記事タイトル:2002年6月の「日記」   


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テーマ: 一家に一人。   
一家に一人でもアスペの人がいると、家族がそれに合わせて遠慮して生活しているところがある
という事実は否定できない。(しかし、その代わり、パニくってもまともに取り合ってもらえな
いのも事実。)
お互いに、「自分の感情が受け止められていない」のと「違う感覚を押し付けられる」という耐
えがたい苦痛を感じていて、どっちも「無視された」と思っている。つまり、“我慢する”と
“我慢させる”をGive&Takeしている関係。

「自覚」がないと、人は怖くない。ただ、違和感と説明のつかない不安がある。
理由がわかると、すっきりして心地よい。けれど、絶望的“差異”を突きつけられて怖くなる。
[2002年6月30日 22時3分22秒]

テーマ: 実行形式   
洗い終わった洗濯物をカゴに入れて台所を通りかかったら、「皿を出して」と頼まれた。
しかし、ワタシにとっては食器の取り扱いは洗濯物よりもずっと上位ランクに位置付けられてい
るので、カゴを置いて大至急洗面所まで手を洗いに行った。台所に帰ってきたら、ちょうど皿を
出そうとしている時だった。(普段なら、「緊急ルール」を適用して、カゴを置いて台所で手を
洗うことができるのだが、今日は寝不足で元に戻っている。)
人にこういう態度をされた相手にしてみれば、無視されたと思ってしまうのだろう。が、こちら
としては、「皿を出す」というコマンドを実行するために最善を尽くしている。こういう時に
は、一言断るための回路にもアクセスできない。

どうして、一般の人には、“自分なりの実行形式”のプログラムがインストールされていないの
か、不思議でならない。
子どもの時から、認知・注意・衝動・学習・知覚などの特性が一人一人違っていて、自閉症の人
にはオリジナルな行動様式があることを身近なものとして学習していないと、こういう発想その
ものが身につかない。

ワタシが子どもの療育を中心にしているのは、自閉症の子どもたち自身のためだけでなく、周囲
の人々をも教育するねらいがあるから。

それから、実際はできていないわけでもないのに、こういうことをここにわざわざ書いているの
は、どこが・どう違っているか分からなければ対処法も考えられないから。
[2002年6月30日 10時12分25秒]

テーマ: 共感   
「共感」できるからこそ、距離を置きたい関係だってある。
なのに、横の繋がりを作って社会に対して何かをせよと言われたって、無理というもの。
繋がっている(リンクしている)けれど、係わりを持っていない関係者を増やすのならできる。
[2002年6月30日 7時47分24秒]

テーマ: 「音」の続き。   
人間の赤ちゃんは、440Hzの音が好きで、ピタリ泣き止み音源に注目する。
自閉症児の感覚−知覚は、標準仕様と違う設定になっているのではないだろうか?
それが、あまりにも個別的で反応が激しいために、誤解され不可解な存在になってしまうのかも
しれない。
[2002年6月29日 18時51分58秒]

テーマ: 音   
何かの曲を聴いて、音そのものが怖くて泣いたり、音階の並びや音質に感動して涙が出る場合、
それはその曲で何かを思い出したわけではない。
例えば、『犬夜叉』のエンディングテーマ、
Every Heart-ミンナノキモチ-を聴くと感動してしまうのは、別に『犬夜叉』のストーリ
ーを思い出すからではない。

その音に関連する何かを想起してしまうのとは、別のこと。
[2002年6月29日 18時39分59秒]

テーマ: メロス。   
『走れメロス』は、単に約束を守っただけだし、主人公が自分のことだけ考えるような人ではな
かっただけであって、“友情”の尊さを描いたものではないと思う。

これを“友情”物語だと思うのは、「自分の利益にならないことは一切しない」という利己主義
者にとって、「自分の利益にならないこと」をするためには“友情”とか“信頼”とか“つきあ
い”が必要だということを物語っているのではないだろうか?

非・自閉症者からすると自閉症者は、人との係わりがないとか、“友情”がわからないとか、
“つきあい”をしない人ということになっている。けれど、実際は、人と“繋がっている”状態
を表す概念や用語が違うだけのように思う。
[2002年6月29日 18時4分30秒]

テーマ: リピート。   
不安と過緊張でパニくったので、
鬼束ちひろ
の“茨の海”と“infection”をリピートして聴いた。←こういう時に、リセットするために同
一性を求めるという説は、あながち間違いではない。
[2002年6月28日 7時41分34秒]

テーマ: ライフスタイル。   
身体的な不快感や虚弱さを我慢してやっとやっているのに、その先のことを要求される。
「○○さんは、こういうことを言ってくれる」「△△さんは、こういうことをしてくれる」なん
てことを言われる。

