記事タイトル:2002年9月の「日記」 


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テーマ: ちゃんと分かってくれる人もいる!   
それは、この田舎にではありません。
パソコンの画面の中では、電波に乗ってどこにでも行けます。
信じることのできる人が一人でもいれば、どこででも生きていけます!
                 
                              /以上。
[2002年9月30日 8時7分24秒]

テーマ: ご近所の皆さんへ。   
ここを見ていただいて、けっこうですよ。
そして、もっともっと早くに来て当番の仕事をやっちゃってください。
ワタシは、ここに告発しますから。
[2002年9月30日 8時0分54秒]

テーマ: ↓への注。   
こ〜〜〜〜んなバッカバッカしい、くだらなすぎることで不機嫌になり、貴重な時間を潰してし
まうのは、バカのバカなので、これに書いたことをもって記憶から「消去」する。サヨナラ〜♪
[2002年9月30日 7時59分28秒]

テーマ: 東洋の田舎にモラルはあるのか!?   
たった今、資源リサイクル当番が終わったばかり。いや、本来ならば、今現在が活動のピークに
なる時間帯だ。みんなが、7時という集合時刻を守っていればの話だ。
どうやら、30分も前に来て、始めた人がいるらしい。ワタシが5分前に行った時にはもうする
ことは何もなかった。「もう、終わったよ!」と怒り、その人たちは帰ろうとしていた。

勝手に早く来る人がいる。早く来る人がいるから、みんな早く来る。そして、時間通りに来た人
は「遅刻だから罰金をとろう」などと話をする。こんなバカなことがあるか!!!!!
[2002年9月30日 7時32分56秒]

テーマ: 適応と障害の相関関係。   
DSM−4の除外規定を見ると、いかにも社会不適応を起こした人だけが診断されうるかのよう
な印象を与える。これには、統計調査の基準としての定義付けと、実際に生きている人物像とは
違っていてもいいという面もある。
単に適応できないだけならば「適応障害」だし、生まれつきの障害には「先天性の障害」という
言い方もある。最も、今ではこういう言い方をせずに「脳の機能障害」と言う。
なぜ「発達障害」と言うか?−−なぜ“発達”という単語がついているか? と考えてみる必要
はある。つまり、それが“発達”に、何らかのつまずきや差し障りになっているということ。た
だ言葉が遅れるとか、IQがどうだというだけでもないし、“発達”は幼児期だけのことではな
く生涯にわたるものだということ。
それから、どんなに素晴らしい才能があったとしても、欠落している部分に足を引っ張られた
り、自滅したりしてしまう可能性の方が大きいということ。
[2002年9月28日 21時7分34秒]

テーマ: 『きみも、きっとうまくいく』   
学習障害への対応や学校の協力体制がバッチリでも、日々の子ども同士のトラブルはやはり避け
られない。

小学校の中学年といえば、多動がおさまって、周りの様子も見え始める。ASの長男の場合は、
介入と療育のピークが過ぎて、少しずつ集団生活ができるようになり、学習の方に力点を置ける
ようになった頃だった。その前が、ほとんどつきっきりだったから、一人で集団の中にいられる
ようになっただけで、十分楽になったと感じたとも言える。

ADHDの次男は長男ほど手取り足取りしなくていいからといって、全く手放しでもいられな
い。ぴったりついている必要もないし、クラスの中でそれなりの位置付けをちゃんと確保してい
る。自称、人気者(?←ただ、目立っているだけとも言う)でもある。
でも、最近、学校からふくれっつらをして帰ってきて、ワタシの顔を見たとたんに「ムカツ
ク!」と、今日あった出来事を話すことが多くなった。クラスの子たちとの間のトラブル(←主
に、言葉の行き違いによるもの)もあるけれど、どうやら、登下校時に他の子(未診断ADHD)
にちょっかいを出されたり、いろいろしているらしい。
今日は、今日あったイヤなことをバーッと言った後、ふて寝してしまった。その後、長男といつ
も通り遊んで、すっかり機嫌が戻った。この二人、やはり両方の悪いところがかち合うとすぐに
喧嘩になるのだが、遊びの内容が一緒なので、こういう時のストレス解消にはもってこい。
で、さすがに今日は、絶対に後を引いていると思ったので、寝がけに『きみも、きっとうまくいく』(東京書籍)
の該当するところを一緒に読んだ。はじめから、余分に買ってあったのだが、そろそろいいかな
(読字障害との兼ね合い)と思っていた頃だったので、次男に一冊あげた。にやっと笑って、枕
元に置き、あっという間に眠ってしまった。

そういえば、長男は、『きみならどうする―LDのためのソーシャルスキ
ル』(日本文化科学社)に助けられた。
どんなに早くから介入しても無菌状態のままで純粋培養しているわけではないので、いつか必
ず、まわりにたくさんの子どもがいる中で自分自身の在り方を貫くための「転機」って、やっぱ
り来るんだなぁと、しみじみ思った。
[2002年9月27日 22時35分29秒]

テーマ: 『掃除の達人になる!』   
掃除の達人になることは、ないとは思うが…。
やっと、ワタシのニーズに合う本を見つけた!←“好みに合う”のと”実践する”のは別のこ
と。

『掃除の達人になる!―手早く、スッキリ、きれいに暮らす』(阿部 絢子著)

【目次】
1 掃除嫌いを返上したい(掃除ってなんだろう汚れを知ろう ほか)
2 場所別、小中大掃除(玄関リビング ほか)
3 生活別掃除(掃除プランは生活に合わせて掃除以前の片付け ほか)
4 これからの掃除の提案(掃除スケジュールはどのように立てる? エコ掃除法 ほか)

そもそも汚れとは何か、どんな汚れがどういう洗剤で落ちるのか、建材の材質によって汚れが違
うこと、掃除用具の種類・・・こういうところからちゃんと説明されているし、性格別の掃除法
や、小掃除から大掃除までの一覧表などが載っているのも便利。
それだけではなく、[洗面所には、収納スペースがついている。ここには、ドライヤー、化粧
品、ヘアームース、歯ブラシ、歯磨き剤などが収納されているケースが多い。]というような状
況説明から入っている(まるで、ソーシャルストーリーのよう)ので、とっても分かりやすい。

ワタシが今まで見た掃除の本には、そういう状況説明がなかった。いや、洗面所の掃除なんてい
う項目すらなかった。
たいていは、いきなり[ガスレンジのこびりついた油汚れの取り方]みたいな“特別な汚れの取り
方”から始まっていた。−−この汚れの正体は何か・どのようにして形成されるのか知りたくな
いのだろうか? 
それに対して、この本は、[食べものの油性汚れは、つき始めはサラサラした液体であるが、空
気に触れて酸化し、熱が加わっていくうちに、徐々に粘り気を増し、ベトツキがでてくる。]と
いうところから書いてある。−−あっ、そうなのか!と、感心しているところ。

