記事タイトル:2003年10月の『日記』 


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テーマ: 何の三つ組み?   
1、人とのかかわりが希薄。
2、言葉によるコミュニケーションが下手。
3、人の気持ちを想像することができない。

これは、成人の犯罪事件に対する、犯罪心理学者のコメント。
自閉症の三つ組みと、表面上は似ているけれど、内容は全く違う。

だいたい、成人に関しては、日常生活の中でパッと見渡して、「お仲間〜♪」とお見受
けできる人はとっても少ない。たまにいても、相手に全くその自覚がなくて、ただ眺め
ているしかできないことが多い。
私は発達障害の子どもばかり追っかけているので、いつ行っても学校には必ずいること
はわかっているのだが、その子の親から頼まれているわけではないので、こちらも見て
いることしかできない。(もしかしたら、「私にかかわると、子どもが障害者呼ばわりさ
れる。」と思っているのかもしれない。その事実を認めなければ、一歩も先には進めな
いというのに。)
発達障害の子どもの集まりに行くと、とってもたくさんいるように錯覚してしまうけれ
ど、本当は圧倒的に少ないのだ。

結局、何があっても、「特別支援教育を推進しましょう!」になっていかないシステム
になっているようだ。
[2003年10月30日 18時9分13秒]

テーマ: 社会的不利。   
 アスペルガー症候群の人たちが、世の中的にうまくいかないのは、世の中的に生きて
いないから。それが「個性」になっている人もいるれど、多くの場合は、それが「障
害」になっている。
 人がそれを「個性」と呼ぼうが「障害」と呼ぼうがどっちでもいいけれど、少なくと
も私は、世の中的になんか生きたくないと思っている。まっ、そう思っていることこそ
が、一番の「障害」なのかも。
 しかし、世の中とのお付き合いの部分を誰かにやってもらわなければならないこと
は、けっこうな社会的不利になっている。その代わりに出された交換条件を、一方的に
飲まされることになるし、分かってくれる人や味方になってくれる人がいないとボロボ
ロになってしまう。
 それから、世の中的に不利なことに固執しているから、常に「生きるか死ぬか」の選
択をして生きていかなければならないのは、自業自得と言われればそうだろうと思う。
でも、私はあいにくと「腐っても積極奇異型」なので、決して曲げない。

 いま、『金持ちA様×貧乏B様』なんていうテレビを見ているけれど、別にそれで自
分が世の中的にうまくやる方法をお勉強しているわけではない。社会的に絶対不利な子
どもたちが被る不利益を最小限に留めさせるために、見ている。
[2003年10月28日 23時9分35秒]

テーマ: 守りすぎるとは、実はとても残酷なことだということ。   
 世間知らずの母親の感情に任せて、「やりたくないならやらなくていい」「必要なも
のは何でも買いなさい」と言われて育つことが、結局はその子を不幸にするということ
を、私は身をもって思い知っている。母親がそうだったように、一生お金に苦労しない
で過ごせるとでも思ったのだろうか?
 だから、私は、「完全受容」なんていう耳障りの良いことは決して言わない。子ども
が歩いていく道を完全に舗装して、どこまでも太刀持ち・露払い付きで歩かせることは
できないのだから。
[2003年10月26日 21時27分3秒]

テーマ: 目標を明らかにすること。   
「自閉症の人がいる」ことが分かったからと言って、世の中は、「ああそうですか」と
迎えてくれるわけではない。
 今までは、知られていなかったので、名前を言うだけで済んだものが、今後は誤解とい
う壁を最初から想定しておかなければならなくなった。「まったく知らない」が「よく
知らない」に昇格したと同時に、「何のことだかさっぱり分からない」が「間違って分
かっている」に、「人嫌いで寂しい人のこと」が「反社会的な性向のこと」に塗り替え
られてしまったようだ。
 そこで、今から意識してやらなければならないこと。
1、「自閉症です」と言えば通る場を、少しずつ増やしていく。学校や病院なんていう
  知っていて当たり前の場所で通らないのは、言語道断!
2、「自閉症です」と言って通らない場でも、何とかやっていけるだけのスキルを身に
  つける。それは、必ずしもそういう場でもうまくやることだけではなく、うまくい
  かなかった場合・うまくいかないことが分かっている場合の対処法も含む。
3、誤解に対しては、明確に反論する。
[2003年10月26日 6時51分33秒]

