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テーマ: 最後のお願い。
といっても、“今年”の最後のお願いだが…。
環境に恵まれることで、軽症化することもあれば、元々、そういう経過を自然に辿る人もいる。
重症度が、そのまま適応の悪さや問題行動に直結するわけではないこと。
一人一人の状態も違えば、一人一人の歴史も違う。
これから、特定の療育法の効果を宣伝しようとする関係者も増えるだろうし、成功者が成功の秘
訣を教示しようとする機会も増えるだろう。
来年は、それが、新たな「差別」を生む年の幕開けにならないことを、祈るばかり。
[2002年12月31日 18時17分25秒]
テーマ: 「どちらか」ではなく、「どっちも」必要なこと。
どうしても、「手記」「自伝」「ノウハウ」が書ける人は、元々能力があるのにAS・LD・
ADHDのためにそれが活かせなかった人であることが、多いようだ。
しかし、それ以外の理由(自閉症の残遺・知的ボーダーを含めた知的障害・精神的心理的な合併
症・経済的環境的理由など)でつまづくいている方が、圧倒的に多いのではないだろうか?
それから、日本の場合は、個人の能力で採用されるのではなく、進路指導の正規のルートから外
れると、採用試験さえも受けられなくなってしまうことや、学歴・資格がモノをいうのでそのた
めに平均的な学力を要求されることが、最大の障害になっていると思う。
また、日本の場合は、学生の間は社会から隔離されている(いわゆる、モラトリアムが許されて
いる)ところがあったり、制服があることも含めて服装に気を使わなくても良かったりするし、
必ずしも親元から自立することを求められているとも限らない。だからこそ、社会を生きていく
力のなさに気づかれないまま成人してしまう危険もあるし、マザコンという独特の問題も発生す
る。
早期発見・早期介入・継続的支援だけですべてが解決するわけではなく、全くそういうチャンス
に恵まれなかった人のための方法論が必要なように、軽症化して行く人と残遺する人の両方がい
ることへの気遣いを欠かしてはいけないと思う。
[2002年12月31日 10時24分46秒]
テーマ: 犬の遠吠え。
アスペルガー症候群の概念が拡大して、自閉症の度合いの軽い人の比率がどんどん高くなってい
る。それはそれで当たり前のことだと思うし、良いことだと思う。
しかし、恵まれている一部の人が自分がいかに恵まれているか自覚せずに発言したり、自閉度の
軽い人が重い人をバカにするのは、やめて欲しい。それから、こういうことは臨床像と生育歴と
置かれている環境の違いであるにすぎないのに、成功者だけをもてはやそうとする関係者がいた
としたら、とても悲しいことだと思う。
一人一人の自閉症者について、自閉症スペクトル障害の中で、どんなプロフィール特性を持って
いるか分析せずに、たった一つの成功者の類型だけをもてはやすのは、明らかな過ちだ。
自閉症の本当の問題は、「かかわり」と「コミュニケーション」の特異性、「ソーシャルスキ
ル」の無さとそれによって引き起こされる諸問題であって、身体的な障害(ディスプラクシア)
が重いからといって、重度の自閉症であるとは限らない。そういうことも、見極めて欲しい。
ただ、世論が一人のスーパースターの出現を待ち望んでいて、個人的なファンが増えて行くの
は、俗世間一般で起きている現象であって、私自身の興味関心の及ぶところではない。
[2002年12月28日 10時50分9秒]
テーマ: つまり…。
受動型でもなく、商業ベースに乗るようなうまい宣伝のできない人は、“負け組み”だそうで
す。
名前が知れるようになればなるほど、ダメなものは切り捨てる方向性ばかりが強くなって行くの
は、やっぱり「世の中」間違っていると思う。
[2002年12月27日 15時19分42秒]
テーマ: 凸凹。
能力に凸凹があると、受験では不利です。しかし、それでも仕事はあります。
いや、凸凹があるからこそ、それが取り柄になって良い仕事ができます。
人がつまづくのは、そんなことではないのです。
