記事タイトル:2001年8月の「日記」 


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テーマ: 夏休み、最後の日。   
【明日の支度】
こっちの体制が整う前に・こっちの手順を無視して、二人のADHD児が同時にしゃべって動く
もんだから、パニくってせっかくの次男の秀作『かえるの絵』を逆向きに綴じてしまった。
リタリンなして過ごした一ヶ月の忍耐に、自分で自分を誉めてやりたい。

※しかし、学校が始まるということは、またまたいろんな行事も始まるということ。そっちの方
 が、恐ろしい。
[2001年8月31日 18時17分16秒]

テーマ: ニンゲンのふり。   
かつて仮面の人物になっていた時にはどれほど緊張していたか、そして今はその緊張がどれほど
なくなったか、両方を思って、混乱した。(P264)

最悪なのは、当然あると思われているそういった感覚がまるでなくて、しかもそのふりをしなく
っちゃならないってことだ。(P264)

わたし自身は、全然興味がない。何かを抑えたり隠したりしているわけでもなくて。それにわた
しは、ふりをするよりも、そういった感覚や興味がないことをきちんと認めることの方が、ずっ
と正常なことだと思う。(P265)

              ドナ・ウイリアムス著『こころという名の贈り物』より


場面に応じた人格を演ずるには、いろいろな戦略がありました。
○相手の職業別に、言葉使いを決めてしまう。・・・対先生用語・対医者用語etc
○頭の中でアニメやテレビのシーンを再生して、自分を同化させる。
○服装や髪型を変えてしまう。・・・例えば、PTAの副会長のキャラの時は、"こういう恰好
                 をして・こういう髪型をする"と決めておく。
 ⇒でも、今年の3月にこれをした時、「失恋したのではないか?」と職員室で話題にされてし
  まった。(あまりにも普段と違うことをすると、厄介になることがわかった。)

そう言えば、さっき『笑っていいとも』で、「こういうことを言われたら、うれしい」だとか
「こんなことがあったら、ショックだ」なんていうさりげないツッコミをしていたのを見て、
「ふふん、それがオンナゴコロというものか!」と勉強をしてしまった。お笑い番組というの
は、そういうところをハッキリ言うのでわかりやすい。←だからといって、真剣に見るかぁ?

※ワタシが、度々そして頻繁に、ドナさんやテンプルさんの著書から引用するのは、ワタシの場
 合は先に「診断」があったのではなく、こういう手記を読んで確認しながら確信していったか
 らです。
 それに、医師から確定診断を受ける前に、既に数人の「自閉症」児の療育をしたり相談にのっ
 ていたりもしていたし、本人として意見を聞かれたりもしたいたので、何かというとこれらの
 手記を参照しないと不安で仕方がないのです。
[2001年8月29日 15時11分50秒]

テーマ: 恐ろしい「合併症」。   
 ワタシは、もともとの「合併症」が双極性障害(躁鬱病)なので、躁でも鬱でもない状態と言
うのを知らなかった。しかも、心身症から来る鬱や二次障害の鬱(これは、「抑うつ状態」では
なく正真正銘の「大うつ病」だった)が加わっていた。
 薬の組み合わせが確定した半月ほど前から、明らかに"今までと違う状態"を実感している。そ
うなってみて震えてしまうのは、「自閉症」に気分障害(鬱病・躁鬱病)が合併していると顔色
や表情が全く変わらないから全く気づかれないことの怖さ。でも、それ以上に恐ろしいのは、躁
と鬱のどちらかしかない状態が異常だなんて全く知らないでいたということ。

 元々、自分自身の居処は、感覚や共感覚に没入する世界だった。

 でも、水たまりに浮かんでいた油のきれいな色やガラス細工の輝きに魅入ることを禁止されて
以来、そういうモノを見てはいけないと思ってしまった。今にして思えば、どちらも「アブナイ
からやめなさい」と言われたのだろう。けれど、ただ"禁止"されたと解釈しただけではなく、
「魅入ってしまうと自分ではやめられないから、始めからしないようにした」ということもあっ
たようだ。一方、音楽に聴き入ると身体の他の動きが止まってしまうから、音楽を聴くことを禁
止した。
 けれど、何故か身の回りにはエスニック柄の装飾品やら丸い珠やグルグル渦巻きが増えて行く
し、鐘や風鈴の音をずーっと聞いて覚醒状態を保っていたことが、謎として残った。

 しかし、ワタシの過ごしたほとんどの時間が、{人と接している時の躁状態}か{人と接触し
た後の鬱状態}のどちらかに塗りつぶされていたことには、ただただ驚愕するしかない。
[2001年8月29日 10時29分11秒]

テーマ: 救われる才能。   
溺れた時に、「助けてー!」と叫んだり、岸辺の人に手を伸ばすことができる人は、救われる。
漂流した時に、他の漂流者を見つけて助け合ったり・元気づけ合ったりできる人も、救われる。

溺れて、ワラをつかんでしまった人に「ワラじゃなくて差し伸べた手をつかむまで、助けてやら
ない」と突き放したり、すぐ隣りにプカプカ浮かんでいる人と話したり泳いでいく力のない人に
「何で、こんな簡単なことができないのか?」「こっちへ来ればいいじゃないか!」と言うの
は、どこにでもある"非情"。
[2001年8月29日 9時59分40秒]

テーマ: 「折り合い」の次元。   
人それぞれ、折り合いをつけられる限界が違う。

しかし、折り合いをつけられる部分でしか、存在を認められない。

できないことを指摘されるのは、存在を否定されるに等しい。

自分にはできないことをできている人を見ると、存在してはいけないのだと思ってしまう。

ぜーんぶ借り物のキャラクターを使って「世間」にいると、「世間」には居ることになる。

しかし、それはワタシではない。そればかりか、要求に叶う存在の仕方をしていない。

「世間」にはワタシは居られるけれど、ワタシ自身は「世間」に居ない。

というのは、ワタシはたくさんのキャラクターのどれもが自分自身であることに、どうしても折
り合いをつけられないから。だって、ほとんどすべて、自己の全否定なのだから。
[2001年8月29日 7時23分21秒]

テーマ: つづき。   
「世間」に訴えることができるのは、「世間」に訴える才能が備わっている人。

「世間」と折り合いをつけることに全力を投入している人には、それ以上の余力はありません。
[2001年8月29日 7時2分18秒]

テーマ: 「世間の縮図」は、もう要らない。   
「世間」は、ひとつあればいい。

その「世間」には、もう十分に折り合いをつけている。

だから、二つも「世間」を抱えたくない。

自分には絶対できないことを要求されると、疎外感を感じてしまう。

救われる人には、"救われる"ための才能が備わっているらしい。
[2001年8月29日 6時58分26秒]

テーマ: 奈落の底。   
療育関係者に報告することが、ワタシの「こだわり」。

その大前提を外されると、いきなり奈落の底に突き落とされる。
[2001年8月28日 23時21分11秒]

テーマ: 係われば係わるほど、繋がりが切れていく。   
↓に書いた今朝の「日記」、これはワタシの言葉です。

こんな、誰にも通じないばかりか悪い印象を与えてしまう言葉でしか、ワタシは話せない。

だから、人に説明しようとしてコトバ数が増えれば増えるほど、通じていない実感も増える。

係われば係わるほど繋がりは切れ、ワタシのことをみんなが怒っていると思ってしまう。

人に通じないコトバは、人に接触した瞬間に凶器に変わる。

人を傷つけ、自分自身をも傷つける。罪悪感が大きくなる。
[2001年8月26日 22時16分28秒]

テーマ: 「適応障害」の治療。   
【適応障害】(DSM−4による)
A、はっきりと確認できるストレス因子に反応して、そのストレス因子の始まりから3ヶ月以内
  に、情緒面または行動面の症状の出現。
B、これらの症状や行動は臨床的に著しく、それは以下のどちらかによって裏付けられている:
 (1)そのストレス因子に暴露されたときに予測されるものをはるかに越えた苦痛。
 (2)社会的または職業的(学業上の)機能の著しい障害。
C、ストレス関連性障害は他の特定の第1軸障害の基準を満たしていないし、すでに存在してい
  る第1軸障害または第2軸障害の単なる悪化でもない。
D、症状は、死別反応を示すものではない。
E、そのストレス因子(またはその結果)がひとたび終結すると、症状がその後さらに6ヶ月以
  上持続することはない。
【適応障害の分類】
[抑うつ気分を伴うもの][不安を伴うもの][不安と抑うつ気分の混合を伴うもの][行為の障害を
伴うもの][情緒と行為の混合した障害を伴うもの][特定不能]


 普通、「自閉症」の教育というと、"いかにして社会に適応させるか""いかにして社会に適応
するか"が課題であり、社会適応する方向だけを考えている。また、社会に適応できずにいる理
由の一つに"自分が「自閉症」であることを自覚できている"人たちのほとんどは、社会適応の方
法を模索していることも多い。
 でも、医学的な治療となると、そうとばかりも言っていられない。家族がどうやって適応させ
ようかと苦心している〜適応できなくて本人が悩んでいる〜適応できているけれどそれを苦痛に
感じている〜相当の無理をして適応しすぎているが自覚が無い〜適応しすぎて破綻してしまっ
た…と、さまざまな人を対象にしなければならない。

 で、「自閉症」の「適応障害」のややっこしいところは、始めから社会的な機能に困難があ
り、始めから神経症的な症状があって、元々社会適応上の問題を抱えているということ。
 適応して当たり前で、適応できないのは「悪いこと」とするのが普通の考え方。けれど、「自
閉症」の場合は、明らかな社会的不適応が端的に現れることも、傍目からはちゃんとやっている
ように見えることも、両方が問題になる。
 それがどのような形で表われるかということになると、うつ・不安・行為の障害・身体症状・
ひきこもり…と様々だけれど、そもそもの原因を考えてみれば、「適応障害」を起こさないほう
が不思議だと言っても過言ではないと思う。

A、はっきりと確認できるストレス因子に反応した、情緒面または行動面の症状。
   ⇒それぞれの認知・感覚・運動機能の特性に応じて、世の中のありとあらゆるものがスト
    レスになっている。
B−1、そのストレス因子に暴露されたときに予測されるものをはるかに越えた苦痛。
   ⇒普通では何でもないようなことが、重大なストレス因子になっている。
B−2、社会的または職業的(学業上の)機能の著しい障害。
   ⇒元々、社会的・職業的・学業上の機能に障害があるので、容易に適応不能状態に陥る。
E、そのストレス因子(またはその結果)がひとたび終結すると…。
   ⇒地球環境と人類のDNAの著しい異変でも起きない限り、ストレス因子が全くなくなる
    ことは有り得ない。

 「自閉症」が重度で普通の行動ができずに社会適応できない場合と、「自閉症」が軽度でそれ
らしい行動を封印して全く普通と同じような振る舞いを獲得してしまったために適応障害を起こ
している場合とでは、向かっている方向が逆だったりもする。でも、現時点では、前者について
も後者についても、暗中模索状態。
 また、自己否定の結果として過剰適応したが故に精神的に破綻してしまった場合、それだけで
も全くの適応不能状態に陥ってしまう。治療方法を選択するに当たっては「自閉症」かどうかの
判断が不可欠だけれど、まずは「自閉症」だからどうだというよりも、顕著な症状に対してそれ
はそれとしての治療をちゃんとしないといけない。で、治療過程でいったん出発点の状態に戻っ
た時に、こういう一過性の退行を受け留める方法論がなければ、何のために「診断」したのかわ
からない。・・・本当の「治療」は、一度壊れたところを再構築することにあるというのに。

※「診断基準」には抵抗があるという方々へ。
 「診断基準」は、人を分類するための基準ではありません。適切な治療をするために、人がど
 ういう状態になっているかを正確にとらえるための指針です。
 勘違いして、単なるチェックリストとしてしか利用していない関係者もいるかも知れません 
 が、本当に人を「診断」できる関係者は、文面ではなく"人となり"を見ているはずです。
[2001年8月26日 12時37分40秒]

