記事タイトル:2002年1月の「日記」 


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テーマ: 弁護人の役回り。   
かつて、子どもの頃に自分がさんざんやっていたことを、自分の息子がやっている。
今では、それが「いけないこと(社会的に好ましくないこと)」であることも判っている。
でも、「どうしてそういうことをするのか(どういう気持ちでやっているのか)」も知ってい
る。また、他の発達障害の子どもも見たし、それに関係する本も読んだ。

この、“弁護人”という立場は、或る意味では「受容」のための方便なのだ。
でも、それをやり通すには、かなり強いキャラクターが必要で、現実的な反応を忘れている必要
もある。(なにしろ、自分自身が、この“封印”をとくのにガタガタ震えた上に一週間寝込んだ
ほど。)

なにはともあれ、息子たちに感謝!
[2002年1月31日 16時1分28秒]

テーマ: 必要な施設。   
自閉症協会の「協会ニュース」で紹介された、ある“生活支援”施設。一人一人に応じたスケジ
ュール・それぞれのコミュニケーションレベルに合わせた指示書・自分を取り戻すための休憩ル
ーム・社会参加したい欲求を満たすこと…。これは、高機能でも必要な配慮。(ただし、一人一
人が満足できる仕事を見つけることが、難しくなってくると思う。)

今は、医学上は便宜的な区切りに過ぎないIQ70が、行政上の壁になっている。でも、DS
M−4にも書かれているように、IQが70以下であることと「意志伝達」「自己管理」「家庭
生活」「社会的/対人的技能」「地域社会資源の利用」「自律性」「発揮される学習能力」「仕
事」「余暇」「健康」「安全」のいずれかに適応(その文化圏でその年齢に対して期待される基準に
適合する有能さ)するための困難があることとは、必ずしも一致しない。
自閉症やADHDの人たちが社会適応できないのは、IQの高さとは関係がない。
[2002年1月31日 9時22分6秒]

テーマ: 軌道修正。   
「同じ診断が下った者同士なら仲間になれる!」と、始めは思う。
でも、話が合うのは{同じ経験をしている・趣味興味が合う・立場が同じ・心境がわかる}から
であって、「診断名」の問題ではない。

そして、一番重要なのは{仕事があるか・やることがあるか・自分を受け留めてくれる人がいる
か・安心できる居場所があるか・恐怖対象や不安を喚起するモノに暴露されていないか}という
こと。総じて、今現在、活き活きしているかどうか。
[2002年1月31日 7時42分0秒]

テーマ: おかしな感じ。   
ワタシは、躁鬱合併型のアスペで普段の状態が鬱。小学校三年生の時すでに、風邪を引いたとき
に「このまま死ぬんだ」と思ったのを覚えている。でも、これがワタシの常態だった。
それで、躁になると「いけないことをしている」と感じて自己否定し始める癖がある。人がいる
と躁状態になる傾向があるため、どんなにどん底の鬱の時でも何か聞かれれば平然と答えるし、
逆に極端にハイになってしまうこともある。それが、人が目の前に現れると躁になるということ
もあれば、気分変調の周期もあるので、どっちなんだか識別できない。

最近になって、どっちも“おかしい”異常なことだと知った。それで、自分の状態をモニターし
てもらうようになった。
[2002年1月30日 8時9分45秒]

テーマ: 一つ↓の続き。   
「何もない」ことにしたり「何も考えない」ようにすると、精神にも身体にも不健康なので、
“石”だと思うことにした。
石ならば、そこにあるという事実を消すことにはならない。つまづきゃ転ぶし、当たれば痛い。
[2002年1月29日 20時56分39秒]

テーマ: 制限付き許可。   
「社会」に入れなかった時には、「あんなところは御免だ!」と思いつつも「このままだと行き
止まるのは目に見えているから、生きるためにはいつかは入らなければならない!」と思ってい
た。
でも、「社会」に入ってしまった今では、「こんなところに来なければ良かった!」と思ってい
る。

私が、子どもたちに「ここに来るな!」と叫ぶのは、「こういう入り方をするな!」と伝えたい
から。途中で△から▽というような極端な方向修正をしなくていいように、始めから◇の形にし
て「自閉症」でいながら「社会」との接点を保ち続けられるようにしたい。それが、“制限付き
許可”の真意。
[2002年1月29日 8時52分11秒]

テーマ: 循環。   
過去の「恐かったこと」「しなくてよかったこと」に、いつまでも囚われているのはウンザリな
ので、何も感じない・何も考えないことで“今日”を乗り切ったつもりだった。
そうしたら、突然の胃痛(と言うより、胃上部の筋肉の過収縮)!←これは、パソコンショップ
に転がり込む前、身体症状への転換が一番ひどかった時には毎日起こっていたものだった。

どうやら、精神症状か身体症状かという二者択一は避けられないようだ。そりゃあ、すべての出
来事には「人」が絡んでいるはずなのに、確かに誰がどうしたという経過や記憶がしっかりとあ
るのに…。
その、「人」に対する愛憎の感情が欠落しているので、自分のした行動に対して「好きだから仕
方がない」とも思えず、相手の行動に対して「こういうことをした人が憎い」とも思えないのだ
から、いつまでたってもただの記憶のまま保存される。しかも、そこに留まったまま出られない
わけだから、永遠に続くわけだ。
[2002年1月28日 22時27分26秒]

テーマ: 喪失。   
「欠落」だけで「喪失」のなかった時期。
「積極奇異型」で「受動型」になる前の孤立期。
「社会」との接点がなく「引きこもり」をしていた時期。

「診断」がつくのなら、その前にして欲しかった。

そうすれば、「高機能自閉症の本人」という、一つの社会的なステータスにはまっていられたの
にね! そして、社会との係わりを持つことに希望を抱いて、「これから何かができる」という
夢も持てたのに!・・・結局、つきつれられたのは、「社会的な無」という現実。
[2002年1月28日 17時52分35秒]

