記事タイトル:2002年11月の『日記』(続きから) 


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テーマ: 本当に大切なこと。   
教科の得意・不得意があるとか、できることとできないことの差が極端だとかいうことは、それ
はそれで不都合には違いない。でも、成人後に、職業的に必要なことを後から必死で学習するの
は、よくあることだ。
それよりも、思春期の今、やっておかなければならないのは、慣用句・状況の読み取り・感情の
理解・目の前にないことを想像して書くこと。これは、小学校高学年レベルの国語の教材(主に
作文)を使うことで、ある程度カバーできる。
低学年レベルでは、知育教材や絵カードが必要だったけれど、中学年レベルでは言葉を使い、5
W1Hなどの論理的思考を中心にする。ここの期間が長かったので、今になってやっと高学年レ
ベルに入ったところ。
[2002年11月30日 18時25分7秒]

テーマ: 両方から攻撃。   
やれるだけのことは、全部やってきた。でも、それだけでは、どうしようもないことがある。

受容だけでも、教化だけでもダメ。両方要る。

特に、長男は中学生なので、今はトップダウンを多くしている。

つまり、{自閉症である・そして・社会に通用する}であって、どちらか一方ではないというこ
と。

でも、両方から攻撃されるので、時々やめたくなる。
[2002年11月30日 10時31分11秒]

テーマ: どちらでもあると、どちらでもなくなること。   
発達障害を持つ人は、そのままでは社会に適応できないことが多い。(もちろん、置かれている
環境と本人の状態によっては、特にそれほどの不都合にならないこともある。)
だからこそ、どこにどういう障害があるか見極めて、家庭・学校でどう過ごすか、どういうトレ
ーニングや教育を受けるかというところが重要になってくる。
しかし、一方で、社会の側にも理解を求めなければならない。

私は、どちらでもやっているので、どちらからも敵になる。

というわけで、永久に孤立。
[2002年11月30日 9時46分27秒]

テーマ: 療育。   
最初から、大枠を作っておくこと。
ボトムアップ・アプローチをトップダウン・アプローチにスライド的に移行していくこと。

よほど優れた突出した才能がない限り、居場所が与えられることはまずないから。
ほとんどの人は、スイートスポットが極端に狭いままではいられない。
本当にわずかな可能性の中から、どれだけのことを引き出せるかの勝負になる。

それがアスペルガー的な偏りであって、磨きをかけなければ技能として活かせないような丸暗記
的知識であるにもかかわらず、「博士」「天才」と呼ばれて大丈夫だと思われて通ってしまうこ
との方が、かえって危なかったりする。
[2002年11月26日 8時45分13秒]

テーマ: 分かる人にだけ分かる、業務連絡。   
診断がついたことで、「あれもできない、これもできない」と、できないことばかりが目に入っ
てしまう、“減点主義”のワナに陥らないように、要注意!
[2002年11月25日 21時30分59秒]

テーマ: 視覚優位と聴覚優位。   
自閉症というと、何でもかんでも視覚化すればいいと考えている人がいるようだけれど、聴覚優
位の人もいる。ただ、視覚的に分かりやすくすると良いということは、どちらにも言える。
それから、これは、認知や記憶の問題とも別なので、視覚的な記憶が強いからといって、視覚優
位とも限らない。とにかく、視覚情報と聴覚情報のどちらが入力されやすいか? どちらに頼っ
て、情報処理をしているか?ということなのだ。
ちなみに、どちらかというと視覚優位だけれど、私は両刀使いのようだ。視覚情報と聴覚情報が
統合されておらず、どちらか一方だけになっていることがとても多い。ドナさんのように両方い
っぺんに記憶しているのではないので、再生する時は別々になっているものを意識的にくっつけ
ている。そして、不快刺激を消すのにも、音は音で消し、画像は色や光で消し、言葉は言葉で消
している(ただし、「〜ない」という否定形にすると〜の部分が入力されてしまうため、肯定的
な全く別の文に置き換える)。

自閉症=視覚優位という固定観念が生まれてしまったのは、上に書いた「視覚的に分かりやすく
すると良い」というところを勘違いしている人が多いからだと思う。
知的障害を伴う自閉症児の場合だと、絵カードではなく文字カードを使った方が分かりやすいと
いう形で現われるが、どちらも「カード」なので、視覚化だと思ってしまっているのではないだ
ろうか? 
それから、高機能で自閉症の三つ組み(かかわり・意思伝達・こだわり&感情)の障害が軽いケ
ースだと、身体的な動作や視覚情報をすべて言語化することで解決することが多いため、非言語
性LDと診断されていることが多いのではないだろうか?
(これに関しては、自閉症スペクトラム概念を取る場合には、どちらも自閉症としておいて、指
導する際のプロフィール特性の違いとして把握することが重要になるが、連続性を問わない考え
方だと別になっているかもしれない。)
[2002年11月25日 13時33分32秒]

