記事タイトル:アメリカ精神医学会『精神分析事典』の私的解説 


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テーマ: 対象関係【フェアバーンの理論による】との対比   
○乳児は生まれたときから、他者と関係するという人間の基本的な欲求充足の試みの中で、現
 実へと方向づけられている。この観点は、乳児は機能的な全体性として特定の環境の中で存
 在する、とする現代生物学の概念と一致する。
⇔「他者と関係する」「現実へと方向付けられている」「機能的な全体として特定の環境の中
 で存在する」ことが、自然に出来ていない。しかし、人間として生まれた以上、いずれは人
 間社会の中で生きなければならないことを忘れてはならない。
 それは、{感覚・運動・認知}の特異性に基づくものなので、『感覚統合』の視点から、不足
 している機能の「快刺激」を意識して与え、過剰な「不快刺激」からできるだけ遠ざけるよ
 うに配慮すると、有効なことがある。

○乳児はやがて、満足も不満足ももたらすような対象を内在化させることになる。乳児の反応
 はアンビバレントなものであり、不安が喚起され、安心の感覚が妨げられるところから、防
 衛的な操作が引き出される。
○分裂とは、早期の人間関係の欲求不満や過剰な興奮を処理するのに必要かつ普遍的な心理現
 象であり、時として病的なこともあるが、自我(自己)を分割したりまとめたりする正常な
 防衛機制でもある。対象の不快な側面は切り離され抑圧されるが、それは内的世界を構成し
 てはいる。
⇔原因と結果の関係・自己の行動と他者の反応との関係・対象の全体像と恒常性の認識が、発
 達しにくい。[喪失・不安・不快]と[興奮・安心・快]とが一つのモノの二面性を表すものと
 して統合されないので、二極に分かれたまま保存されるのだろうか?


[対象関係の発達モデル]
(1)乳児的依存期:自己からまだ十分に区別されていない、対象との融合期。
(2)擬似独立期:少しずつ明確に自分と区別できるようになった外的対象と、以前よりは
         はっきりした関係を作り上げ、自分の内的世界を対象の内的表象で構成す
         る。この段階の特色は、弁別、受容、拒絶である。対象全体は、身体的な
         内容として扱われ、対象の「悪い」部分は放逐される。
(3)成熟した依存期:自己と対象との完全な区別と、全体対象との、ギブ・アンド・テイク
           関係の達成をあらわしている。
⇔この「擬似独立期」と呼ばれる時期に、「自閉症」児は本当に独立してしまう。周囲の環境
 に影響されているので、全く現実から掛け離れてはいない。が、{感覚・運動・認知}の特異
 性に基づくオリジナルな行動を起こす。
 ある者は多動で走り回り、ある者は常同行動にふけり、ある者は同一性の保持に固執する。
 普通の子どもが決してしないような過激なことばかりして、全く手に負えない子どももいる
 し、一人黙々と好きなことをやっている子どももいる。周囲の人と没交渉・指示がほとんど
 通らない・コミュニケーションが成立しない子どももいれば、やけに物分かりがよすぎる子
 どももいる。

そこで、どうすればいいか?・・・もう一度、一番下の「愛」の項目を読んでほしい。

「自閉症」児は、「自閉症」という状態のまま「発達」するのであって、そこで成長が止まっ
たまま終わってしまった子どもではありません。
「自閉症」のこどもは、その特異性を保ったまま健全な「自閉症」者になれる、と私は確信し
ています。(願望のまま終わらせたくはありません。)
[2001年5月23日 14時43分53秒]

テーマ: 両価性(アンビバレンス)   
[両価性]
○他者、事物、状況に対して、相反する感情、態度、傾向が同時に存在すること。

[分裂]
○心的表象が、その相反する性質のために分かれることをいう。主として、自己と対象を構成
 する経験的な表象の分裂が問題となる。
○分裂は、精神生活の正常な発達と心の構造化に主要な役割を果たすと考えられている。心理
 的経験が未分化で不安定な緊張状態にすぎない乳児期の最初期において、それ自体は生まれ
 つきの反応パターンにすぎない分裂は、緊張レベルの相違にもとづいてこれらの状態の分化
 を促進する。この段階において、分裂は原始的な調整機能の役割を果たし、平衡状態の安定
 化と刺激防壁の確立を助ける。
○その後、さまざまな欲求に関して他人との間で欲求不満が生じ、その結果緊張状態がおこる
 と、分裂は、幼児の欲求の満たされ方に対応して、これらの経験の分離を助ける。その結果、
 表象の境界は強化され、自己と対象は表象概念として洗練される。
○そして最終的に、自己のまとまりと対象のまとまりが欲求の満足を上回ると、分裂は防衛の
 役割を果たす。分裂は、完全に能動的で選択的に展開するプロセスとして、以前に存在して
 いた分化のラインに依って経験を分離し、それによって、統合がもたらす不安を回避する。
○発達とともに、以前には構造化を促していた分裂の活動は実行力をもつようになり、その防
 衛機能は、より進歩した抑圧などのプロセスに引き継がれる。