テーマ: 欠落。   
「人の期待に応えたい」という動機以前の問題で、そもそも人に対する意識が欠落している。
早期発見・早期療育でなくても、発達障害がどういう障害なのか知っているだけで、対人関係障
害をこじらせない(二次障害を発生させない)ことはできると思う。
ただし、自閉症の場合は、認識している世界や感覚が違うため{共感する⇔共感される}機会を
得られないし、{人を意識し・人に関心を持ち・人に気に入られたい・人に認められたい}とい
う動機の元となる感情を持ちそれを正当な方法で表出するところに障害があるので、「意識の中
に“自分を認めてくれる大切な人”を認知するプログラムをインストールする必要がある。

そのプログラムがインストールされていないのは、ネットワークドライブがないパソコンと同じ
ようなもの。そういうパソコンは、ネットワークとドライブを割り当てられても使えない。
ドライブを割り当てられてもはまったことがないし、ドライブの割り当てがないことにも慣れて
いる。それで、そこにはまろうともせず、うまくはまれないことに悔しさを感じることもなく、
ネットワークの存在の認識そのものを一瞬にして消去してしまう。
[2002年1月28日 12時50分8秒]

テーマ: 解放。   
診断が下ったことで引き受けなければならない「事実」は、たくさんある。
今まで封印していた自分自身の感覚や感情を解放した時は、本当に恐くて震えた。自分のしてき
たことの意味がわかった時、何故か分からないけれどなんとなく気になっていたモノは腑に落ち
て納得した。けれど、自分で学習して「こだわり」にしてしまっていたことが、普通はしないこ
とだったりだまされていたのだと知った時、悔しさとか怒りを感じてしまった。
でも、こんなところに留まっているのは、その間(完全受動型になってしまっていた間)に係わ
りを持ってしまった人たちに拘束されているのと同じで、ワタシラシクナイ!
・・・そろそろ、その呪縛を解きたい。
しかし、だからといって元に戻りはしない。何故なら、今はちゃんと、「世の中」との間に窓口
があって、受付に人がいるから。そして、そこで、入場整理券を渡してもらえるから。
[2002年1月27日 8時53分57秒]

テーマ: どうやって、見分ける?   
お中元・お歳暮・冠婚葬祭などの、社会的な決まりでモノを遣り取りすることは学習できる。
しかし、日常的なモノの遣り取りは、単なる物の移動ではない。食材や「もてなし」の遣り取り
となると、単に「食」の問題ではない。そこに「気持ち」が乗っかっているので、通じなかった
時に「怒り」という感情が返されて来る。青天の霹靂!

ワタシには順序固執があり、常に分類・序列化することを趣味にしている。そこから外れると、
どんなに価値がある物でもどんどん人にあげてしまった。それに、誰かが「○○が好きだ」と言
っているのを小耳に挟んだりすると、その言葉に反応して○○を集めてあげたりもした。
こういう時には、「気持ちがうれしい」と言ったり、お礼やお返しに気を使ってくれる人より
も、黙って受け取ってくれる人の方がよっぽどありがたい。でも、その相手が、{本当の同好者
なのか、羊の皮をかぶったオオカミなのか}なんてこと、考えもしなかった。
[2002年1月26日 17時37分11秒]

テーマ: 厄介払い。   
自閉症者に職業的に接するのならば、理解を示し心情に共感する必要はあるけれど、気持ちを相
互に通じる必要はない。(仕事上の限られた「場面」で、「仕事」として接するだけでいいか
ら。)

自閉症者と一緒にいられる人が、必ずしも自閉症を理解しているとは限らない。「気持ちが通じ
ない」ことで傷つかないのは、元々が薄情で自分のことしか考えていない人、ということだって
有り得る。
その薄情さは、自閉症者にとっては負担にならないので、冷たく機械的に扱われることの方が楽
だったりする。(その正体がわからなければ、傷つきもしないし恐くもない。)
しかし、「気持ちが通じない」ことで傷ついてしまう人や「打ち解けない」ことを非難・攻撃す
る人が現れた時に、“本当に理解していない人”は社会的な体裁を重んじ世間の側につく。(そ
うなってみて、始めて利用されていたことに気がつく。あとのまつり)
[2002年1月26日 16時22分5秒]

テーマ: 「受動型」の危険。   
『犬夜叉』に登場する琥珀(こはく)は、いわゆるのPTSD。
・・・しかし、実際は一度死んでいるので、それそのものとは言い難い。←マンガだから。

琥珀は、父親・姉・妖怪退治屋の仲間たちを殺してしまったという心的外傷(トラウマ)を想起
しそうになると、頭が割れそうに痛くなって自分自身を守っている。でも、完全に忘れてしまっ
ているわけではないので、無意識のうちに何かが起きていることをうっすらと感じている。
(目の前で夜盗に両親を殺されてしまった“りん”は、口をきけなくなってしまった。)
・・・これは、人間に生来備わっている安全装置なのだろう。

奇異な行動をして誤解されることも心配だけれど、受動的になりすぎると利用される。
その上、こういう安全装置がない。自分では気がつかない、自分からは逃げられない。
で、他の病気になる。必死の抵抗なのだ。すると、利用価値がなくなるから、責められる。
ますます追い詰められる。それを人に訴えもせずに、自分自身を抹殺する。
過敏な感覚を感覚遮断することで、「何も感じない」技術を覚えたように。
[2002年1月26日 11時11分6秒]

テーマ: サバイバル。   
ドナさん、グニラ・ガーランドさん、ウェンディ・ローソンさんは、みなこのサバイバルを抜け
て来た生還者。
しかし、そこから抜け出ていないのに、それが本当は「しなくていいこと」「してはいけないこ
と」だと知ったって、何にもならない。逆に、辛くなるだけだ。

「自分のことを言いたくない!」と突っぱねたのは、防衛反応。どぶにつかったまま出られる見
込みがないから、“どぶに捨てたもの”は無かったことにしたいのだ。
そこでできることといえば、次に来る者がどぶに落ちないように叫ぶことだけ。
(しかも、壊れかけたパソコンに向かって。)
[2002年1月26日 8時25分36秒]

テーマ: 犯罪被害。   
ものの本には、よく「自閉症者は犯罪被害に遭いやすい」と書かれている。

日本の場合には、母性が強いというか・家族で抱え込んでしまうというか・崩壊していない家庭
が多いせいか、どちらかというと「ひきこもり」や社会に出られないことの方が話題になりやす
い。
でも、自分が依存しているのもイヤだったし、社会的な体裁を押しつけられるのもうるさかった
ので、ワタシは自分からそこを出てしまった。
今から思えば、「犯罪被害に遭いやすい」どころではなく、自分から「決して立件できない犯罪
被害者」になったようなものだった。なにしろ、「こういう時は、こうするものだ」と学習した
通りにしてしまうし、言われたことは忠実に守るので…。しかも、感情やプライドという安全弁
がなくて傷つかない代わりに、被害に遭っていることにも気がつかない。
[2002年1月25日 22時11分22秒]

