記事タイトル:2002年4月の「日記」 


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テーマ: ここらで一言。   
最近、診断される成人が増えているし、ホームページも増えている。

そこで、小さな字で、うれし〜い!!と書いておこう。
本当は、これくらいうれし〜い!!のだが…。
同じ方向に向かいながら、決して横を見ない仲間関係(?)ならいいのだが、共感関係になって
しまうと拒絶反応を起こしてしまうから。

大切な人ほど、存在していることを確認するだけでいい。(失いたくないからね〜♪)
[2002年4月29日 22時47分57秒]

テーマ: 精神安定の為に必要なこと。   
自分のやってきたことが認められること。
何に一番の恐怖を感じているかが解かってもらえて、ストレッサ−を回避させてくれること。
[2002年4月29日 10時55分36秒]

テーマ: 欲しい薬。   
“まばたきチック”を止める目薬。←内服薬なら要らない。
“着ている服の違和感”を感じなくなる薬。←やっぱり、これは自分でもイヤ。
[2002年4月29日 10時51分23秒]

テーマ: LDって???   
今日、商品券をもらったので、買い物に行った。ウチの子どもたちは、今プロックに夢中なの
で、当然のことながらレゴブロックを買って大喜び。

この光景を見る度に思う。
この子たちは、「何でもまんべんなく教え・ほどほどにできる」ことが良いとされる時代の犠牲
になっているのではないか!?
特異な空間認知・特異な発想をしている子どもが肩身の狭い思いをしなけれならないことの、ど
こが「教育」なのか!?

そもそも、教育カリキュラムなんてものは、それぞれの教科にかかわる能力が極端に偏って得意
な人たちが、それぞれの教えたいことをそれぞれに主張し合ってできたものなので、すべての人
に適切なモノであるはずがないのだ。
建築関係の現場にいる人は、「大学の建築学科を出た人の書いた図面では、建物が立たないこと
がある。」とよく言う。それは、理論上は立つはずの建物の図面であって、実際に作業するため
には工具を持った作業員の作業スペースが全く考慮されていなかったりするそうだ。つまり、空
間的な感覚がないのだと。これは、左脳だけで建物を作ってしまうとも考えられる。

とりあえず、将来何でもできそうな「標準」の型にはめておいて、いよいよ一人立ちする頃にな
ってから適性を考えるか、どこでもいいから入れそうな会社を選ぶというシステムって、“時間
ばっかりあってすることが何もない”のと実質変わりないように思える。
[2002年4月28日 23時8分4秒]

テーマ: かつての“ワタシ”たちへ!   
ワタシは、診断が下った後でアスペのことを調べ始めたのではなく、“発達障害児の私設リソー
スルーム 兼 子どもたちのたまり場”で子どもの「育ち」に係わった後で、はじめて自分のこと
を振り返った。
アスペのことを調べたら子どものことだったというのではなく、「教育」に携わった後でアスペ
の研究をしただけでなく、発達障害のない子どもたちの直面する課題も知っている。

立場としては親や教師と同じだし、客観的に外から見ている時と主観的に主張している時とが混
ぜこぜになって統合されていない。

もう、純粋な本人には戻れない。そこに罪悪感があるので、突かれると恐怖でどん底に落ちる。
(この傷の深さがどれほどのものであるのか知っているのは、ワタシだけ。)

かつての“ワタシ”たちと接点を持つことは、もはやできない。だから、密かにエールだけ送
る。そして、自分の仕事が回り回って届いて行くことを祈っている。
・・・ワタシにできることは、それだけです。ごめんなさい!
[2002年4月27日 23時1分20秒]

テーマ: 使える感覚・使えない感覚。   
TEACCHでは、視覚優位なのを利用して、目の前に良い刺激を提示することで行動を変容させる
テクニックを使う。視覚刺激に同化してのめり込んでしまうと、生活上の差し障りになるので、
そういうものは排除して、スケジュール管理に有用な絵カードなどを見せる。
それは確かに使えるが、忘れてもらっては困るのは、ワタシはその視覚に没入することで他の不
快な感覚(特に、人からの侵入感・普通であることを強要する価値観・感情の遣り取り)を排除
し、その場から消えることに成功しているということ。
・・・このオアシスを取られては困る。

しかし、だからといって、すべての感覚がワタシにとって快刺激になっているわけではない。世
の中には、何故か不快な音・不快な臭い・不快な触覚が多い。
人に聞いたら、それらのものはちょっと聞こえづらい・イヤな臭い・手触り肌触りでしかないら
しい。みんな、仕方なく我慢しているわけではないというのは、とっても不思議だ。
・・・こういうのは、無い方がいい。
[2002年4月27日 21時21分34秒]

テーマ: 疲れること。   
みな、それぞれに自分の代弁者を探している。
自分の見解と照らし合わせれば、誰かを賞賛すると同時に誰かを非難することになる。
こうして、《群れ》ができていく。

誰しも、好きなことばかりやっていられるわけではない。
必ずしも、自分の適性や希望通りの仕事にありつけるわけではない。
人生のほとんどの時間は、平々凡々な生活のために費やされる。
「主観」を主張できる人は幸せだし、強い。
[2002年4月27日 10時57分9秒]