「何故こんな意地悪な人とばかり出会うのか!?」と、ずーっと思っていたけれど、普通のヒト
にとってそれは何でもないことであるばかりか、快感でさえあったのだった。

知っていれば、聞くべきことと聞かなくても良いことを識別できたというのに、お互いにそれを
知らなかったばっかりに双方で心理的な問題を起こしていた。・・・こういう虚しい行き違い
は、いい加減にやめるべきだ。

PDDもADDも、重篤であれば明らかな「障害」であり「福祉」の対象になるべきものだけれ
ど、そういうものから軽微なものまでも含めて、一つのライフスタイルとして公認されるだけ
で、「障壁」はかなり減る。
[2002年6月27日 11時16分21秒]

テーマ: テグレトール。   
先日、テープが絡んでしまってビデオデッキから出なくなってしまった。
音楽用のテープと違って、ビデオテープは逆方向に動かないようになっているため、ネジを外し
て分解して直した。
途中、うまくいかずに何度も放り投げてしまいそうになった(早い話しが、癇癪を起こしそうに
なった)のを抑えてくれたのは、他ならぬテグレトールの作用だった。

本当に、精神科医が聞くべきなのは「ご気分は?」ではなく、こういうところだと思った。
しかし、こういうモノの考え方自体が非常にアスペ的なので、「ご気分は?」と聞いてもらいた
い患者さんもいることを否定しない。
[2002年6月27日 11時4分2秒]

テーマ: SSRI。   
今日は、いつにも増してあまりにも触覚の不快感が強かったので、普段は昼食時に飲むSSRI
(25mg)を、10時に飲んだ。(今は、薬が効いておさまっている。)
自称専門家の手になる現在の自閉症論は、こういうインプット(情報入力:この場合は知覚)の
問題を飛ばしてアウトプット(行動)だけを見てものを言っていることがほとんど。これでは、
どんなにご立派な理論を展開しようとも、役には立たない。具体的な療育法を述べていて、実際
に効果の上がっているものは、知覚・認知・注意・動機・衝動性の特異性を踏まえている。
[2002年6月27日 10時55分36秒]

テーマ: アート?   
次男は、ジュース作りの次に、ボンドの研究を始めた。
鉛筆削りの削りカスをボンドで固めたり、モールをばらしてボンドで貼りつけて字にしたり。し
まいには、楊枝や割り箸の先にボンドだけを固めてモリアオガエルの卵塊を作ったり…。

{新奇で強烈な刺激を求め→生存に優位になるような物事の優先順位を決められない→注意の転
動と過集中を防げず→長期的な見通しを立てられない}性質と、特異な空間認知をしていること
は、社会生活上の「障害」になるが、じょうずに活かすことができれば「個性」。
診断名としてはADHDとLDに変わりはないが、どちらの面が全面に出るかで印象は全く違
う。

上の「アート」も、ボンドはたらすし、そこらじゅうを削りカスだらけにし、他の大事なことを
やらないという観点からすれば「障害」になるのだろう。
でも、そういう関係の仕事をしている大人は、発想の奇抜さがウリで、寝食を忘れ時間を忘れて
没頭するのは別になんでもない。もし彼がそういう人に成ろうとしたら、ありきたりの発想・時
間厳守・品行方正な生活パターンの方が「障害」になる。
[2002年6月26日 23時35分1秒]

テーマ: 削除。   
最近、また“触覚”がうるさくなっている。
こういうのは、本当に、削除しそこねた余分な脳神経細胞の断片だと思う。
(脳細胞は、一度過剰に作られ、使われないものやネットワークに入らなかったものは、自然に
死滅していくそうだ。)

ところで、脳神経科学が進歩しているのは、脳のシステムができそこなった人を削除する方法を
見つけるためなのだろうか? それとも、脳のシステムに異常を持って生まれた人の不都合を軽
減するためなのだろうか?
同じ脳神経学者でも、基本方針が違うと全く別の学問のようだ。
[2002年6月26日 21時51分53秒]

テーマ: 協力者。   
子育てに関しては、専門家が上で親が下というような上下関係はない。
専門家は、専門家にしかできない手法を用い、専門家ならではの知識を以ってアドバイスするこ
とはできる。しかし、本当に“その子”のことを知っているわけではない。一人の人間が生きて
いる時間の内のほんの数時間を共にし、観察しただけなのだから。
あくまでも、子育ての協力者であって、指導者ではない。そのことを忘れてもらっては困る。
[2002年6月26日 19時33分18秒]

テーマ: 節目。   
「存在を証明する」時期は、とっくに終わったと思う。
既に、“いて当たり前”。では、「これからどうすればいいか」に、流れが変わっている。
[2002年6月26日 19時25分9秒]