テーマ: 『おもちゃのくにのおうじさま』   
ひまわり
の内田麻菜美さんが、手記とホームページに寄せられた親御さんたちの意見などを本にした。
(最近、こういう本がたくさん出ている。)

あっそうか! 私は「自閉症なら、こういうことをしてあたりまえ」「ADHDなら、これがあ
たりまえ」だと思ってしまう。けれど、それが逆になっている人は、こういう風に「受容」して
いくのか!と、逆に発見してしまった。
[2002年1月25日 14時25分32秒]

テーマ: 一区切り。   
「受容」のための情報提供は、もう良いのではないかと思っている。
どこにも、そういう役目の人が現れているようなので…。

これからの課題は、「受容」後のこと。
[2002年1月24日 18時9分24秒]

テーマ: 次の介助者。   
{社会全体に理解がないこと・日本人の感情に反すること・専門施設がないこと}

これをどうにかしないと、障害を受容した人(親・教師・医師・カウンセラー…)までもひっく
るめて、社会から疎外される。
それから、会話の技術や「場」に応じた振る舞いを学習できても、元の自分に戻る「場」がない
と、どこかで爆発する。それに、未知の局面にぶつかった時に状況を説明する人も要る。しか
も、これが生涯にわたって継続的に必要。
・・・自閉症専門の授産施設では、こういう取り組みが始まっている。でも、それはあまりにも
少ないし、利用できる人も限られている。
[2002年1月24日 8時25分18秒]

テーマ: 次にやること。   
アイデンティティを取り戻したら、次に欲しいのは「仲間」なのか「仕事」なのか?
ひとりじゃないと分かればいいのか/ひとりじゃないと分かった後に一緒に何かしたいのか?

この違いは大きい!
[2002年1月23日 17時42分54秒]

テーマ: 狭山先生に助けてもらえなかった繭子の主張。   
ひとりひとりが、今すぐにでもこの国がひっくり返るほどの大改革が起きることを望んでいるほ
どの“切羽詰った課題”に直面しているというのに、「自分と同じ課題を抱えていない人がい
る」とか「自分と同じことにこだわっていない人がいる」ことを確認してなどいられない。
どんな課題があるかなんてことは分かり切っているのだから、必要なのは課題別の小グループ。
[2002年1月22日 11時58分22秒]

テーマ: 勘違い。   
情報を提供することと、個人的な悩みや野望を書くこととは違う。

「ただ、言う」「ただ、書く」⇔これに「感情」をつけて返される

このトラブルは、決して終わることがない!
[2002年1月22日 9時19分8秒]

テーマ: 誰のためのホスト?   
たかだか数年間、宇宙人のホストをやったからといって、宇宙人の気持ちが分かったつもりにな
られては困ります。

宇宙人は宇宙人同士集まることで、精神的充足が得られると思われても困ります。
ただ、周りじゅう地球人の中に孤立していると息が詰まってくるので、同じ空気を吸いたいだけ
です。そして、自分が宇宙人であることを確認したいだけです。

ただ宇宙人ということでなく、同じ星の人となら会いたいです。それから、同じ感覚を持った人
ということならば、純粋な宇宙人でなくても構わない(ハーフとか、似ている人だっているは
ず…)。

それに、宇宙人が地球で暮らすにはどういう問題があるか統一した見解を出すとしたら、「宇宙
人の存在を知って欲しい」「宇宙人の隣人になって欲しい」ということぐらいでしょ? 
だって、○○星人には「○○という在り方しかできない」という問題があり、△△星人には「△
△という在り方しかできない」という問題があるのに、それを宇宙人同士で言い合ったって仕方
ないでしょ?
それは宇宙人同士で話し合うことじゃなくって、地球人に対して訴えることでしょ!

同じ星の人同士なら県人会のようなもので、積もる話もあるかもしれない。いろんな星の人が、
何かの用事にかこつけて集まって、その中で気の合う人を見つけてこそ、「自助」が始まるとい
うもの!

宇宙人ならではの悩みを話すとか、宇宙人としてのびのびとできる「場」があること、それは、
とっても大事なこと。
けれど、本当の望みは、自分の周囲の地球人との間に風穴を開けること。地球社会の中で、宇宙
人としての仕事と役割を持てること。
[2002年1月20日 16時41分12秒]

テーマ: 二つの問題。   
明らかな自閉症で、躾の問題にされたり悪者扱いされてしまうと、逆の対応を受けてしまうこと
が問題。
ただの“変わり者”“おかしなことを言う人”としか思われていないと、全く何の対応もされな
いことが問題。

自分自身の特性をよく知って、うまく自分と付き合うこと・無理をしないこと・身辺自立に必要
なスキルを身に付けること…。課題は、いくらでもある。
[2002年1月20日 13時28分9秒]

テーマ: 主旨の違い。   
自閉症・ADHD・LDは、早期からの対応と周囲の理解が必要であること。
そのための情報を提供すること。

これがワタシのやっていることの主旨で、現在、そちらの方向の仕事に専念している。(表だっ
た動きをすることだけが、仕事ではない。)

しかし、「そもそも理解できない」とか「理解できても感情が許さない」とか「ひたすら感情的
抵抗がある」というのは、予想の範囲外だった。
[2002年1月20日 8時36分39秒]

テーマ: 一人前でない事の不安。   
数え上げたら、きりがなくなる。で、家にいるのに宅配サービスや通販を目いっぱい利用して
「うしろめさ」を感じなくなっただけでも、随分と楽になった。
『自閉症とアスペルガー症候群』の日本語版序に付け加えられたような例って、いくつもいくつ
もあるんだろうな!?