[対象]
○対象とは、主体や自己とは区別され、しかも主体や自己にとって心理的に重要なものである。
 主体の心の中において、対象に対応するものは内的対象で、これは対象表象とも呼ばれる。
 しかし、すべての対象は心の中に表象されるので、内的対象表象は、現実的なものであれ、
 想像的なものであれ、外的対象の物理的・知的・情緒的な属性の混合物である。
○対象関係の発達の中でおこる、対象やその性質の内在化(取り入れや同一視)は、心理構造
 や精神機能の発達にとって大切なものである。
○この進展において重要な一歩は、対象恒常性の獲得である。対象恒常性はさまざまに定義さ
 れるが、本質的な点は、対象(母親)がその場にいなくても、あるいは母親が怒っていよう
 とも、子供のリビドー(本能衝動)の備給が維持されるということである。
○成熟した対象関係や愛情においては、対象が自己とは別の存在であること、対象の欲求と自
 己の欲求との間には、ときおり葛藤がおこりうることなどの認識が保たれている。すなわち、
 対象に対する両価性(アンビバレンス)を承認、受容し、耐える能力、分離も依存も同様に
 受け入れる能力、自分の欲求も対象の欲求も時々刻々変わることを経験し、それに適応する
 能力を伴っている。

[ジゾイド性格(分裂病質性格)]
○分裂病質(ジゾイド)という形容詞は、複雑きわまりない対人関係から、慣れ親しんで単純
 化された内的対象の世界に身を引こうという、防衛的な傾向を指している。
○彼らの他者の認知は、ファンタジー的で内的な対象の表象と混ざり合っているので、無視さ
 れるのではないかという恐怖からおどおどと自分の中に引きこもることになる。
○フェアバーンの考えでは、発達の早い時期に極端な欲求不満を体験すると、大人になってか
 らの相互作用に対応できるような心的構造を準備することができなくなる。患者はひどく傷
 ついて、愛する対象に憧れはするが、彼らの内的世界は、分裂にもとづく激烈な攻撃や憎し
 みの対象によって支配されている。そこで、現実の対人関係の経験は不毛なものとなる。

≪自閉症の場合≫
上の順序を逆転して、考える必要がある。
まず、対人関係の煩わしさから、自分の世界に逃げたり引き篭もったりしているのではないと
いう点を強調しておきたい。
「自閉症」の場合は、{感覚・運動・認知(の全てあるいは一部)}に特異性があり、一人一人
に特有で・非常に選択的な「快刺激域」を持っている。しかし、同時に「不快刺激領域」への
感度も高く、さまざまな情報が無差別に入力されてしまうこともある。どの分野にどれほどの
選択性があり、過敏と鈍感と混乱の程度については個体差が大きいので、一概に言えない。
それが、「診断基準」にある、特定のパターン、常同的・反復的な動作、匂い・感触・雑音・
振動への「こだわり」で、快刺激と一体化している方が本態的な在り方なのだ。
しかし、人間である以上、養育者の役割を持った人間に世話をされなければ生存ができない。
また、本人が望む望まないにかかわらず人間社会の中に組み込まれているので、人間との関係
を持たないわけにはいかない。しかも、人間は物体とは違って自発的に動くし、表情を変えた
りもするし、自分にとって必要なモノを補給してくれたりもする「特殊な対象」ということに
なる。
ここのところが逆転していることに気づかずに、「発達の早い時期に極端な欲求不満を体験し
た」ことによって「愛する対象に憧れはするが、彼らの内的世界は、分裂にもとづく激烈な攻
撃や憎しみの対象によって支配されている」ので「現実の対人関係の経験は不毛なもの」となっ
ている、と思われてしまった。それが、初期の、いわゆる「冷蔵庫のような母親に養育された
ことで自閉症になった」という誤った解釈を生んだ。
しかし、このような特異な{感覚・運動・認知}世界にあっては、自己と対象の分化は進まない。
こちらからの働きかけに応じて相手が反応をするという「相互関係」を学習して、対象に積極
的にかかわっていくことをしないので、対象が向こうからやって来て・何かされたことに対す
る直接的な反応が起こるだけ。たとえ、同一の対象が二面性を現わして(違う表情をして)も、
その一つ一つに別々に反応をする。
「他者、事物、状況に対して、相反する感情、態度、傾向が同時に存在する」という両価性が、
「理解」できるできないの問題ではなく、そういう「情報」を処理する能力を持っていないの
だ。だから、相反する二つの事象や命題が同時に出現すると、著しく混乱し、苦痛を感じる。
その不安が強い時には、パニック状態に陥る。
[2001年5月23日 9時53分20秒]

