記事タイトル:2002年2月の「日記」  


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テーマ: 発達障害の実行能力障害。   
ADHDでも自閉症でも、実行能力障害があることは、よく取り沙汰されている。
実行能力の障害と一口に言っても、ADHDと自閉症ではちょっと違う。けれど、合併していた
り、症状の出方が両方の境界線にあるようなケースだと、それを分けることはできそうにない。

ADHDの場合は、手順・段取りを考える前に行動してしまうし、時間の観念がないがために
「企画」ができず(特に、LD合併だと顕著になる)、「注意」の転動が激しいために「実行」
できない(或いは、新たな状況に対応してしまって本筋を忘れてしまう)、というところ。

自閉症の場合は、「構造化」が自力でできるかできないかの問題がまずある。自力で「構造化」
できない人には、第三者がTEACCHなどの手法を使って「構造化」してあげなければいけない。
でも、自力で「構造化」できる人だと、表面上は企画力があってしっかり者に見えるが、企画に
かかるコストが非常に高くて心理的な負担になっている。何度も何度も段取りを組み直したり、
それを再確認してからスタートするので、それだけで疲労困ぱいしてしまう。
一度決定した「企画」を状況に合わせて変更することができないタイプだと、それに固執してほ
んのちょっとの違いにもパニックを起こしてしまう。これは、よく「こだわり」として問題にさ
れる。(これが、よく言われている、自閉症の「実行能力障害」。)
しかし、状況対応が良くて「実行」能力の障害がないように見えている人でも、やはり「企画
書」なしでは混乱してしまうことに変わりはない。ただ、たった一つの「企画書」に「固執」し
ないので「こだわり」がないように見えているけれど、実は過去の経験の蓄積で何パターンか用
意してある「筋書き」をその都度引っ張り出して対応している。やはり、コストが高くついてい
ることに、変わりはない。
[2002年2月24日 11時20分35秒]

テーマ: 別回路を使っている、ひとつの例。   
少年Aが、大好きなサンドイッチを食べようとして床に落としてしまい、今にも泣きそうな顔を
している。
少年Aが、今にも泣きそうな顔をして「落としちゃったから食べられない!」と騒いでいるのを
見たアスペ少年Bが、少年Aにこう言った。「ほこりを吹けば、食べられる!」。当然の事なが
ら、少年Aはいよいよ泣き出さんばかりの顔になった。

アスペ少年Bは、落ちたのがおせんべいのような乾き物ではなく、タマゴいっばいのサンドイッ
チだということを見ずに、{床に落ちても食べられることがある}という一般論を言っているだ
け。しかも、少年Bが「悔しがっている」「困っている」「泣きそう」だということも、表情や
しぐさから読み取ることができていない。
普通なら、まず少年Aが困惑していることを見て取り、それに対して慰める。それから、床に落
ちた物が何なのかを見て、「まだ食べられるところがあるから大丈夫だ」とでも言って、機嫌を
直そうとする。アスペ少年Bにはその両方ができないから、少年Aはサンドイッチが食べられな
いことと、アスペ少年Bに心を傷つけられたという二重のショックを受けてしまう。



アスペ少年Bが、こういう場面での対処法を身につけるには、二つの方法がある。

一つは、今日のこの場面をそっくりそのままパターンとして記憶し、次に同じ事が起きた時にそ
のまま使うという方法。
・・・しかし、今日の失敗は、正にこのパターンの使いそこねが原因。自分が食べ物を床に落と
した時に人に言われたことや、日頃自分がしていることを、状況を加味せずにそのまま言ってし
まったのだった。アスペ少年Bの学習能力が高ければ、場数を踏むことでいろんな状況に対応で
きるようになるかもしれないけれど、どうもそれは望めそうにない。

もう一つは、とりあえず{何かに困っているらしい}表情に対して「どうしたの?」と聞き、
「サンドイッチを落とした!」という言葉に対して{少年Aはサンドイッチが大好きである⇒そ
の大好きなサンドイッチを落としてしまった⇒それでは、さぞ残念に思うに違いない}と推論し
て「かわいそうに」と言う、という方法。
・・・しかし、これでは慰めにも何にもならず、傷口に塩を塗っているようなものだ。こういう
時には、落としたサンドイッチを食べられるようにするにはどうすればいいかという問題の他
に、ショックを受けている少年Aの「心」を修復するにはどうすればいいかという問題もあるこ
とに気づかなければならない。

それが自然にできない少年Bもアスペならそれを教えるワタシも「理詰め」なので、当人同士で
納得できても、傍で見ている非・自閉者にとっては「笑い話」になるらしい。
[2002年2月24日 10時43分44秒]

