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テーマ: 大人になるということ。
「子どもだから」「性格だから」「そのうち何とかなる」「がんばればできる」「自覚させ・
責任を負わせれば、できるようになる」・・・なんて言っていると、そのうちにっちもさっちも
いかなくなるゾー!
社会人として生きているというのは、ほとんど"労力として当てにされている"ということだっ
たりする。何ができるかという能力・資格・物理的に拘束されること・身体的な存在であること
が、要求される。
が、それだけでは、人と社会とのかかわりはできない。感情や愛情を通して繋がっている、と
いう側面がある。
「どっちかがない」こともあれば、「両方ない」こともある。
[2001年10月31日 16時52分8秒]
テーマ: 一緒にしないで!
人とは違う身なりをしても、どうしても人は違っていることを認めてくれない。
大学卒業と同時に、そこに巻き込まれずに済むように必死の悪あがきをしたのと同じことを、
今はバッヂをつけることでやろうとしている。文字で書かなきゃ、やっぱりダメ。
ワタシの生命維持に関連する生活圏の中に一人も知っている人さえいない不安感は、カードを
携帯することで解消した。(実際、何かあった場合、誰も説明してくれない。放っとかれたら、
薬の離脱症状だかなんだか分からなくて、めちゃくちゃな治療をされる危険だってある。)
障害がなくて生活力のある人が、自活しながら人と違う突拍子もないことをやるのではない。
自力では生存できないくせに、「ワタシを一緒にしないで!」と主張するのは難しい。
[2001年10月30日 15時51分0秒]
テーマ: 一緒にされると…。
行動障害(発達障害に基づく精神・神経科領域の行動異常)・社会的認知障害・規範や基礎学
力の学習障害・身体虚弱・衝動性…、これらのために一人前になれない・規格外であること。
マイナスからの出発なのに、マイナスの部分のフォローも支援もなしに、ひたすら悪者扱いで
叱られ続け、挙句の果てに「社会人としての自覚がない!」と言われるのでは、たまったもので
はない。
しかし、こういう原因がないのに、本当に「社会人としての自覚がない人」が増えている。一
緒にされると、困るのだ。(なお困ることに、心理的な部分では同じメカニズムが働くので、主
観的な意識は同じだったりする。が、あちらには「共感」という武器があって、そういう人ほど
仲間を集める知恵に長けていたりする。)
[2001年10月30日 8時5分42秒]
テーマ: 子どもがパニック…。
親子遠足で、子どもがパニック。せっかく来たのに、みんなと同じように楽しめない。
こんなシチュエーション、ワタシだったら大喜びなんだけど。
・・・だって、人と離れていられる公然とした理由ができるから。
[2001年10月29日 19時27分39秒]
テーマ: いかにも…。
いかにも□□□□/□□□とか・たぶん□□というタレントは、よく見かける。
でも、タレントをやっている(やれている)人たちが話すと笑い話だったりドジ話になる同じ
内容を、「発達障害」関係の身の上話としてすると悲壮になってしまう。
これは、ただ単に「そういう行動をする人」というだけではなく、「そういう行動をして・自
分自身がどう感じるか・周囲の人とどういう関係にあるか」というところまでひっくるめた全人
的な問題であり、それがただの心理的なものではなく生理的・神経的に処理機能(中枢神経や
脳)の特性にかかわる根拠がある。だから、「障害」。
[2001年10月29日 18時32分33秒]
テーマ: 「缶バッヂ」。
ADHDの次男に、ADHD用の「缶バッヂ」が欲しいかどうか尋ねたら、「いらない! だ
って、恥ずかしいもん!」と答えた。
ASの長男に、「缶バッヂ」と「名刺カード」ができたら付けたいかどうか尋ねたら、「付け
たい!!!」と言った。学校にいる時はすっごく普通にしているけれど、これゃあかなり我慢し
ているんだろうなぁ。触覚過敏や発声(奇声に近い)なんかも、するのは家でだけ。
まあ、バカにされたりイヤな目に遭っても、決して言いなりにならなくなったし、ちゃんと自
分で選んで危険回避できるようになっているところは、信じられないくらいの進歩なんだけど。
・・・社会化されたアスペって、こんなものかな?(正直言って、ワタシにはわからない。)
ワタシみたいに、何も知らないで"ニンゲン化"しないといけないと思った時に、最初にすり込
まれたコトバが「とんでもないものだった」なんていうのとは、わけが違う。
そのおかげで失ったものが、あまりにも大きい。それに、そのままひきこもっていた方が、ア
スペらしかった。
[2001年10月28日 21時31分51秒]
テーマ: 登校拒否。
登校を拒否しているのは、子どもたちではない。ワタシだ。
今日は、PTAの親睦を深めるためのリクリエーション「トリムバレー大会」が開かれてい
る。担当役員なら、運営上の仕事があったりするから仕方ないけれど、役員(他の役職)だから
と言って「行かなければならない」なんていうのはおかしい!
もともと、「発達障害」に関すること以外はコミュニケーションをとっていないので、最初か
ら、出るとも出ないとも言っていない、係の人も聞きもしない。聞かれたとしたら、ちゃんと理
由を言う覚悟はあるけれど、何も聞かれなかったから答えようがない。(「自閉症で・運動障害
があって・通院加療中のため病欠」なのだ。でも、そんなことを説明しなくたって、過去の経緯
から、向こうの方から回避してくれる。)
しかし、普通ならどうってことないことが苦痛で、みんなにとっての"楽しみ"によって病気に
なってしまったというのに、何故また強制されなければならないのだ!
ワタシは、ワタシのために、自分を守る手段を考える。別に、他人に強要なんかしない。
[2001年10月28日 10時26分23秒]
テーマ: 今からでもできることもある。
もはや、"協調"などという生ぬるいことを言っていられない。ワタシは、ワタシを「うつ病」
にした人々と闘わなければならない。もう二度と、そこに戻ってはいけない。失った時間は、帰
って来ないから。
「行動障害」のある発達障害児が二人、協力し合うどころか足を引っ張り合っている。これ
は、そのまま放置しておくわけにはいかない!
・・・どちらも、「現実」との闘い。テレビ局も出版社も、何の力にもならない。
[2001年10月27日 18時39分32秒]
テーマ: 今頃気づいても遅い!
