記事タイトル:2002年5月の「日記」  


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テーマ: こせい。   
考えてみれば、PTAの役員でもやらないと、同世代のニンゲンを観察する機会は無い。
最近になって、本当にいろんな人がいることに気づいた。(と言うより、見えてきた。)
「こんなことを言って良いのか?」「こんなことをやっていいのか?」と思えることが、随分と
ある。それに、暴君みたいに何やっても許される(と言うより、周りが恐れ・泣き寝入りしてい
る)人だっている。それに、何があっても、人は人のことをとやかく言うもの。

アスペの人たちの発言や行動が変わっているのは、大勢からはずれていることが多いからなのだ
けれど、中にはそれほど人と変わらないこともある。
それに対して、「普通の人にも変人と呼ばれている人がいるのだから、個性として自信を持
て!」と、カウンセラーは言う。

が、それがなかなか容易ではない。何故なら、自分の生来の「こだわり」に依るのではないニン
ゲンとしての振る舞いを、“きまり”や“どこかに書いてあったこと”“どこかで見たこと”を
基準にして覚えているからだ。
それが格言や哲学であった場合には、「人としての不文律」によって自分自身を裁いてしまうの
で、自分は永遠に被告の立場から離れられず罪悪感につきまとわれてしまう。
誰かがやっていたことをコピーして真似すると、それは「○○さんだから許されている」ことだ
ったりする。それは、他の人がやったら通用しないことだったりもするし、実は皆は○○さんに
対して良い評価をしていないのだが押しの強さに負けて許容しているだけのこともあったりする
から。
つまり、信念に基づいて振る舞おうと、誰かの真似をして振る舞おうと、自分自身に対して自信
を持つなどということは、なかなかできるものではないのだ。(自分自身が自分自身を裁く声
と、他者の声を消すためには、信頼のおける第三者の通訳&ナビと、薬が必要。)

社会的には「個性」として認めて欲しいけれど、その根拠には「障害」としての認知が欲しい。
[2002年5月31日 9時36分6秒]

テーマ: ぼらんてぃあ〜〜。   
だいたい、体育と給食を制する者がこの世を制するものらしい。しかし、ワタシは、どちらもま
るでダメだった。しかも、中学二年生以降のニンゲン的な欲求が無いため、その後は完全なハリ
ボテの中で「なにバカなことやってんだか〜〜〜?」と眺めていた。
なるほど、その先は、体力と付き合いがモノを言う世界がずーーーーーっと続く。ホントに、こ
んなに長く、絶望的に続くなんて想像もしなかった。

世のお父様お母様方は、そういう世の中の仕組みをよーーくわかっているようで、子どもをスポ
ーツ少年団や習い事にたくさん通わせて、幼児の内から生きていくために必要なお勉強をさせる
ものらしい。

体と共に行かなければならないものからは、逃げられない。体育も給食も、影武者をつかわすわ
けにはいかなかった。
でも、これから起こるだろう近所の葬式と、家から出さなければならない葬式の時に、ワタシの
代わりに話をしたり接待するためのボランティアを、募集することはできないだろうか?など
と、真剣に考えてしまう。
身体に障害のある人がどこかに外出する時には、介助のボランティアさんを募集するでしょ!
それと同じように…。
[2002年5月30日 23時36分12秒]

テーマ: 家。   
昼間のテレビ番組で、「家を建てた直後に、その家でご不幸が起きることが良くある。」ことが
話題になっていた。だから、「家には何かある。家を建てる時は、慎重に選びましょう!」だっ
て。
いいえ、それは、“家”に何かがあるのではありません。家を建てた後にうつ病になったり病気
になったりすることは、よくあること。(同様に、一般に“おめでたい”と言われていること
が、うつ病の原因になることもよくあるそうだ。)

つまり、“家”を建てるという“社会的な行為”が、本当にその人個人にとって“おめでたい”
ことであるかどうか、十分に考えてみる必要があるということなのだ。(同様に、一般に“おめ
でたい”と言われていることが、本当に“おめでたい”ことなのかどうかも…。)
[2002年5月30日 16時53分48秒]

テーマ: この次。   
これを教訓に、この次同じ状況になったら「今度はこうしよう!」と、いつも思うのだが…。
たいていは、前にこれで失敗した・こう言われたからと思ってやってみるのだが、次も必ず失敗
する。というのは、全く同じ状況になることは、ほとんどないから。
それから、天敵に対しては、どんな風に言っても「ああいえばこう言う・こういえばああ言う」
状態になるので、何をしても無駄。
[2002年5月29日 10時40分17秒]

テーマ: 中学の役員は辛い!   
今年は、中学の役員。昨日は、二回目の委員会があった。
小学校には発達障害に理解のある先生がたくさんいるし、実際に対応を迫られるのはほとんどそ
ういう子どもなので、行けば必ずそういう話になるのだが、中学の方は普通の問題で「授業に出
ない→生活の乱れ→非行というコースに走らせない」ための話が主流になる。
ほとんどは発達障害とは別のことなので、関係ないと言えば関係ないのだが、その中には未診
断・未治療の発達障害児が含まれている可能性は否定できないだけでなく、最近の「みんな
で・・・」の方向に締め付けがキツクなっている流れには、いたたまれない。
そんなことより何よりも、中学の役員会は人数も多いし、完全に大人の集まりなのが辛い。しか
も、学校行事もそういう大人たちと半大人の中学生ばかりなので、拒絶反応を起こしたいところ
をぐっとこらえなければならない。(案の定、帰宅後にいろいろ襲ってきて、またもや強迫観念
で眠れなくなってしまった。SSRIを頓服で飲んで、やっと寝つけた。)

夜中に、ネットにアクセスしてみたら、関係者からのメールが来ていた。
こうして、こっち方面では仕事があって何かの役に立っているのだと思ったら、うれしかった。

とはいえ、昨日頼まれた用件を伝えに早朝から他の役員さんの家を回って、またもやいろいろ言
い過ぎてしまった。(最近、元気になったおかげで、「こ〜んなこと言ったら、またあ〜んな風
に思われるに違いない」病もまた再発している。)
[2002年5月29日 10時22分29秒]

テーマ: 就労問題。   
ワタシは、成人の問題を棚に上げているのではない。子どもの成長に即して、それぞれの時期に
必要なことをやっているので、療育〜学校教育と進んで来ただけだ。

