記事タイトル:2002年10月の「日記」 


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テーマ: コミュニケーション   
今、ノンバーバルの人たちのための、代替コミュニケーションに関する本を読んでいる。

「係わっている」のに「伝える」手段が無いだけなのか、「伝えたい」「係わりたい」という意
思がそもそも無いのか、「伝えている」けれど「係わっていない」のか…。この組み合わせの違
いで、対処法も違うし、将来的に発生する問題も違ってくる。

私は、「伝えている」けれど「係わっていない」状態が、あまりにも長かった。

学校関係者に発達障害の講釈をしたり子どもたちに療育するのは、私の「こだわり」なので、ほ
とんどストーカーのように食いついたし、毎年毎年いろんなタイプの先生に出会って、少しずつ
学校との付き合い方を学習して行った。
長男が小学校に入学した時は、「学校が分からず屋だったら、いつでもやめさせてやる!」とい
う意気込みだったのが、一年生の担任の先生が逆に「何でも教えてください!♪」という人だっ
たので、拍子抜けしたものだった。それが正反対のタイプの先生だったら、今ごろは全く違うこ
とをしていただろうと思う。

でも、いちばん最初に、自分の言っていることと自分の気持ちが通じる人に出会ったのは、パソ
コンをネットに繋いでから。
言葉だけの遣り取りだけではなく心理的・精神的にも繋がっていると信じることのできる人は、
1年に数人ずつのペースで、着実に増えている。
[2002年10月31日 17時55分57秒]

テーマ: 「こんなこともあるんだ!」事件♪   
今日は、長男の中学の合唱コンクール。(と言えば、「音」にうるさい系の人にとっては何を意
味するかわかると思うけれど、子どもたちの名誉のためにここには敢えて書かない。・・・詳し
くは、ここ)。)

たまたま、入り口で、知っている人にバッタリ会ったので、そのまま一緒に会場に入り、隣の席
に座った。
途中、突然曲調と音の大きさが急に変わる曲があって、私の座った場所から見える自閉症児が気
がかりになった。と言うのは、交流のある養護学校の子どもたちが呼ばれてきていたから。
案の定、その子は耳を塞いでいた。曲が終わった後も、しばらくロッキングをしたり手をバタバ
タさせていたり、落ち着かない様子だった。
私は、自分の隣の席の人に、「あそこにいる自閉症の子、大変そうだね。よく我慢している。」
と言った。というのは、その人が、福祉教育関係のボランティアをしていることを知っていたか
ら。
そうしたら、まず、よく見ていたねと驚かれた。でも、次の一言で、私の方がもっと驚いた。
「私、子どもの頃、自閉傾向があったんだ。」という言葉が返って来たから! う〜ん、道理
で、ウマが合うはずだと思った。「子どもの頃は、人と話ができなかった。でも、ずいぶん慣れ
たよ。」とのこと。ちなみに、今はとっても活動的で、社交的に見える。

というわけで、長男の学年が終わった時点で、「このホールの空間が合わなくて、長いこと居ら
れない」ことを堂々と告げて、会場を出ることができた。
「我慢すると、癇癪起こしちゃうからね。我慢しない方が良いよ。」と言ったのは、私ではなく
その人の方だった。

注:同じホールでも、歌舞伎座とか国立劇場ならば大丈夫、ただ、我が町のホールは、空間の狭
  さといい、座席の角度といい、内部の構造といい、天井や壁のデザインといい、すべて私に
  とっては不快なもので、長く居ると目が回ってくる。
[2002年10月30日 11時51分36秒]

テーマ: もしも…。   
もしも、私が、本を読んで寄せ集めてできた知識だけでこのホームページを書いているのだとし
たら…。
誰とも話しが通じなくて犬に向かって話していたことも、朝起きてから寝るまでの生活のすべて
が「決まり」になっている禅哲学に感動したことも、奥の寺でモモンガと一緒に寝ていたこと
も、自閉症の子どもの「こだわり」とパニックに付き合い、寝ること食べること排泄すること遊
ぶことの意味が全く分からなかった子どもに基本習慣を教えたことも、ほとんどつきっきりで人
とかかわれるように手ほどきしたことも、今自分が着ている服と格闘していることも、すべて嘘
だということになる。