テーマ: この一ヶ月の間に、明らかになった事実。   
1、特別支援教育が始まると浮かれていたのは、ごく一部の関係者だけだったこと。
2、「正しい知識を広める」前に、「明らかな誤解に対する明確な回答」を出しておか
  なければならなくなったこと。
[2003年10月25日 22時3分39秒]

テーマ: ルータ設置。   
 ルータを設置したので、時間のやり繰りをすることなく二台のパソコンが使えるよう
になった。
 第一の目的は、長男が、一日の終わりの「ごほうび」としてインターネットを見るこ
とができるようにすることだった。これは、予定通り。
 今、私がメールに返事を書いているのと同時に、風邪で学校を休んだ次男が、教科書
を見ながら習いたてのローマ字を入力し、字の変換の仕方を教わりながら、大好きなガ
ンダムを全部サーチしている。一人でやれるようになるのは、どちらにとっても楽しい
ことだ。(注:子どもたちのパソコンは廊下に置いてあるので、密室でこそこそ見ている
わけではない。)
[2003年10月23日 14時52分34秒]

テーマ: 頭の痛い問題。   
長男の方は、何をするにも境界知能がネックになっている。
次男の方は、対人認知と欲求不満耐性の問題が原因で毎日のようにイライラしていて、
たまに泣きながら帰ってくる。
というわけで、このところ両方それぞれに説明をしなければならない状況。

今日頭が痛いのは、風邪を引いたから。
[2003年10月22日 19時0分43秒]

テーマ: ADHD:高学年の悩み。   
 受容されて、発達段階に応じた要求以外はされることなく、環境にも恵まれて育って
きたADHDだからといって、順調にすべてが行くとか普通になるということはない。確か
に、多動や他の理由から教室に入れないとか、集団活動の時に全く違う行動や妨害行動
をすることもないし、授業にもついて行っているように見える。
 けれど、自分の興味のあるものに注意が向いてしまって、状況に合わないことや危険
なことを平気でやってしまっていたものが、急に周りの人や状況に注意が向くようにな
って、自分の行動の意味が分かるようになると、「恥ずかしい」が「人が恐い・人が脅
威」に直結してしまう。元々、衝動性が強い上に何につけても発想が奇抜で、人と違う
行動をしてしまいがちになっている性向を抑えるだけでも、かなりセーブして一日を過
ごしているのだから、他の子どもたちと行動を合わせるだけで二重に我慢していること
になる。
 これが、外側(ADHDのことを知らない人たちや、かつての状態を知らない人たち)から
見ると、“何の問題もなし”と片付けられてしまうことの実状。

※一方、中三AS&ADHDの方は、『目指せ、就労!』の私立高等専修学校に行くことになり
 そう。私的にはあまり好きではないが、すべて本人了承済みで、「自分では身の回り
 の管理ができないから、しっかり監督されていた方が良い。」ということなので、口
 出しはしない。ただし、教育姿勢を問うべき教育者のいる学校ではない為、「発達障
 害について無知とは言わせない。」というような態度で臨むことのできない学校であ
 ることは了解している。元々、こちらも相手のペースにはまるつもりは毛頭ない。つ
 まり、ハナから相手にしていない。だから、それについていちいち苦情や文句を日記
 に書く必要もない。こちらは、その時期その時期に、本人に必要なことだけを着々と
 進めるだけ。余計な労力を使うのは、無駄以外の何ものでもないので、この件に関し
 てはここには書かない。
[2003年10月21日 17時57分7秒]

テーマ: 中三:トップダウンが多くなると…。   
 学習面では、トップダウンと言っても到達目標がかなり低いので、普通からすれば引
き続きボトムアップのようなものかもしれない。ただ、「期限なし・だらだら」ではい
られなくなったというだけ。
 生活面では、大人になれば・責任を持たせれば・その気になればできるだろうと普通
思われているようなことこそ、きちんと教えて実地練習を重ねなければならない。
 とはいえ、電話に出ることと宅急便の受け取りはできるようになったと安心している
と、しばらくその機会がなかったりするとまた呼びに来るようになってしまうし、人が
トイレに入っているのに「電話だから出ろ!」と言ってくるし、トイレから出た後に伝
言せずに他の用件を言ってくる。今日は、「用事があって、8:30頃、すぐそばのところ
にちょこっと行く。」と言っておいたのに、「気がついたら誰もいなくて心配になっ
た。」と、家から飛び出して来た。
・・・こちらは、誰かに継続して面倒を見てもらえる保証がない限り、到達目標を下げ
るわけにいかない。しかも、生活のありとあらゆる方面に難問山積である。