こういう現状に対して、ワタシのやっていることはあまりにも遠回りだ。今すぐ気の利いた言葉
をかけないからといって、何もしていないとは限らない。でも、確実に前に進んでいることだけ
は、信じたい。
[2002年1月19日 18時16分41秒]

テーマ: 誰のための情報?   
発達障害児の療育は、周囲の大人が障害特性を知って対応するだけで、問題の50%は解決す
る。そのための情報提供をすることと、自分のこととは別のこと。
[2002年1月19日 16時30分20秒]

テーマ: もう一つの戦国時代。   
それぞれが、それぞれのファンタジーを楽しんでいる限りは天国。
そのファンタジーを人に向けて、人が自分と同じことをしない・人が自分の期待通りではないと
言い合うと、戦国。
それぞれのファンタジーの世界を共有できる仲間を求めることと、ファンタジーの世界に生きる
人種であることとは、全く別の問題。奈落の城は、まやかしの城。
[2002年1月18日 17時32分49秒]

テーマ: くっつかない「かけら」。   
「知」は一人でできるので、たいていはこれに偏る。でも、それが世間的な智恵にはならないた
めに、「智」にはなり難い。

「愛」と「勇」がないと一般には思われているけれど、実は人一倍ある。けれど、それは「知」
の範囲内だったり、自分一人の思い込み(「こだわり」)だったりする。
自分なりの「愛」と「勇」(「こだわり」)は、ほとんどの場合、“あてはずれ”で叶うことが
ない。しかも、自分にとっての自然な姿勢を他者に押しつけた場合は、相手にとってはとんでも
ない迷惑になる。

また、「親」はあるように見えても、実は「受」だったりする。

こういう「かけら」同士が集まってその場では無難に過ごしたとしても、見かけ上の「親」が
「受」であることを見破っておかないと、後々問題が起きる。
しかし、お互いに自分の「こだわり」を語っているだけに過ぎないという事実を説明できる人が
一人に一人ずつついていないと、その混乱は終結することがない。
[2002年1月18日 13時39分56秒]

テーマ: 終劇。   
 普通のゲームと違って、プレステ版の『犬夜叉』では、いろんな用語が日本語になっている。
例えば、普通のゲームで「レベル」と言われるものは「位」になっている、というように。「終
劇」というのは「おわり」のことだけれど、エンディングの後だけではなくてゲームオーバーし
た時にもこの字が出る。(一度、珊瑚と闘った時になった。ニセ水神戦は、体力5・気力4残し
て、かろうじて勝った。)

奈落を生んだのは、桔梗だった。奈落を葬ったのも、桔梗だった。
共に、この世にあってはならぬもの。

『四魂』とは、荒魂(あらたま)・和魂(にぎたま)・奇魂(くしたま)・幸魂(さきたま)。
荒魂は「勇」、和魂は「親」、奇魂は「智」、幸魂は「愛」を司る。
この四つがそろうとひとつの霊になり、その霊が肉体に宿ったものが「心」となる。

桔梗が『四魂の玉』を浄化してしまったために、そこからはじき出された邪念が奈落を生んだ。
そこで奈落は、桔梗の心に「恨み」「憎しみ」「悔しさ」生じさせて、玉を汚そうとした。
しかし、桔梗は、自分の欲や情念のために命乞いをすることなく、自分の「心」に生じた邪念と
共に、すべてを抱きかかえて自ら死んだ。

桔梗が玉を浄化すればするほど、はじき出された邪念は集結し、玉を汚そうとする。 
玉を浄化することは、玉自身が保っていたバランスを崩すことだった。そうとは知らずに、浄化
し続けたために、逆に奈落の邪念を増大させてしまった。

バランスを失った魂は、別のアンバランスな魂を生んでしまう。・・・これは教訓!

自分と違う存在・自分と違う在り方をしている存在が、トラブルを起こさずに居られたからとい
って、その集団がうまく行っているとは限らない。それは、ただ外から見て「まるくおさまって
いる」だけかもしれないし、「その場ではトラブルを起こせない」だけかもしれない。
その中で起きている葛藤や心理を無視して「かけら」を集めたところで、その尖った破片同士
で、お互いに傷つけあう。なのに、「かけら」自身は自分が触れたものを傷つけていることには
全く気づいていない。傷ついたのは自分だ、と思っている。
[2002年1月18日 9時5分12秒]

テーマ: 情報の恐さ。   
最も遅れた地域にとって、最先端の情報はほとんど暴力に近い。

まず、知っている人が、知らない人から馬鹿にされる。

そして、実現するまでに何年も待たされる。

その上、つい先日まで鼻で笑っていた肩書きのある人たちが、或る日突然、“いかにも自分がそ
の道の専門家で、何年も前から知っていたかのように振る舞い始める”のを横目で眺めていなけ
ればならない。

しかも、安易な成果を求めようとするために前置きや前提条件を読み飛ばされて、生半可で未消
化のまま実行される危険が、常にある。
[2002年1月17日 7時54分16秒]

テーマ: 罪と罰。   
「感情障害」というのは、普通の感情が亢進するのではなく、「生か死か」という極端な選択を
するために、その間にある微妙な感情の機微を感じなくなってしまう障害なのではないかと思
う。
「極楽トンボが、急転直下、奈落の底に落っこちる」ことに慣れすぎてしまっているので、間に
ある普通の「感情」状態がわからない。だからこそ、極端な言葉を使ってしまう。
・・・この言葉を、普通の「感情」がある人が聞いてしまうと、その人は普通の「感情」状態を
起動してしまう。そうして、ますます爆裂した「感情」を向けてくる。こちらは、ただ「恐い」
だけ。
[2002年1月16日 18時16分33秒]

テーマ: 危険な合併症。   
小学生の頃から鬱症状があって、自分自身に向かって「バカだ!」「死ね!」と言って来た人
に、良いことが起きるはずはありません。
(注:人のことではありません。ワタシのことです。)

自閉症というと、パニック障害合併型ばかりだと思われがちですが、感情障害(鬱病や躁鬱病)
合併型の危うさは、これです。(同情を買うどころか、非難されます。)

でも、このタイプの人は診断されていないことが多いため、「こういう人もいる」と一生懸命に
教えていたら、すっかり悪者になっていました。
[2002年1月16日 17時38分23秒]

テーマ: 反面教師。   
この国には、自閉症と診断された後の行き場がない!