テーマ: 今日の予定。   
弁当作りも一段落(本当は、段楽と書きたい)して、午後に次男の歯医者の予約があるだけ〜♪
と思っていたら、降ってわいた仕事がいっぺんに二つも飛び込んで来た。
フリーズして「えっ!?」となっている状態になると、突然、頭の中で鬼束ちひろが歌い始め
る。こうして、自動的にリセットがかかる。
一時的に“なかったこと”にしている間に、無意識のうちに頭のどこかが活動していて、迷子に
なっていたディレクトリにアクセスしている。回路が繋がると、ファイルが突然開く。一度活動
が始まると、しばらく他のことが出来なくなってしまう。

○断片化したままどこかにしまわれているファイルを探し出す間=何もできない
○リセットしている間=何かの感覚に没頭している
○アクセス開始=他のことが全く出来ない・したくない

このタイムラグがあることが、とっても普通でないことのように見られているらしい。
でも、ワタシにとっては、これが当たり前の在り方。
[2002年4月27日 10時46分7秒]

テーマ: 日本のアニメ。   
どこの国のアニメにも、一匹オオカミは必ず登場する。

しかし、タイアップする商品が変わっても、キャラクターが変わっても、日本のアニメに出る一
匹狼キャラは、必ず他のメンバーからワガママと非難され、仲間に入るように説得される。たい
ていは、とことん一匹狼を貫いて、いよいよ命が危なくなった時に犬猿の仲のはずの主人公に助
けられ、“仲間”になってメデタシメデタシになったりする。

しかも、日本型一匹狼は、必ず“過去”を背負っている。

『ムーミン』に登場するスナフキンみたいに、誰もが公認する一匹狼で、引き留めても必ず風の
ように去ってしまう、スカッとしたキャラは出て来ない。
[2002年4月26日 18時24分31秒]

テーマ: コウモリの悲哀。   
弁証法で、{「正」+「反」}⇒「合」をやると、「正」と「反」の両方が敵になる。

ヴィトゲンシュタインのタイプの人は、ほとんど大学の先生や科学者・技術者になっていて、こ
んなところでうだうだしていないので、“自分の体験したこと”を言葉にできなくても、誰から
も責められない。
(時代が求めている人間像に反するだけで、犯罪者になった気分だ。)
[2002年4月26日 16時21分0秒]

テーマ: あとちょっと。   
まだ、小学校の家庭訪問が連休明けにあるので、新学年の行事がすべて終ったわけではないけれ
ど、今年最大の難関であるお弁当作りはチックでまぶたをピクピクさせつつも一段楽。(もしか
して、高校は毎日お弁当?)
こんな中、ボ〜っとしたまま抜歯した部分だけを磨いて(つまり、言葉で指示があったことだけ
をして)口腔外科に行って「歯磨きができていない」と怒られたり、会計の時に診察券と財布と
釣銭と処方箋を手にしたまま四つの動作がいっぺんに頭に浮かんで一瞬フリーズしたりと、覚醒
水準は下がりっぱなしだった。こういう余裕のない時には、いろんなことが元に戻る。

ただ、こういう時に、普通は、朝早く起きて弁当を作り・仕事をし・家事をし・介護をして、夜
遅くまで休む間もなく働いているのに、何と自分は情けないことか! などと思わずに過ごせる
だけでも随分と楽になった。
でも、朝が早くなったのに夜の行動パターンを変えられずにいた分は、ちゃんと昼寝しておくべ
きだった。な〜んてなことを書くと、一般人には怒られるだろうけれど、たまりたまって昨日の
ようになることを思ったら、やっぱり無理は禁物。
・・・まあ、上手に付き合わなくっちゃね。自分の体だから。3年間がんばり過ぎて、その次の
3年間を全く棒に振ることの繰り返しは、もうやめましょう。
[2002年4月26日 12時28分7秒]

テーマ: どうでもいいことだけれど。   
昨日、たまたまテレビをつけたらやっていた『ごくせん』を見て、スカッとした。(ああいうマ
ンガちっくでわかりやすいのなら、人が言い争っていても同化しない。今に、タンカ切るぞ〜と
思いながら安心して見ていた。それに、テーマが「教育」だし。)

長男の担任の先生が、「皆、それぞれ同じようなタイプ同士でくっつくもので…。彼(ウチの長
男)といるのは、やっぱりほのぼの系の子です。」と言っていたのがおもしろくて、思い出す度
に笑ってしまう。
まあ、ウチでは次男と喧喧諤諤やっているけれど、同年代の子の中ではそんなところなのが不思
議。

『犬夜叉』のエンディング、BOAの裏声が聴きたくて…。ずっと我慢していたけれど、ついにC
Dを買ってしまいました。
[2002年4月26日 0時13分16秒]

テーマ: たいせつなこと。   
今月は、小中学校が一ヶ月まるまる弁当持ちの、たいへんな月だった。(明日で、小学校は弁当
終了。)いくら体力的には随分回復したとはいえ、かなりきつくて疲れがたまり胃の具合も悪く
て、今日、ワタシは久々に寝込んでしまった。
何だかバタバタ走りまわる足音が聞こえて目が覚めたら、帰って来た次男が洗濯物を取り込んで
くれていた。「雨が降っていたのに、洗濯物が出たままになっていたから」と言う。
今現在 「がまん」「がんばる」「できない・わからないから、やる」で取り組んでいる国語の
課題をやるのに、毎日 鉛筆を投げたり本を落としたりグジャグジャに塗り潰して不満丸出しで
やっている次男だけれど…。
まあ、これでいいんじゃないの。これが、ワタシの仕事だし。
[2002年4月26日 0時1分55秒]

