記事タイトル:2003年4月の『日記』 


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テーマ: スタートライン。   
 人はそれぞれ違っていて当たり前の社会ではないので、「人はそれぞれ違っていて良いん
だ!」と、呼び掛けることから始めなければならない。
 みんな頭では分かっているので、『世界に一つだけの花』みたいな曲が流行ったりもする。で
も、こういう歌が好きだとか、良い歌だと言っているその人が、全くその通りではないことがザ
ラにある。学校の先生だって、欧米風の理念を説きながら、心は演歌や浪花節だったりする。
 はじめのはじめに、呼び水となる啓蒙活動からやらなければならないし、調子良くスタートし
たかのように見えていたって、真の理解を勝ち取るためには闘い続けなければならないだろう。
それでもきっと、定着はしないだろう。

 それはそうと、高校受験なんてものがなければ、ここまでやれたことを誉め倒してやってもい
いくらいの長男なのだが、テストの点が限りなくゼロに近づくことを阻止するための「基礎+ピ
ンポイント」学習を、このところかなりみっちりやっている。
 ASでADHDでLDで軽度のMRがあるのに、何の支援もなく標準的な受験をしなければな
らないことは矛盾していると思うのだが…。

 紙に印刷されたものは、基礎問題でもレベルが高すぎるので、分かりやすく解説してある中学
用のパソコン教材を調べてみた。ついでに、前に買った小学生用のソフトを引っ張り出してきて
次男にやらせてみたのだが、どちらも前途は多難である。(次男の方は、ほとんどお遊びしただ
けだが。)
[2003年4月29日 16時59分14秒]

テーマ: 自覚が自信に繋がらない。   
 ASやADHDといった“人との違い”を自覚することで、自信に繋げようというのは、アン
グロサクソン系の発想だ。かといって、話せば全員が分かってくれるというものではないことに
変わりはないようだ。
 しかし、日本では、“人との違い”を自覚することは自信にならない。人と違っていること
は、それだけでハンディだからだ。よほどのギフトがあればそのハンディキャップを乗り越える
こともできるのだろうけれど、その数は少ない。しかも、ギフテッドの存在さえも認められてい
ない。
 私が、敢えて子どものことをやっているのは、子どもの療育に関しては言えることが多いから
なのだが、その道が社会に繋がっていないという現実も知っている。それどころか、その段階で
既に、社会という大儀のために潰されかかっている子どもがたくさんいる。もしその相手が、社
会的な発言権のある大人や老人だったら、こんな風にひねり潰しているだろうか?
[2003年4月28日 22時12分43秒]

テーマ: ワイドショー的価値観。   
 主婦層をターゲットにした昼の番組の司会者には、社会通念のカタマリのような(=カウンセ
リングマインドのカケラもない)人が好まれるようだ。局によっては、報道と言いながら、映画
のシーンを見せていたりしているところもあったりするように、わりと誰もが思いつくような考
えができることが、その条件のようだ。
 こんなものは普通なら見ないのだが、今日は次男が風邪を引いて病院に行ったので、観察させ
てもらった。
 ワイドショー的価値観では、インターネットを使ってすれ違いにしていることは、上手にやっ
ているのではなく、「会話がなくなる」という悪い現象としてとらえられるそうだ。この手の番
組では、たいてい、司会者が旧態然としたコメントを怒りながら言い、ゲストコメンテーター
が、まともな見解を言うことが多いようだが、今日はどうなったのか知らない。
 (司会者がさばけた人の場合は、レギュラーコメンテーターに、義理人情の権化みたいなおっ
さんが必ず一人はいるみたい。)
[2003年4月28日 17時38分58秒]

テーマ: 敵は本能寺にあり!   
発達障害児者の敵は、本能寺にある。

このことを知らずに、「教育」という御旗を掲げて援軍を繰り出すと、思わぬ返り討ちに遭うか
も。

それから、家族の抱えている問題に火をつけてしまうことだって…。
[2003年4月27日 21時51分39秒]

テーマ: 普通のADHD。   
子どもの方は、どう見ても普通のADHD。しかし、親は普通の普通の人。
こうなると、普通のADHDの子どもは、“普通の悪い子”にされてしまう。

子どもの方はいたって正常なADHDなのだが、親の方が異常になってしまうことだってある。
[2003年4月27日 13時16分43秒]