これから成長する子どもたちに“自分と同じ失敗をさせない”ように、必要と思われる事柄を、
こんなところに書きつけるぐらいしか仕事がない。

発達障害による問題行動や症状を抑えるために、小学生に抗精神薬を飲ませることに反対する人
もいるかも知れない。
けれど、そういう行動や症状によって起きる心理的な問題(いわゆる、二次障害)を防ぐために
も、医療的なケアはしておいた方がいいと思う。それは、一生を左右することになるから。
[2002年1月16日 8時3分6秒]

テーマ: 幻の連帯感。   
自閉症の概念に帰属することはあっても、自閉症の人に帰属することはない。
同じ概念を持っていると思われる人とだけ、その概念上で帰属感を感じることができる。
ほとんど、主観的な思い込みにすぎないかもしれない。

それよりも、『犬夜叉』を通してできる会話の方が、よっぽど楽。
[2002年1月15日 17時40分2秒]

テーマ: ゆゆしき問題。   
アスペというのは、{興味関心が特定のことに集中しやすく、理屈っぽくて、人付き合いが苦手
でトモダチのできない人}という社会通念が生まれてしまっているような気がする。

「自閉症」の概念を狭くされてしまうこと、「アスペルガー症候群」の概念を広くされてしまう
こと、そのどちらもが事の本質を見失わせる。

肝心な人に、必要な支援が行き届かなくなってしまう。
[2002年1月15日 8時18分46秒]

テーマ: 自転車事件。   
 「明日の“総合”の授業で自転車が要る」なんてことを、長男が今朝言った。日頃、通学に自
転車を使っていないしあまり乗らないので、小学校時代から使っている小さなサイズの自転車に
乗って行くわけにもいかず、急遽、買うことになった。(本人的には、小さい自転車の方が良い
のだけれど、さすがにそれを中学に持って行くとなると、同級生にからかわれたり不良グループ
にいたずらされる心配がある。)
 急なことで、自転車屋さんに頼んで組み立ててもらうために、大至急サイズ合わせに行くこと
になった。それを長男に言ったら、案の定パニックになりかけた。でも、「明日に間に合わせる
こと」と「そのために、自転車屋さんが組み立ててくれること」を理解できたので、すぐに収拾
した。(これなら、セレネースなしでも大丈夫!)
 ただ、「自分で自転車に乗って行くか?/車で送ってもらうか?」というところで、聞かれた
途端に{帰りの坂道がキツクていや〜!}という想念で頭がいっぱいになって、「行くか・行か
ないか」を答える前に「坂道を登れない!」と答えたところなど、まだ誘導が必要な状態。

 まあ、そこまではすごい成長ぶりなのだけれど、いざ行く時間になって、テレビとコミックか
ら目を離せず、何の準備もできていなかったところ=この「注意」と「実行能力」の障害は、ど
うしようもありましぇ〜ん!

※しかしながら、リタリンなしのADHDが二人いる状況は、ワタシにとっては耐え難い。
 かといって、本人たちが自分との付き合い方を覚えて、随分とコントロールが上手くなってい
 るのに、それだけの理由で薬を飲ませるなどということはしたくない。
[2002年1月14日 11時25分17秒]

テーマ: 結局…。   
どんなところであろうと人が三人以上集まれば、れっきとしたニンゲン社会。
「言語能力」の高い人と「コミュニケーション能力」のある人が、もてはやされる。
自分の体験を上手に言語化できる人・ありありと光景や心情を言葉で描ける人・自分の気持ちを
人に伝えることのできる人・人の気持ちを応えることのできる人が、天下をとる。
[2002年1月13日 10時22分56秒]

テーマ: 外線と内線。   
 「教えてあげなければ」「助けてあげなければ」と思って一生懸命になればなるほど、余計な
お世話でしかない。そういう人は、誰かに向けて話さない方が良いのだろう。
 というわけで、外線を切って内線だけになってしまう時期、不特定多数をやめて一対一でない
と持たなくなる時期が、周期的にやってくる。
[2002年1月13日 8時40分30秒]

テーマ: 自分の中の自分。   
 この、他者に対して語りかけることをやめた「日記」で、私は自分のことをワタシと書いてい
る。このカタカナのワタシは、自分自身を観察する自分なのだ。(それは、以前、自分のことを
「おまえ」と呼んでいた裁判官の私。今は、裁くことをやめたので、観察をナリワイとしてい
る。)
 このワタシは、主観的なことを客観的に分析し、言葉にして書きつけることが好きらしい。と
言うより、いつもいつもこういう言葉が頭の中のスクリーンにとぐろを巻いて邪魔なので、言葉
にすることで外に吐き出さずにはいられないらしいのだ。(ワタシは、声に出して独り言を言う
代わりに、紙に書いては捨てていたというわけだ。声に出してしまうと、その音が耳から入って
「命令」や「指示」になってしまうので、その方が都合が良い。)

 そのワタシが、最近になって発見したことがある。それは、ワタシには、セキュリティ機能が
ちゃんとついていたということだ。そのアラームの内容も、だいたい分かって来た。

○[物理的・身体的にオーバーワークしている時]⇒頭の中でザザーという音がする。
                      (テグレトールからの警告音。)
○[身体的な活動性が高まって、精神的にオーバーワークしている時]⇒まばたきチック
○[人と接近し過ぎたために、回避欲求が生じている時]⇒徳永英明の曲の一部が頭の中で繰り返
                          し再生される。

 皆、それぞれにこういう警戒信号があるのだと思う。自分自身のことは、自閉症に関する様々
な知識を仕入れて、自分のやっていることを客観的に解説してくれる人に出会ってから、やっと
分かった。でも、子どもの様子を客観的に観察していると、自閉症児は精神状態を直に行動に反
映するので、理屈が分かっていればすっごくわかりやすい。(これを知らないと、ただの問題行
動になってしまう!)
[2002年1月12日 16時7分2秒]

テーマ: 主客のズレ。   
長男に注意していることのほとんどは、実は自分もやっていることなのかもしれない。
次男に注意していることの内の多くは、普通の人にとっては自然なことなのかもしれない。

ワタシは、{以前誰かに習ったこと・人に言われたこと・人から聞いたこと}と{発達障害の情
報}を尺度にして、二人の言動の中のASの要素・ADHDの要素に反応している。そして、誰
に対しても同じことをしてしまう。
また、他人のことは外からしか見れない、自分のことは内からしか見れない。それが混じっただ
けで、拒絶反応が起きてしまう。