自分はまた、消えなければならないのだと思った。いや、それ以前に、自分はここにいないのか
もしれないと思った。今、私は夢を見ているのであり、すべてが幻なのだと思った。

しかし、私が自閉症の子どもを育てていた時、アスペの本はおろか自閉症の本さえもなかった。
すべて自分の経験に基づき、私がした失敗をさせまいとして必死にやってきた。それを、今、さ
まざまな療育法の結び付けている。といっても、自分がやってきたことと実質的に同じだから分
かるのであり、やったことがないものは自分と子どもたちでやってみて、本当に使えたものだけ
を吸収している。

私は、確かに、存在していた。そして、今も、確かに存在している。

自分と違うものを否定しようとすること自体は罪ではない。しかし、自分と違うからといって、
それは「作り物」だと言ったとしたら、名誉毀損になる。
[2002年10月28日 23時58分56秒]

テーマ: ねじれ現象。   
この国で起きている、ねじれ現象。
まず、自閉症というものの存在が認知されていて、それからその中には知的障害を伴っている場
合とそうでない場合があるし、その仲間にアスペルガー症候群がある、という順序で広まったの
ではないこと。
自閉症は、学校制度上も福祉制度上も存在していないことになっていて、知的障害・情緒障害・
精神障害に間借りする形でかろうじていさせてもらっている状態になっている。なのに、高機能
自閉症等の存在が先に認められ、そのケのある人たちとの境目の議論が盛んになっている。
どちらも同時に、全部一緒に認められなければ、おかしいと思う。

それから、外国の手記(まだ邦訳はされていない)の中には、自分たちより自閉度の重い人たち
に対して「どうして、そんなことを考えるのかわからない」だとか「だから、就職できないの
だ」と書いているモノがある。
みんなそれぞれ、スペクトル上の点に位置しているのだから、自分と同じでないことに違和感を
持ち不満を抱くのは当然だけれど、自分を基準にしないというルールは守って欲しい。増して
や、「同じアスペの人がこう言っていて、ちゃんとやっているのだから、オマエもできなければ
おかしい!」なんて使われ方をしたら、拷問しているようなものだ。

これは、いっぺんに輸入したり追従してほしくないところ。
[2002年10月28日 8時36分8秒]

テーマ: 自分を活かせる世界。   
「オマエの言っていることは、わからない」「そんなことはない」「おかしい」と言う人にし
か、会ったことがなかった。助けてくれるのかと思ったら、蹴落とされた。

今まで、こんなことばっかりだった。しかし、ちゃんとしたやり方で自分を活かす方法はあった
のだった。それから、ちゃんとした人々とのちゃんとした繋がりを持つための方法もあったのだ
った。

自分を活かせる世界・自分のやってきたことが役立つ人々、今になってやっと出会ったのだか
ら、ワタシは、私になる! これからでも、遅くはない。
[2002年10月24日 9時46分56秒]

テーマ: 私のないワタシ。   
「私のないワタシ」には、セルフエスティームは育たない。
得意なこと・こだわり行動・感覚の特異性、そのどれ一つとして理解されたことがなく、普通と
違うこと・人の気持ちの輪から外れていること・感覚知覚や認知や身体のレベルですでに不適応
を起こしていることを頭ごなしに否定され、すべてを悪いことだと思い自分を消してしか存在で
きなくなってしまったら、良いことなど起こるはずがない。
何一つ分かってもらった経験もなければ、自分との接点が何一つないところで、ただ生存してい
るだけの、「私のないワタシ」。

これは、二度と起きてはいけないことだ。
[2002年10月24日 8時7分51秒]