テーマ: 正常な自我発達   
○乳児は外的刺激の洪水の中におかれているが、刺激障壁がなければとうてい耐えられないで
 あろう。大人に比べると、乳児は痛覚などの刺激に対して生理的に鈍感である。自我の原始
 的な状態は、内と外からおこってくる不快な刺激に気づくことから乳児を守っている。
○自己と対象とはほとんど分化していない―もちろん、大人でさえ、それはかなり流動的であ
 いまいであるともいえる。
○母親が乳児の運動活動と情緒の意味を察するようになり、これらの前言語的な信号に理解と
 反応を示すようになると、彼らの間で原始的なコミュニケーションの愛情運動的な形態が確
 立される。
○乳児は、母親などとの間で、繰り返し、快感と苦痛を体験する。1歳になるころ、子供は母
 親が自分と違った存在であることに気がつく。
○自我は、その原始的な機能性において身体機能のモデルを模倣する。心は、欲求を満足させ
 てくれて快であるものを取り入れ、同時に有害なもの不快なものを意識から排除したり防衛
 したりする。また、やむなく受け取ってしまったものは、排除し、排泄し、外在化させる。
○1歳になると、子供はひとりでいる能力を発達させ始める。・・(中略)・・対象恒常性が
 子供の心の中に表象を作り出したのである。
○子供は、自分がいかに他者に依存しているかということに気づくと、かれらは他者の愛情を
 切望するようになり、愛されるためなら喜んで自分の満足の一部を放棄するようになる。こ
 れが愛することと愛される能力の前駆物となる。またこれが、受動性から能動性への変換の
 始まりの徴しである。これは運動技能の発達によっても促進される。それによって子供は、
 周囲をかなりの程度支配できるようになる。
○1歳の半ばで言葉が発達し、2歳から3歳の間にそれが成熟してくると、思考過程も大幅に
 進歩する。・・(中略)・・対象の心的表象が取り入れられる結果、衝動に対するコントロ
 ールがいくらかはきくようになる。しかしそれでも子供は、罪悪感や自己是認からではなく、
 罰への恐怖や愛の報酬への願望から行動している。
○自我機能の発達においては、まず自己と対象世界の分化に始まり、対象恒常性が確立し、最
 後に青年期に至って対象愛の能力が得られる。対象愛は、幼児的な対象と極端な自己愛(ナ
 ルシシズム)を手放すことを要求する。
○しかし、自我機能のある種のものは、成人期に至ってもなお成熟を続け、愛し、働き、彼を
 包んでいる世界に適応するための能力を成長させるのである。

≪自閉症の場合≫
まず、絶対に忘れてはならないのは、上記のような「正常な自我の発達」が阻害されたその結
果、「自閉症」になるのではないということ。
「内と外からおこってくる不快な刺激に対する過敏、または鈍感」「自己と対象の未分化」
「他者との情緒的交流」「身体機能のモデルを模倣する能力」「有害なもの不快なものを意識
から排除したり防衛する機能」「やむなく受け取ってしまった不快刺激を、排除し、排泄し、
外在化させる機能」「対象恒常性によって安心を得る能力」…。これらの不具合を治し、年齢
相応に発達させることを要求してはいけない。
何故なら、これらの機能や能力の偏りは生得的なもので、こうした「障害」とともに発達する
のが「自閉症」なのだから。
ただし、侵入的でない方法で接近し並行的な関係を保とうとする他者や、庇護的な関係にある
他者との間で、二者間関係が成立することがある。そういった仲介者が、「自分で決めたこと
を自分で守り、自分のやり方で遂行する」在り方を遵守している「自閉症」者と、社会的存在
であることが至上命令である非・自閉症の人々の心理状態の違いを通訳する役割を担うことで、
社会との係わり方を学習していくことができる。
それは、必ずしも非・自閉症者の「愛することと愛される能力」を獲得することと同じではな
い。また、「自閉症」という状態に在ることを無視して、「愛し、働き、彼を包んでいる世界
に適応するための能力を成長させる」ことを強要すると、逆に不適応を起こす。
[2001年5月22日 14時41分37秒]

テーマ: 自我(ego)   
自我の占める位置は、生理的な欲求に由来する一次本能と、外的世界の要求の中間にある。
 この両者の内在化された心的表象としての自我は、個人と外的現実の間を仲介する。自我は、
 自己の身体的・心理的な欲求を認知し、(対象を含む)環境の態度を見定める。自我はこれ
 らの諸知覚を評価し、協調させ、内的な要求が外的な要請に適応するように取りまとめる。
○自我の重要な仕事は、外的な世界や超自我との良い関係を維持しながら、本能衝動の最適な
 満足を達成することである。(超自我とは、行動の基準や道徳的欲求の心理的な代理物のこ
 とである)。
○この目的のために、外界や内界からくる強く過剰な刺激を弱めるような防護的な工夫が必要
 である。生理学的には、感覚器官はある程度の刺激だけを受け付け、それ以外の刺激は無視
 するか弱めるようにできている。これは、まださまざまな防衛機制ができていない幼児にとっ
 ては特に大切なことである。
○心理的にも、ある種の防衛機能がしだいに発展・維持され、葛藤をはらんだエスや超自我の
 要求を、それが耐えがたい不安を引きおこさないように、意識することを防ぐようになる。
 (エスとは、原始的な発動、衝動、生物学的な欲求などのことである。)
●ある種の自我機能(例えば、知覚、運動能力、知能、思考、話、言語など)は、環境の中で
 成熟し、心的な葛藤から比較的に自由に、効率的に機能するようになり(ハルトマンのいう
 自我の一次的自律性)、また、はなはだしい葛藤なしに機能しうるように発達する(二次的
 自律性)。
●現実に対する適応のひとつとして、自我は対象―特に本能的欲求の満足の対象である異性―
 との関係を比較的安定したものにする能力を発展させねばならない、人は、他者との間に長
 期間にわたって続く、愛情にみち、最小限の敵意をはらんだ、友好的な絆を作ることを学ば
 ねばならない(対象恒常性)。
●「自我機能」の一つである「対象関係」についての説明。
 最初の機能は、他者との間で、たとえいくらか不適切で敵意を含むものであっても、愛情に
 みちた友好的な絆を作りあげる能力である。この能力は、これらの対象の肯定的な心的イメ
 ージを作りあげることと密接に結びついている。
 第二の側面は、肯定的な対象関係を維持する能力である。多少の敵対的なやり取りがあると
 しても、良い対象関係に対応する心的な表象が存在することである。
※「自我機能」とは、現実との関係を調整する機能、衝動を調整し制御する機能、対象関係を
 維持する機能、思考過程をとりまとめる機能、不安を引き起こすような衝動から防衛する機
 能、心的な葛藤の影響から切り離された自律的機能、統合機能など。