ワタシは、元々、主観的な体験を言語化して人に伝えることができないタチなのだ。
旅行の感想を聞かれても、「楽しかった」「○○を見た」としか言えない。だから、予め旅行案
内を読んで、{どこへ行ったら・何に感動しなければならないか}決めておく。根拠のある理屈
がないと、{そこにあるモノと同化して一体になってしまう}か{少しでも違和感を感じた異物
から逃げるためにその場を離れてしまう}かのどちらかになってしまうから。
それに、外から眺めることを決め込んでいるところで、主観的な共感を求められると、どうして
いいかわからなくてシャットアウトしてしまう。しまいには、自分でスイッチを切ってシャット
ダウンし、潜伏して復旧を待つしかなくなる。
ましてや、何人もの人が同時に現れるとなると著しく混乱する。そういう時は、自分の取る立場
をどこか一つに決めて、そこから一歩も出ないように固まってしまう。

やっぱり、いつまでたっても一対一がいい。
[2002年1月11日 20時56分2秒]

テーマ: 腕の重さ。   
 テレビゲーム用抱き枕・パソコン用抱き枕、なんてものが発売されている。な〜んだ、ゲーム
やパソコンで腕が疲れたり姿勢が悪くなることって、誰にもあるんだ〜♪
 以前は、ゲームをやる時には、感覚統合訓練用のラージボールの中くらいのに座ったり、腹ば
いになったり、依りかかったりしていたのだけれど、そのボールに穴が開いてからはサイズが合
わないボールしかなくて、使いにくくて困っていたのだった。

 最近は、真空治療器(ツボ吸い)の簡単なのを併用して、筋肉が重力に負けないようにしてい
たけれど、やっぱり姿勢の補助具が必要だと思って、寝具売り場に行ってみた。
 そうしたら、けっこういろいろ出ていて、それぞれの効用まで書いてあった。でも、ゲーム用
とパソコン用の純正品(それぞれ、@3800〜3980/税抜き)を買うのはもったいないの
で、特に何のためともうたわれていない星型ビーズクッション(@1900)を買った。選ぶ時
には、標準的な機能よりも、肌触りとか硬さだとかの方が重要だしね。しかも、暖かくて重宝し
ている。

 本当は、腰用も必要なんだけど、そちらはおあずけ。
[2002年1月11日 14時9分46秒]

テーマ: 発覚。   
春に抜歯手術をする予定の、歯科医が書いた所見を見た。

前にかかった時にワタシが訴えていたことが、“精神症状”と書かれていた。「当たり前のこ
と・どうでもいいことを気にし過ぎて、有り得ない理由を何度も何度も訴える」というようなこ
とを思っているらしいんだな、この歯科医は。
・・・それは、神経の過剰反応による身体症状を端的に言葉にしただけです。

まあ、自閉症の専門医以外の医者って、だいたいこんなものだけどね。それで、ワタシの訴え
を、ものすごく心配して聞いてくれるか、呆れ顔でバカにされるかのどちらか。しかも、後者が
多い。専門外となると精神科医でも同じなんだな、これが。
(主治医の先生には、疾病名の欄に「自閉症」と書いてもらった。それを見て、何て言うか楽し
みだなぁ〜)
[2002年1月10日 22時0分52秒]

テーマ: 普通になる?   
 普通になると言うより、何とか社会で生きていけそうだとかニンゲン界のことが分かったから
大丈夫だと錯覚しただけだった。
 私の場合は(行動障害・学習障害・実行能力障害がないので)、積極奇異型が受動型になった
だけだった。今から思うと、そのこと自体は仕方のない事だけれど、ちゃんと誘導してくれる人
に出会うのが遅すぎた。(ちゃんちゃん!だね、まったく。)

 現在、SSRIは身体感覚の過敏を抑えてくれているし、テグレトールは暴走を止めてくれてい
るし、ソラナックスは自律神経の調整をしてくれているので、随分と楽な冬だ。(鬱病が治った
ことと、身体・精神両面で無理をしなくなったことも、大きい。)
 何よりも、私と長男と次男の三人の不安定期が重なって、一時的に三人とも薬を飲まなければ
ならなかった状況が収拾されたことの方が大きい。学校が始まったけれど、良い行動を「自己申
告」する行動療法が定着したので、長男はセレネースなし(リタリンは必要)、次男はリタリン
なしでやっている。今は、行動の是非の次の段階、衝突しないように個人的に気分を調整するこ
とと、衝突が起きた時に二人の間で意見調整することが課題になっている。

 やっぱり、ソーシャルスキル・トレーニングは、机上の勉強(ウチでは、本の読み聞かせや課
題の書き出し&掲示)に加えて、現場での実地の回数がモノを言う。(学校とタイアップしてい
ることも、大きい。)
[2002年1月10日 8時13分7秒]

テーマ: 毎度のことながら…。   
 欲しいブロックの箱が、二つあった。次男は、ブロックといえば自分のオハコなので、てっき
り両方とも自分の分だと思っていた。ところが、一つ長男に取られてしまった。2つ合わせて合
体するつもりだった次男は、予定通りにいかなかったことに怒り出す。
 合体する時だけ貸してもらえばいいのに、自分のモノになると思っていたのに当てが外れて、
次男はすっかりひねくれている。そして、長男は一部の部品が欲しいだけで、次男に使わせない
なんて思っていないのに、そのことを説明できない。まあ、「貸してもらう」だけでは満足しな
い次男と、貸してあげる気はあるのに「これは自分のものだ」と言い放つだけで次男をなだめよ
うとしない長男。行き違っている気持ちと言葉を、話し合って解決できないこの二人。
 いつまでも不満感のおさまりがつかずに根に持つADHDと、その気持ちを逆なでするような
モノの言い方をしてしまうASとのいさかい。実生活では、よくある話。(次男は、よほど悔し
かったとみえて、寝言でまで言っていた。)
[2002年1月9日 15時2分7秒]

テーマ: アスペの基本感情。   
「不安」と「恐怖」のはずでした。

アスペの子どもたちが、ファンタジーに没頭して極端なことを言うのは、人に向かって宣言して
いるのではなく、それほどの「不安」・それほどの「恐怖」を感じているということです。

