"健常"と呼ばれる、不思議な人々

「私の思考パターンはコンピューターに似ているのですよ。そのプロセスをステップ・バイ・ステップに説明できます」と私は言った。彼女は自分の思考と感情が、どんにふうにつながるのか説明できないのだと反応して、私はちょっとしたショックを受けた。彼女が言うには、事実関係の情報と感情が縫い目のない全体として組み合わさっているのだそうだ。そこで、私はやっとなぜ多くの人が事実を感情でゆがめてしまうのかを理解したのだった。私の心は二つを分けることができる。大変うろたえているときでさえも、私は現実だけを何度も何度も見直して、論理的な結論に達するのである。

『自閉症の才能開発』−自閉症と天才をつなぐ環−  テンプル・グライディン著より

 

「へえ〜っ、そうなのか〜。事実と感情を切り離せるのって、あたりまえじゃなかったのか〜!」これは、ある「自閉症スペクトル障害」に属する人と私が、昨日、交わした会話です。

テンプルさんのこの、自閉症の才能開発』という本は、最初あまり良い印象はありませんでした。そもそも、6才で「自閉症」と診断されて、親の理解と家庭環境も最高、出会った人にも恵まれて、おまけに"天才"ときているのですから、私との共通点など、あまり無いように感じていました。それに、わけがわからない"牛"の話がよく出てくるので、うんざりしてしまいます。ただ、私が逃避と言う手段でしか適応できていなかった、"健常"と呼ばれる不思議な人々と、うまくやっている唯一のお手本になるのではないか、と思って読み進めています。

私の触覚の異常と身体感覚は、ドナさんよりも、テンプルさんのそれに近いのは確かです。私も、ある時期に、締めつけ機で得られるのと同じ感覚を頭の中で想定していたことがありました。それに、抽象的な概念をつかむために、実際の現場に立って体で感覚をつかんでから、頭の中にイメージしているところも同じです。しかし、私の場合、人の話を聴き取るには、とりあえず言葉を丸呑みし、頭の中でそれを再生してなんとなく意味をつかむというドナさんの方法と、視覚で考えるテンプルさんの方法の、ちょうど中間点のやり方をとっています。

私が文章を書くのに、言葉をパズルのように組み合わせているのはそれでなんだ、と勝手に納得しています。私の頭は、色んなことに反応して、次々に言葉を生み出してくれるという厄介な癖を持っています。うるさいから、とりあえずメモしておいて、後でつなぎ合わせるのです。でも、続けて書くと、話題がコロコロ変わり、支離滅裂で何を言いたいのか自分でもさっぱり判らない文しかできません。それを切り貼りして前後の順番を変え、なんとかまとめています。紙の上でこれをやるのは大変面倒ですが、パソコンやワープロなら簡単です。まあ、どうせ、いつも同じ内容で、文学的な素晴らしい表現も、感動を呼ぶストーリーも無いから簡単なのでしょうけれど。

ドナさんとテンプルさんと私、ひとつひとつ見ていくとみんなそれぞれに違っているのに、似ているというのは、何とも奇妙なことです。しかも、私には「自閉症」らしい行動障害(攻撃的なかんしゃく・破壊行為・自傷・人を困らせる行動・特定のものへの恐怖・物理的な常同行為・発作性の反応…)がひとつも無いのに…。

ともあれ、この自閉症の才能開発』という本は、今まで自分にとって普通なこと、あたりまえだと思っていたことが、"健常"ではなかったことを教えてくれます。そして、自分の「自閉的特性」をふまえた上で、"健常"な人とどう付き合ったら良いか示唆してくれるのです。

 


ところで、この本に出会うまで、"健常"と呼ばれる人たちを理解するために、私が利用していたのは、やっぱりお経の本でした。私にとっての仏典が、テンプルさんにとっての"牛"に当たるものなのです。私は、仏典を、不可解なチキュウジンたちを知るモノサシにしていたのでした。

それは、大無量寿経』という浄土系のお経です。だいたいの仏教聖典は、仏の世界の素晴らしさをたたえるものなのに対し、この経典だけが現世の人間の記述をしています。その中の、三毒・五悪の段と呼ばれている部分です。長いので、ポイントだけ載せます。

中村元編『大乗仏典』/早島鏡正訳『大無量寿経』より抜粋。

こういう世俗の貪り・怒り・無知から、誰しも逃れたいと思っているに違いないと、私はずっと思っていました。でも、私が、「自閉」を誇りに思っているのと同じように、"健常"者は"健常"であることを苦にしていないんだ、と、最近になってようやく解ったのでした。

私には、感情が全くないわけではありません。ただ、そのレベルが幼児期のまま止まってしまっているので、大人たちの持っている複雑な感情がわからないのです。ましてや会話や表情や文脈から、そういう人の心情を読み取れるはずなど、ないじゃありませんか。


 

前回、うつ状態のことを書いた時、私はまだ、自閉症の才能開発』を読み始めたばっかりでした。さっき、あっちこっち拾い読みしていたら、ちゃんと、「うつ」のこと、それとパニックとの関連も書いてありました。私の思いつきの日記より、ずっと科学的で信憑性も高いですから、≪本人≫の方々は、是非買って読んで下さい。

それにしても、ウイング博士の「自閉症」の下位分類によれば、アスペルガー・タイプは奇異・積極型で、カナー・タイプは孤立型とされているのに、れっきとしたカナー・タイプの診断歴のある、ドナさんやテンプルさんより私のほうがずっと孤立しているのは、どういうことなんでしょうね?

私が、「自閉症」との係わりにおいてやっと自分の存在意義と居場所を見つけたというのに、日本ではまだまだ「自閉症」の連続性が知られていなくって、仲間探しができないからなのかな? 医者も、親も、親の会も、疑ってかからなくてはいけない現状では、理解してくれる人も慰めてくれる人も、見つかりそうにありません。それに、この国の、仕事と"つきあい"を切り離せないという特殊事情も、私たちを苦しめます。

テンプルさんは、抗うつ剤を飲んでいるんだって。あんなに恵まれているのに、「いち・ぬ〜けた」をしちゃつたんだ。当分、私は、逃避で頑張ろう!

 


         

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