だいたい、「いったいどうして、ただ生きているだけでこんなものが溜まっていくのか?」「何
故、毎日窓を開けて風を入れているのに、飛んで行かないのだろうか?」と不思議に思いながら
埃を眺めているというのに…。
この本を全部読んだら、家の中で起きているさまざまな事象に関する疑問が、一つ一つ減って行
くかもしれない。まっ、読めばの話だけれど。
[2002年9月24日 13時45分6秒]

テーマ: 自閉症者の思考方法。   
自閉症に特有の行動があると言われているけれど、自閉症でない人も似たようなことをしている
ことがあるので、本当に自閉症に特有とも言い切れない。
自閉症らしい行動をしなくなって、らしさが目立たなくなってもなお、終生変わらないのは「自
閉症的な思考法」なのではないかという考えがある。

真偽のほどはともかく、自閉症らしい思考方法とそうでない思考方法を対比してみて違いが分か
ると、怒ることが確実に減る。(ただし、こちらが、「こんな世の中、終わってしまえばいいの
に!」と激怒していることに、あちらが全く気づいていないのは、不公平だ。)

それから、「怒りは、正当な方法で表現しなさい(と言っても、選挙に立候補するわけではな
い)!」という掟を思い出し、ストレス温度計をイメージする。自分で目盛を一つだけ下げる。
まあ、ただ我慢せよというのではないけれど、余計なことにエネルギーを使わないに越したこと
はない。
[2002年9月22日 16時53分30秒]

テーマ: カエルと運動会。   
昨日、次男の小学校で運動会があった。

3日ほど前に風邪をひいて前日・前々日と休んだ後、なんとか登校した。ワタシが学校に着いた
ら、担任の先生が「頭が痛い・のどが痛い・足が痛い(注:筋肉痛)ので、競技に参加しないと
言い張っているけれど、どうしましょうか?」と言って来た。
一年の時は、集団行動ができなかったので、ワタシがつきっきりで手を引っ張っていたけれど、
去年(二年生)は一人でちゃんとやっていた。今年は、「体調不良で体内感覚に過敏になってい
るのだ」と判断。まあ、後から思うと、去年はブリッヂという見せ場があったのに、今年は得意
種目がなかったみたいだった。
プログラムを順に見て、それなりにやる気満々の玉入れと、初めて校舎の外で食べられる(二年
間、小雨のため体育館だった)と期待していたお弁当は参加するというので、とりあえず玉入れ
以外の午前中の競技は不参加で、午後になって元気になったら参加することに決めた。ガンコに
脱がないと言っていた長ズボンはそのままで、上に着ていたTシャツだけ脱がせて、開会式に参
加。
しばらくおとなしくしていたけれど、別の用事があってワタシが救護所にいた時に、ワタシの鞄
を持ってやって来た。風邪引いているし、持ってきた薬一式(頭痛の薬・腹痛の薬・喉の薬)を
順次飲ませた後、普段カエル取りをしている場所を案内してもらうことにした。(ちなみに、次
男は、カエル博士のカエルオタク)。

運動会だから、「どっちが先にカエルを見つけるか競争」開始!――参加者は二名。

しばらくして、あいにくの晴天でカエルが見つからずに、早々と引き上げたワタシの目の前を、
次男がものすごいスピードで走って横切った。「カエルがいた!」手の中には、アマガエル君。
「おい、それだけ早く走れるんなら、リレーできるじゃん!」「うん。いつ?」――見ると、ち
ょうど次の競技が三年生のリレーで、入場門に整列しているところだった。

潰さないようにカエルをそっと持っていたので、バトンを持ち替えないまま、リレーを走った。
[2002年9月22日 11時50分16秒]

テーマ: 自己防衛。   
○「知っている人には、あいさつをしなければならない」というルールに照らし合わせると、
 ワタシの顔を見た瞬間に口を歪めて首をサッとあっちに向ける人は、「何だ、けしからん!」
 になる。
 しかし、「ワタシはルールで動くが、人類は人に対する好き嫌いで動いている」というソー
 シャルストーリーに照らし合わせれば、「そういう人は天敵なのだから、近づかないに越した
 ことはない。くわばら、くわばら〜♪」と思えば良い。

○係りの仕事が終わったら、「お食事をご用意してあります」という状況は、お弁当持って逃げ
 るが勝ち。仕事がなくて、せまい机に並んで座ってお弁当なんて、「最悪!」
 持ち回りで順番に選ばれて来る集まりの場合、たいてい話のできる人も何人かはいるものなの
 で、そういう人の傍にいればいいとか、黙々と食べていればいいなんて、甘っちょろいことは
 もう考えない。
 直接 話さなくたって、しゃべっている声が自動録音されてしまうことを、忘れてはいけな
 い! こんなものにかまけていると、また半日無駄になる!♪
[2002年9月20日 22時28分46秒]

テーマ: 思春期以降の路線。   
「寝ても醒めても、そのことばっかり」とか「寝食忘れて没頭」なんて、当たり前。今は、自閉
症オタクだけれど、プログレッシブロック・オタクだったり、ファイナルファンタジー・オタク
だったり、いろいろ。チョコエッグなんかの動物フィギアのコレクションも、ずっとやってい
る。
天才的才能があって、身の回りの世話をしてくれる人がずっといて、日常雑事を一切しなくてい
い環境が保証されていたら、誰だってそのままずっとやっていたい。
でも、ウチはそんな金持ちではないし(いや、金持ちだったのかもしれないけれど、あっちこっ
ちの土地や家を買う羽目になって、「お金がない、お金がない」と母が言っていたので、本当に
お金がないのだと思っていた)、くだらない人間関係を親から押し付けられるのは目に見えてい
たので、自力で「生活」というものをしなければならないと思ってしまったところから、あれこ
れ狂い始めたのだった。
通常、「生活」には「哲学」がない、「生活」を唯一「哲学」にしていたのは、道元禅だった。
たまたまだけれど、そこで、「構造化」と「枠組み」を教わったようなものだった。しかし、現
実社会との接点は全く無かったし、人類が自分と根本的に違っていることなど思いも及ばなかっ
た。