テーマ: "Little Professor Syndrome".   
アスペルガー症候群のことを、"Little Professor Syndrome"と称する考え方がある。特に、
スペクトル概念をとっていないアメリカ式の考え方だと、自閉症圏の中の一グループであること
は認めるけれど、いわゆるの“自閉症”とは違うモノとみなされているので、{何かの突出した
部分があって・極限された興味の分野では天才的な能力と知識がある、でも、行動が人と違って
いる人}ということになる(と言うか、そう強調する)ようだ。
確かに、アスペ的な特徴を持っている人で、その優れたところを伸ばせる環境に置かれている普
通の人なら、それこそ成功を約束されているようなものかもしれない。
しかし、(健常との境をどこで線引きするかは別として)アスペルガー症候群がやはり自閉症で
あり、“障害”と言うのは、何も磨かない原石そのままではあまりにも妨げとなるものが多すぎ
て、その輝きを活かすことができないからだと思う。その妨げは、本人自身の中にあるものもあ
れば、周りの人々との関係の中に生じてくるものもあるだろう。
何かに興味が極限し、すさまじい過集中があり、形式的なこだわりやパターン化された行動や感
覚的な過敏性があることを、いかに社会的に整合なものに導いて行くか。また、構造的でない人
的物的環境に置かれた時の不安をいかに和らげ、無用な軋轢を最小限度に食い止めるか。そこが
問題。
[2002年10月24日 7時57分33秒]

テーマ: 別に、どこの国だからということではない。   
英米の研究者が書いたものを読むと感動してしまうのは、「自閉症児・者の行動の原因は何で、
本人たちはどう感じていて、何に困っていて、どうして欲しいと思っているか。」をよく踏まえ
ているから。
たとえ、そのままではなくて適応のための社会化をするにしても、一方的に型にはめるのではな
く、本人の意向を十分に踏まえた上で、最低限の妥協が無理なくできるように、とてもとても慎
重に進めていくから。



⇔外から見て、テストの結果から、・・・。
 こんなことばかりの研究を、いったいいつまで続けるんでしょうね?
[2002年10月23日 23時12分1秒]

テーマ: かみんぐあうと。   
分かろうとしている人・理解しようと思っている人に対して、

それから、

分かろう・理解しようと思う気にさせた時に、効果がある。


理解ある人に恵まれたお陰で本を書く人もいるけれど、理解ある人に恵まれなかった(どころ
か、それで死にかけた)お陰で、ワタシはホームページを作った。
[2002年10月23日 18時55分53秒]

テーマ: そうそう!   
しかも、ソーシャルスキルトレーニングや行動療法をやっていると、「かわいそう!」としか思
わないらしいのにも、うんざりする。
[2002年10月23日 17時53分2秒]

テーマ: 孫を見る目は、やっぱりおかしい???   
ADHDの子どもが、そのケのある子どもと、過激な遊び(いわゆる、いたずら)をしている。
それを見ていたおばあちゃんは、なぜか「今日来た子は、どこの子だ? あの子はいつも、あん
なことばかりする。」と言う。自分の孫のしていることとあまり変わらないのに、何故かよその
子の悪口ばかりだ。
もっとも、ADHDの子どもの方は、やっていることの程度と内容が尋常でなかったので、ソー
シャルスキルトレーニングをしたり、行動療法をしたりした成果のお陰で、今があるのだが…。
(行動障害があって、小さい頃から介入を受けてきた子どもの方が、健常児よりもしゃんとした
面があるとも、よく言われるけれど…。)

ちなみに、「どこの子だ?」と聞かれても、その時には、ワタシは住んでる場所のことだとしか
思わなかった。けれど、もしかして「誰の子だ?」という意味だったのかもしれないと、今にな
って気づいた。
つまり、躾がなってないとかいう観点しかないってことなんだろうな? 何かを始める前にちゃ
んと教えておかないと思いつきで行き当たりばったりのことをする行動特性を見抜いて予防する
とか、その子に通じるように指示をしなければ分からないというようなモノの考え方が、これっ
ぽっちもない。


今日、久しぶりにスーパーに行ったら、店内の照明と空気が不快でずっとカートを叩かずにはい
られなかった時には、ワタシの目はやっぱり普通の環境には合わないと思ったけれど、↑のよう
な目を持っていない健常者の目に比べれば、ずっとずっとマシだと思う。
[2002年10月23日 17時50分11秒]

テーマ: いいかも♪   
胸を張って行こう!
柳沢教授も、よろしく!
[2002年10月20日 11時36分36秒]

