記事タイトル:2001年4月の「日記」 


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お名前: ペンギン   
実物を見ている・実態を知っている人がDSMの記述を読むのと、全く知らない人が文字面だ
け読んだり・著明人の説明を聞いて頭の中で想像して作る像との間には、ものすごく開きがある。
そして、正しく理解して本人を支持する方策を実践できる人もいるけれど、逆の方向に利用し
て、排除する方向に持って行こうとする人もいる。

さ〜て、日本にはどちらが定着するか?・・・きっと、後の方だ。(いや、現実が既にそう。)

ということは、私は「ポロクソに言われる方」。(いや、現に言われている?)
[2001年4月30日 18時17分49秒]

お名前: ペンギン   
そもそも、普通ならみっともなくて、公開の場所に書くことをためらってしまうようなことを、
何故書き始めたかと言うと、「自閉症児・者が、突然、泣き始めたり・笑ったり・怒ったり・
何かをブツブツ言い出したりした時は、フラッシュバック想起の無限連鎖が始まっていて、実
際に何かが見えたり聞こえたりしているのだから、それを否定しないで欲しい。」と訴えてい
たつもりだった。
しかし、見えたり聞こえたりしているのは、実際に体験した「場面」そのものであって、決し
て「誰かが自分に語りかけている」「誰かが何かを指示した」という幻覚や幻聴の類ではない
ことを伝えるつもりだった。
でも、私にはドナさんのような情景描写の能力がないので、自分の状態をいきなり書き始めて
しまう。ドナさんみたいな才能があれば、フラッシュバックした「場面」をそっくりそのまま
書き写すことが出来て、とっても冷静に過去を想起しているような印象を与えることができた
のだろう。それが、世間の同情を買うということなのかもしれない。
[2001年4月29日 22時58分6秒]

お名前: ペンギン   
「黙ってりゃいいのに、わざわざ言うから火種になる。」
「必要もないのに逐一報告したり、余計なお世話で人に教えようとするから、『分かっている
なら、黙ってやりなさい。』と叱られてしまう。」
               ・・・・アスペの子どもを持っている親なら、知ってるはず。
(AS同士の衝突のしやすさ。ASとADHDの相性の悪さ、でも、何故か惹かれてしまうことも。)

しかし、現在、アスペと正しく診断されている人は非常に少ない。
だから、アスペにまつわる苦労を知っている人も、非常に少なくて当然。


それから、病院や相談機関で待っている専門家の先生方は、イジメのような大きな事件があっ
て、入院加療が必要なほどの大パニックを起こしたり不登校になってしまったような重篤なケ
ースを取り扱うから、イジメによるフラッシュバックの深刻さを強調したがる。
しかし、そういう大事件がなくても、フラッシュバックは日常的に起きている。怒ったような
口調になったり、妙にしつこく同じことを言い立てている時は、ほとんどトラウマ想起の連鎖
反応が起きていることが多い。
そういう時は、ほとんど『永遠の仔』のキャラクターに近くなっている。
虐待を受けた子どもを病院から引っ張り出して、犯人に対する気持ちを言葉にして言わせた刑事。
解離性障害を発症して、児童虐待をした母親を無意識のうちに殺してしまった弁護士。
徹底的に他人を看護することで、自分自身を抹殺しようとし続けた看護婦。
ただ、恨みや憎しみの感情に支配されているわけではない。強迫的に固執しているだけ、だけど。

また、楽しいことがフラッシュバックしていることがあっても、勝手に浮かれてやたらうるさ
くしているだけだったりするので、無気味に思うことはあっても問題行動にならないから、分
からない。「何やってんだか〜。」で終わってしまう。
[2001年4月29日 11時19分33秒]

お名前: ペンギン   
大うつ病は治っても、本態的な気分の変調は治らない。
後は、うまく付き合っていく方法を覚えればいい。

そして、「死にたい」が「生きてていい」になったのは、
元の「一匹オオカミ」のままでいてよかったことが分かったから。
[2001年4月27日 23時49分7秒]

お名前: ペンギン   
私が、友だちが一人もいないことに気づいたのは、一昨年。
『アスペルガーの舘』にこう書いてあるのを見た時だった。

 アスペルガー症候群:ギルバーグとギルバーグの1989年の診断基準の詳細
  1 社会的相互作用の重大な欠陥(次のうち少なくとも二つ)
    a 友達と相互に関わる能力に欠ける
    b 友達と相互に関わろうとする意欲に欠ける

そして、「こういう人がいてもいいんだ。」と思った。
これが、(終わるはずだったものが)始まった、きっかけ。
[2001年4月27日 7時45分37秒]

お名前: ペンギン   
例えば、買い物とか催し物会場の接客員を相手にするような職業的な会話なら何でもないのに、
"特定の集団に属している構成員"同士として話した後に感ずる違和感の原因がわかってきた。