特定の何かをよく知っているとか、特定の何かに優れていることは歓迎されるけれど、「寝ても
醒めても、そのことばっかり」とか「寝食忘れて没頭」は、学校ではとても嫌われている。とい
うのは、学校には時間割があって、次から次へといろんなことを教えなければならないから。そ
れから、大人になると、イヤでもやらなければならないことが増えて来る。
でも、一方では、「寝ても醒めても、そのことばっかり」「寝食忘れて没頭」できる人は、仕事
をするのに好都合だったりもする。

興味が極限していても、そのことばっかり話していても、それそのものが悪いわけでは決してな
い。
時間を区切ることと場所や相手を選ぶことも、必要不可欠なので、そのためのプログラムをイン
ストールしておく必要があるということ。

「療育」は「矯正」ではない、親や関係者がどんな風に強制したところで、いずれは本人自身が
選択するのだ。
[2002年9月18日 16時52分40秒]

テーマ: 讃岐うどん。   
讃岐うどん方式って、いい。

基本は麺。
⇒つまり、自閉症であるということ。

醤油にするか麺つゆにするか、暖かいのか冷たいのか、選ぶ。
⇒一人一人の重点課題と基本方針を決める。

薬味とトッピングを、完全オプションで選ぶ。
⇒その他の発達障害や合併症への対応をする。
[2002年9月18日 10時41分6秒]

テーマ: アスペである・アスペでない。   
「もしも、アスペじゃなかったら、・・・できたのに!」とは思わない。
「もっと早くに知っていたら、あんなバカなことはしなかった、今こんなバカなことをしていな
い!」と思っている。

それで、「どうすれば不快な思いをせずに地上で暮らせるか」を考えている。

昨日は、中学の役員会で、たくさんの人毒を浴びてきた。今日は、それを地区役員に報告する仕
事があるので、またさらなる毒を浴びてこなければならない。
「なぜそんな瑣末なことをウジウジ悩み・簡単なことでもめ・わかりやすくズバッとできないの
か!」と思っているので、シーンと静まりかえった中でもベラベラ思ったことを言ってしまう。
堂々と、「そこまでする必要はない」と反論されることは、「どうして、その必要がないのか」
もともと分からないし、「地球人は、そういうことをする必要はないと思っているのだ」と学習
してしまうので、特に何とも思わない。
そもそも、こうしてかき集めた「地球人はこう思っている」「こう言ったら怒られた」というデ
ータを元に、当てずっぽうで意見を言っているのだから。そこまでは、単なるデータの入出力だ
けの作業なので、全く疲れない。

恐いのは、その後の反応が、全く予測がつかないこと。初めての局面だと、データがなくて対応
できないこと。
だから、そういう場に行くなどという余計なこと(シャバの仕事)をしただけで、精神的に不安
定になる。そこにもってきて、昨日の問答の一部始終が音声として再生され「意味」が解かって
来ると、しまいにはフラッシュバックが始まってしまう。

元々、こんなのは全部、ワタシにとってはどうでもいいことなのだ。ただの単純作業であり、自
動運転なのだから。そんなバカげたことにイライラしたり眠ってしまって、今日やろうと思って
いた自分自身の本当の仕事ができなくなってしまうのは、損失以外のなにものでもない。こう思
える「仕事」があるのとないのとでは、雲泥の差だ。
「アスペである・アスペでない」のレベルで、壁があるとかないとかの議論をしているヒマはな
い。「アスペなんだから、こうする」これでいい。
[2002年9月18日 10時34分22秒]

テーマ: ニュース?orワイドショー?   
ニュース番組の中での、記者会見報道。
すっごくまともなことを言っていた部分をカットして、「かなしい」「残念だ」「納得できな
い」「信じられない」「まだ生きていると思っている」言葉に詰まる様子…だけにしてしまって
いる放送局があった。
これは、まるでワイドショー。始めから、そういう役割が与えられてしまっている。
[2002年9月18日 10時1分54秒]

テーマ: 「療育」の目的。   
認知の間違いを直し、ソーシャルスキルとかストレスマネージメントをするのは、“この世”を
上手く生きようとか、普通になろうというわけではない。
すべて、余計な言いがかりをつけられないため、必要以上の不利益を被らないため、日常生活に
脳ミソと時間を潰されないため。

自閉症でない人が完璧かといえば、そんなことはない。間違い・勘違い・人から非難されるこ
と・人に誉められること・愚痴・悪口・・・・こんなもので、世の中はできているみたいだ。
それらほ分かち合うことが、“打ち解ける”“分かり合う”と呼ばれているらしいが、あいにく
とこちらは、それが一番イヤなこと。
人類に目をつけられたり世話にならないことこそが、余計な干渉をされ自由を奪われないための
近道だから。

人類を困らせないためにする「療育」ではなく、本人のための「療育」を!
[2002年9月17日 23時24分20秒]

テーマ: どこまで行っても…。   
どこまで行っても、地球は地球。
人類全体を教化することはできない。理解する頭と、心の余裕がある人ばかりではないから。
地球全体を構造化することもできない。環境調整する、経済力がないことが多いから。
しかも、こちらも、一人一人仕様が違う。
[2002年9月15日 21時31分19秒]

テーマ: 環境が変えられない。   
だから、ストレスマネージメントをするなんて、或る意味では屈辱的なことかもしれない。

しかし、この国の現状はこうだ。

「No!」とも「ダメ!」とも「イヤ!」とも言わずに来たばっかりに、ヌケガラになってしまっ
たことにさえも気がつかない。病気になると、更にダメを押される。
こちらが真剣に怒っているのに、「オマエの言っていることはオカシイ」「半人前なんだから、
感謝しろ。」という態度を変えようとしない。
やっと、外(自分の生まれた星)への出口を見つけたと思ったら、今度はその「自由」がオモシ
ロクナイらしい。

かといって、怒っているだけでは何も変わらないので、“こっちのやるべきこと”と“あっちの
やるべきこと”の両方を考えましょう。
こっちが潰れされることはあっても、あっちは絶対に潰れないことに気を遣いながら。
[2002年9月13日 23時13分35秒]

テーマ: スタイリスト。   
自分の服装を決めてくれる人が欲しいだとか、翌日に着る服を前日に支度すると言うと、オシャ
レと解釈されるようだ。いや、そんなこと考えるのはバカバカしいし、出掛けることと準備する
ことを同時にできないから、そうしているのだけれどね。
人類が、服や髪型や化粧やアクセサリーや小物に“こだわる”のは、人に言われるから仕方なく
だと思っていたら、それこそが“命”で“自分自身”に等しくて“心底”からの欲求だと知った
時には、さらにバカバカしくて笑ってしまった。
美容整形だのお肌のお手入れを研究する人がたくさんいて、しかもそれがもうかっているとか、
こういうことを考慮しないと商売が成り立たないなんて、さらにさらにバカバカしい。そんなこ
とにかける金があったら、自閉症の研究しろ!と言いたいところだ。