テーマ: きゅうりジュース。   
夕食の後、ウチのエジソン君が、突然きゅうりを切り始めた。どうやら、細かく刻んでジュース
を作ろうとしているようだ。自分の思い込みで進めるので、普通にきゅうりを切って、普通のテ
ィッシュペーパーで漉そうとしていた。うまくできなくて難儀していたけれど、始めの見通しの
まま一心に取り組んでいた。
おろし器のついた皿やクッキングペーパーや茶漉しを出してあげたら、大喜びで実験にいそしん
だ。最後に、味がまずくてジュースが飲めなかったのが大誤算だった。
きっと、本物のエジソン氏も、こんな子どもだったのだろうと思った。
[2002年6月24日 21時50分40秒]

テーマ: バナナ香料。   
話の分かる内科医院を近所に見つけたので、肝臓の薬(精神科系の薬は、すぐに肝臓に来る)と
胃薬(新薬に弱いため)に加え、テグレトールの副作用の“むくみ”に効く漢方薬を処方しても
らって、最近とても調子がよい。体力も回復しつつある。
と思った矢先、突然の吐き気。どうやら、朝食に食べたパンに入っていたバナナ香料が合わなか
ったらしい。・・・世の中、こんな物質だらけなので、なかなか平和は訪れない。
[2002年6月24日 21時41分7秒]

テーマ: 『マンガ教室』   
本人も、道具などのことをとやかく言われないことと、障害のことを分かってくれているのなら
習いたいと、本当によろこんでいた。
その、第1回目が今日あった。集まったマンガ好きの子どもたちとも、先生とも相性はOK。い
ろんな画材で書いた原画を見せてもらって、大満足だった。
今では、自分の好きに書いて、あとから技術を習ったり道具の使い方を覚える方法で十分だそう
だ。便利な道具はいくらでもあるし、道もたくさんある。強制は一切無し。というわけで、正式
に申し込みをして来た。(やった〜〜!)
[2002年6月22日 13時28分8秒]

テーマ: 闘い。   
「身の回りのことは二の次、肉体労働よりも知的労働。」これは、日本の農村の価値観と、真っ
向から対立することだ。
ワタシは今、日本の農村と闘っているが、大多数の日本人はもうそんなものと闘ってはいない。
とっくにそこから逃げている。辺りを見まわしても、みんな仕事に出ている。近所の画家先生
は、一家ぐるみで脱出した。
ワタシは、この地で起きる葬式に怯えて日々を過ごしている。でも、ほとんどの日本人は、もう
こんな形態の葬式などしていない。

ワタシの家系には、自分の好きなことを思い思いに楽しむ人しかいなかった。自分の弟とは、小
五以来、口も利かず顔も合わせていない。こんな家系だから、ワタシの社会性は全く育たないま
ま放置されたのであまり賞賛はできないけれど、そこに自閉症という問題が有ることをキチンと
把握して子育てをしていたら、ワタシもワタシの弟ももっとちゃんとした社会人になれたはずだ
った。
その結果が、また鬱になって死ぬことばかり考える毎日を送るか、大パニックを起こしてしまう
かのどちらかしかないという選択肢しか用意されていない人生だった。
もう二度とそうなりたくないから、ワタシは今、自分の居場所を作ろうとしている。しかし、そ
の作業に専念すればするほど、あちらの怒りを買う。でも、負けない。絶対に、元には戻らな
い。もう、ワタシにとって「どうでもよかったこと」に振り回され、「聞かなくても良かった言
葉」を真に受けで貴重な時間を失うようなバカな真似はしない。
[2002年6月21日 11時1分41秒]

テーマ: ちなみに、   
この長男、最初から絵がうまかったわけではない。はじめは、クレヨンを持つことさえできなか
った。ボキボキに折ってしまうか、全く何も書けないかのどちらか。にもかかわらず、自分が毎
日見ている電車(113系)そっくりそのままの絵を、書こうとしていた。当然、癇癪とパニッ
クの嵐だった。仕方がないので、ワタシが書いてあげた。これが、幼稚園の時。
本人が、まともな絵を描けるようになったのは、小学校5年生以降。オリジナルのモンスターを
書き始めた後。とはいえ、小学校に入学した当初から、授業中はひたすら絵を書き続けていて、
ノートや答案用紙は絵だらけだったけれど…。

先生に会ったことを話したら、本人もとっても喜んでいる。

(話だけで喜んでいても、仕方ないけれど…。いや、どこかの「マンガ家養成専門学校」に談判
にでも行こうかと思って、あれこれ考えていたところだったので、とりあえずワタシはうれし
い。)
[2002年6月19日 18時58分0秒]