私がいない時には、特に仲良し同士でなくても同じ「感情」を持つ者同士だから、お互いにさ
し障りのない会話をしている時には「共感」の空気が自然にできる。
それから、特に何かを決めるような時だと意見が対立するので「敵意」がむき出しになるけれ
ど、そうでない時はお互いに争いの種になるような話題は避けるから、打ち解けた雰囲気がそ
こに出来る。
しかし、私がそこに加わると、まず「共感」の空気が壊れる。打ち解けない人への警戒から、
表情が硬くなったり言い方がきつくなったりする。こちらは、どうせ固い話しかできないから、
そのことを後悔することは全然ない。それで、人と上手く会話できないとか、仲間に入れても
らえないことに悩むわけでもない。
ただ、その現場にいた人たちの目つきとか口調の感じを、その時は意識していないのに何かの
キッカケで思い出してしまう。すると、芋づる式にそういう記憶が想起されてワッと出てくる。
 今では、人と話をした後に何となく身体的な不快感を感じた時点で、SSRIを飲んで止めてし
まう。(始めからそうなりそうな時は、出掛ける前に精神安定剤を飲んで感覚を鈍らせておく
ことも必要。)こういう手段があることを知らなかった時は、まずその晩眠れない・突然泣き
始めて止められなくなる・急に動けなくなって寝てしまう・その他もろもろの反応があった。
これで無駄にした時間と、漢方薬に注ぎ込んだ資金と、とんでもないことに夢中になって馬鹿
げたことばかり繰り返したことを思うと、「薬の力を借りて生きている」ことをどんなに批判
されようとも、絶対にやめたくない。
[2001年4月26日 18時5分6秒]

お名前: ペンギン   
「これをするのは決まりだから、やる。」のであって、「○○さんの前で良いところを見せよ
う」とか「良い点をつけてもらえるように」いい子にしていようなんて、思ったことはない。
だって、先生が必ず「"かげひなた"があってはいけない」と教えたし、「うちの子は"かげひ
なた"があって困る」というお母さんは多いではないか。
しかし、これは「見栄や虚勢を張ったり、人を騙すようなことをしてはいけない。」というこ
とで、「人に好かれたい」とか「人に嫌われたくない」というようなごくごく基礎的な感情を
抱くのはおかしいということではなかったようだ。
(当然、こういうことをする人はズルイ人でもなく、演技性人格障害者でもなかった。)

ただし、冒頭の「決まり」というのが、「自分のこだわり」「自分で決めたこと」だと、めっ
ちゃめっちゃそれらしく見える「自閉症」で、「普遍的法則」「整合的論理」だと、めっちゃ
めっちゃ普通に見えるアスペだったりなんかする。
[2001年4月26日 14時31分53秒]

お名前: ペンギン   
先日立ち読みした本の、杉山先生が担当した章の終わりにこう書いてあったという件。

 自閉症の子どもに接する機会を多く持って、多少詳しくなったからといって、全てが分かった
 と安易に思わない方がいい。
 自閉症キャンプに参加した高機能自閉症青年がさかんに常同運動をしていたので、何か不満で
 もあるのかと付き添いの母親に聞いてみたところ「楽しみにして来た」という。

その「場」が快適だろうと不愉快だろうと、そういう運動特性を持っているからそういう常同
運動をするのであって、それが自然なのだから仕方がない。
どんなに"キャンプが楽しみ"で"自らすすんで来た"としても、人がたくさんいる・日常でない
場所であることには変わりない。未知の人・特別な日程に対する不安や緊張があっても、身体
的で漠然とした不快感という形でしか認識できないとなれば、それを終息させるための身体的
手段を講じるのは、当然のことなのだ。
で、その身体的システムそのものは、自宅であろうとキャンプ会場であろうと園遊会の席であ
ろうと、変わることはないのだ。だって、どこまでも自分と一緒に移動するから。
[2001年4月25日 14時27分48秒]

お名前: ペンギン   
最近では働いているお母さんが多いので、参観会の後の懇談会まで出席する人は少ない。
でも、そこでたいていの人は、「うちの子は、落ち着きがなくて困っています。」だとか「お
となしすぎて、自分を出せないのが心配だ。」と言う。
何も、その子たちに、ADHDや対人恐怖症や不登校などの問題があるわけではない。ただ、
正常範囲内での性格や個性のレベルのことだ。
でも、親自身は、「自分の能力の限界」や「人格的な偏り」や「環境的な制約」があり、得意
不得意・好き嫌いをさんざん言って来たにもかかわらず、子どもには「あれが足りない・これ
も足りない」と要求するのは、どうしてだろう?

何故、「うちの子は、こういう子です。よろしく!」じゃあないんだろう?
[2001年4月25日 13時55分32秒]

お名前: ペンギン   
いや、待てよ!