まあ、こ〜んな人(いや、宇宙人)が、「自分がこうして欲しいと思うことを人にしなさい」な
んている黄金律を遵守したら、日常会話でさえも成立するはずがない。

しかし、最近では、自分のことを自分で知らなくても、ありとあらゆる“専門家”がプロの目で
あつらえてくれるそうだ。ワイン選びにソムリエ。靴選びには、シューフィッター。という具合
に。大人がこんなんだから、「今どきの小学生は、自主性がない」とか「自分の頭で考えずに、
指示を待っている」なんて言われて当然かもね。
ワタシは、「店員は、高いものばかり勧めて、たくさん金を払わされるから、店員に相談する
な。」という、父の教えをきっちり守っとります。
[2002年9月13日 16時56分5秒]

テーマ: それから…。   
「環境を変えろ」なんて言っても、周囲の理解と金がないと変えられない。
人類全体が理解し、予算を回してくれるまで待っていたのでは、何も出来ない。
[2002年9月13日 16時32分57秒]

テーマ: 『心の理論』を、越えるぞ〜!   
ワタシが今やっているのは、以下をまとめること。

1、自閉症児・者にはいろんな人がいて、症状の組み合わせとその一つ一つのレベルが違う。
2、自閉症児・者とその周りの人たちの両方の、混乱と誤解を最小限度に抑えるための戦略には
  さまざまなものがある。一つの方法で、すべての自閉症児・者に対応できるわけではない。
3、いろんな人・いろんなやり方・いろんな組み合わせが有り得る。



世の中にいるのは、自閉症児・者を、「人の心がわからない」だとか「人の心が読めない」と決
めつけてかかる、『心の理論』学者ばっかりじゃない!
[2002年9月12日 10時7分59秒]

テーマ: ↓の補足。   
>「人の話を聞きなさい」と言われて睨んでしまうのは、日本でもNGだけれど。

もちろん、「人の話を聞く時には相手の目を見なさい」と教えられて、相手の目を睨んでしまう
のは、日本でもNGです。・・・省略しすぎました。
[2002年9月12日 10時0分33秒]

テーマ: お国柄(Part2)。   
海外のソーシャルスキルの本、非常にこまごまとした「感情」表出のトレーニング方法が紹介さ
れている。
待てよ! これって、アングロサクソン系だよなぁ。東洋人って、元々あまり感情表現をしない
し、ボディランゲージも乏しいじゃん。日本では、“能面みたいな顔”が、必ずしも不利になる
とは限らない。“理知的”だとか、“冷静”と賞賛されることだってあるじゃん。ただ、「人の
話を聞きなさい」と言われて睨んでしまうのは、日本でもNGだけれど。
日本の場合、顔や身体表現はそんなにしなくていい。けれど、“気持ちを表わす言葉”と“気持
ちに応える言葉”が必要になる。こんなところも、お国柄。
[2002年9月11日 17時55分40秒]

テーマ: “The Invisible Cage”   
“見えない鳥かご”

「頭の良いやつはいらねぇんだよ!(注:昨日の『ガチンコ』より)」だって。
この国で嫌われる能力だけあったってねぇ。
Cageには、捕虜収容所の意味もあるそうだ。
今日は、奴隷のお仕事が2件。朝から憂鬱。
[2002年9月11日 9時20分8秒]

テーマ: 確信犯。   
どうやら、相手が分かっていないみたいなので、「教えてあげねば!」と意気込んで答えたこと
に相手が怒ってくる、或いは、返事が来ない時には、事の核心を突いていることが多いようだ。
だから、「こういうことをするな」とはよく言われるが、こっちは「分かっていないとは、何事
だ!」と怒っちゃっているので、差し障りのない言い方をしなければいけないなんて思いつかな
い。
それが、失礼なことだと分かっていれば、「失礼なこと」をしないように気をつけられるのだ
が…。

しかし、↓は確信犯だ。ワタシは、本気で怒っている。

(良いのだ。どうせ、世渡り下手だから。その前に、世渡りしてない、いや、する気がない。)
[2002年9月10日 11時16分13秒]

テーマ: これは、ちょっとおかしくないか!?   
ギルバーグの診断基準の第一項に、「極端な自己中心性」とある。
「自閉症児・者は耐性が低い」、と言っている専門家がいる。

待てよ!

自閉症児・者は、自我の形成・感覚−知覚・認知・身体の「障害」があるので、ただ単に「自己
中心的」で「耐性が低い」だけではないと説明するのが、支援のプロとしての専門家の言うべき
ことではなかったのか!?

↑のようなことなら、誰にでも言える。
近所のオバサンや通りすがりのオジサンと、どこが違うのか!?
[2002年9月10日 11時6分35秒]

テーマ: お国柄。   
英米では、アスペルガー症候群の少年(10才と13才)が、手記を出したりしている。
しかし、日本では、まだまだ本人に告知している人も少ないし、周りの人にもはっきりとした診
断名を告げていない人もいる。
これは、ただ、だらだらと言えないでいるだけではないようだ。成人する頃にはあまり目立たな
くなっているはずなので、そのまま黙って通るものなら通してしまいたいという、信念に基づい
てそうしている人もいる。
また、日本の場合(スウェーデンもそうらしい)、思春期から青年期にかけて、本人自身が(た
とえ、告知されていても)障害を「恥ずかしい」として隠そうとする傾向、「普通」になろうと
する時期があって、そこを通り越さなければ自分自身の長所と限界を直視できないことも多いよ
うだ。
なんといっても、幼児のうちから、誰に教わることもなく「みんなといっしょがいい」と言い出
す民族なので、単に、横のもの(英文)をそのまま縦(日本語)に変換すればいいというもので
はない。それから、単に遅れているのでもない。いつかは、英米でやっているような方法論が広
く通用するようになる、とも限らない。
[2002年9月9日 23時35分41秒]

テーマ: 老婆心。   
ワタシは、気の利いたことを言わないので、あれこれギクシャクして、居場所をなくして来たと
いうことを知ってか知らずか、「あの人は、こ〜んなこと言ってくれた。うれしかったよ〜。」
と、わざわざ言いに来るなんて、あまりにもよくある話です。

たとえ、それが「当てつけ」だとわかっていても、「当てつけられた」と思わないようにするの
は、精神衛生上の配慮です。
[2002年9月9日 11時49分3秒]

テーマ: 成人になると…。   
仲間関係を持てたり、社会的な役割を果たせたりできるようになる人が、いるそうです。成人に
とって、自助グループはとても有効だそうです。