既に前科のある人が、一番重い犯罪を犯してから「実は、○○のために刑事責任能力がな
い。」と弁護団が訴える。何故なら、今になってやっとそういう「障害」があることが知られる
ようになったから。最初から認めていれば、そんな事件を起こさずに済んだのに…。被害者はも
ちろん、加害者にも不幸な結果になってしまった。
それから、「障害」についてどの程度分かっていたかはわからないが、親が存命している内は
それなりの対応ができていたのに、その後親以外の理解者がいないためにどうしようもなくなっ
てしまうという現実に、社会の側が何も罪悪感を持たないというのもおかしな話。
社会の「無知」がこういう不幸を生む一因でもあるのに、こういうことが起きる度に社会の
「無知な知見」ばかりがどんどん広がって、ますます追い詰められてしまう。
[2001年10月27日 18時30分8秒]
テーマ: 「自閉症」カード。
作りたい人は自分で作ればいいし、持ち歩きたい人は何でも持ち歩けば良いのだ。
隠したい人は隠せばいいし、普通になったことを誇りにしたい人はそうすれば良い。
今までさんざん差別されて来た人もいれば、自分から個別化されることを密かに望んでいた人も
いる。
そういうところまで、人それぞれ。
(大勢から省かれている、ワタシが言うのもおかしい。)
[2001年10月26日 18時35分3秒]
テーマ: 木戸相落。
「○○が楽しみですね!」なんて言われても、その楽しさを共有していないので、「そうです
ね」とパターン化されたカラ返事をするか、「楽しみですね」とオウム返し型カラ返事をする
か、何も言わない(選択的会話拒否)かのどれか。
「何故、そんなことを楽しいと思うのか!!!」と怒らなくなったのは、すごい進歩。いいの
だ、ワタシが正直に気持ちを表わすとヒンシュクを買う、つまり喜怒哀楽がカンペキにズレてい
ることが完全に読めるようになったから。
[2001年10月26日 15時20分16秒]
テーマ: まだ何も起きていないのに再現されるもの。
突然、電話が掛かってきて「何やってンの〜!!!」と怒鳴られる恐怖。
視覚的な印象の方が確実に残るので、文字で来る脅威。
だから、最初にカエルのドあっぷを出す。そして、癒しのカエルをそこらじゅうに置いてある。
[2001年10月26日 8時11分14秒]
テーマ: 正確に言うと、尻尾かんでるオオカミ。
騒がず・人を巻きこまず・要求せず、サッと人のいないところに行って密かにやっていた。
・・・つまり、犬でなくてオオカミ。
[2001年10月25日 9時17分52秒]
テーマ: 尻尾かんでる犬。
普通は、その場・その場の人・その人の気持ちに対して何らかの反応をするらしい。
でも、ワタシは、そこで想起された視覚的な映像や聴覚的な連想に対して反応している。
それから、自分自身の身体を知覚したり、感覚を知覚したりしていることもある。
一番困るのは、まだ何も起きていないのに記憶が再現されたり、起きてしまったことに関連する
記憶が消えないこと。
・・・尻尾かんでグルグル回っている犬と、同じです。
[2001年10月25日 9時3分14秒]
テーマ: ここにいてもできること、その2。
「発達障害」を受容する、親たちのネットワークを作ること。
生来もっている、一次的な「こだわり」や「行動の特性」を、障害に基づくものであるとちゃ
んと認めることで、実質的なコミュニケーションが成立し、存在の基盤が形成される。
そのことが、二次的な「こだわり」や「心理的な諸問題」を社会的に妥当な方向に持っていく
ことを可能にする。
でも、障害として社会に認知されなければ、結局は尻つぼみに終わってしまう。
[2001年10月22日 9時45分0秒]
テーマ: ここにいてもできること。
「インターネットというのは、単なる仮想現実の世界ではなく、既に一つの現実である。」と
或る人に教わりました。
今日はそういう心境になっているので、法務省やら首相官邸に意見のメールを書くことができ
ました。ここに座っていても、そういうことならできます。
[2001年10月22日 9時37分49秒]
テーマ: 裁判所。
裁判所で「診断」名をだすのは、いい加減にやめてほしい。
特定の障害が事件を引き起こすのではないのだから、「○○が認知できないという障害があっ
て、刑事責任能力を問えない。」という表現を使ってほしい。
ただ、公判中に、根拠としての診断書を提示することは必要だと思う。けれど、発達障害があ
ったからといって、発達上のいろいろな因子が加わって事件を起こすのであって、発達障害が事
件の原因なのではないのだ。
弁護するために、何かしらの材料を探そうとするのはわかる。それに、そういう障害だという
ことをきちんと認識してくれるのは良いのだが、だからといって「診断名」で説明するのはやめ
てほしい。
特定の障害名を出さずに「発達障害があって…」という言い方にしたのは、それなりの気遣い
の現れだとは思うけれど、そう言う風に言われると、ワタシが何か悪いことをしたかのように思
ってしまう。それから、「もう、発達障害があって…。」という言い方では、発達障害を理解す
る能力のないこの国の大多数の国民に、納得のいく説明ができないのではないかと恐くなる。
こういう時に、ワタシはとっても弱いのだ。以前、とんでもない誤解から『アスペルガー』が
間違って映画の邦題にされそうになった時も、活字を読むと「そうなんだ、アスペってこういう
人なんだ。」と思ってしまって、落ち込んだくらいだから。
抗議をするなどという、社会的な行動をするどころではなかった。活字になったからといっ
て、それが事実だとは限らなくて、「世間の人はこう思っている」とか「或る人はこう思ってい
る」とかいうことに過ぎないのに、ワタシはまずそれが「ワタシに関する事実」だと受け取って
しまう。(躁状態の時なら、思い直して反論できるけれど。一週間に一度は必ず、しらじらしい
拒絶感にさらされる行事や出来事がやって来て、精神状態が上向きになる材料が少ない現状では
は、ほんの数時間しかそんな時はないから。)
[2001年10月22日 8時7分40秒]
テーマ: ???
考えただけでゾッとするようなネットワークの中に、ワタシは巻き込まれたくはない。
でも、どうしてあちらは組み込んでくるんでしょう!?
・・・その方が幸せだと言わんばかりに、ではない。そうしないと幸せではないと言って。
[2001年10月21日 15時50分22秒]
テーマ: 人権宣言。
○自力で生活できない・食わせてもらっているからといって、従属的関係になってはいけない。
○秀でた部分を利用されるために、能力的にできない部分を人質に取られてはいけない。
○全く理解がなくコミュニケーションが成立していない「場」に一人で放置してはいけない。
○社会的な場面に乗り出す時には、常に覚悟がいる(そこまで甘えるつもりはない)。しかし、
家庭がそういう「場」になってはいけない。
○できれば自活できる(社会参加と金銭的な報酬がある)こと、少なくとも身辺自立ができ精神
疾患に適切な治療がされることが心身の自由の為に必須。
○{自分にできること・できないこと・してはいけないこと}を自分で知っているか、ナビゲー
ターがついていること。
・・・・いや、ただの夢です。
[2001年10月20日 21時0分9秒]
テーマ: 周りのみんなが知っていて、ワタシだけが知らない。
いや、別にこういう状況は慣れっこ(というより、いつもそう)だから良いんだけれど、それ
で「来なくていい」と言わないところが、健常者の意地悪なところ。
あちらの論法だと、「付き合いをしないから・打ち解けないから、お前が悪い。」になる。よ
く、友情物のアニメに「トモダチだから、助ける。」なんていうセリフが出るけれど、逆に言う
と「トモダチでなければ助けない。」とか「これを契機にトモダチになれよ。」というわけだ。
でも、アニメには必ず一匹オオカミがいて、「親しくしないけれど、あの人はあれでいいん
だ。」という理解者も必ずいる。確かに、そういう人が多い環境というのはある。けれど、自分
がそういう人だと知らないでいると、環境の選択を誤る。
※ところで、昨日『サヴァン症候群の人たち−自閉症の天才−』が放送されたけれど、幼児期に
は明らかな自閉症だったのに、成人した現在の見た目の様子では、何が自閉症なのか全く判ら
ない。やっぱり、そこが問題だ。
でも、ああやって、ちゃんと後見人や代理人がついているというのは、羨ましい限り。特殊な
才能がある人だけでなく、凡自閉症者にも必要だ!