≪自閉症の場合≫
最も重要なのは、自我"形成"が正常か異常かという点ではないのではないだろうか?
生理的な欲求に由来する一次本能を「知覚する能力」が、鈍感過ぎるか過敏過ぎるかのどちら
かで、外的世界の要求を「認知する能力」が、ほとんど欠如しているか非常に歪んでいるかの
どちらか。自己の「身体的・心理的な欲求」が、そもそも人と違っているし、「対象の知覚」
と「環境の認知」も、そもそも人と違っている。
だが、その中間に位置する「自我」は、これらの知覚や認知に基づいて行動を起こすという機
能は十分に果たしている。ただ、行動を起こす素材が違っているので、正常な乳幼児とは違う
行動をしている。
また、「感覚器官はある程度の刺激だけを受け付け、それ以外の刺激は無視するか弱めるよう
にできている」はずの生理的防衛機能に不備があり、ありとあらゆる刺激を受け付けてしまう
か、取捨選択しすぎるかのどちらかという内的環境では、「耐えがたい不安を引きおこさない
ように、意識することを防ぐ」はずの心的防衛機能も発達しにくい。
一方、社会・文化的環境の制約に基づいた"行動の基準"や"道徳的要求"があることに気づく時
期もまた大幅に遅れる。その結果、当然のことながら、その心理的な代理物である「超自我」
の形成が遅れる。だからこそ、「自閉症」児は、自己だけに固有の頑固で強固な態度を崩さない。
自分の知覚や認知に基づいて行動を起こす主体である「自我」は、しっかりと形成されている。
が、"自己を防衛する機能"や"内的な要求が外的な要請に適応するように取りまとめる機能"な
どの"諸機能"が未熟な状態のまま"発達"するのが、「自閉症」なのではないかと思う。
かといって、「自我機能」が全面的に遅れるのではなく、その偏り方もまた一人一人違ってい
る。ただ、環境の中で成熟する"ある種の自我機能"の内の、「知能」や「思考」に遅れがない
のが「高機能」ということだし、「話」や「言語」に遅れがないのが「アスペルガー・タイプ」
ということだけは、比較的見分けやすい分類法なのでしょう。
[2001年5月22日 11時14分46秒]

テーマ: 罪責感   
○外界や自己内部からの報復を恐れる気持ち、悔恨の感情、悔い改めなどを含む一群の感情を
 あらわす言葉。
○その感情の中核にあり、その底に横たわる不安は「もし私が誰かを傷つけたら、今度は私も
 傷つけられるだろう」という観念である。性的・攻撃的な行動や願望に対する外的・内的報
 復を恐れるこの気持ちに加えて、自分が他人をすでに傷つけてしまい、そのために罰せられ
 るのではないかという、うつ病的な確信を抱くことがある。それとともに、精神的・肉体的
 な苦痛による償いによって、許しを与えられること、受容と愛情を取り戻すことができると
 いう希望を抱くことがある。
○罪責不安とうつ病的な罪責感情は、ともに自我の発達とともに、順序だってはいるが複雑な
 内的過程を経て、超自我の機能のもとに包括され、ある形をとって内在化される。良心の機
 能のひとつは、その人がなすべきかあるいはなすべきでないことを決める基準に従って、そ
 の人の願望や行動を評価することである。
○良心の機能の中には、その他に、自己評価、自己批判、さらにはさまざまな形で自分自身に
 苦痛や喪失を与える自己処罰などが含まれている。これらの機能は、罪責感にもとづく自己
 攻撃に転ずることがあるが、それは後悔や苦行を通した償いと許しを得たいという願いから
 である。
●「攻撃衝動」身体的にせよ言語的にせよ、他人を服従させ、他人に勝とうとする努力のこと。
●その強さの順に並べると、非敵対的、自己主張的、自己保存的、支配的に始まり、いらいら、
 怒り、憤慨と続き、最後にひどい憤りや、殺人的なすさまじい怒りにまでおよぶ。
○他者に対するさまざまな形の攻撃は、報復に対するそれぞれ特有の恐れを呼び覚まし、それ
 ゆえ、罰やさまざまな特徴をもった罪責感にかかわるファンタジーへと導く。