ワタシには、(迷惑に思っているかもしれないけれど)通訳してくれる人はたくさんいますが、
上記の関係はありません。

時々、成人の方からメールが来ても、何かを要求されているのかもしれないとは思いつつ、どう
返事したら良いのかわからずいる内に、月日だけが過ぎて行ってそのままになっている始末で
す。(かといって、何かをしてくれと書かれると、明らかに困ります。)

というわけで、みなさま、ごめんなさい。(どうせ、見てないか?)
[2002年9月9日 11時42分21秒]

テーマ: まあ、   
「やっぱりね!」と思うだけだけど。
昔は、「閉店、はい、サヨナラ!」でずばずば切ってオシマイだったんだけど、この頃は、どう
いうわけか向こうから呼びに来る。「あれ? 終わったんじゃないの?」と思いながら、また、
ひょこひょこついて行く。

最終的には「孤立」に戻るんだろうと思っているけど。だって、そうじゃなかった時がなかった
から。
[2002年9月9日 9時14分24秒]

テーマ: 不覚!   
普段はちゃんと警戒しているので、じょうずに避けている。
ところが、解かっていると思って安心し切っていたところ(つまり、業界内)にいたのも、やっ
ぱりニンゲンだった。逆に、ショックが大きい。

疲れたので、モズク食べて、安全地帯のバラードベスト聴いて、寝る。(まあ、逃避と言うか、
一時避難です。)
[2002年9月9日 9時8分54秒]

テーマ: 沈黙(撃沈かも)。   
今まで、「何かへん?」「ちょっとオカシイ!」ぐらいにしか思っていなかったことが〔障害〕
だと知ったからというより、「普通の人は、あーんなこと・こーんなことができているのに、オ
マエはあれもこれもできていない」とか「こういうことができないと、困るだろう! なっ、そ
うだろう!」と言われることがショック。
「良い悪いは別として、こういう特徴がある。⇒良いところはじょうずに活かせるように、悪い
ところが目立たなくなるように、○○しよう!」と言ってくれれば良いのに…。

しかし、今は、「○○しよう!」と言ってくれる人がいない。何故なら、どうすればいいかわか
らない、どうすればいいかわかっていてもする人がいないから。

わけがわからなくなると、黙る。その繰り返し。

語れないものは、沈黙しましょう!
[2002年9月9日 8時26分55秒]

テーマ: 盆栽。   
真ん中の、上に向かってぐんぐん伸びて行こうとしていた幹を、ご主人様がプチンと切る。

最初のうちは、切られても脇芽を出したりするだけの勢いがあったが、そのたびに切られ続ける
と、やがてその気力もうせてしまう。

モノの見事に鉢植えに納まった、ずんぐりむっくりした木ができあがる。人はそれを、「盆栽」
と呼ぶ。

品評会に出したりすると、たくさんの人が「良い形ね」「手間暇かかっているわね」「丹精こめ
て可愛がられた気持ちが伝わってくるわね」などという賞賛を浴び、高い値段がついたりする。

しかし、本当は木は上に伸びたかった。

涙は、すでに枯れてカラカラになってしまっていることに、誰も気づかない。
[2002年9月9日 8時16分7秒]

テーマ: アスペルガー症候群の成人。   
たいていの人がやっているその場にふさわしい柔軟な反応ができないとか、自然な振る舞いがで
きないとか、仲間関係を維持できないとか、日常のちょっとした会話や噂話をする気がないと
か、奇妙な行動をするとか、人に対して感情表現をしないとか、声の調節ができないとか、興味
のあることを延々としゃべり続けるとか、ものすごい引っ込み思案だとか、強迫症状があると
か、受動的攻撃性があるとか、いろいろいろいろ並べられているけれど…。
「本人がこれらのことが原因で人とうまくいかないことに悩んでいる」のと、「これらのことが
原因でトラブルが起きたり精神症状に発展して窮地に立たされている」のと、「周りの人が参っ
ている」のとでは、えらい違いだ。
子どもの内に療育をすると予後が全く違うのは、この三つのどれかが既に発生していて二次障害
を防ぐ必要があるか、将来的にこの三つが絶対に発生することが目に見えているので予防してお
きたいかのどちらかということでしょう。
でも、{さほど本人は悩まず・トラブルが起きたり病気になったりすることなく・周りの人も参
らず}にいるのなら、それはそれでいいような気がする。
それが、とてもとてもし難くなってしまったみたい、今は。きっと、良い時代に生まれたのかな
ぁ、ヴィトゲンシュタイン君。
[2002年9月8日 23時18分48秒]

テーマ: 呼び水。   
世界的に有名な学者だから・たくさんの事例を見てよく知っている人だからといって、当てにな
るとは限らない。(例えば、S国のG氏。)
確かに、データをとって集計した事実なのかもしれない。けれど、そういう研究者は、もう一つ
の事実を忘れるべきではない。−−否定的な方向に水をまくと、そうなってしまうということ。
[2002年9月8日 19時8分58秒]

テーマ: 怒りとフラストレーション。   
或る本に、アスペルガー症候群の成人期以降の課題として、「怒りとフラストレーションを、妥
当な方法で表現するように努めなさい」とある。それに、「否定的な感情を持つのは、決してい
けないことではありません。ただ、人を驚かすような方法でそれを表してしまうのが問題なので
す。」と解説が続いている。
ワタシは、鬱なので、ガクッと力が抜けて動けなくなってしまう。何故か、自然に目線が上を向
き、ボケ〜ッと虚空を見つめ始める。昨日は、そこにたまたま電車の路線図があったので、気が
ついたら駅名をランダムに読んでいた。(こういう時には、電車の話でもしてくれた方が、あり
がたかったりする。)
人が驚くのを見て、やっと自分が気づく。それまで、不快・腹立たしさ・恐怖・不安を処理する
だけで精一杯だった。(最終的には、抗鬱剤を口に放り込んで、「音」で浄化。)
[2002年9月7日 10時40分39秒]

テーマ: “People who live in glass houses shouldn't throw stones”   
「ガラスの家に住んでいる人は、石を投げないものだ。」
・・・人の心情に配慮して、キツイことを言わないのは、人が人と共に生きていくため・自分自
   身の見を守るため・社会からつまはじきされないために、とっても大事なことらしい。
しかし、ワタシが、自分がして欲しいと思うことを人にすると、ほとんどが空振りになる。逆
に、ワタシが良かれと思ったことはほとんどが余計なお世話で、世の中は思いも寄らぬことに怒
ってくるので、わけがわからない。それで、いつもいつもハシゴを外される。やっぱり居場所な
んかない。
人は、「ワタシがガラスに向かって石を投げるからいけない!」と言うが、実際は世の中の方が
石で、それに向かってワタシが投げたガラスで怪我をするのもワタシ。
[2002年9月6日 16時21分34秒]