テーマ: 『ドラえもん』が見れない。   
【『ドラえもん』が見れない】

 何故かと言うと、途中でジャイアンがのび太に意地悪をしたり「のび太のくせに!」なんて言
うのを。真に受けて怒ってしまうから。それに、のび太が、ドラえもんの道具を手にすると必ず
調子に乗る、これも見てられない。・・・これが、子どもの時から今も変わらない理由。

 最近、もう一つ理由が増えた。こういう子どもたちを、何とかしなければならない! 外に出
て喧嘩が始まる前・騒ぎを起こす前に、自分の所で治さなければ! という理由。

 子どもの頃は、他に見ている人がいてもスイッチを切ってしまったが、今はスイッチは切らず
に、本人を説得しようとしたり…、先生や親たちに教えようとしたり…。


【遣り取り】
(1)Aさんが、ながーい独白を書いたする。何とか付き合うことはできるが、途中で合いの手
   やツッコミを入れたくなる。Aさんの書いたものが、論理的で読みやすい論文だったら、
   そんなに苦もなく読めるけれど、やっぱり解説をしたくなる。
(2)「BさんがAさんに質問して→AさんがBさんに答える」形式のものなら、実質(1)と
   変わらないので、上に同じ。
(3)でも、「BさんがAさんに質問して→AさんがBさんに答える」だけでなく、「Bさんも
   意見を言って→AさんはBさんの意見に対する意見を言う→∞」・・・更に、そこにCさ
   ん→Dさん→Eさん→Fさんと加わる。なんてことになると、見ているだけでパニックに
   なってしまう。「んも゛〜お゛、早く結論出して、結果だけ教えてーーー!」と、わけの
   わからない叫びになってしまう。
なのに、人と遣り取りできることを、"あたたかい"と言うらしい。では、遣り取りができないの
は、"つめたい"で一蹴されるわけ?・・・・そんなの、悲しい。
[2001年8月25日 7時21分44秒]

テーマ: 「自閉症」にも精神療法が必要なこと。   
 「自閉症」児の治療というと、身辺自立・集団の中でのなどの振る舞いといった「行動改善」
の指導をして社会適応を計るとか、認知の歪みをなくせば十分だとしか思われていない。

 でも、「自閉症」児・者にも、個人精神療法が必要です。

 まず、どんな形でも(言語的手段でも、非・言語的手段でも)いいから、意思の疎通ができる
ようにすること。
 その人が、「自分のやっている行動・自分のした発言」の"本当に意味すること"やそれが"人
にはどういう印象を与えるか"を解説し、「他者のやっている行動・自分のした発言」の"意
味"を説明する通訳になって、良い状態の時も悪い状態の時も、何年にも渡ってついていること
が大切なんです。
 テンプルさんは、そういう家族に恵まれていた。更に、加工されないままのそのままの「こだ
わり」は、とっても社会的に通用しないものであったけれど、それを「科学」に結びつけるよう
に気長に見守って指導してくれた人がいた。
 ドナさんは、家庭には恵まれていなかったけれど、良いタイミングで人に出会った。(『自閉
症だった私へ』を読み違えた人に便乗して、ドラマを作って喜んでいる場合ではありません! 
そこに書かれていることを、しなければいけないんですよ!専門家の方々は。)
[2001年8月24日 9時41分42秒]

テーマ: 未治療の成人全てではありませんが…。   
 「早期小児自閉症」が残遺している人・「語用論的障害」の重い人・関係念慮が強い人が、他
の「自閉症」者の書いたものを字面だけで解釈して"思い込み"をしてしまうことを、ワタシは
「するな!」とは言いません。
 そういうことを「掲示板」に書かないようにと拒否するだけなら、簡単です。そういう時期
に、ワタシにはそれを聞いてもらって説明をしてくれる人がいたから良かったけれど、"思い込
み"を言う相手がいなかったり、"思い込み"を打ち明けても賛同するだけでエスカレートする一
方のイエスマンしか身近にいなかったりすることを考えると、何とかして"人と繋がる場"を見つ
けて欲しいと思います。
 だいたい、「自閉症」の子どもにも精神療法が必要なことを認識せずに行動改善だけを目標に
している現状なので、「自閉症」成人にもそれが必要だと知っている専門家はほとんどいないで
しょう。(そう感じていても、方法が分からない…。いや、それよりも今はやっと「診断」され
るケースが増えて来たばかりの段階。)
 でも、その前に、社会全体が無理解なことと、社会補償が何もないので生活に対する不安があ
るという大問題がある。これを何とかしなければ、堂々巡りの繰り返し。
[2001年8月24日 7時20分24秒]

テーマ: 非・自閉者こそ、想像力の障害者!   
 「自閉症」でありながら「掲示板」という社会的な「場」に書き込むことができ、そこで文字
を通して人と遣り取りができるのは、「かかわり障害」「コミュニケーション障害」「こだわり
障害」のいずれかが軽い人に限られています。
 しかし、「掲示板」上に現れることができるごく数人の「自閉症」者の背後には、それも
できないたくさんの「自閉症」者がいます。
 世間的にどんなに誤解をされようと、ワタシは上手くいっている人・社会的な活動のでき
る人・人とかかわれる人だけを受け容れて、それのできない人を排除することはしません!

 「診断」が遅れたことが問題なのではありません。今まで、一度も自分を理解されたことがな
く、たった一人で世の荒波に翻弄されて耐え難い不安と恐怖にさいなまれて来た人が、「自閉
症」と「診断」されて、生まれて始めて自分の身の置き処を見つけたと思った途端に、そこには
自分と違うタイプの「自閉症」者がいた。そこは"自分の家のはずなのに他の住人がいた"となれ
ば、排除したくなる。
 ワタシは、その時期に、主治医の先生をはじめとするたくさんの人に助けられました。「自閉
症」児を持つ親たちが、世間とワタシとの間の橋渡しをしてくれました。パニくって大騒ぎして
いたワタシを、気長に見守ってくれました。

 それに、ワタシ自身も、現在、自分とは違うタイプの「自閉症」者との間に同じトラブルを抱
えていて、直接攻撃を受けた後には半月も落ち込み、せっかく治りかけた二次障害のうつ病がぶ
り返した経験をしています。個人攻撃をされた人の心情が想像できないどころではない、その痛
みも十二分に知っています。
 でも、それで抗うつ剤や抗不安薬を飲みすぎて肝臓を潰してしまったとしても、ワタシは一向
に構わないと思っています。

ワタシは恵まれていたので、気長に見守ってくれた人がいた。なのに、自分と同じ境遇にあ
 る人を蹴落とすなどという非情なことはできません!

「障害」があって、周囲と折り合いがつけられないから「自閉症」なのです!

何らかの形で周囲と折り合いのつけられる人だけを前面に出して、それのできない人を闇に
 葬ることはできません!
[2001年8月23日 10時48分13秒]

テーマ: いろんな「自閉症」。   
 「自閉症」の概念が、最近になって拡がった。

1、カナー・タイプの、言葉の遅れのある「早期小児自閉症」の人でさえ、初めて「診断」が下
  ったのは、世界的には50年前・国内では30年前で、現在も追跡調査中。しかも、それさ
  えも、脳の機能障害に根ざすものではなく情緒的・養育上の問題であると思われていた時期
  があった。
2、「自閉症」が脳の機能障害だと認知された後も、明らかな「早期小児自閉症」でも言葉の遅
  れのないアスペルガー・タイプや、精神発達遅滞を合併していない(IQ70より上)場合
  は、「自閉傾向(自閉症の傾向がある)」と呼ばれることはあっても(それさえもない場合
  がほとんどで、やはり情緒的な問題とされていた)、「自閉症」グループだとは認識されて
  いなかった。
3、更に、より軽度な「自閉症」や典型的でない(非・定型の)「自閉症」も含めた、連続性の
  ある「障害」だという認識もなかった。更に、不安障害(パニック障害含む)・チック・自
  傷他害といった症状は、かつては「自閉症」そのものと不可分なものだとさえ思われていた
  けれど、それらは合併症の一つにすぎないことも判ってきた。
  感情障害(鬱病・躁鬱病・抑鬱症など)を合併症に持つ者は意外と多く、また、選択的場面
  緘黙・心身症・適応障害・性同一性障害が合併することがあることも、研究の先進地では知
  られるようになった
4、「自閉症」が、広い裾野を持った・連続性のある「障害」であるというのは、ウイング博士
  がイギリスで大規模な調査を行って初めて解明された。国内では、10年ほど前から数百人
  単位の追跡調査が始まって、現在は統計上の結果報告がまとめられるようになった段階。こ
  れらの成果を受けて、国際的な「診断基準」が改定されたのは5年ほど前のこと。

最近、急に脚光を浴びるようになったので、これらのことがいっぺんに起きている。はあ〜。
[2001年8月22日 11時20分59秒]

テーマ: 見ると、解説したくなる。   
でも、人が望んでいるのはそういうことではない。

では、見て見ぬフリをするか、まったく見ないかのどちらかにしなければならないようだ。
[2001年8月22日 10時29分57秒]

テーマ: 教訓。   
 身体虚弱でいつまで動けるかわからないし、人に依存しないと生活できないので、ワタシも
「老後」は心配です。しかも、ウチの場合は、自立できそうにない子どもを抱えているので、各
種の保険・年金・貯金をしまくっています。
 「その場でこう言えば良かったことに、半年経って気がついてももう遅い」ということに気が
つきました。

でも、ワタシの「こだわり」は、
○自分のした失敗を、二度と繰り返させないこと。
○療育関係者に、分かったことを報告すること。
○見たものを解説すること。
○こういう「自閉症」もあるのだと、主張すること。
なので、誰かと意見交換したり共感できる人を探そうとしているわけではないのでした。

 それから、ワタシには、先に「診断」がついてから「自閉症」について勉強したのでも、「自
閉症」のことを知ってから活動を開始したのでもない、という個人的な特殊事情があります。ワ
タシは、「診断」とは無関係に「教訓」として療育をしてきたのだし、こういう「自閉症」があ
ることを研究している人がいることを知らずに、こういうのも「自閉症」ではないかと自分で主
張しなければならなかったのでした。
 なにしろ、ワタシが漠然と"他の人とはどこかが違う"と感じていたものが、「自閉症」という
ものではないか?と思うようになってから「診断」が確定するまで、11年かかっているのだか
ら。それで、確信を持って「ワタシの場合はこうだった」と書く前に、「自閉症」の定義づけを
しなければならなかったのでした。

※もう一つの「教訓」・・・心身症は、我慢しない方が良い。(いや、我慢できません!)
[2001年8月22日 7時1分48秒]

テーマ: 反省。   
 私も、対人関係障害をこじらせ、二次障害で精神的・身体的に破綻してしまったクチなので、
以下の事ができません。

○他者の持ち込んだ、自分には興味関心のない問題やテーマに注意を引くこと。
○他者が経験した良いトピックスについて、賞賛すること。
○他者に、同意・共感したり、批判し・されることができること。
○自分で決めた用語(ワタシの場合は、哲学用語と精神医学用語)や、自分独自の言葉の用法の
 殻を打ち破ること。
○集団に所属し、集団内での役割に見合った振る舞いをすること。
○良い自己イメージを持つこと。
            『高機能広汎性発達障害』(P236〜237)を参照して作成。

というわけで、あちらこちらにご迷惑をおかけしています。ごめんなさい。
[2001年8月21日 22時44分21秒]

テーマ: 電話の応対。   
 今、アスペの長男には、極力、電話に出るように仕向けている。

 まず、ごく普通の受け答えの言葉を覚えること。これだけでもタイヘンだ。増してや、「相手
によって言葉使いを変えるように」などとはとっても言えない。だから、本人の友達からの電話
だろうと、仕事の電話だろうと、家庭教師や教材販売の勧誘電話だろうと、区別がない。それ
に、相手の名前を聞けるようになるのは、いつのことだか皆目検討がつかない状況。 
 でも、それよりも何よりも、一番困るし一番理解できそうにないのは、世の中の仕組みの中
で、どういう人が・どういう立場で・どういう目的で・何を聞こうとして電話をかけてくるのか
がわからないということだ。つまり、電話をかけている人がどういう社会的人格(個人なのか・
会社の役職なのかというようなこと)で、その人がこの家の誰のどの社会的人格に対して電話し
てくるのかということ。