≪自閉症の場合≫
最も異なるのは、相手方がいないということ。従って、以下の感情がない。
「外界や自己内部からの報復を恐れる気持ち」の中の、"報復を恐れる気持ち"。
「もし私が誰かを傷つけたら、今度は私も傷つけられるだろう」という"罪責不安"。
「自分が他人をすでに傷つけてしまい、そのために罰せられるのではないか」という、"うつ病
的な罪責感情"。
ましてや、「精神的・肉体的な苦痛による償い」によって、"許し"を与えられること、"受容"
と"愛情"を取り戻すことができるという"希望"。
「後悔や苦行を通した償い」と許しを得たいという"願い"。
また、「攻撃衝動」にも"他人を服従させ"、"他人に勝とうとする"気持ちはなく、ただイライ
ラ・ただ怒る・ただ憤慨している。「攻撃」が他者に向かっていないので、「報復」に対する
"恐れ"もない。ただ、相手の発した脅し文句を真に受けて、自分が殺されると確信し、恐怖に
おののくことはある。
気がついた時には、「私は、重い罪を背負っている。皆が私を怒っている。私は罰せられるべ
き存在だ。」という不安に既に支配されていた。
「こうすると人はこう思うに違いない。だから、こうしてはいけない・こうすべきだ。」とい
う公式がいくつもできていて、それを遵守することしか頭になかった。なにしろ、相手方がい
ないので、「人を傷つけないようにしなければ」「報復を受けないようにしなければ」などい
う発想すらなかった。
私の良心は、自分の行動を決定し、私の行動を評価し処罰した。しかし、「償って、許しをこ
いなさい。」などという命令を下したこともなかった。何故なら、そのままで「楽観」してい
たから。
「罪」と「罰」だけあって、「償い」がない。確かに、十字架を背負ってゴルゴダの丘で処刑
されて死んだはずなのに、ゾンビのまんま普通に生活していたから、痛くも痒くもなかったの
でしょう。
[2001年5月21日 23時35分47秒]

テーマ: 気分   
○一過性ではあるが比較的持続する心理状態で、情動的な調子の優勢な色合い(感情的要素)、
 心的内容の狭窄と、二次過程的な思考の、ある種の側面の変容(認知的要素)、特定の動作
 への傾向(行動的要素)など、いくつかの要素からなる複雑な構成を持つ。
○感情状態のスペクトラムを考えてみると、一方の極に単純な感情(affects)があり、真中に
 気分(mood)が、そしてもう一方の極にもっと複雑で持続性のある、愛情、愛国心、忠誠心
 などがある。
○気分の認知的要素は、二次過程思考と、その心理的内容に質的な影響を与える。構造論的に
 いえば、気分は自我機能、特に内的・外的な現実を正確に判断し処理する能力を低下させる。
 気分は、自己や対象の表象の性質を変化させるからである。
 例えば、抑うつ的な人は自分を無価値であると思い、他人への興味を失う。しかしその同じ
 人が、気分が高揚しているときには、いかなる障害でも克服できると信じこみ、無限の楽観
 主義を存分に発揮するであろう。
○このような選択的な知覚は、現実検討力をそこなう。その気分と一致した観念、記憶、態度、
 信念、評価、期待への選択的な焦点づけと、その反対の、気分と不調和な心的内容の排除は、
 その気分を強化し永続させることになる。このようなわけで、気分は全体的で浸透的な性質
 をもつといえる。
○母子関係についていえば、現実的ないしファンタジーの上での、発達初期の対象喪失と抑う
 つとの間には関係がある。この関連は、2〜3歳の間の分離−個体化の時期において特に顕
 著に見られる。発達早期における極度の欲求不満、剥奪、満足の抑圧などの体験は、その他
 の外傷的体験と同じように、原初的な病巣(固着点)を形成し、その病巣の周囲に強力な感
 情的な反応が組織される。
 その結果、現在の経験がこの固着点と関連するとき、我々が気分と呼ぶ心理的反応が引きお
 こされる。


≪双極性障害者の実感≫
鬱状態の時には、否定的な連想が止まらない。
躁状態の時には、肯定的な発想が止まらない。

≪自閉症の場合≫
自閉症の幼児が、2〜3歳という発達早期に「極度の欲求不満・剥奪・満足の抑圧」を感じず
に過ごせることは、ほとんどないのではないだろうか? 
活動水準が低い場合は、自分の感覚世界に没頭するあまり、外界と没交渉の時期が長くなるだ
ろう。活動水準が高い場合は、その頃から自閉症独特の「こだわり」や多動が顕著になる。ま
た、言葉の遅れがあるとなると、「すわ、一大事!」のような対応をされることになる。
 もし、その時点で「自閉症」だと判っていたとしても、「自閉症」児の欲求を満たしながら、
かつ、社会的に妥当な範囲に行動を調整することは難しい。幼児期に許容され過ぎると、その
後の抑制が困難になる。問題を先延ばしにすると、心理的負荷が加わるので、行動調整がより
困難になりやすい。
「自閉症」の診断があってもなくても、問題行動に手を焼き強い懲罰を与えすぎると、元々の
「かかわり障害」に関係障害が加わって否定的な対人接触様式が固定化してしまい、人を信頼
し・人との関係を築くことが難しくなる。
感覚・認知・身体的な特性から、全体的に不安・不安定なので、強い不安状態に陥ればパニッ
ク発作を起こし易いし、元々が全般性不安障害や特定の恐怖症の状態に近い。このような体験
世界に恒常的に置かれているので、否定的な観念、記憶、態度、信念、評価、期待への選択的
な焦点づけが起こりやすい。
このような理由から、抑うつ状態になりやすいことを忘れてはならない。
[2001年5月21日 17時55分38秒]

テーマ: 儀式   
○行動パターンの症状的、常同的、強迫的な反復のこと。儀式のそれぞれの要素は、無意識的
 な性的・攻撃的衝動の派生物と、防衛的な力との両方を、変装され歪められた方法で表現す
 る妥協形成をあらわしている。
○儀式は、禁止された願望を象徴的に取り消すものである。例えば、手洗いは、排泄物をいじっ
 たことを取り消す。
○もし儀式が中断されると不安や罪悪感があらわれ、儀式を最初から反復しないではいられな
 くなる。
○儀式が、精神内面の防衛としてだけ作用するのではなく、それ以外の役に立つこともある。
 例えばある人は、他人に儀式を課すことによってその人をコントロールしようとする。そう
 することで、攻撃性が表現され、不安、罪悪感、無力感などが防衛されるのである。