テーマ: なぜ・どうして。   
ストーリーを作る、それから実際に相手に抗議するのに、「なぜ・どうして」で始めているから
といって、実際に「なぜ・どうして」と思っているわけではないことはとても多い。

もちろん、理由がわからないとか、理由を知りたいと思っていることもあるし、そういう段階に
入ればそうも思うし、その理由を解明するために本を探していることもある。
だからといって、人には聞かない。というのは、人が言ったものは一個人の意見でしかないけれ
ど、本には「真理」や「法則」が書いてあると思っていたから。
しかし、本に書いてあることでも、一個人の意見だったり、学説の一つに過ぎなかったり、経済
効果を狙って宣伝のために出版される本もあるし、データは常に使う人の都合によって歪められ
るものだということを、つい最近知った。

なにはともあれ、ワタシが「なぜ・どうして」で始める文は、たいてい「〜するな!」の意味
で、理由はほとんど“決めている=思い込んでいる”ことが多い。
例えば、毎日毎日怒った顔をしている人に「どうして怒っている!」と言うのは、別に怒ってい
る理由を問い詰めたいわけではなく、その顔を怒った顔と判断して「怒った顔をするな!」と言
いたいのだ。まあ、一度本当にそう言ったら、「疲れているだけだ。」という返事が返って来た
けれど…。
しかし、今でも、その顔を見た瞬間に「いつも怒っている・肝の小さいヤツだ」と思ってしまう
が、「もしかしたら、疲れているのかも」と思い直すようにしている。
[2002年9月4日 10時24分31秒]

テーマ: 【「みんなトモダチ」とは限らない。】   
※京都の講演会で、内山先生が「一年生になると、クラスの人はみんなトモダチなんていう嘘
 を教えるから、現実はそうでないことに混乱する」と言われたことが、頭の中にこびりつい
 ている。
※今朝、隣人の様子を見た時に、上のことが思い出されて、とっさに作ったストーリー。
 (だから、雑。)

世の中には、いろんな人がいます。
〔↑実はこれ、その隣人が宴会の時に必ず言う結語。ワタシは、極力同席しないようにしている
が、先日の初盆で斜め前の家にお呼ばれした帰りに、その隣人は、大きな声でこう言いながらウ
チの前を通った。〕

その中には、「ウマの合わない人」とか「ソリの合わない人」もいます。

「ウマが合わない」のウマとは、“馬”のことです。人と、人が乗ろうとしている馬との気持ち
がピッタリ合っていないと、その馬には乗れないことを意味します。

「ソリが合わない」と言うのは、二つの材木があってそれぞれのソリ具合が違ったら、一緒に組
み合わせて使えないということです。

世の中には、性格の違いとか考え方の違いがあって、うまく合わない人だっていていいのです。

もし同じ仕事場にそういう人がいて、同じ時間に同じ場所で同じ仕事を一緒にしなければならな
いのなら、挨拶はきちんとしなければいけません。

挨拶をすると、とっても気分が良くなるし、それだけで相手を認めることになるからです。

相手からの返事はないこともありますが、私はちゃんと挨拶をします。

どもったりうまく口が開かなくなってしまった時は、相手に聞き取れないかもしれないけれど、
挨拶しようとしたことを私自身は評価します。相手に伝わるように言うに越したことはないこと
も、知っています。

しかし、同じ時間に同じ場所で同じ仕事をする義務のない人となら、時間や場所をずらして、一
緒にいないようにするのは、してはいけないことではありません。

私が外に出た時に隣人が自分の家に入ってしまうこともあるし、隣人の姿を見かけた時に私が外
に出ないようにすることもあります。

人は、「みんなトモダチ」とは限らないからです。

こうやってトラブルをさけるのは、人が平和に世の中に暮らすための大切な工夫の一つです。

でも、同じ時間に同じ場所にバッタリ会った時には、ちゃんと挨拶します。

しかし、同じ時間に同じ場所で同じ仕事をする義務のある時には、同じ時間に同じ場所で同じ仕
事をするけれど、“すれ違い”になるようにするのもまた、人が平和に世の中に暮らすための大
切な工夫の一つです。
[2002年9月4日 9時59分18秒]

テーマ: 追加。   
まだあった。

教室で、クラスメートたちが担任教諭の悪口を言っているのを聞いた後に、別の用事で職員室に
行った時、「先生は担任を辞めて欲しいとみんな言っている。○○先生の方がいい。」と真面目
に言ってコツンと頭を叩かれる、なんていうこともなく…。
ちなみに、ワタシ自身は、この先生を好きでも嫌いでもなく、クラスメートがそんなことを言う
理由が分からなかった。でも、何故そんな悪口を言うのか?とも思わなかった。
職員室で先生に言ったのは、ちょうど社会の授業やニュースで、「大統領弾劾制度」なるものが
アメリカにあることを学習して、上司としてふさわしくないと判断される人物は、辞めさせるこ
とができると思っていたからだった。
↑
(注:今の中学生は、こういうことをけっこう平気で言ったりするけれど、それとは違う。)
これについては、担任から母親に一言あったらしい。家でも何か言われた記憶がある。しかし、
どうして先生に頭を叩かれたのか、家でも言われたのか、まったく分からなかった。この謎が解
けたのは、約30年経ってから。アスペルガー症候群という、軽度の自閉症があることを知った
時だった。


クラスメートの数人が、高校だったら即退学処分のソソウをして、クラス全体がお説教された
時。先生が教室から出て、沈黙が訪れた直後、後ろの席に座っていたそのメンバーの一人に「ど
うなっちゃうんだろうね? 高校(進学)だいじょうぶかねぇ?」と、ニコニコしながら聞くな
んてこともなく…。
↑
後ろの席の生徒は、「どうなっちゃうんだろう?」と答えた。今から思うと、その生徒は、誘わ
れて断り切れずについて行ったので、本当にそのことを心配していたのかも。
でも、その斜め後ろの席にいた主犯格の生徒は、チッと舌打ちしてこっちをにらんでいた。今思
い出すと、もしかしたらこれは怖いことだったのかも。
[2002年9月4日 9時0分29秒]