 ワタシは、電話の応対の仕方をお寺で習った。老師が見て見ぬふりをしているピリピリと張り
詰めた空気の中で、電話が切れた途端に「○○を聞いていない」とか「その言い方では失礼だ」
ということを逐一言われた。(教えてもらったと表現するべきなのだが、とてもそういう雰囲気
ではない。)
 後は、会社の『応対マニュアル』丸暗記だの「勧誘電話はひたすら断われ」だのという、いく
つかのパターンを覚えた。
 でも、しゃべりながら考えることができないので、話すことは下書きが必要。他に音がしてい
ると電話の音が聞けなくなってしまうので、テレビは必ず消す。
[2001年8月21日 10時43分34秒]

テーマ: そういえば…。   
 ワタシが、「誰かにワタシの名前を呼ぶ度に、それはワタシのことだろうか?」と不安だった
ことを思い出す度に、どうして二段ベットの柱の映像が出てくるのかが分かった。
 人がワタシの名前を呼ぶのは、ただ名前を呼んでいるのではなく、"何かの用事がある"と
か"呼んだ人のいる場所に行く"ことを意味していることに初めて気づいた時、ワタシは二段ベッ
トの下の段(自分の寝床)の布団の間に挟まっていたからだった。そこはワタシの居所であり、
呼ばれて行くというのは、そこから出ていくということだった。
 扉を象徴にしていた誰かさん(=テンプルさん)の話を読んだ時、まさかそんなことはしてい
ないと思ったけれど、抽象概念や言葉を「画像で考えて覚え・画像を再生することで使ってい
る」ことが非常に多いことに気づかされた一連の流れの続き。でした。
[2001年8月20日 17時16分34秒]

テーマ: 早期療育を逸してしまった場合。   
 「自閉症」の「診断」が遅れてしまった場合、学習障害や言葉の遅れや感覚の過敏性以上に厚
い障壁になるのは、"本人に固有の意味付けされた世界観を持ってしまっている"こと。だいた
い、実質的な意思の疎通ができていないままに対人関係障害をこじらせてしまっているので、人
との間に信頼関係を築くのが難しくなっていることが多い。

 幼児期〜学童期までなら、"本人に通じる固有の言葉"を探り出すまでがタイヘンだが、それを
解明しさえすればそれを使って、生活を構造化したり行動を統制していくのは比較的容易。それ
以降(思春期)になると、積み重ねられた過去の否定的な体験がフラッシュバックして来たり心
理的な抵抗が大きくなって、(母子関係のような)単なる生存のための依存ではない"人と人と
の間の二者関係"を成立させること自体が難しい。言葉は既に通じるようになっていることが多
いけれど、その言葉を"自分の思い通りの意味"で使い、"思った通りの方向"に話が進み、"自分
の思った通りの結論"が導かれないと満足しない。
 一人の人につきっきりで付くことができ、一人の人の完全な専門家になることができ、一人の
人の通訳として心身ともに捧げることのできる人は、普通、その家族以外にない。だから、発達
障害には家族療法が不可欠になる。でも、「診断」が遅れた場合は、子どもに何らかの異常があ
ることに気づいていても、どうしていいか解からずにただ庇護することしかできなかったり、た
だただ責め続けて更正させようとしかしていなかった経緯があるので、既に親の言うことは聞か
なくなっていることが多い。
 そこで、世の中との橋渡しをして、主観的に思い込んでいることと客観的な事実とのギャップ
を埋めてくれる人、根気よく思い違いを説明してくれる人、どんなに取り乱してわめいても冷静
に見守ってくれる人、つまり「ワタシのおかかえ通訳」が必要になる。

 今まで、自分を理解してくれる人に一度も出会った経験をしていない人は、対象の恒常性に対
する不安を持っているので、人間関係が持続していくこと自体が信用できない。「自閉症」者に
とっては世界がひっくり返るほどの大騒ぎのように認識していることが非・自閉者にとっては何
でもないことに失望しながら、「もうやめてしまおう」という葛藤を感じながらも「やめられな
い」関係の人に出会うことが第一関門なのだ。
 まあ、ドナにとってのミラー夫妻とマレク先生に当たる人なのだが…。「診断」から「出会
い」までの間があくと、独断の固定観念や知識が増えてしまったりもするので、このタイミング
もまた微妙になってくる。だから、体制が整わないのに診断だけしても無意味だったりする。
(それ以前に、「診断」できる医者が少ないのに、病院へ行って「診断」してもらいましょう!
と呼びかけるのも不毛だと思うけれど…。)
[2001年8月20日 16時3分23秒]

テーマ: 早期療育の手順。   
 ワタシは、生まれる前から長男は「自閉症」だと確信していたから、「自閉症」児への対応と
はほぼ生後間もなくからやっていた。ただ、当時は軽度の「自閉症」についての知識が全くな
く、「自分がオカシカッタから、この子もオカシクなるだろう」「自分がわけがわからずに苦心
したことを、始めから教えてやろう」という程度のものだった。それで、名前や二人称の代名詞
を使わずに、始めから"ボク"という一人称の代名詞で呼びかけたし、感覚的なこだわりや固執性
や癇癪を"あって当然なもの"として対応していた。
 療育の方は、"本人に通じる記号"を用いて意思の疎通を可能にすることがまず第一ステップだ
った。その"本人に通じる固有の言葉"を使って、生活を構造化したり行動を統制していった。小
学校に入学した時点では、まだその段階で、とてもじゃないが日本語での会話はできていなかっ
た。
 合併している学習障害(読字・書字・計算すべてあった)に対応する以前に、日本語を教える
のには、「外国人向けの日本語の教科書」を使った。認知の障害に対しては、幼児向きの「知能
教育教材」を加工して余計な情報をカットして使った(『実践障害児教育8月号』のP38〜41
「無理なく楽しい学習をするために」に書かれていることと、全く一緒のことをやった)。その
上に、市販の「国語ドリル」を使って読字障害への対応をした。(現在、ADHDの次男の読字
障害への対応は、この段階から始まった。)

 ウチの長男は、知的ボーダーで学習障害と言葉の遅れがあるタイプなので、アスペルガー・タ
イプとはいえ、こういうステップが必要だった。けれど、知能が標準以上で言葉の遅れがなく認
知の歪みもない場合だと、この次の段階から始まることになるだろう。
 すなわち、不自由なく言葉を操っているように見えるので、自他の境界が曖昧で、自己存在の
外に何かがあることはわかっていても誰か(意識を持った人間)がいるとわかっていない状態で
生活しているなんて、とっても見えない。全く「普通」だけど、どこか違う状態から出発する。
 自分の知っていることはベラベラしゃべるが人から何か言われるとキョトンとしているとか、
どこであろうと誰に対してだろうと思ったことをズケズケしゃべったり、理にかないすぎて人の
気持ちを損ねてしまい指摘されると「間違っていない!」と怒ったり、見ればわかるようなこと
にいちいち説明を求めたり…。
 こういう典型的なアスペルガー症候群の段階になると、言葉で説明をしていくことが多くな
る。人に対して「正しいけれど・失礼なことを言う」のは、「自分にはそういう心情がなくて解
からないかもしれないけれど、○○さんは△△を気にしているので○○さんには△△のことを言
ってはいけない」と教える。人にはそれぞれ立場があることが解からずに、「言ってはいけない
人に言ってはいけないことを言ってしまう」のは、「○○さんにこのことを言うと、△△さんが
困る・苦しめる・泣かせる」と教える。オカシナ恰好をしているのは、「自分からは見えないか
ら判らないだろうけれど、すっごくオカシナ恰好をしている」とか「人からはこう見えている」
とか「どう見えているか、鏡で見てみなさい」とか…。
 人の動作や顔の表情が読めないことも、「お勉強」として"人の気持ち"について知ることと実
際の体験の両方が必要だ。まず、喜怒哀楽などの感情や日常的な動作の絵を見せて、「何をして
いるか?」と問いながら「言葉」を学習する。でも、実際の現場では直ちに応用できないので、
ありとあらゆる機会を利用する。(インフルエンザで39℃の熱を出して動けなかったワタシ
に、長男が平然と「今日のご飯は?」などと言ってきた時には、「人は生きているのであって、
物ではない」とこんこんと説教した。)
 どちらにしても、その都度その都度、具体的に何度も何度も教える必要がある。(一項目につ
き、4〜5年くらいは覚悟しておいたほうがいい。)
 

※彼岸の前後に体調を崩す「自閉症」児が多いことを知っているので、この時期に「体調が悪 
 い」と書く。するとその度に、"あてつけ"だと言われるのは厄介なのでそちらの薬も飲むよう
 にしました。
 実は、抗不安薬として処方されたコンスタン(ソラナックス)は、心身症や自律神経失調症と
 それに伴う不安・緊張・抑うつにも有用性があります。これもまた、少量でよく効いていま 
 す。飲んでいた方が調子が良いのに何故すんなり飲まないのかと言うと、季節対応で飲むと
 いつか不要になってやめる時が来る、その時にまた離脱症状が出るのが辛いからです。
[2001年8月20日 14時54分45秒]

テーマ: 何故、この件に関してだけ突っ掛かるのか?   
 ワタシは、自分の失敗を息子に対しては教訓にして教えている。

 息子には、世の中にはいろんな人がいることも、「自閉症」児・者にもいろんなことがいるこ
とも、同じ一人の「自閉症」児・者であっても状態の良い時と悪い時があることも教えている。
これから「自閉症」と診断される人が増えて、そういう人と出会うことも珍しくなくなるから。
 それで、決して「普通」になれとは言わない。自分の特性を知って自分を不利に追い込まない
ように、認知の歪みや感覚の特異性があってどうしても無理なことは避けるようにと教えてい
る。でも、まだ子どもなので、発達の余地がある分野には努力を怠らせない。それから、日常の
生活に関するスキルなどの、人として覚えなければいけない最低限のことだけは厳しく言ってい
る。
 成長過程の子どもの場合、療育するというのは相手の言いなりになったり、腫れ物にでも触る
ように扱っうわけにはいかない。時には、真剣に対決することもある。
 特に、いわゆる「こだわり」障害に由来する、"社会的に好ましくない行動や考え"には徹底的
に取り組んだ。「すべてが自分の思い通りにはならない」ことは、4才の時に対決して砕いた。
ワタシは、「自閉症」児の療育とは、「自閉症」児を普通にすることではなく、この"天上天下
唯我独存"状態を打破することだと思っている。

 ワタシはワタシの息子に対して、自分と違う人の存在を認めないことと、体調の悪い人に対し
ても気遣いできないほどの自己中だけは決して許していない。
[2001年8月19日 19時27分48秒]

テーマ: こうならないようにするには、どうすれば良かったか?   
 こういう極端な不調は、彼岸の前後にやってくる。ワタシの場合は、春は2月下旬〜4月上
旬・秋は8月下旬(お盆過ぎ)〜10月上旬。秋の9月下旬、つまりこれからが最も悪い。

 調子の良い時に合わせてしまうと結局は破綻してしまうのと、能力的に高い部分だけで進路を
決めてしまうと全人的についていけなくなるのと、セットになっている。
 だから、「身体的・精神的に元気な時の自分が本当の自分で、歯車がくるいだしたら情けなく
なったのだ」なんて思わないこと。
 何よりも大事なのは、能力的に優れている部分を社会的に通用する職能に結びつけるのは良い
が、社会の側に用意されている就労形態や生活に合わせることを強要されると負担になって続け
ていけなくなるので、日常生活のあり方やモノの考え方まで拘束するような部署に所属しないよ
うにすること。
[2001年8月19日 16時1分45秒]

テーマ: 余生の過ごし方を考え中。   
 まあもっとも、去年は「うつ」病で病的に眠かったので、一年の半分は寝ていた。洗濯物を干
すために中庭に出ることさえできず、室内に干していた。
 理にかなった正しい生き方も、自然保護や有機食品へのこだわりも、障害者のノーマライゼー
ションのための運動も、全部やったことがある。いずれも、投稿なんかしているだけの内はなん
とかなるが、実際の活動の現場に行ったらうるさいだけの役立たずだった。だいいち、活動に参
加する前に身体的についていけなかった。

 最初から最後まで、一方的に「人が交わしている会話だろうと自分に向けられた語りかけだろ
うと、自分が知っているキーワードを聞き取った度に、知っていることをベラベラとしゃべる」
ことしかできていない。
 身体的な障壁がなくなったとしても、骨の髄までの確信犯だとそれさえも危なくなっている。
結局、文字上の世界でさえも生きる場がないってこと。
 現実の世界では、何年もかけて「自閉症」のことを説明し教え続けているのに、私がそうすれ
ばするほど「普通に普通に」解釈しよう・「普通に普通に」してしまおうとする、理解力のない
分からず屋だらけ(テグレトールを飲んでいるお陰で、かろうじてこれを書いている。)

 もう、逃げ場がない。今度は、何処に行きましょうか?
[2001年8月19日 10時8分30秒]

テーマ: 今は、恐らく子どもの頃より状態悪いです。   
自分が子どもの頃どうだったか?