テーマ: 子どもたちの生きる力?   
この世の中に生き残るには、生活や職業的な技能・最低限度の知識・身体能力・対人関係の処理
などの能力が必要で、子どもにこれらのことを身に付けさせようと学校に期待し、習い事をさせ
るのが、一般的な子育ての方針のようだ。なるほど、皆さんは始めから、「社会」に通用すると
はどういうことかを知っている。
そこのところに「障害」があって、「“できない”ことをご容赦下さい!」なんて宣言するの
は、普通に考えるとすごくタイヘンで勇気のいることなのだろうな、と思う。
しかし、学校の門をくぐった途端に「何でもまんべんなくできる・やる気にムラのない」人であ
ることが求められるというのは、いきなりサラリーマンになることを想定されているような感じ
がして恐ろしい。でも、疲れても・病気になっても・ストレスを感じても休めず、自分の感情を
押し殺して仕事に励むなんていうのが、はたして自然の姿だろうか? 
一方では、自分の感情を顕わに出して押し切っている人が力を持っているし、多くの人がそれに
憧れてもいる。が、現実は、当たり障りのない生活をしながらどこかで感情を吐き出す毎日の繰
り返し。

皆が皆、一人前になることを目指し、なれない者は半人前であるというような価値観しかないの
は、窮屈で幼い社会。人と違っていて、“まんべんなく”と“当たり障りなく”ができなくたっ
て、それはそれで違ったままで一人前、人の世話にならなければ生きていけなくたって一人前で
いられる社会なんて、できないんだろうなぁ。

どこか一つの立場に立って一方的に主張できて、共感を呼ぶ仲間を集めてかたまって、そのカタ
マリ同士の力関係がモノを言うのは、どこの世界でも同じらしい。
どこにも帰属せずに、両方の“かけはし”になろうとすると、どちらからも「敵」になる。
[2002年4月25日 23時17分57秒]

テーマ: それから…。   
学校5日制で、「地域で子どもを育てる」がブームになっている。
行政関係の広報番組などでも、地域ぐるみの活動をしている功労者を盛んに褒め称え、お上の認
定証なども与えている。あっちこっちで、講演会や発表会が開かれている。

しかし、それは誰かが何かを地元ですることでしかないのは、本末転倒だと思う。

そんなことより、学校がない日や放課後に、こどもたちがただ集まって、こども同士で遊びを自
主的に創ることのできた、ごくあたりまえの時間を戻して欲しい。
何もかもが与えられて・決められていて、大人が轢いた線路に乗せられている。これが、果たし
て、“こども”らしい子どもの時期のあり方と言えるだろうか!?

※これは、「発達障害」の話題ではなく、社会問題のこと。
[2002年4月23日 17時3分10秒]

テーマ: 全ての、子ども関係者へ!   
確かに、一般的な意味で“規範意識が薄く社会的な行動がとれない人たち”のことが社会問題に
なっている。それから、躾のできない親の存在も大問題になっている。
或る人が、子どもが映画館で騒いでいるので普通に優しく注意したら、その子の親から「人の子
どもに口出しするな!」と怒鳴られ、一緒にいた彼氏からも「こわい女だ、付き合えない!」と
ふられてしまったそうだ。いったい、どうなっているのだ、この国は!?

最近、こういう人たちを牽制する傾向が強まってきている。こんな有り様だから、子どもの躾の
こと・躾られない親のことが話題になるのは、当然のことだろう。


しかし、育児関係の専門家を名乗って発言するからには、どうしようもない先天的・生理的な
「発達上の障害」のある子のことに触れないのは、片手落ちではないか!

障害や病気関係の話題を紹介する番組が、何故か躾・教育に関する特集をすると「私のところで
お産をしていない人のお子さんは、うろちょろうろちょろしてどうしようもありませんが、私の
取り上げたお子さんは待合室でもおとなしく待っていられる良い子ばかりです。」なんていう発
言者しかゲストに呼ばないのは、認識不足だ。
この人たちは、知っているのか? 多動の子どもの動きのすごさを、自閉児の行動障害のすごさ
を。この子たちに、生活リズムをつけ、身辺 自立をさせることの困難さを、知っているのか?

子育ての専門家が、これでは困ります。子育ての専門家が、育て難い子どもをどんどん追い込ん
でいるなんて、おかしすぎる。
[2002年4月23日 16時50分10秒]

テーマ: 絶対必要、しかしほとんど欠けているもの。   
【幼児期】診断
【学童期】受容と療育=人との信頼関係・人と共に生きるスキル
  ↓
【思春期】対人認知の学習・心理面でのカウンセリング
【青年期】社会との軋轢を解釈するフォロー・精神的な安定を保つための支援
                                〜【その後ずっと】
[2002年4月23日 7時36分26秒]

テーマ: 幼稚園児、恐るべし。   
最近、おませな幼稚園児が、よくテレビのバラエティ番組に出る。

4才過ぎに「心の理論」を獲得する普通の幼稚園児は、恐ろしい。
好きな人がいる、その思いをかなえたい。
思いを伝えたいけど、恥かしい。うまくできない、失敗したくない。
嫌われているのではないか、意地悪されているようだという雰囲気を敏感に感じる。
優しくされる、ヤキモチを焼かれるほど愛されていることが嬉しい。

こういうことが、人生の一大事になっている。

それが、大人になると、「もてる」とか「魅力的である」ことが命になる。


まあ、こんな世の中を、全く知らずに生きていたのだと思ったら、それだけでゾッとする。
[2002年4月21日 22時57分38秒]

テーマ: 「頼むからやめて欲しいこと」があるのだけれど…。   
それが言えないのは、単なる“コミュニケーション”のまずさであって、そんなものは「障害」
ではないと言われてしまえばそれまでだし、だいたいそれで悩んでいる人は五万といるらしいの
で、あまり説得力はないかもしれない。