テーマ: 中学生。   
今、ウチの長男は中学生。

クラスの歌に大嫌いな歌(=その歌手の声と髪の毛が嫌い)が決まっても、耳塞ぎをする(=歌
を聞くとそれを思い出して苦しかった)こともなく…。
みんなが「誰が好きか」とやたらと聞くので、“一番冗談の通じる人”がそうなんだと思い、
“好きな人なんだから何をしても怒らないもの”だと思い込んで、胸ポケットにさしてあったボ
ールペンをいきなりつかんで怒られたのに、どうしてかわからなかった(⇒その後、口をきいて
くれなくなったけれど、だからといって何も思わなかった)なんてこともなく…。
                                 平和に過ごしている。

今日、大好きなNゲージ(注:増結用、モーターなし、つまり安いの)が来て、「体育祭前のス
トレス解消に最適!」と大喜びしている。

こだわり・コミュニケーション・感覚と認知の特異性の許容・天上天下唯我独尊状態の打破・社
会的認知・社会的振る舞い・生活動作訓練・自分の役割(手伝い)・向上心…、療育の項目と範
囲は広い。
[2002年9月3日 23時41分8秒]

テーマ: 社会的な発想。   
さっき、たまたまテレビをつけたら、乙武さんにインタビューした「社会的な知能」のカタマリ
のような司会者が、こんなことを言っていた。
「彼は、バリアフリーを目指しているけれど、彼のまわりにはバリアがある。」その理由は、彼
は心底笑わない・負けず嫌い・理路整然と話す、だそうだ。
最後に、「今度一緒に仕事をする機会があるけれど、絶対に心からの笑い顔を引き出してや
る!」と締めくくった。

今まで、何も知らずに、こ〜んなニンゲンたちと一緒に生きていたのかと思うと、ゾッとする。
[2002年9月3日 9時56分40秒]

テーマ: 「社会的な知能」の不足。   
「○○さんのために、△△したい」と思うのと、「○○さんが△△と言ったので、△△するもの
だ」という公式集を丸暗記しているのとでは、えらい違いだ。

だからこそ、「社会的知能」を補うためのプログラムが必要なのだが、「そのための手助けを一
緒にしよう」と思うのと、「できないヤツらを救ってやる」と見下すのでは、えらい違いだ。
[2002年9月3日 9時1分35秒]

テーマ: 「社会的な知能」   
『アスペルガー症候群と学習障害』(榊原洋一著/講談社+α新書/P115〜116)より

ところが、実際に診察室で見ると、発達性の言語遅滞と自閉症の子どもの区別は、簡単かつ即座
にできる。・・・
しかし、一目見ただけでわかるというのはどうしてだろうか。それは自閉症の子どもが示してい
るソーシャルスキルの欠陥に対して、私たちがもともときわめて敏感であるからだ。・・・
専門家は、自閉症の子どもが共通に示す、そうした微妙な視線の動かし方や、はじめて見る診察
室のなかでの身のこなし方などを敏感に感じ取るのだ。そしてそれはそんなにむずかしいことで
はない。なぜなら、常に他人の言葉、視線、動きといったものを敏感に感じ取っている「社会的
な知能」のはたらきは、誰にでもそなわっており、特別に訓練を要するものではないからだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「社会的な知能」のはたらきは、誰にでもそなわっており、特別に訓練を要するものではない。

「社会的な知能」のはたらきは、誰にでもそなわっており、「社会的な知能」のはたらきが不足
している人に不快感を表わすのに、特別な訓練を要しない。
[2002年9月3日 8時56分6秒]

テーマ: How do/Why do   
「どのようにして、ドアがバタンという音を立てるのか?」
「犬がほえるのは、なぜ?」
「どうして、いつもいちばん遅い列につくのか?」
となっているけれど、実際の様子は、「ドアがバタンとなる音に驚いたり・怒ったりする」「犬
がほえると怖がったり、うるさがったりする」「遅い列につくと待てずにイライラする(この例
では、遅い列についたとボヤクのは大人/大人がこういうことを言う理由を説明している)」こ
とが多く、事象との間に距離がないことが多い。だから、因果関係を教える必要がある。
[2002年9月2日 18時48分30秒]

テーマ: 【発送するって、どういうこと?】   
今日、長男が注文した商品を「発送した」というメールが来た。それを見て、「今日来る?」と
聞いて来たので作ったストーリー。(といっても、本当のソーシャルストーリーは、なかなか覚
えられないこと・一番困っていることをストーリーにするので、こういう“ただの説明”とは違
う。)

【発送するって、どういうこと?】
私の家は、△△にあります。お店は、▲▲にあります。
商品を送るには、いろんな方法があります。主なものは、お店の人が家まで車を運転して持って
くるか、宅急便の業者に頼むかのどちらかです。
この店で「発送する」というのは、店にある商品を宅急便の業者に渡すことを言います。
宅急便の業者は、受け取った品物を一つずつ配達するわけではありません。時間を決めて締め切
りにし、たまった荷物をまとめて大きなトラックに乗せて運びます。
たいていの宅急便業者は、今日の三時までに受け取った荷物は、次の日に配達することになって
います。△△と▲▲は近いので、二日もかかることはありません。
どちらにしても、今日、商品が届くことはありません。恐らく、明日になります。
私は、明日、商品が届くことを期待して待ちます。


まあ、ウチの場合は、この方法で説明するとワタシが癇癪を起こす回数が減るため、多用してい
るだけだけど。
[2002年9月2日 16時43分44秒]

テーマ: Whyで始まるストーリー。   
ただの音・ただ恐い音に対して、「なぜ?」なんて思わない。天敵の立てている音は、「追い出
すために立てている音だ」と最初から思い込んでいたりもする。これも、「なぜ?」が入る余地
はない。
いつもキレイで雑草のない庭は、枯葉がたまることも雑草の生えることもないない庭だと思うだ
けで、「どうしてキレイなのか?」なんて考えない。だから、毎朝、おばあちゃんが掃除してい
ることに何年も気づかなかった。(つい最近の出来事。)
車には曲がる方向に点滅するライトがあることを発見した瞬間に、方向指示器の点滅に気がつい
た。だから、「何のためにあのライトが光るのか?」なんて、考えるプロセスはなかった。(こ
れは、子どもの頃。)

論理システムの前に感情システムが起動してしまう・最初に経験したことをパターンとして覚え
ている・すべてを法則や決まりにしてしまう、だから、5W1Hに整理できない。
中学生になって英語を教わった時、「どうして誰も今まで、5W1Hのことを教えてくれなかっ
たのか!」とは思ったけれど。
[2002年9月2日 16時23分19秒]

テーマ: Howで始まるストーリー。   
これはほとんど、問題がない。こうやって一つ一つのことを教えて行ったことを、思い出す。
[2002年9月2日 16時6分32秒]