≪自閉症の場合≫
「儀式」が、不安と恐怖に対する防衛反応であることは確か。
しかし、それは単に「モノの安定した状態」を求めているだけであって、他人をコントロール
する意図はない(いわゆる「巻き込みこだわり」は、儀式の過程に他人を組み入れてしまった
だけで、他人を支配することで安心しようとしているのではない)。
例えば、「モノが、あるべき場所におさまっている」「物事の、順序や秩序が決まっている」
「モノとモノとの関係が、キッチリしている」「モノの配置が整合的である」というのは、非
常に安心できる。安定していることが、重要なのだ。
中断されると混乱してパニックになったり、始めからやり直すのは、単に「儀式」を構成する
要素間の関係が、「順序通り」でないと分からないから。
[2001年5月21日 9時49分5秒]

テーマ: 記憶   
○知覚し学習したことを保持したり再生したりする心理的な機能。記憶という言葉は、想い出
 す能力に対しても、また想い出される内容を指すときにも用いられる。
○記憶は、情動や、持続的注意、反復などによって強化され、さまざまな感覚連合や言語連合
 によって呼び覚まされる。
○意識は心の中の小さな部分を占めているに過ぎず、その活動もまた小さなものである。前意
 識のシステムの中にある思考や記憶は、「注意の補給」を受けることによって意識される。
 一方、無意識の中にある記憶は、強い性的なエネルギーを負荷され、強制的に意識から締め
 出されていると仮定された。しかし、それらの記憶は、その強烈さのために、表現を求めて
 いるのだが、「検閲」と仮定された力によって表現を妨げられている。検閲というのは、防
 衛的な主体であって、意識によって認められるような形に記憶を歪曲したり変装させたりす
 る。
○これらの原始的な記憶の痕跡は、記憶系の中で関連をもって配置されていて、想起の過程に
 おいては、その図式なりネットワークなりの連想的な活性化によって復活し、前意識的な要
 素として姿をあらわすのである。記憶は、この前意識的な姿においてもすでに、象徴と結び
 ついている。
○抑圧がおこるメカニズムは、超自我の基準から見て困るようなエスの衝動が、記憶やファン
 タジーの形で意識の中にその脅威的な姿をあらわすことによって引きおこされる不安信号を
 防衛するためである、とみなした。

≪自閉症に特異な自我構造≫
まず、最も異なっているのは、両親や帰属する集団の価値観を反映する「超自我:おまえはこ
うあるべきである・おまえはこうあってならない、と自己に命令・批判・非難・賞賛をする自
我」が形成される時期。
「かかわり障害」「コミュニケーション障害」「情緒的相互作用の障害/こだわり障害」が重
篤ならば、両親や帰属する集団の規範や価値観を理解・学習することに重大な支障をきたす。
言葉と意味を結びつける能力があり短期記憶能力が高い場合は、表面上はうまくやっていても
機械的であり、指示内容を本当には理解していないことがある。また、協調運動障害があった
り、衝動抑制・注意の障害があれば、実行能力が障害される。
非・自閉の健常な子供は、幼児期から"良い親"と"悪い親"の両価性を意識して、親や先生の前
では"良い子"として振る舞ったり、大人を怒らせないように気をつけたり、わざと困らせるこ
とをしたりといった、「かけひき」を自然に身に付けている。自分の立場を有利にしたり、よ
り愛され・大事にされ・注目されるためにタダをこねることもできる。
しかし、その代わり、本能的・欲望的・感情的な欲求と、今・この場で"しなければならない"
要求された社会的態度の重圧との葛藤に、早くから苦しむことにもなる。まだ幼いので、はっ
きり意識したり自覚できないまま。中には、叱られたり失敗した"過去の忌まわしい記憶"に、
検閲機能付きの門番をつけて、意識によって認められるような形に歪曲したり変装させてまで、
ガッチリ防衛しなければならないほどの心的外傷を負っていることもある。
しかし、「自閉症」児には、こういう機能を持った「超自我」が形成されない。だからこそ、
その振る舞いは自由奔放で、どんな時でも自分の「こだわり」を貫き通し、社会規範はおろか
周囲の状況までも全く無視しているかのように行動する。(これが、言葉の意味が通じるよう
になると、人にどう見えるかということではなく言葉の字義に対して忠実であろうとするので、
行動は落ち着いてもやはり周囲から浮いてしまう。)しかし、相手や状況に応じて振る舞いを
変えられないことと、自分の立場を良くするための演出ができないことは、圧倒的に不利。
(私の場合、自己の意識の中の「超自我」らしきものの存在に気づいた時、その人は「普通の
ニンゲンの一般的な振る舞い」の杓子定規をいくつもいくつも繰り出して、自分を縛る脅迫者
だった。"その人"は、中学二年の時に、突然現れた。
しかも、お伴に24時間不眠不休で私を監視する検閲官を連れて来たので、それ以来私は、継
ぎはぎだらけのハリボテになった。でも、ついつい調子に乗ってしゃべり過ぎると元々の自由
奔放の地が出てしまうし、行動パターンの決まっていない場面や感情的な態度をハッキリさせ
なければならない場面では、フリーズした。
私の検閲官は、その一つ一つの場面を一つ残さず"その人"にチクッた。それ以来、"その人"
は、私の裁判官になった。もしかしたらそれは、"いつも怒っている=怒った顔と声をしてい
る母"のイメージが投影されたもの?)

