記事タイトル:2003年12月の『日記』 


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テーマ: 訴訟。   
心身症で不登校になった子どもに担任がひどいことを言って、症状が悪化したことに対
して責任を追及する裁判があった。
発達障害の子どもや人に対して、適切な対応をしなかったために症状が悪化したことを
訴えて損害賠償請求して良くなったら、ものすごい数の訴訟が起きるだろう。そうなっ
たら、青ざめる人が、たーーーくさんいるかも。
[2003年12月28日 9時44分59秒]

テーマ: たまげたこと。   
普通の人は、
 そんなにきっちりしていない。
 恐怖の中にいない。
 切羽詰っていない。
 予め知っていることや、ルールによって行動することを、うるさく思う。
 人と人との話し合いで、責め合ったり許しあったりしている。
 「正しいこと」が、その場でどんどん変わっていく。

ヘンだーーーー!
[2003年12月28日 9時38分12秒]

テーマ: ソラナックス卒業。   
漢方薬の方が落ち着いてきたので、ソラナックスをやめて5日経つ。春先と秋口だけ、
補助的に使うだけでなんとかなりそうだ。(胃腸と肝臓の負担が減って、楽になってい
る。)
SSRIをやめると、強迫症状とフラッシュバックが起きるだけでなく、視空間がおかしく
なったり乗り物酔いで移動困難になったりする恐れがあるので、こちらは継続。
[2003年12月28日 9時31分52秒]

テーマ: 中三、深夜の出来事。   
普段は学校があるので、11時過ぎにテレビを観ることが許可されていない(が、しっかり
バスや電車のペーパークラフト作りに励んでいる)長男と一緒に、メントレを観ながら思
った。・・・この頃の私には、こんな時間があっただろうか?と。
(ついでに、私がゴロゴロしていると、次男がよく布団に入り込んでくるが、そんなこと
もしたことはなかった。←長男も、こういうことはしなかった。ただ、「上から乗って
くれ」とか「こちょこちょやって」といった感覚的な刺激は求めてきた。)

中三の頃の私といえば、完全に孤立していた時期。一人で勝手に音楽に浸っていた。自
分の「こだわり」や趣味が家族に理解されることはなく、話をすれば五分と経たないう
ちに喧嘩、弟とは口もきかず顔も合わせない。犬だけが話し相手。学校では、セサミス
トリートとロックの話題を一方的に話し、言葉の音遊びをしてウケているつもりになっ
ていた。
それ以来、いろんなことをやったけれど、その度に“できないこと”と“世の中的に不
足していること”だけを数えて、自分で自分に「できるものはない」と決めてしまい、
“できること”があったことさえ忘れてしまっていた。今年は、自分にもあった“でき
ること”を、思い出させてくれた年だった。改めて、感謝!
[2003年12月27日 13時5分28秒]

テーマ: マナーが浮いてしまう場面。   
マナーとして習得したものが、まるっきり浮いてしまう場面がある。ソーシャルスキル
としてのマナーや気遣いをせっかく覚えても、それが全く通用しない場所に閉じ込めら
れてしまったら、逆にいじめられる。つまり、その場でまかり通っている理不尽な習慣
や、特定の有力者に合わせなければならないような場合。
上下関係やしきたりのある場所ならば、知っている・知っていないの差、慣れている・
慣れていないの差で、みんなが習得する方向に向かえばいいのだが、プライベートな場
面や対等だけれど内輪でない(ご近所やPTAのような)場面では、どうして良いのか
分からない。とりあえず、何かをモデルにして、その場を切り抜けているだけ。それだ
けでもいっぱいいっぱいなのに、そのモデルに付随する価値観や立場まで私に帰属して
いるかのような反応が返ってきて、それにまで対処しなければならなくなる。