[2001年10月20日 8時17分59秒]
テーマ: じれんま。
実生活上の周りの人たちは、ワタシにとっては聞くに耐えない言葉・見るもおぞましいことを
楽しみにし・生甲斐だと呼んでいる。それらについて、ワタシが何の気の利いた言葉もかけない
ことに、不満があるようですが…。
こちらとしては、そこから逃げ去ったり耳を塞いだりしたいのを、ギリギリのところで我慢し
ているのですよ。(自分が全く無になってしまうと精神が壊れるので、もうそれはしません。)
自分の快感覚の中に逃げ込んだり、自分のこだわり(発達障害)を通すことで、どうにか生き
た心地を感じている。動けないので、ここに座っています。(何かの活動をしなけりゃと思って
いても、動ける日がなかなかない。)
[2001年10月19日 21時44分24秒]
テーマ: どっちをとるか。
昨日、デプロメール(抗うつ剤)を休んだら、確かに軽躁状態はなくなった。でも、やっぱり
「うつ」っぽかった。
その代わり、身体的な不快感に過敏になるし、長男の奇声と独り言が気になって仕方なくなる
し、声は甲高くなる(ちょっとイライラってこと?)。
・・・どっちをとるかの選択。でも、二日続けて休むと、薬の拮抗バランスが完全に崩れる。
[2001年10月19日 8時1分41秒]
テーマ: 親子関係の逆転。
ワタシが、パソコンに向かって書きつけるという方法を獲得するまで、ずっと誰にも言わずに
独り密かに思い続けてきたこと。それが今は、親の方が知っていて、本人にどう告知したら良い
か悩んでいる。・・・なんだか、ヘンだ。
でも、ワタシはまだ親に告知していない。したってムダなことが判っているから。なにしろ、
ASやADHDの子どもを目の当たりにしていながら、"普通だ"と言い張られてきたから。(た
だ、LDや知的ぽーダーというのは、あまりにも明白で認めざるを得ないようだ。)
どうも、こういうことが「障害」だと言うと、"目の敵にしている"ように思われてしまう。け
れど、そうではなくて、「普通」扱いして見逃されては困る部分に対して、子どものうちからち
ゃんと対応しようとしているのに、こういう「障害」があるという前提を否定されたのでは話に
ならない。
※自分にとって当たり前だった、「うつ」の症状が抜けて(と言っても、薬が効いているだけ)
2ヶ月。改めて周りを見てみると、いろんなことに驚かされる。
でも、今日は抗うつ剤を休んでいる。胃腸症状がキツクなっているのと、ちょっとこのところ
軽躁気味で、危険を感じたから。
[2001年10月18日 14時22分23秒]
テーマ: 「かかわり」障害の誤解。
「活躍できそうにない場面を回避している。」
「感覚や文字に意識を移して、一生懸命自分を落ち着かせながら、周りの雑多な人々の群れに巻
き込まれないように見ている、そして自分が参加できる場面が到来するのを待っている。」
・・・どうして、それではいけないのか!?
遅れているから⇒できない。
わからないから⇒できない。
・・・どうして、そういう発想になるのか!?
「わかっていたってできないこと」「理屈ではなくて感覚的に受け容れられないこと」だって、
有るというのに。
[2001年10月18日 13時11分46秒]
テーマ: ADHD対策。
ワタシは、ADHDは合併していない。でも、「注意」に関する事柄は共通している。
○一連の動作や行動の流れを一つにして、他のことをはさまないこと。
○「あとで」という時は絶対にやって来ない。「その時」にやってしまう。
○手から離した瞬間・視野から消えた瞬間に、そのものは存在しなくなってしまう。身体的な感
覚のあるうちにやってしまう。
ただ、下記の部分はひたすら排除したくなる。
●わざと喧嘩をふっかける。
●わざと怒らせる。
●人のせいにする。
●わざと反対のことを言う。
●自分の思いどおりに事が運ばないとすねる。
物への興味が優先しているけれど、常に人に認められることを気にしていて、人に関わりを求め
て来る。ものすごく甘ったれで、人に自分をアピールしたり要求することが多いのに、やり方が
下手。しかも、LD合併だと情報の読み違いが多い。
こういう部分を持ち合わせているから、ADHDだと知らないで甘やかしてしまうと危険。知ら
なくて叱り続ければ「反抗挑戦性障害」になりやすいというのも、うなずける。
[2001年10月18日 8時10分37秒]
テーマ: ふ〜ん、そういうもんなんだぁ!
ある所で、「○○君のおかあさん」と言われるのは寂しい気もする、という話になった。
何を隠そう、ワタシは、長男が幼稚園に入って一番最初に「○○君のおばさん」と呼ばれた時
に、本気で『ワタシャァ、あんたの親戚じゃない!』と思った。
あっそうか、こういう場合には"おばさん"と言うのかと思い直してみたものの、やっぱり"お
ばさん"は納得できなかったので、「おねえさんと呼びなさい!」と子どもたちに言い返してい
た。(冗談だと思われていたみたいだけど、年上の女の人は"おねえさん"と呼んでしかるべきな
のだ。)まあ、これはもう慣れた。
でも、つい最近、「△△君のおじさん」と言っているのを聞いて、「へぇ〜、△△君の家に
は、オジさんも一緒に住んでいるんだぁ〜!」と聞き返して、思いっきり小学生に笑われた。
・・・言語の語用論的障害まるだし〜♪
まあ、トモダチという概念がなく、永久に「だれだれのなになに」とか「どこどこのなにな
に」という関係でしか理解できないのと同じで、ワタシにとってはその方が解かり易いのだ
が…。そういわれるのは、"寂しい"のかぁ!?
[2001年10月17日 22時12分2秒]
テーマ: 「いない」から「いる」へ。
●自分が無理していることにも気づいていなかった。 →○できることだけやる。
●自分の役回りも解かっていなかった。 →○場面ごとに役回りがあっていい。
●どの環境で何をすればいいのかもわかっていなかった。→○いられる環境を選択する。
●いつでも消えるしたくをしていた。 →○時々外線が切れるが消えない。
それで、ワタシなりの居方を主張する。
◎少し、人から離れさせて下さい。
◎気の利いた会話はできません。
◎時々ボーっとしますが、気にしないで下さい。
◎特定の場所や音や光が苦痛になると避けます。(サングラスは必需品です。)
◎顔の表情が変わりませんが、冷淡ではありません。
◎人と違う反応をすることがあります。
◎発達障害の受容のためのお仕事をします。
やっぱり、名刺サイズの名札にこういうことを書いて、持ち歩くようにします。
(内容は、行く場所によって変えます。)
[2001年10月17日 18時44分18秒]
テーマ: 早期介入は、早期強制ではありません。
未だに、発達障害のある困った子は、
{早く発見して→外から押しつける形でグイグイ直して→普通にしてしまおう}という介入を奨
励する姿勢の関係者が多いような気がする。
レディネスを見ずに結果だけ求めるのは、当事者を混乱させるだけ。
不快記憶は、いつまでも残る。理由や理屈が判っても、環境や体調が悪いと勝手に想起される。
[2001年10月17日 9時34分45秒]
テーマ: こころをひらく?