 そういうところのトレーニング期間として、これからの三年間はきっととても重要に
なってくると思っている。(学習面での背伸びはしなくてよくなりそうな分だけ、ちょっ
とだけ安心。でも、進路選択の幅が限られていることには、変わりはない。←この状況
を打破するには、よほど良い人に巡り会えるか、実効性のある社会保障が始まるかのど
ちらかが必要でしょう。)
[2003年10月19日 11時21分49秒]

テーマ: 予定がズレると…。   
 「発送の連絡」が来たところの荷物がなかなか着かなくて、「発送の連絡」がないと
ころの荷物が突然来る。
 木曜日に通知があったので、いくらなんでも今日には着くだろうと思っていた荷物
が、夜になってやっと来た。来るのを待っている間に他のことをしていたら、一日つぶ
れてしまった。別に、それがなければ仕事ができないわけではないのだけれど、そうい
う順番に決めてしまったのだから、仕方がない。
 本来ならば、こういう時には、ズレたらズレた分だけ「予定」をずらして、必ずやり
終えなければ一日が終わりにならなかった。しかし、とても不愉快で、それをしなくて
済むように今日のうちにでっかい惑星でも衝突して地球がなくなってしまったらいいの
にと思うようなくだらないことのために、やる気を完全になくしてしまったので、「予
定」そのものを消去してしまった。
 こういうことを考えると、地球人の都合に全く合わせずに自分の「こだわり」を通し
ていた時の方が、よっぽど地球全体のためになっていたような気がする。

 「生き延びる」ことと引き換えに、「うつ」になっている自分が、情けなく思う。
[2003年10月18日 22時23分51秒]

テーマ: 3年一昔。   
アスペルガー症候群や軽度の自閉症自体の存在証明から始まった、私のWebライフだっ
た。それが今や、存在していることを証明する必要がなくなり、存在している人たちを
どうするか?ということに、話題が完全に移っている。10年ではなくて、3年一昔だ。
(個人的には4年だが、流れが変わり始めてからは3年。)
療育を受けている子どももいれば、診断はされたけれどサポートのない子どももいる。
学校の理解が得られずに衝突している保護者もいれば、理解しようと努めている先生も
いる。子どもの頃に診断されて、適切な対応を受けてきた人もいれば、適切な対応を受
けられなかった人もいる。成人後に診断された人、診断が請けられずにいる人もいる。

今後必要なのは、誰に対しての情報なのかということ。

送り手の側も、受け手の側も。
[2003年10月17日 9時39分22秒]

テーマ: 特定の職業。   
 「○○障害には、こういう職業に向いている。」と言うのは、おかしいと思う。
○○障害だからどうだではなく、「こういうプロフィールを持っているので、こういう
職業に向いているのではないか♪」と言うべきだ。が、実際は、その現場の雰囲気(人
的・物理的)と環境(感覚的なものも含む)が重要なので、やってみなければ分からない。
逆に、やってみたら意外にできることだってあるかもしれない。
 「アスペルガー症候群の人は、パソコン関係の技術者や科学者や芸術家や翻訳に向い
ている。」と思われているのは、「アスペルガー症候群で、かつ、パソコンのシステム
と相性が良く、科学の学習に問題がなく、その発想が芸術などの分野にうまく活かせて
いる人。」だとか、「重度のNLD(身体面の機能障害が重い)だけれど、その代わりに言語
野の発達がずば抜けている人。」に成功者が多いというだけのことだと思う。
 そして、この分野に突出していれば社会的に成功をおさめられるというのは、一般の
人たちと全く同じなのだ。たまたま、その人がアスペルガー症候群だった、NLDだったと
いうことなのだが、アスペルガー症候群やNLDの場合は、「偏り」が一般の人より大き
く、発想や観点が人と違うことがプラスに作用して、極端にずば抜けた業績をあげられ
るのではなろうか。
 とにかく、どんな人であろうと、たいていの人は凡人で、凡人は目立たないので、話
題にならないのが世の常というもの。でも、世の中で埋もれているアスペルガー症候群
やNLDの人たちの場合は、地味に普通に暮らして精神的な負担になっているか、就労もま
まならず家族の世話になっているかのどちらかという人が多いと思うので、話題にして
欲しいのだ。
[2003年10月15日 18時13分28秒]