テーマ: 両親。   
「お父さん/お母さんが知っている」「お父さん/お母さんが教えてくれる」を連発される
と、???と思ってしまう。
何故なら、友だちからの情報が入ってこないために世間知らずで、大人に対して受動的な自閉症
児にとって、両親や大人の教えは始めから「絶対的な真理」として摺り込まれるものだから。
家から一歩外に出たら、それは共通認識でも何でもなく、全く通用しないことを知った時の混乱
は、それはそれは大きいものだった。その後、本当にどうして良いか分からなくなった。

「依存・指示待ち」にしてしまうことも、また危険なことだ。恐らく、アメリカではこういう子
は少ないのかも知れないけれど、日本人は元々が依存的なので、臨床像の違いにも考慮しないと
いけない。
[2002年9月2日 16時4分35秒]

テーマ: ソーシャルストーリーを使う人への警告。   
『ガイドブック・アスペルガー症候群/第2章』(東京書籍)
『社会性とコミュニケーションを育てる自閉症療育/第9章』(松柏社)

この二つを必ず読むこと!
[2002年9月2日 14時19分15秒]

テーマ: Carol Grayに物申す!   
“The New Social Story Book”の後に、“My Social Stories Book”が出ていたことに気
づいた。ここで、大問題を発見。 
“The New Social Story Book”には、ソーシャルストーリー作成上の注意点が書かれていた
のに、“My Social Stories Book”ではそれがない。ストーリに、5W1Hで始まるタイトル
がつけられて整理されて、それらをサンプルとして一人一人の様子に合わせて書き直せばすぐに
使えるようになっている。

「いつでも・だれでも・知らなくても」できるというのは、最近のアメリカの風潮で、確かに便
利だし時間もかからない。まず勉強しなければ、理解しなければでは間に合わないことも多いの
で、よくあることならこういう出来合いのものを足がかりにするだけで十分だと思う。
しかし、自閉症児者のことを全く知らない人が、これを、人類至上主義に基づく・人類のやり方
を一方的に押し付けるテキストに悪用するだろうことは目に見えている。

それから、自閉症児は状況の整理が上手くできていないことが多いからといって、5W1Hをつ
けてしまったことにも問題がある。
“Why”で始まる文を見て、自閉症児は常々こういうことを疑問に思っているかのように錯覚し
てしまうだろうし、“When”で始まっているものは時間がわからないだけだと思ってしまうだ
ろう。
そうではなくて、かなり大きくならないと、5W1Hで物事を分類し情報を整理することに気づ
かないので、最初から情報を仕分けして呈示することに意義があるという説明が抜けている。
[2002年9月2日 14時0分38秒]

テーマ: 垣根越しの挨拶。   
垣根といっても背丈以上ある垣根、つまり見えないところから挨拶されると、非常に困る。

普段、ワタシはよく「挨拶」をする。と言うより、「挨拶」だけしてその先の「会話」がない。
「挨拶」するには、{どこで・誰に・なんと言うか}下準備しておかなければならない。事前
に、“発声する”ための回路を繋げておかなければ、“発声する”という行動ができないから
だ。
見えないところから急に挨拶されると、突然の声に混乱してわけがわからなくなり、“発声す
る”どころではなくなる。しかも、言われた言葉が、「おはようございます」のような単純な挨
拶ならば、機械的なオウム返しで対応できることもあるのだが、「暑いですねぇ」のような変則
的な挨拶だと、さらに何て言ったらいいか混乱してしまう。それでキョロキョロしていたって、
さしあたりちょこっと頭を下げていたって、相手には見えていないので、無視したことになって
しまう。

一度そういうことがあって、足音が聞こえたら下準備をするようになったら解決するかという
と、そうでもない。垣根越しに挨拶してくる人と、そうでない人がいるからだ。
今度は、あちらから足音が聞こえてくる度に、“発生する”下準備をして待っていなければなら
ないので、作業(洗濯物を干す)がおろそかになる。なのに、挨拶してこなくて空振りになるこ
との方が、多い。

まあ、この混乱は、「暑いですねぇ」と言われて、「天気図の説明をしたり今日の最高気温のこ
とを話すのはいけない」と知ったからこそひどくなったと、言えなくもない。「暑いですねぇ」
にオウム返しするパターンが身についていないから。
それから、急に挨拶されて「びっくりした」ことを表現するなんていう、普通の感情表現をする
ことは逆立ちしたってできない。
そこで、唯一できそうなことといえば、大袈裟にキョロキョロして、どこから声がしたか分から
ずに混乱している様子を“演技する”ことなのだが、“発声する”下準備をするのと二者択一に
なる。

足音が聞こえたら家の中に入ってしまうか、垣根越しの挨拶には答えない人になってしまうの
が、一番楽だ。
[2002年9月2日 9時59分57秒]

テーマ: 警戒警報発令中。   
ソーシャルストーリーを書くのは、誰のためか?

本人のためなのか? それとも、周りの人が困らないように躾るためなのか?

目的を誤ったら、全く違うモノになる。

つまりそれは、地球に落っこちてきて生存するために人類に寄生せざるを得なくなっている宇宙
人と人類との間に、異文化コミュニケーションを成立させようとしているか、単に帰化させよう
としているだけなのかの違い。
[2002年9月2日 8時33分45秒]

テーマ: 見落とし。   
そういえば、勤労体験学習の時、終了後にO先生がジュースをくれると言ったのを長男が断った
ことについて、「しっかりしている」とO先生からおほめの言葉をいただいた。
後で本人に聞いたら、学校から「体験させていただくので、こういうものは受け取らないよう
に」と言われていたこともさることながら、「飲みたいジュースがなかったから」だと答えてい
た。
行動が落ち着いた後は、規則や決まりをキッチリ守るようになることと、味覚へのこだわりがあ
って飲めるものが限られていることが、良い方向に解釈されたわけだ。(それは、こういう子に
障害があると言い張る人が、悪者・心配しすぎにされてしまう根拠にもなるけれど…。)

最近は、「工事関係者でもお茶出し不要、飲み物などはすべて持参」が増えているので、上記の
理由(勤務中は接待を受けない・自分の好きなものを飲みたい)は、仕事中には通用するかもし
れない。
けれど、時間外・プライベートタイムにどれだけ人間関係を築けるかが、業務成績に影響し、い
ざと言う時に助けてもらえるかどうかといった生存にかかわる能力に直結しているということ
は、どんな時代になってもほとんど変わらない。中高生なら「しっかりしている」とほめられる
同じ行動が、大人になると「みずくさい・打ち解けない・よそよそしい」になるのだから、やり
切れない。
[2002年9月1日 18時27分38秒]

※本人以外の書き込みはできません。
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