さっき、動物モノのテレビ番組で、接触を拒まないことを「心を開く」と言っていた。
でも、それは、相手(この場合は象)にとって恐怖を与えないように・相手の礼儀に乗っ取っ
て・段階を踏んで接近すれば、警戒を解くということではないのか?
「心は十分に開いていても、接近すると逃げる」のは、触覚と異文化間交流と信頼関係の問
題。「言葉の遣り取りはできるけれど、打ち解けない」のは、遣り取りできるような共通の心情
を持ち合わせていないから。
"こころ"を閉ざしているのではなく、"こころ"の内容と接触の仕方が違う。
[2001年10月16日 22時29分48秒]
テーマ: 薬飲んでもとまらない。
私はパニックは起こさないんだけれど、何かのキッカケで興奮したり気になることがあると、よ
く不眠になったり睡眠時間が乱れたりする。そういう時は、何かの音や何かの考えが頭の中にこ
びりついていて何度も再生されている。
イヤなことが数時間〜数日先にあって、予期不安が強くなっていると特にひどくなったりする。
よそに書いたことをここに写すのは、非常に珍しい。
でも、これは今日ここに書こうと思っていたことだったから。
スイッチを入れる選択権が自分にない。ただ、今日はこういう日。
[2001年10月16日 18時47分32秒]
テーマ: ニンゲンのシッポ。
今までは、知的障害か身体障害がなければ情緒障害に分類されてしまっていたので、対応が全
くの誤まりだったり取り残されていたりしていた「高機能自閉症」。抽象的な概念操作ができず
に、具体的な経験の積み上げに頼っているというところでは、かなり重度の人もここに含まれて
いる。(ドナさんみたいな人。)
社会生活が送れている人のほとんどは、言葉の遅れがなくて、子どもの頃に「自閉症」と診断
されたこともなく特殊教育の対象にもならなかった人。視覚情報に頼ったり聴覚情報に頼ったり
できるために、概念操作が可能で知識や技能の取得ができている。(テンプルさんは、例外。)
それを利用してニンゲンのシッポをつかんでいると思っていたら、実はニンゲンにはシッポが
なかった。「○○さんは、こうしてくれた。うれしかった。」とか「○○さんは、こう言ってく
れた。うれしかった。」とか「○○さんは、頑張っている。」とか「○○さんは、良い人だ。」
とか言われることの内容は、概念からはすっぽりと抜け落ちている部分。しかも、それを構成す
るのは、身体的な表現や心をつかむ言葉や時間・空間的拘束。
別に、孤立することは慣れているからいいのだけれど、理解してくれる人と病院が身近にない
から「不安」が募る。
ワタシの仕様書を作って常に携帯していようかと思うけれど、断り書きの内容は状況によって
違うので、さしあたり、何かあった時のために普段飲んでいる薬の一覧と病院の連絡先だけにし
ておこうかと思っている。
長男のは、ほぼこれで間に合う。高機能自閉症の人を教える際のコツ
[2001年10月16日 16時24分50秒]
テーマ: 「自閉症」の治療。
「自閉症は治せる!」と言われる場合、ほとんどが重度で孤立型の「早期小児自閉症」を指し
ていることが多い。これを言い換えると、「自閉症を残遺させない。」ということでもある。
入力(外界の情報を知覚・認知・統合する)段階の混乱を整理し、出力(自分がどう振る舞う
べきかという)段階の混乱を整理するための道具が、TEACCHだと思う。それから、言葉を獲得
したり、自分の役割を演じることができるようにしたり、人と遣り取りできるようにするのは、
人と係わったりコミュニケーションできるようになることで、完全な孤立状態を脱却すること。
でも、それらのことができるようになっても、自分独自の文化・一人きりの身体を生きている
ことに変わりはない。
[2001年10月15日 13時52分31秒]
テーマ: 早期介入。
「北海道こども心療内科氏家医院」のホームページに、3才以前から診断・治療的介入した自
閉症児の{発達改善・関係性障害と対人指向性の改善}に関する論文が掲載されている。
ワタシが長男にしてきたことは、これとほとんど一緒。ただ、長男はADHD・LD・知的ボ
ーダーということで問題山積なのだが、自閉症は残遺していなく、双方向のコミュニケーション
やごっこ遊びなどができている。(しかし、根っこに自閉症があることは忘れてはならないし、
自閉症に重複しているADHD・LDは症状が重篤になることも大問題。)
早期発見・早期治療のポイントは、問題行動や発達の遅れがあっても「悪い子だ」とか「躾が
なっていないからだ」と思わずに、「自閉症」という「障害」に由来するものだと了解できるこ
とだけではない。
「まだ、子どもだから」「赤ちゃんなんて、そんなもの」「そのうち落ち着く」という一般的
なものの見方では見逃してしまうような「自閉症」による「こだわり」行動に対して、きっちり
とした枠組を作って介入できること。それから、特異なかかわり方をしていることを説明したり
フォローしたりしながら、健常児と共にいられるようにできること。
障害だと認知していないと、むやみに叱るだけになってしまう。障害だと分かっていても、親
の羞恥心から隔離してしまう。これは、どちらも避けなければならない。
[2001年10月14日 9時53分13秒]
テーマ: 気のせい?