要領よく自分を売り込めるかどうか、ギブ&テイクの人間関係を維持できるかどうか、人に潰さ
れずにやっていけるかどうか…。そっちの方が、よっぽど大きな障害です。
[2002年12月27日 10時28分10秒]
テーマ: だから…。
本人自身の療育法が進歩すると同時に、いやその前に、周りの人たちと社会の側の意識を変えな
いことには何も変わらない状況が、いつまでも続く。
しかし、それ以前に、自律することよりも母親の掌中にいつまでも納まっていることの方を望ま
れ溺愛されて育った甘ったれだとか、人をしもべとし支配することが当たり前だと思っている関
白太政大臣様だとか、倫理や哲学のカケラもなく処世術だけ身につけている人だとか、他人は騙
すために存在していると思っている詐欺師だとか…、何故、こんなものが「社会的人格」の一つ
として通用しているのか全く分からない人間がやたらと多いので、自分と違う他者のことを理解
したり尊重したりしようというアタマがない。
[2002年12月26日 9時37分48秒]
テーマ: 東洋と西洋の違い。
東洋では、一人前でない存在は家庭内で隠蔽し、社会から隔離してきた歴史がある。
だから、猿真似して、どうにかこうにかやっとの思いで一人前らしくなった場合にも、その努力
は報われることもなく、違いを認められることもなく、「一人前で当たり前」の扱いしかされな
い。「こんなことなら、何もせずに半人前でいた方が幸せだった。」という結末が待っている。
本人自身が超える障害という壁よりも、社会の方にある壁の方が、とてつもなく高い。
[2002年12月26日 9時24分57秒]
テーマ: 理解なき宣伝活動。
成功者をもてはやすその風潮が同じ仲間を病気にさせていることに、いい加減に気づくべきだ。
[2002年12月25日 18時56分21秒]
テーマ: 成功者。
成功者は、看板になる。
成功への道筋とその記録は、関係者を喜ばせる。
自分にないことばかり書いてある記録を読むことになる人の気持ちなんか、誰も考えない。
[2002年12月25日 18時51分52秒]
テーマ: 自閉症のお子さんをもつ親御さんへのお願い。
オマエは金が稼げないから、オレが面倒を見てやっている。
金を稼げるサルに媚びて、サルが仕事をしやすくするのがオマエの役目だ。
オマエは、サルの言うことだけを聞いていれば良いのだ。
サル社会ではステータスと呼ばれているものを勝手にあてがっては「感謝しろと」言い、それで
病気になったら「性格が悪い」と言う。
自閉症を食いモノにするこんなサルに、決して子どもを払い下げないようにしてください!
[2002年12月25日 18時20分13秒]
テーマ: 捨て犬。
(気分は)犬と一緒に育つと、“飼い犬”にしかなれません。
自分らしさを否定された子どもは、人間並みに扱ってくれる大人に出会えません。
何故なら、自分らしさを認めてくれる人に出会っても、せっかくのサインを見逃し、自分が肯定
されたことすら否定してしまうからです。
自分らしさを否定されずに人の愛情を受け、人の助けをたくさん借りて自分を本当に愛してくれ
る人に出会い、自閉症であることをわきまえながら社会生活を送ることができている人の「手
記」を読んでいると、やっぱり辛くなる。
飼い犬にさせないための療育の方法論がいくつも開発されると、今度はきっと、“飼い犬”は
“捨て犬”になるんでしょうね。
[2002年12月25日 17時51分59秒]
テーマ: くりすます。
次男のプレゼントは、ガンダムのプラモ。癇癪起こさずに汲み立てられるかどうかカケをして負
けたので、400円とられた。(本当は、500円カケたのだが、バリを取ってなくてしっかり
はまっていなかった分を値切って400円。)
プレゼントを買ったついでに、私は、揺れ具合がちょうど良いから
これでなごんでいる。
しかし、昔からいたキャラクターであったはずのASやADHDが生き辛くなったり、自閉症の
自閉症らしいところが“癒し系”と呼ばれる世の中って、やっぱりすごくすさんでいるのだろう
なぁと思う。
[2002年12月25日 13時17分34秒]
テーマ: 不思議?