【食べ物のことを言われること】
ワタシは、元々“食べられるもの”が非常に少なかった。なのに、給食は全部食べ終わるまで居
残り、家では「おいしいから食べなさい」の連発で、味覚と食感を遮断することを覚えてしまっ
た(当然のことながら、ほぼ慢性の下痢症〜過敏性大腸症候群〜慢性胃炎の繰り返しだった)。
大人に成って一番嬉しかったのは、この「食べなさい」攻撃から開放されたことだった。
ところが、今また「食べなさい」光線を毎日のように浴びせられて、それだけで生きているのが
イヤになってしまうほどだ。なにしろ、ここは周り中が農家だとか、定年後の生甲斐として植物
を栽培している人たちばかりだ。「たくさんできた」「たくさんとれた」「おいしそうだ」「体
にいい」「栄養がある」「風邪を引かない」などという言葉とともに、とても食べ切れない量の
収穫物が運ばれてくる。
こっちは、その気配を感じただけで、既に呼吸も心拍数も変化している。だが、ワタシはパニッ
クを起こせない。中学生ぐらいまでは、耳塞ぎもできたし泣いたりもできたのだが、内へ内へと
攻撃が向かうタイプなのでうつ病になった。今は、薬が効いているせいか、理由が分かったせい
か知らないけれど、その場では「恐怖」のあまり固まってしまっている(文字通りフリーズして
いる)のが、はっきりと自覚できる。
ここに引っ越してくる前は、玄関先で受け取って通り一遍の御礼を述べるだけで良かったのだ
が、今では、昼間家にいることがアダになっている。とにかく、辻々で人が顔を合わせるたび
に、その話題で盛りあがるようなお土地柄だ。・・・ホント、これでPTSDになったという理
由で離婚できた某タレントが、羨ましくて仕方がない。
それでまた、話し掛けて来た方は「無視された」と思うらしく、凹んでしまったり、小声で何か
ブツブツ言うようになる始末。その頃、ワタシは、活動停止状態に陥り、寝てしまっている。そ
れで、その日の予定は丸潰れになる。


【あちらから接近して来る人たち】
何かの仕事を一緒にやったとか、何かの会合で一緒になったわけでもなく、ただ「ご近所です」
「子どものクラスが同じです」という理由で接触して来られても、こちらは「そうですか」とし
か答えられない。
それで、明らかにオモシロクナイという顔をして舌打しながら離れていった人・明らかにオモシ
ロクナイという顔で無視するようになった人・何度会っても親しげに話し掛けて来る人…、これ
にはホトホト参っている。
だからといって、どうしようとも思っていないのだけれど…(どうやら、あちらの“虫が収まら
ない”らしい)。いや、「どうして放っといてくれないのだろう?」と、ワタシは思っている。
[2002年4月19日 14時23分17秒]

テーマ: 忘れてもらっては困ること。   
視覚刺激に反応しやすいから「反応されると不都合なアイテムを遠ざけ、反応すると都合がいい
アイテムを目の前に出す」という方法は、間違っていない。
ただし、それで“適応が良くなる”“混乱を少なくできる”ことは確かだけれど、「できる」よ
うになったからといって「習得」したとは限らないことを、忘れてもらっては困る。中には身に
つくこともあるだろうし、身につかないこともあるでしょう。
常に「管理」された状況に置かれ続けるとも限らないことも、忘れてもらっては困る。むしろ、
手放された後の方が、よっぽど危険。

それから、どんなに状況を説明され場慣れしても、感覚や運動の統合機能・調整機能の障害まで
が克服されるわけではないということ。
例えば、目の不自由な方のために音の鳴る交差点などで、あっちこっちから少しずつ位相のズレ
た音が聞こえてくると、ひどく混乱することがある。最近ではいつもではなく、たいていは体調
が悪いか精神状態が悪い時にだけれど、右から音が聞こえるとその音に同化して体が右に引っ張
られ、左から音が聞こえるとその音に同化して体が左に引っ張られる感じがして、体がバラバラ
になってしまいそうになる。
確かに、そこの交差点はそういう場所で、音源の位置などを確認すれば不安は減るし、次に来る
時には学習効果で平気にはなるだろう。でも、やっぱり、時々↑のように状態になることがある
のには、何の変わりもない。
これも、忘れられては困ること。
[2002年4月19日 11時48分20秒]

テーマ: しかも。   
対人恐怖に陥ると、「まわりじゅうが敵に見えて、恐い。」と言うそうだ。

そうではなく、「自分とまわりじゅうを敵と思い込んで、闘っていた。」のだった。しかし、そ
のことを主張することもなかった。すべてが「自分の思い込みの中」の出来事だった。
[2002年4月16日 21時48分1秒]

テーマ: どうやら…。   
ワタシが家で行った、「対人関係障害を悪化させないための愛着形成」「集団への馴化」「学習
と行動の個別対応」というのは、本来ならば学校や療育機関で行うべきものなのだ。
ただし、それは医療・教育のフォローが全くない状況でやったことだ。それに、子どもの障害レ
ベルにもいろいろある。ウチの場合は、普通学級在籍で、個別対応・ソーシャルスキルトレーニ
ングの必要アリのレベルの一例に過ぎない。これは、汎化できるものではないし、汎化するつも
りもないし、汎化するのはワタシの仕事ではない。

だから、どの「家庭」でもこのようにすべきだという意味で書いているわけではない。それに、
今や日本中のあちらこちらで、専門家の先生が「方法論」を確立して就労への道を開いてくれて
いるので、利用できる資源のある人は利用すればいいと思う。

   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

しかし、リクルートスーツに身をかためて、群れをなして歩いている人たちの方が、よっぽどお
かしいと思う。あれを目指してすべての人が教育される社会なんて、絶対におかしい!