テーマ: 本人は良くても…。   
社会の方が閉ざしている国。それが、日本。
どんな子どもも、最終的に出て行かなければならないのは父性原理で動いている社会。

はじめから一人前で親の気持ちに応える子どもであることを要求するのは、母性でも父
性でもないただのエゴだったりする。そして、社会的に(対人的に)うまくやれることが
勝ち組の条件で、子どもの方もそこから外れないように必死になっていて、すごくスト
レスをためている。
そういうところに育つのは、「人の目をぬすむ・人の目をごまかす」ことがうまく、な
おかつ、「人の目を恐れる」人なのかもしれない。
だから、父性原理の社会にうまく乗れる人と、全く入れなくなってしまう人と、自分の
エゴがすべてに優先して逸脱行為をしてしまう人とが、はっきりと分かれてしまってい
るのではないだろうか?

そんな中で、母性原理と父性原理のバランスや、ボトムアップとトップダウンの使い分
けを論じているのは、ただ虚しいだけのような気がする。
[2003年10月9日 8時38分57秒]

テーマ: バランス。   
世の中の厳しさを教える父性原理だけでは子どもは育たないのと同じように、我が子を
傷つけないように護る母性原理だけでも、子どもは育たない。
それは、発達障害児だからといって、少しも変わるものではない。
[2003年10月8日 16時39分41秒]

テーマ: 不適応の範囲。   
日本の場合、不適応を起こしていると医者が認める範囲が狭すぎるのは、どうしてだろ
うか?
DSMには、誰が見ても明らかな症状だけでなく、その前駆的な状態や気質に関するこ
とが書かれているが、それを知らないからだろうか? アメリカみたいに、DSMが保
険請求の根拠になっているわけではないので、真剣に見る人が少なくて当然なのだろう
か?

○○に伴う行動異常だけを障害と認めて、状況によっては不適応を起こす可能性につい
ては個人の問題にしたがるのは、「前者は薬が出せるけれど、後者にはカウンセリング
やトレーニングをしなければならない、なのにそれができる人がおらず金もない(診療
報酬が少ない)。」という理由が大なのかも。

自閉症も、幼児期から明らかな症状があれば誰にも分かって診断されるけれど、落ち着
いた後や、元々行動障害や言葉の遅れのない人たちは、なかなか診断されない。その、
延々と続く『住所は合ってるんだけど星間違えちゃった症候群』や『火星の人類学者症
候群』の生き難さを知っているのは、多分本人だけなのだろうと思う。
[2003年10月8日 14時26分8秒]

テーマ: 全く何も知らない人に、誤解されないように自閉症を説明することの難しさ。   
自閉症の人が身近にいて、どんな人か知っている人になら、定義通りの説明をしてもあ
る程度は理解できる。
一度も見たことがない人は実質的にはいないはずなのだけれど、全く分かっていない他
人事の人たちに説明しようとすると、とても難しい。
想像力の障害と言うと、一般的には、冷たい人になってしまう。
感情表現がないと言うと、一般的には、不気味な人になってしまう。
社会性の障害と言うと、反社会分子だと思われてしまう。
かかわり方を知らず、コミュニケーションに障害があって、強いこだわりを持っている
と言うと、「それは私のことだ!」とたくさんの人が思ってしまう。

「そんなんじゃないんだけどなぁ」と新聞記事を見てから思っても、あとの祭。
なんだか、理解しかかっていた人たちの理解はとっても深まって、支援を推進していこ
うと熱く燃えているのだけれど、大多数の全く知らない人の間に誤解が広まってしまっ
て、落差がより広がってしまったような気がする。
[2003年10月7日 22時39分16秒]