でも、一般的には、中学生ならまず高校進学という壁(しかも、知的ボーダー児のため、それは
それで深刻な問題)があるので、就労のことはその後に考えればいいことだと思われているだろ
う。それに比べれば、早すぎると言われるかも知れない。それに、まだ、“自分にできること”
と“したいこと”だって、何もわかっていなくて当然の年頃なので、何もピンと来ていない。

だから、今から就職活動をするわけでもなければ、何かを目指して頑張ろうというのでもない。
「いつかは、何かの仕事をしなければならなくなること」を自覚するように、「学校」という環
境に慣れていることを実力だと思い込まないように、ソーシャルスキルのチェックを怠らないよ
うに心掛けているだけだ。
この国には、“職能は学力に比例する”という根拠のない神話があり、これらの問題は全く「先
生」という立場の人間には見えなくなっている部分なので、上辺だけの適応に満足していられな
い。なにしろ、とりあえずは自分の学力に見合う進路に進んでおいて、就職活動の段階になって
から入れそうなところをあれこれ当たってみるという、この国のシステムに乗っかることができ
ないのは明白なのだから。
今できることは、できるだけ一緒にニュース番組を見て、世の中のできごとの解説をすること。
それから、世の中にはいろんな職種があって、それぞれメインとなる職務と付随する仕事と要求
されるソーシャルスキルがあることも教えている。仕事ができても、そういうことを知らなかっ
たがために、とんでもないことになってしまうから。
・・・本人には、全くトンチンカンだが。

しかしながら、こちらはいかにしてASをサバイバルさせるか、どうやって生きていけばいいか
という重大問題に直面しているのに、この国のどこかでは専門家諸氏が「ASは存在するかどう
か?」という議論のための議論に花を咲かせているのだと思うと、やりきれなくなる。
[2002年5月27日 9時28分48秒]

テーマ: 寸止め。   
フラッシュバックから強迫観念にズルズルと走りそうになったところを、今日は自覚して止める
ことができた。
丁度、薬が切れる時間だったので、本当に止めるには薬(テグレトール)が必要だったけれど、
自分でも分かった。
(こんなことがニュースになるなんて、本来なら喜ぶべきことではないのかもしれない。でも、
こういう精神状態になること自体が初めてなので、単純に自分を誉める。)
[2002年5月26日 21時55分41秒]

テーマ: 時間・空間・社会化。   
「記号」の続き。

食堂という「空間」、食事の「時間」の記号ならば、統一できるのではないかと思う。
あと、いま・ここでして「よい」とか「いけない」という合図ぐらいか?

でも、動詞や一人一人の行動を指示する言語となると難しい。(と言うより、してはいけないこ
とも出てくる。)

例えば、「食べる」という行動を、自分から見て人が食べている様子で表わせばいい場合、自分
が食べている光景でないと分からない場合、食器で表わせば良い場合、食器は食器でしかない場
合・・・etc.と、いろいろある。
「外出する」という行動は、お出かけ用のリュックを見れば判る、それを玄関に出さないとダ
メ、出かける先の写真やロゴを見せると判る、どこかに出かけそうな雰囲気を察知する・・・
etc.と、これもいろいろ。更に、直前に言わないと混乱する場合、直前に言うと混乱する場
合、カレンダーに書いたり予定を告げておかないとダメな場合、カレンダーそのものが分からな
い場合・・・etc.と、伝え方もさまざま。
「列に並ぶ」「順番を守る」なんてなると、更に複雑で、本人にとって判っているモノを利用し
て理解できる言語を作っていくことが必要になる。

おまけに、一度覚えるとかたくなに守りすぎて逆にたいへんになる場合、何度教えても全然覚え
ない場合、自分一人で黙々と実行する場合、人に対して指示しまくったり人がルールを守らない
ことに怒る場合・・・etc.などなど。

これらは、完全にオリジナルな「○○語」の世界。
[2002年5月25日 19時20分31秒]

テーマ: ↓の↓への注。   
自閉症者のための共通言語と言っても、本当の意味での個人間のコミュニケーションをするため
の記号ではなくて、「時間」「空間」を構造化するための記号。
つまり、いま・ここでは何をしてはいけないか・何をするように指示されているかを伝えるため
のもの。

※個人が本当に伝えるための言語は、それぞれ自分の「こだわり」になるので、統一することだ
 けを考えていたのでは、実際に使えないかもしれない。
[2002年5月25日 17時11分9秒]

テーマ: 診断基準。   
認知・感覚・運動・身体・注意などの根拠は、十分にあると思う。しかし、今のところは、それ
を測定することができない。だから、どういう行動をするかで操作的に判断する、DSM−4み
たいな基準しかできていない。
でも、言ってしまえば、「かかわり」「コミュニケーション」「こだわり」で判断するウイング
博士の基準だって、やっぱり外からしか見ていない。

違っているから、かかわりかたもコミュニケーションの仕方も違っていて当たり前で、自分にと
っての快適性を追求すればこだわって当たり前。

違反しているのは、そちらの方です。
[2002年5月25日 16時10分12秒]

テーマ: 自閉語。   
だいぶ前に電車で見かけた、自閉症の青年のことが気になっている。
初対面で、どれだけ日本語が通じるかどうかわからない人でもコミュニケートできるための、共
通自閉言語が作れないものかと、ずっと考えている。
自閉症児に日本語を教え、日本語で会話できるようにするための努力も必要だけれど、聴覚障害
者にとっての手話・視覚障害者にとっての点字のようなものがあって、全国共通で使えるように
したっていいじゃないかと思っている。
[2002年5月25日 15時28分0秒]

テーマ: 甲類。   
甲虫=カブトムシ、クワガタムシの類。
甲殻類=エビ・カニの類。
甲人=ボディスーツやコルセットを装着していないと重力に抗して立っていられない人。
   指先を動かしたり腕の上げ下げをする筋力を維持するのに、ビタミン剤やアミノ酸製剤の
   服用が不可欠である。

皆さんが片手間にやるお仕事をするために、体調を合わせるために十分な休養を取って日程調整
をしてやっております。
文書を作る(注:ワタシは、一本指・かな変換でキーを打っている)とか、事務的な仕事ならば
得意ですが、体を使う仕事と接待はできません。