つい最近まで、PTSDやアレルギーやシックハウス症候群や慢性頭痛やパニック障害でさえ、
ぜーんぶ「気のせい」にされていた。
数が少なくて、共感もされにくいかもしれないけれど、「発達障害」は一生の問題。これを
「気のせい」ですまされてしまっては、たまらない。「本人が悪いわけでも、親が悪いわけでも
ないのに!」←これは、最近よく見かけるようになった主張。
[2001年10月14日 7時44分10秒]
テーマ: ただの「こだわり」とは違う。
単なる、こだわりの強い人・人より物に興味がある人・博学的知識を持っている人というの
は、いくらでもいる。・・・ADHDもそうだ。
けれど、「自閉症」だと、感覚・運動・認知の歪みや偏り・その統合機能障害があるために、
自分の身体の知覚の仕方に異常があり入力される外界の情報が異なり、従って一般的な人と違う
反応をする。当然、感情の持ち方もズレている。そのためにコミュニケーションが成立していな
い。人とのかかわり方も特異。
そういう人が人々の群れの中に置かれた時、人から期待されている行動が取れるはずがない。
外界と没交渉で孤立していたり、明らかに状況にそぐわない行動をしていたり、とりあえず人に
言われた言葉や覚えている言葉をしゃべってみたりいろいろしている段階を、狭義の自閉症と言
うのだろう。明らかな自閉症だけれど、非・定型というのもある。
でも、何かしなければならないとは思ってする反応が成功する確率が高い場合は軽度の自閉
症、言語発達が正常範囲ならばアスペルガー症候群。ぜーんぶひっくるめて、広義の自閉症。或
いは、広汎性発達障害。
どのレベルにあっても、みんな自分自身の素性のままに正しい反応をしているのに、周りから
は「間違っている」「遅れている」「できていない」と言われてしまう人たち。
[2001年10月13日 22時13分28秒]
テーマ: 業界の選択。
ワタシは、辞典や図鑑的な知識を集めるタイプではなく、感覚没頭型。
しかも、言葉は言葉、具体的な経験は経験で、両者が結びつかない。どこかに行って来て、
「どうだった?」と聞かれると、「良かった」「楽しかった」としか答えられない。何を見たか
を説明するように言われると、起こった出来事を時系列に並べるただ回りくどいだけの話になる
か、興味を持ったことだけを超特急でまくしたてる脈絡の分からない話になってしまう。
集団で活動する時には、人の動作の意味がわからないので、いちいち言語化することを要求し
たり、自分がすべきことを言葉で指示されないと何もできない。かと思えば、知っていることを
ベラベラしゃべるチャンスを、いつも見計らっている。
そもそも、言葉数が多いけれど人に向かって何かを伝えようとはしていないので、ちゃんとし
たことを書こうとすると自力では限界がある。
一方、こうした日常的な体験とは分離した論理の上で、自分の状態を言い表わすコトバを集め
ていたが、それは「自閉症」の世界観だった。
しかし、今や「自閉症」は、医師・臨床心理士・作業療法士・言語聴覚士・教師といった専門
家が指導者として活躍する分野で、しかもその業界自体が「食えない業界」。
というわけで、しゃべれる「自閉症」というのは、しゃべれても「自閉症」なので、やっぱり
あんまり役に立たない。
[2001年10月13日 18時43分22秒]
テーマ: モニター作業。
今までは、苦しくて自分から外に吐き出したものは、もはや自分ではなかった。
でも、自分から出たものは自分の看板として一人歩きしてしまうことを知った。「自分の表現
しようとしているものが相手に伝わっているかどうか」確認したり、「自分には見えない自分の
外側を誰かに見てもらう」作業が必要だった。
人には自分の外側が見えていて、その外側がワタシということになっているのに驚いた時、ワ
タシは鏡が嫌いだったので、商店のショウウインドゥに写った姿を見るようになった。それと同
じように、直接聞くと壊れてしまうので、間接的に聞いている。
[2001年10月13日 13時50分15秒]
テーマ: 重度の人達。
ドナさんの講演記録などを読むと、「全てのものが部分認知で、全体像をつかむことは困難
で、概念はわからない」と書いてある。
ワタシは、いつもそうではないけれど、時々昨日みたいに部分認知が強くなることがある。も
しかしたら、いつもいつもそれのもっと重篤な状態で、部品や要素や素材しか知覚されていない
んだろうな?と思う。
ワタシは、全体や概念をつかむことができる。でも、全体を認知している時は部分がなくなっ
てしまうし、概念を操作してしまうので具体的な体験がカットされてしまう。文字や言葉をそこ
に置くだけで分かったような気になってしまって、その意味や経験した内容の説明も抜かしてし
まう。
物の認知が部分だけで、事象間の因果関係や全体との関係がわからない重度の自閉症者が、そ
れよりももっと複雑でしかも意思を持った主体である人との関係を築けないのは、当然だと思
う。
でも、軽度の自閉症で、物と概念の次元でのつまづきがなくても、人と直接遣り取りすること
が苦痛なのは変わらない。ワタシに向かって来るのは脅威だけれど、目の前に置いてもらって、
自分で決めたり選んだりできる時間と距離を取ってくれるのならば大丈夫。
[2001年10月13日 13時29分59秒]
テーマ: 客観的に眺めてみると…。
ずーっと、「自分はここにいてはいけない」「自分はここにいない」「自分には価値が無いか
らこういう目に遭うので、このまま消えるしかない」と思っていた。しかも、それが病的な状態
であることさえ知らずにいた。
でも、最近、自分という存在のままに"ここにいていい"という当たり前の精神状態を獲得し
た。それに、何人かの非・自閉者にモニターしてもらった結果、自分が意図していることと随分
と違っていることが分かった。それで、「いったい、自分は何をやっているのか?」ということ
を確認しようとして、あっちこっち眺めてみて思った。・・・ワタシって、変わってる!(文章
とか、観点とかが、他のサイトと全然違うじゃん!←今頃気づいても、遅い。)
[2001年10月13日 10時13分22秒]
テーマ: どんぐりの背比べ。
別に、みんながみんな一人前であることは、要求していないのかもしれない。ただ、"みんな
がどんぐりである"ことが前提になっているようだ。「どんぐり」と言うのは、もともと数種類
の似たような木の実の総称だから、どんな木であっても実が似ていればいいらしい。
色や成り立ちは栗に似ているけれど、栗のようにおいしくはない。栗は高級品で、羨望の的に
なる。それに、ブドウやカキやリンゴは、元々の素姓が違うので憧れの対象になる。それで、み
んな、髪の毛を茶色や金色に染めるらしい。
しかし、みんながみんな同じ意見を持たなくてもいいけれど、みんなが同じようなことを感じ
て同じように言葉がしゃべれるものだと思っている。だから、ギンナンは嫌われる。
[2001年10月12日 18時11分35秒]
テーマ: 部分認知が強い日。
身体的に疲れていと、テグレトールが切れた時に頭の中でザザザぁーという音がして、(別に
その音でではなく同時に)不快感が走ることがある。