名前が覚えられなくって、相手に通じているかどうかなんておかまいなしにクジラ語を
しゃべって、今自分が何をしていたのかも忘れてしまう不安の中で、ひたすら「泳ぎま
しょ」と前に進んでいる内に、自分にも結構できることがあった(人間の言葉が読め
る)ことも忘れてしまう、昨日観た魚(『ファインディング・ニモ』に出てくるドリ
ー)が、他人事ではない。
ただ、ドリーの場合は、自分に自信がないので不安だけれど、周りとのギャップに気づ
いていなくて悩まない。マナーやしきたりがあることにもおかまいなしで、ただはしゃ
いでいられる。それが良い方へ良い方へと進み、いつまでもハッピーでいられるのは、
御伽話の世界だから。
これに気づいて、悩んじゃったら、珊瑚礁の楽園どころか暗黒の世界。
[2003年12月25日 18時17分59秒]

テーマ: 今日の、「おめでとう!」   
今日は、「クリスマスらしいことがしたい」という次男のリクエストに応えて、映画を
見に行った。もちろん、長男も完全な息抜き日。
ホールがたくさんあって同時にいくつもの映画を上映している映画館に行ったことだ
し、次男と長男の見たい映画が違ったので、お昼を食べるところから別行動になった。
長男は一人でお昼を食べ、開始時刻にちゃんと映画館に入った。
長男の方から、「今日は偉かった?」と聞いてきた。もちろん、拍手喝采。
[2003年12月24日 21時2分37秒]

テーマ: 清々と、業界から引きこもり中。   
最終的な違いを認めた上での早期発見・早期療育。
発達段階に応じた指導。
ボトムアップとトップダウンの両方の必要性。
一生を通じてのQOL。

現在は、これらを訴えることが何か悪いことをしているかのように思わせる状況なの
で、私はずーーっと裏方です。
[2003年12月24日 20時54分27秒]

テーマ: shareする/しない。   
shareすることができないとか、またはその相手が極端に限られているとか、特定のキャ
ラクターとしてしかできないとか、一対一の関係ならばかろうじてできるとかいうこと
が自閉症の定義の一つになって以来、“shareすることのできる人にする”という方向に
ばかり盛り上がろうとする動きが起きてしまうのは、自閉症でない人たちの好みとして
は仕方のないことなのかもしれない。
しかし、shareできない状態をどのように過ごすか(我慢するとか、すれ違いにすると
か…)を研究するプログラムを作らないのは、片手落ちというものだ。
[2003年12月23日 11時47分9秒]

テーマ: 最後にぶつかる社会の壁。   
大義名分・主義主張のあることをするとか、理不尽なことをやめさせるとか、そういう
ものなら教えることも実行することもできる。
しかし、最後に残るのは、個人個人の趣味嗜好や生き甲斐で、それぞれが心のよりどこ
ろにしているものという壁。お互いに、相手の考えることを「なに、それ!!!?」と
しか思えない。それをやめたら、どちらかが病気になるしかない。
そこのところの選択を誤らなかったかどうかの違いがそのまま、幸か不幸かの境目にな
るわけではないが、share(心や物の分かち合い)ができるかできないかの違いであること
は確かだと思う。
[2003年12月23日 10時58分58秒]

テーマ: 年賀状。   
去年までは、私のうつ病が全快していなくて、出来合いのものに住所を書いて出すのが
やっとだった年賀状。
今年は、私がパソコン用の画像をいじりたいと思っているところに長男にWordのレクチ
ャーをしていることもあって、激安ソフトを使って、子どもたちも一人一人オリジナル
年賀状を作った。・・・いやぁ、パソコンの操作ができるようになったからといって、
社会的に適切で、相手に伝わるメッセージを盛り込んだ作品ができる保証はないこと
を、再確認した。
[2003年12月21日 13時45分41秒]

テーマ: 日本語勉強中。   
電話が実際に鳴っているのに、「電話が鳴っているようなので・・・」と言う場合の、
“ような”は推測の意味ではなくて婉曲表現だということ。
話を切り上げるのに、「もっとお話したいのですが…」「また遊びに来てください」と
いうのは儀礼的な挨拶で、真に受けてはいけないとか、「終わり」の宣言はしない方が
いいとか。
へぇ〜! へんなの。
[2003年12月19日 14時35分25秒]