テーマ: 発達障害との違い。   
発達障害と高次脳機能障害との違いは、発達障害では脳の画像診断(MRI)では異常が見つか
らないのに対して、高次脳機能障害では疾病や外傷による損傷部位が明らかにあること。

発達障害の場合は、脳に損傷がないにもかかわらず機能障害がある。しかし、脳血流を測定する
検査を行うと、同じ課題をする時に健常な人が使う部位とは違うところの血流量が増えるので、
健常な人とは違う回路を使っていることも解明されつつあるらしい。
[2002年2月24日 7時48分20秒]

テーマ: ADHDへの応用。   
【まず、ADHDとの相違点から】

高次脳機能障害のリハビリとしてやっている「注意」の訓練、これはそのままADHDの子ども
に使えるとは限らない。
まず、ADHDの子どもの場合、こういう課題に応じない可能性がある。特に、不得意な分野な
ので、強制すると抵抗が大きくなる。(たまに、遊びとしてやるというような工夫が必要。)
それから、高次脳機能障害の成人のように、「早く機能を回復して、職場に復帰したい!」とい
うような動機がない。(こういうものは、訓練というより、注意のスパンの長さや集中のレベル
を測るために行った方がよいと思う。)
最も大事なことは、子どもは成長過程にあるので、今は出来ないけれどこれから遅れて発達する
可能性が十分にあること。


【そのまま使えること】・・・「部屋のかたづけ」に使ってみた。

実行能力障害で{段取り・手順・時間の見積もりができない}ので、{本人にわかりやすく簡略
化したやり方を書いて}あっちこっちに貼っておくところまでは、今までもやっていた。
でも、{その「手順書」を見ない・「注意」が転動して目的から外れてしまう}という大問題が
あって、始終誰かが監視していなければならなかった。
ここに、一つ一つの作業を「声に出して教える」という手法を応用してみた。高次脳機能障害の
実践例では、となりにいる指導員が「今・やっている作業」を言葉にして言うとか、作業内容を
知らせる機械を使う方法が載っていたけれど、私は息子に「今・やっていることはなに?」と聞
いた。
すると、「かたづけ」という返事。これでは、何をやっているかわからなくなって当然だと思っ
た。そこを、「机の上のかたづけ」というように、現にやっている作業だけを意識するように指
示。この方法が身についてくれたらいいのだが…、どうなることやら。
[2002年2月23日 11時47分50秒]

テーマ: 高次脳機能障害。   
頼んでいた、「高次脳機能障害」の本が来た。
脳疾患や外傷後の機能障害と発達障害のADHDは全く別のものだけれど、脳のどこが損傷を受
けるとどういう障害が出るかがハッキリしていることと、特定の機能障害がピンポイント的に出
るためにリハビリの処方箋や方針が立てやすいために、一つ一つの課題を整理できる。
それから、高次脳機能障害では{機能回復のための訓練をしながら回復の見込みがなさそうなと
ころは補助具などをうまく組み合わせる}ところも、ADHDでは{発達の頭打ちになりそうな
ところをどう本人に認識させて自分の特質との付き合い方を学習して自分のものにするか}とい
う課題に応用できそう。

ワタシ的には、使える本だ。
[2002年2月22日 21時29分32秒]

テーマ: 今日の発見。   
人間、歳を取ると身体も脳細胞も老化するので、だんだん余裕がなくなってくるようだ。
自分自身が歳を取ると、自分を取り巻く人も歳を取るので、他人が老いていく姿を目の当たりに
しなければならない。その人たちの言うことが、だんだん“侵入的”になって来て、しかも柔軟
性がなく「決めつけ」て来るようになってきた。
こちらも、“子どもでもできる”おべんちゃらの一つも言えないまま蝋化しているため、その不
快感に反発して癇癪を起こすようになってきた。
⇒これを解消する方法として、壁・てすりなどを叩く、身体的な不快感を他の感覚刺激で相殺す
 る、だけでは間に合わなくなって来ている。

子どもの頃は、ワタシはおませなアスペだったから、実年齢よりも賢く見られていた。(当時の
「知能」偏重指向は、完全な誤まり。)
けれど、いつまでたっても理屈っぽい子どものままなので、その年齢に期待される人物像とのギ
ャップは小学校高学年ぐらいに逆転し、大人になるにつれて年齢に比例してどんどん広がって行
く。子どもに手がかかっている間は一緒に子どもでいられたし、発達障害の説明もできた。それ
もなくなると、理屈も発達障害の知識も全く通用しない、大人社会。