そもそも、これだけのことに気づき言えるようになるために、何年かかったことか!
そして、これだけのことができない自分をとことん否定して、やせガエルのようにぴょんぴょん
跳ねていたなんて!
『用事はできる。
 用件は話せる。
 身の回りのことと個人的なことは話しかけないで下さい。』
[2002年4月16日 21時42分8秒]

テーマ: 「診断基準」が変わっても…。   
たとえ、どんな風に「診断基準(診断カテゴリー)」が変わっても、認知・係わり・注意・行動
抑制に何らかの特異性がある人はいるのだし、そういう子どもも必ず生まれて来る。
例えば、いろんなことを“教えたい”専門家にとっては、自力で工夫したり自助努力のできる
“教え甲斐のない”人は、基準から外したいだろう。明らかな不適応行動があって、治療の対象
となる人(カルテに書ける人)だけを相手にしたい専門家もいるだろうし、統計調査が好きな専
門家もいるだろう。
あちらの勝手な都合で、ああだこうだ議論したり権力闘争をしているようです。まあ、皆さんに
とっては“研究対象”であり“メシの糧”かも知れませんが、こちらは“生きている”ので…。
そこのところを忘れないように、お願いしたいものです。
[2002年4月14日 21時54分34秒]

テーマ: 脳ミソのしわを、   
「音」で埋めたくなる時。「音楽」も「音」だが、「言葉」も「音」だったりする。
[2002年4月13日 23時24分27秒]

テーマ: 「混在するゾーン」は苦手です。   
いろんな用事がたくさん重なっているのに、「予定」と「決まり」が変更できない。
こういう「混在」や、何していいかわからない「不明」なゾーンは、パニックの素。

どうしても動かせない“時間の決まっている用事”なら、「時計」という目に見える指示がある
し、指定された場所へ物理的に移動しなければならないのだから、切り換えざるを得ないと思う
のだが…。
それができるのは、日常や義務という「無価値モード」で、ただの「時間」とただの「場所」に
いる時だけ。つまり、一日中、どうでもいいことばかり起きて、ただ時間割を消化しているだけ
の時。
イザ「こだわり」にかかわり始めると、時間に「色」がついて、「価値」という歪みが生じてし
まう。一度にできることはたった一つになる。他のことは、まるで存在しないかのようになって
しまう。

待てよ!
生活自立を目指し、行動変容するだけの指導で成果が上がるのは、徹底的に「無価値モード」に
押し込めることに成功しただけではないのか!?
ひとたび「価値・こだわり」の世界の虜になってしまうと、現実的には無用の長物に成り下がっ
てしまうとはいえ、それこそが生きる力の源なのだ。
ただ単に何かと何かかぶつかっているだけなら「混乱」だが、そうではなく、「無価値」と「価
値」が「混在」する状況に置かれると、情けないほど脆くなる。
[2002年4月13日 23時21分35秒]

テーマ: 薬との格闘。   
風邪で二日休んで、さあ学校へ!
と思ったら、昨日は朝の薬でつまずいて、結局、長男は、中学へははじめての「遅刻」して行っ
た。

「今日から通常通り登校」のはずが、大嫌いな薬の苦さに焦点が当たってしまって、昨日は久々
のパニックだった。
「校門指導に引っ掛らないように・遅刻しないで、学校に行かなければならない」という命題
と、「学校に間に合うように薬を飲まなければならない」という命題が同時に頭にあって、収拾
が全くつかなくなってしまったようだ。しかも、その「苦さ」は、“ぶどう味のグミ”で消せる
と計算していたのだが、実際には“特定の形状チョコレート”でないと消せなかったという大誤
算も加わって、大騒ぎ。
まあ、「風邪で二日休んだ後で、今日は遅刻」というのは、事前に学校に連絡してあれば「社会
的にアリ」だと納得して、「薬」の苦味を消す手段がわかって落ち着いたところで、出掛けて行
った。

今日新たに、その苦みは、100均ショップで買った呼び鈴の音やタイマーのカチカチ音に「注
意」の焦点を当てることで、消えることがわかった。←どちらも、「タイムリミット」お知らせ
グッズとして買ったもの。
せっかくわかったのに、今日で飲み終わりになりました(ちゃんちゃん!)。

ついでに、「大人になって一人で生活するようになった時、今みたいな鼻の症状が長く続いた
ら、耳鼻科に行かなければいけない。蓄膿症がぶり返しているかもしれないから。」と言った
ら、「うん、耳鼻科に行く道、覚えてるから一人で行ける。」だって。
あのな〜、そーゆー意味じゃなくって、特定の「○○耳鼻科」に行けというのではなくて、どこ
でもいいから耳鼻科の病院にかかりなさい!っつーこと。
[2002年4月13日 22時39分28秒]

テーマ: 心構え。   
慣れれば慣れるほど、これを忘れてもらっては困ります。
「知っている」⇒何を、知っているのだろう?
「分かっている」⇒何を、分かっているのだろう?
それは、“手なずけ方”と、どう違うのだろう!?