世の中にはたくさんの人がいるのに、私が世話をしなければならない人は数人しかいない。それ
から、道端で会う人の中に、私にお金をくれる人はいない。
家族と呼ばれる人はそういう特別な存在で、ほとんどの人が私のことなど全く知らないし面倒を
見る義務もないのに、そういう人がいることの方がよっぽど不思議だ。でも、発生的には、人は
人間社会を構成するどれか一つの家族に生まれ、その中で養われて育つのだから、そこから始ま
って人との繋がりを作って行くのが、順序なのだろう。
しかし、私は、好きな本が読めて、自分の好きな音が聞けて、その時々の興味の焦点に集中して
いさえすれば満足なので、自分から何かを作ることはほとんどしないで来た。たいてい、本や音
楽はどんどん作られて供給されるし、何かに興味を持てばその情報はいくらでもあるものだから
だ。
人間たちは、よく飽きずにいろんな新しいものを作るものだと感心する。いろんなイベントや行
事を次から次へと企画するし、家にいるのに勧誘電話が一日に何本もかかってくる。一方、私
は、今はあまり目新しい音もないので、CDを買う必要が無い。確かに、世の中からは結構心地
よい歌声が聞こえて来たりもしているけれど、新しいフレーズや音がなければ、私が今、聞くこ
とに決めている曲を変える必要もないから。(鬼束ちひろもスピッツも、既にオリジナルのフレ
ーズを出し尽くしてしまった。なんだか、最近はカーペンターズやビートルズの曲の方が、新鮮
に感じる。それから、YESの曲も時々思い出す。)
最も、自分の生まれた家では、人間と繋がっている経験をしたことが一度もなく、犬の方がずっ
と近かった私が、どうしてここにいるのだろうかと思うと、とっても不思議な感じがする。
[2002年12月24日 17時59分53秒]
テーマ: 日本語の勉強。
かつて、長男に「にほんご」を教えなければならなかった時に使ったのは、外国人のためのイラ
スト入り日本語テキストだった。
それから、文字通り、字が書けない・字が読めないという書字・読字の障害があって、それを通
り越した後は普通の文字・言葉・作文の教材が使える時期があって、今また、日本語の勉強を始
めている。というのは、普通の問題集をだらだらやっても、テストで点を取るためのテクニック
の学習でしかなく、本当の意味での言葉の勉強には全くならないからだ。
それで、『小学生のための文章の書き方トレーニング(中級〜上級)』『21世紀の学力・作文
力をつける(中級)』とともに、外国人の日本語能力検定の教材(中級)を使い始めている。こ
れが本当に必要な勉強なのに…。学校でやっている、年齢相応(と文部科学省が勝手に決めつけ
ている)の勉強も無駄ではないけれど、“生きる力”をつけるためには時間がもったいない!
と、つくづく思う。
ウチの家系は、賢そうに見えて役に立たず、二次的強迫性のように見えて実は感覚的なのめり込
みが発展しているだけで、モノにならない傾向がある(私の失敗の原因は、それに気づかなかっ
たためだった)ので、心してかからないと!♪
[2002年12月22日 15時12分16秒]
テーマ: 大掃除。
今回は、次男が机と椅子を動かして、長男が掃除機をかけた。夏休みの時に、家具の移動の仕方
を私にあれこれ言われた長男が、そっくり同じことを次男に言っていた。はて、その時次男はど
うしていたかと思い出してみれば、まったく掃除に参加せずに好きなことをしていた。えらい進
歩だ。(何年続くか分からないが…。はたまた、いまどき、「僕も手伝いたい」なんて自分から
言ってくる子どもがどれだけいるだろうか?とも思うが…。)
こういうのは、私がお寺で教わったことを教えているのだけれど、“受動的”になることを療育
の目標にしないことは、私のポリシー。
[2002年12月22日 14時51分53秒]
テーマ: ちなみに…。
↓の太字部分は、最近になって私が身につけたもの。
ちなみに、明日は、恒例の“休みの初日”の大清掃。ほとんど、玩具や紙くずなどのゴミ捨て。
それでも、近頃ではそれほど物が散乱しなくなった(いや、させない)ので、すごく楽。
と言うか、“休みの初日”のゴミ捨てをする度に物を減らした成果で、スッキリしている。
[2002年12月20日 21時45分53秒]
テーマ: 次の世代に残したいもの。
長男の受験対策(って、まだ二年生だが、小5〜6の学力で中学生をやっている関係上のこと)
と、次男が小学校中学年になって、そろそろ学年相応についていけるよう軌道に乗せなければな
らないので、このごろはほとんどアカデミックスキルの方の学習障害対策に追われている。
・・・甘いことばっかり言ってられない。
で、ふと思ったこと。
・・・この子たちに残したいものは、いったい何なのだろうか?