テーマ: 田舎人の一人。   
 田舎人の一人は、老人なので、パソコンがどういうものか全く知らない。ましてや、パソコン
が電話で世界に繋がっていることも、パソコンがあれば家で仕事ができることなんか、知ってい
るはずがない。そもそも、自分の家の二階にパソコンがあることさえ知らない。
 ここ数日、老人の孫のためにあれこれやっていたことと、パソコンと電話を使って手配してい
たことを言ったら、単純に大喜びしていたが、理解したわけではない。
 もう一人の方は、私がパソコンでいろいろやっていることを知っているのに、その仕事の価値
を全く認めようともしていない。言いたいことは、ドナさんやグニラさんやローソンさんや
NEWPORTさんが言ってくれている。でも、私はそこから脱出できないので、言わない。(こうい
う経験のない、恵まれすぎているリアンさんには、決してわからないことだろう。)
[2003年4月27日 13時11分49秒]

テーマ: 突出。   
何かに優れていることを“良し”とするのは、英米の価値観に過ぎない。

この国では、何かに突出していると迫害される。

この国で価値があると認められている能力は、社交性と遂行能力。
[2003年4月26日 22時44分49秒]

テーマ: 世界の田舎の田舎人。   
 やっと、自分の適正に合った仕事=自分の星の仕事を見つけ、自分の居場所を作って、この星
で生きても良いかなと思ったら…。この世界の田舎の田舎人には、遊んでいるとしか見えないら
しい。
 早く、どこにでも持ち歩けるパソコンを買って、ここからいなくなりたい。
[2003年4月26日 21時53分53秒]

テーマ: IT革命は、この国には起きない!   
 ASでもADHDでもLDでも、インターネットで情報ネットワークを作ったり、仲間探しを
するのは当たり前・・・なんてのは、英語圏の常識に過ぎない。
 パソコンの前に座って情報を集めたり、あっちこっちに電話を掛けて手配していると、「どこ
に電話を掛けているんだか!」「何をしているんだか!」とブツブツブツブツわざと聞こえるよ
うにつぶやきながら、農婦がすぐ脇を通って行く。
 つくづく、こんな星に生まれなければ良かったと思う。本当に、落っこちる星と住所を間違え
た。
[2003年4月26日 21時38分17秒]

テーマ: ペンギンの棲息地。   
 社会との摩擦を最小限に食い止め、余計なトラブルをなくすためのソーシャルスキルを習得し
ても、精神年齢が12〜18才くらいで止まったまま、年を重ねるごとに社会とのギャップが大
きくなるASにとって、どうしても生きられない“場”というのがある。
 だから、やっぱり自分が活き活きできる場所が必要になってくるし、同じ考え方や感じ方をし
ている仲間に出会うことも大切になってくる。そこは、現実ではない趣味の世界かも知れない
し、インターネットの上にある世界かもしれない。
 やはり、現実でない自分の世界をどこかに確保しておかなければいけないことは、どんなに社
会的になろうとも変わらないのだ。(問題行動がなくなり、ソーシャルスキルを学習したことを
もって「自閉症は治った」と言いたい人たちには、断固抗議する。)

 私の場合は、発達障害児の療育という社会的にはマイナーな世界で、水を得たペンギンにな
る。
 この世界、最近では、どんどん現実世界の方に進出してきている。小学校の方は、異動で新た
に来た先生以外には衆知徹底しているので大筋では大丈夫なのだが、今年は、今まで中心になっ
て活躍してくれていた先生方がごそっと入れ替わってしまって心配。でも、校長先生が熱心に取
り組んでいるので、次第に感化されていってくれることを期待している。
 中学の学級担任に対しては、下手に出なくて良くなった最初の年だった。こういう障害があっ
て、今も支援が必要であることを否定されなかったのは入学時から変わらないが、今、学校でや
っていくべき事と、将来的に何が残存して行くかをこちらから申し立てることができたところ
が、大きく違う。
 発達障害というものがこの世に存在していて、そういう子どもは通常学級の中にも普通にい
る、ということから説明する必要はまだあるのだが、頭ごなしに否定して、旧態然とした己の常
識を押しつけてくる先生に対しても上手に出て良くなったのは、大きな変化だ。(そういう先生
方の意識が変わったというよりも、変わったのはこちらの“自信”かもしれない。)
[2003年4月24日 9時1分16秒]