身体的な障害のある人たちだって、パソコンや補助具を使うことで会話やお仕事ができるように
なっているご時世です。考えてみれば、身体拘束や身体接触に難があるという障害を持っている
人には、それなりの形の社会参加の在り方があっていいのです。
[2002年5月25日 14時7分37秒]

テーマ: 羊犬。   
自分には、何かできることがあった“はず”。

なのに、(学力の不足で、成りたい職に就けないというのはみな同じだと思うので、特に強調は
しないが…、)知能的なプロフィールのアンバランスや身体能力の低さや脳の高次機能のレベル
や関係の持てなさに見合った仕事しか、させてもらえない。と言うよりは、ほとんど犬小屋に繋
がれた飼い犬みたいな「生活」しかできない。
或る専門家は、「ちゃんと生活できているのに不満ばかり言っている」と評した。が、そうでは
ないのだ。

その犬は、牧羊犬の子どもだったのに、足が遅くて、誰もが牧羊犬になれる“はず”はないと思
って、飼い犬として里に下ろされた犬だったかもしれない。
しかし、もしその犬が、羊が大好きで、羊の言葉が判る才能があって、掛け声一つで羊たちを思
いのままに動かすことのできる犬だったらどうだろう。頭の中は、いつまでも羊を追っかけてい
て当然ではないか。
しかも、その犬には、飼い主に尻尾を振る能力に欠けている、知らない人が来ても吠えない。苦
手なことばかりの生活を強要されて、魂のぬけがらのようになってしまっているかもしれない。
これでは、どんな立派な犬小屋を作ってもらい、宝石のついた立派な首輪を買ってもらったとし
ても、満足できるはずがない。

羊たちとならのびのび暮らせたはずなのに、人間に囲まれておびえている。そんな犬には、もう
戻りたくない。
[2002年5月24日 22時14分18秒]

テーマ: NOからSOMEへ、本物。   
自分が、自分なりの在り方で、確かにここにいていい。
人と違っていていい、同じでないことを主張していい。
違ったままで対等なのだ、違っていることをわざわざ言わなければ分からないのだ。

こちらの言い分があっていいと悟ったら、人が恐くなくなった。

ワタシは、自分の立場に応じた仕事をすればいいのだから。
[2002年5月24日 18時55分44秒]

テーマ: いろんな立場があるので…。   
ワタシの仕事は、自分のことを訴えることではなくて、自分と同じ失敗を繰り返させないこと。
[2002年5月24日 18時46分23秒]

テーマ: 陶器の湯のみ。   
先日の体験学習の時、必ず焼き物の湯のみを持参することになっていた。これは、普段の給食で
使っている、プラスチックのものではないということだ。
案の定、二人の子どもが体育館の床に湯のみを落として割ってしまった。陶器が硬い床に落ちれ
ば割れる、当たり前のことだ。

湯のみを落として割ってしまった子どもは、いたって冷静だった。(これでいいのかどうかは、
分からない。)
しかし、驚いたのは、周囲の父兄の反応だった。まず「大丈夫!? 怪我しなかった?」
・・・字にすると順当な反応なのだが、実際にはひじで引っ掛けて後ろに落としたし、かなり体
から離れていたので、怪我の心配をしなくていい状況だった。(まあ、いいでしょう。)
それから聞こえて来た言葉は、本当に耳を疑った。「かわいそうに〜!」←割れた湯のみがでは
ない。「○○ちゃん、湯のみ割っちゃったの?」「え〜! かわいそ〜〜〜!」という声が飛ん
だ。
・・・こういう時、子どもは泣き、大人が「形あるモノはいつか壊れる。だから、大事に扱わな
いといけない。」となだめることが、かつては当たり前だった。しかし、今や、子どもは無反応
で、大人が慌てる。

なんか、おかしい。

関係ないけど、この際だからついでに書く。
かつては、オトナに対してもコドモに対しても態度を変えないADHDのガキ大将が、必ずい
た。他のコドモたちを引きつれて、可愛いイタズラをしては大人をからかうほほえましい光景も
あったものだった。
こういう子どもは、コドモらしいコドモの代表として、時には大人に面と向かって歯向かったり
もした頼もしい存在だった。(これ、ウチの子どもたちの祖父の話。)
しかし、今や、大人や目上の人の前と、子ども同士や自分より下の者の前とでは、態度を豹変さ
せる計算高い人種が多数派になってしまっている。
それに、ADHDの子どもが多動ぶりを発揮して駆け回る野山が、そこらじゅうにあったものだ
ったのだが、それさえもなくなってしまった。
・・・排除された少数派を守ろうとすると、今度は「差別」と言われるが…。どこにでもいる、
子どもらしい子どもが、いて当たり前でなくしてしまったのは、いったいどっちだ!?
[2002年5月24日 10時16分41秒]

テーマ: ニンゲン関係。   
ニンゲンたちが「感情」で結合していることや、ニンゲンたちとの「文化」の違いに戸惑ってい
ることを、人間「関係」がうまくいかないとか疎外されていることに悩んでいると、よく勘違い
される。

しかし、こちらにとって問題なのは、ニンゲンの「文化」が不可解で、「感情」で結合していな
くて、「関係」が“ない”のに“ある”と思われていて、“ある”ふりをしなくてはならないこ
となのだ。
ニンゲンの「文化」や「感情」に当てられ「関係」を強要されると、ほぼ間違いなく拒絶反応を
起こし、こちらかあちらかのどちらかを消してしまうから、悩みはしない。
こちらを消すと、自分は無になり、完全な受動・自動運転状態。あちらは、目の前にいなくなれ
ば消すことができる。(行かない・やめる・会わない・逃げる・帰る・いなくなる・引っ越す・
旅に出る…etc.)
[2002年5月24日 8時2分40秒]

テーマ: 話術。   
俗に言う、“話術に長けた人”は、声の大小・強弱・アクセント・クレッシェンド&デクレッシ
ェンド・リズムを変え、いわゆるメリハリをつける。こうすると、単に話の内容を人に伝えるだ
けに留まらず、人の“こころ”をつかむことができるらしい。

しかし、声の大小が変わると、動いてもいないのに距離が変わったようで体が前後に引っ張られ
てしまう。強弱が変わると、急に怒った人になるので恐くなる。抑揚をつけられると、体が上が
ったり下がったりして気持ち悪い。リズムが変わると、コケそうになる。アクセントをやたらつ
けると、スピーカーから波形の乱れた音が出るので非常に不快。
だから、ワタシにとっては、棒読みが一番親切。大事なところは、「ここが要点」と前置きした
後に、ちょっとゆっくりめでちょっと大きめの声で強調しつつ棒読みしてくれると、なおありが
たい。もちろん、そっくりそのまま丸暗記。