ワタシは、もうそこには入らない。ハッキリと“違う”のだから、漠然とした違和感を感じなが
らそこに留まっていなくていい。自分の「仕事」も自分の「居場所」もそこにはない。
生活自立のために「社会」に属しながら、その「社会」に心まで帰属しない。
⇒ワタシにとっては“無”であって、何の益もないことに時間を取られることは全くの「無駄」
 だ、と思えるようになったのは、有益な「仕事」を見つけたからに他ならない。
[2002年2月21日 23時45分34秒]

テーマ: 親子いろいろ。   
発達障害の子どもを持つ普通の人でも、子どもが小さい内は、ADHDや自閉症のことを知るこ
とが子どもを知ることに直結するので、どんな些細な知識の断片でも欲しがるものだ。
しかし、そうして受容&療育して育った子どもが大きくなると、だんだん「普通」になっていく
のがうれしいようだ。(普通なら3才でするようなことを、6才でするようになったとかという
ことも含めて。)
それでも、引き続きいくらかの問題が残ったり残遺していれば、世の中に向けてADHDや自閉
症の理解を深めるための啓蒙活動をしようという気にもなるのだろうけれど、そこそこ目鼻がつ
くと脱落していくのだろうなあ。

親子共々アスペやADHDだと、手がかからなくなるにつれて「同好の仲間」とか「ライバル」
みたいな関係になるんだけど…。一緒に何かをコレクションしたりもするし、自分が欲しい物を
店で見つけた時には先に買ってしまって絶対に譲らないこともある。
(実は、近日中に、『犬夜叉シール』を取り扱っている店がオープンするのだが、そのことは子
ども達には内緒にしている。当然、開店初日に行ってごっそり買い占める予定。そして、ダブり
が出たらタダであげるつもり。)
[2002年2月20日 16時41分12秒]

テーマ: どこで止める?   
「とばっちり」の「とばっちり」を受けて、そのまた「とばっちり」の「とばっちり」も返って
来た。フラッシュバックの連鎖反応は、限りなく続くから。
これを、どこで切るか?・・・自分自身が安定するしかない。それには、{自分が役に立ってい
る・自分の価値が認められている・自分の居場所がある}と実感できることと、それを確認でき
る人がいることが必要。
しかし、繋がりが切れることに慣れ過ぎてしまっていると、なかなか確信できない。そして、自
分を守るために何かを攻撃する。この繰り返し。
[2002年2月20日 13時30分4秒]

テーマ: 内憂外患。   
外からの圧力には、反発が起きやすい。
内輪もめは、事情が分かるだけに辛いものがある。(哀しくもあり、虚しくもある。)
自分と違うものを排除していったら、二本の線は決して交わらない。(心臓が痛くなる。)
[2002年2月20日 8時4分43秒]

テーマ: 朝の風景。   
風邪の治りかけで体調イマイチの長男は、朝から“自閉モード”全開。
どんなに落ち着いても、こういう時、「積極奇異型」は「積極奇異型」のアスペに戻る。
(学校から帰った後に戻るのは、日周変動の範囲内。)
[2002年2月20日 7時55分24秒]

テーマ: 今朝、気がついたこと。   
普通、人は「大好きな人が身につけている物を、自分も身につけたいと思う」らしい。
⇒しかし、私は犬夜叉がつけている“言霊の念珠”を、自分もしたいとは思わない。(先日、ア
ニメイトで見た。文房具はたくさん買った。)

鼻をかく時に、普通の人は“ネコが顔を洗っているシーン”を思い浮かべたり、“ネコになった
気分”になることはないらしい。
[2002年2月19日 8時12分9秒]

テーマ: 石も3年。   
こじれてしまったものをほぐすのに、2年。
いくらかの希望を持てるようになるまでに、1年。
都合、3年かかった。←二次障害を起こしてしまった人の経過は、ほとんど一緒らしい。

やっぱり、安定と希望の元は、「仕事」と「人」だと思う。

そこから安心して送り出せるようになるまでに、あと2年かかるらしいけれど。
さて、どうなることやら。
[2002年2月19日 8時6分23秒]

テーマ: AとBの間。   
幼児期から療育を受けてきたA君と、何の対応もされずにこじれてしまったB君。
AとBの間は平行線ではないかもしれない、けれどBはBならぬものを永遠に否定するだろう。

ものすごく、虚しい図式だ!
[2002年2月18日 18時55分26秒]