テーマ: NLDとAS。   
 非言語的な教育的配慮が必要なNLDは、ASでもADHDでも有り得る。
 しかし、ASでNLDの場合は、社会的な価値観は普通だが自分の感情が自分で分かっていな
かったり、ソーシャルスキルだけあって自分の感情と違う表出をしてしまっていたりする。社会
的に不適切な感情表現をしてしまうため不利益を被りやすい、ADHDでNLDの場合とは、教
育支援の仕方が違う。
[2003年4月22日 9時10分15秒]

テーマ: 友は常に遠方にある。(ただし、来ない。)   
 身体を通じての接触や、身体を使っての奉仕ができないこと。
 社会的に妥当とされる価値観に染まっておらず、人の心情にかなった言動ができないこと。

 つまり、物理的に近くにいるからといって、気が合ったり合わせられる保証は何もない。

※しかし、本を読んでいても、論文を書いても、「それがどうした!」という価値意識しかない
 ニンゲンが、この世に実在しているとは思わなかった。
[2003年4月22日 8時55分44秒]

テーマ: 調教???   
 おとなしく調教されることを、“心を開く”と表現するのは、動物モノのドキュメンタリーの
ナレーションの定番になっているようだ。
 「言いなりに行動する」といった表出の背景には、“恐怖”もあれば、“安心”や“慣れ”も
あるだろう。必ずしも納得していないので、“だまされる”ことも可能だ。
 人間の場合は、「言いなりに行動する」だけでなく「差し障りのない返答をする」こともあ
る。どちらにしても、“心を開く”こととは全く次元の違う問題だと思う。
[2003年4月22日 8時45分37秒]

テーマ: ASとNLD。   
 問題行動が少なく(と言うより、本人にとっては大問題だが、周りの人にとって迷惑でないの
で、問題にされなく)感情の持ち方が普通な受動型ASは、ソーシャルキューの読み取りとソー
シャルスキルの習得の困難が主症状(であり主訴)になるので、限りなくNLDに近くなる。
[2003年4月22日 8時36分34秒]

テーマ: ASで、成功するタイプ。   
 ASで成功するタイプというと、まず自閉症の度合いが少ないことと言えば言えなくもない
が、三つ組みのどれか一つが顕著なだけという非定型であることもあるだろう。
 人との関わり方は受動型が成功しやすいのは確かなのだろうけれど、NLDの内の受容性(社
会的認知障害)はダメでも表出が良く、人を気遣うことができたり人を気遣う言葉が出せること
かぜ条件のような気がしないでもない。
 積極奇異型の場合は、社会的認知障害から被害的になりやすかったり、表出が攻撃的過ぎてう
まくいかない傾向がどうしても出やすいので、早期療育によって依存的になっても、一生に渡っ
て通訳が必要な状況に変わりはないと思う。
[2003年4月19日 8時46分53秒]

テーマ: 遅れていた方が、進んでいることもある。   
 昨日、中学のPTA総会の後に行われた学校説明会では、よく学会で使われるようなパソコン
システムを使っての説明が行われていた。こんなところにまでシステムが普及する時代になった
のだと、感心してしまった。説明の中に、「この情報は、インターネットのホームページで公開
されています。」という言葉もあった。←それは、私も知っていることだった。

 人々の噂や民意というものから隔離されていた私が、人々よりも先にパソコンを手に入れ、イ
ンターネットの世界で暮らすようになった。お陰で、情報という面では一番不利だった私が、情
報収集のパイプを繋げる為に人との日常的な接触をしなくても、誰よりもいち早く正確な情報を
手に入れることができるようになっていることを痛感した。
 噂とか評判とか体験談が入ってこないための不利は、相変わらずある。けれど、「噂ではな
く、正確な情報を」に関しては、圧倒的に有利だし、メールを使って問い合わせるという手段だ
って使えるという武器も持っている。

 ただ、ここは農村なので、「インターネット」を多用すると、「自慢している」とか「偉ぶっ
ている」という見方をされる世間も、間違いなく存在している。パソコンの前に座っていると、
遊んでいるとしか思わない人だっている。(しかーし、そんなことを気にする私ではない。)
[2003年4月19日 8時21分12秒]

テーマ: テグレトールをやめて2ヶ月。   
 頭の中を音楽でいっぱいにして、嫌なことを思い出す回路を遮断する生活が戻ってきた。
 いろんなことを自覚できるようになっているので、苦しいことは苦しいが、原因と対処法が分
かった分だけ、前より楽になった。
[2003年4月19日 7時58分53秒]

テーマ: 最後の砦。   
普通が一番、できすぎるのも、できないのも悪いことだ、という考え方には断固反対!