テーマ: “Getting Services for Your Child on the Autism Spectrum”   
英米では、LD・ADHD・AS/HFAを支援するための特殊教育が充実しているので、放っ
ておいても誰もが適切なIEPプログラムが受けられると思いきや、全然そんなことはない。
親が子どもの状態をきちんと把握していて、必要な資料を提示し要望を出さないと、せっかく積
み上げてきたことを次に繋げていけない。
専門の研究者だから、何人もの発達障害児を見てきて統計を取っているから、すべてを知り尽く
しているなどと思うのは、傲慢以外のなにものでもない!
たとえ、発達障害に関する専門知識を独占し専売特許を取ったとしても、その子自身のことは何
も知らないのだという謙虚さは不可欠だ。それから、その子を育てるのはオレではなく、その子
自身がたくさんの人たちと共に育っていくのだというあたりまえのことを忘れてしまっ
たら、いったい何のため・誰のための専門家なのか分からない。

勉強しなさい! 本を読みなさい! インターネットでできるかぎりの情報を得なさい!
本当の専門家なら、こう言うはずだ。
(一流の研究者で、こう言っていない人を、ワタシは知らない。)

それから、ついでに書いておく。
「こういうトラブルは、この方法が有効です。と、ほんの数行で片付けてしまっている事柄
(例えば、摂食障害のある子どもが、たった一つの食材をほんの一切れ食べられるようになるま
で)に、どれだけの時間とエネルギーを費やし、朝も夜も振り回され、観察し工夫しなければな
らないか、専門家だ・指導者だ・研究者だと自称している人たちは知っているのだろうか!?

だから、ワタシは↑にもう一つつけ加える。
研究室の中でだけ・相談室の中でだけ・診察室の中でだけ・統計調査の結果でだけ・自閉症論を
通じてしか知っていないということを自覚していない人物を見分ける「目」を持ちなさい!



まあ、負け組みのワタシが言ったって誰も聞かないだろうし、これでますます潰されていくのだ
ろうけれどね。←「世渡りを拒否すると、こ〜〜〜んなになりますよ!」と笑い者にしたけれ
ば、どうぞそうしてください!
[2002年10月20日 10時40分24秒]

テーマ: “Autism - Asperger's and Sexuality: Puberty and Beyond”   
誰もが、この問題を面と向かって言うことには抵抗があるだろう。
ここでつまずいて、一生を台無しにしてしまった人は、世界中に何億人といる。それは、AS/
HFAだからということでもない。しかし、AS/HFAだからこそ、ここまで具体的に言葉に
して教えなければならない。
ちなみに、ワタシは、ここで「してはならない!」と書かれていることをすべてやってしまい、
ここに書かれている通りに「価値の引き下げ」をし、30年もの間「どうやって死のうか?」と
ばかり考えて過ごし、本当にうつ病(←抑うつではない)になってしまった。
今更こんなことを知ったからといって、置かれている状況が変わらない限り、状態も変わりよう
がない。

しかし、敢えて言う。

一度ダメになったからといって、もう終わりということは決してない!
今からでも、できることは必ずある。絶対に諦めてはいけない!
[2002年10月20日 10時6分8秒]

テーマ: 今後の課題。   
従来の自閉症概念では、それから、未診断・未治療のまま成人している人にとっては、「人との
かかわりのなさ」「言語レベルのいかんにかかわらずコミュニケーションのなさ」「感情の共感
性のなさ/こだわりの重さ」が問題になっている。
しかし、今では、早期発見・早期介入で自閉症をよりマイルドにできることと、成人後でも自助
グループを作ったりスキルの供与をすることである程度の効果が上がる人がいることが、分かっ
てきている。

これは、或る意味では歓迎すべきことだ。しかし、人にかかわれるようになったことで・コミュ
ニケーションがとれるようになったことで・感情的に普通に近づけるようになったことで、新た
に起きて来る問題もある。
かかわり障害のきわめて薄いNLDやDAMPを、自閉症スペクトルの概念に含めて考えないと
いけない時代が、本当に来るかもしれない。(今でもすでにごちゃごちゃなのに、そうなった
ら、ものすご〜〜〜く混乱すると思う。)
[2002年10月18日 15時42分32秒]

テーマ: 責任の重さ。   
ASとADHDが合併していることに最初に気づいたのは、たくさんの親たち。
なにしろ、親は子どもと一緒に生活し、セットになって白い目で見られ、子どもを社会に送りだ
し、さらに、自分がいなくなっても一人でやっていけるように育てて行く義務があるから。
「それだけではない!」と気づき、「できることは全部やろう!」「使えるものは何でも使お
う!」と思って当然です。