「心構え」と言えば、今日、中学の新担任との正式な打ち合わせが終了。ひきつっていた長男の
顔に、笑顔が戻った。(風邪を引いたのは緊張のせいではないかと、先生も心配していた。)
去年から、或る教科の担当として知っている先生なので、そもそもの“障害”や“用語”の解説
は抜きにして、「外見上ちゃんとやれているけれど、それは中学という比較的構造化された環境
に慣れているだけ」で、“記憶”“実行”“注意”の障害を時々チラチラと垣間見せることがあ
ると説明した。
その時には、叱らずに教えるようにして欲しいと要望したら、「他の生徒が一番たるみやすい時
期なため、クラス全体に対しては普通の理由で“しっかりする”ように指導はするけれど、障害
のために“できない”ことはきちんとわきまえた個別の声かけをしてくれる」とのこと。
“先生との間に努力目標を決め、達成したら先生からのサインをもらう”方式で、家でやってい
る“自己申告”にタイアップすることも採用となった。
「無理をしているかどうかの判断はつきますか?」と聞かれたので、まず「顔に出る」、次に
「お腹が痛いと言い出したり、明らかに何かありそうな行動をする」、それから去年あった実例
を交えて「尋常でなく多弁になる」こともあると話した。そうなったら、「とりあえずその場か
ら移動させ、不安要因を聞き出して落ち着かせる」こともお願いした。
まあ、「心構え」はできたけれど、後は先生と本人とのお付き合い。さて、どうなることやら。
[2002年4月11日 22時48分45秒]

テーマ: 学習塾の勧誘???   
最近、あちらこちらで密かに行って来たここ二十年来の研究成果がまとまり始めた。
研究が進んだら、暮らし良くなるはずだと思っていたら、どうもそうではないらしい。
何だか、「ウチの塾に入れば、成績がアップしますよ!」と勧誘する学習塾や「あのクラブに入
会すれば、シツケをしてくれるし礼儀正しくなる!」と定評のあるスポーツ団と、大差ないよう
に思ってしまう。
(入会しない人、お金がない人、毎日の送り迎えと練習試合時に相手チームの接待ができない人
は、一切面倒見ませんよ! と、言われているみたいだ。)

どんな障害・どんな個性を持っていようと受け容れてくれる場があり、安心して暮らせる世の中
は、やってきませんでした。
[2002年4月11日 18時41分37秒]

テーマ: 縦軸と横軸を繋ぐ方法。   
縦軸というのは、自閉症の認知・感情・人との係わり方を踏まえた、独特な発達過程。
横軸というのは、不適応を起こさないための最大限の努力を、それぞれの発達段階に応じて行う
こと。(介助の仕方も、個別指導⇒集団指導/支援⇒自立 というように変わっていく)

例えば、TEACCHの手法やLDの教育法などを活用すれば、言葉・学習・認知面での問題をカバ
ーしコミュニケーションを円滑にすることが可能になり、それ相応の指導はできる。
しかし、自閉症児もやっぱり生活史・自分史を持ち、心理面の成長・発達もある。だから、自閉
症児・者に係わることは、普通以上に「人との係わり方」に直結しているという危機感を持って
欲しいものだ。

まあ、ここでも「教える」と「育つ」の両方があるのだけれど…。どんな立派な理論でも、この
国の敷居をまたいだ瞬間、せっせっせっせっと教えようとする方向に走り始めるようだ。
しかも、採算が合わない狭い市場。あっちこっちの研究成果が公表される度に、やっぱり滅入
る、今日この頃。
[2002年4月11日 15時38分31秒]

テーマ: 新学年(中学編)。   
どうやら、中学の方は、前担任と新担任との間に申し送りがなかったようだ。教室内では、他の
子どもの方に手を焼くことが多く、あまり問題がないという観方のようだ。(現在の中学では、
ASの子どもの、真面目で筋が通っているところが、逆に好評だったりするし…。)
ただ、気にしているのは本人の方。「ちゃんと説明してあるか」「わかってくれそうな人か」
「提出物と持ち物のチェックはうるさいか」、とてもとても心配している。

今日は、学校でPTAの委員会があったので、早めに行って「児童調査表」を私ながら、ざっと
説明して来た。明日の放課後にちゃんと打ち合わせをすることになっているのだが、とにかく早
く新担任と私が会って、安心させないと本人が落ち着かない。
で、明日は、今一番の問題となっている「実行能力(企画・見通しが立てられない)の障害」と
「注意の転動による遂行能力障害」について、『高次脳機能障害』の本を使って説明する予定。
(何故かって、この本の説明が一番解かりやすいから。←使えるものは、何でも使う。)


※一方、家に帰ると、もうとっくに寝ていなければならないはずの次男がまだ起きていた。
 解かってくれる人には、キラキラ目を輝かせニコニコしながら、熱弁を振るう。
 解かってくれない人には、徹底的に反抗し、怒られるとますます逆らう。
 ADHDの二つの可能性を見た。なにしろ、「敵は本能寺」だから。
[2002年4月10日 22時42分52秒]

テーマ: 新学年。   
昨日、小学校の新担任の先生と打ち合わせをした。
で、主な話題になったのは、ウチの次男のことではなかった。だいたい、全体的に、こういう問
題があるとのこと。
○落ち着きのない子が多い。
○注意に問題がありそうな子や、持ち物管理のできない子が多い。
○集団行動ができない子が多い。
○着替えをいやがる子がいる。
○漢字よりも、ひらがな・カタカナにつまずく。
○漢字の書き順を覚えない子が多い。
○文をしっかり読まなかったり、ケアレスミスをする子が多い。
○テストの時に、一人ではできない子が多い。