テーマ: 言ってみなければ、始まらない。   
身体的な負担ができるだけ少なくて済むように、自律神経を調整する薬を出してくれて
いる内科の先生。子どもも来るので、小児科と皮膚科もやっている。
専門ではないけれど、ウチの子どもたちが精神的負担を身体化していた時にも診てもら
っているので、発達障害の子どもが発達段階に合わせた対応をすると変わっていく様を
見ているし、カエルちゃんの本も買ってくれた。
長男のかゆみ止めクリームを出してもらったついでに、自分のハンドクリームも出して
もらった。冬場私の手が血だらけになるのは、強迫症状で手を何度も何度もお湯で洗う
からなのだけれど、そういうところを全部ひっくるめて理解してくれた。
世の中に対して主張するとあからさまに反発する人が増えるけれど、解ってくれる人も
確実に現れる。リスクがあっても、言ってみるものだと思った。


言ってみるといえば、いろいろな場面で“モデルがないためにどう言ったらいいか分か
らない”ことが多かったり、テレビやドラマの会話をモデルにして話すと何となく浮い
てしまったり、思わぬ結果になったりして困ることがある。そういう時のために、長男
の次のワークとして準備した外国人向けの日本語教材だったのだが、内容が社会人向け
だったので私が読むことにした。長男は、3〜5年後に必要になるだろう。
今、長男に必要なものは、中一レベルまで伸ばしてきた学力を、学問のための学力では
なく生活力に結びつけるための教材。あくまでも、言葉の意味や用法や言い回しの勉
強。社会文化的なものは、書いてあることを丸暗記して完全に実践してしまったら、張
りぼてになってしまうので、利用する目的と限界を知ってから渡す。
[2003年12月17日 21時23分13秒]

テーマ: 生きていくために必要なもの。   
生きていくために必要なものは、悲しいけれど、本に書いてある思想や論文ではなく経
済的な基盤。

でも、カエルちゃんたちが私の代わりにあちらこちらでお仕事してくれていることが、
精神的な大きな支えになっている。分かってくれる人は、分かっているんだと思う。
(目の前にいる無理解は無視して、遠くのどこかを見つめていた方が、幸せな気分になれ
る。感謝感謝。)
[2003年12月17日 8時29分48秒]

テーマ: 奴隷解放!   
精神的無価値から解放されてうつ病が治ったといっても、経済的無価値から解放されな
ければ、奴隷状態を脱出できない。
この世には、「人権」なんていう言葉が最初から通用しない場所が、いくらでもあるの
だ。
[2003年12月16日 21時3分55秒]

テーマ: 共感(↓の続き)。   
共感は、その先にあるものだ。そして、療育でできるのは、規範や一般的なモデルを教
え、その範囲内で差し障りのない言動をすることまで。具体的な個々の場面で、実際に
共感するしないまで操作することはできないし、自分の言動がその場の状況にかなうも
のであったとしても、その結果として生ずる事態に驚く羽目にもなる。
ましてや、今では、共感と心理操作の区別がつかない。「全世界じゅうに感動の嵐」な
んていうコピーが踊っているけれど、それは単に商売がうまいだけということがほとん
ど。更に、詐欺だって横行している。

「カリキュラムに沿って、教えるべきことはすべて教えた」ことに自己満足してしまい
がちな人種もいるし、「母性原理でいつまでも守っている」ことに自己満足してしまい
やすい人種もいる。
しかし、「教えりゃいい」というものでもないし、「いつまでも親の手のひらの中に握
っていられる」わけでもない。人の一生は、何を教わったかの問題なのではなく「何が
できるか」であり、親との蜜月がいつまでも続き言われたことができるようになればい
いというものではなく、「自分の意思で動くようになる思春期以降に自分自身の特性を
いかに把握し、どのようなものの考え方をしているか」ということだ。(以上、ここで
失敗して、辛酸をなめた人間の遠吠えである。)
[2003年12月16日 8時1分34秒]