テーマ: ↓の件。   
そこらに落ちている作品(?)を持っていったところ、先生の方はまったく大丈夫だった。
自分に合った道具を使って自由に描かせて、その子に合った作品展に応募させているとのこと。
後は、本人次第。
[2002年6月19日 11時25分34秒]

テーマ: 近所にマンガ家。   
長男は、絵がうまいのに美術の点が良くない。それは、不器用で道具が使えないから。それに、
ふにゃふにゃの線しか描けないから。(ちなみに、直接自分で書きたいので、パソコンでお絵描
きはしたくない。)しかし、今のところこれは一番のとりえ。どうしたらいいものかと、考えて
いるところ。
今日、近所に、挿し絵や解説のためのマンガを書いている先生がいることを知った。事情を話し
て、この才能を何とか活かせる方法はないものか相談する価値はありそうだ。例えば、線の引き
方・道具の使い方・先生の助手から入る普通のやり方ではなく、逆をやることだってできるはず
だと思う。
[2002年6月18日 21時27分36秒]

テーマ: 「ことば教」信者という障害者。   
次男のクラスに臨時講師の教員が来たことは、今までなれ合いになっていたことを言葉にして説
明する機会になって、新鮮だった。

そこで、気づいたこと。

発達障害を知らない普通の人は、「人は自分の意思を言葉にして表すもの」だと思っているよう
だ。だから、「言葉にできないのは可哀相だ」「言葉にしないのは、心を閉ざしている」「言葉
にできれば大丈夫」という公式のようなものを持っているらしい。
一般の人は、{言葉=心}という神話を信じている、「ことば教」の信者のようだ。それは、一
種の障害者でもあると思う。(つまり、人間の精神的なシステムを理解する能力に欠けている、
ということ。)

しかし、発達障害児には、自分の意思とは無関係な言葉を使ってしまう子もいるし、自分の意思
を言葉以外の手段で表わしている子もいる。
カウンセラーや精神科医の仕事は、言葉が自分の本心に連動していないことと、行動に表われ
る意思を見破ること。
[2002年6月16日 10時35分6秒]

テーマ: 干し椎茸。   
ワタシは、干し椎茸の臭いが×。でも、生椎茸は大好き。大人になって、こういうところは自分
でちゃんと選んで来た。
なのに、ここに来たら、食べる時のことも考えずに、「とれるから」「うまくできる」「いいの
ができる」と何十本も椎茸の菌を植えた木を並べて喜んでいる人がいる。
当然のことながら、生で食べ切れななったものはしっかり干されて、干し椎茸になった。最近、
毎朝のように、その干し椎茸を使って味噌汁を作っている人がいる。
こちらは、いつその干し椎茸を「つかえ」だの「干した方が体に良い」だのと言われるかという
恐怖で、その時間帯はその人に会うのも避けている。

ビワの巨木になった大量のビワを、「買うと高い」だのと言って取って来たのに引き続き、休耕
田に植えた梅を自分の娘に頼んで取ってこさせたものを、漬けるための準備をしている。
「手伝え」とは言われないことは分かっているので、そちらのそばは平気で通れる。でも、大量
にできる保存食を消費するためには、目の前に置いて毎日見ていないといけないワタシは、何年
か前にもらった梅干を使い切れずにいる。きっと、今は生の梅が梅干になる頃には、また逃げる
だろう。

もし、その人が寝たきりになって介護をしなければならなくなったとしたら、ちゃんと世話でき
る。何故なら、面倒を見るのはこちらだから。こちらからするのならば、いっこうに構わない。
[2002年6月16日 10時20分27秒]

テーマ: 耳鼻科。   
近くに、耳鼻科の医院ができた。
幼児期に耳や鼻の慢性・習慣性の疾患にかかる子どもが多いせいか、ここの先生方は、「自閉症
なので…。」という説明をあっさりと聞いてくれた。長男のカルテには、「自閉症」と赤字で書
いてある。
器具がダメなことに不満をもらしたのは、ベテラン看護婦ただ一人だった。「そのうち慣れる
よ。」と言っていた。
ここには何人かの医師が所属していてその度に説明するのだが、その内の一人はとてもナイスな
ことを言った。「一番ダメなのは、どれ?」←パチパチ!
[2002年6月16日 10時1分7秒]

テーマ: 知らなかったこと。   
私が知っていたのは、歴史上の哲学者たち・禅宗の高僧たち。
世の中には、こんな人がいるなんて、知らなかった。と言うよりは、こういう人は、いつか悔い
改めて成長するものだと思っていた。肉体労働が好きで知的に高めようという動機が一切ない
人・始終ワイセツなことばかり考えている人・女は賄い付き女郎だと思っている男。
お笑い芸人がこういことばかり言うのは、単におもしろがっているとか、人を笑わせようとして
いるだけだと思っていた。こういう話題を心の底から楽しくて言っている人が本当にいること
が、よく見えるようになった。
[2002年6月14日 8時56分29秒]