テーマ: トリムバレー大会。   
小学校だけではなく、中学でも、親睦会と言えば「トリムバレー大会」。
毎年 人集めに苦労しているのに何故いつまでも続いているかというと、「アンケートを取ると
これを書く人が一番多いから」なのだが、今年もやはり役員が電話をかけまくってやっと作った
チームがエントリーしている。まあ、ウチのクラスは、珍しく希望者の多いクラスで、役員だか
らといって参加しなくても良くて、ラッキーだった。
中学になると、こういう企画になかなか父兄が参加しないのは、そろそろ体にガタがきて、あっ
ちこっち痛くなる歳だからだそうだ。そういう理由なら通るのに、生まれつき運動障害があった
り、そういう行事に参加することが辛いことが理由にならないのは、どうしてだろう?

私が言いたいのは、「みんな同じで当たり前」なのではなく、みんなそれぞれに注意・認知・か
かわり・感覚・共感性が違うのだから、その「違いをお互いに認めよう」ということなのだ。
違うのであって、恥ずかしいことでもなければ、ダメなことでもない。
ダメ人間を返上するのではなく、「みんなそれぞれ違っているだけで、そもそもダメな人なんて
いない!」と主張するのが、発達障害を普及することの本当の意味だと思う。
[2002年11月20日 13時5分20秒]

テーマ: 本当の壁。   
本当の壁は、一般に発達障害が知られていないことではない。
知らないだけなら、知れば解決するのだから、壁=障害物にはならない。

問題は、知っていて、明らかに存在を否定しようとしている専門家がいること。
知れば知るほど、排除の対象にしようとする人々の感情。

例えば、学校で発達障害のことを語るだけでも、これだけの敵に出会う。
○遅れた人に合わせると(自分の)子どもの学力が低下すると心配する、親御さん。
○ガキ大将のいる大集団こそが学びの場、という回顧論。
○弱者に合わせると強者が育たないという、哲学。
                               これが、「現実」。
[2002年11月20日 10時54分34秒]

テーマ: “片付けられない女”の功罪。   
児童虐待をテーマに活動しているという安藤由紀さんの、自己肯定感(セルフエスティーム)を
扱った絵本の解説の中に、「良妻賢母を求められる日本の女性は、欧米の女性に比べて、自己評
価が極端に低い」という文があった。また、「世界的に見ても、女子は思春期以降に自己評価が
下がる」のだそうだ。
女の子から女性になる時に、社会全体の男尊女卑・商品としての性といった風潮を目の当たりに
して閉塞感を感じてしまうのが原因とのこと。

ADDの一部である“片付けられなさ”と日本女性の“自己評価の低さ”とが結びついてしまっ
たのは、全く無縁とは言えないのはわかる。
しかし、この見地だけで「発達障害」が語られてしまったのでは、マイナスをプラスに変えるた
めの地道な努力をしてきた人たちの苦労を踏みにじることになり、結局は全体のためにならない
と言えると思う。
[2002年11月20日 9時11分41秒]

テーマ: 何故か?   
みんなで、「ダメだ、ダメだ」と言っている。それだけ、みんな、ものすごく我慢している。
まあ、毎年、何かの役員(それも、一つだけではない)・家には要介護老人がいる…、なんてザ
ラだから。
そうして、年度始めには、「好き好んでここに来ているわけではない」とか「順番だから仕方が
ない」だとか「くじ引きで当たっただけだ」と言っていた人たちが、最後のまとめと引継ぎの時
期になると、なぜか今度は「役員をさせていただいて・・・」と感謝の言葉を述べる。

小学校では、何年も前から「自分の良いこと・友達の良いことを見つける教育」が始まってい
る。今年になって、中学にもその波が来ていることは、一年生の教室の掲示物からもうかがえ
る。
しかし、「社会」の方は、相変わらず「あれもこれもまんべんなく・人付き合いが第一」のま
ま。でも、この子たちが社会人になった時は、やっぱり、「世の中」の方に合わせるんだろうな
と思う。だって、みんな、学校の外で、したたかにも「社会」で通用するための習い事とやら
を、ちゃんとさせてるもの。
そこでは、「私は、これが得意です」なんて言ったが最後、すべての雑役が押しつけられる。ボ
ス格の人は自分の都合を公然と押し通すのに、その他大勢は、「能力的にこれはできません」と
は絶対に言えない。これでは、“適材適所”なんて、いつになっても実現しない。
[2002年11月19日 22時14分19秒]