アカデミックスキルや、ソーシャルスキルを学習させることだろうか?
就労できるように、手を尽くすことだろうか?
・・・確かに、これは重要だ。生活自立がかかっている。
でも、学習能力には、いつか限界が来る。たとえ、生活できるようになったとしても(それが危
ないのだが…)、発達障害が消えてなくなりはしない。
仮に、ASやADHDを持っていることが有利に働いたとしても、そこらじゅう地雷だらけ。い
つ自滅してしまうか、分からない。
そこで…。
普通らしくなることができても、普通になったと勘違いしないこと。
人を信じ、人に意思を伝えられること。そして、誰かに助けを求められること。
自分の気持を保ち、自分らしさを失わず、自信を持てる人になること。
これがあれば、何があっても生きていけるような気がする。
[2002年12月20日 21時36分59秒]
テーマ: 軽症化という、新たな問題。
自閉症が軽症化してくるというのは、何も、早期療育の成果だけではない。元々、こういう経過
をたどる人もいたのだが、今まではそれが自閉症から外されてしまっていただけのことだ。現在
の、自閉症スペクトラム概念では、それもれっきとした自閉症の内に入る。
そうなってくると、「人とのかかわり障害=人との相互的にかかわりができない=社会性を持た
ない」ではなく、「人とのかかわり方を知らない=ソーシャルスキルの学習障害」の範疇に入っ
てくる。それは、学習すればできるものもあるけれど、多くは学習することができないものなの
で、そこに「苦悩」が生じ、その「心理的な葛藤」から自分がどういうスタンスを取るかという
「結論」を出さなければいけなくなる。しかも、日常のすべての場面において、その作業をする
ように迫られるために、終わりがない。更に、罪悪感もつきまとう。このこと自体は自然だし、
それで自助グループなどができて行くのは大事なことだ。
しかし、この段階に至ると、何故か自閉症真っ只中にいる人たちのことをバカにし始める。これ
は、どうやら、世界的に起きている困った現象のようだ。みんな、自分たちと同じにならなけれ
ばならないとか、自分たちのところに来ることが幸せだと思い始める。つまり、「自分と違う他
者の存在」が許せない。これは、明らかに振り出しに戻っている。
[2002年12月16日 9時4分1秒]
テーマ: 同一性の保持。
自閉症の同一性保持について、最近「いつも違っていて混沌としていることが不安だから、決ま
っていることが必要なのだ」と説明されていることが多くなった。最近の専門家で、自閉症児・
者にとっては“こだわり”が必要不可欠なものであることを否定する人はほとんどいない、とい
う意味では、それは良いことだ。
しかし、その説明の仕方は逆だと思う。つまり、自分にとっては生理的に楽であるとか、一番最
初に覚えたやり方“しか”できないのであって、周りの状況が違っていることには全く気がつい
ていない。自分の身についたやり方ができない時・いつもと結果が違った時に、パニックを起こ
す・フリーズする・回避する・とりあえず誰かの真似をしてその場をしのぐ、といった行動をと
る“しか”ない。
人が自分と違うことを感じたり考えたりしていること、社会的な状況は常に流動的で変わってい
ることに気づいた後の方が、精神的には不安定になる。そして、冒頭に書いた理由を言っている
のは、その段階に至った人たち。つまり、身体的には自閉症だが、精神的な「自閉」の壁を越え
た人たち。それは、軽症化後の苦悩であって、自閉症真っ盛りの心理状態とは違うと思う。
[2002年12月16日 8時23分28秒]
テーマ: 大人たちの仕事。