発達障害児・者の“違い”を認めず、「やりたいけれどできないだけの人」「やり方を教われば
できる人」としか思わないことにも反対する。

社会生活でできるための方法論とソーシャルスキルを身につけたのは、最大限の譲歩。
 
私が生きていて良い、“もう一つの世界”は、絶対に捨てない。
[2003年4月16日 12時51分40秒]

テーマ: 田舎にはウンザリ!   
 発達障害の子どものことで、電話相談が来る。相手は鬱なので、電話を離さない。
 バアさんが、わざわざやって来て、「誰と話しているか知らないけれど、もう30分も話して
いる。」と、聞こえるように言う。バカモノ! 畑仕事とおさんどんと日常の身の回りのことだ
けが生活のすべてであるかのような精神的貧困が、この問題を大きくしているのだ!
 こんなところで朽ち果てるしかないと思っていた時は、「いつ・どうやって死のうか」考える
だけの毎日だった。それは、40年も続いた。でも今は、この現実は改善すべきだと思って闘っ
ている。さしあたり、壁をたたくこと20回。
[2003年4月16日 11時1分8秒]

テーマ: 『犬夜叉29巻』   
 奈落が、自分の中に残っていた、“人間の感情”を分身にして外に出した。新しく生まれた赤
ん坊は、ニンゲンの負の感情のカタマリらしい。つまり、私に分からないもののカタマリ。この
子を見れば、人間の感情が分かるようになるのかというと、元々ないものをカタマリにして出さ
れたって、やっぱり分からない。
[2003年4月15日 14時31分38秒]

テーマ: 間違って、↓の状況になってしまった時。   
 だいたい、どの会社の製品が危ないかは察しがつくので警戒しているけれど、全部がNGでは
ないので、時々こういう事態になる。
 そんな時、私の場合は、体が動かず、ボ〜っとして思考力低下・注意散漫になる。だいたい、
胃腸症状が出る。イライラするのではなく、眠くなる。
 ひたすら毒が出て行くのを待つが、そもそも“腸管漏れ”があるので、排出は早い。そうこう
している内に、自分の体内リズムで覚醒する時間帯に(興奮とも言う←もしかしたら、交感神経
が起きる時間なのかも)入る。

 ウチの系統は、漢方で言う小建中湯の証、脾虚・腎虚なのでこういう傾向。小紫胡湯の証だと
癇が強いので、イライラする方になるのかも。
[2003年4月15日 9時12分32秒]

テーマ: 食品添加物。   
 食品添加物の中に、明らかに体調を悪くするものがある。それがガゼインなのかどうかは分か
らないが、一度食べておかしくなったものは、とにかく買わない・食べない。とりあえずの自衛
策。
[2003年4月15日 8時4分17秒]

テーマ: 画びょうのプレゼント。   
 昨日、次男のズボンを買うために一緒に買い物に行った。ドラッグストアで、何やらこそこそ
していると思ったら、なんと、自分の小遣いで画びょう(針が剥き出しになっていなくて、外す
のも簡単なヤツ)を買っていた。
 と言っても、夜になって、見たことのない画びょうがころがっていたので、私が聞いて発覚し
たのであった。「あっちこっちに貼ってある画びょうを、ついつい持って行っちゃうから、お母
さんにプレゼントしようと思って買ったんだけれど、そのまま忘れてた。」のだそうだ。
 確かに、次男は何かに穴を開けたいと思ったり、何かを作るのに画びょうで止めたいと思う
と、その瞬間、そこらへんのコルクボードに刺してある画びょうやピンを取ってしまい、そのま
まその辺に置き忘れて、しょっちゅう怒られている。その内の一つを、私が踏んでしまったこと
もあった。きれいな色で、しかも危なくない画びょうを店で発見したので、せめてものつぐない
に私にプレゼントしようと思い立ったようだ。
 普通なら、「そもそも、画びょうをひょいひょい引っこ抜くのをやめなさい。」とか、私にプ
レゼントするために空の画びょうケースにそっと入れておいて驚かせようとしていた途中で、
「何かに気を取られて、そのまま忘れてそこらに転がしていたとはなんだ。」と言われそうだ
が…。まあいいのだ、いかにもADHDらしくてかわいいではないか。
[2003年4月14日 8時8分44秒]

