告知と自覚

高機能の自閉性障害に関する四つの誤解

  1. 一生、今のまま変わらない。(幼児期)
  2. 言葉が出れば、普通になる。(学童期)
  3. 行動障害が収まれば、普通になる。(学童期)
  4. 自覚すれば、治る。(成人後)

高機能の自閉性障害の症状のいくつかは、ある程度克服したり緩和することができます。境界線以上の知能を持っていると、子供の頃には、言葉が遅れていたり奇異な行動がかなり目立っていても、言葉でのコミュニケーションができるようになり落ち着いて来ると、障害がなくなってしまったかのように錯覚してしまうでしょう。特に、おとなしくて受動的なタイプは、誰にも気づかれないまま潜行してしまうでしょう。どちらのケースでも、子供のうちに発見されなかった場合、何となく人と違う自分に悩みながらも、自分の方が普通じゃないなんて思いもしないまま大人になります。

そして、心に爆弾を抱えたまま、一生懸命背伸びをし無理して普通の人と同じように振る舞って、なんとか生活できるようになるでしょう。すべてではありませんが、その内の何パーセントかは、自閉性障害者自身の体験記を読んだり他の精神症状の為に病院を訪れて、自分の障害に気づく時が来ます。しかし、本やテレビやインターネットで知った場合でも、行き詰まったり破綻しかかっているからこそ、そういう情報が飛び込んで来るのですから、自分の生き難さに何らかの答えを求めていることに変わりはありません。

それで、自覚してどうなるのでしょうか? 自覚すると楽になるのでしょうか? 確かに、今まで謎だったもののいくつかはたちどころに解決します(例えば、私の抱えていた視覚の問題が、安物のサングラスで解消されたように)。自分の特性を理解して、危険を避けるようになります。でも、自覚したぐらいで治るのなら、「障害」ではありません。むしろ、逆に今まで我慢してきたことが一気に開放されて、一時的に症状が悪化する、あるいは、子供の時の状態に戻ってしまう時期が訪れるのは、避けられないことのように思います。

人から聞いて気づいたにしても、自分で知って気づいたにしても、今まで見てきたものは蜃気楼だったと判ってしまうのは、それはそれは恐ろしいことです。

自分に、一対一の人としての、人との繋がりがまるで無かったことを自覚したからといって、急に、人づきあいができるようになるわけではありません。逆に、ニンゲンが恐くなって逃げ出したくなるのは、「人嫌い」を公認された安心感からではなく、今まで見えていなかったニンゲンたちの正体を直視してしまった恐怖感からでした。

活字人間だった私は、ドン・キホーテのように何も無いモノに向かって必死になっているようだとは、よく言われていました。けれど、本人は本当にあると信じていたし、自分は正しくていつか報われると本気で思っているのですから、何のことだかさっぱり解りませんでした。でも、それがまぼろしで、現実にあるのは、自分と根本的に違うニンゲンたちの<群れ>でしかないと判り、逃げても逃げても逃げ切れることはない現実に始めて直面するのは、辛いことでした。

自分が囚われていた感覚が特異なものだったこと。本来なら安心と安定をもたらすはずの対人関係での経験がすべて不快なものとして襲ってくること。そのほとんどが実体の無い自己生産されたモノだったこと。−それらに振りまわされ・挑み・踊らされてきたと判ったことで、余計な無理をしなくなり、楽になったことは確かです。しかし、極端に走る情動の波がおさまったわけではありませんから、やはり、うつ状態に陥ります。

さらに、社会に留まる為にしてきたことは完全な自己否定でしかなかったこと。自分の欠点を克服しようとして、自分の長所を生かすことのできない場に、自分で自分をどんどん追い込んできたこと。この盲目的な行動のお陰で、今、窮地に追い込まれてしまっていること。それも、いっぺんに見えてしまったのです。

もし、子供の頃に気づいていたなら…。子供の頃はどこかに逃げようとしているのではなく、生まれもった自分のままに行動しているだけだから、療養によってコントロールすることが可能です。常同行動・自己の脳内情報に興奮すること・意味の結びつきのないコトバの遊び・筋の通らない言い訳…、これらを統制してあげることは大切なことです。ただ、まるっきり押さえつけるのではなく、時と場所を限定して、ある程度容認するのです。いつでも行ったり来たりできるように訓練することも必要です。現実との関係をつなぎとめる為に、逆にそれをうまく利用することだってできるでしょう。また、パニックを起こした時には、どんなことに混乱し何が理解できずにいるか知る手がかりになります。

そして、告知をするのなら、

  1. 困った言動は、「自閉」のために起きるので、自分が悪いのではないこと。
  2. でも、だからといって許されるわけではないから、人に言われたことを素直に聞く必要があること。
  3. 正当な努力をすれば、ある程度は克服できること。
  4. 「自閉症」や「自閉的要素」を持った人は、たくさんいること。
  5. ほんのちょっとズレているだけで、大した違いではないこと。
  6. 「自閉」は、"人にできないことができる"才能だということ。

という、明るい展望をセットにして欲しいと思います。そして、好ましくない言動を責めるのは構わないけれど、同時に助け舟を出してあげてください。ただ、どんなにたくさんの人に囲まれていても、自分一人の世界に留まっていることを変えるのは容易ではありません。それだけは、心してかからなければなりません。

で、大人になってから気づいた場合には、療育はむしろ逆効果でしょう。大人たちは、「普通」という名の暴力に耐えています。弱者に対する思いやりのない社会に翻弄されて、ひとり苦しんでいます。できれば、しばらく放っておいて欲しいと思っているのです。そして、同じ思いをしている仲間が他にもいること、理解して見守ってくれる人がたくさんいると分かっただけでも、十分に心の支えになるのです。

そういう"場"と機会を与えてくれた、辻井先生に(珍しく)感謝して、今日の独り言はおしまいにします。


          

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