発達障害といっても、さまざまなレベルがある。「違っていることで・優秀である」人もいれ
ば、「違っているけれど・悪いことではない」人もいれば、「違っていることで・明らかな不利
益を被っている」人もいれば、「違っているだけではなく・社会的に逸脱している」人もいる。
始まりはみなそれぞれだが、一つずつ上の段階に持っていくこと、発達上の障害を持っているこ
とが、社会不利にならないように、自立した社会生活ができるようにすることは共通している。
それは、今の大人がしなければならないこと。それから、障害の程度によっては、早期から介入
しても自立できないことだってあるので、法や福祉の整備だって必要。
[2002年12月16日 8時10分52秒]
テーマ: 二つの道。
興味が局限していて能力が偏っているところ(つまりASらしさやASのとりえ)を伸ばすか、
企業に雇用されるような人に育てるか、ASの子どもを育てている(ASでありながら地球人を
やっていると)と、両極端の方向に常に引っ張られて引き裂かれそうになる。
理数系に強いとか芸術家の道をまっしぐらに進める可能性が非常に薄く、単に“できること”を
伸ばすだけではすまない子どもや、興味と能力の凸凹の組み合わせと内容と趣味の悪さの為に、
かなりの介入をしないといけない子どもを、自分がASであることを否定せずに人のニーズにも
応えられる大人になるように育てることもしなければならない。
とりあえず、“できること”でメシが食えるような方向にお膳立てをしつつ、ダメだった時のた
めのすべり止めも用意しておかないと…。
一つの方向だけ考えていられる人が、うらやましい。といっても、一般就労できるASを育てる
ために、150ものチェックリストを作った人のことがではない。
[2002年12月15日 16時25分25秒]
テーマ: すべてのASが天才なのではない!
すべてのASが、天才なのではない!
すべてのASが、NLDであるわけではない!
すべてのASが、恵まれた環境に置かれているわけではない!
局限した興味が、そのまま特殊な才能に直結するとは限らない!
学習能力の大きな障害と行動の障害が、そのまま「個性」であるとはとても言えないようなとこ
ろから始まっている人だっている!
決して、決して、こういう人たちのことを忘れてくれるな!
ましてや、受動型のNLDであるか、理科系のエンジニアであるか、芸術家になれることだけが
ASの成功の秘訣でもない。
たまたまそういう組み合わせを持ち合わせていて、たまたま環境が良かった成功例だけをいくつ
もいくつも積み上げて行ったからといって、ASの全体像は決して見えてこない。
「ASなら、IQが高くて、特別な才能があるから大丈夫」だなどという気休めなど、言ってく
れるな!
[2002年12月11日 11時2分24秒]
テーマ: 三者面談。
昨日、中学の三者面談があった。相変わらず、ASの論理性を「できるはずの子」と解釈され、
ADHDの部分は「すぐ忘れる」としか思っていない世間一般のモノの見方。まあ、中学の先生
なんて、そんなもの。
それにしても、「この時期、得意なことがあるのは曲者でして…。」って、要するに入試にパス
するためには、偏りがあっては困るってこと。だいたい、「○○に入るための△△」とか「××
を通るまでの□□」がやたら多いことの方が、よっぽど曲者だと思うのだが…。なんてことを、
それができなかった落伍者が言ったって、信憑性ゼロだよなぁ〜。だけど、一度も化学を専攻し
たことのない人が、ノーベル化学賞を取ったことから何かの教訓を引き出して欲しいものだ。日
本のセンセイ諸君!