ADHDはアメリカで発見され研究が進んだので、アメリカではADHDが合併したASを、
ADHDの特徴が際立ってきてから(いや、社会的不適応を起こしてから)やっと診断する。
自閉症は3歳以前にその症状が現われるけれど、ASは3歳までの成長は正常だなどと公然と書
いてあるけれど、それは、単に幼児期のASの特徴をとらえそこねているだけだ。だから、
ADHDと診断されていても、ASに有効とされている療育法をどんどん取り入れましょう!
と、CHADDのリーダーが訴える。

一方、イギリスでは、ASと自閉症スペクトラムの研究が先行したため、長いことADHDの概
念を受け付けずに、ただの多動症とみなしていた。アメリカでADHDと診断されるケースの多
くは、イギリスでは以前からASと診断されている。
では、イギリスでは100%自閉症の診断がつくのかと思いきや、そのイギリスでさえ、1年以
内に診断がつく人は12%、10年以上かかって決着する人が10%もいる。一人目の専門家で
診断がついた人は、15%。さすがに、ADHDと誤診される確率は低く、言語発達遅滞・発達
障害・自閉傾向・LD(恐らく、NLD)などの診断名が並んでいる。

自閉症と診断されるまでに10年も待っていたのでは、幼児は思春期に入ってしまうし、成人は
二次障害をどんどん悪化させてしまう。
自閉症と診断されたからといって、合併しているADHDへの対策をしなければ、なかなか効果
があがらない。

再度言う。親は、そんな無益な論争に巻き込まれていられるほどヒマではない。
[2002年10月13日 10時39分32秒]

テーマ: 人間以上でも以下でもない。   
考える前に行動してしまう。
忘れ物が多い。
不注意・集中力がない、ケアレスミスが多い。
持てる力を発揮できない。
失礼なことを言って、人を怒らせてしまった。
言葉でうまく表現できない。
集団の中でうまくやっていけない。
社会の成員に成り切れない。

これらは、すべて「普通」のことです。

もし、ADHDやASと診断された人に実際に会ったことがあるのなら、ただのこういうことに
悩んでいる人ではないことは分かるはずです。いや、もしかしたら「普通」以上に「普通」にや
っているかもしれません。あたかも、日本に来た外国人が、日本人以上に日本人らしいように。

感覚神経・運動神経の情報伝達過程、脳の認知処理形式、そういうところが違うのです。
[2002年10月12日 21時58分49秒]

テーマ: 分かる人にだけ分かる覚え書き。   
日本では、まだADHDやLDやHFA/ASが存在するかしないかだの、中途診断なんてもの
が有り得るかどうかなんていうお粗末な議論がされているようだけれど…。
LD・NLD/ADHD・DAMPがHFA/ASに合併したり混在したり、様相を変えていっ
たりしているなんてことは、もう当たり前です!←これ、世界水準。

それから、ギルバーグやサトマリの診断基準、上から下までちゃんと読めば、ただの「ともだち
ができない寂しい人」のことを言うのではないことがわかるはずなので、社会性・相互的・感情
的という用語の示す重大性をちゃんと理解してください!←って、いったい、誰への愚痴だ?
[2002年10月11日 18時25分40秒]

テーマ: 学校でのサバイバル作戦。   
学校でやっていることが、もうとっくに自分の能力を超えてしまっているし、これから自分がや
ろうとしていることには全く関係ないが、ただ脳ミソの神経ネットワークを開発するためだけに
アカデミックスキルをお勉強している子どもに、高校入試という難関を突破させるには、どうす
ればいいか?
・・・こりゃあもう、試験に通るためだけの最低限度のことをするしかない。(おまけに、絶対
評価になって、点がストレートに反映されるし、忘れ物とか授業態度では点数を稼げないときて
いる。)
できもしない不得意分野とにらめっこするなんていう無駄なことはしていられないので、過去の
試験問題の傾向を徹底的に勉強する、できるところで確実に点を取るようにする、絶対に出る論
文・記述問題のための対策をする。中2だけど、既に始動。
[2002年10月11日 15時2分19秒]

テーマ: 今更ながら…。   
たくさんの「事実」があるのに、学会で証明されて、専門家のお墨付きがないと、存在しないこ
とになっているものって、たくさんある。

何と言われようと、ワシはワシじゃぁ! タカじゃないぞ!