テーマ: 年度初め。   
 年度初めのお決まりの行事が、立て続けにある。どうでもいい日常業務が、たくさん舞い込ん
で来る。今日は、夜に集まりがあるので、すべてが前倒しになる。
 こんな日は、ASモードに入れても直ぐに切り替えなければならなくなるので、初めから入れ
ないでおく。野暮用をやる日に決めてしまう。
 で、空き時間には、昨日買ったチョコQを並べたり、フィギアの整理をしたりして過ごす。そ
うして、バカバカしいことに魂を占領されないように、自分を護る。
[2003年4月4日 16時26分8秒]

テーマ: 村八部文化。   
 世の中には、困った人とかおかしな人と呼ばれる人がいる。打ち解けないから、自分たちの仲
間に入ろうとしないからいけないのだと言う。心理的な距離があることそのものが、許せないよ
うだ。
 同類でなければ、排除するだけだ。あの人はこういう人だとか、この人はああ活かそうという
発想はまったくない。仲間内で交わされる会話の中に、人権を侵害する発言があろうとも、下世
話でくだらな過ぎる内容であろうとも、面と向かって抗議すれば敵となり、そして、いつか徒党
を組んで仕返しされる。数が多ければ、ローカルな正義としてまかり通る。
 しかし、誰もがいつだって、無一文になってしまったり、生活の為に何だってしなければなら
なくなったり、身体的な障害を負ったり、病気による後遺障害になったり、心の病にかかる可能
性と背中併せで生きているのだ。どうして、明日は我が身と思えないのか!?
 こういうことを扱ったドキュメンタリーやドラマを見れば、感動し涙を流せるくせに、こうい
う日常的なところでは全く正反対のことを平然とやっている。

 こういうところでは、挨拶とスモールトークのあとは、仕事の話に持ち込むに限る。それ以外
の付き合いには応じないで、距離を置くべきだ。人の噂話や下ネタやローカルな偉人の話になっ
たら、「わからない」「知らない」「興味がない」とハッキリ言うべきだ。
 つまり、応じるべきことと応じる必要のないこと、相手にすべきことと関わらないようにすべ
きこと、合わなくて当然なことは合わせる努力をしないで会わないようにすること。そういうソ
ーシャルスキル、つまり、「NOと言うスキル」も大切ということだ。
[2003年4月4日 11時5分24秒]

テーマ: 命の洗濯。   
 まずとにかく、ここから離れること。タイムアウトのようなものだ。
 パソコンショップへ行って展示品の仕様を見比べ(買えないので…)、フィギア屋さんに行っ
てチョコQの新シリーズを買い、犬夜叉のガシャポンをやったら、スッキリしたぁ〜♪
 ちなみに、長男はワンピースのフィギア(と言っても、ガシャポンのコンプリートセット)を
買い、次男はガンダムを買った。
[2003年4月3日 23時15分12秒]

テーマ: 先生のいない教室。   
 ここはまるで、先生のいない教室と同じだ。くだらないおしゃべりや、歌手の振り真似をした
り人の品定めをしてキャーキャー言ってる生徒たちを、「おかしなことをするヤツラだ」「いつ
か粛清されるべきだ」と思って眺めていた、あの教室と。
 教室には、“正しい”ことを推奨する先生がいて、勉強というお仕事があった。でも、ここに
はそういう人が一人もいない。こんなところにいなければならないのは、初めてだ。前に住んで
いた所にだって、そういう人がちゃんといた。
 もしここで、“社会的な無”であることを挽回しようと思ったら、アイツらのやっているよう
などんちゃんさわぎや、ご近所様のお仲間と認められるための親しげな態度をする以外に方法は
ない。つまり、ここでは、どんな仕事をしようとも、よそでどれだけの業績をあげようとも、そ
の業績がパソコンの中でだけ誉められていようとも、全く何の影響もないのだ。
 ここでは、“社会的な有”であるかのような振りさえしていればいいのだ。つまり、社会的に
“正しい”ことを教えるソーシャルスキルなんて、必要ないのだ。こんなバカバカしいことに構
っているのは時間の無駄だし、こんなくだらないことで魂を奪われてしまうのは精神的な損失以
外のなにものでもない。
 だから、脳ミソの切り替えは、(テグレトールなしでも)とってもあっさりできた。と言う
か、自分に最も近いところにいる敵と日々同じ空間にいなければならないという、この精神的な
耐乏生活をしながら正気を保ち続けるためには、そうするしかないのだ。今までやって来たよう
に逃げることもできない状況にいて四六時中真正面から対峙していたら、ホントに何をしでかす
かわからない。←そうして、人はどんどん追い込まれて行く。その結果起きたことに対してさ
え、ちっとも反省しようとしない。それが、この国の精神レベル。
 しかし、脳ミソは切り替えできても身体は一つしかないので、ここ数日のスケジュール(身体
的な拘束時間は、一日当たり20分〜1時間30分以内)はかなりキツク、疲れてしまった。起
きていられなくて、ちょっと横になるつもりが2時間の昼寝になってしまった。で、こんなとこ
ろにいては魂が穢れるだけなので、今日は久しぶりにお出かけする。
[2003年4月3日 7時48分53秒]