テーマ: 今日の出来事。   
今日の次男は、昨日とは打って変わって、ものすごくハイな一日だったようだ。
先生のところに甘えて行ったり、仕事を率先して手伝ったりしたのは良いのだが、興奮気味で友
達に抱きついたりする様子が珍しかったらしく、「大丈夫でしょうか?」と電話がきた。
そういえば、多動が激しかった1・2年の頃は、教室でもよくバタバタしていたのだが、最近は
落ち着いている。どちらかと言うと、そちらの方が異様なぐらいなのだが…。(家では、まだよ
く興奮状態になる。)
ははん、臨時で来た先生が見るとそんなにビックリするものなのか!と、改めて驚く。(家に
は、まだその上を行くのが一人いる。その様子を見たら、きっと病院に電話するかもしれな
い。)
[2002年6月13日 21時26分21秒]

テーマ: ↓の続き。   
家が、ちょうど先生の帰り道にあるので、先生が寄ってくれた。
今日ではないが、給食の時間に、友達に「手を洗って」と言われて泣き出した事件があったそう
だ。
次は給食という時に、いちはやく教室を飛び出して手を洗ってしまったので、誰も見ていなかっ
ただけなのだが…。本人には、自分では洗ったはずの手を洗うように言われた、としか分かって
いない。
そういう時に、“自分は手を洗った”という事実しか認識できていないので、なぜそんなことを
みんなが言うのか、全くわかっていない。だから、「一番先に行って、手を洗った!」と主張で
きない。
家でなら、いつもそういうことを聞くのはワタシなので、ワタシだけを警戒していれば良いし、
「手はとっくに洗った!」と言えるのだが、誰から何を言われるか分からない学校という状況が
ダメらしい。
ここのところ、一年生の時は、複数の人間がてんでバラバラにごちゃごちゃしている動きを把握
できずにいたものが、複数の人間から何を言われるかわからない不安に進化しているようだ。
[2002年6月12日 17時41分15秒]

テーマ: そろそろ…。   
最近、やっと体育にも参加できるようになり、家からズボンをはいていけば体育着にも着替えら
れるようになった次男。今日は、「寒いから」と、その上に普通の長ズボンをはいたところを、
「体育着に着替えない人は、体育をやってはいけない。」と友達に言われて授業をボイコット
し、その後、教室に入らなくなってしまった。(給食も、保健室で食べたそうだ。)
その友達には特に悪意があったわけではなく、一般論を言っただけなのだが、こういうのがいつ
までも後を引く。本当は熱も平熱の範囲内だったのに「熱がある・頭が痛い」と言っているのは
明白だったけれど、迎えに行った。
本人には、「体育着の上に普通のズボンをはいてしまったら、体育着を着ていることが分からな
いから、そういう風に言いたくなるのは当然のことで、その言葉を真に受ける必要はない」こと
を説明した。「本当に長ズボンにしたいのなら、今から買いに行くけど、どうする?」と聞いた
ら、「それはいい。」と答えた。一方、先生も、3年生によくありがちなことでもあるので「人
が気にしていることを言って、茶化さない」ように全員に指導するとのこと。

3年生になって、人の言っていることの意味がだいぶ分かるようになった反面、こういう行き違
いも多くなっている。
それから、中耳炎で休んでいた時に習ったところがテストに出て、得意なはずの算数の点が悪か
ったことや、研修でよその学校の先生が大挙して押し寄せる特別な日でもあったので、いろいろ
重なったようだ。

発達障害児の行動が落ち着いてくる中学年は、逆に正念場でもある。何故なら、この辺りから、
周りの子どもたちが大人びてくるから。
[2002年6月12日 16時21分21秒]

テーマ: 貢献できる領域。   
しかし、自分の貢献できる領域でなら接触は可能だし、喧嘩しているのではない。

くだんの同居人が、家の庭で保護しているモリオアガエルが最近鳴かなくなったと心配している
ので、「モリアオガエルは、2〜3ヶ月しか鳴かない」「一年に一度しか産卵しないので、もう
卵を産むことはない」「通常なら、梅雨明けまで鳴くのだが、今年は天候不順で梅雨明けのよう
な陽気になっている」ことを教えてあげた。
とっても心配していたので、「良かった、安心した。」と言っている。