その頼みの綱の精神科医に、完全に逆の対応をされた、つまり、自分の言ったことを悉く否定
されたという人を、何人も知っている。
その内の一人は、ショックのあまり帰りの電車で発作を起こし、救急車で運ばれる事態となっ
た。今でも別の病院の精神科に入院していて、一番のトラウマはその事件だそうだ。

これは、なんなんだ!?
[2001年4月25日 10時21分50秒]

お名前: ペンギン   
「発達障害」児の多くは、脳内の抑制系と興奮系の拮抗バランスの悪さを抱えている。
もしかしたらそれは、認知や言葉の障害以上に重大な問題なのかもしれない。
[2001年4月25日 10時6分13秒]

お名前: ペンギン   
黙っていれば何でもないのに、「関心はある」けれど「係わりたくない」、なんてことをわざ
わざ書くのは、「どうして係わろうとしないのかーーー!!!」とか「間違っている!」「バ
カげている!」という波風を自ら立てているようなものだろう。
それはあたかも、大うつ病エピソードの渦中にいるうつ病患者に向かって、「どうして、生き
ていること・生かされていることに感謝できないのか!?」とか「前向きに考えなさい!」と
叱咤激励するようなものだ。それが出来ないからうつ病になったのではなく、うつ病だからそ
うできなくなっているというのに…。
自殺者の多くは、きっとこうやって他殺されたに違いない。

『臨床精神医学』の教科書より。
  臨床的面接の心得。
    ○自分なりの共感や感受性を明らかにして、ラポールを確立する。
    ○価値判断をしない。
    ○言い争ったり、立腹したりしない。
    ○特定の意図を持って、答えを誘発するような聞き方をしない。

みんなでこれをすれば、精神科なんて要らなくなるかもしれない。

でも、ほとんど全ての場合、完全に逆のことをされ続ける。だから、精神科医不足は、いつに
なっても解消されない。
[2001年4月25日 10時1分16秒]

お名前: ペンギン   
普段から打ち解けない人が犯罪を犯すと、その表情は「顔に不信な笑みを浮かべていた」と描
写され、「殺してやりたい!」と言われるそうだ。
しかし、その"打ち解け合っている"人たちが"打ち解けない"人に対してして来たことは、罪に
はならないというのだろうか?
[2001年4月24日 8時7分43秒]

お名前: ペンギン   
精神科の薬を飲んでいると、「そんなにまでして、無理しなくていいのに!」と言われるかも
しれない。
でも、そうではないのだ。薬のおかげで反復性・強迫性・固執性・不安恐怖がなくなって、やっ
と「普通」の状態に近くなれたのだ。そうしないと、パニックを起こしては何かを攻撃するこ
との繰り返しになる。そのために、随分と無駄に過ごして来た。そして、随分といろんなもの
を失った。
それがなくなったからといって、その失ったものを取り戻せるのかというと、そうでもない。
ただ、少し自分を追い込まなくなった分「楽」になっただけ。

そういえば、(やっぱり、薬で平穏を保っている)テンプルさんが来日講演をした時、ほとん
ど普通の大学教授と変わりがないように平然としていたけれど、一度だけチラッと「自閉症」
の地を出してくれた。
私は、「やったー!」と思った。テンプルさんが、「全く普通になった成功者」ではない一面
を顕わしてくれたことが、うれしかった。(しかし、身近で見るといかにも「自閉症」者だっ
たし、普段のしゃべり方には紛れもない「自閉症」の名残があった。)

DSM−3までは、子どもの頃に「早期小児自閉症」と診断されたけれど、成長と共に臨床像
を変えた場合の為に、「自閉症・残遺」カテゴリーというのがあったそうだ。
でも、DSM‐3‐Rになって削除された。これは、元々の「自閉症」概念そのものが広くなった
ことも関係するのだろう。それから、一見・LD/一見・ADHD/一見・普通のようでも、
やっぱり「自閉症」というのは、きっと「アスペルガー症候群」になるからでしょう。
[2001年4月23日 13時33分22秒]

お名前: ペンギン   
先日読んだのは、児童青年精神医学に限定したDSM−4の手引書だった。今回は、一般医向
けの手引書を読んでみた。
原著はアメリカの本なので、アメリカでは予診などで生育歴を取った段階で発達障害が疑われ
は「児童精神科」に回すだろうから、きっと問題はないのだろう。

しかし、日本ではこういう本が訳されて利用するのは、一般の精神科。しかも、現役の精神科
医のほとんどは「児童精神科」領域に属する「障害」について何の教育も受けていない。
最近になって騒がれているし、患者本人があっちこっちから情報を入手して「自分は、○○と
いう発達障害だ。」と外来にやってくるようになったから勉強しよう、と思って読んでいると
したら、明らかに大問題だ。
「児童精神科」に関する事柄は、統計的な事実と選択する治療薬を紹介しているだけで、具体
的な臨床像の記述がないことから推測すると、これを書いた人は「一般の精神科」の専門家な
のではないかと思う。(アメリカでは「児童精神科」と「一般の精神科」は、それぞれ独立し
ている。)