テーマ: ゴミ箱。   
 テグレトールをやめて、1ヶ月になる。やはり、頭の中の雑音が多くなり、フラッシュバック
も復活。この状態で、PTAや自治会の用事が立て続けにあると、やはり辛い。
 でも、こういう頭のゴミはゴミ箱にさっさと捨てて、日常業務用の脳ミソはさっさと棚に片付
けてしまうことで、切り替えがうまくできるようになった。テグレトールは、もう飲まないで大
丈夫だと思う。
[2003年4月2日 16時51分18秒]

テーマ: 最後の一つ。   
 その、最後の一つというのは、昨日私が子どもたちと一緒にウチのリサイクル資源を持って行
った時に、半分以上ゴミだったのでよけておいたものだった。廃プラの袋の中の上2/3に、燃
えるゴミ・洗っていない燃えないゴミ・食べ残しがそのまま入った弁当・ポテトチップの断片な
どが、ごそっと入っていた。
 それを見て、誰のものだか見当がつくらしく、「家に持って行って、ぶちまけろ!」だのと言
っている人がいた。

 どうして、世の中には認知や注意に障害があって、ゴミを分別することができない人がい
るということに思い及ばないのだろうか!? ゴミの分別が細かくなればなるほど、どう
していいかわからなくなってしまう人がいることに、なぜ気づかないのだろうか!? そういう
人は、責めるのではなく支援が必要だという発想を、どうしてしようとしないのか!?
(自分の身内に、そういう人がいないからできないのではないと思う、きっと、身内にそういう
人がいたら、その人を責めているのだと思う。)

 とにかく、こういうモノの考え方から根本的に叩きなおさなければ、この国(たぶん、世界
も)は、ちっとも変わらないと思う。

 ついでに、少子化でPTAの父兄が各戸を回っての廃品回収ができなくなった時に、私は、重
たくてかさばる古新聞やダンボールを回収場所にまで持っていけないお年寄りや障害のある人の
ために、役場で回収車を回すようにして欲しいと要望した。でも、他の会員からは、「普通のゴ
ミを回収場所に持って行くように言っても、それに不満を言う人はいないのだから、その理屈は
成り立たない。」という声が上がった。
 普通のゴミなら、休み休みでも持っていけるかもしれないが、古新聞やダンボールを持って行
くには、どうしたって車がいる。「一輪車があるじゃないか」と言われるかもしれないが、その
一輪車を操縦できない人だって、この世にはいるのだ。もしかしたら、そういう人のことを、本
心では、身寄りがないのがいけないだの、頼める友だちを作らないから悪いだの、近所づきあい
をしない罰だと思っているのかもしれない。

 どんな人でも一人前にできて当たり前だとか、うまく人と付き合っていこうという気のない人
は仲間に入れない、という考え方しかできない人に、なぜ天罰が下らないのか、不思議で仕方が
ない。
[2003年4月1日 7時48分24秒]

テーマ: 時間厳守!   
 去年、回覧版には「7:00から。」と書いてあったのに、6:55に行ったらほとんど終わ
っていて、「遅刻」だの「罰金をとれ」だのと言われた、廃プラ(リサイクル包装資材)回収当
番。
 今年は、「6:30開始。時間厳守。」と書いてあったので6:25に行ったら、なんともう
ほとんど終わりかけていた! 自治会長さんが来たのも、ぴったし6:30だったというのに、
6:40には最後の一つ以外は終了、6:45に解散!
 たとえ、自分の家の廃プラを持って来る都合で早めに来ていたにしても、いくらなんでもひど
すぎる。時間を守って、開始を待つべきものではないのか!? ソーシャルスキル違反は、そっ
ちの方ではないか! この国には、“社交性”はあるけれど、“社会性”なんてそもそも無いの
ではないか!? もう、いい加減にして欲しい! 
[2003年4月1日 7時19分5秒]

※本人以外の書き込みはできません。
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