1、とにかく自分の体を動かすのに必死だったことしか覚えていない。椅子に座っているのもし
  んどかったし、手を挙げる時は必ずもう一方の手で支えをした。
2、始めからアスペ(言葉の遅れがないということ)でハイパーレクシアだったので、人が言っ
  ていた言葉や文字に書かれていた言葉を勝手に覚えて、人から教わる前に学んでしまった。
  (人に教わることが大嫌いで、人に注意するのが大好きだった。)
3、私という意識が曖昧だったので、人が交わしている会話だろうと自分に向けられた語りかけ
  だろうと、自分が知っているキーワードを聞き取った度に、知っていることをベラベラと
  しゃべった。人の視線は、かなり多くの人がこっちを見て何かを言っていることに気づいた
  時に、やっと感じる程度だった。(中学二年になる前は。その後は、逆に過剰に論理的に意
  識するようになった。)
4、学校がある時は、ただそのスケジュールをこなすだけで精一杯だった。が、家に帰ったら、
  自分が決めたスケジュールを順番にこなすことしか考えていなかった。その中には、ロッキ
  ング・ブランコ・同じ展開の人形遊び・『世界の美術』の古代文明のページを見る(そりゃ
  あ、グルグル渦巻きや対称図形の宝庫だから)などのことが、必ず含まれていた。

 長男や「自閉症」の子どもに凄まじい療育をしていた数年前は、1・2・3・4の全てが陽性
反応を起こしてそれに費やされバリバリやっていたけれど、身体的・精神的な状態が悪い今現在
は、全部が陰性反応になっている。

 パソコンに向かって文字を打っている限り、2と3は同じようにしているけれど、実生活では
引きこもり&選択性場面緘黙状態。口頭でのまともな会話は、ほとんどしていない。声を掛けら
れても、そっちを見る余裕がない。(しゃべるとなると、発達障害の講釈を始めるか癇癪を起こ
すかのどちらか。)
 1は、体を動かすどころか、起きているのもたいへん。(ちょっと↓に書いたように、種々
様々な医薬品の作用で生活を維持している。)
 4は、一日の最低限の自分の仕事と子ども関係の用事とLD対策の勉強などをサッサと片付け
て、絵を描く時間を作ることしか考えていない。

 まあ、どんな時も、基本はちっとも変わっていないってことです。
[2001年8月18日 21時54分30秒]

テーマ: 慎吾ママにお願い!   
 『おはロック、学園天国版』のプロモーションビデオが、テレビの子供向け番組で紹介されて
いた。
 冒頭のナレーションで、「人間は、一人じゃ生きられないんですよ! 学校に行って、友達と
遊んだり話をしたりして、楽しく過ごしましょう!」なんて言っていた。

 できれば、今後はこうして欲しい。
学校に行って、人間にはいろいろな人がいることを学びましょう! 
  そして、付き合い方にもいろいろあることを知りましょう!
                       ・・・まあ、無理だろうけれどね。

少なくとも、みんなが同じ事を「楽しい」と感じているわけじゃない。
  そこに居るだけで精一杯で、それだけでもかなりの苦痛を感じている人もいるんですよ!

[2001年8月18日 20時13分26秒]

テーマ: 丸くなっても、角はとれません。   
 DSM−4の「アスペルガー症候群」の診断基準がおかしい、という話はよくされる。それ
に、児童精神科領域で子ども時代のことなのに、「社会的・職業的、または他の重要な領域にお
ける機能の臨床的に著しい障害を引き起こしている」とあるので、成人の診断基準と誤解されて
しまう。(この場合、強いて言えば"学業上・学校生活上の不適応、または日常的な対人関係を
作り・維持し・円満に終結させる機能の臨床的に著しい障害"とでもすべきだろう。)
 だいたい、子ども時代の特徴としても、299.00の「自閉性障害」に書かれている外見上・行
動上の特徴は、孤立型自閉症の特徴でしかない。そこから「意志伝達の質的な障害」の項目を抜
かしただけの、299.80の「アスペルガー障害」の記述など「そんな人いるのか!?」というシ
ロモノだ。だから、ワタシはこのホームページにDSM−4の基準を「自閉症」の診断基準とし
て掲載していない。

 確かに、対人接触を妨げるほどの身体的・神経的に重度の「自閉症」だったり、認知の障害が
重くていかにも奇異な行動をとってしまう人は、見た目で差別されたりいじめられたりすること
が多くなるので、考えていることは「普通」でもなかなか認めてもらえないとか、人と同じよう
に行動できないギャップが大きくなる。パソコンやインターネットを、そういう障壁=つまりそ
れは物理的な障害を感じさせない道具として利用すれば、「会話」が可能な人たちがいる。
 しかし、「自閉症」の度合いが軽度になればなるほど、身体的・物理的な対人接触を伴う会話
はほどほどにできるけれど、相互の遣り取りという実質的な「会話」ができないという意味での
重症度が高くなったりする。

 というのは、日常的な会話や対人接触の「障害」がほとんどないので、以下の事柄が見逃され
たまま、固着してしまうから。
○自分にしか通用しない、単語や文節の特有な言い回しをしている。
○ごっこ遊びや、社会的模倣遊びが乏しい。
○興味・活動・情緒を、相互に分ちあいながら友人関係を発展させることができていない。
○他人の情動に対する反応が、障害されていたり歪んでいたりする。
○自分が関心をもっている物を、他の人に見せたり・指し示したり・知っていることをしゃべっ
 たり・教えたりすることはさかんにするが、喜び・興味・達成感を他人と分かち合おうとして
 いない。

 さらに、"局限された興味"が体系的な知識に結びつくと「頭が良い」と思われてしまう。ま
た、奇異な行動を人前でとることはないけれど、物の"機能とは関わりのない要素(匂い・感
触・音・振動)"への"こだわり"を一人密かに楽しむタイプだと、ぜーんぜん気づかれないまま
大人になってしまう。
 よく、年を取ると「丸くなる」だの「角が取れる」だの「ニンゲンができる」だのと言われる
が、「自閉症」である限り、見かけ上●になるのは■の角をフル回転して少しずつずらして(例
えば◆にして)対応している結果の錯覚にすぎない。
[2001年8月18日 11時6分45秒]

テーマ: どうしても乗り越えられない壁。   
 人のやっている"動作の意味"や"顔の表情の意味"が判っても、絶対に解からない事。
・・・それは、「なぜ、そんなことをするの?」「なぜ、そんなことを思うの?」ということ。

 アスペといえばよく引き合いに出される例だけれど、子どもの頃に必ず何度も言って何度も怒
られる、よくある話。
 アスペの子ども:(太っている人に向かって)「あのおばさん、太っている。」
 その母:「そういうことを言うもんじゃありません!」
 アスペの子ども:「だって、太ってるじゃん。」

 太っている人に向かって「太っている」と言ってはいけないことを、こうして何度も叱られな
がら覚えていく。でもそれは、どういう時に「おはよう」と言えばいいのかが判るようになるの
と、ほとんど大差はないのだ。
 それで今度は、「太っている人に太っていると言ってはいけない」という"決まり"を、杓子定
規に適用しようとする。テレビなどで、司会者が太っていることを売り物にしているタレントに
「また一段と太りましたねえ」などと言っているのを見て、真剣に怒ったりもする。

 ところが、世の中にはいろいろな人がいる。太っていると言われて、平然とギャグにして返す
人もいれば、正直に言ってくれた方がいいという人もいれば、激怒する人もいる。つまり、最終
的には「気にしている人に、気にしていることを言ってはいけない!」ということなのだった。
 それで、こちらからはしゃべらずに、相手の言ったことに対して返事をするだけにするか、全
くその話題を避けてしまうしかない。が、「最近私、太っちゃって」などという変則的な表現
(こちらからすれば変則的だが、一般的にはこういう感情的な表現が普通の表現)になると対応
できない。また、もし、「そんなことないですよ」などという社交辞令を挨拶がわりに覚えて上
手に使えるようになったとしても、それで感謝などされた場合に何と言っていいか判らない。極
端になると、選択的場面緘黙するしかない。

 その途中の通過点で、ものの見事にアイサツ用語として使っている時期は、こちらの心理は常
に手探り状態なので非常に不安だが、いちおうそれなりの評価をされる。
 それで無理を重ねて精神的に破綻してしまうと、自分自身の精神状態も惨憺たるものだが、
「一度はできていたのに、しなくなった」となるとただの"反抗"としか受け取られないので、完
全な異端分子扱いになる。「これだけやったのに、足蹴にする非情さ」を訴えようにも、その声
は届かない。
[2001年8月17日 8時24分26秒]

テーマ: 目に見えないものは、言うしかない!   
 街に、手話で会話している人がいるように、白や黄色の杖をついて歩いている人がいるよう
に、車椅子に乗っている人がいるように、「自閉症」の人がいたっていい。
 でも、「自閉症」児・者は、手話も杖も車椅子も持っていない。だから、自分から言っていく
しかない。

自閉症協会の会報『いとしご(69号/2001.7.8)』より。
どんな障害をもつ人も街で暮らしていこうという時に、現実に起きていることのマイナス面を隠
したり、「自閉症の人の行動は予見できない場合もある」というレベルで済ませていては、福祉
の世界では理解を得られても、世間は納得してくれません。・・・(中略)・・・障害への理解
不足、支援の不足、社会の迫害や偏見などが障害者を問題のある行動へと追いつめていることを
しっかり検証し、世間に対して説明責任を果たすことが必要です。
                  毎日新聞千葉県支部記者:野沢和弘氏の文より
※論旨は、自閉症者や知的障害者が犯罪被害に遭っても自分から訴えることができないため、 
 「隠蔽のサークル」が出来あがっている現状と、「警察と権利擁護ネットワーク構築」プロジ
 ェクトへと続く。

「知られていない」から、追い込まれる。「知られていない」ものは、教えて行くしかない。
[2001年8月16日 18時48分54秒]

テーマ: 泣き寝入りはしない!   
 シャクにさわるので、看板を作った(まだ掲示はしていない)。

『自閉症』への理解を
1、『自閉症』とは、生まれつき脳の微細な機能に異常があるために起こる「障害」です。
2、『自閉症』の人は、普通の人と違う<感覚>を持っています。
  普通の人には見えない、微細な色や光が見えたり、小さな音が聞こえたりします。
  また、見てわかるような身体障害はありませんが、全身を協調させて動かすことが困難で 
  す。
◎これらの先天的な「障害」のために、普通の人と同じように感じたり・話したり・行動す
 ることができません。
◎しかし、精一杯の努力と医療的な支援によって生活しています。
●どうか、『自閉症』という目に見えない「障害」があることを、知って下さい。

 ドシロウトのじーさん・ばーさん相手だから、こんなところでいいだろう。これを、向かいと
隣りと斜め向かいの家の人が見えるところに貼る。なーんて、『ペンギンくらぶ』の看板の下に
くっ付ける予定。

※『ペンギンくらぶ』の看板は、この共働き家庭の多い中、子どもが10人近く入り浸っていて、
 みんなでお菓子を食べたりプレステをやっていることを不審がられたり、教材のキャラクター
 人形や感覚統合グッズがたくさんありすぎることを誤解されないために作ったもの。
[2001年8月16日 14時48分42秒]

テーマ: 「ここにいる」のはたいへんだ!   
 お盆の間に遭ってしまったニンゲンの顔(視覚記憶)に、徳永英明の声(聴覚刺激)をぶつけ
て粉砕している。何故、視覚を聴覚で消せるのかというと、"一つの感覚−知覚だけで頭が乗っ
取っられる"という特技を利用できるから。
 だいたい、肉体を使う労働や運動・身体的接触が全ての"超日本仕様人種"のニンゲンには、価
値観そのものが真っ向から対立しているので、これはもう闘うしかないでしょ!