テーマ: 感情を自覚するということ。   
PDDと言っても、他人の感情を読み取ることに困難がある人(受容性NLD)と、自
分の感情を自覚することやその感情を人に対して適切に表現することに困難がある人
(表出性NLD)とでは、課題が違う。共通して言えるのは、読み取り・自覚・表出の
バランスが悪いということ。それが、自閉症の特徴だろう。
 ⇔一般に言う、わがままな人や感情に鈍い人や自己愛性の強すぎる人は、全体的に低
  いか歪んでいる、または、全体的に過剰な状態なのではないだろうか。
『アスペルガー症候群とパニックへの対処法』で引用されている絵は、感情の読み取り
に困難がある人に使うもの、『ガイドブック・アスペルガー症候群』に紹介されている
絵は、自覚に困難がある人に使うもの、表出面の困難に有効なのはロールプレイや演技
療法など。絵だけ取り出せば、なんにでも使えるけれど、作られた意図や対象は、本来
違うものだ。

それはさておき、自分には自分の感情というものがあり、それは持っていて良いもの
で、自覚すべきものであることに気づき、更に、それは何らかの形で表出してよいもの
だということを知って以来、せっかくある感情を使うと良いことがあることも分かって
きた。
といっても、私のしている表出方法は、インターネットを利用する・壁を叩く・ドアを
思いっきりバタンと閉める、パンチングを蹴っ飛ばすというところがやっとなのだ
が…。
[2003年12月15日 8時53分18秒]

テーマ: 補足。   
ちょっと↓の、「三年間」「結果を出す」というのは、三年後に必ず就労を目指すとい
う意味ではない。
色彩能力検定や漢字検定などを、毎年確実に取っていくということ。就労するにして
も、専門学校に進学するにしても何にしても、その先に開けていくものだから。
[2003年12月14日 12時49分3秒]

テーマ: それはきっと、   
「無理解」というより、意地や信念のようなものなのだろう。
キリスト教徒とイスラム教徒が、決して和解しないのと同じようなものなのかもしれな
い。つまり、それぞれが別々の神を立て、それぞれの神を信じ、それぞれが内輪で盛り
上がるしかないのかもしれない。
[2003年12月13日 22時41分16秒]

テーマ: 抵抗。   
最近、私が“a mind at a time”(邦題『ひとりひとりこころを育てる』)の精神で人の
行動を解説すると歓迎される場面は、教育関係者の間で確実に増えている。
しかし、一般人の間では逆に、意識して普通に普通に解釈しようとする人も増えている
ように思う。そういう人たちの抵抗は、日増しに強くなっている感じがする。そして、
「お前の話なんか聞くものか!」という態度をあからさまにされるようになってきてい
る。
敵は、一番身近なところ=足元にいる。
[2003年12月13日 13時35分47秒]

テーマ: 経営者サイドの考え方。   
NLDという特徴ですべてを一緒くたにしてしまおうとするのは、治療のために都合が
良いからといって、病院の床をフローリングにして、医者や看護士が作業しやすい高さ
に統一されたキャスター付のベッドを並べた大部屋を、いくつも作りたがるのに似てい
る。
見た目は同じで診断も同じだし、使う道具や方法論にも共通しているものが多いかもし
れないが、アプローチの仕方は、自閉症・AS・合併症の有無・受動型と孤立型と積極奇
異型とでは違っている。それから、本人の意識や考え方も同じではない。大部屋に一緒
に入れた方が都合がいいというのは、あくまでも経営者サイドの考え方であることを忘
れて欲しくない。
確かに、一くくりになったことで仲間を見つける機会が広がったという側面はある。で
も、共感のできる仲間を探す方法は、他にたくさんある。それは、文明の質的な変化が
もたらした恩恵と考えられなくもない。