≪自閉症に特異な記憶構造≫
両親や帰属する集団の価値観を反映する「超自我:おまえはこうあるべきである・おまえはこ
うあってならない、と自己に命令・批判・非難・賞賛をする自我」の形成が遅れるから、その
状況にふさわしい行動がとれない。
「自閉症」の「かかわり障害」「コミュニケーション障害」「情緒的相互作用の障害」のため
に周囲の状況がよく分かっていないだけでなく、超自我の基準から見て困るような衝動が識別
されない。当然、前後関係・言われたことの意味・その時の相手の表情や反応などが理解でき
ないので、何となく腑に落ちない場面が多くなる。
それだけではない、超自我の分身である検閲官もやってこないので、"忌まわしい過去の記憶"
が抑圧されることもなく、そっくりそのまま現状保存された形で記憶にファイルされる。
類似した場面・その場所・部分的な一要素などに触発されて、その記憶が想起されると、「関
連をもって配置されている記憶の図式なりネットワーク」が活性化される。しかし、原体験は
思い出せないほど変形していない、原体験を思い出すことの恐怖心もない。だから、意識の中
に、原体験が、そっくりそのまま脅威的な姿をひょっこり顕わしてしまう。それが、「自閉症」
者のフラッシュバック。
転換(ヒステリー)性障害者が、"忌まわしい過去の記憶"を自己防衛の為に思い出さないよう
に封印しようとしてし切れずに無意識下から溢れ出し、身体症状に現れてしまうようになるの
とは根本的に違う。
転換ヒステリーの治療は、その時に本当に表したかった「感情」を噴出させ、言語化すること
で抑圧から解放するそうだ。けれど、「自閉症」の方は、「関連をもって配置されている記憶
の図式なりネットワーク」全体の意味が理解できるようになると、外傷が「笑い話」になる。
[2001年5月20日 23時27分50秒]

テーマ: 感情   
○感情は、3つのレベルを指す概念として用いられている。
 (1)気持ちの状態を伝えるのに臨床的に用いられるもので、特に快−不快という方向に関
    連して用いられる。
 (2)ホルモン、分泌、自律神経系、筋肉系の現象にまつわる神経生物学的な現象のこと。
 (3)心的エネルギー、本能衝動とその解放、衝動の解放を伴わない信号感情、自我とその
    構造、構造的葛藤、対象関係、自己心理学、上位の組織システムなどに関連している
    メタサイコロジーの概念。
○感情の主観的な感覚要素は、常に快あるいは不快を含んでいる(分離、孤独という気持ちは
 除く)。つまり、感情の正体は、動機づけの性質をほとんどいつももっているのである。
○感情の身体的要素は、自律神経系(紅潮、発汗、泣くこと、筋肉のぜん動運動、頻脈などの
 生理的反応がおこり得る)と、随意神経系(姿勢、顔の表情、声のトーンの変化)の両方に
 かかわっている。
○感情は、外的・内的な環境にその人が適切に反応するよう、個体を喚起させ、準備させ、そ
 の人の内的な状態を他の人に伝え、養育者やほかの重要な人からの反応を引き出すという重
 要な適応機能をもっている。
○直接の刺激と精神内界の表象に関連した知覚(過去の経験に沿って評価され、統合され、応
 答されたもの)は、感じの性質を決定する。このような知覚の評価は、その刺激が危険、外
 傷、安全、喜び、幸福、自己評価、本能、満足、支配、責任、機能的快感、罪意識、恥、あ
 るいはこれらの混合の、どの気持ちを引きおこしたかによって、多くのベクトルにそって同
 時に行われる。

≪自閉症の場合≫
[快−不快][神経生物学的な現象]が強すぎる。自我構造と対象関係の特異性のために、上位
概念の「感情」分化が未熟。自律神経系の変化は非情に過激、随意神経系の変化は稚拙。
最も大きな「障害」は、「内的な状態を他の人に伝え、養育者やほかの重要な人からの反応を
引き出すという重要な適応機能」を担えないということ。
まず、知覚過敏や認知の歪みによって、直接刺激の「感じの性質」が穏やかではない、或いは、
逆に鈍感過ぎる。従って、精神内界の表象に結びついたこれらの「知覚の評価」が、非・自閉
症とは質的に違っている。
そればかりでない。その刺激が「危険、外傷、安全、喜び、幸福、自己評価、本能、満足、支
配、責任、機能的快感、罪意識、恥、あるいはこれらの混合の、どの気持ちを引きおこすか」
は、「自閉症」者一人一人に特異なものになっている。
[2001年5月20日 17時9分21秒]