確かに、中には、未診断だけれど発達障害のありそうな子どももいる。けれど、それほどではな
いが認知・注意・行動抑制などの問題があると観た方が良いし、実際、そういう観点から対応す
ると上手く行く子はたくさんいる。(先生方も、「どうしてだろう???」と頭をひねってい
る。)

ただし、書き順については、最初にいちおう教えるけれどテストに出ないし、先生方もあまりう
るさく言わない。むしろ、父兄がこだわっていることが多いそうだ。
まあ、ニンゲンの子どもの学力には、普遍的な決まりがあるわけではなくその時代の要請に従っ
て変わって行くのに、親の方がかつて自分が受けた教育のイメージから離れられないということ
でしょう。

誰の目にも明らかで始めからそういう子どもとしての対応を受けて来た子の方が、しっかりケア
されていてちゃんとやっている部分があなりあって、本当の境界線上にいる子の方がたいへんだ
ったりする。
でも、健診がほとんどザル、発達障害の診断機関が全くなく、地域を挙げてこういうことに取り
組んでいない場所だと、全く何の予備知識もない親御さんにそれとなくほのめかすことすら危険
なので・・・。
[2002年4月10日 16時27分27秒]

テーマ: 一見、同じトラブルですが…。   
【AS:長男】
 いつもいつも服をダラ〜ッと着ている(シャツがはみ出したりパンツが見えているだけではな
く、肩の線が合っていなかったり斜めになったり…)けれど、本人は全く気がついていなかっ
た。小学校低学年までは、「シャツを入れなさい」ぐらいの指示は理解できたけれど、服の形が
崩れていることは言われても解からなかったため、私が直していた。
 そういう服の着方をしていることは、一般的には「恥ずかしいこと」と呼ばれていると教えた
のは、中学年。「恥かしい・みっともない」とトモダチに言われることを気にするようになった
のは、高学年。中学生になった今は、自分では管理しきれていないけれど、トモダチに言われる
ことを非常に嫌がって気にしている(管理能力が追いついていないだけ)。


【ADHD:次男】
 「注意」が散漫なのと過集中のために、服にまで神経が回っていない感じだった。最初に、服
のことを指摘された時には怒ったが、私が教えるまでもなく「恥かしいのはイヤだ」と言ってい
た。ただ、元々人に何かを言われることがイヤで、自分で気にしていない服装のことを言われる
のはもっとイヤなので、怒ったようだ。
 中学年になった今は、「注意」や「衝動性」がらみの要因から、服にまで神経が回らないこと
が多いのは変わらない。けれど、「この服を着るとシャツが出る」ことを覚えていて、「この服
は着ない」と頑固に主張するようになっている。
[2002年4月8日 9時29分35秒]

テーマ: 新学年の課題。   
【長男】
○奇声を発することを止めろ、とは言わない。ただ、周りに迷惑をかけない程度の声の大きさに
 することと、状況を考えること。言われて止められればよい。
○興奮していることを指摘された時に、言われて止められればよい。→興奮している状態を、
 自分で覚える方向にもっていく。
○休みになった土曜日を利用して、本当に必要な学習(中学の勉強とは限らない基礎学習&自分
 の得意科目)をすること。

【次男】
○興奮のコントロール。
○挑発しない・挑発に乗らない。
○汚い言葉を使わない。
○学習障害の程度に見合った勉強。障害の軽い分野は、そろそろ学年相応にする。
○持ち物管理はまだできなくてもよいが、少なくとも物を壊さない。


※↓では滅入ったものの、内山先生の下記の本と梅永先生の『LD(学習障害)の人の就労ハン
 ドブック』は、自閉の程度が軽くてLDとADHDの部分が重篤な長男の為の参考書としては
 最適。
[2002年4月7日 17時7分28秒]

テーマ: 内山先生の最新刊。   
『高機能自閉症・アスペルガー症候群入門−正しい理解と対応のために』

こういう、軽度の自閉症についてちゃんと書いてくれた本は、今までなかった。LDとして紹介
されることがほとんどだった子どもたちのことが、高機能自閉症として描かれている。そういう
意味では、かなり画期的なことだ!

ただ、後半部分は学校の教諭が執筆しているので、こんな風に「いかにも会社に就職できそうな
方向付け」をされたら、「誰も彼もサラリーマン化してしまう」ような気がして、滅入ってしま
った。
まあ、自閉の程度が軽くLDに近い状態の子どもたちを取り上げているので、そうなってしまう
んだろうなぁと納得したけれど…。(行動の問題はワタシより派手だったりするけれど、随分と
違う動機を持って生きている人たちなんだなぁ、と思うしかない。)
[2002年4月7日 14時59分16秒]

テーマ: 視覚刺激。   
自閉症児が「目に入ったものを凝視してしまう」のは、一種の視覚的な過敏反応なので止めさせ
るべき、とモノの本に書いてあった。

でも、ワタシからこれを取り上げられてしまったら、身の置き所がなくなってしまう。人と居る
時には、それで何とか精神的な安定を保っているというのに…。

せめて、「授業中は」というような限定つきで「やめさせるぺき」と書いて欲しかった。



新年度に入って、前年度までの経過説明やら今年度の活動方針の打ち合わせやらがあるのは毎度
のこと。でも、今年のメンバーは、あっちこっちに何かを要求したいらしい。
その会合が今夜あるので、過緊張状態。こんな時は、何を読んでも自分を責める材料になってし
まう。それで、また罪が深くなる。
[2002年4月7日 11時1分58秒]