お偉いさんたちが、まだこんなことやっているなんて、情けない。
な〜んて、お偉いさんの存在を認めていないワタシが言っても、説得力ない。
あちらは、いつでもこちらを消すことができるのに、ワタシが消えても、あちらはこの地上から
永久に消えない。
[2002年10月11日 14時24分37秒]

テーマ: 薬といえば…。   
ワタシの飲んでいる、テグレトール。
今は、二次障害のうつ病はほとんど治っているので、合併症の気分変調に効いているようだ。確
かに、鬱と躁の波がなくなっている。
それから、どうしても「こだわり」の方へ、「こだわり」の方へと戻ろうとする脳ミソに、「区
切り」を入れる役目もはたしてくれている。やりたくないけど、「生活」のために…。
[2002年10月8日 14時17分33秒]

テーマ: 失敗しないために。   
成功するために、とは決っして書けないが…。

○不安やストレスを感じた時に、どう対処するか?
○自分が思っていたことと違う結果になった時のために、バイパスを何本持っているか?

何ができる・できないということよりも、これがカギになるような気がする。

(今日、長男は、リタリンもセレネースもなしに、それを遣り遂げた。一度、パニックになりか
け、泣きかけたが、間違いに気づいたら笑い出し、足をゆらし鼻歌を歌いながら再度挑戦し始め
た。また間違ったけれど、ずっとルンルン気分で取り組んでいた。)
[2002年10月6日 22時18分8秒]

テーマ: 不利な条件。   
日本社会には、アスペ的なものを受け入れる素質があるのだろうか?

○自分の良さを活かすどころか、イヤイヤやらなければならない係りが、持ち回りでやってく
 る。誰もが同じように、通り一遍にできなければならない。
○論理的、かつ、ハッキリ言ってはいけない。
○自分にはどうしてもできないことがある(病気であるということも含めて)けれど、自分には
 得意分野があるのでそれをやらせて欲しいとも言ってはいけない。何故なら、みんなやりたい
 ことがあっても、我慢しているから。それは、特別待遇になってしまう。
○とにかく、感情を逆なでしたら、アウト。
○自分が貢献できる仕事以外のかかわりは、極力避けようとする態度は、最も嫌われる。プライ
 ベートな付き合いをちゃんとする人・話題の中に入ってくる人・感情的な期待を裏切らない人
 が、「いい人」。

少なくとも、ただ“良さ”を強調するだけでは、自分を保てないことは心しておかねば。
[2002年10月5日 1時14分57秒]

テーマ: 価値の引き下げ。   
児童虐待を防止する絵本シリーズがある。

シリーズの一番最後は、自己肯定感。
 虐待や暴力から子どもが自分の身を守るには自分に自信をもつ自己肯定感が土台にかかせませ
 ん。好きなこと、好きなもの等から自分を見つめ自信をもとうとよびかける絵本です。
                                 −本の紹介記事より−

これは、本当にそうだ。自分で自分の価値を引き下げて行くと、何をされても平気になってい
く。もう、どうせ自分はダメなんだと思っていると、どんなひどいことをされても、それが自分
自身の価値に見合った当然の仕打ちだとしか考えなくなるから。
自分には、何らかの価値があると思っていれば、おかしいことはおかしいと分かるし、こんなこ
とをしているのは自分らしくないと立ち直ることだってできる。

だからといって、人は皆、何かの天才で、持って生まれた能力を活かすことができれば、ものす
ごい才能を発揮できるとかそういうことを言っているのではない。
自分には得意なものがある・好きなものがある・楽しいと思うことがある、それが、自分らしさ
なのだという自信があるのとないのとでは、まったく違う人生になってしまうということ。

それから、どん底に落ちた人にも、「絶対に大丈夫だ!」と言い続けて欲しい。「ほら見ろ、も
うコイツはダメなんですよ!」という人の元に置かれると、本当にどんどんダメになっていって
しまう。これは、とっても恐ろしいことだ。
[2002年10月4日 23時49分43秒]

※本人以外の書き込みはできません。
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