記事タイトル:「本当の日記」というタイトルについて。 


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テーマ: というわけで、   
「お名前」を書かなくていいようにしました。(やっと、やり方が分かったから。)
[2001年5月20日 12時23分14秒]

お名前: ペンギン   
大きな疑問。
ここは、ワタシの『日記』だし、ワタシしかいないのに、何故名前を書かなければならないの?
[2001年5月9日 10時18分7秒]

お名前: ペンギン   
むこうの『日記』をやめた、もう一つの理由。
あちらを更新すると、本体にアクセスするからカウンターが動く。
確認する度に、カウンターを見てしまう。

そういうのが、イヤだった。
(こっちなら、直接「お気に入り」に登録してしまえば数には入らないから。)
[2001年5月9日 8時11分44秒]

お名前: ペンギン   
ただし、その「要らない部品」というのは、「部品」としてどこかにはめられることを拒否
しているのであって、「製品」として価値がないということを意味するのではない
ということを、一言付け加えておきたい。
[2001年4月26日 13時16分11秒]

お名前: ペンギン   
〔その3〕

「両親が子どもの問題を(障害というよりは)個性という形で早い時期から理解できているこ
とが重要で、子どもと両親の関係が悪化してしまったり、両親が子どもの引き起こす行動を
「理解できないこと」として責めるようなことが多いと子どもの健全な自己評価(自己愛)が
形成できず、長期的にみて子どもたちの問題をさらに複雑にしていってしまう。」 

 この「療育」に関する見解については、「今まで私がやって来たこと・言って来たことは、
 正しかった。」ことが証明されました。

それから。
「もっとも、こうした子どもとの治療過程と並行して、母親に対する発達援助指導がおこなわ
れる場合の方が多く、治療構造のなかで、どの部分を臨床家が担っているかを示していくこと
がそうした交流や発展の上では必要不可欠であると思われる。」

 「自閉症」児の「療育」と言っても、実際に行うのは家族であり、その家族を指導するのは
 その地域の医者であるということも分かりました。


ということは、私が実際に係わって育てることができるのは自分の子どもだけで、やっぱり
「要らない部品」は「要らない部品」であり続けるのだということも分かりました。

それで、元々の「一匹オオカミ」に戻ります。結局、自分が「楽」になるというのは、そうい
うことでした。
[2001年4月26日 11時23分31秒]

お名前: ペンギン   
〔その2〕
「実際に一過性の精神病状態を呈する症例もあることも明らかになっているが、感情障害など
を合併した場合に精神分裂病を疑われて入院していることも稀ではない。また、他者の視線が
あまりに脅威に感じられ、一過性の対人関係念慮や世界が崩壊しそうな恐怖感等にも容易に陥
り、彼らの青年期は非常に危機的な側面をもつことは自覚しておく必要がある。(こうした場
合には熟練した児童精神科医による投薬治療をはじめとする精神医学的治療を必要とする。)

 なんて書いてあると青年期の問題のようだけれど、私の場合はかなり事情が違うので、上記
 の「引用文」の状態になった時期が非常に遅かった。
 私の場合は、学校には非常に良く適応していたので、最初に問題行動を起こしたのは大学を
 卒業してからだった。(振り返ってみれば、キケン信号を表す身体症状は既に小学校の頃か
 ら頻発していた。しかし、父親が医者・母親が看護婦にならなかった看護学生だったために、
 大したことのない身体的な疾患として家庭内で対処されてしまっていた。心身症的な見方を
 されることすら、なかった。)


更に。
「そして、彼らは皆に『合わせる』ことが必要であることを認識する。しかし、『皆は楽しそ
うにやっているのに、自分が加わろうとすると皆があっちにいけという』『どうしたら友達が
作れるの?』『皆と同じようになりたい』『友だちがお前なんか人間じゃないといったが、ど
うしたら人間になれるか?』といった深刻な問いかけには、分裂病者の共通感覚の欠如や自明
性の喪失といった言葉を思い浮かべさせられるほどの重さがある。」

 社会的学習という面では、はじめから「受動型」で、必死にみんなのやっていることを真似
 てついていくのに精一杯だったけれど、人間関係ははじめから「一匹オオカミ型」だったの
 で、表面上は特別な異常行動もなかったし、余計に人に係わられないように上手いことすり
 抜けて来た。それで、青年期には『みなと同じ行動を法則化し、それを強迫観念的に固執す
 ること。』で乗り切ることができてしまった。