まず、精神科医が患者の診察に当たって観察すべき徴候や症状についての定義が、始めに書か
れているけれど、「自閉症」に見られる症状のほとんどが「精神分裂病」の症状として定義さ
れている。これは、本当の「精神分裂病」の患者の臨床像を説明する用語としては、間違いで
はない。
しかし、念頭に「自閉症」かもしれないという疑いがあって、それらしき様子が見られたら
「児童精神科」に回そうという意識がない人がこの本を診断ガイドとしているとしたら、誤診
されて当然だと思った。これが第一に気づいた点。

それから、ADHDは「発達障害」であるということはもう既に周知のものとして、データ的
な説明がいきなり並んでいる。「ODDやCDのどちらかが合併した場合を取り扱うことが多
い」とさらりと書いてあるだけで、同じ項目に分類されている理由は明記されていない。
つまり、ADHDが、あたかも「破壊的行動障害」の下位分類であるかのように扱われていて、
発生順に従った経過説明がないので、ADHDの大きなすそ野に属する臨床像については全く
触れられていない。これでは、こういうガイドブックを読んだシロウトが、ADHD=CD予
備軍であるかのような印象を抱いてしまうのも無理はない。(それで、テレビ局などが、予め
筋立てを作って安易な取材をしてみると、「あれ?」「おや?」となるわけだ。)これが、第
二の点。

「予備知識がない専門以外の医者がこの基準を診断の為に用いた場合に、どういう不都合が生
じるか?」ということは、専門家の中の専門家である権威の先生方には予測が出来ないので、
こういう問題が起きるのかもしれない。
[2001年4月22日 10時17分28秒]

お名前: ペンギン   
「親心」の遣り取りと、子どもに対する普通の心情には、ついて行けなくて良い。
そう思ったら、参観会の後の懇談会にも参加できるようになった。
(普通、「中学に入ったら、小学校とは違うぞ!」と脅しているので、今のところなんとか
やっています。」なんていうモノの言い方はしないんでしょうけれどね。いいや!)
[2001年4月20日 22時40分24秒]

お名前: ペンギン   
これだけ延々と書き写しても、結局、言いたいことは「親心の交換が盛んになってしまった掲
示板には、書き込むことができない。何故なら、そこに書いてある文章を読むことすらできな
くなってしまったから。」ということだったりもする。

それから、下のA項・B項と書かなかったがC項(これは、除外規定が書いてある)の組合せ
になっているのが、「非定型自閉症」で、言語能力や認知能力の発達に全般的遅延がないのが、
「アスペルガー症候群」。

ついでだけど、今まで「自傷」は「衝動抑制障害」だと思っていたけど、「常同性運動障害」
に入るそうだ。(どうでもいいか?)
[2001年4月20日 10時23分6秒]

お名前: ペンギン   
もともとの原語が違っているのか、それとも訳者の自閉症観の違いなんだかよく分からない。
けれど、ここで問題にするのは自閉症観のことであって、訳し方ではない。
ただ、ICD−10の「研究用診断基準」の記述内容の方が、DSM−4よりも正確だと思う。
もしこれが、原語の違いであったとしても、本当に「自閉症」を知らない人は日本語訳で出版
されたものを基準にするのだから、どちらでも構わない。

まず、始め(A項)に、以下のように明記してあること。
A:3歳以前に、次にあげる領域のうち少なくとも1項の発達異常または発達障害が存在する
  こと。
   1、社会生活のためのコミュニケーションに利用する受容性言語または表出性言語。
   2、選択的な社会的愛着の発達、または相互的な社会関係行動の発達。
   3、機能的遊戯または象徴的遊戯。
※何故、ここが一つでも良いのかと言うと、次のB項との組み合わせになるから。