テーマ: さいのう。   
才能がある人だけが素晴らしいのか?
都合の悪い「脳」は抹殺すればいいという人もいれば、自分の考えに合わない人は存在しなけれ
ばいいという人もいる。
しかし、自分自身のその考え方そのものが、自分自身の批難の内容と五十歩百歩。
・・・人の気持ちが分からない「障害」を持っていることを言い訳にするなと言いながら、「抹
殺せよ・存在するな」と言う人の方が、よっぽど人の気持ちが判っていない。
[2002年2月18日 17時24分5秒]

テーマ: 昨日、わかったこと。   
何でも「言葉」にしないと分からない人は、「言葉」にすることが下手な人(言語性LD)と一
緒にいない方がいい。
⇒何でもいちいち「言葉」にすることに苦痛を感じる人は、おしゃべりで説明の長い人(非・言
語性LD)と一緒にいない方がいい。

体が弱い人は、肉体労働が好きな人と一緒にいない方がいい。
⇒体を動かすことが好きで人の面倒を見ることがキライな人は、体が弱い人の面倒をみることを
いやがる。

どうして“ここ”にいるのか分からない人は、自分が生まれた地でしか生きられない人(井の中
の蛙)と一緒にいない方がいい。
⇒自分が生まれた地にしか適応できない地球人は、地球のどこにいても適応できない異星人のこ
とを理解しようなどとは思っていない。

どこにいても生きているだけで精一杯の人は、丈夫で長生きしたい健康オタクと一緒にいない方
がいい。
⇒丈夫で長生きをモットーにしている人は、好んで不健康な生活をしている人に意見するのが好
きである。
[2002年2月18日 9時15分15秒]

テーマ: いい加減にしてほしい!   
人と違う感覚・人と違う気持ち・人と違う心情・人と違う感情を持ちながら、精一杯やっている
のに…。アミノ酸補給して、やっと起きてるのに…。
それでも、尚、人類の感情・人類の欲望・人類の欲求を押し付けてくるのか! これでは、どん
なに感情が豊かで敏感な感受性を持っていたって、何もやる気がなくなり、鬱になって当たり
前。
こちらが、道具としてしか扱われてないと感じていることを、「人の気持ちが通じない」と非難
する人もいるが、同じ感情を持っておらず・不快刺激にしか感じていないことばかり押しつけら
れて、それを「ありがたく頂戴する」ことなど絶対にできない。
[2002年2月16日 13時36分38秒]

テーマ: よのなか。   
何でこう、「不安」をかきたてることばかり起きるのだろう?
あの文章を読んでしまったお陰で、5日ほど前には自分が何か悪いことをした犯人のような気持
ちになった。しかし、今日は、あの文のうちのいくつかは日頃言われていることと一緒なので、
世界中の人があの本を買って読んでいるような気がして、恐くなって来た。

「ああいう一般的な解釈をしていたのでは、何も解決しない」と、ずーっと訴えて来たとはい
え、今までは口頭で言われるだけで文章になっていなかったし、まして本にもなっていなかっ
た。それに、子どもの療育の話に留まっていて、社会的な評価ではなかった。「名前」が知られ
るようになると、文章にされて風評が裏打ちされるようになるという「現実」もやって来るの
か!

今までの「そんなものは存在しない!」という「現実」との闘いに加えて、「レッテル付きの存
在」になってしまうという「現実」。子どもたちを社会に送り出すプログラムを安全に実行する
ためには、ちゃんとした制度があるに越したことはないのだが、やっぱりこの国では「排除」の
感情が働いてしまうのだろうか? そうすると、また「隠そう」ということになって、結局は何
もできなくなってしまうのだろうか?

とにかく、ここは、イギリスでも、アメリカでも、オーストラリアでもなく、ニッポン。
[2002年2月13日 21時52分39秒]

テーマ: 生化学する「脳」を科学する。   
 アスペルガー症候群の「脳」をトンでもない章に分類した、くだんの生化学者の著書を読んで
みた。(『脳内物質が心を作る−心と知能を左右する遺伝子−』羊土社←出版社と著者氏へ、
「間違ったことを書いたお陰でこの本が売れて良かった」などと思わないように!)