テーマ: 自分を責める文化。   
「奥ゆかしい」とか「謙遜」ならば、立派な文化だと思う。
が、いつのまにやら、この国は「自分を責める」文化(?)に染まってしまったらしい。
「能ある鷹は爪を隠す」のは、懐が深いということであって、鷹をスズメに変えて「横並び」
「みんな同じ」にしろということではない。

日本の場合は、コーチが選手に対して「教えた通りにやらないからダメだ」とか「教えたのにで
きないのは、努力が足りない」と一方的に怒鳴るが、アメリカでは、「できないのは、コーチの
教え方が悪い」と言われるそうだ。

一番大きな壁は、「責める」人付き合い・自分付き合いから、「工夫する」人付き合い・自分付
き合いへと“変える”こと。
[2002年11月19日 13時58分0秒]

テーマ: 人。   
特定の人を想定するから、「人というものは裏切るもの」という結論になってしまう。
人一般、いわば、人のイデアに対して、「人は信じるに足るものだ」と“信じる”こと。
でも、その“信念”を形成し損ねている。そこが、一番の問題。

発達障害のことを、“磨けば光る石”のことだと思っている人もいるだろうけれど、その多くは
“磨かないと光れない石”でもあるという「基本」を忘れると、↑の状態のまま時間ばかりが過
ぎて行くことになる。
[2002年11月19日 9時52分41秒]

テーマ: 専門家の方々へ!   
適応障害のうつ病は、治ります。
見放されるから、ひどくなるのです。

どんな時でも、決して希望は捨てないで下さい。
それから、アスペルガーの性質を分かっていることを逆手に取るのは、やめてください!

それが、一番、傷つくことです。

特に、安心して近づいた時にそうされると、本当に深手を負います。
[2002年11月17日 20時55分54秒]

テーマ: フラッシュバックを止めるのは…。   
やっばり、人だ。

ここで崩れたら、私に期待してくれる人・見守ってくれる人に悪いと思うから。

生きていると、くだらないことがたくさんあるし、ろくでもないことばっかりやらされるし、イ
ヤなこともいっぱいある。そんな人たちに構っていたら、時間の無駄。過去の不快な出来事とし
か暮らしていないと、どんどん自分が落ちて行く。
人を信じられるようになると、落ちかけた始めのところで気がついて、そっちに行くなという声
がする。

だいたい、アスペの行動は、滑稽だったり目立ったりするので、あまり人に好かれるもんじゃな
い。それに、心の隅には「どうせ、見捨てられているに違いない」という気持がやっぱりある。
でも、騙されていたって何だって、こちらが信じていることが大事なんだと思う。
[2002年11月15日 23時13分52秒]

テーマ: やっぱり、いた。   
「最近の子どもは躾がなってない」とか「人の話を聞かないのは、厳しく言われていないから
だ」とか「子どもは地域で育てよう」と主張するオジさん。
でも、私のグループとは違うグループで、話し声さえ聞こえなかった。ラッキー! 最後の全体
発表の時に、「あのグループじゃなくて良かった」と、ニヤニヤしながら聞いていられた。
[2002年11月15日 22時59分21秒]

テーマ: 一つ、反省。   
こっちは、「お宅のお子さんに、今、ドロボウと言われましたよ!」とすごい形相のオバさんに
睨まれたり、「アンタのこどもはワガママだね。親のしつけが悪いんだねぇ。」と、わざわざ言
いに来たおっさんがトラウマになっているので、世の中の人はすべて発達障害児を躾のなってい
ない子どもと見ていると、思い込んでいる。
でも、ほとんどの人は、悪いイメージを持つまでもなく、全く知らないし、何とも思っていない
ということ。

しかし、こういう思いをしたことのない人には、NHKドラマ『抱きしめたい』で、主人公が恋
人に対してなぜあんなにムキになったのか? 自閉症マンガ『光とともに3』で、おばあちゃん
がなぜあんなに怒ったのか? 全く分からないのだろうなぁ。
それで、陰口叩かれて、いつになっても終わりがない。
[2002年11月15日 14時30分8秒]