今朝、それがあったせいか「水道をかってに出して」と書いてあったのが「歩道を勝手に飛び
出して」に見えてしまった。つまり、「水」を無視して、「道」と「かって」と「出して」の視
覚的な印象で意味を取ってしまった。
でも、「水道の蛇口をひねって、水を出して」と書かない限り、「水道を出して」という表現
には永久に引っ掛る可能性がある。だって、「水道」を「出す」と書いてあると、何の疑いもな
く蛇口から蛇口や水道管がボタボタ落ちてくる映像がまず浮かんで、「いや、これは水が出るの
だ」と否定しなければならないから。
その作業をするよりは、「歩道を勝手に飛び出す」と読む方がはるかに楽だ。文字の視覚的印
象から、別の文字を連想するだけですむから。
[2001年10月12日 16時6分33秒]
テーマ: 行動障害の有無。
「行動障害」:自傷・他害・激しいこだわり・睡眠や食事を含む生活の乱れ・排泄障害・多動・
パニックなど。
ICDは、そもそも"精神および行動の障害"の基準。DSMでは、"臨床的に著しい障害"と
断り書きがある。つまり、研究や統計調査の対象となる被験者を選別するための「基準」では、
「行動障害」が必須になる。
それと、IQの数値が低く社会生活上の困難がある「知的障害」、言葉の遅れや学習障害があ
る場合にのみ、「障害」として「診断」される。
従って、本などに掲載される事例・症例は、これらの明らかな症状があるものに限られてしま
う。
けれど、いつもいつも問題行動ばかり起こしているわけではないし、学校での総花的な学習に
は不適応でも、自分に与えられた仕事に必要な技術を習得できれば職にはつけるし、身辺自立が
困難でもそれに合わせた環境に身を置くことができれば、表面上は落ち着いた状態を保つことは
できる。
でも、これらの目立った症状がないからといって、生まれた時に自閉症だった人はずっと自閉
症者として成長するし、生まれた時に注意欠陥障害だった人はずっと注意欠陥障害者として発達
するし、生まれた時に認知の偏りがあった人はずっと特異な認知をする人のまま。
だから、医者や心理学者や教育関係者が対象から外したところから、本当の問題が始まる。
※医者や心理学者や教育関係者は、どうしても「○○のできない人」という見方をするけれど、
こちらからするともともと"しようとしていない"と言った方が的確だったりする。だって、無
いモノを「無い」と認識するには、それが「有る」状態を知らなければならないのに、始めか
ら無いのだからわかるわけない。
[2001年10月12日 8時32分33秒]
テーマ: 最近の傾向。
最近、障害を受容する方向の流れが見えてくるようになった。
その代わり、せっかく障害を理解し受容すると、親子がユニットで問題視されるという声も聞こ
えて来るようになった。
ワタシの場合は、元々が一蓮托生だから良いのだけれど…。そのケが多少あって、受容するのは
たやすいけれど、他の人たちとの関係も持てている人たちって、辛いんだろうなあ。
本人の、予後を良くすることや精神的な安定のために受容するように呼び掛けると、こういうリ
スクを負わせてしまうのか!・・・ちょっと、申し訳ないような気がする。
[2001年10月10日 21時59分27秒]
テーマ: 能力のばらつき。
自閉症で、能力的に突出した部分があると、人からはうらやましがられたりもする。
でも、矛盾だらけだし、自分で自分を疑ってしまう原因にもなる。本人だって、辛いのだ。
[2001年10月9日 20時3分58秒]
テーマ: 最近できるようになったこと。
「人に聞く」という思考回路と、「モニターする」ための手段を持てるようになった。
今までこれができなかったのは、まず第一に聞ける人がいなかったから!
それから、ワタシが侵蝕されずにそれをするための道具がなかったから。
でもその前に、
「何がわかっていないのか?」「何ができていないのか?」「どこが違うのか?」
が分かっていないことには、始まらないことなのだった。
[2001年10月9日 9時27分24秒]
テーマ: きのうの教訓。
○身体症状に転換されないと、精神的に落ち込まない。第一、日常生活に支障が起きない。心身
症は、気のせいではなく本当にある病気で、それはそれでちゃんと治療した方が絶対に良いこ
とを実感。
○最近の精神科の治療薬は、生活を犠牲にしないように配慮されて開発されているということも
ある。けれど、根っこに「自閉症」があると了解した上で処方してくれているため、一般的な
常用量ではなくワタシにとっての適量に合わせてくれていることが重要。
○そういえば、例の看板を立てて以来かどうかはよくわからないのだが、ワタシがこういうキャ
ラクターであることが多少認知されたような気がする。
でも、何も知らずにしゃしゃり出て、何でもかんでも知っていることをベラベラしゃべり、暗
記した問答集に基づいて綱渡りで会話を繋げることよりも、「わからないことには口出ししな
い」「できないことはできないと言う」「非・自閉者どうしの遣り取りは聞き流す」というこ
ともまた重要だと実感した。
※完全に周りから孤立しないためのスキルも大切だが、無理して付き合わないスキルも必要!
[2001年10月9日 8時20分59秒]
テーマ: じへいしょう。
自閉症でいるということは、ほとんど日本の社会と闘い続けることと同義語かもしれない。
本当に無力なんだよなあ、こうなると。味方もいないし。
[2001年10月8日 16時44分37秒]
テーマ: おつきあい。
どうして、そんなことを人に言うのか?と不思議でならないことや、感情たっぷりの会話をさ
んざん聞かされる。
せっかく、一人でいられる場所を見つけて納まっていようとすると、「一人ではかわいそう
だ」と必ず言われてしまう。しかも、すぐそばに寄って来る。
ワタシからすればただの野蛮人が"優しくて良い人"と評価されるこの不可解な舞台に、さんざ
ん罵られて行かされた上に、我慢の連続。何も持っていけないので、ただ、手を握りしめている
か服をつかんでいるしかない。すっかり硬直して、帰る頃にはびっこをひいている。
[2001年10月8日 16時39分33秒]
テーマ: あんぜんさく。
インターネットに接続する時に、一番最初に超特大のカエルの生写真が出るようにした。こう
すれば、何があってもこのカエルの目と口を見てチャラにできる。
しかし、例のテロ事件以来、外壁に凹凸のないツルツルした建物を見る度に、たとえそれが平
屋造りであったとしても旅客機が正面から衝突する映像が浮かんでしまって恐くて仕方がない。
これを消す方法は、ありそうにない。
(しかも、今日は、番組改編の特別番組のために二週間放送がなかった『犬夜叉』の放送予定
日なのに、その報復攻撃のお陰でどうなることやら心配。)
[2001年10月8日 11時11分48秒]
テーマ: じんぶんがく。(新文学でも新聞学でもない。)
放送大学なんてものがある。
ちょっと前に『ズームイン・朝』でやっていて気になっていたし、通院する度に線路際にどで
かい看板を見掛けていたのだが、URIを見損ねてそのままになっていた。なんと、病院のレスト