しかも、こっちはこれだけの武装をしている。
○ありとあらゆる栄養剤:腸管の働きが悪いため。
○温感タイプの液体湿布剤:内臓を動かす分の熱量しか生産できないので、筋肉の熱が不足。
○抗うつ剤と抗躁剤:しゃーない合併症と二次障害のため。
○SSRIと抗てんかん薬:(すぐ上の薬の別の作用)"身体的な不快感"と"脳の部分的な機能の暴
           走"を抑えるため。

でも、今日は心臓が苦しい(これは心臓神経症←これの薬は飲むのをやめた)。

※これを、"薬漬け"と言いたければ言えばいいのだ。
[2001年8月16日 8時58分47秒]

テーマ: 大言壮語の後。   
 躁状態の後に来るうつ状態は、もうほとんど恐怖症状態。

 でも、ワタシは回避できない。ニンゲンたちが交わしている、全ての言葉の意味・全ての仕草
の意味がわかってしまうのに逃げられない。・・・だから、この状態で生きていることは、ほと
んど拷問。)

 余計なトラブルを起こさないようにするために、「自閉症」の子どもたちに「会話の技術」を
教え、「他人の顔の表情や行動の意味」を教えるのはいい。
 でも、"できない"のに"わかってしまう"辛さや、なまじ"できてしまう"ことが"自分の墓穴を
自分で掘る"に等しいことまで考慮しないと、「知らない方がよかった!」ことになる。

 早期発見・早期療育で、全ての「自閉症」児を社会化するなどということができるのか!?

 それで、上手くいった人だけを「自閉症」成人と呼び、失敗した人は「分裂病型人格障害」に
分類するつもりなのか!?(どちらにせよ、放っといても精神疾患にかかるでしょう。)
[2001年8月15日 7時52分38秒]

テーマ: しかも、   
外見上まったく「普通」で、見分けがまったくつかない「障害」もあるということ。
[2001年8月14日 15時13分34秒]

テーマ: おっと、補足。   
 精神障害を差別する意図はありません。↓のオヤジに説明するのに、絶対に「うつ病」に逃げ
ずに、「自閉症」とはこういう"発達障害"だと言って解からせるにはどうしたらいいかと考えて
いたら、こういう表現になってしまいました。

とにかく、今言いたいのは"発達障害"というものの存在を知らしめたい!ということ。
[2001年8月14日 15時12分9秒]

テーマ: もういい加減に、呪縛を解く。   
 胸くそ悪いニンゲンの記憶が甦ったら、徳永英明の声をぶつけて消す。・・・これが、「う
つ」状態だと、こうはいかない。いつまでもネチネチと思い出しては、それに類似した記憶まで
もズルズルと引っ張り出して際限なく続く。

   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

 それから、ここのところリンコさんのことを書いているのは、リンコさんという一人の「自閉
症」者の解説であって、ワタシの事ではない。間違えないで欲しい。 

 ワタシは、高機能自閉症成人の最初の集まりで、リンコさんに会った。その後、脚光を浴びて
様々なメディアに取り上げられたので、ずーっとその説明をしているだけだ。
 何故、リンコさんだけが大々的に取り上げられるのか?・・・それは、施設で一生を過ごして
いるような、他の重度の「自閉症」の人たちに夢を与える存在だから。なにしろ、「身体障害
か?/知的障害か?」という二者択一的な方法論しかない福祉行政の現状では、ほとんどの重度
の「自閉症」者は「自閉症」としての適切な対応がされないまま、半ば厄介もの扱い・放置の状
態にある。こういう重度の「自閉症」であっても、限られた「能力」を適性に伸ばせば「こんな
にすごい力があるのだ!」ということを訴えている段階なのだ。(いや、本人たちの希望の星と
言うよりも、専門家たちが世間と「自閉症」児を育てている親たちに訴えたいと言った方が、正
確かもしれない。)
 
 しかし、ワタシは全く違うタイプだ。一見してハッキリと「自閉症」と識別できて、誰もが過
度の要求をすることをためらい、逆に気遣いしてくれるようなことは絶対にない。
 全く「普通」だし、高学歴で、行動パターンの決まっている役割ならば(感情的な迷いがない
ので)むしろ「普通」以上にしゃんとこなしているように見えてしまう。それで、全く「普通」
に扱われ、「普通」に人は接近してくるし、「普通」に話しかけてくる。ところが、見た目は繭
子よりもずっと「普通」だが、中身はまるっきり輝さんなのだ。"人"になんか興味を示さず、そ
こらじゅうの文字だの光だの色だの形だのを凝視し、波長の合う音が聞こえて来れば聴き入って
しまう。
 それで、自分で決めた行動パターンと、当日果たさなければならない仕事だけをする。かしこ
まった席ほど、やりやすい。パターン化されたお決まりの会話なら、自動運転で卒なくこなし、
「すごい、ワタシこんなこと言ってる!」と心中密かに思っていたりもしている。家に帰れば、
ほとんど寝ている(体力的・精神的に疲れるから)。
 お堅い行事などなら何とかなるが、日常的な会話や、"みんなで話し合って何かを決める"場
や、宴席や丸一日以上身体的に拘束される集まりでは、すぐシッポをつかまれる。だいたいそう
いう場には、↓のような天敵が必ずいるので、あからさまにイヤミを言われたり舌打ちされたり
お説教されたりしてしまう。

 でも、テレビも週刊誌も教育雑誌でさえも、こういう一見「普通」で、"性格が悪い"とか"努
力が足りない"とか"甘えている"としか言われない人のことは取り上げられなかった。今は、い
かにも「自閉症」らしい人が主役で、「自閉症」の概念を広げることだけに躍起になっている時
期だから。
 とはいえ、「自閉症」の概念が広がることで、全く「自閉症」らしくない「自閉症」の人たち
も、これまで「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで来た」ことから解放されなくてはおかしいの
だ。
 なのに、「自閉症」と言えば、素直で明るい"受動型"とか真面目で実直な"中機能"のイメー
ジだけが世に広まってしまったら、「ワタシは自閉症なので」と名乗った途端、「知り合いに自
閉症の人がいるが、ちゃんとやっている。なのに、アンタはできていないのはおかしいじゃない
か!」と言われて、またもや性格や努力の問題にされてしまう。(そんな人に、「ワタシのタイ
プは積極奇異型で、あの人たちとは違う。」なんて言ったって、通用するはずない!)
 生まれつきのハンディで、もう既にイッパイイッパイ精一杯やっているのに、精神障害や人格
障害扱いされては、たまらない。
[2001年8月14日 14時32分33秒]

テーマ: 頑張れ!   
 つい最近まで、"自分が決めたことをやっていた"だけで、"周りがみーんなオカシイ"と思っ
ていたので、人の言っていることなど何も聞いていなかった。でも、人に言われたことに何とな
く引っ掛るところがあると、音声や映像をそっくりそのまま記憶してしまうのは毎度のこと。
 くだんのオヤジの言っていたことを、改めて思い出してみた(実際は、"思い出す"などとい
う、穏やかなものではない)。なーんだ、最初ッから、ありとあらゆることにケチつけてたじゃ
ん。そうとは知らずに、平然と使いっ走りなんかしてやったのは、ほんの数日前のこと。おまけ
に、ご丁寧な現状報告までしてやっていたなんて、何というおバカさんだ、ワタシは。
 しかも、自分の家に遊びに来た孫が「ごめんなさい」を言わないからと30分も「ごめんなさ
いをいいなさい!」と泣かし続け、やっと「ごめんなさい」を言ったら「その態度が悪い」とま
た怒鳴り続けていたようなヒステリーオヤジのために、不機嫌になっているのもシャクだと思っ
ていたら、「頑張れ!」という歌詞が耳に飛び込んで来た。

 そうだ、ワタシはもっと頑張っていいのだ。

 頑張ってって、何を頑張るのかというと、自分のして来たことに自信を持っていいのだ。

 自分が生まれた家で理解されず、小学生の頃から既にうつ病になっていたこと。本当の放浪を
したわけではないけれど、所属のハッキリとした放浪生活をしていたこと。その間、大うつ病を
何度も発症していたし、何度も騙されたりもした。とんでもない思い込みから、バカなことばか
りやってきた。
 自活は出来なかったので、生活は常に寄生虫のように誰かに依存していたけれど、それらを乗
り切って来たのは全て自力だった。

※なーんて、薬の力を借りて、こんなことを思ってみる。←優希のキャラで。
[2001年8月14日 0時45分33秒]

テーマ: 泣き寝入りすることはないんじゃないのか?   
 もし相手が会社だったら、「ワタシはこういう人なので、それに合わせてくれ」などと言うこ
とはできないだろう。繭子みたいに、才能があって社会的にご立派なカタガキのある後援者がく
っついていれば、「どんな方法でもいいから、会社にいてくれ」とあちらから頼まれもするのだ
ろうが、普通は「そういう人は、我が社には要りません」と言われるのがオチだ。
 でも、ワタシだってここで生活をしているのだ。これだけニンゲンに譲歩して、どんなことか
らも逃げずにやってきたというのに、ただ数が多いだけがトリエのたった一種類の人類(発達障
害でない人=先天的な脳の障害のない人)しか知らない、頭の固いヒステリーオヤジに一方的に
言われているだけなんて、絶対におかしい。
 生まれつきハンディを持っていてマイナスからの出発した人を、ネチネチといじめている人
が"地域を活性化する英雄"面しているのは許せない。
[2001年8月13日 21時5分16秒]

テーマ: 一度覚えたことの変更はできない。   
 文字に書かれた"理屈"が通用したのは、学生という身分でいた間だけだった。横並びの仲間関
係を回避して、何の不都合もなかったのも学生の間だけだった。
 でも、言語能力が低くて国語も外国語もできなかったので、学問の道を進むことができなかっ
た。それで、いよいよ、ニンゲン社会に通用するニンゲンらしき行動をしなければならなくなっ
て、ワタシは「一挙手一投足に至る日常生活の全ての動作が決められていて、個人的なことや世
間話を一切してはならない"はず"」の、極楽のような生活を選択した。
 当時のワタシは、出版された文書に書かれていることは現実に"ある"と思っていたし、時間
的・空間的に限られた"場"では実際に行われていたので、本当にそういう生き方ができると思っ
ていた。始めは山の中だったが、冬には里に下りて、日常的な様々の所作を覚えた。

 それで、何年もかけて少しずつ、日常生活を手順として覚えていったのだった。が、今は、自
分が"ニンゲンの行動"を摺り込んだ場所とは違う地域に住んでいる。しかも、ここはとんでもな
いド田舎なので、部落ごと、いや隣組ごとに慣習が違っている。
 一度は覚えたけれど、二度目はない! だから、もう変更はできない。
[2001年8月13日 20時45分16秒]