RPGのゲームをやったことがある人なら、分かるはずです。RPGのストーリーは、たいて
い世界の破滅をかけての戦いです。このゲームをクリアしないと、世界は「悪」に染まるとか破
壊されるとか、そういう1か0かのギリギリの瀬戸際を進んでいきます。

ごく普通の日常生活なのに、ごく普通の人と人との接触なのに、こんな風に感じているのです。
とても極端な言葉を発しているけれど、普通の人がそういう言葉を用いる場合と同じ「感情」が
こめられているわけではありません。
実体のある相手に対する攻撃ではなく、「不安」や「恐怖」から逃れるための悪あがきなんで
す。それが、時には自分に向かってしまうこともあるし、強迫観念のようになってしまうことも
ある。

アスペの人が言葉を発することの意味は、会話をするためではない。これを読み違えると、対応
を誤ります。
[2002年1月9日 9時49分14秒]

テーマ: 模範文例と基本文例。   
[模範文例]というのは、マニュアル化された日常会話やビジネス文。
     見事にこれにはまっている分には、会話は苦にならない。

     しかし、これから少しでも外れると、全く黙ってしまう。
     それでも、何か言わなければならない時、私は口頭だと、ひとつひとつの単語を引き
     出しながら文章にすることができなくて、どもったりつっかえたりしてしまう。それ
     で、事前に分かっている時は下書きする。できない時は、頭の中に原稿をイメージ化
     してから、一句一句たどりながら話す。     

[基本文例]というのは、思考のための文体で、人を意識していない文章。常々、頭の中でとぐろ
     を巻いている、言葉の数々。
     こうやって文字化しているのは、[基本文例]の方。

     これを、そのまま文字にしたり音声化してしまうのが、アスペのトラブルの原因。
     しかも、それに対して「感情」をひっつけられて返って来ると、完全にお手上げ。

     「しゃべれない」方がよかったと思うのは、こういうところ。
[2002年1月8日 16時6分22秒]

テーマ: チャンネル。   
○受動型の人は、始めから型にはまってしまうので、自分の内部感覚と言葉とが一致しないまま
 で、“良い子”になってしまうかもしれない。しかし、非・自閉症者との間にチャンネルが
 できているとは、限らない。
○積極奇異型の人は、自分からOKを出したものしか受け容れないので、問題児・素直でない・
 ヒネクレ者に見えてしまうかもしれない。しかし、非・自閉症者との間にチャンネルができる
 ことを欲していないわけではない。

 非・自閉症者との間にチャンネルができるのが遅れたからといって、否定的な対人関係が固着
しているとは限らない。
 人との実質的な係わりがなく、コミュニケーションが成立していないことと、自分の周囲の人
たちのすることに鈍感か敏感かということとは、別問題。他者に敏感で、何とかして他者との間
にチャンネルを持とうと苦心する人もいれば、他者に係わられることの全てを否定的に解釈して
しまう人もいる。他者に散々翻弄された後になって、やっとその意味に気づく人もいる。
 否定的な対人関係が固着していなければ、非・自閉症者との間にチャンネルができるのが遅れ
ても、“人”との出会いによって軌道修正することは可能。それが、ドナの手記。
[2002年1月7日 15時25分13秒]

テーマ: 最新情報。   
親と療育関係者にはありがたがられ、当事者には苦痛になる。
ワタシは、何度苦痛に感じても、性懲りもなくまた読んでしまう。
(子どものことだと思えば、何の苦痛も感じない時もある。)

「予想に反した」「ハシゴを外された」回数を数えたら、キリがない。

解説や注釈をつけたくなってしまう場合、相手が専門家ならば堂々と書く。
“似たもの同士”の“差異”は、あって当たり前だとわかってからは、同士討ちの非を悟った。
今、考えているのは、“似たもの同士”が衝突しないで接触する方法。
(そもそも、自分の家の中で、“似たもの同士”3人がひしめきあっている。それこそ、ソーシ
ャルスキル・トレーニングの戦場。)
[2002年1月6日 8時4分23秒]

テーマ: 鈍感の罪。   
 「人は人と係わり合って生きている動物で、人というものは離れたところで眺めているもので
はない。」ことを知ったのが、25才の時だった。
 それから、ずっと自分が感情障害が合併したアスペだったことを知り、社会的存在である普通
の人だったらこういう状況では生きていられるものではないことを知ったのは、去年だった。
 でも、自分のやっていることの社会的意味がわからないから、モニターしてくれるように頼ん
でみたものの、誰もその必要性がわかっていなかった。

 鬱病の治りかけって、本当に危ない。今まで内に向かっていたものが外に向かうようになる
し、考えるだけの元気しかなかったことが行動に出るようになるから。
 今までは人と係わっていなかったので平和だったし、自分を攻撃することで平静を保ってい
た。頭を挙げたら、いっぺんにいろんなものが押し寄せて来た。
[2002年1月5日 12時38分18秒]

テーマ: 憂うつの原因。   
 存在していることが認知され診断が下るようになったからと言って、世の中が変わったわけで
はないし、受け容れ体制が整って向かえてくれるわけでもない。ただ、今まで言えなかったこと
を言う場所ができただけなのだ。(楽しいことが言えるようになったけれど、不満も言えるよう
になった。)
 理解ある保護者のいる子ども・これから成長する子ども・環境を変えることができる人なら
ば、そこから新たに始めることもできよう。けれど、それはほんの一握りの恵まれた人…。
[2002年1月5日 10時22分17秒]

テーマ: >客観的な評価と主観的な感じ方は一致しない   
 実はこれが、とても重要なのだ。(どちらが正しいとか間違っているとかいう問題ではない
し、それで済まされもしない。)
 客観的には、とても簡単に見えることに非常な困難を感じていたり、何でもないことに非常な
苦痛を感じている。なのに、一般的にはとてもタイヘンなことだと思われていることには、何と
も思っていなかったりする。
 この「主観」と「客観」にズレがあることを知らずにいると、とんでもない「感情」が本人の
中で増殖してしまい、それがとんでもない形で表出される。周囲はひたすら驚き、「理解不能」
と言われてしまう。・・・これが、自閉症療育の最終課題と言っても、過言ではない。
[2002年1月5日 10時14分22秒]