一つの大部屋に、内科・小児科・整形外科などの患者さんが一緒にいることだってある
のだから、診断基準に引っ掛ったから「みんな同じです」というのは、本人に失礼にな
ることだってある。
[2003年12月12日 9時49分39秒]

テーマ: 生き難くなっている理由。   
感情に流されることを恥とする時代があった。その時代に生きたASの人たちは、ある
意味では楽だったかもしれない。しかし今では、人の気をちょっと逸らしただけでいじ
められるし、ひどい場合には殺されたりもしてしまう。
どうしてそんなことになったのか?・・・理由はたくさんあるのだろうけれど、感情的
であることを賞賛する世の中になってしまった一因に、「感情が動くと金が動く」とい
う法則があるに違いない。功利主義の社会なので、“神の見えざる手”は当てにならな
い。“見える人の手”を入れないと、たぶんどうしようもなくなってしまう。(購買者
になれない人は、単に市場に存在していないだけなのに、全くいないことになってい
る。これき、ゆゆしき問題だ。)
[2003年12月12日 9時20分35秒]

テーマ: まだ決定ではないけれど…。   
ちょっとだけ。

常に、管理・監督されている状態でできていることは、監視と規制がなくなったらでき
なくなるということ。
企業に雇ってもらえる(=就職できる)人間を育てることだけ考え、就職率の数字を上
げることが学校の業績だと思うのは先方の勝手だが、就職した後に同僚から浮いてしま
うような人間になってしまっては、意味がない。
[2003年12月11日 8時9分9秒]

テーマ: 「その前に」の時間が長い親子。   
今現在、強迫的に夢中になっていることで、気づいたらそればっかりやっているし、放
っておくとそのことばっかりしゃべっているようなことならともかく、外からやって来
る「しなければならない課題」となると、「その前に」の時間がやたらと長い。能力的
にはできないこともないのに、けっこう好きなことなのに、なかなか始められないの
だ。
長男には、「その前にの時間が長い!」と叱っているが、実は私も同じなのだ。この件
に関しては、全体に対する現在値と進行度を視覚化した方が、効果があった。
パソコンのリマインダーは、毎日必ずやらなければならない枠組みなのだけれど、他の
ことをやっていると時計を見忘れてしまうことや、本当はやりたくないのにやらないと
みんなが困ることをを時間までにやるようにする効果があった。
[2003年12月10日 16時0分11秒]

テーマ: これからの三年間(Part2)。   
↓のようなわけで、これからの三年間は、私も忙しい。それに、特別支援教育が始まる
ということで色めきたっている業界には、かかわりたくない。
一方、子どもたちにもできるグラフィック系のソフトを探していて、「イラストレータ
ーさんは、カエルちゃんの絵を加工するのにこうやったのか!♪」と判明して感動して
いる。本物の画材を使ってやろうとしてもできなかったことが、3000円のソフトシェア
販売ソフトでもできることを知ったので、しばらくハマるかも。
(ちなみに、長男は今、電車とバスと車の情報収集に明け暮れていてそれどころではな
いが、次男の方はすぐに飛びついてきた。)
[2003年12月10日 8時33分55秒]

テーマ: これからの三年間。   
専門学校に行くようになったから手がかからなるなんてことは、決してない。むしろ、
これからの三年間こそが、正念場でもあり、集大成でもある。もちろん、能力的な限界
がハッキリした中でのことだ。
今までは、もともとついていきようのない中学の勉強をほとんど無視して、小学校5・
6年〜中学校1年の一学期程度の学力にボトムアップすることをやってきた。学力面で
は、そこで頭打ちになる。それ以上は望むこともないので、今やっている英語と数学の
基礎のワークが終わったら、日本語の中級に戻す。つまり、日本という「世の中科」の
学習。
これからは、その土台に立って、結果を出すためのトップダウンにシフトする。この時
期になると、よほど突出した技能を持った天才でない限り、「自閉症の文化」そのまま
で社会に生きることは不可能。たぶん、そのまま活かせる人は、AS全体の数%しかい
ないだろう。大半は、ほんのちょっとの可能性を、いかに最大限に発揮するかの勝負に
なる。
中学の三年間は私ものんびり構えていられたし、ちょうど次男の学習障害や行動障害の
方に重心を移していたけれど、これからしばらく長男が中心になるだろう。