当の、癒し系と呼ばれているウチの長男。最近、「こだわり」の中身が明らかに変わってきてい
る。そこを、いかに技術に結び付け、日常との切り替えができるようになるかどうかが勝負所。
これについては、ここで失敗した私だからこそ、言えることがある。
[2002年12月10日 13時22分56秒]
テーマ: 『天才柳沢教授の癒しセラピィ』
テレビの方は、視聴率が芳しくないらしく、今週で最終回を迎える(つまり、打ち切りになる)
そうだ。やはり、こういうキャラは日本的ではないらしい。
何といっても、常に論理的に正しいことしか言わない・人に言われたくない本心をズバリつくこ
とを言い・自分自身で心の底に封印している気持を言葉にされる、要するに、全体的に感情を逆
なでする。これは、日本人にとっては命取り。なのに、柳沢教授がそれをやると、人が癒され
る・・・はず、だったのだが…。世の中、マンガの筋書き通りにはいかなかったというわけだ。
確かに、柳沢氏は天才だし教授だし日常有り得ないようなマンガの世界(注:テレビのことでは
ない、原作のマンガのこと)だから、百発百中なのだが、肩書きのない凡人がそれをやった日に
は、たまたまうまく相手を癒す確率は、1/100しかない。つまり、99%は、嫌われる。
[2002年12月10日 8時52分19秒]
テーマ: 総合感冒薬。
センセイという人種は、とかく“教えたがる”ものである。人を見ずに、“教える”技術を垂れ
流すのなら、全世界どこにでも行って同じことを言えば良い。しかも、カッコいい。
私が言っているのは、一人一人の発達障害児に対して、いまは・どんな方法が有効かを処方する
こと。誰も彼も一律に・一定の効き目がある(一定の効き目しかない)総合感冒薬を薦めるの
は、誰にだってできる。
[2002年12月10日 8時13分10秒]
テーマ: 錯覚。
元々、構造化・論理化・視覚化・行動分析というのは、自閉症そのものの特性に即して出てきた
ものであって、実は誰がやっても効果があるものなのだ。何も、TだのAだのSだのの専売特許
でも何でもない。
なのに、こういう洗練された方法は、人々に希望を与える。誰かがカリスマになる。そうなる
と、単なる“取り扱い方”の一つになる。「療法」を見て、人を見ない関係者が増える。
[2002年12月9日 13時8分28秒]
テーマ: 最近の、困った傾向。
ちょっと前までは、LDやADHDの子どもの指導法に関する本はどれも、だいたい良い線いっ
ているものばかりだった。しかし、最近では、取り寄せてみたものの使えなくて返品せざるを得
ないものが、多くなってきている。
それから、こちらが良かれと思って提供している情報が、逆の方向に使われる可能性も高くなっ
てきた。
つい最近まで、発達障害の“は”の字も知らなかった人が、その道のケンイになりすましている
こともあるので、要注意!
これを防ぐのは、実際に効果があるか・役に立つか・子どものためになっているかを判断する消
費者の力量。
[2002年12月9日 8時8分30秒]
テーマ: 自称遠い親戚の急増に、騙されるな!