テーマ: でも、ここにワタシは"いる"!   
だから、「自閉症」だと主張する。
[2001年8月13日 7時26分58秒]

テーマ: スーパー日本人。   
 その人は、「地域全体で子どもを育てろ」だの「打ち解けないヤツはダメ」だの「素行の悪か
った青年を会社に入社させて更正させたことがある」だの「親戚に身体障害者がいるけれど頑張
ってやっている」だのと言っている、隣家の人。このほど、"秋祭り実行委員会"を旗揚げするそ
うだ。
 自分になつく子どもと、お祭り大好きな子どもが大好き。ウチの長男のような、隣りに住んで
いる人を覚えられないような子ども(でも、障害児だと全く見えない子ども)は大嫌い。誰彼の
見境なく入り浸っては、言いたい放題でとことん甘える次男にADHDなんていう障害があるこ
となど、全然知らない。
[2001年8月13日 6時25分47秒]

テーマ: お盆などという慣習の為に、抗うつ剤を飲みまくった。   
 もう、イヤミイヤミの嵐だった。人を「うつ病」に追い込んだ人ほど、羽振りがいい。「うつ
病」をひどくした人は、この世に「うつ病」という病気があることすら知らない。だから、どん
どんひどくなる。

 ひどい「うつ」なのに死ぬことを考えられなくなったら、絵を描きたくなった。苦しければ苦
しいほど、綺麗な色が出る。
[2001年8月13日 0時45分26秒]

テーマ: 「こだわり」と一口に言っても、   
"全くの常同性"を要求することもあれば、ある程度の構造化を自主的に行うことができて"順序
固執"の段階にあることもある。

それに、自分がこだわっている方面にはやたら厳密だけれど、そうでない方面にはめっちくちゃ
いい加減(つまり、どーでもいい)ってこともある。

また、言葉の意味と用法に「こだわり」がある場合は、語義論・語用論のどちらの段階でつまず
いていても、"本人自身にとっての意味と用法に反している"と判断されるとパニックや癇癪を起
こし、「誤まっている」という判定を下した人に対して猛烈な抗議をする。
本人は、至って真剣なのだ。しかし、その意味と用法は、個人的な局限されたものなので、他の
人にはただ「恐い」だけだ。
[2001年8月12日 11時24分10秒]

テーマ: 何度も何度も、同じことを書かせないで!   
○ワタシは、しゃべれるようになった時(歩けるようになる前からしゃべっていた)から、見た
 ものを言葉に変換して解説していた。

○字が読めるようになった時(かなり早かった)から、そこらじゅうにある字という字を、片っ
 端から読んでいた。

○手が使えるようになった時(歩けるようになった直後)から、見たものを形に変換していた。

○いつの頃から始まったのかは判らないけれど、振動や音にのめり込んだり、テレビの画面で起
 きていることに同化してしまう。

○ワタシの左脳は、右脳と連体していない。

○"人"に関することは、"どこかに書いてあったコトバ""誰かが言っていたコトバ"の寄せ集め
 でしかない。

それは、終生、変わることの出来ないもの。『日記』の本心が文章ではなく壁紙に現わされてい
たのと同じように、現在のワタシの本体は「文字」の中にではなく美術館の方にある。
[2001年8月12日 8時33分22秒]

テーマ: 「能力」ではなく「意思」にした理由。   
>自国の文化を学ぶ意思があって・自国の社会に働きかける意志がある人は"社会適応"が良好 
 だ、と示しているのがニキリンコさん。
のところで、「意思」と「意志」という言葉を使ったのは、リンコさんのように非・言語的(簡
単に言うと身体的)な障害が非常に重いけれど、言語能力は非常に優れていて社会参加の意欲も
非常に旺盛な人は、パソコンなどのような媒体を利用することで"社会適応"ができるということ
を言いたかったからです。

 しかし、出版物や掲示板のような活字しか見えないところでは、それを書いている人物像は全
く伝わって来ない。
 一人の「自閉症」者が限られているが・優れている「能力」を用いて"社会適応"していること
を、別の「自閉症」者が非難したりニセモノだと攻撃しているのを見ていると、本当に悲しくな
ってしまう。

※『にんげんゆうゆう』に出た時に、"ありのままの姿"で出てくれていたら、こんなに面倒なこ
 とにはならなかっただろうのに!
※それから、去年は、リンコさんが自分の状態を把握できていないままで、あっちこっちの掲示
 板に書き込みをしてしまうのでフォローするのに忙しかった。今年は、活字と実像のギャップ
 から、またその尻拭いをさせられている。もう、いい加減にして欲しい!
[2001年8月12日 8時19分43秒]

テーマ: 文句を言うのは構わない。   
 テレビに出た「自閉症」者が"こんなことをしていた"からといって、それをそのまま真似して
不都合が生じる人がいるのも、「なぜそんなことをするのだ!」と怒る人がいるのも、どちらも
当然の反応。
 何度も書くが、元々の感覚特性のアンバランスからやっていた常同行動と、成人後に自分で選
択してするようになった行動とでは、全く意味が違うのだ。それに、一人一人身体感覚が違うの
で、或る人にとって快刺激であるものが他の人にとっては不快刺激であって当たり前なのだ。
 それに不満があるのなら、掲示板には「自分の場合はこうだった」と書けばいいし、そういう
内容の放送をすることで生じてしまう影響を吟味せずに番組を作製した、放送局の勉強不足に対
して苦情を寄せればいいではないか。

 みんな、それぞれに様々な制約(これを「障害」という)がある中で、自分なりの方法で何と
か生活しているのだ。
 なのに、自分と同じ体験をした人だけを「自閉症」と認めて、自分と同じ「障害」を持っ
ていない人は「自閉症」ではないと非難し、自分とは違う別の面に「障害」があってできないこ
とを他のタイプの「自閉症」者に要請するのは、ワタシの願いではない。
[2001年8月11日 16時0分1秒]

テーマ: お互いの存在を否定し合うこと。   
 しゃべれる「自閉症」と一口に言っても、カナータイプから始まった人・始めからアスペルガ
ータイプだった人、重症度の違い、認知障害の組み合わせ、合併症、置かれた環境と経過…みん
なそれぞれ状態が違う。
 本人同士が、自分と違うタイプの「自閉症」の存在を認めないのは普通のこと。自分とは違っ
たタイプの「自閉症」の存在を知った時に、他人事として傍観できるのはよほど良い状態の時
で、それぞれが「自分のこと」に専念せずに「あの人は自閉症ではない」と攻撃するのは当然。

 やたら物分かりの良い人や、良い子ちゃんばっかりじゃない。
[2001年8月11日 13時58分26秒]

テーマ: 混乱の原因。   
 みんな、自分の状態を把握することもできず、自分の状態を説明する前置きなしに、自分が感
じていること・見ていること・考えていることだけを書くから。

 その"書かれた"言葉を自分の「自閉症」に組み込んで、その言葉と言葉を繋ぎ合わせて解釈す
るから、ややっこしくなる。それを「するな!」と言ってやめられるものなら、それぞれに診断
が下る「障害」があって、現在も投薬治療を受けているはずないのだ。
 見れば判ることなのだが、それぞれに認知の歪み方が違っているので、見たからといって解か
るとは限らない。だから、そういう人同士が"解かり合う"なんてのは、至難のワザ。
[2001年8月11日 12時7分59秒]

テーマ: 自閉症の三つのタイプ。   
 ↓の本、「乳幼児期・児童期の自閉症」の項目を書いたのは、東海大学の山崎先生。「青年
期・成人期の自閉症」の項目を書いたのは、東海大学の小林先生。


「自閉症の三つのタイプ」が図表になって示されているのは、青年期・成人期の方。
                     ※この分類は、知的発達と連動させた考え方。
【孤立群】
  知的発達が非常に低く、言葉によるコミュニケーションは不可能で、対人関係もできず、孤
  立した状態を示しているタイプ。
【受動群】
  比較的知的発達は良好で、言葉によるコミュニケーションが多少なりとも可能で、社会適応
  も良好なタイプ。
【積極奇異群】
  知的発達は高く、人に対しても積極的に関係をもとうとしますが、その場に不つり合いな行
  動をとることが多く、社会的にトラブルをおこしやすいタイプ。


 どんなに身体的な「自閉症」が重度で、"非・言語的コミュニケーション"はほとんどできない
が"言葉によるコミュニケーション"が可能で、自国の文化を学ぶ意思があって・自国の社会に働
きかける意志がある人は"社会適応"が良好だ、と示しているのがニキリンコさんの例。
 全体としての「自閉症」は軽度で、日常的なコミュニケーションは普通にでき、何らかの職に
も就くための技能は習得することができるけれど、"人との係わり方と自分の行動は自分で決め
てしまうタイプ"の人は、どこにいて・何をしても(それが、掲示板という"場"であっても)安
定した人間関係を保持することはできない。しかも、どう見ても、コニクラシイ・ヒネクレ者で
しかない。まあ、救われるはずないわなぁ。
[2001年8月11日 11時58分47秒]

テーマ: 『心の家庭医学』(保健同人社)   
 こんなものが出版されていたんですねえ、二年前に。ちょうど、ADHDや高機能自閉症・ア
スペルガー症候群関係の本が、相次いで世に出た頃。
 出版社の宣伝文句にあるように、世間的には「家庭内暴力」「学級崩壊」「出社不能症」など
が問題になって企画されたのでしょうが、児童〜青年期関係でほとんどのページが埋められてい
る(まあ、"家庭の"医学だから子ども中心にしたのかもしれないけれど…)し、「自閉症」に関
しては一般書にしては詳しく説明されている。


オモシロイことを発見!(幼児期〜学童期の関連する箇所だけを抜粋。)

○表情が乏しく、反応が少ない。視線が合わない。
     ⇒自閉症・うつ病・反応性愛着障害
○呼んでも振り向かない。
     ⇒聴覚障害・自閉症・重度精神遅滞・受容性言語障害
○言葉が遅い。
     ⇒言語発達遅滞・精神遅滞・聴覚障害・自閉症・脳性麻痺
○落ち着きがなく、癇癪を起こす。
     ⇒多動性障害・ADHD/精神遅滞・学習障害・自閉症
      家庭要因・虐待などの心理的問題
      感情障害(躁状態)・精神分裂病
○遊べない、遊びのルールが守れない。集団には入れない。
     ⇒自閉症・精神遅滞・多動性障害・言語遅滞
○不器用。
     ⇒精神遅滞・自閉症・発達性協調運動障害・学習障害・言語遅滞・多動性障害
○こだわりが強い。
     ⇒強迫神経症・うつ病・精神分裂病・自閉症・知的発達障害・学習障害・
      発達性言語障害・多動性障害
○こだわりが強い。奇妙な行動をくり返す。
     ⇒強迫性障害・抜毛症・摂食障害・うつ病・不安性障害・精神分裂病・
      自閉症・アスペルガー症候群・トゥーレット症候群
○まばたきをし、頭をふる。
     ⇒抜毛症・てんかん・精神遅滞・自閉症・チック
○話が通じない。独特な話し方。
     ⇒自閉症・アスペルガー症候群・学習障害・精神分裂病・選択性緘黙・
      うつ病・ADHD
○カッとなりやすい(かんしゃく)。
     ⇒ADHD・行為障害・自閉症・感情障害・精神分裂病
○集中力に欠ける。勉強についていけない。
     ⇒精神遅滞・学習障害・ADHD・自閉症・アスペルガー症候群・        
      感情障害・精神分裂病
○集団行動がとれない。自分勝手な行動が多い。
     ⇒認知障害(知的障害・自閉症・言語発達遅滞・学習障害・ADHD)
      愛着障害・分離不安障害・行為障害・反抗挑戦性障害・精神分裂病