※これが、芝居だったら、ステージ上の役者同士で会話しているのであって、ワタシに向かって
 話しているわけではないことが明白なので、混乱は起きない。
 ワタシは傍観者として、言葉を追うだけでよいから。
[2002年5月23日 23時54分9秒]

テーマ: 長い道のり。   
今まで、自閉症本人という“立場”、さえなかった。
「自閉症協会」の会報でさえ、やっと一年。

今年の全国大会には、本人が二人参加するそうだ。(誰だか知らないけど。)
・・・でも、初めて?←あまりにも遅すぎる。
[2002年5月23日 19時5分48秒]

テーマ: 考えるということ。   
自分で考えられるのだから、良いではないかと思われては困ります。

自分なりに考えたことが、とんでもないことだったらどうしますか?
考える能力は、悩む能力でもあるのです。そして、時には、否定してしまうことだってある。
本当に、“失楽園”なんです。(注:『聖書』の。誰かの小説ではありません。)
[2002年5月23日 14時24分36秒]

テーマ: TEACCH実践上の注意点。   
一口に自閉症といっても、重度さ・知的レベル・個人的なプロフィール・合併症・環境・経過な
どの違いによって、さまざま。

一律に「構造化」できるのは、恐らく、「時間」と「空間」。

一人一人のコミュニケーション・レベルに合わせた、「混乱」を減らすための個人プラン無し
に、TEACCHをやってますと言えない。

単に、人の指示に従えることが目標になる人もいるだろう。だから、CARSを30点で区切る。
これは、身のほどを知っていると思う。
つまり、明らかに自閉症圏に属すると診断されるケースであっても、30点未満なら自分で人と
の違いに気づき・考え・工夫できる可能性も高くなるので、“教える”ことができれば満足する
わけではないから。(そっちの方が、よっぽど難しい。)

しかし、どのようなレベルであろうとも、自発的・能動的な活動をした時に、どれだけ社会化さ
れ、自己コントロールができているかによって定着度を計るのでなければ意味が無い。
[2002年5月23日 8時43分34秒]

テーマ: 思春期以降。   
「自分のやっていることは、どうやらおかしいらしい」、と思う瞬間というのがある。

それまで、何度も見ていたはずの光景、何度も言われていたはずの言葉が、或る時、突然すとん
と頭の中に入って来る。これは、『心の理論』の獲得と呼ばれているものらしい。



「ここで、これをやることは、得策かどうか?」
「ここで、これを言うことは、得策かどうか?」

これらの判断が、いつ、つくようになるかは、誰にも分からない。

ワタシの時は、誰もワタシがそんな初歩的なところでつまずいているなどということに気づいて
いなかったので、一度失敗して散々な目に遭ってこりるまで、考えてもみなかった。

で、失敗する前はどうしていたかというと、全く見境がなかったわけではない。
ワタシは、人がやっていることを見て、「人に言われる前にやってしまう」主義なので、あまり
大きな失敗はしなかった。それに、対応に困ってフリーズしていると、その場の人が助け舟を出
してくれたりするので、それをパターンとして覚えることもできた。
いや、何よりも、「先生の言ったこと」「どこかに書いてあったこと」を教条的に守ることしか
考えなかったために、間違いが少なかった。お陰で、衝突は少なかった。が、発見も遅れてしま
ったというわけだ。

他者に対して風穴が開いて、“受動的”になっていれば、「人に聞く」という回路ができる。
それで、失敗することから守られていると、今度は「依存」してしまう。何でもかんでも人に聞
いて、判断を任せるようになってしまう。
もし、本当の人に愛される「受動型」ならば、そして、聞ける人が終生いると保証されているな
らば、それでも良いかもしれない。

しかし、もし、親または指導者に対してのみ“受動的”になっただけで、そのことに全く気づか
ないまま、もう大丈夫だと世の中に放り出されてしまったら…。一人になった時に、実質何もで
きていなかったことに愕然としてしまう。
自分自身がたった一人の思い込みの中だけで、「これではいけない!」と思ってしまったら…。
とんでもない方向に、邁進してしまう可能性は、否定できない。

最悪なのは、人類全体に対して“受動的”になってしまうこと。自分は、完全な「無」になった
まま、苦手なことばかり要求される場所で生きなければならない事態になってしまう。これは、
ものすごい「恐怖」。
[2002年5月22日 22時16分42秒]

テーマ: ドレッシングがかけられない。   
今度は、長男の話。ドレッシングをかけられないわけではなくて、“適量”かけられない。

一見、量の感覚の問題だと思ってしまうかもしれないが、実はこれ、身体感覚と身体の操作性の
問題が絡んでいる。長男の身体感覚は、まだ眠っている。いつ起きるかは、わからない。(ワタ
シの場合は、高校生ぐらいの時に目覚めた。)
今の時点では、ドレッシングのビンを手に持って傾けた時の、重さの感覚・重心が移動する感覚
が、まだ希薄なのだ。
一方、視覚はきちんと働いている。と言うよりは、視覚が優先している。しかも、その視覚が当
てにならない。野菜に対するドレッシングの適量ではなく、視覚的に満足いくようにまんべんな
くかけてしまう。つまり、野菜全体がドレッシングの色に染まるか、皿全体にいきわたるように
なるかのどちらか。
更に、「もういい!」と思った瞬間に、かける動作を止めることもできない。

それでも、皿の中にドレッシングが入るようにかけられなかった頃に比べれば、格段の進歩。
[2002年5月22日 21時37分20秒]

テーマ: 漢字の構成。   
今日、次男は、〔画〕という字を書く時に、「〔里〕に〔□〕みたいのだった?」と聞いて来
た。ワタシは、「〔里〕をひっくり返して一本横棒を取って、箱に入れる。」と答えた。

ちなみに、次男は〔進〕の造りの部分を書くのに、〔主〕を書いて不足している線を足してい
く。〔土〕は、土台の横線から、↑に書いていく。もちろん、縦棒も下から↑の方向に書く。

これは、一つの才能だと思う。(役には立たないかも知れないけれど…。)
[2002年5月22日 21時23分17秒]

テーマ: 結果。   
これだけのことをやっていても、一人前にはなれません。

手をかけすぎ・厳しすぎ、と言う人がいる。
甘やかしすぎ・躾がなっていない、と言う人もいる。

「結果」が「結果」だけに、何とでも言われるでしょう。

でも、これは「結果」ではありません。始めから「こういうヒト」なんです。
[2002年5月22日 17時37分39秒]

テーマ: 日曜日の日課。   
日曜日の午前中に、近くのコンビニまで3人で散歩することにした。
いろんな盲点が見つかる。

・時間に合わせて支度をすること。
・人の作業の進行状況を見ること。
・人に付き合うこと。
・同じリズムで、ゆっくり歩くこと。
・ドタドタ歩かないこと。
・人に近づきすぎないこと。
・お金を無駄使いしないこと。
・一度にたくさん買わないこと。
            ・・・etc.