 大学卒業と共に、学校という楽園から追放されてしまった一時期、社会的逸脱(と言っても、
 あっちの道に行って、反社会的人格障害になってしまったのではなく、隠遁生活をしたクチ)
 をしてみたところ行き止まりになった。最初の「大うつ病エピソード」が起きたのは、その
 時だった。
 しかし、そこでも「単なる怠慢」とされ、逆に「人情に応えるようにしなさい」と言われ続
 けたお蔭で、逆方向に突っ走ることになってしまった。以後、社会復帰はしたものの、あり
 とあらゆる自律神経失調状態が消えたことはなかった。
 ただ、本人自身は(と言うより、感性や情緒といったキャロルの部分は完全に抹殺して、ウィ
 リーの知性だけだったけれど)一人前に出来ていると思い込んでいたので、『私がいないと、
 みんなはとっても楽しそうなのに、私が加わると突然静かになる。』とか『私には、ともだ
 ちが一人もいない。』とか『どうやら、みんなと違っているらしい。』と気づいたのは、
 PTAの役員の順番が回って来て、久しぶりに"人と係わること"を強制されるようになって
 から後だった。(しかも、この状態は、あと数年続く。)

 だから、ホームページを作った動機も前向きではなかったし、精神的にはかなりひどい状態
 だった。そもそも、「これはどこかの病院に行かなければ」と夢遊病者のようにフラフラ歩
 いるうちに、ふと「パソコンを買ってみよう」と思い立ってそのまま電気屋さんに入ってし
 まったのがきっかけだった。
 「診断」を受けるように言われた時、「そんなもの要らない!」と突っ張っていたけれど、
 本当は「診断」はいいから「治療」したかったのだ。実際、「お墨付き」をもらうためだけ
 に行くはずだった病院に、「この医者なら大丈夫そうだ」と思って、自分の気持ちで通院す
 ることを決めた時には、本当に這うようにして行ったものだった。

「母親の育て方の問題があるからではなく、子ども側の要因のために自己や自我の発達がうま
くいかないために生じる関わりの障害が存在するからこそ、心理療法的な介入が必要であり、
それを自己や自我の構造的な発達プロセスのなかで考えていこうというわけである。こうした
アプローチに立つ場合、一定の治療構造が必要なだけでなく、治療者になるためにも一定の訓
練過程が必要とされる。治療者のこころ自体が子どもの自己や自我の状態を捉える枠組みとな
るので、ある程度の訓練過程を経ていないと理解しにくいものであるようだ。」

 まあ、私がこれだけベラベラしゃべるようになったのは、主治医の先生の技術ではなく、
 「たまたまドラマと同時進行になった、タイミングの良さだ。」と、相変わらず治療室では
 突っ張っているけれど、実は、モノの見事に術中にはまってしまったようだ。
 そういえば、最初っから「躁鬱があるから無理しないように。」とは言われていたのだが、
 当時全く自覚がなかったので、自分が相当に無理していることに気づくまで一年もかかって
 しまった。でも、最近私が出した結論のほとんどは、既に始めに言われていたことからして
 も、「負け」を認めざるを得ない。

「彼らの多くは自分を表現したいという気持ちをもっているし、表現ができる場があることが
情緒的安定につながるようだということである。」

 これも、この通りでした。
[2001年4月26日 11時14分22秒]

お名前: ペンギン   
あの『日記』が何だったのかということを、辻井先生の自閉症児者の「こころ」を自閉症児
者自身が探し求める場ーー高機能広汎性発達障害(高機能自閉症・アスペルガー症候群)への
心理療法的接近からーーを骨子にしてまとめてみる。(「引用文」は、全て上記のもの。)

〔その1〕
「行動面を主体に捉える視点はより現実的な問題行動の改善・適応行動の増加に重点を置くで
あろうし、自己発達や自我発達の視点から考える場合には治療者ー子ども間での相互の関わり
から行動の背景にある子どもの自己や自我、いわば「こころ」の成長を感じ取っていくことに
重点を置くであろう。」

 「自閉症」の臨床像が、この用語からイメージされるものとは違うということは、小児関係
 の診療にあたる人たちの間でもだんだん浸透してきていると思う。でも、診断の決め手とな
 る(と言うより、診断の必要性を感じるには)、何らかの問題行動(多動・パニック・自傷・
 他害・全くの社会的不適応など)があったり、学習能力の偏り(認知・言語面での障害)が
 あること必須になっているはずだ。そうでない人は、「適応できるんだから、いいんじゃな
 い!?」ということなのだろう。
 それに、実際、そういう"困ったこと"を抱えていて、現実的な対処法や解決法を危急的に求
 めている家族が多いし、専門家たちはその方法を研究して教授するのが主な仕事だというの
 は否定しない。むしろ、そういう問題行動が終息したら、「治りました。」と思いたいし、
 医者からそう言って欲しいと思っている親の方が圧倒的に多いだろう。

 だから、ほとんど「こころ」の問題だけのような私のようなケースは、まず「自閉症」とし
 て認知されていない。そして、知的障害を伴った重度の自閉症児を持つ親にしてみれば、
 「同じだと思われては困るから、邪魔くさい!」と無視されて当然だと思う。
 しかし、私は敢えて、自分のことを「自閉症」と紹介して来た。それは、知的障害が軽くて
 言葉による支持が可能な「自閉症」児に接する方法を、教えたかったからだった。それから、
 一人一人違うので、全く参考になる子どももいればそうでない子どもがいるという前提条件
 の下で、自分のことをうまく説明できない子どもたちの内面を知って、「自閉症」児の言動
 の「理由」を知る手掛かりにしてもらうための説明をしていたのだった。

 基本的に、実際に身近なところに「自閉症」児者がいる人たちに向けて書いていたので、そ
 うでない人にも参考になっているというのは意外だった。
 別に、そういう使い方があること自体は否定しないけれど、とても驚いている。
[2001年4月26日 10時13分34秒]

お名前: ペンギン   
あちらの『日記』は、何だったのだろうか?