テーマ: 現実は何も変わっていない。   
何かある度に繰り返される、誤解報道や誤解記事。中には、明らかに間違った記憶に基
づいて、医学的にも司法的にも明らかに間違ったことを書いている地方紙もある。
で、そこに書かれていることといえば、日頃自分が感じていることで、それこそが生き
難さの根幹ともいえる無理解そのもの。
業界内有名人は、各地で講演会や勉強会を開く。業界内での世界的著名人が相次いで来
日する。しかしそれは、既に理解が進み始めた人たちに呼ばれて行くのであって、全く
理解のない地域に自分から行って説得しているわけではないのだ。
最近、講演会や勉強会が多く、それぞれ盛況だからといって安心してはいけない。つま
り、日本のほとんどの地域では、まだまだ全く分かっていない。そして、その全く分か
っていないのに、「記事」を書く権限を持った人たちが、「誤解」を全国にばらまく。
広がるのは、「理解」か? それとも「無理解」か?
[2003年10月6日 13時31分6秒]

テーマ: 自閉症児を連れて歩く、ということ。   
自分の興味関心事に注意が向いて、今すべきことができない。
周囲の状況が分からず、トンチンカンなことばかりする。
服装や態度を、こまめに注意する必要がある。
いろんなことを人に説明してからでないと、用事を頼めない。

というわけで、普通の親子のような穏やかな関係では連れて歩けない。
「ことこまかに、いちいち小うるさく、バシッと言う」ことを、恐いとか過保護・過干
渉と見られているのだと思う。これは、育ててみたことのない人にはわからんことだ。
[2003年10月5日 23時27分40秒]

テーマ: 床屋デビュー   
今日、長男が床屋デビューした。

長男の髪の毛は今までずっと私がバリカンで切っていたのだが、安くて・早くて・余計
なことは一切言わない床屋さんを移動可能な範囲のところに発見したので、思い切って
今回から床屋さんを利用するようにした。
まず、{触られることに敏感なこと、剃る必要のない長さにすること、だんだんに慣らし
て髪型を短くしていく予定であること}を告げ、「何かする時には、これから何をするか
言って、大丈夫かどうか確認しながら散髪する」ようにお願いした。
過敏が少し穏やかになったのと髪の毛をいじられることへの慣れもあって、家で切る時
にも随分と落ち着いてきたなと感じていたのだけれど、おとなしく、何の不安もなく、
成功裏に床屋デビューは終わった。(散髪が年に2〜3度の一大イベントで、ギャーギャ
ー大騒ぎだった頃に比べたら大違いだ!)
中学生料金で、実際にやったのは小学生と同じというのは損と言えば損だけれど、これ
から何度も利用させていただく約束をしてきた。やったね!
[2003年10月5日 23時17分57秒]

テーマ: やはり、後戻り。   
別件で古めの本を引っ張り出して調べていて、気付いたこと。
今回の事件報道で、記者の実感として書かれていた印象が、最初にカナーが記述した自
閉症の臨床像に非常に近いものだってこと。

やはり、後戻り。

それとも、自閉症に関する一般的な見方というのは、永久に変わらないのかも。
[2003年10月4日 2時17分36秒]

テーマ: まてよ!   
何かおかしいと思っていたのだが…。

「他の子どもから離して厳しくしつけたがために、共感性のなさが強化された。」とか
「コミュニケーションの障害を助長した。」って、それ、普通の考え方じゃん。厳しす
ぎたとか、甘やかしすぎたとか、そういう問題じゃないじゃん。
「やるべきこと(例えば、SSTとか感覚統合訓練とか)をやらずに、やってはいけないこと
ばかりやってしまった。」ってことじゃなかったの!?

それから、発達障害への無知から、「ちょっと変わった子を、安心して学校に送り出せ
ない親心。」と「情緒や行動の問題は、親の躾と家庭環境に原因があると考える学校側
の認識。」の悪循環を断ち切らないと何の解決にもならないってこと、誰も言ってない
じゃん。

一方、日本を代表する三大新聞の記者も論説委員でさえ、『特別支援教育』のことを全
く知らないのだから(←今回の報道で、一度もこの言葉が出て来ていないことからの推
測。)、地方紙の記者が「聞きなれない診断名を聞いて、一大スクープであるかのように
書きたてた。」のは、当然だったのかも。
で、それって、誰の責任? 文部科学省? それとも、県の教育委員会?
[2003年10月2日 0時44分26秒]

テーマ: 自閉症児の行動を解釈する時に大事なこと。   
1、まずは、感情を入れずに認知や感覚の特異性のレベルで考える。これが、一次的な
  障害の部分の解釈には、不可欠。
2、次に、「心の理論」の到達度がどれくらいかと考える。
3、そして、それらを基に、家族などの人との関係性や、対人トラブルや外傷となる
  エピソードがなかったかどうかを加味して、発達段階を見極める。