AS二人は、着ている服が気持ち悪いので、服を引っ張りながら体をくねらせて歩いている。
[2002年5月22日 16時38分19秒]

テーマ: 隠さない理由。   
「障害のことは、普通、隠すのに…。」と言われた。

しかしワタシは、自分が「普通」だと思うことでは、今まで何も得られなかった。
ただ、普通の生活ができるようになっただけで、失ったモノの方が大きかった。
社会化することでつぶれてしまうものは、あまりにもたくさんある。
[2002年5月22日 16時28分13秒]

テーマ: そういえば…。   
ちょっと前のニュースの中で小耳に挟んだことが、ずっと気になっていたので、ここで一言。

「挨拶もできる良い子なのに、どうして一人で旅行に行ったんだろう?」というコメントに対し
て、・・・・関係ないじゃん! と言いたい。

挨拶大好き人間で、挨拶しかできない人もいます。
とっても良い子なのに、恥かしくて挨拶できない人もいます。

挨拶のできる良い人だけれど、一人旅の好きな人だっていていいでしょ!
[2002年5月19日 22時36分40秒]

テーマ: 「就労」問題。   
アスペの「就労」問題を考える時に、アスペ流の職業選択方法が絶対に必要不可欠だと思う。

何かやりたい仕事がある場合でも、何でも良いからできそうな仕事につく場合でも、普通の人と
は違う「基準」で仕事内容を検討してみないといけない。

○環境(音・臭い・照明・空気・空間…)のチェック。
○自分にとって得意なこと、人より優れている部分を活かせる仕事かどうか?
○その能力を発揮することが許されているかどうか?(もし、同じ職場に同じ才能を持つ人がい
 る場合、できるからといって仕事をどんどんしてしまうと、嫉妬されてしまう。同僚・先輩・
 上司との関係によっては、できてもやってはいけないことがある。)
○自分の能力的なプロフィールの、落ち込んでいる分野の職務を課せられる可能性が、あるかな
 いか。
○それは、避けられるものだろうか? 
 また、何らかの道具などを使えばこなせるものかどうか?
○接待や、プライベートな時間の付き合いを強要されるかどうか?
○「仕事中ですから」とか「時間が限られているから」という理由で、日常会話を断わることが
 できる業種かどうか?(仕事=顧客の話をじっくり聞くこと、ということもあるので…。)
○昇進や配置換えなどで、入った時とは違う環境に置かれる可能性があるかどうか?


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ワタシが、一般企業に就職していた時、最初の職場はカウンターに囲まれた四角い場所だった。
業務内容は、領収書を書いたり贈答用の包装をすること。散らかっている買い物カゴを集めて、
移動すること。
ここでは、まずその空間が快適だった。そこにいなければならないが、お客はあまり来ない。の
しがみの種類を覚えて、「決まり事」を人に教示するのは性に合っている(字は、上手な人が必
ず一人はいるので、その人に頼めば良かった)。散らかっている物を集めて片付けるのは大好
き。これは、結構良かった。

そこから、事務所に移動になった。そこで、始めてパソコンを触った。事務の仕事は、時間の締
め切りがあるけれど、そのルーティンが良かった。
直に、室内に仕切りをする業者が工事にやってきて、金庫室ができた。ワタシは、金庫番になっ
た。その空間は、実に快適だった。(しかも、すぐ隣りの部屋に、ワタシのおしゃべりを黙って
聞いてくれる人がいたので、何か言いたいことができるとベラベラしゃべっては自分の部屋に戻
ることができた。←今思うと、すっごく迷惑だったに違いない。ごめんなさい。)
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例によって、「最初の一年間は、仕事を覚えるのに必死。二年目は、ルンルン気分で人に教えて
いた。三年目には、作りすぎたキャラのボロが出て破綻。」のパターンそのままだった。

では、ワタシには何が向いていたか?
パソコンがどこにでもある今のような時代なら、選択の可能性は随分と広がっているだろう。な
にしろ、楽器が弾けなくても、パソコンで音楽ができるぐらいだから。(音の聞き分けが良いと
ころも、伸ばせたかもしれない。)
本の分類や配置を覚えるのは得意なので、図書館の司書なんかは絶対に向いていると思ったのだ
が、図書館の空気の悪さと古書の臭いがダメで、自分で却下してしまった。(今なら、パソコン
で管理する係を、希望できたかもしれない。)

まっ、内容はともかく、Microsoft社のような、個人別のブースがあってその空間内は自分の好
きにできる空間のある職場だったら、何でも良いかもしれない。
[2002年5月17日 18時35分41秒]

テーマ: 指導者と生活者の違い。   
医者や教育指導に当たる人は、顧客の生き難さや問題点を見逃してはいけないので、正確な「診
断」ができなくてはいけない。
が、「生活」を共にする人たち(或いは、本人自身)にとっては、その人の「障害」が何である
かということよりも、その「人」(或いは、自分自身)がどういう人であるかが分かればいい。

指導者には、始めに「診断」ありきで、最後まで「診断」という枠組を外すことはできない。
が、本人にとっては、それは生活史上の通過点に過ぎない。生きている人にとっては、「診断」
がどうあろうと、また、どんな「診断」が下ろうと、一生を通じておつきあいしなければならな
い「特性」を持っていることに変わりはない。
[2002年5月17日 17時21分59秒]