テーマ: 共感(エンパシー)   
○他人の心理状態を(ある限定された範囲でだが)身代わりになって体験する受けとめ方のひ
 とつ。字義からいえば、それは「感じ入る(feeling into)」という意味である。これと
 対照的に、同情(sympathy)は「共に感じる(feeling with)」という意味である。
○発達的に見ると、共感する能力は、願望、欲求、反応の一致が見られる前言語的な母子相互
 作用と関係するのではないかと考えられる。
○よく似た哀れみや同情と比べると、エンパシーは比較的に中立的で、判断を含まない。哀れ
 みや同情は客観性に欠けており、過剰な同一視に導き、時には救ってあげたいというファン
 タジーを刺激したりする。
○エンパシーは、患者の内的体験に首尾一貫した焦点を合わせることを意味している。
○エンパシーに手間どったり、恐れて避けたり、他の種類の分析的な観察や評価を犠牲にして
 エンパシーを重視し過ぎたりすれば、それは逆転移をおこすもととなる。
●共感における同一化は、患者の無意識のファンタジーの表現を、一時的に、束の間、共有す
 る。患者を感情的に共鳴することによって、患者の葛藤を理解する手がかりが得られる。し
 かしながら、まだ分析されていない逆転移から生じる同一化において、分析家が患者と同じ
 ような葛藤の虜になっているかぎり、上に書いたような洞察は得られない。
●このような状況のもとで、分析家の性格傾向の中にある無意識の葛藤が刺激され、そこから
 生じたものが分析家の考えや感情の中にあらわれてくる。

≪これを、自閉症児の関係障害に置き換えて説明する≫
まず、相手が母親であっても治療者であっても、「共感」するには"自閉症児の内的体験に、首
尾一貫した焦点を合わせること"つまり、自閉症児に特有の"願望、欲求、反応"を知らなければ
ならない。
相手が「自閉症」という「障害」を持っていることを「否認」しようとしている人は、その内的
体験をおもんばかろうとせず、自閉症児の願望・欲求を全く無視し、自閉症特有の反応を"困っ
た行動"としか受け留められない。ただでさえ「かかわり障害」があるのに、発達途上の関係障
害が加わると、自閉症の症状を悪化させる。早期発見が必要なのは、これを防ぐため。
しかし、早期に診断を受けた場合にも、今度は「哀れみや同情」による倒錯が生じる危険があ
る。つまり、「過剰な同一視に導き、時には救ってあげたいというファンタジーを刺激したり
する」が、その方法があくまでも「非・自閉症者の感情や考え」でしかないことが往々にして
みられる。
思春期以降、自閉症者本人が「非・自閉症者」のようになりたいと思うようになった後に、そ
の気持ちを汲んで「普通の人の感じ方・考え方」を解説してあげる段階に入ったのならば、
「非・自閉症者の感情や考え」を教えるのは良い。しかし、「かかわり障害」と「コミュニケ
ーション障害」のある幼児期の親子関係では、あくまでも「中立的で、判断を含まない」まま
「感じ入る」=「自閉症児・者の心理状態を体験する受けとめ方」をして、共感的に体験を共
有する必要がある。
なるべく早い時期に、こういう共感的な人間関係を経験することで「関係障害」を軽くするこ
とができる。また、このような共感的な関係にある人を通じて、「自閉症」という「障害」を
持ちながら人とかかわる方法を学習していくことにもなる。
[2001年5月20日 15時8分39秒]

テーマ: 愛   
○愛には、3つの重要な次元がある。自己愛−対−対象愛、乳児的な愛−対−成熟した愛、愛−
 対−憎悪である。愛の質や安定性にとって、憎しみの混合の程度や、愛の対象に対する攻撃性
 の程度(つまりアンビバレンス)は重要な因子である。
○もともと子供は、自己愛的な対象や自己を愛している。
○自己恒常性と健康な二次的自己愛は、愛されていると感じることや、愛の関係の相互性に必要
 なものである。
○愛する能力が喪失している場合には、しばしば原始的な攻撃性、自己憎悪、対象への憎悪が見
 られる。
○親の愛、是認、慰めなどは、良性の、成熟した超自我の中に内在化される。その一方で、過酷
 で原始的な超自我は、愛し愛される能力を弱める。愛は、もともとの対象から、普遍的な対象
 や目標というべき、宗教、芸術、知的・審美的な対象におきかえられたり昇華されたりする。
○性的欲望の満足は、ふつうは相互的な願望であるが、愛は「性器統裁」の概念からは区別され
 ねばならない。

≪自閉症の場合≫
まず、身体的な境界線の知覚が曖昧だったり無かったりすると、自己と他者が分化しにくい。
感覚的な素材に反応してしまって、個体としてまとまった物体と認識していない。当然、その
物体の用途・機能・文化的価値よりも、表面的・感覚的な要素で分類する。
その結果、[自己−対−対象]という分化形式ではなく、[自己親和的・安定的対象−対−不安・
恐怖対象]という分化形式が形成される。
自己の人格と他者の人格が分化していなければ、[愛−対−憎悪]の関係も成立しない。たとえ
二者間関係が成立しても、[存在の安定を保証するもの−対−存在に脅威を与えるもの]でしか
ない。
「人」から愛され・慰められ・認められないため、その代償や腹いせに「人」でないモノに対
象に置きかえるのではない。元々の存在様式である「こだわり」に叶う対象にしか関心がない
ので、人と人との相互作用的な関係が持てない。
「人」との関係を強制したり「人」の愛に応えることを強要しないで、こうした独特の関係様
式を是認し、本人に個有の「楽しさ」と「苦痛」を干渉せずに分ち合うことで、信頼関係が成
立する。
[2001年5月20日 11時59分41秒]

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