 症状から、「どんな病気や障害の可能性が疑われるか?を検索するページから、「自閉症」に
特徴的な症状に関連するところだけを拾ってみたのだが、どこを見ても「これをしていれば、自
閉症です!」「こういうことをするのは、自閉症以外考えられない!」と書かれている項目は一
つもない。
 それだけ、「他の障害や心の病気や情緒的な問題と間違えられやすい」ということでもある
が、それだけ「自閉症は多様である」ということです。
[2001年8月10日 16時48分10秒]

テーマ: たいせつなこと。   
自分が持っている"素材"を活かすこと。
○誰かをモデルにしたり、一定のレベルに到達することを目標にしない。その人には、その人の
 発達過程と最終到達点がある。
○元々の「こだわり」が、そのまま職能に直結するとは限らない。
○「こだわり」は、生活上の差し障りのない形に変形する必要がある。しかし、「こだわり」そ
 のものを捨ててはいけない。
○アスペなら、「"こだわり"を活かして生活できる」という固定観念を抱いてはいけない。全て
 の人に、"特別な才能"があるわけではない。


うわべだけの行動療法の成果に惑わされないこと。
○順序を決めたり構造化すれば、身辺自立や生活のプログラムはできる。また、マニュアル的な
 「会話」や仕事に関連した受け答えは、ある程度覚えられる。しかし、"言葉が遣り取りでき
 ること"と"人との関係を保持できること"とは、別のこと。
○「会話」や「仕事」ができるようになることで、付随して来る人間関係についてまで教えない
 といけない。最終的に破綻すると、途中どんな素晴らしい功績を上げても無意味になる。
○"ちゃんとやること"を目標にしない。自分の"やること"だけちゃんとやったら、「余計なも
 のを背負わされる前に逃げる」ように教えること。

※社会に適応させるだけでなく、どういう形態で適応するのが安全なのか考慮する必要がある。
[2001年8月9日 7時32分59秒]

テーマ: ワタシの「基準」。   
発達障害の子どもは、「躾のなっていない子どもでも、甘やかされて育った子どもでもないこ
と」を訴えることには、迷いはない。

しかし、現実を直視しないのは、ワタシにとっては「嘘をつくこと」に等しい。見返りがないと
行動できないのは、「汚いこと」である。
[2001年8月8日 8時7分27秒]

テーマ: 何故、「障害」の認識が必要なのか?   
 雑用であろうと「自閉症」関係の用であろうと、実際に人に会ってしまうと、視覚的な映像記
憶(=自分が見てしまったもの)や聴覚的な音声記憶(=自分が言ったこと・他人が言ったこ
と)が、加工されない生の状態でこびりついてしまう。
 こちらが、観客として一方的に観ているだけなら大丈夫なのだ。それから、人との係わり合い
でも、無難なマニュアル通りの会話や業務上の一般論ならば何とかなる。でも、全く新規な話題
で、こちらに資料(以前、誰かから聞いた・誰かが言っていた・テレビなどで見た)が全くない
事柄が出されてしまったり、それに対する自分の意見や現場での判断を求められると、対応でき
ない。
 「自分の本当の気持ちや考え」を言ってしまうと、まずほとんど相手の感情を逆なでしてしま
う。それに、見た目で表層的なこと(「色がきれい」だの、「楽しそうだ」というようなこと)
を言ってしまったり、子どもじみた幼稚なこと(「残ったお菓子は山分けしよう」だのというよ
うなこと)を言ってしまうので、冗談ばっかりで真剣に応えようとしていないということになっ
てしまう。
 しかし、厄介なことに、上記の資料が全くない状態では、現場で建設的な意見を求められると
まるっきりしどろもどろなのに、あっちこっちで小耳に挟んだ資料がたくさんあると、それを上
手く繋ぎ合わせて(つまり、自動運転状態になって)物の見事に返答をしてしまう。しかも、威
風堂々と、動揺した素振りのカケラもなくこなしてしまう。こちらは上の空なのに、いつのまに
か"できる人"にされている。
 これらの出来事は、フラッシュバックして襲って来る。上手くいったとか、上手くできなかっ
たということには関係がない。とにかく、これらの原体験の記憶が、何度も何度もそのまま再生
される。

 「認知障害」と「行動障害」と「学習障害」がない場合、このように一見そつなくこなしてし
まう。特に、視覚・聴覚認知が良すぎる場合、"逆に頭が良い"と思われてしまう。けれど、こち
らは常に手探りなので、不安で不安で仕方がない。
 さしあたり、「怒られなければ当たっている」と解釈するしかない。今は、これらの"忌まわ
しい記憶の山"は、SSRIで消すことができる。こういう便利な方法があることを知らずに、
ありとあらゆるバカなことをやって、何十年もの時間を無駄にしてしまった。

 人との実質的な「かかわり」や「コミュニケーション」が取れていない"独りきりの世界"で、
自分が勝手に作った「世の中辞典」と自分で勝手に思い込んで来た「ニンゲン辞典」に「こだわ
り」続け、精一杯、人と係わって来た。始めのうちは、「性格がひねくれている」と言われた。
それが、いまでは"人格障害"扱い。
 もう取り返しがつかないこれらのことは、運動神経や感覚神経の「発達異常」と脳の「統合機
能の異常」という、中枢神経の「機能障害」に根ざすものだという認識が、絶対に必要なものだ
った。

 ひとつ、大事なこと。
「自閉症」児・者は、困難な課題に取り組ませれば成長しはしない、消耗するだけだ
[2001年8月7日 11時27分33秒]

テーマ: 全部をいっしょくたにしないこと。   
 「自閉症」は連続性のある一連の「障害」であり、重症度や合併症、それから環境要因による
経過の違いによって、様々な様相を見せていても基本となる三つ組みの「障害」は共通してい
る。これが、大前提。
 しかし、「診断」や「研究」の対象としてはそれで良いが、「自閉症」児・者は一人一人がオ
リジナルであり、個々人が現実に直面している課題は一人一人違っている。これは、一人一人の
生き方の問題である。こちらの意味では、全てをひとくくりにすることはできない。

【重症度の高い群】
  強い「こだわり」があったり・興奮しやすかったり・活動水準が低かったり・注意や実行能
 力の障害が重く、社会的に適切な行動ができない・常に監視が必要・日常生活に必要な最低限
 のスキルの習得が困難・感覚過敏や認知障害が重くて落ち着いていられる場所が限られてい 
 る・・・、といった問題を抱えている。
 ⇒生活の構造化・生涯に渡る安定した支援体制の充実と制度化・・・などが必要。それらの障
  壁による不都合を、不都合と感じさせない環境を見出すことができれば、能力的に秀でた部
  分を発揮できる可能性が十分にある。

【中程度の群】
  よく言われているけれど、軽度の知的障害がある"中機能"の人や「自閉症」の程度が中等度
 の人(=つまり、学習面や生活面の特殊な指導が必要だが、それに応じることもできる群) 
 は、ひとたび仕事のやり方を覚えてしまえばそれを忠実に守るので、職場の理解が得られさえ
 すれば安定就労に繋がりやすい。
 ⇒ジョブコーチなどによる支援体制の充実と制度化・生活面での支援や保護、などが必要。

【軽度の群】
  社会生活に必要なスキルの習得に困難がある場合もあれば、スキルの習得にはさほど困難が
 ない場合もある。
  どちらにしても、目には見えないが三つ組みの「障害」が厳然としてあるために、性格や努
 力の問題にされやすい。そして、精神的な負担から二次的な精神疾患にかかってしまったり、
 雇用主の要請や企業経営上必要な価値観に従うことができず、反抗的な態度をとって解雇され
 たりしてしまう。就職はできるが、長続きしない。
 ⇒人との係わりや高度な判断などを求められない、新たな就労形態が必要。
  スキルを習得できても、それを活かすスキルも必要なことを忘れないこと。
  見かけ上の能力だけを見て、「なんとかなる」と楽観しないこと。
[2001年8月6日 11時37分13秒]

テーマ: さあ、どっちを選ぶ?   
 幼児期〜学童期前半の「自閉症」児は、主に"認知の歪み"や"感覚的な過敏性"が「こだわ
り」の厚いカベを作る。
 小学校高学年(いわゆる、「心の理論」獲得)後には、認知の対象の中に"人"が加わるので、
だんだんと突拍子もない行動をしなくなる一因にもなるわけだ。が、同時に「こだわり」
が"人"にも向けられるようになる。それで、人と実質的なコミュニケーションをとれていないこ
とに気づかれなかったり、いじめなどの迫害的な対人関係が固着してしまっていると、青年期以
降の「孤立」や「人に対する攻撃性」に繋がって行く可能性も生じてしまう。
 「人にこう思われると困る」とか「人にこう思われたい」という自然な感情ではなく、「こう
すると、人はこう思う」とか「この場面では、こうしなければならない」というルールを自分で
決めてそれに固執することが行動を落ち着かせる。けれど、それを杓子定規的に適用するので、
逆に周囲の人とトラブルになるというのは、思春期の「自閉症」児の特徴でもある。それが、青
年期以降に、「相手がどういうつもりであろうと、自分が思ってしまったことは事実」であ
り、"それに対する態度を自分で決めてしまう"方向に進んでしまうことがある。
 もっとも、これは人に係わられると混乱してしまうので、「孤立」したり「攻撃」した方が安
定していられるということでもある。

 この固着した否定的な対人関係は、成人後に、人との間に立ちはだかっていた透明ガラスのよ
うな違和感の原因が「自閉症」という「障害」であることを知って、"ほとんど初めて人とコミ
ュニケーションがとれた経験をした"時に劇的に崩れることがある。『自閉症だったわたしへ』
には、このことが書いてある。この物語は、「自閉症」者でも"人の気持ちを受け取ることがで
きる"とか"恋愛ができる"というストーリーではない。
 幼児期の内に「早期発見」→「診断」をしてそれなりの対応をすれば、この遠回りをしなくて
済むだけのことなのだ。

 では、下の会話の内、どちらを選べばいいでしょうか?(注:これは「自閉症」者と非・自閉
者との会話ではありません。ただ、とても解かり易い例ということです。)

【パターン1】
A:本当に腹が立つ。9時半に待ち合わせたのに、30分も待たせた。
B:違う、約束したのは10時だ。
A:いや、9時半だ。
B:(怒鳴って)10時だ!
A:あなたは、私をだまそうとしている。あなたは、自分が間違っていると認めたくないから、
  私が間違ったと思わせようとしているんだ。
B:いや、あなたこそ間違いを認めない人だ。自分が間違ったのに、人のせいにしている。
A:こんなイヤガラセはごめんだ! 帰る!

【パターン2】
A:本当に腹が立つ。9時半に待ち合わせたのに、30分も待たせた。
B:あれ、そうでしたか、約束したのは10時じゃなくて9時半でしたか?
A:そう、9時半だ。
B:そうですよねえ、誰だって30分も待たされれば怒りますよねえ。
A:9時半の約束だろう、ちゃんと守ってくれよ。
B:実は、私は9時半と言った覚えはないのですが、どうしてあなたは9時半だと思ったのです
  か?