一つには、自分自身の謎解きの過程だった。
そして、もう一つは、躁鬱病の闘病記録でもあった。
抑圧されていた"本来の自分"というのが「自閉症」だったのだから、両者が重なり合うのは
当然のことだった。また、その両者が統合される為には、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ
"ほらあな"が必要だった。
(でも、どちらの『日記』も「体験的自閉症論」だから、それ以外のことを書くための洞窟
は、まだまだなくならない。)

しかし、治療によって躁鬱病が治ったから、「もう薬は要らない」「病院も行かなくていい」
のではない。
何故なら、「自閉症」の「気分循環性障害」も私にとって本態的なもので、ずっとそのことを
知らずにいたのが最初のボタンの掛け違いだったのだから。そして、薬で調整しながら自分自
身と付き合っていく方法を覚えたのだ。
無理しているのではなく、人類と同じ環境に棲息するための必需品なんだから、仕方がない。

でも、この"生き方"は、古典的日本人にはハナモチならない、とんでもないことなんだろうな?
[2001年4月25日 20時24分20秒]

お名前: ペンギン   
『自閉症だったわたしへ』/エピローグより

わたし自身の場合も、愛や親切や、親愛の情や共感は、いつも最大の恐怖の源だった。それら
を感じ、自分にはふさわしくないと思いながらもなんとか人の努力に添おうと頑張っていると、
フラストレーションはやがて自分など不適当だという思いに変わり、ついには絶望となってし
まう。(P282)

間接的、客観的な方法で応えることと、無関心であることは、まったく別のことなのである。
(P283)
[2001年4月18日 9時18分33秒]

お名前: ペンギン   
具体的な質問にその都度答えていくと、必ず、私には分からない「心情」にぶち当たったり、
何らかの意図をもって何かを伝えようという「気持ち」が言外に込められていたりする。
そういうことに応えるばかりが、「役に立つ」ということではない。そういうことに応える
ことができないからこそ、「役に立つ」こともあるかもしれない。
やっぱり、誰よりも早く言葉をしゃべることができたのに、「単に見たものについて解説し
ていただけ・聞きかじったことや決り文句を言って場を繋いでいただけで、人に向かってしゃ
べっていたわけではない。」こと、「座が指定されていない場所では、ごく自然に人から離
れ、自分が落ち着いていられる隙間を探して、収まっていた。」こと、それってどんな場所
でも同じなんだ。

さしあたり、「診断」がついて自分自身を取り戻すまでの過程という一つの区切りがついた
こと。それから、一人で孤軍奮闘して来たことが、全くお互いに知らないままで、たまたま
同じ時間をかけて似たようなことをやって来た「アスペの会」の先生方に公認されたこと。
それで、今までと同じ気持ちで『日記』が書けなくなったということです。つまり、もう、
不安材料がなくなったということです。
[2001年4月17日 23時0分51秒]

お名前: ペンギン   
あっちの『日記』は、???が??になり、そして?になって最後は!になるまでの記録。
で、こっちは、!!!ってこと。
[2001年4月16日 8時18分30秒]

お名前: ペンギン   
今までは、義務感と責任感、それから「誰かに怒られたから」、そして、罪悪感と無価値観が
動機でした。
これからは、自分が楽なこと・自然でいられることを優先します。

でも、「どこかに書いてあったこと」と「誰かに言われたこと」を至上命令のように感じてし
まうと、時々暴走します。

だから、「さわるな! キケン!」と書いたのに…。ものの見事に、爆発してしまいました。
[2001年4月15日 22時13分14秒]

お名前: ペンギン   
私の「こだわり。
自分の状態を言い表わすコトバを、集めること。
ニンゲンの行動を説明する言葉を、集めること。
[2001年4月14日 18時49分9秒]

お名前: ペンギン   
「変わり者と、イジメられている。けれど、本当は友だちを求めている。」とか、「突出した
優れた能力を活かせば、一人前になれる。」というシナリオに乗せられたくない。
[2001年4月14日 14時23分41秒]

お名前: ペンギン   
いや、単に、私は私の「こだわり」を通す場所を作りたかったということだ。
[2001年4月14日 13時46分21秒]

お名前: ペンギン   
"本当の"なんて言うと、今までのは「嘘だったのか?」と思われるかもしれません。
(そう思いたい人は、思って下さい)。
でも、そういう意味ではなく、普通の「日記」、つまり「毎"日"の自分の"記"録」ということです。
[2001年4月14日 12時43分8秒]

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