「まえがき」より
○普段は遺伝子を細胞に導入してその働きを見たり、遺伝子産物であるタンパク質を解析したり
 しています。私の最終目標は、人間の遺伝子の異常によって病気が発生するメカニズムを知る
 ことです。
○ところが、最近の研究によって、痴呆・精神疾患(行動異常)という心の病気も、筋ジストロ
 フィーや血友病と同じように、の鵜に発現する単一遺伝子の異常が原因で起こることもあるこ
 とが次第に明らかになってきました。これらの研究を眺めていると、心の動きもひょっとして
 遺伝子の働きの差で解明できるのではないかと考えるようになりました。

 確かに、こういうことを研究する分野が必要なこともあるだろうし、実際、脳内物質の作用が
明らかになったことで多くの抗精神薬ができ、ワタシはその恩恵も被っている。治療薬や治療法
の開発という観点から、気分障害・不安障害・強迫神経症・攻撃的行動・ADHD・精神分裂
病・アルツハイマー病・発達性難読症(恐らく、読字障害)・精神遅滞・運動能力の異常・ダウ
ン症・自閉症・てんかんなどの研究をすることに文句を言うつもりはない。
 しかし、これらの「化学」の成果を淡々と述べるのではなく、いかにも「みんな困っていて、
なくなればいい」と思っているかのような書き方をしていること、(若者向けの本なので)未来
は明るい・期待してくれ!というような結語があることなどから、そういう「脳」を持っている
「人」への配慮がないことがうかがえる。

 それから、一つ、もうこうなったら笑ってしまいたくなるような箇所があった。

○ちょっと気になるのは、最近、他人のデータが正しいか誤まりかが解釈できない人が多くなっ
 たことです。この原因は、勉強不足に尽きます。ちょっとでも論文に当たって勉強すれば何が
 正しいかわかるのに、他人の噂だけを材料に仕事を判断する人が多くなりました。

 ここのところ、自分で読み直してみてはいかがでしょうか?
[2002年2月12日 17時8分2秒]

テーマ: 新世代と旧世代。   
 知的障害を伴わない発達障害とか、高次機能や社会的認知に係わる脳の機能障害というのは、
非常に新しい考え方で、現在の医学界や心理学界の権威と呼ばれている人たちが学んでいない発
想が必要なんです。
 だから、お互いに専門外のことには口を出さないようにすれば良いかというと、そうでもな
い、ここが問題。恐らく、「発達障害」と「人格障害」のどちらをとるかという議論は、これか
らもずっと続くでしょう。(注:「発達障害」の全てが「人格障害」に直結するということでは
ありません。一部のケースでは、どちらの範疇に入れるべきか判断をしなければならない、或い
は、判断を迫られることがあるということ。・・・これが、裁判の場で、裁判長がどちらの「精
神鑑定を採択するか」という問題になると、「罪」を問えるか問えないかを巡る「感情」が絡ん
でくるので、ものすごくややっこしいことになります。)

 躾や養育方法や環境の問題だと解釈するのは旧世代の考え方で、その親玉に「人格障害の権
威」とか「犯罪心理学の権威」の大先生が君臨しているというのが、現在のこの国の精神世界の
構図のようです。

 そういう考え方があって、これからも論争が続いて行くのは仕方がないとして、せめて「人権」
に係わることや「差別」を助長する発言をしないという最低限の節度くらいは、守ってほしい!
[2002年2月12日 11時45分23秒]

テーマ: この国の現実。   
その道の専門家にどんなに認められたところで、田舎の野蛮人にとっては「発達障害」なんて
“無”です。

まず、存在さえしていない。どんなに最善を尽くしても、全く普通になるのでなければ「効果は
ない!」と言われる。かと思えば、ちょっと普通らしくなっただけで、「元々、そんなに心配す
ることのない子だったのに、騒ぎ過ぎだ!」と言われる。

この国では、個人の心理的問題は酒で流し、精神的問題は闇に葬られるのが常識です。

特に、田舎では、肉体労働もせず金も稼がないのは、黙って言いなりになっているしかありませ
ん。裁判なんかしたって、向こうの精神的苦痛と経済的負担が評価されて、こちらに慰謝料を請
求されます。
[2002年2月10日 11時34分33秒]

テーマ: 「軽けりゃいい」と、人は言うが…。   
軽くて、社会生活ができる人の方が、精神状態は悪いです。

無理解と自分にないモノばかり要求される、日々の暮らしが拷問であるような生活を強いられて
いたら、「あと何年か我慢すれば来る確実な終わり」を待つだけの“余生”でしかありません。
[2002年2月10日 7時54分27秒]

テーマ: ↓の考えは…。   
IEP(個別教育プログラム)と呼ばれているものに、近いのだと思う。

まあ、ワタシには「みんなと同じようにできなければいけない」とか「みんなと一緒だと楽し
い」という前提がないので。しかも、「できて当たり前」ではなくて「できなくて当たり前」か
ら入る。
自閉症研究者とひとくくりにしても、基本を「個」に置いている人と「類」に置いている人とで
は考え方が違うし、「文化」としてとらえる人と「逸脱」と見ている人がいる。当の本人にも、
「孤立しているけれど集団に入りたい」と思っている人と、「集団に属しながらの個別化」を望
んでいる人がいる。

結局、日本の文化に流されて行くのだろう。
[2002年2月8日 21時7分11秒]

テーマ: 特別支援教育。   
自閉症児の特別支援教育に、決まったカリキュラムって必要なのだろうか?