B:1,2,3から併せて、少なくとも6症状が存在し、そのうち1から2項目以上、2と3
  からそれぞれ1項目以上を含んでいること。
   1、相互的な社会関係における質的異常として、次にあげる領域のうち少なくとも2項
     が存在すること。
      a、視線・表情・姿勢・身振りなどを、社会的相互作用を調整するための手段と
        して適切に使用できない。
      b、(機会は豊富にあっても精神年齢に相応した)友人関係を興味・活動・情緒
        を相互に分かちあいながら十分に発展させることができない。
      c、社会的・情緒的な相互関係が欠如して、他人の情動に対する反応が障害され
        たり歪んだりする。または、行動を社会的状況に見合ったものとして調整で
        きない。あるいは社会的・情緒的・意思伝達的な行動の統合が弱い。
      d、喜び・興味・達成感を他人と分かちあおうとすることがない(つまり、自分
        が関心をもっている物を、他の人に見せたり、持ってきたり、さし示すこと
        がない)。
   2、コミュニケーションにおける質的異常として、次にあげる領域のうち少なくとも1
     項が存在すること。
      a、話しことばの発達遅延または全般的障害があり、身振り手振りでコミュニケ
        ーションを補おうとする試みをともなわない(なん語で意志の伝達ができな
        かったという既往のあることが多い)。
      b、(言語能力はさまざまな程度に認められるにもかかわらず)他人とのコミュ
        ニケーションで相互に会話のやりとりを開始したりまたは持続したりするこ
        とにたいてい失敗する。
      c、常同的・反復的な言葉の使用、または単語や文節の特有な言い回し。
      d、さまざまなごっこ遊び、または(若年であれば)社会的模倣遊びの乏しさ。
   3、行動や興味および活動性のパターンが制限され、反復的・常同的であるが、次にあ
     げる領域のうち少なくとも1項が存在すること。
      a、単一あるいは複数の、常同的で限定された興味のパターンにとらわれており、
        かつその内容や対象が異常であること。または、単一あるいは複数の興味が、
        その内容や対象は正常であっても、その強さや限定された性質の点で異常で
        あること。
      b、特定の無意味な手順や儀式的行為に対する明らかに強迫的な執着。
      c、手や指を羽ばたかせたり絡ませたり、または身体全体を使って複雑な動作を
        するなどといった、常同的・反復的な奇異な運動。
      d、遊具の一部や機能とは関わりのない要素(たとえば、それらが出す匂い・感
        触・雑音・振動)へのこだわり。
※ここで、積極奇異型の臨床像を知らない人に一番誤解されるのは、1−dの「自分が関心を
 もっている物を、他の人に見せたり、持ってきたり、さし示すことがない。」というところ。
 これは、幼児期にはたいていこの通りで、だいたい「一人で・勝手に・夢中になっている」
 ことが多い。そして、加齢してもあまり変わらない子どももいる。
 しかし、成長して明らかな積極奇異型になると、とにかく自分からいろんなものを持って来
 ては全然興味も関心もない人に向かって講釈し続けたり、ちょっと好意的で話を聞いてくれ
 る人とか、同じ興味・関心を持っている人に向かって執拗に同じ話を繰り返すということを、
 非常によくするようになる。
 で、ここで重要なのは、括弧内の方ではなく「喜び・興味・達成感を他人と分かちあおうと
 することがない。」ということなのだ。本人は夢中になってしゃべっているが、相手とは分
 かち合っていない。つまり、「一方的だ」ということ。
 そして、1−b項にあるように「興味・活動・情緒を相互に分かちあいながら十分に発展さ
 せることができない。」ということなのだ。
[2001年4月20日 10時12分46秒]

お名前: ペンギン   
予約制の時間が遅くなったからといって、行きなれていない場所に行くからには、出発時刻は
急に変更できない。初日は特に、看板や掲示物を全部読みまくって、病院のシステムと院内の
位置関係を把握する仕事があるので、めちゃめちゃ早く着くのは分かっていても、めちゃめちゃ
早く行く。(いや、何よりも昼ごはんがどうなるかが不安なのだ。食べる場所があるか、食べ
れるものがあるか。そして、次に気になるのは、売店にどんなものが置いてあるか。これは、
別に買いたいわけではない。)
しかし、「紹介状があるし、予診やアンケートの類はしなくていいと聞いている。」と私が言
っても取りあってくれずに書いていたら、途中で先生から電話があって「書かなくていい」こ
とになった途端に慌てて回収した、受付の看護婦の豹変ぶりは面白かった。(でも、同時に、
「精神科の患者ってのは、そんなに信用ないのか!」とも思った。さっきまで、あんなにしつ
こく「どんな理由があろうと書きなさい」と言っていて、こちらが「先生から聞いている」と
説明しても「あとで先生が来たら相談します」と全く聞く耳持たずだった人が、コロッと態度
を変えて謝りもせず、せっかく書いてしまったところの補足をしようとしたら「もういいで
す」とにっこりするとは、なにごとか!)
で、そのアンケートの中に「親から見て、子どもの性格はどうですか?」というのがあったの
は、参ってしまった。もともと、ニンゲン自体が「安心できる⇔恐い」の分類しかなく、もし
そんな話題になった時には、他の誰かが言っていたコトを受け売りして乗り切っているという
のに…。今まで、長男は「アスペルガーでADHDで、その程度はどれくらい」、次男は
「ADHDでLD」という観点でしか見たことがない、と言うより、そういう観点しかないか
ら答えようがない。(そのことを例の受付の看護婦に説明したのは、全く無駄だったのか?)
 それから、あの病院にはもう一つ困ったことがある。白衣を着た医者やなんかが、その辺を
うろちょろしていること。まあ、他の科なら、病気のことだけ話せばいいのでどこで出くわそ
うとどうでもいいのだけれど、主治医の先生は「白衣着て目の前にいる時には、思いっきり自
閉モードになっていい人」なので、治療室以外の場所では会いたくないから。(当然、治療室
に入ると、"現役真っ盛りの子どもの頃にはバシバシやっていたけど、普段はやめていること"
を清々とさせてもらっている。)
あと、行き帰りの途中の駅に、もう既に自分には無関係になってしまった病院の看板があるの
が邪魔くさい。意識の中から削除したはずのモノの名前が、目に入って来るから。目からイン
プットされた情報を、意識で否定するという余計な作業がうるさい。