ランにポスターが貼ってあったので、それをメモしてきた。(URIを見ようと思っていると、検
索するという思考回路が思い浮かばない!?/視野から消えると、存在していることを忘れてし
まうことがよくある〜♪)
ワタシはもともと、路線図だとか組織図だとか概要説明や一覧表を見ているのが好きだ。で、
すみからすみまで眺めていたのだが、講座内容を読んでいたら、改めて「なぜワタシが人文学な
んていう、わけのわからないものを専攻したのか?」がよーくわかった。
なにしろ、中学以降はずっと「周りのにんげんたちとは違う、ワタシという生き物は何モノ
か?」と追及し続けていたから、産婦人科医の父が「姉弟のうちのどちらかが医者になるなら、
開業する」と言い出した時にも「精神科医にならなってもいい。」と答えたぐらいだった。
でも、多分にアスペちっく(当時は、精神分裂病っぽいとか、ただの神経質だとしか思われて
いなかった)な二人の子どもの様子では開業は諦めざるを得なかったのかどうだか知らないけれ
ど、その話はおじゃんになった。(いや、もし命令されても、自分の行った高校では物理が理系
の必修科目に指定されていたので、絶対に無理だった。/生物・化学・地学・数学は得意だった
のに、物理だけがダメだった。)
文系の科目の中では、教育学と心理学は始めから視野に入っていた。でも、何故これらを専攻
しなかったのかって? 答えは簡単。正常、というか病気でない人々を相手にした実習があるか
ら。
どういうわけかものすごくはっきりと、こういう人たちが苦手だということをワタシは当時か
ら自覚していた。まず、入った大学の心理学科が、統計心理学のメッカだったこともあって、心
理学を専攻する人たちの押しの強さ・エリート意識には、近づき難いものを感じた。一方の教育
学の方は、ワタシは、一対一でなら会話できるけれど相手が複数になると全くダメで逃げてしま
うことを知っていたので、教育実習ができないと思った。でも、それ以前に、体育がまるでダ
メ・しゃべると口が上手く回らなくて(ちょっと吃音ぎみ)、人の表現方法にいちゃもんばっか
りつけているくせに国語力があやしいことも充分承知していた。
当時は、全く理由がわからなかった。けれど、今にして思えば、省略できない自分の言い回し
の方がよっぽど回りくどいし、自分自身の文には感情表現がなく他人の感情が表現された文はす
べて切り捨てて読んでしまうワタシの方がおかしかったわけだ。
それで、理屈だけの哲学を専攻、となれば話が早いのだがそれもできなかった。なにしろ、自
分と違う論理で書かれた文章は、読むことすらできない。それで、何かの方法論を押し付けられ
ずにすむ「人文学」だった。
親元にいる間は、こうして苦手なことから逃げまくって、結局何も身につかなかった。親元を
離れて自分で生活しなければならないと思った時に、逆に自分を捨てて自分にないモノだけにし
てしまった。
人生の初期の内に、自分にはこういう難点があることを知っていれば、こういう無駄をしなく
て済んだのにねえ。
[2001年10月8日 10時56分41秒]
テーマ: 疑惑。
つい最近まで、自分は「精神分裂病じゃないのか?」「ただの神経症やヒステリーじゃないの
か?」「躁鬱病なのだから、引っ込んでしまった方がいいのではないのだろうか?」と、本気で
疑っていた。(精神状態が悪くなると、いつもそう思う。)
⇒だから、何度も何度も主治医に同じことを話していた。一年半以上確かめ続けて、「これだけ
はっきり言われたら、信じていいだろう。」と思ったのは、つい先週のこと。
だいたい、あれこれ"できない"人が「自閉症」と呼ばれるのであって、こーんなことができてい
る人が「自閉症」であるはずがないという不安がある。だから、確認するために「診断基準」を
引っ張り出していたのだ。
⇒でも、世の「自閉症」と診断されている人にはいろんな人がいて、それぞれいろんなことがで
きていることが分かった。
半年前は、本当にすべて(専門家・親・本人・一般人)から切り離されて"何もかも独り"に戻っ
たのだと確信していた。でも、その後、治療薬がヒットしたので、「行くところまで行って行き
詰まったら三人まとめて消えてしまえばいい」とは思わなくなった。(三次障害の大うつ病は、
治ったみたい。)
⇒いつも、「もう、二度と外線が切れることはないだろう」と錯覚してしまいそうなほど人との
繋がりを信じていられるのは、ほんの一瞬。やっぱり、いろいろ接続実験をして試してみたり
するのだが、すればするほど違和感と罪悪感が増えてしまう。で、必ず反動が起きる。
まあ、こんな風に外線が切れたり繋がったりしている"ありのままの自分"が存在していていいと
疑うことなく、そろそろ楽しいことを取り戻してもいいかな?と、今は思っている。(明日はど
うだかわからない。なにしろ、最悪の予定が入っている。)
[2001年10月8日 0時14分8秒]
テーマ: かえるりんぐ。
小学生の頃、どうやらにんげんとして生活しなければならないと気づいた時、ワタシが自分を
表わすキャラクターにしていたのはカエルだった。(と言っても、本物のカエルじゃなくって、
某製薬会社のカエルの人形。)
クリクリした大きい目でにんげん界を観察し、人の言っていることを口パクで真似して、都合
が悪くなると水面下に飛び込み、葉っぱに乗っかってカムフラージュして、のらりくらりと生き
のびたってことなんでしょうか?
それとも、カエルのようにまん丸い目をして真一文字の口をした顔が、"いいひと"の基準にな
ったのだろうか?
とにもかくにも、今日は「カエルリング」なるものをランダムにジャンプして遊ぶ。まあ、よ
くまあ皆さんカエルグッズをお集めになったこと、と感心。わざわざ自分で買わなくても、毎
日、世界のカエルグッズを眺めていられるなんて、便利な世の中になったものだ!
・・・ワタシは、{知識&名前収集}系ではなくて、{部分フェチ&色・形マニア}なので、何
に凝っても見てるだけ・聞いてるだけで、なーんの役にも立たないことを再確認。
[2001年10月7日 22時34分36秒]
テーマ: はったつしょうがい。
自分の子どもがADHDや自閉症というのは、そんなに悲しむべきことなのか?
自分の愛情が伝わっていないとか、人より手をかけているのに手応えがないとか、自分が大切に
されていないというのは、そんなに辛くて忌むべきことなのか?
・・・まあ、これが分からないんじゃあ、金になる仕事ができなくても仕方がない。
しかし、違う脳を持って生まれただけで「精神科」っていうのは、やっぱりおかしい。
別に、精神科がどうこういうのではなくて、スタート地点では脳が違うだけで精神を病んでいる
わけではないのに「精神科」、ってのは違うンじゃないか?ってこと。(その後、年月を経て虚
仮むした後ならわかるけど。)
だったら、やっぱり「発達障害」を扱う「発達センター」だな。でも、生まれつき発達上の障害
を持っていた人は、18才になったら普通になるわけではない。死ぬまで、発達上の障害と共に
生きるのだから、「子ども発達センター」じゃなくて、「生涯発達センター」が必要だな。(正
式名称は、「生涯発達障害センター」だけど。ダジャレじゃないよ!)