                (『精神力動的精神医学』より抜粋、一部改変。)
[2001年8月5日 8時54分1秒]

テーマ: 最近、気がついたこと。   
 発達障害の子どもを持つというのは、いままでずっとちゃんとやって来た人にとっては、世の
中がひっくりかえったような大騒ぎになるが、ずーっと世の中から外れて来た人にとっては、
「まあ、こんなものだ」という程度のことでしかない場合がある。(別の意味で、マイナスから
出発してやっと人並みになったことを喜んでいる人にとっては、"とんでもない出来事"かもしれ
ない。)

 健常と呼ばれる人たちが右往左往することでも、自分自身が同じシステムで稼動していて、自
分にも身に覚えがあることには驚かないものだ。(「自閉症」者のとる行動で、"傍からは大事
に見えるけれど本人にとっては大した事ではないこと"なのに、付き添いの人が眉間にしわを寄
せて「大丈夫ですか?」と真剣に心配しているのを見て、笑ってしまったことがある。)

 "そういう前提のない人が、「自閉症」者の行動や発言に「感情」をひっつけて解釈をする"と
いうことが計算に入っていないので、自分が知らない間にとんでもないことになっている。いつ
もいつも。
[2001年8月4日 18時31分32秒]

テーマ: 「未来」のある人たちに。   
 元々の自分を忘れてはならない。たとえ、どんなに優れた面があったとしても、全人としての
適応力を補填することはできない。それには、良い面も悪い面も全て知り尽くした、支援者の存
在が不可欠だ。
 それぞれが"できなくても仕方のない・どうしようもない部分"と"社会的な価値基準をはるか
に下回る部分"を抱えていても、「自閉症」という「障害」を持っていれば"それであたりまえ
だ"ということが分かればいい。

 それから、"いかにも「自閉症」に見えるから何の能力もない"とか、"行動障害があるから悪
い人だ"とか、"全く「普通」に見えるから、もう何の問題もない"というのは、いずれも間違っ
た考えだ。
 "「自閉症」だから、その能力を活かすにはどういう生活をすれば良いか"と考えた方が良い
し、全く「普通」に合わせるよりも"「自閉症」の原則を崩さずにちょっと変形する"ことを考え
た方が、断然、無理なく長続きできる。
[2001年8月4日 14時38分38秒]

テーマ: 自立しそうにないのは、   
 気質が穏やかでなく、雇用に役だつ何らかの特殊なスキルと興味を持たず、世の中に合わせる
ことができない人たち。
 確かにパソコンは、能力的に欠けている部分を必要としない便利な道具。でも、それを使って
も、「会話」に参加する能力がないことはカバーできない。いや、その前に、言語能力に障害が
あって、人の書いた文を読むこともできない人もいる。

 こういう人の方が、多いのだ。本当に「支援」する気があるのなら、こういう人たちを切り捨
ててはいけない。
[2001年8月4日 6時35分39秒]

テーマ: これは、   
「うつ」ではない、この現実を直視するのはキケンだから、「うつ」に逃げこんでいたのだ。
[2001年8月3日 21時27分34秒]

テーマ: 「こうすれば、こうなる」式の何か、   
を信じていられる時期って、幸せだ。まだ、始まる前、始まったばかり、だから。

その時期に「自閉症」のことを全く知らなかった。気がついたら、奴隷になっていた。
[2001年8月3日 21時26分29秒]

テーマ: 最近知って、驚いたこと。   
 非・自閉症者にとっては、次から次へとやってくる「世の中」の出来事の全てが、いやいやや
らされる「とんでもない災難」ではないということ。
 たとえ、自ら希望して参加したわけではなくても、自分の能力の範囲内・許容範囲内のことだ
ったりするし、自分自身の感情が動くことで「貴重な体験」に変容することができる。能力的な
高さはどのレベルであろうとも、全人的なまとまりがあるというのは、精神や神経にはそれほど
の負荷がかからないような防衛機能が備わっている、ということでもあるのだ。
[2001年8月3日 14時9分44秒]

テーマ: アスペの常識。   
 どこかに書いてある言葉・誰かが言った言葉・テレビや雑誌などで見たこと、これらのデータ
と自分自身・言葉と言葉を繋げてしまうのは、アスペの常識。(広汎性発達障害の領域に入って
しまった人には、もう起きないかもしれない。でも、カナータイプ・アスペルガータイプのどち
らであれ「自閉症」が残遺している人には、ごく普通のこと。)

 それから、「仲良くしろ」だの「会話を繋げ」だのという抽象的なことをしろとは言わない。
自分と違うタイプの「自閉症」児・者のことは他人事だから、傍観すること。(不満を持つの
は、仕方ない。不満を持って、あたりまえ。)自分と違うタイプの「自閉症」と照らし合わせる
ことで、自分自身が見えて来るのはいい。

 だからといって、その攻撃性を人に向けるな!

 大切なのは、自分自身の足元を見ることだ!

 あの「洞穴」は、そのために作ったのだ。
[2001年8月3日 8時30分5秒]

テーマ: しかし、   
「自閉症」者の心理的な内実や、"システムが暴走するシステム"を知らない人が、「常識」的な
解釈をしてしまうことに対しては、弁護する。
[2001年8月2日 22時1分10秒]

テーマ: 家族の問題としての「自閉症」。   
 最近、もう"こだわりが通らないと癇癪パニックを起こす"時期は卒業した中学生の長男に言っ
ていることがある。
 どうしても感覚的にNGで曲げられないものは「僕は、こういうのダメなんです。」とハッキ
リ言いなさい。でも、ガマンできないわけではないものを勧められた時には、「自分は自閉症だ
から、ダメなんです。」と説明する自信があれば「こだわり」を通しても良いが、そうでないも
のは従いなさい。
 でも、自分で選択し・自分で金を払って・自力でやることで、人を巻き込んだり人に迷惑をか
けたりするものでないものならば、とことん「こだわり」を通しなさい。

 
 確かに、ワタシ自身は完全に失敗例だ。なにしろ、30年も前から、毎日毎日「どうやって死
のうか」考えて暮らしていたのだから。
 それから、未診断・未治療で経過した軽症のアスペルガー障害者が、青年期に「自分が正しい
かどうか確認するために行動する」のではなく、「自分が正しいことを証明するために行動して
しまう」ことを知っている。そして、強い攻撃性を持ってしまうタイプの人もいるし、分裂病質
人格障害や分裂病型人格障害に非常に近くなってしまうことがあることも知っている。
 だからこそ、そういう失敗を二度と繰り返させないことを願っている。

 そして、「自閉症」者が「自閉症」の子どもとだけ向き合っている内は、とても幸せだ。将来
と結果を見越した子育てをするのは、わけはない。だから、「療育」に関しての迷いはない。
 だが、やがてその子は大きくなり、社会との係わりを家の中に持ち込んで来る。そうなった
ら、平穏無事には過ごせない。
 ちゃんとやっている姿の、"虚像"ばかりを映し出すことには抵抗がある。自分の目の前にい
る・たった一人の「自閉症」の子どもの現実を見ずに、理想や夢物語を追ってしまったら、結果
的には本人の為にならないではないか。

 「自閉症」者が自分と違う「自閉症」者を許容し、お互いに並立的に存在するために
「洞穴」を作ったのであって、「自閉症」者が自分と違うタイプの「自閉症」者の存在を否定す
るために作ったのではない。
 これ以上の存続は無理と判断されるようなことが続くのなら、「洞穴」を閉鎖します。
[2001年8月2日 21時58分44秒]

テーマ: ウイングさんのすごいところ。   
 そりゃあ、幼児から成人までの大規模な疫学的調査を行って、ありとあらゆる「自閉症スペク
トル障害」の有り様と通年経過について熟知しているということもある。
 でも、何と言っても一番の違いは、24時間〜一生に渡って、「自閉症」の自分の子どもに向
かい合っているということだ。治療室やキャンプなどの特別な場面で、たま〜に接しているだけ
の専門家とはわけが違う。だからこそ、一般常識の、「これは困るだろう」という観点から
の"余計なお世話"が少ない。それから、今はできなくても、時間の経過と共にできるようになる
ことを知っている。だから、何かを基準に療育のレベルを測るようなことはしない。あくまで
も、その子の発達の道筋を追っている。ウイングさんにとって「自閉症」は家族の問題だから、
家族でなければ悩めないことにまで言及している。
 そのことは、なんと訳者あとがきに書かれている。「専門家は自閉症の人たちのことより、
自分の研究や臨床の理論を正当化することのほうを大切にするようだという感想や実感は、自閉
症の子どもをもつ親や家族がよく口にすることです。しかし、専門家であると同時に母親でもあ
るウイングさんには、そのような矛盾に満ちた言動はまったく許されなかったことでしょう。」
(P317) 

 それから、成人後も「自閉症」が残遺するタイプは生活自立が困難になりやすい。けれど、始
めから言葉の遅れが全くない積極奇異型という最も「自閉症」らしくないタイプもまた、最終的
には問題が残りやすい。予後の良し悪しを決めるのは、そういうことではないし重症度の違いで
もないと思う。
 「いちばん自立しそうなのは、穏やかな気質をもち、雇用に役だつ何らかの特殊なスキルと興
味があって、世の中で成功したいという強い欲求をもった人たちです。」(P78)・・・ま
あ、当たり前のことだ。
[2001年8月2日 16時33分25秒]

テーマ: 最近、「診断」された成人の数が増えた。   
 で、世の中にこんなにたくさんの高機能「自閉症」成人がいることは、別に驚くことじゃな
い。驚くべきなのは、一人一人が浪費してしまった時間の重さ。「自閉症」そのものに対する対
処が何もされていないだけではなく、合併症や二次障害があってとりかえしのつかない状態にな
ってから「診断」されたって、遅いのだ。だって、日本にはこういう人たちに対する(と言うよ
り、そもそも現役バリバリの子どもに対しても)方法論が確立されていないし、援助の必要性す
ら認識されていないから。

『自閉症スペクトル』(合併する精神疾患と誤診の問題/P100〜104)より。
【合併症のない自閉性障害そのものを精神病と間違える】
 ・境界知能、正常域あるいはそれ異常の能力を持ち自閉性障害と診断されなかった成人は、こ
  れまでにありとあらゆる精神疾患と間違えられてきた。
 ・なかでももっとも多かった誤診は、強迫性障害、うつ病、精神分裂病。
 ・特に、「分裂病質人格障害」に当てはまる人の中に、自閉症スペクトル障害、とくにアスペ
  ルガーが記載したタイプが確実に含まれている。しかし、発達障害として認識し、自閉症ス
  ペクトル障害をもつ人として援助する必要があるので、診断分類は自閉症スペクトル障害に
  すべき。
【自閉性障害に合併する精神病を見逃す】
 ・自閉性障害の人から十分かつ一貫した症状の経過を聴きとることがむずかしいので、行動パ
  ターンの変化に注意する必要がある。
【合併した精神病の診断をしても、もともと存在している自閉性障害を見落とす】
 ・精神病については十分な根拠があるのに、関連した発達歴を聴きとらないときに起こる。
 ・精神科医が自閉性障害をもつ大人についての経験をもって、社会的相互交渉やコミュニケー
  ションの奇妙さに敏感であれば問題ない。

しかし、ワタシは、ちゃんとやっているところだけ見せるのはキライだ。それは、嘘を
つくことに等しいから。
[2001年8月2日 8時10分14秒]

テーマ: そういえば、   
最近、ウイングさんの暖かさを感じる。だって、「普通」にしてしまおうなんて、どこにも書い
ていない。「自閉症」児・者のために、不都合を少しでも少なくしようという愛情を感じる。
(さすが、「自閉症」者の母親。)
[2001年8月1日 12時13分44秒]

テーマ: 正論居士は卒業できたが…。   
決して卒業できないこと。
   ・・・「どこかに書いてあったことは、現実に起こる」と思ってしまうこと。

"実際的な人との係わり"が始まってしまうと拒絶してしまうタイプの人にとって、"帰属感"と
いうのはアイデンティティのことであって、どこかに所属するとか・誰かに会うとか・何かの話
題で意見交換して盛り上がることではないのだ。

※もう来ないだろうと思っていたのに、昨晩から久々の鬱状態。何か、いたたまれない。
[2001年8月1日 12時11分29秒]

テーマ: 最近、「診断」のついた成人が増えた。   
きっと、会話を持続できる人と親心に応えられる人だけが残るだろう。

でも、「非・自閉症者に自閉体験を語ることが歓迎される」と思って出てくる人って多いんだろ
うなぁ?

※先月、ワタシは「もうどこにも行かない・誰とも会わない」と書いたけれど、それは"自分の
 帰属する「場」"を求めて出歩くことはやめたということだ。どこへ行っても"要らない部  
 品"なのは分かったから、2年前と同じ独立独歩に戻った。
 だから、学会や講演会などには行く。もう、迷いはないので、リサーチと監視のために。
[2001年8月1日 7時50分30秒]

※本人以外の書き込みはできません。
テーマ



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