 ワタシは、「最低限度の言語・計算などの学習課題」と「生活自立のための課題」と「自閉症
特有の社会的な課題」のそれぞれに、大まかな履修すべき項目を立ててチェックすべきだとは思
っている。けれど、先に「指導計画」があるのではなく、一人一人の子どもを見て「計画を立て
る」ことが必要なのではないかとも思っている。(本人の発達段階に応じて、いつでも組み直す柔
軟性も必要。)
 そして、自閉症児としての特別な支援が必要なくなった分野から徐々に補助を外して、一般の
児童の中に入れて行く。始めは隔離せよ、という意味ではない。補助の度合いを変えるだけ。で
も、どんなに成長したように見えても、心理面でのフォローは絶対に欠かせない。
・・・って、これがワタシのやり方、というだけのこと。(個人的に、ちまちまやってるだけだ
けど…。)←きっと、日の目を見ることはないだろう。
[2002年2月8日 16時4分57秒]

テーマ: もうひとつの「受容」。   
 先週末、風邪を引いた(ご多分にもれず、多少うつ気味になった)時、ピアノの音を聴いてい
たら、突然おかしな「絵」が頭に浮かんだ。
 真ん中に、そこらじゅうにヒビが入っている透明なガラス瓶、その半分は影になっていた。四
角い額縁のようなワクの中にあったのだが、何故かそのガラス瓶から花びらが上に向かってふわ
ふわと飛んでいて、周りのワクの外にまで出ていた。

 このガラス瓶は、きっと、幼稚園の「お絵描き教室」で出されたお題だろう。ここで、ワタシ
は、それまで「見た物をただ図形に変換していた」だけだったのに、「絵」がうまいと思われて
しまって、「絵」を描かなければならなくなった。視覚方面で、世の中との最初の衝突を起こし
た事件の中心アイテムが、ガラス瓶。(ちなみに、運動・身体・社会面での象徴的な事件は、近
所の神社の祭。聴覚方面では、ただ「耳が良い」だけだったのに、音楽教室やピアノ教室に行く
ことになって、運動能力が追いつかなくなったこと。)
 そのガラス瓶が割れた、ということはその件の呪縛が解けたということなのだろう。しかも、
外側のワクから、花びらがはみ出すように出ていったのだから、それからも解放されたのかもし
れない。

 外側のワクの方は、心理構造の中に「生身の人」がいない世界で、自分から取り込んだ「言
葉」と自分で作り上げた「観念的なニンゲン像」によってがんじがらめに縛られた(だからとい
って、閉じこもっていたわけではない)在り方の象徴。一時、これは、恣意的に自分から壊して
いた。そして、そこから逃げようともしていた。・・・実際、苦しくなると身体症状が出て、別
のワクを求めてふらふらし始め、しまいには飛び出すことを繰り返してもいたのだった。
 「“その借り物のワク”がワタシ自身であることを認める」などということが、本当に有り得
るとは思わない。ただ、そこから逃げることもできないし、それをなくすこともできないことを
認めたのは確かだと思う。
 それでも、“そんな借り物のワク”の付き合いを引き受けながらも、その中から外に出るルー
トができて、自分にとって真に有意義な「人」との繋がりを信じることができたということなの
でしょう。

 「社会」に投げ出されて、破綻した後に「診断」が下った場合、「これから・何かができる」
という希望がほとんどなくて「いままでに・してしまったこと」と「そのために引き受けなけれ
ばならなくなった現実」があまりにも大きい場合には、諸手を上げて喜んでばかりもいられな
い。・・・ここまで来るのに、3年。
[2002年2月8日 14時32分41秒]

テーマ: 「トンでも本」騒動。   
 『食いしん坊な脳 うつになる脳』という本の中に、アスペルガー症候群ならびにハンス・ア
スペルガー氏自身に関するとんでもない記述がある、ということでこのところ騒がしい。

 あちらこちらの関係者が対応してくれているので、今のところ“出荷停止”になっている。今
までに何冊売れたのか、流通段階で何冊止まっているのかは知らない。けれど、一度世に出てし
まったものは、いつ・なん時・どんな形で取り上げられるかわからないので、ただリンクするだ
けではなく、『よこはま発達クリニック』から発信された記事を転写して掲載することにした。