といっても、来年はまた順番で小学校の役員、再来年も順番で隣組の班長。それが終わ
ったら、次男が中学に入る。次男の方は、なんとか行けそうな公立高校が近くにあるの
で、中学に入ったら学習面のフォローを考えなければならなくなる。それに、進学とな
ると、一波乱ありそうだ。
[2003年12月10日 8時23分23秒]

テーマ: どれかを代表にしないこと。   
自閉症の身体に閉じ込められた普通の人も、身体はそれほどでもないが精神的には心底
自閉症の人も、身体的にも精神的にも自閉症の人も、PDD/自閉症スペクトラム概念の下
では同じになる。
だからといって、どれが代表で、どれが典型ということはない。
[2003年12月9日 7時51分59秒]

テーマ: 一人娘のふうちゃん   
毎日新聞の<人ものがたり>に、「金子みすゞの一人娘に戸惑った日々」という記事が
掲載されたそうだ。
金子みすゞさんの生涯は、正に「文化的に高いところから低いところに島流しにあった
悲劇」で、今の私と全く同じ状況。私も、金子みすゞさんと同じ運命を辿る寸前だっ
た。
そこに私は生きないことに決めたので、今は解放されている。ふうちゃんと同じ覚悟を
決めたから。しかし、ちょっとでも“人間の心”を動かしてしまったら、毎日毎日、
「えっ!!!!」と思うようなバカバカしさの中にいることに、全く変わりはない。

それに対して、リアンさんは、生まれたところも文化的に高く、今いるところはもっと
高い。だからといって、受動型に幸ありと専門家が言うのは間違っている。
[2003年12月8日 9時5分21秒]

テーマ: ちょっと休憩。   
違う生き物の「感情」や「言葉」に付き合うのは、やっぱり疲れる。子どもたちがパソ
コンの基本操作をマスターするためのグラフィックソフトを探していて、自分がはまってしま
った。
そして、感覚過敏的なことを主訴にする人や、人とうまくやりたいのに仲間はずれにさ
れることを訴える人の方が多いように見え、しかも愛されている理由も、とてもよく分
かった。なぜなら、認知の障害が重かったり、考え方の偏りと固執が強い人は、世の中
的に通用しないことが多いし、正当な手段で訴えることもほとんどできないから。世の
中にかかわるくらいなら、自分の感覚世界や自分の理論世界に閉じこもっていた方が、
よっぽど平和だと思うから。
療育や客観化の機会に恵まれなかったこういう人が、たくさん埋もれている。また、た
とえ療育や客観化されたとしても、生来のものは変わらないので、時々、自分ワールド
に逃避したくなってしまう。世の中に芯まで侵食されないことは、精神安定のために必
要なバランスだ。
だからといって、療育や客観化されていない症状やバランスを保てない状態が自閉症と
イコールなのではない。既に、診断基準は変わっているのだ。

というわけで、この週末は、色と形と繰り返しの温泉に浸かっていた。
[2003年12月8日 8時20分0秒]