しかし、こういう風にモードを切り替えられるのが、アスペルガーの特徴なんだろうな!
ちなみに、今日仕入れた本には、「この症候群は、ある意味では自閉児と健常児の間のどこか
に位置を占める独立した集団のように思われる。(『児童精神医学の基礎』フィリップ・バー
カー著)」と書かれているが、確かにそういう面もある。自閉症とアスペルガーを連続体とか
スペクトルとするのはイギリスのウイング派の考え方で、アメリカでは診断はちゃんとつける
し広汎性発達障害のグループに入ることは認めているけれど、独立したサブグループとして捉
えている。
「アスペルガー症候群の子どもも自閉症の子どもと同様に、常同性を示したり周囲に決まった
型を押しつける傾向があり、言語上のハンディキャップを負い、意味を受け取る能力を欠いて
いる。一方で彼らは、自閉症児のように認知や記憶に関する課題に対してこだわりや高い動機
を示すことはなく、自閉症児に非常によくみられるような言語および認知発達における全般的
な遅滞を示すこともない。」とある。これも確かにそうだ。
幼児期からアスペルガーで言葉の遅れがなくてさほど自閉症らしいエピソードもない場合もあ
れば、幼児期には紛れもないカンペキな自閉症だったのがアスペルガーに移行する場合もあれ
ば、ずっと自閉症でいつまでも自閉症という人もいる。しかも、早期からの療育でタイプが変
わった人もいれば、そうばっかりとも言い切れない面もある。
ただ、いつまでも自閉症だと周りがずーっと合わせなきゃいけないけれど、アスペになると本
人がカメレオンみたいに変態というか擬態できるようになるので、受ける印象がかなり違うっ
てとこなんでしょうね。(そうなってくると、臨床的に治療対象となる症状も変わるし…。)
[2001年4月19日 23時18分31秒]

お名前: ペンギン   
「私はべつに、あなたに会わなくてもいいの。ここにいる私に会いに来たのは、あなたの方な
んでしょう。」今思えば、メアリーがこうして毅然とした態度を貫き通したことが、結果とし
てわたしたちのどちらにも良かったのだと思う。(『自閉症だったわたしへ』文庫版P244)

というわけで、そういう人のところに行って来る。もともと不安定な上に、行事が多すぎるこ
の時期に、間が空き過ぎたのは、かえって良かったのかもしれない。
[2001年4月19日 8時14分1秒]

お名前: ペンギン   
人格、変わりすぎーだって!?
だって、相手の語り口のままで思考して、相手の語り口で答えが出てくるんだもの。
(だから、バラバラだって言ったでしょ!)
[2001年4月19日 8時7分41秒]

お名前: ペンギン   
『自閉症だったわたしへ』より/ページは文庫本のもの。

わたしの中には、それぞれの科目にぴったりの、三人のわたしがいた。まず社会福祉関係の科
目は、何かを守ろうとする強い本能を持っていて、メアリーの姿を憧れながら見つめ続けてき
たわたし。芸術は、つかみどころがなくて、他のどの科目にも結びついてゆかないわたし。で
も、わたしの本当の適性に一番近かったのは、おそらく最も何気なく取ったインテリアデザイ
ンだったのかもしれない。―中略―だがこの三人目のわたしは、いつものように途中で消えて
いなくなり、あとの二人が互いに妥協を図ることになった。(P286)

クリスは、キャロルとしてのわたしの人生に、すでに深く入り込んでいた。よく笑い、明るく
社交的で、理想的な女の子のキャロル。キャロルには、クリスが望み、期待したものがすべて
備わっていたというわけだ。それなのに彼は、ドナには背を向け、歩み去った。まるで、まっ
たくの見知らぬ他人に出会ったかのような顔をして。(P232)
カレンはディビットの正体を見抜いた。あれはうじ虫よとわたしに警告し、あんな男にはすぐ
に出ていってもらいたいと言った。けれど、放り出されてしまうことからだけはなんとか彼を
守ってやらなければとウィリーは思い、必死にカレンに立ち向かった。ウィリーの心の中には、
遠い日のキャロル自身の姿が浮かんでいたからだ。放り出され、結局は娼婦も同然の存在に、
自分の身を落とさざるを得なかったキャロルの姿が。(P339)
それが単なる策略であることはわかっていたが、あの時もし、わたしがそれ以上の悪意に満ち
た残虐さを感じ取っていたなら、あるいは、ティムとわたしがお互いに抱いていた深い本物の
感情にわたしが心の底からやすらぎを覚えていたなら、まちがいなくわたしはティムの手を取
り、わたしを慕うふりをして巧妙につけこんできたこの悪魔のもとから、逃げ去っていたこと
だろう。(P338)