 この本の翻訳&出版を企画したのが出版社なのかどうかも、わからない。何となくだけれど、
今はこういうタイトルをつけたこの手の本が売れる風潮があるので、本屋が見つけて東大大学院
教授でその道の権威者に監修を依頼したのではないかと、ワタシは推測している。まあ、この本
そのものに関しては、これ以上問題は広がらないかもしれない。

 しかし、問題は“これでおわり”ではない。研究分野が{文系生命科学・生命科学基礎・現代
遺伝学概論・生体構造ダイナミクス論・生物化学・機能生物化学・神経科学(含脳科学)・神経
科学一般・筋肉生理学・アルツハイマー病・アミロイド沈着機構の解明・トリプレット リピー
ト病発症のしくみ}なんていう、めっちゃ近隣の権威者の「監修」という「お墨付き」をつけ
て、こういう本を世に出そうとしたことにある。 
 確かに、監修の石浦 章一教授は、「あとがき」で、この本のアスペルガー症候群に関する記
述は自分の見解とは異なっていると「ことわり」を書いているらしい。でも、「あとがき」でど
んな釈明をしたところで、文中の文章は一人歩きする。
 そんなことより何よりも、「脳」だけ見て「人」を見ていない権威ある研究者が、こういうも
のを読む人への影響を考慮しないで軽はずみなことをする倫理観のなさが、大問題!
[2002年2月8日 11時15分35秒]

テーマ: 脳と社会性。   
確かに、脳の微細機能や高次機能が障害されているという点では、脳の障害であるかもしれな
い。社会的な「認知」や社会的な「動機」が障害された脳を持って生まれたというのは、一つの
宿命だと思う。

でも、そういう子どもでも、育て方はあるし生きてもいける。

いや、現に、生まれているし、生きている。

そして、これからも産まれて来る。

ちなみに、高次脳機能障害
という、事故や病気による後天的・器質的な脳のトラブルについても、まだまだ研究が始
まったばかり。
[2002年2月8日 8時9分19秒]

テーマ: ほどほど。   
「会話の技能」「職業&生活スキル」を身に付けたら「社会」との繋がりが実感できる素晴らし
い世界が広がる、かと思いきや。果てしない、“人情社会”の修羅場だったりするから。
・・・係わるのは、ほどほどがいい。
[2002年2月5日 11時28分54秒]

テーマ: 痛み分け。   
一つの設定条件しか持たない自閉症者の存在は、他の設定条件で稼動している自閉症者を傷つけ
る。これは、外から見れば「気にすることはない」の一言で片付けられてしまうことなのかもし
れないけれど、お互いにとって心の痛い問題。(存在の根拠が失われるほど、深刻な。)

これは、「違う」のに「同じ」に見られることの“痛み”なのかもしれない。
[2002年2月5日 11時1分29秒]

テーマ: 方向性。   
1、できるだけ、社会との接点を多くすること。
2、イザという時の相談相手として、非・自閉者とも自閉症者とも繋がりを持っていること。
3、規格違いの世の中に暮らすのだから、どこかに必ず、自分の規格でいられる場所を確保する
  こと。

以上、今後の、息子の療育方針でした。
[2002年2月5日 8時4分22秒]

テーマ: 就労。   
 ワタシは、就労したいと思う前に、絶対に就労なんかしないですむ方法を考えて山の中に逃げ
ていた。そこでは、たまたま、全然違うけれど実質的な「構造化」の手法を学んだようなものだ
った。里に降ろされた後に、人付き合いの基本とか日本人性質について教わった。それから、引
きこもりしていた時期があり、その頃に「某局の有名アナウンサーを講師に迎た☆話し方教室」
みたいにものにも通ったことがあった。
 いきなり就労じゃなかったので、それでも3年もった。でも、その間に、とんでもない「ニン
ゲンのお作法」も一緒に学んでしまったというわけだ。
[2002年2月4日 20時47分22秒]

テーマ: ちなみに…。   
 ワタシは、性同一性障害もあるので、あまりこういうことは書きたくない。でも、これは大事
な問題だから、これだけは伝えておかなければならないと思っている。
 障害を承知の上での結婚なら良いが、元々受動型でなかった人が上辺の行動療法で受動的にな
った状態、社会的に追い込まれたり結婚させれば自覚が出るなどという安易な発想、隠しておい
て配偶者に面倒を見させようという策略、人の言いなりになり&人の世話を焼くことが好きなと
ころを利用した詐欺…。これらは皆、危険な考えだ。ウイング博士の言う通り、始めから明らか
にするか、明らかになった時点で継続するか否かを検討すべきだ。(でも、障害を差別視する風
潮が強く社会保障制度のない日本では、きっと無理。)