テーマ: 最前線。   
個々の戦士たちは、皆それぞれに、“分かろうとしない”どころか“話しも聞こうとしない”人
たちと、日夜戦っている。しかも、避けて通ることのできない戦場。

頑張りましょうね、戦友たち!
[2002年5月17日 12時39分47秒]

テーマ: コミュニケーション障害と、コミュニケーション・スキルの問題。   
長男は、他者に対して「何かを伝えなければいけない」「ちゃんと伝えた方がいい」「普通、伝
えたり主張したりする」とか、しゃべるということは“他者に対して言う”ことであって“自分
の言いたいことを言葉にする”こととイコールではない、ということが分からない。
                 ↑
「人のこと言えるか!」と言われそうだ。全く、その通りである。(ごめんなさい。)


一方、次男は、自分の言いたいことが言葉にできなくて、ふくれっつらでブーブー(ホントに)
うなりながら足をバタバタさせる。さも、何かを言いたげな様子。
“自分の主張がある”とか“人に何かを伝えたい”という意志はあるのだが、その方法が適切で
ない、言葉にできない。


挨拶や報告ができる、言いたいことを言葉にするといったコミュニケーション・スキルなら、教
えられるし学習もできるのだが…。〔ここらは、学習障害としても扱うことが可能〕

人とのかかわり方や、文化的な差異に根ざすコミュニケーション障害となると、教えればいい・
覚えればいいという次元の問題ではない。〔ライフサイクルの視点から、自閉症としてとらえる
必要がある部分〕
[2002年5月17日 8時32分59秒]

テーマ: すれ違い。   
物の遣り取りでさえ、直接渡さずにそこに置いてもらう方がいい。
一般には、コミュニケーション不足はいけないと言われているが、ワタシにとっては“すれ違
い”にしてくれた方が、良好な関係が保てる。
確かに、医者が、治療に関する説明もなく、計画や見通しも一切言わずに人の体を切ったりレー
ザーをあてたりするのは問題だ。でも、多分その医者自身が、アスペかそのケのある人なんだろ
うと思える時は、その方が安心できることがある。(こちらが話をしたい時には、話を聞いても
らえそうな医者を選ぶが、特に話したいことも無くただ痛いところを取ってくれさえすればいい
ような場合は、そっちの方がいい。)

大事な人ほど、すれ違いが一番。干渉されると、反発してしまう。干渉すると、悪いことをして
しまったような気がして、謝りたくなる。



そういえば、日本古来の習い事の中には、“決まりを守ること”でコミュニケーションが成立す
るものが結構ある。(今では、その後の飲み会・付け届け・昇格するための点数稼ぎなどに明け
暮れるようになってしまっているらしいけれど…。)
例えば、茶道なんかでは、座席の位置・茶器やお茶菓子の揃え方で、“もてなし”の気持ちを表
現するという決まりがある。武道でも、礼に始まって例に終わる。まあ、HTML文書の< >の
決まりや階層構造みたいに、目に見える記号があるってことだ。

相手にヨイショしたり、わざと負ける接待ゴルフなんか、とんでもない!
[2002年5月15日 9時52分1秒]

テーマ: 抽象概念。   
自閉症児は、抽象概念を理解できないと、よく言われる。

確かに、ワタシも「量の換算」や「差し引きいくら」の計算ができない。最近、病院で出された
処方箋を持って薬局に行くようになって、量がmg単位で書かれており、しかも、一日量いくらで
何回分なんて表記されていると、サッパリわからない。何mの白い錠剤を何分割なら分かるのに
〜〜。医者になってもよい環境にいたとはいえ、やっぱり、ならなくて正解だったと思う。

しかし、多くの高機能自閉症者は、日常的な言葉を使えるだけでなく抽象概念も使いこなしてい
る。これは、矛盾しているように見える。人によっては、自分の身体状態や心情を訴える言葉を
ほとんど持たず、抽象概念の操作ばっかりしていることさえある。
ヴィトゲンシュタインがその例だ(ここらになってくると、ほとんどの児童精神科は手に負えな
くなってしまうだろう)。でも、彼は、数式と論理という目に見えるものを使って、“世の中”
をとらえようとした。彼にとっては、「言葉」が具体物だった。それだけのことだ。いま・ここ
にあるコップよりも、イデア(概念)としてのコップの方が、よっぽど具体的に見えていたので
はないかと思う。〔では、そのイデアがどこかに実在している、とまで言い放ったプラトン
は・・・???〕

とはいえ、自閉症者が抽象概念を使う時には、明らかな特徴がある。
難しい言葉を使って、簡単なことを表わす。
簡単な言葉を使って、難しいことを表わす。
言葉の音や形・見た目の印象・空間的な配置を補助的に利用している。

少し抽象性の高いテンプルさんは、体験したことを即物的に言葉に変換するドナさんと、ヴィト
ゲンシュタインとの中間に位置するように思う。
具体的な「扉」をくぐることによって、“社会に出る”イメージをつかんだところに、それは表
われている。

※ワタシは、テンプルさんとほぼ同じで、具体物のイメージを利用して抽象概念を理解してい 
 る。テンプルさんの書いたものを読むまで、自分のことだと思わなかったのはそういう理由
 なのだと思う。
[2002年5月14日 9時15分20秒]

テーマ: 二日目。   
今朝の次男は、学校を休める理由は無いかとあれこれ探した挙句、カンネンして出掛けていっ
た。
まあ、いつもいつも整備された環境にいられるわけではないし、気の合わない人は必ずいるの
で、環境に文句を言うばかりではなく良いことを探す。(そのまま放置して困るのは、いろいろ
できないことよりも、ものの考え方の方だからね。)
「一度も怒らなかった」「忘れ物をしても怒らなかった」・・・良いではないか〜♪
ただ、“ハナマル制度”が引き継がれていなかったので、学校で頑張ったことは“自己申告制
度”の方に言ってよいことにした。(ここ一ヶ月間は、学校に行くだけでハナマルかも〜。)

そんなこんなも、自分を認めてくれる「基地」があればこそ。
[2002年5月14日 8時24分41秒]

テーマ: お互い様。   
今日は、自分の担当するわずか5〜6件の家に、配布物を配るお仕事があった。
それだけのことにパニくるワタシを、ウチの面々は見慣れているので、何とも思われてない。
(逆に、ものすごく気を使われていたりもする。)
大騒ぎしてドタドタと出掛けて行く割に、行った先では自動運転状態で朗々と説明していたりな
んかする。