そういう手順を一切踏まずに、自閉症でない場合と同様の一般的な解釈をされ、しかも
「新聞」「雑誌」「書籍」という武器を使ってばらまかれるのは、本当に困ります。

「他人は自分のことをこんな風に見ているのか」と思うことが、普通なら、人と人とを
繋げる接着剤になり、そうして“社会”が形成されているのだろうけれど…。それが、
精神的な負荷になり、積もり積もると破綻してしまう在り方をしているということが、
全く分かっていない。
つまり、教訓を得たようなことを言っているその口が、こちらを追い詰めているという
こと。
[2003年10月1日 21時51分10秒]

テーマ: あのお゛〜!   
いちいちツッコミ入れて、解説してやりたいような記事が、世の中に氾濫しているんで
すけど…。やると疲れるので、やめます。一度見ればたくさんだし。
今までやってきたことが、全部振り出しに戻された感じです。←それはもう、とっくに
説明したじゃん!って意味。
ただ、「それをそんな風に書かれたら、恐くて外を歩けないじゃん!/無理してでも、
私は自閉症じゃありませんよぉ、って芝居しなくちゃいけなくなるじゃん!」って思う
ような書き方は、いい加減やめてくれませんかねぇ。

レーベルゲートで150円キャンペーンやっていたので、Kiroroダウンロードしました。夏
川りみとか、元ちとせとか、今日は南国系でいきます。やりきれないから。
[2003年10月1日 14時37分5秒]

テーマ: 風土と、社会病理。   
私は哲学を学んだので、和辻哲郎氏の『風土』という考え方に影響を受けている。

私の考えでは、“横並び”を強いるという日本社会の特徴は風土的なもので、社会病理
ではない。このことが、発達障害という“違い”を認めず、ひた隠しにしてしまおう・
直してしまおうという親心の元であり、行動障害を強化してしまう一因にもなっている
と思っている。(カエルの本は、この点を憂えて書いた。)

一方、「社会病理」というのは、社会が均一化している(物心両面で)や、孤立化してい
ること、それから、刺激が多いことや、現実がゲーム化していることをさす。これは、
発達障害の悪い面を助長する可能性が非常に大きい。

風土的なものまでも「社会病理」にくくってしまうのは、「よその文化圏には文明がな
いから侵攻してまでも救ってあげなければならない」という余計な世話を焼いた、どこ
かの国の大統領と同じ発想だと思う。

発達障害を持って生まれた人にとっては、どんな時代であってもプラス面とマイナス面
が必ず存在するので、各時代ごとに十分な配慮が必要ということだ。
[2003年10月1日 8時50分18秒]

テーマ: 不器用も10年。   
ウチの長男が、電車のフィギア(880円の、ダイカストのもの)に色を塗り始めてから、10
年になる。
10年前は、本当にものすごく不器用(発達性協調運動障害のソフトサインがオールマイナ
ス/協応運動障害がひどい)だったので、思い通りに塗れなくてパニックや癇癪を起こしま
くっていたものだった。
しばらく電車から遠ざかっていたが、中学に入る頃からまた復活し、今ではすっかり電
車オタクの道を突っ走っている。弟が器用で負けたくないし、頼むと交換条件を出され
るので、色塗りや工作に執念を燃やすようになり、「不器用を克服する!」と言ってて
いた。
昨日見たら、ものすごくきれいに塗られて、見事に別の車両に生まれ変わった電車がお
いてあるではないか!  先日の運動会で、長縄で50回跳んだりと、最近は運動面の進歩
がめまぐるしい。

もっとも、このように二段抜かし・三段抜かし・五段抜かしの発達は、自閉症児によく
見られるもので、私自身も、小学校六年・中学二年・高校三年の時に、突然できるよう
になってその運動にハマった経験があるので、別に驚かない。そういう時期に差し掛か
ったんだなぁ、と思うだけ。
こういうところ、親子で自閉症だと、「あの親は、子どもが成長しても喜ばない。」と
非難されるところなのだろうけれど…。だって、事実なんだから、仕方がない。
[2003年10月1日 8時21分42秒]

※本人以外の書き込みはできません。
テーマ



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