トラウマからは上手に逃げて、こういうところで接点を持つようにしたいものだ。

※ちなみに、家はモリアオガエルの生息地に隣接している地域にある。このモリアオガエルは、
 非常に環境の悪い農業用水タンクに棲んでいてので、家で保護しているもの。
※モリアオガエルは天然記念物ですが、種ではなく地域指定なので、捕獲制限はありません。
 数が減っているために、保護が必要です。(学校ぐるみで飼育しているところもあります。)
 詳しくは、こちら
[2002年6月10日 8時19分26秒]

テーマ: 地球人の目は節穴。   
どんな話題の時・どんなことを言えば、ワタシがフリーズしてしまうか(実際は、爆発寸前のと
ころをこらえている)。
こんな判り易いものはないと思うのに、全然分からない。これでもか、これでもかと言ってく
る。・・・全く見る目がない。
[2002年6月9日 21時14分50秒]

テーマ: 闘いの続き。   
おいしいと感じるのは自分で、食べるかどうかを選択するのも自分だ。
(おいしいと感じた人が、「おいしい!」と言うのは、いっこうに差し支えない。)

しかし、その前に、食べる人もいないのに、「とれた」「作った」からと言って持って来ること
自体が間違っている。なのに、“気持ちを受け取れ”だの“感謝しろ”だのと押しつけられるの
では、たまったものではない!
[2002年6月9日 13時12分28秒]

テーマ: 反論。   
ホンジャマカの石塚さんが、重たい体でのっそのっそ山登りをしている映像を見て、同居人が長
男に向かって、「体が軽いから、楽だろう」と言った。
「冗談じゃない! 発達性協調運動障害があるのに、みんなと同じだと思われて同じことを
やるのは、ものすごく苦痛なのに、そんな言い方するな!」
と、ワタシと長男の二人で厳重抗議した。生来の感覚や身体的条件に合わない理不尽なことを、
要求される一方で、何もかも言いなりになるのは、こりごりだから。
ただし、長男には、こちらにとって辛いことを要求された時に抗議することも必要だけれど、防
音設備のないところでは、普通の人にとってとてつもなく苦痛な奇声をあげるのは我慢するよう
にと言ってある。

「普通の人にとっても、不快なことや苦痛な感覚はあるのに、何故、自閉症だけが優遇されなけ
ればならないのか!」と反論されるだろう。
しかし、普通の人は、そういう時に、黄色い歓声をあげながらみんなで騒いで解消できるではな
いか!? 自閉症の人は、その場で交感神経が暴走してパニックを起こすか、フリーズしてしま
うか、感覚や思考を遮断してしまうかのどれかになってしまう。
これらの反応を起こすことで、ワタシたちはずっと訴え続けて来た。でも、自閉症でない人には
全く通じていないどころか、完全に誤解されていることを知ってしまった。だから、黙るのはや
めた。
[2002年6月9日 11時46分26秒]

テーマ: ついに、掲示。   
ワタシは、子どもの頃、いろんなモノが食べられなかった。にもかかわらず、学校給食でも家で
も、全部食べるように強要された。(それで、慢性下痢〜過敏性大腸症候群となだれこんで、40
年。誰も気づかなかった。)
その時の決り文句が「おいしいから食べなさい」と「体に良いから食べなさい」と「健康のため
に食べなさい」だった。これらは、ワタシにとっては、体の髄から震撼させるほどの禁句だ。だ
から、子どもたちにもこう言ったことはない。子どもに必要なモノを食べさせる時には、“体に
よい”ではなく“体を作る”と言い、栄養素の説明から入った。
それなのに、今になってまた、毎日のようにこのセリフを聞かされる羽目になっている。本当に
もう、我慢の限界だ。いつ、爆発して、耳塞ぎをしたり、手当たり次第に物を投げる事態になる
か分からない。
そこで、
 「おいしいから食べなさい」「体に良いから食べなさい」は禁句
と書いて貼った。こんなことを書いたって、「そーんなの、聞いたことない!」と言われるに決
まっているので、
 自閉症につき
とも書き添えた。(注:これは、一般論ではありません。ややこしい説明を省くためです。)
[2002年6月9日 11時29分2秒]

テーマ: 社会性   
「社会性が無い」といっても、二つの意味がある。
1、秩序や規範が分からなくて、人としてあるまじき行為をする。
2、秩序や規範を守りすぎて、人の気持ちに応えない。

同じく、「心が無い」にも、二つの意味がある。
1、人と同じ心情を持っていながら、人には自分と同じような感情があることを忘れて、物扱い
  する。もしくは、自分の感情を満たすために、敢えて人の気持ちを踏みにじる。(いわゆる
  自己チュー。)
2、人と同じ心情を持っていないのに、自分のできる限りの想像力を働かせて、最大限の努力を
  している。にもかかわらず、全く通じないし、報われることも無い。(積もり積もると、最
  大の被害者なのに、最悪の加害者であるかのように言われてしまう危険もある。)
[2002年6月8日 22時23分48秒]