しかし、実は密かに恐れていることがある。それは、そのうち、次男に「ご飯の支度が間に合わ
なかったから、マイナス1」と宣告されることだ。(癇癪起こすと、マイナス3くらい取られそ
うだ。でも、今のところは大丈夫、完璧に相殺できるから。)
[2002年5月13日 21時43分13秒]

テーマ: ↓の続き。   
とはいうものの、ワタシはそれだけで終わりにしない。
その後に、ちゃんと、「先生の良いところを一つ探しなさい」と言う。

そういうところ、自分に欠けていた社会性を、曹洞宗の修行道場で補った半妖らしいところ。

やっぱ、地念児や犬夜叉のように、ニンゲンからも妖怪からも追い出されるわけだ。

それで、ありのままの自分とそんな自分に傷ついてしまう自分を認めてくれる、かごめと七宝と
弥勒と珊瑚に出会い・・・、てな風に、うまく行きますやら〜〜。
[2002年5月13日 21時30分39秒]

テーマ: 通りすぎる嵐。   
次男は、えらく機嫌が悪い。何故なら、担任の先生が一ヶ月の休暇をとったため、代わりの先生
が来たから。
無理もない。その人は、軽度発達障害の存在を真っ向から否定してかかる人で、「普通の子ども
を障害児にして、新たな差別を作るつもりか!」と、私にわざわざ言いに来た人なのだ。(どう
せ、ホームページなんか見ないだろうから、書く。いや、むこうがわざわざ言いに来たのだか
ら、こちらはわざわざ書くことにする。)
帰って早々、「何にも分かっていない」「ハナマルもくれなかった」「あっちから問題起こして
くる」とブツブツ言っている。

まあ、ワタシは、基本的に、“人”に関心が向かないタイプなのでいいのだが…。次男のような
タイプの子どもにとって、担任との相性は大問題。

そういえば、ワタシは、ニンゲン界のほとんどの出来事を「早く通り過ぎてくれないかなぁ」
「これが終われば、楽になれる」と思いながらやり過ごして来たので、こうやって外に発散でき
る(と言うより、相性の合わない人がいることにいち早く気づくことができる)のは、一種の安
全弁なのかもしれない。
去年までのADHD同士のトラブル、AS対ADHDのトラブルが落ち着いて、毎日のように兄
弟の小競り合いが起きているのも、自然なんじゃないカナと思う。(一言も口を利かず、顔も合
わせずに、見事にすれ違いしたワタシの兄弟関係に比べれば、ずっとマシかも。)

あっ、そうだ、全然関係ないのだけれど、兄弟関係で思い出した。
実は、ワタシが次男のADHDぶりを見てちっとも驚かないのは、ものの見事にワタシの従兄弟
にそっくりだから。
イヤなことは徹底的に回避しようとするところ、分からないと怒るところ…。昔は、この従兄弟
たちの兄弟は、何故そんな風なのだろうと不思議だったのだが…。
親戚だから似ているというより、ADHDの遺伝子だかなんだか知らないものがそうさせている
のだろうと思う。今にして思えば。
(まあ、長男を見て驚かなかったのはワタシと同じだったからなのと、原理は一緒。)
[2002年5月13日 16時58分4秒]

テーマ: 便利なんだか、不便なんだか…。   
寝起きの寝ボケ顔なのか、会いたくない人に会った不機嫌な顔なのか、怒っているのか区別がつ
かず、朝一番に会ってしまった時には、「今日は、最悪〜!」と思ってしまう。
しかし、その同じ人が、いかにも“顔を合わせたくない”とそそくさと去っていったのに、張り
のある明るい良い声で挨拶したのを聞くと、「よかった、怒ってない〜♪」と安心する。
                            便利なんだか、不便なんだか…。

米びつにゴキブリが入ったので、新しい密封容器に替えた。その、古い米びつを外に出しておい
たら、「洗濯物を干す時に、カゴを置くといい。」と言われた。
ところが、そっちに置くと、いつも洗濯物のカゴを置いている場所とは反対方向から物干し竿を
見なければならない。それに、随分と南寄り。
まず、そこから見える景色は、全くの別物。それだけでも、気持ちが悪い。これは、ウチの物干
し場ではない(思い出すだけでも、吐き気がする)。それに、こっちに置くとなると、今までと
は干す順番を替えないとやりにくくなる。
当然、その意見は却下(無視とも言われる)。
                            便利なんだか、不便なんだか…。

今年も、商店の店頭に、ディスプレイ用の風鈴が吊り下げられ始めた。
今年も、2〜3個は買ってしまうかもしれない。今に、風鈴部屋から風鈴屋敷に昇格するかもし
れない。(ちなみに、全て室内に吊るしてある。台風性の風でも吹かない限り、一斉に鳴ること
はない)。
                            便利なんだか、不便なんだか…。
[2002年5月13日 11時40分28秒]

テーマ: 待合室。   
近くの内科医院に行くと、明らかに知っている人もいればどこかで見たことがある人もいる。
黙って座っている人が多いのだけれど、知り合い同士で「どうしたの〜?」「どうだった?」の
会話が始まったり、幼稚園や学校の出来事やら何やらの話が始まることがある。(まあ、子ども
がいる時なら、その手の話題は楽なものだ。)

しかし、そういう“話のタネ(つまり、子ども)”がいない時には、他の人たちは顔を見つける
とおしゃべりが始まるのに、ワタシとは視線が合わないように努めていることがよ〜くわかる。
(何故だか分かったので、ワタシに内緒の組織があるなどとは、もう思わない。)
「心を閉じている」とか「胸の内を明かさない」とか「腹を割って話さない」からそうなるのだ
と、よく言われるところ。
でも、こちらが話したいのは、聞こえてくる音や見えるもののことだったり、待合室にあるビデ
オデッキのことだったり、文字情報システムのことだったりするのに、そんなことを話したがっ
ている人なんて普通はいない。一方、みんなが盛り上がっている話題には全然興味がないし、そ
の前に、何故そんなことを話したいのかわからない。
ただし、こういう時には、新聞やテレビで見て知っていることを羅列するだけでやり過ごせ
る。・・・ただ、言っているだけだということは気づかれない。みなさんの意識の中で、勝手に
何らかの「意見」や「主張」があることにしてくれるため、ワタシは話すだけでいい。でも、次
に会った時に、何やら警戒されている様子なので、きっと何かの尾ひれがつけられているのでは
ないかと推測される。まあ、思ったことを何でも言ってしまって失敗するよりはマシ。