テーマ: 得たもの。   
人が最も「共感」するのは、「共感できない」人を批難する時。

だとしたら、ただ虚しいだけ。
[2002年4月7日 10時52分19秒]

テーマ: はじめてのストレス体験。   
今までは、何が・どう・苦痛なのか判らずに、漠然と鬱・癇癪・身体症状に転換していた。
それが、ハッキリと、何に対して・どうイヤなのかが判るようになった。

これまでは、ただ壁を叩いたりしていただけだったが、対象(ストレッサー)に対する不満を言
葉にして(怒鳴り)ながら叩けるようになった。でも、相手に対して文句を言ったり、何かを要
求したりできるわけではない。(注:文字に対する返答はできるので、メールでの遣り取りなら
ば今までもできていた)。従って、実際に居る人間たちに対しては何の主張や訴えもしないの
で、現状に変化は起きない。

いいや、実は、ワタシは今までもものすごく饒舌にしゃべっていた。でも、それは、現実社会に
暮らす人たちにとっては何の役にも立たず、どちらかというと聞きたくもないような単なる知
識・論理でしかなかった。彼等には、そんなことはどうでもよかったのだった。
それよりも、好きなプロ野球球団の選手や成績のこと・スターのスタイルやファッションのこと
とそれへの憧れ・アイドルの可愛いさやセクシーなこと…、それから自分の感情を受け留めても
らえること。
ところが、ワタシはそんな話題には乗らないし、みんなが楽しく観ているテレビ番組が(フラッ
シュバックや同化が起きてしまうため)苦痛で仕方ないし、共感を求めるような話しかけには応
えない。だって、まずは共感するものが無い。そして、感情を受け留めたくて話しかけているな
んて思いも及ばないし、何かのキーワードをキッカケに演説を始めてしまう。

「共感」を求めて接近して来た人に「知識」で応えてしまうのは、きっと、無差別殺人と同じく
らいの大罪なのだろう。

アスペの人たちだろうとそうでない人だろうと、みんなは「共感」を求めて会話し集うことがで
きている。ワタシは、いつまで経っても「言葉」や「文字」とのタテ方向の契約関係しか持てな
い。このままずっと、大悪人。
[2002年4月7日 10時35分14秒]

テーマ: 果たして、これは幸せなことだろうか?   
1、人と人との「言葉」の遣り取りを見ていて、「人は、こんな風に、人と共感しているのか」
  と、わかるようになったこと。
2、通り一遍に「ありがとう」とお礼の挨拶を述べることはできるのだが、その後に「わぁ、
  おいしそう」「わぁ、うれしい」という相手の気持ちに対する真のお礼をして、始めてお礼
  の言葉がお礼の意味を持つのだと、わかるようになったこと。
3、人間という動物は、自分が何かの役に立っていると実感できることがとても重要で、自分が
  切り出した話を聞いてもらえることが必要な生き物だということが、今頃になってわかった
  こと。
4、さっきかかって来た電話で、「これまでの経緯を説明して欲しい」と言われたので、私の知
  っていることを述べたら、実は相手が聞きたがっていたのは「これまでの○○との間の経
  緯」だったのに、私は「そもそものいきさつ」から話していた。つまり、話し終わりの結論
  が、相手が始めに聞こうとしていたことだった。
  私は、「相手が知っている範囲」がどの程度のものか全く忘れて、「自分が知っているこ
  と」を言ってしまった。・・・もしかして、心の理論(誤信念課題)。

こういうことがわかるようになってしまったことが、果たして幸せと言えるのだろうか?
[2002年4月6日 22時54分4秒]

テーマ: 療育とは何か。   
「治療教育」なんて言うと、「無理矢理強制して直してしまうことだ」と思うかもしれない。
「最終的に本人が困らない程度に行動修正する」ことではなく、「とにかく普通にする」ことを
目標にすると思うかもしれない。
そんなことは一切不要で、あるがままの自閉症のままで受け入れるべきだという考えもあるだろ
う。

どちらにしても、周囲の人たちは「自分たちと同じになることが幸せ」と押し付け、一方では本
人に「自分の状態についての自覚が無いままに、いろいろなことをされ続ける」ためにすれ違っ
ていることが、とっても多いような気がする。

目標をどのように設定しようとも、そこのところのズレが大きかったら意味がないかもしれな
い。(本人の主観にどのような印象が残るかによっても、随分と違うだろう。)
[2002年4月3日 14時12分3秒]

テーマ: 教育関係の専門家???   
そういえば、病院の売店で゛某月刊誌の子育て特集゛を立ち読みしたことを思い出した。その時
は、あまりにもバカバカしくてどうでもいいと思ったのだけれど、やっぱり書いておくべきだ。

或る教育関係者(評論家だか教員だか何だったか忘れた、と言うより、見てない)が、養護学校
を訪れた時、自傷&癇癪を起こしている子どもがいたそうだ。養護学校の職員によると、その子
は他の物分りの良い子よりも知能が高いとのこと。それで、こう思ったのだとさ。「知能の高い
低いではなく、家庭の躾だ!」と。

あのな〜! その子の障害が何であるかは知らないけれど、自傷&癇癪を起こすのは躾が悪いせ
いではありません!(どちらかというと、こういう障害を持った子どもに、自傷&癇癪を起こさ
せるような環境しか提供できないこの国全体のシツケが悪いのです!)

教育関係の専門家が、こんな認識しか持っていないのでは困ります!
[2002年4月1日 16時46分54秒]

※本人以外の書き込みはできません。
テーマ



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