テーマ: able   
私は、この言葉が好きだ。

もともと「できる」人が認められるのは、別に難しくも何ともない。
何も「できそうにない」人の中からも、「できる」を見つけたい!
[2002年6月6日 23時33分55秒]

テーマ: 専門家の落とし穴。   
同じ一人の人間が、ASと言われたり、ADHDと言われたり、LDと言われたりすることがあ
る。(まあ、どこにでもいる普通の子・人と言われることもあるけど。)
それから、どんな風に合併していようとも、診断の優先順位に従って診断名をつけることもあれ
ば、全部を併記することもある。(まあ、ASが見落とされることの方が、多いのでしょうけれ
ど。)

適切な医療を受けるためには的確な診断は必要だし、ASの面はASとして・ADHDの面はA
DHDとして、LDの面はLDとして見たっても構わない。が、どう呼ばれようと、事実がある
限りその人はその人だ。

もし、あたかもナワバリ争いでもするように、本人不在の議論を繰り返している専門家がまだい
るのなら、ただちにやめて欲しい。それぞれが、今まで積み重ねて来た研究成果の功績と限界を
自覚して、それぞれが協力すべきだ。
でも、そんなことなどしなくても、利用者である本人と親が自主的に選択していけば、自然に淘
汰されると思う。
[2002年6月6日 14時50分52秒]

テーマ: 矛盾。   
何故、サッカーの試合の開始式に、水着のお姉さんが要るのか?
何故、芸能人なら、小学生・中学生でも茶髪が許されるのか?
小学生は茶髪禁止なら、幼稚園児はもっと禁止なはずなのに、「学校に行くとできなくなるか
ら」という理由で通っているなんて、おかしい!
[2002年6月5日 9時22分51秒]

テーマ: 女子の世界。   
昨日、タモリが言っていた。(恐らく、誰かの請け合いだと思う。)
女の人が、全く関係のない第三者の話題で盛り上がることができるのは、その人のことが知りた
いからでもなんでもなく、そうやって“しゃべる”ことそのものがコミュニケーションになって
いるそうだ。それで、仲間関係を確認するのだと。
だからこそ、「口きいてやんなーい!」というのが、最強の殺し文句なのだと。

恐ろしい世界だ。知らなくてよかった。
[2002年6月5日 9時19分2秒]

テーマ: 悪循環。   
発達障害に関することは、一生懸命やればやるほど社会に繋がらない。しかも、赤字になる。

医者は、診療報酬が低すぎて赤字になる。
学校教員は、職員室の中で孤立する。
療育熱心な親は、普通の子どもに余計なことをしている・たいしたことないのに騒ぎ過ぎだと批
難される。
極めつけは、万全の体制の元で育ったことが社会的なレッテルになって、本人を苦しめてしまう
こと。
[2002年6月3日 11時41分23秒]

テーマ: 環境。   
ふつうの人でも耐えられない、この中途半端な田舎という環境から、また一軒の健常者の家族が
出て行った。
・・・いいなぁ、環境を選べる人は。
[2002年6月3日 9時38分24秒]

テーマ: 「障害」という障害。   
アメリカでは、「障害」と言うのは、“何らかのサポートを必要としている”という意味になる
そうだ。
しかし、日本では“できない人”“わけのわからない人”“普通じゃない人”になってしまう。

そういえば、今朝の『ズームイン朝』で、日本の高校生の七割が「自分をダメな人間だ」と思っ
ているという統計結果が発表されていた。
常に他人との比較対照でしか自分を見られなくなっている人たちが、自分と違う人を許容できる
はずがない!
・・・自分自身が、常に、“できない”=悪という価値観で測られていたら、“できない”こと
を許せなくて当然だ。それに、子どもを育てる時も、子どもの将来を考えると、どうしてもこの
価値観を尺度にせざるを得なくなってしまう。(とはいえ、「療育」の途上にある時期は、「と
りあえず、出来る限りのことをしよう!」と努力するのもまた、当然。それが頭打ちになる時期
と、就労の心構えを作る時期は、ともに思春期。)