[2001年10月7日 18時55分4秒]
テーマ: かえる。
人と人とが会話していること自体が不思議に見える日。
カエルの目と口が、妙に魅力的だ。
知れば・分かれば、納得し・安心するのではないなんて!?(やっぱり要らない部品。)
[2001年10月7日 17時46分22秒]
テーマ: 成人期の本当の問題。
1、不安材料が増えれば増えるほど、機能不全に陥る。なのに、不安材料が増やされることはあ
っても、減ることはない。
2、何をするにも金がいる。なのに、稼ぎがないから何もできない。
3、せめて何かの補助や手帳でもあれば…と思うのだが。恥をかかせるな!と言われてしまう。
4、症状を悪化させる原因を作っておいて、悪くなればなるほど責められる。数が多いというだ
けの理由で、あちらが正論になる。
5、せめてもの活路を見出してしがみついていると、思わぬ嫉妬に遭う。
6、生存できなくなる恐怖を解消する唯一の手段は、社会的な認知を得ること。社会的な活動を
すること自体が恐怖だというのに、自分たちで立ちあがれと言われたって何もできない。
7、孤立することに慣れすぎているので、誰も信用できない。
8、上手くいったと思うといつも一人相撲だった経験しかないので、順調な時ほど不安になり、
せっかく積み上げたものを自分から壊してしまう。
9、自分がやったとアピールできないため、いつも人の業績にされてしまう。
10、人に合わせることができない障害なのに、「人に合わせないからいけない」と人から言われ
る。無理して付き合うと、人は喜び自分は壊れる。それで、無理がきかなくなるほど壊れて
も、誰も謝りはしない。非難される一方。
[2001年10月6日 10時16分46秒]
テーマ: 本当の課題。
本当の課題は、自閉症のことを知ってもらうことではない。自閉症を理解する能力のない人を
どうするか?/自閉症を理解する能力のない人からどう逃げるか?ということ。
知らないだけなら、知れば済む。けれど、人を利用することしか考えていなくて、人を思い遣
る気持ちのこれっぽっちもない人は、「自分にしてくれるはずだったのに、してもらえなかった
ことをいつまでも根に持って復讐すること」しか考えない。
ワタシはずっと発達障害を受容して来たが、自分自身は家族から受容された経験など一度もな
い。ワタシの悪あがきは、傍から見ればただの癇癪。
ずっと無理を重ねて来たのに気づかずにいて、無理するのをやめた途端に本当に居場所がなく
なった。受容する家族がいる場でだけ生きた心地を感じようとしているけれど、受容されている
という前提条件が崩れると空中浮遊できなくなる。だって、存在基盤の大地がないから。
[2001年10月6日 7時46分39秒]
テーマ: 神楽の屍舞。
楽しいことなんか一つもないのに、利用されるためだけに生かされている。
その上、そのためには何でもしなければならない。
鬱の症状は薬が効いて出なくなった。けれど、事態はますます悪くなる。
本当の特効薬は、自閉症が認知されること。さもなくば、きれいさっぱり消えること。
[2001年10月5日 21時45分50秒]
テーマ: あいでんてぃてぃ。
最近、違和感が多少なくなり、乖離も混乱もしなくなって少しは落ち着いた。
でも、自分は「唯一無二の存在でありながらも、人類という種の一員である(全体の中の個で
ある)」とか「今の自分も過去の自分も将来の自分もずっと私である」とか「社会的な場面では
さまざまな社会的人格を持っていながらもやはり私である」とかいう境地には至れない。
[2001年10月5日 10時21分1秒]
テーマ: こみゅにけーしょん。
コミュニケーションとは何か改めて考えてみる。(『自閉症の人のライフサポート』を参照。)
(1)「何のために」伝えるか。:要求する・注意をむけてもらう・拒否する・報告する・
質問する・自分の感情や身体状況を伝える・挨拶する。
(2)「どのように」伝えるか。:表情・身体の動き・直接動作・身振り・特定の発声・
具体物・絵や写真・文字・サイン言語・話し言葉。
(3)「いつ・どんな状況で」伝えるか。
最初からアスペっていうのは、(2)のさまざまな手段を併用してはいるものの、話し言葉が最
初から使えていて、(1)がなくて(3)が不適切。(まあ、型通りの挨拶はできていたか。)
でも、要求・報告・質問ができなかったのは、解かってくれる相手がいなかっただけだったから
かもしれない。
[2001年10月5日 8時13分38秒]
テーマ: えっ?
「躁鬱病では説明できないけれど、自閉症でなら堂々と説明がつく」って!?…逆かと思った。
(いや、一般的には、どちらにも見えないワタシなのであった。)
[2001年10月5日 8時0分29秒]
テーマ: 新たなADHD対策。
実行能力障害の深刻な長男のために、専用のタイマー(ヒモつき)を購入。今日は、初日なの
で、張り切ってやっている。
しかし、「○○するのに2分」なんてやっている。それでは、セットする時間の方が長くな
る。・・・一連の行動単位をまとめて、10分にしなさーい!
それに、次男の方は「注意」とか「多動」とか「衝動性」といった中心症状については解かっ
てきたけれど、「人にちょっかいを出して、わざわざ騒ぎを起こす」とか「すぐにふくれる=欲
求不満耐性が低い」ところもADHDの発達課題だ、というところを説明しなければ。
[2001年10月4日 22時25分42秒]
テーマ: 現実。
ワタシが、キッパリしたキャラでいられるのは、人生の初期の内に安定した存在基盤を持てる
ように「障害の受容」を訴える場でのみ。(これくらい強いキャラじゃないと、とてもやってい
られない。)
しかし、社会の方には通用しない。それから、発達障害を受容できない親心は、自分自身が
「理解してもらうのに3年掛かり、言葉が通じて問題行動がなくなったとたんに手のひらを返さ
れた」経験を実際にして知った。その後は、自分の手は染めずに助言だけしたので、実際の交渉
に当たった人から聞いて知っている。
[2001年10月3日 16時55分10秒]
テーマ: 獣朗丸と影朗丸(或いは、陽の中の陰)。
自分では自分がどういう人だか判らないし、自分のやっていることの意味が自分で判らない。
それで、人に聞いているのだが、どうやらワタシが「自分では自分がどういう人だか判らない
し、自分のやっていることの意味が自分で判っていない」こと自体が解かっていないようだ。
さしあたり、思考内語を公開する恐怖を体験したので、いくら何かの役に立っていると言われ
ても、もうできないだろう。(女郎は、やっぱり女郎蜘蛛が似合う。)
アスペは、ものの言い方がキツイので、ワタシが「人をビビらせている」と叱られる。けれ
ど、ワタシがビビッていても助けてはくれない。
[2001年10月3日 9時12分0秒]
テーマ: おしゃべり、なのにコミュニケーションがない。
自閉症関係者以外の人には、「何で、こんな簡単なことがわからないの!?」とか「お前の言
っていることは、わからない!」とか「それでは通らない!」とよく言われる。
元の状態だと、"自分と違うものは全て排除"だったのだが、"自分にないものを獲得しなけれ
ばならない"を自分が自分に至上命令として課してしまったところから、社会には適応できるよ
うになったが道を誤まった。
どっちにしても、人と居るのに人と居ないことには変わりはない。
どの時期でも、自分の心情を吐露したり他人に共感したりしたことはない(あいづちだけは、
よくうつけど)。つまり、コミュニケーションがない。
自分が漠然と感じていることや思っていることを言語化する回路がないところに、言っても理
解されたためしがなかったから言わなくなったのだろうか?(パソコンには書けるのに…。で
も、ほとんど他人に語らせていたりする。つまり、引用。)
自分のことを説明せず、自分の意見も主張せず、これからの予定を教えもせず、人が自分のこ
とを理解してくれない・気を使ってくれないと怒っていたんじゃ、まわりじゅうが敵になるわけ
だ。しかも、人と一緒に何かを産み出そうなんてこれっぽっちも考えていなくって、ただただ人
の面倒を見るかお説教をするかのどちらかだし。
それで、本当はかなりまわりがこちらに合わせてくれているのだろうけれど、こちらは顔の表
情に関する認知障害に対人関係障害が固着しているので、ひたすら「恐怖」を感じている。
[2001年10月1日 22時34分44秒]
※本人以外の書き込みはできません。
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