テーマ: 依存からの切り離し。   
幼児期から療育をやっていて、客観的な評価を素直に受け入れてフィードバックできる
ようになっているのは良いけれど、何でもかんでも聞けばいいと思っている長男。今、
依存状態からの切り離しをやっている。
具体的には、「冷めた抹茶ミルクの温め方」「自分のした後を振り返って、片付けてい
ない物がないかどうか見つけること」「出かける前に服装をチェックして、自分でおか
しいところに気づくこと」のようなものから、「今映っているテレビはどこの局か?/分
からない時は、何を手掛かりにしたら分かるか?」というようなものまで。
私が指示を出さなければやらないのはともかくとして、「どうすればいいか教えて」
「どうなっているか教えて」と長男に聞かれても、私は答えない。とにかく、まずは自
分でやらせている。
普通の人からすれば、「こんなことまで教えるなんて、過保護じゃないの!?」とも、
「まだ学生なんだから、やってあげて当然。」とも、と言われそうなことだ。そういう
ことを言うのは、発達障害児の実情と未来像が見えていないからで、しょせんは他人
事。従って、外野は一切無視。
それで、最近は、「自分からやった/自分で気づいた。偉いでしょ!」と言って来るよう
になった。・・・やっぱり、承認を求めていることに違いはない♪
[2003年12月7日 17時45分43秒]

テーマ: わぁい〜♪   
とだけ、書いておこう。(具体的なことは、二ヵ月後に。)

さて、初級まで終わった外国人向け日本語教科書のお勉強を、再開!
[2003年12月5日 18時2分13秒]

テーマ: グラフ化生活も、平和です。   
Excelを使って、進捗状況をグラフ化することで、作業効率がよくなっている。
確かに、「いま・どこ」にいるのか目で見て分かることも大事だけれど、毎日、パソコ
ンをいじって表とグラフを作れるのが、いいみたい。基本的に、グラフィク大好き人間
だから。
[2003年12月3日 16時45分46秒]

テーマ: 隠遁生活は、平和です。   
TEACCHとABAとソーシャルストーリーなんて言うから、おかしくなる。
[構造化]と[行動療法]と[状況説明と行動の指示]と言えばいいのだ。
それは、分かっている人がやりさえすれば誰がやっても同じで、しかも、営利目的では
なく本人のためにするべきもの。

世の中、よくなるかと思いきや、騒がしくなってきただけのようなので、私はカスミを
食っている。
[2003年12月3日 16時41分24秒]

テーマ: Excelを使ってみる。   
Excelを使うと言っても、習ったこともなければマニュアルも見ていないので、よく分か
らない。適当にボタンを押して、なんとかした。で、何をしたのかと言うと、「進捗状
況」を表すグラフを作ったのだ。
10個ぐらいしか項目がなければ「進捗状況」を目に見える形にするのも簡単だけど、た
くさんだったり時間がかかるものだったりするとなると、塗りつぶすための○や表を書
くだけでも一苦労。「進み具合」を書き込む前に、全体の枠を作るだけでうんざりして
しまう。それに、よくありがちな、「あと何日」みたいに数字が減っていくのでは、進
んでいる実感が見えない。
あっちこっちボタンを押している内に、何とかイメージ通りの絵になったものの、理屈
はよく分からない。まっ、分かれば良いってことで…。
[2003年12月2日 23時46分43秒]

テーマ: 限界と壁。   
限界が見えても、壁にならないものもある。世の中の方に、受け皿があるからだ。
例えば、学力は、幅があることは誰でも知っているので、比較的幅が広い。
しかし、限界≒壁のものもある。NLDとか、経済とか・・・。最近どうも、穏やかで
はいられない。
[2003年12月2日 21時11分48秒]

テーマ: 醍醐味♪   
初めて床屋に行ったことには特に感動することもなかった次男だが、先月辺りから傘を
壊さなくなったことは感動に値する。なにしろ、一度使えば壊れて返って来て当たり前
だった傘が、一ヶ月もつようになったのだから。
ウチでは、「壊した傘を買った代金はこずかいの現物支給分」とみなされることになっ
ているので、先月末の査定では、長いこと硬貨でしかもらえなかったこずかいが、お札
に昇格になった。(その間、いろいろな家内アルバイトで稼いでいた。)
今、欲しいものがあるので、あれこれ気を遣っているようだ。で、今月の査定基準も、
やはり「物の管理」。
[2003年12月2日 7時58分54秒]

※本人以外の書き込みはできません。
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