テーマ: 憂うつな日が続くのは…。   
「誤診」の問題ではない。「係われない」人同士が「係わる」からだ。
[2002年1月4日 17時24分59秒]

テーマ: やっぱり…。   
「やだねったら、やだね!」と叫びたくなってしまう。
自分と違う人タイプの自閉症を見ると、「あの人は自閉症ではない!」と非難したり、係わり合
った当事者とそれを見ていた当事者の全員がお互いに「いじめだ!」と言い合っている世界っ
て、いったい何ナノ?
ワタシは、何のために一生懸命やって来たのだろうか!?
[2002年1月4日 17時18分45秒]

テーマ: 積み残された課題。   
孤立していることが自閉症で、孤立しなくなったら自閉症は治ったと思っている人たちには、た
くさんの宿題がある。

一見、とても大丈夫そうに見える受動型の人たちは、自分が相当に我慢していることに気づいて
いない。これは、爆弾を抱えているようなものだ。
明らかに問題児の積極奇異型は、表出される行動に惑わされることなく一対一でじっくり向き合
うチャンスを見逃すと、とんでもない結果になる。
自閉症らしくなくなっても、自分自身の身体・神経・実行能力を知って上手に付き合わないと、
とりかえしのつかないことが起こる。
[2002年1月4日 17時7分41秒]

テーマ: 自己申告で分かったこと(長男=AS編)。   
○「良いこと」をたくさんやっているのに、それは「当たり前のことだ」と思ってしまって、 
 「良いこと」をやったという意識を持てない。
○間違いを指摘されたり本当のことを言われると、「いじめ」「からかっている」「バカにして
 いる」と思ってしまう。(ただし、次男が相手の時のみ。しかし、学校で友達にちょっかいを
 出された時には、「遊んでいる」と言っている。この際、客観的な評価と主観的な感じ方は一
 致しないように思える。)
○次男に対して間違いを指摘する時には、その言い方が悪くて怒られたり、いきたりひどく叩い
 て泣かせたり怪我をさせたりしてしまうので、まるで「いじめている」ようになってしまう。

☆ADHDの衝突の原因を貼り出した(昨年12月)ことで、ADHD的な社会的認知の間違い
 には気づくようになった。けれど、自閉による自己認知の障害は、いかんともし難いところが
 ある。
☆信頼関係・上下関係が成立している人に言われたことは、とてもあっさりと受け容れるのに、
 信頼(人に対しての信頼と言うより、その人の言っていることは正しいと確信しているという
 意味の信頼)がなく対等の関係にあると思っている人に何か言われると、ことごとく反発する
 傾向がある。
☆信頼関係があり、生涯を通じて利用できる、専門家・親の会などの公的・私的相談機関がない
 と、誰の意見も聞かなくなってしまうかもしれない。また、人の悪意が読めないので、家族が
 長生きしなければ、とんでもない人を「いいひと」だと思って信奉してしまうかもしれない。
[2002年1月4日 16時59分22秒]

テーマ: 黒の世界。   
ワタシは、基本的に「人はワタシのことを怒っている」と思っている。
自分と違うこと・自分に意見することを、みんな「いじめ」だと思ってしまう人もいる。
“かけはし”のない世界の、本当の恐さを見た。

長男を見ていると、子どもの内に分かっていても、やはり一生に渡って教えてあげる
人が必要だ。・・・しかし、そんな人はいない。結局、同じになるのだろうなあ。
[2002年1月3日 23時52分20秒]

テーマ: 戦国時代にタイムスリップ中!   
 と言っても、何のことはない。プレステの『犬夜叉』をやっている。(注:学校が休みでない
とイベントが長いゲームはできないので、この休みを利用している。)
 ただ、ゲームを始めると、聴覚はBGMで埋めつくされ、視覚はマップで占領され、思考はス
トーリー展開とシステムを読むことに専念するので、他のことをやれなくなってしまう。それ
で、パソコンはしばらくお休みでした。

・・・いや、正直言って、正月に起こることってろくなことが無いので、現実逃避している。
自閉症という価値の世界を知れば知るほど、自分が直面している現実世界の価値の無さが身につ
まされるからねぇ。
 知らないままの方が、幸せだったかもしれない。周産期医学のレベルを、100年前に戻して
欲しいと思うのも、こういう時だ。一体、「命だけ助かったって、人は幸せになれない!」と主
張する医者は、その当時いなかったのだろうか?

 子どもの頃には明らかに自閉症でも、それがうまく活かされる環境にずっと置かれていて、何
かの知識・学問・技術・技能に向かってまっしぐらに進める人の中には、アスペであることは自
分たちにとって当たり前のことであり、就労もでき、世の中とはちょっと違っていることにも気
づかずにいられる人もいるかもしれない。
 自分が人と違っていることに気づかずに、人と同じにしなければならないと思い込んでいるの
なら、そのまま知らないでいれば「苦しむ」こともなかったかもしれない。
 でも、いつか限界が来て、身体か精神のどちらかが壊れることになる。それで、自覚せざるを
得なくなってしまう。途中で知らされるくらいなら、始めから知っているか最後まで知らないで
いるかのどちらかにして欲しいのに…。

 それから、去年は、もう一つの現実を知ってしまった。
 それは、ワタシがいろいろパソコンに書き付けているのは、日頃人に言えないことを書いてい
るのではないのに、「自分の秘密や悩みを人に打ち明けている」「人に向かって助けを求めてい
る」と解釈されていたという事実だった。
 ワタシは何かの「話題」を通して話す分には、何の苦も感じない。いや、何かについての説
明・解説以外のことは、そもそも人に向かって話そうという動機がない。でも、普通、人は人に
向かって語るものであり、書かれた文・話された言葉は人と人との気持ちを媒介する役目を持っ
ていて、「ただ・書く」「ただ・言う」以上のものだった。
 ただ、ワタシはいつも何について書いているのか書かないので、その「話題」や「目的」を知
っている人にしか通じていなかったことに気づいていなかった、ということでもあったのだけれ
ど…。

 まっ、そんなわけで、現在は「殺生丸モード」真っ只中。
[2002年1月3日 19時38分17秒]

※本人以外の書き込みはできません。
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