 二次障害を起こさないようにどんなにきちんと療育をしても、社会の側に受け皿がない閉塞状
態が続く限り、本当の問題は解決しない。
・・・まだ、子どもの医療と教育の現場にこの障害の存在を知らしめようといている段階なの
だ! 本当に。でも、実は“子どもの医療と教育の現場”でさえも、行き渡っていない。それか
ら、大人は愚か子どものことだって、この国の現状に合うしっかりとした方法論や療育システム
が確立されているわけでもない。社会的な認知を獲得するために、一部の理解者がその他大勢を
説得しようとしているところなのだ。何も準備が整う前に、海外や先進地の情報が広まってしま
った(ワタシも、それに加担している)。だから、あっちこっちで門前払いを食っている成人た
ちの話を目にする度に、自分が悪いことをしているようで申し訳なく思う。
[2002年2月4日 14時8分32秒]

テーマ: とんでもない目標を立てて欲しくないこと。   
 子育ての目標によくあげられるのは、就職と結婚。それをもって、社会的に一人前になったと
見られるし、子どもの内からそこにたどりつけるかどうかの心配をしていることも多い。
 発達障害を持って生まれても、能力的に突出している部分をうまく生かすことができる環境に
置かれていたり、元々その能力を社会的技能に結びつけるに足る他の能力(知的な能力とは限ら
ない、情緒的なものや意欲のようなものも含めて)の障害がない人は、学者・医者・技術者など
になれるし、結婚もしている。

 では、そうなれない人はどうしてか?・・・いろいろあるだろうけれど、人間の精神活動全般
{知・情・意}の中での突出して優れている部分と突出して欠けている部分とで相殺されて、し
かもそのギャップに心理的についていけないからなのではないかと思う。
 それから、「性」の問題は、「せっかく人が可愛いと思って接近したのに、触覚過敏のせいで
その気持ちが伝えられない人」と健常者から見られ、それを克服すれば美談になるとか、「男女
間の社会的なサインや取り決めがわからないために、性犯罪の被害者になる危険がある」と専門
家に指摘されて難を逃れてめでたしめでたしになるというような、単純なことではない。
 「愛情や好意を向けられると拒絶してしまう」けれど「愛情のない行為は拒めない」故の
「性」にまつわるエピソードは、女性の高機能自閉症者の自伝には必ず出てくる。しかし、言葉
や文字という伝達手段を持たない人たちをもひっくるめると、この手のエピソードは五万と転が
っていると思う。
 そして、自分が「愛情」や「好意」を抱いても、それをうまく伝えられなくていつも叶わない
というのなら可愛いけれど、実際は自分なりに持っている「愛情」や「好意」の概念そのものや
それを表わす行動や言葉が常識とはかなり掛け離れていることの方が問題なのだ。それで、誰か
を追い回してストーカーと勘違いされたりもすれば、家に押しかけることを惚れていると思い込
まれたりしてしまう。

 さあ、どんなにきちんと療育をして心理的なこじれを最小限度に抑え、自分自身との付き合い
方をバッチリ学べても、親も後見人もなしにこれらの局面を乗り切れるだろうか?
[2002年2月4日 10時35分38秒]

テーマ: 石づきあい。   
せめて、まわりが「すべて石だ」と思うこと。
存在しているものを消すことはできないけれど、それに惑わされて心を占領されることはない。
「“いる”、けれど心までは動かない」・・・そうしないと、鬱に身体まで占領される。

そんなことにかまっていられるほど、ワタシは暇ではない。
石の影響は最小限度に抑えて、後から来る者の居場所を作るという自分の仕事をする。
[2002年2月1日 18時12分31秒]

テーマ: 失楽園。   
「イヤなことはイヤだ」と思っていい。
自分の「感覚」と「感情」があってもいい。

なんてわかっても、「生かしてやってる」「食わせてやってる」という現実しかない。
普段は我慢して、ハリボテのニンゲンをやっている。けれど、解放する場が欲しかった。
                                ・・・なかった。
[2002年2月1日 17時59分54秒]

テーマ: 自閉症の文化。   
見落とされがちな大事な点。

自閉症を文化として認知するように主張している人の多くは、「もともと行動障害がない人」か
「行動障害が落ち着いて受動型に転じた人」が、尚残る生き難さのことを指していることが多
い。それは、「受容」のための便宜的措置としても重要なことでもある。
[2002年2月1日 10時19分7秒]

※本人以外の書き込みはできません。
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