こういう場面で、努めて人のやっていることにならおう・なじもうと努力し、そのためのスキル
を必要としている人もいれば、何とかしてその場をしのぎさえすれば“すれ違いのまま”でいい
と思う人もいる。・・・それが、すぺくとる。
[2002年5月9日 18時0分26秒]

テーマ: 身勝手。   
目の表面の何か(白いものや黒いもの)が見えてしまうのは邪魔だが、回っている換気扇や沸騰
しているヤカンから出ている音楽のように美しいハーモニーが聞こえないのは寂しいと思う。
感覚過敏のお陰で知覚できる心地よいものは失いたくないが、不快なものはなくてもいい。
[2002年5月9日 17時37分54秒]

テーマ: 分業社会の落とし穴。   
今日で縁が切れるはずの、口腔外科の医者に一言。
いつもいつも「歯磨きができていない。キチンと指導を受けなさい!」と説教するが…。

こっちには、こっちの言い分がある。
いまだかつて、私にもできるやり方で歯の磨き方を指導してくれた人は一人もいません!
歯科衛生士さんが得意になって行なう歯磨き指導のやり方では、ワタシは歯が磨けません。
まず、腕を挙げているのが辛い、あんなに細かく振動させられない・歯ブラシ角度の微調整がで
きない…などなど。

文明が発展して、完全分業体制の世の中になり、それぞれの分野で専門家が最善を尽くしてくれ
るのはありがたいこと。
でも、それぞれの専門家がベストを求めすぎて、それを教授される個々人の努力を強いるだけで
は、せっかくの研究成果を享受できる喜びよりもストレスや苦悩の方を強く感じてしまう。
最近では、本人にとって無理なくできるやり方を工夫する研究者も、随分と増えてきたというの
に…。これは、どの分野にも言えること。
[2002年5月7日 15時43分45秒]

テーマ: 半妖の悲哀。   
“あっち”と“こっち“の橋渡しをしようとすると、両方の敵になる。
“あっち”に良かれとやったことが“こっち”からは不評を買ってしまう。逆もアリ。
「双方が歩み寄ることは、双方が痛み分けになることではない。」と、ワタシは信じている。

ただ、「人には人の苦しみがある」ことだけは、分かって欲しい。
[2002年5月7日 15時25分48秒]

テーマ: 身支度訓練。   
中学で宿泊訓練(といっても、昔で言うキャンプ)があるので、準備をした。
まず、持ち物表を見て、何をどうしなければならないかの見通しを聞いてみる。
案の定、あるものをつっこめばいい・なかったら買ってくる、ぐらいの認識しかなかった。
着替えを持って行くにしても、いつ・どういう時に着るものか、キャンプ地が山なので寒いこと
などを考えながら選びたたんでしまう、歯ブラシを携帯ケースに入れるにはどうすればいいか、
などの“訓練”になった。

持ち物の一つ、寝袋は、たたむことはできても、商品が入っていた小さな袋にしまうことができ
なかったので、大きめの袋を100円ショップで買って来てある。しかも、空気を抜きながら袋
に入れるのも無理なため、たたまずに端から突っ込んでおくことにしている。

学校で管理された行事をこなすことへの不安はない。先生から見れば、ちゃんとできているから
大丈夫ということになる。
でも、本当に大事で、見過ごしていけないのは、こういうことだったりする。
[2002年5月6日 14時7分5秒]

テーマ: アスペいろいろ。   
一口にアスペと言っても、自閉症寄りなのとADHD寄りなのでは、随分と違っていることがあ
る。これは、合併している(「注意」や「行動」の面でADHDの基準を満たしている)人が多
いからでもあるし、興味関心の偏りが注意の過集中と連続しているからでもあるし、体系的な知
識を習得できるか断片的で有用でないものに留まるかの違いでもある。
厳密に「自閉症」を抽出する必要があるのは、主として育てる方の責任の問題で、本人の自覚と
意識にのぼるのはLDやADHDや協調運動障害のエピソードのことが多い。そっちから見る
と、混じっているものをわざわざ別けて考える必要はほとんどない。
どっちにしても、強制されない自然発生的なグループができることが大事なのだと思う。

※「自分を語るのに、自分の持っている発達障害についても語る。」というのと、「自分を通じ
 て、発達障害について語っている。」のとでも違う。
[2002年5月1日 11時18分42秒]

テーマ: 恐怖だらけの生活。   
昨夜、寝る前につけたテレビで小耳にはさんだ話。
或るスポーツ関係のレポーターが、始めて海外取材に行ったところが紛争真っ最中で、街には戦
車が走り空港は閉鎖になる状況だったそうだ。何とか帰国したもののその体験がトラウマになっ
て、「ここで電車が脱線したら…」「今、上から物が落ちてきたら…」と、始終考えながら暮ら
すようになったとか。その話をしたら、他の出演者から思いっきり笑われていた。

えーーーーーっ!
そんなの当たり前じゃないのぉ!? 戦地に行ったわけでもなく、実際に身の危険を覚えるよう
な体験をしたわけでもないのに、ワタシはいつもその状態。しかも、生まれた時から。
まっ、それは良いとして、他の出演者がバカにしていたことで、ワタシが責められているように
感じてしまった瞬間、久々にゴジラのフィギィアと目が合う。ホッとした。(昨夜は視覚に逃げ
ました。)
それから、ふと気がつくと、手を振って身体的な不快感(=精神的なショック)を払拭しようと
していた。これは、きっと電気製品のアースみたいなものでしょう。

※よく、アスペの本人たちがホームページで自分のコレクションなんかを披露しているけれ
 ど…。
 ワタシが作ったら、きっといろんなフィギィアの目だの、犬夜叉の耳だの、風鈴やウインドチ
 ャイムの余韻の音だの・・・、とってもつまらなくてオタッキー(と言うより、フェチだな)
 なものになるでしょう。
 でも、自分の好きなものや集めているものをホームページに公開したいという「動機」そのも
 のがありましぇん。空き時間ができたらCD聴いているし、写真とって読み込む労力を惜しん
 で昼寝します。
[2002年5月1日 10時56分46秒]

※本人以外の書き込みはできません。
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