるのには、そういう理由があるのです。だから、私は、いくら歳をとっても子供でも分かることが分からないし、とっても理屈っぽいのに子供じみているのです。

「自閉性」を核とした一連のグループを「広汎性・発達・障害」とは、よく言ったものだと思います。つまり、かわいくもない・しょーもない障害が、いっしょーがい続くわけです。


               

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