自閉症や発達障害のことを分かってくれる人が増えることと、自閉症や発達障害のことは知り尽
くしているような顔をして指導する関係者が増えることとは、全く別のことだ。
それは、例えば、タレントが有名になると、急に自称遠い親戚があっちからもこっちからも湧い
て来るのと大差ない。
どこの国でも、数十年に渡って自閉症児・者と付き合ってきた人が“まとめ”を発表しているこ
の時期に、自閉症の基本をまったく分かっていない本当のドシロウトが大きな顔をし始めるよう
になったとしたら、それこそ国の恥だ。
[2002年12月8日 19時15分27秒]
テーマ: とんび。
文部科学省が自閉症の存在を認めると、今までどんな本を持って行っても読もうとさえしなかっ
た特殊教育関係者たちが、手のひらを返したように自閉症の講釈を始めたりするようになるのだ
ろうな。
しかも、たった一回どこかの講演会に参加した程度なのに、さも何十年も知っているかのように
話すのだろうな。
こういうのを、油げさらっていく“とんび”と言う。
でも、そんな事情を知らない新入生たちは、まるで神のように崇め奉るのだろうな。
[2002年12月8日 18時29分16秒]
テーマ: ノーベル賞。
ノーベル賞受賞者にASの人がいるというのは、前々から言われていたことで(例えば、『ガイ
ドブック・アスペルガー症候群』など)、何も珍しいことではない。
それから、特に診断も療育の必要もなく社会に適応できている人がいることだって、衆知の事
実。こういうことは、本人の状態・置かれている環境・周囲の人たちとの関係などの要因が絡み
合った総合的な結果なのだから、そう言われることが一人一人のASの人にとっても意味がある
とは限らないに決まっている。(それ以前に、「IQが高いからあなたは大丈夫ですよ」なんて
言うのは、カウンセリングでもアドバイスでも何でもない。)
歴史に残る偉業を成し遂げた有名人やノーベル賞受賞者にASの人がいると聞いて励みになるの
は、ASの子どもを育てている親御さん・早期診断&早期療育を受けて思春期にさしかかった子
ども・最前線に立って犯罪報道などに関連した社会の誤解から護ってくれている関係者の方々。
自分の生き難さにあえぎ、精神的に行き詰まって受診したAS成人に言ったところで、問題は何
も解決しない。
もっとも、現時点では、診断がついたからといってその後のケアのできる医療機関もなければ人
材もいないので、そう言うしかないという別の課題もあるのだが…。この分野では、保健制度の
関係上、子どもでさえも赤字・ほとんど献身的ボランティアに頼っているのが現実。
だから、ASの成人が受診した時には、IQなんかを計るのはやめて、
1、言語の社会的使用=いわゆる語用論的障害。
言葉を通して遣り取りしようとしている、真の意味が分からないこと。
2、社会的状況の読み取りの悪さ。
状況や結果を考えずに、思ったことをズバリ言ってしまうこと。
3、自分の信念や興味関心を持っている事柄に強く固執していること。
他の人たちが楽しんでいることを、想像力を働かせて楽しめないこと。
といったASの三つ組みの障害(注:上はイギリス自閉症協会のパンフレットによる)などを通
して、どんなトラブルに直面しているか見抜くべきだ。
[2002年12月7日 10時10分37秒]
テーマ: 特別支援教育が始まるって、どういうこと?
本人が困らないようにするのではなく、何でもかんでも療育の対象にして直してしまおうとする
こと???
二言目には自分の業績を語るNPO法人の関係者や、全国を講演して回る専門家の羽振りが、急
に良くなること???
何だか、きな臭くなってきた。
[2002年12月6日 17時33分12秒]
テーマ: ぶーむ???
文部科学省が中間まとめを発表したし、いよいよ特別支援教育への理解が深まったかと思いき
や、一方ではとんでもない動きも起きているようだ。つまり、こういうことには“びんじょう”
組がつきものだといういうこと。
どう考えても発達障害を完全に誤解しているとしか思えない、ナニナニノケンイとかいう人物
が、発達障害関係の本を出す。さて、いよいよこういう人たちも本格的に勉強し始めたかと思っ
たら、とんでもない! 元のデータは確かなものなのだが、それに自分たちに都合の良い解釈を
加えて、自分たちの主張を裏付けるために利用していることだってある。
それから、発達障害のことを全く知らない文学関係の翻訳家が、とんでもない訳をしている本が
平気で出版されていたりもする。
こういう本は、書店で見かけた場合には決してお持ち帰りしないものだ。でも、Amazonはせっ
せと送ってくれるので、こちらはきっちりへんぴ〜〜〜ん!←ペリカン便のお兄様方、ごめんな
さーい♪
[2002年12月2日 18時8分31秒]
テーマ: 絶対に必要なこと。
強迫性と攻撃性を人に向けないこと。
パニック・自傷他害・フラッシュバックを起こすような場面を回避できること。
ストレスのサインを見逃さず、コントロールすること。
自分自身をスタンダードにしないこと。
上記のことを助長するような非・自閉者の陰謀に引っかからないこと。
[2002年12月1日 10時48分37秒]
※本人以外の書き込みはできません。
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