この国の現状を考えると、AS・LD・ADHDまでもが支援を必要とする人であることが認知
されているアメリカとは違い、あまり「障害」のことを公にできないので、苦渋の選択を迫られ
る。
特に、終生にわたって第三者から何らかの指導を必要とする人とは違って、軽度発達障害者は、
自分で情報収集したり工夫したりできる。それが、アダとなる。
自分で、自分自身が不利益にならないような方法や生き方を見つけて自分なりのやり方を通そう
とすると、周りから嫌われてしまうのだ。
例えば、軽度のASは、自分で環境を構造化したり自分にとってやりやすい手順を決めることが
できる。が、それは身近にいる人にとっては煩瑣なことが多い。しかも、ASの人は往々にし
て、自分のやり方に従うように他者に要求する傾向があるために、トラブルの原因になってしま
う。そうしてトラブルが生じると、あっさりとエスケープするか、自己否定をするかのどちらか
になり、共に適応障害に発展する可能性がある。
人と違うことを主張しながら生きて行くか、人と同じだと強調して生きるようにするかの二者択
一を迫られるのも、思春期。

※ウチの場合は、そこにADHDの子どもが絡んでいるので、更に、事情は複雑。
 家の中で、自閉症だから仕方がないこととして通っていることを、多少は似た傾向を持ってい
 るADHDの次男が真似をする。それをそのまま覚えてはいけないので、いちいち“違い”
 を説明しないといけない。
[2002年6月3日 9時2分18秒]

テーマ: 虐待か保護か?   
確かに、ウチの子どもたちは動物好きだ。

しかし、協調運動障害があると、そ〜っとつかむことができないので、よく握りつぶしてしま
う。本当に、保護するために捕まえて来たんだか、生物虐待しているんだかわからない接し方
をしている。

それから、興味本位で興奮しているだけで、ちゃんとした知識に結びつかない。

こういうところが、将来の「せいかつ」に影響を与える重要な要素になる。(学校の「生活科」
の時間でもてはやされても、生活力にはならない。)
[2002年6月2日 9時43分22秒]

テーマ: 発見!   
「〜すべし」「〜するもの」を離れたら、ニンゲンの行動を規定するのは「好きだから許せる」
「嫌いだと許せない」になるしかないよなぁ。

しかし、かつてはどこにでもいたアスペっぽい先生とか、ガンコモノ・ヘンクツと呼ばれた人た
ちは、今、どこに行ってしまったのだろう?
どこもかしこもサービス業になってしまっては、居心地悪い時代だよなぁ〜!
[2002年6月1日 23時56分43秒]

テーマ: AS同士の共存。   
ワタシは、「ご飯の支度ができたかどうか」聞かれるのが、イヤだ。何故なら、頭の中の設計図
を読みながら食事の支度をしているのを邪魔されるから。今はどのあたりかを見積りながらやっ
ているのに、完成したかどうかを聞かれるのは、癪に障る。
しかし、長男は、人の行動や食卓の様子からご飯の支度が終わったかどうか判断できないため、
何度も何度も聞いてくる。

そこで、妥協策(?)
100均ショップで、頭を叩くとチンとなる鈴を買って来て、ご飯の支度ができたら押すことに
した。目の前に全員揃っていて、「言えばいい」「見れば分かる」時でも、これを押す。
そうしないと、ワタシも長男も納得しないから。(ただ、関係無い次男がこれを覚えてしまうの
は、よくないカモ〜♪)
[2002年6月1日 23時51分19秒]

テーマ: 書き順。   
書写で、「土」を書くことになっている。なるほど、書き順が最高にオリジナルな字なので、次
男は「筆がない」と逃げているわけだ。

今日、代休の先生が、学区探検の下見ついでに家に来たので聞いたところ、書き順にはうるさく
言っていないとのこと。(近ごろでは、あまり「字」にこだわると「文」を書くのを躊躇してし
まうので、先生は書き順にうるさくない。でも、参観会で議題にするのは、父兄の方だとか…参
観会の日は次男が中耳炎で欠席していたため、行かずに済んだ。よかった〜♪)
人が変わったのだから、今までの取り決めが伝わっていないことだってあるのだけれど、社会的
認知障害のある次男には、「書き順は、どうだった?」と聞かれただけで「書き順が違う、と怒
られた!」となってしまったらしい。よくあるパターンだ。

来週中には「土」の習字を掲示したいというので、次男に覚悟を決めさせた。
「もし、どうしても自分の書き順のままで書きたいというのなら、文鎮を下に置けば書ける。で
も、線を三本書くぐらいなら、正しい書き順で書けると思う。どちらにする?」と聞いた。そう
したら、「普通に書く」と言って、漢字の表を見ていた。



※三年生になって、ずっと風邪気味のせいか、次男の一人遊びがひどくなっている。
 ワタシは、このこと自体は気にしていない。(普通なら、すごく奇異で異常だと思うのかもし
 れないけれど…。)
 ワタシがふと思うのは、この遊び方は、本当にADHDか? アスペじゃないのかぁ〜?とい
 うこと。でも、やっぱり、次男は“人間”がADHDです。←自己診断ではありませんよ!
[2002年6月1日 23時41分42秒]

※本人以外の書き込みはできません。
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