「自閉症」というそのことばが、実際は何を意味するのか、わたしは知らなかった。単に現実
に対応できず、引きこもってしまうことだろうと、わたしは思った。そうなのか。わたしは現
実に対応できないのか。だからって、それがどうしたというのだ? そんなことはすでに、い
やというほどわかっているではないか。人に触れられることや、わたしと知りあおうとしたり
親切にしたりしてくれる人が非常に苦手なことは、自分でもよくわかっていた。人の言ったこ
との口真似しかしなかったことも、母から聞かされて知っていた。だが、その症状がわたしの
人生にもたらした、その他のあまりにも多くの事柄については、やはりわたしにはわからない
ままだった。(P316)
そして独立というのは、一人になることを意味するのだと、わたしは思っていた。(P207)

      *  *  *  *  *  *  *  *  *

かつてわたしの中で、弱者保護に強い使命感を抱くウィリーと世話好きのキャロルが同居して
いた時、本当の私自身はずっと、「自分には価値がない。だから、こんなところで暮らす羽目
になって当然なのだ。」と思っていた。しかし、消えつづけることに耐えかねた時に、精神は
崩壊するしかなかった。
ドナさんは、そこから抜け出した。だから、自分の身に起こった出来事をありのまま自伝に書
くことができた。でも、私はまだ、そして永久にそこに居続けなければならない。具体的なこ
とを書くと、実害が出る。だから書けないし、日常の中で何度も何度も踏まなければならない
起爆剤を、自分からわざわざ踏むこともない。だから書きたくない。
先日、『ひきこもり』のドキュメンタリーを見て以来、「もし、私が、ああいう生き方もある
のだと知っていたら、きっと選択していただろうなあ。」と思っている。なのに、何故そうし
なかったかというと、それこそ正に「自閉症」であるが故にしていた行動や発言を、悉く母親
に責められ続けたからだった。ドナさんやグニラさんのように、母親が虐待や育児放棄してい
たからではなく、「普通」の心理的な交流を求められる「家」から出たかったのだった。
結局、そうやって捨ててしまったものからは何も得ることはなかった。いや、これからも、そ
こでの私は、生きるために死に続けているしかないのだ。永久に。

そんなモノでも、拾ってくれるところがあったから、病的な常態からは脱却できた。でも、ド
ナさんのような明らかな「自閉症」じゃないと、あんまり役には立たないらしい。
どっちに行っても、中途半端だから。時々、足場がなくなってしまう。
[2001年4月18日 17時34分27秒]

お名前: ペンギン   
パッと見では全く区別がつかないけれど、言葉で記述すると特に「自閉症」と勘違いされやす
い事というのは、とっても多い。
昨日、日本テレビで、『ひきこもり』の人と過ごした一年間の記録というのをやっていた。
『ひきこもり』というのは、「思春期特有の挫折体験をキッカケに、本人の居場所・役割喪失
感と失敗経験を再体験するのではないかという不安に対人恐怖が入り混じって、外に出られな
くなるなっている状態で、他の精神疾患によるものではない。」というのが定義だそうだ。

「自閉症」とは、原因も対処法も違うものです。でも、勘違いされて逆効果になってしまって
いる「自閉症」者は多いだろうなあ。
ただ、ディレクターの最後の結論:ひきこもっている人を変えて普通になってほしいと考えな
いで、周りの人が変わってあげてもいいんじゃないか! ・・・これは、一緒カモ?

でもねえ、どんな子どもでも同じような教育を受けて・同じような価値観を身につけることを
強要されて・こんなにケバケバしくて忙しい時代に適応することを余儀なくされたら、普通の
人でもモラトリアムしたくなって当然だと思う。
まっ、これは、「ニンゲン」としての「普通」の在り方と違っているということではなく、今
の時代に「待った!」を言いたいってことなんだろうけれど。
[2001年4月17日 15時31分29秒]

お名前: ペンギン   
今日は、木曜日に行く初めての病院・金曜日と土曜日に重なってしまった学校関係の行事とい
う二大イベントの前の過緊張で、「待機モード」にしてあるんだけど…。
[2001年4月17日 9時27分28秒]

お名前: ペンギン   
「こだわり」を悪だと思っていた時にはなかった、新たな問題。
(「こだわり」を悪だと思ってしまった弊害の方が断然大きかったので、もう戻すつもりはない。)

自分が「こだわっていない」仕事を"やる気"を、いかにして産み出すか?
カレンダーに書き込んであれば、その日は朝からそういうモードに入れることができる。
何処かから通知が来て、「行くしかない」とか「締め切りを決められている」のなら、合わせ
るしかない。でも、自分で書き込むとなると、先延ばしにしてしまう。
それで、結局、「自分の自由が利かないどうしようもない時期」にまとめてしまう。そうすれ
ば、こまめにチョコチョコ切替えしなくて済む。その代わり、精神的に不安定で余裕が全くな
くなる。
[2001年4月17日 9時25分17秒]

お名前: ペンギン   
今、一番、耳に残っている言葉。
京都の講演会で、内山先生の言ったこと。「協調性を強調しない。」

それから、誰かがどこかに書いていた「いったい、相手がこんな瑣末なことの繰り返しを喜ん
で読むとでも思っているのだろうか?」という、アスペの大学生の書いたレポートに対する感
想に対して、「ぜーんぜん、思ってません! 私は、自分の趣味のコトバ集めをしているだけ
でーす!」と、毎日毎日、頭の中で問答をしている。
[2001年4月16日 9時50分24秒]

お名前: ペンギン   
DSM−4:第5軸「機能の全体的評定(GAF)尺度」

70〜61・・・基本的に、私はここ。
「いくつかの軽い症状がある、または社会的、職業的または学校の機能に、いくらかの困難が
あるが、全般的には、機能はかなり良好であって、有意義な対人関係もかなりある。」

でも、時々、その一つ下(だけど、せいぜい60くらい)に下がります。
「中等度の症状、または社会的、職業的、または学校の機能における中等度の障害。」
[2001年4月15日 10時44分56秒]

お名前: ペンギン   
それから、意外なことに「気分が単に易怒的な場合」も躁状態なんだ。

つい最近、明らかに「双極性障害」の中年のオバサンを見た。鬱状態の日は、ずーっと泣きな
がらしゃべり続けていた。その同じ人が、躁状態の時には、ずーっと誰かに向かって苦情を言
い続けていた。
それから、まるで幼児期のADHD&アスペの複合した多動状態そっくりの、高校生くらいの
女の子を見たことがある。それは、本物の「病的な躁病エピソードの状態」だった。

こういう、健常者が精神的に破綻をきたしている様子と、発達障害者が合併症として持ってい
る、或いは、経過中に発症した後発性の病的状態とは、やっぱりどこか違っている。けれど、
非常に良く似た症状を示す。
それを見て、人間って面白いなあと思った。
[2001年4月15日 9時43分16秒]

お名前: ペンギン   
そういえば、数十年前のあの事件・この事件…。当時は全く説明がつかなかったいろんなこと
が、気分エピソードだったことがよくわかった。

「鬱状態」の時には…。
○すべての活動における興味、喜びの著しい減退。
○著しい体重減少。
○ほとんど毎日の不眠または睡眠過多。
○ほとんど毎日の易疲労性、または気力の減退。
○ほとんど毎日の無価値観、または過剰であるか不適切な罪責感。
○死についての反復思考。

「躁状態」の時には…。
○自尊心の肥大。
○睡眠欲求の減少。
○普段よりも多弁であるか、しゃべり続けようとする心迫。
○目標志向性の活動の増加、または精神運動性の焦燥。

その二つが、一日の内あるいは数日周期で混在していた。
しかも、それが"日常の社会的活動または他者との人間関係に著しい障害を引き起こすほど重
篤"だったこともあった。

それから、何をやってもだいたい3年しか持たない。
[2001年4月15日 2時57分35秒]

お名前: ペンギン   
かつては、それこそ、日常のありとあらゆることに罪悪感がつきまとっていた。
手を振ること・首を振ることを意識して止めるのは、ほぼ丸一日の重圧だった。
しかし、何よりも「モノの考え方・感じ方の全て」が強迫的なルールに縛られていて、本当の
自分の感じたままのことが全部「悪」という抑圧状態を続けていては、精神的な健康など保て
るはずはない。しかも、気分が一定していないことも計算に入っていなかったから、それがま
た自己批判の材料になった。
そして一方では、一歳前からしゃべっていたくせに、初めて"人に向かってしゃべっている"こ
とに気がついて感動して泣いた日以来、人に向かってしゃべった言葉・人が私に言った言葉の
音声の後に広がる違和感を何となく感じて、絶えず頭の中でフラッシュバックし続けるように
なっていたこと。

これらの苦痛と抑圧状態から解放されたら、何だかとってもヘンな感じがする。と同時に、そ
の状態で一日を過ごすコツが、まだ飲み込めていない。だから、何もすることがない時間には、
習慣で眠ってしまう。そして、こんな時間に起きている。
[2001年4月15日 2時40分53秒]

お名前: ペンギン   
今、ウチの子どもたちが友だちと遊んでいる。
しかし、私には、「どうしてあんな風に遣り取りしたり・係わったりしながら、人と楽しく遊
べるのだろうか?」と、不思議でならない。
[2001年4月14日 15時55分4秒]

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