テーマ: 逆効果。   
人と話が食い違ったことを、単純に言えば「話が合わなかった」、社会的に巧緻な表現をすれば
「自分が至らなかった」ということなのだろう。

人に言われたことを“音声”として記憶していると、違うことを言われた場合に、たとえそれが
相手が良かれと思って熟慮した上の結論であったとしても、その“好意”を感じるどころか、
“裏切り”と思ってしまう。
しかし、通常は、それでは済まない。たいてい、「否定された」→「してはいけないことをし
た」→「自分が悪い」→「いてはいけない」と展開していくので、言葉を探して答えようと務め
るのだが、フリーズしてしどろもどろ。なんか、拷問されているみたいだった。
それでも、後になって「御礼」と、迷惑をかけたことを「お詫び」するのを忘れて引き返したも
のの、わざわざ言いに行ったらかえって「失礼」なだけだと思ってやめにした。

で、こんなことを、アスペルガーの人たちとお付き合いするための参考資料になればと思って、
わざわざ書くと、「だから、コイツはダメなんだ」と言う根拠を与えてしまうことにもなってい
るらしい。
まあ、いいけど。これからずっと、99/100との闘いだから。
[2002年11月15日 11時30分25秒]

テーマ: 地域住民との教育懇談会。   
よく見たら、「地域に密着した子育てのあり方について」がテーマだった。

そういえば、教育基本法改正をめざす「中間まとめ」が発表になったそうで、今朝の新聞各誌で
は「社説」に取り上げられているとか。特別支援教育の「中間まとめ」はニュースにもならなか
ったのとは、えらい違いだ。
最近、役場が主催する教育関係の行事は、すべてこれ一色。やれやれ。
自分の責任ではない生来のマイナス部分に対して、叱られ、ダメ出しされ続け、すっかり希望を
なくしてしまっている子どもたちを“素行不良”と決めつけ、自分自身の楽しみを頭ごなしに否
定され、生理的に全く合わない環境に置かれて苦しんでいる子どもたちを“わがまま”と決めつ
ける教育熱心な地元の有志の方々が、「そういう子どもを地域で育てて更正させよう」と意気込
む、とんでもない集会。こればっかりだ。

どうして、生理的な理由で居場所が限られている人たちの生活上の不都合を減らし、能力的な偏
りのある人たちの限られたプラス部分を最大限に活かそうという発想ができないのだろうか?
[2002年11月15日 9時7分43秒]

テーマ: ギャップ。   
私にとっては、毎日毎日、自分の着ている服と格闘し続けていることや、全く違う感じ方を持っ
た人々で構成されている世の中にいるだけで、戦時下に置かれた人と同じ精神状態で暮らしてい
るというのに…。みんな、なぜそんなにも平和で、のどかに過ごせるのだろうか?

こうしている間にも、誰とも愛着関係を形成できず、主客がズレたまま成長して行くしかなくな
っている人が、たくさんたくさん埋もれているというのに…。

今日は、夜に、地域住民との教育懇談会なるものがある。また、近頃の子どものだらしなさは躾
がなっていないせいだとか、素行が悪い生徒にもっと厳しくしろだのという、ろくでもない話を
聞かされるのかと思うと、ゾッとする。
なぜ、みんな、生まれてくる子どもは一人前で当たり前だと思っているのだろうか? 確かに、
ウチの場合は、マイナス100から始まって、ありとあらゆることをすべて手取り足取りやって
きて、まだまだちっとも終わりがない。けれど、発達障害がなくたって、必ずしもすべての子ど
もがゼロからスタートを切れるとは限らないことを、どうして理解できないのだろうか?
(小学校では、生まれてからの自分の記録を作るが、今に至るまでの親の苦労話のほとんどが、
身体的な病気のことと決まっている。)
[2002年11月15日 8時11分19秒]

テーマ: 社会復帰。   
「みんな全く気にしていない」「誰も知りませんよ」と、片付けられてしまった発達障害のこと
を、毎日毎日真剣に考えていて、私はそれしかやっていない。
「えっ、どうして? こんな重大なことなのに!」と思うのだけれど…。でも、それを話してい
る本人(つまり私)自身が奇異なので、「あの人、おかしい」と見えているのかもしれない。そ
れは、自閉症らしい行動をしている人を目にして誰も気づいていない、世の中でよく見る光景の
一つだったのだろう。

今日は耳鼻科の医師とも、内科の受付とも、薬剤師とも、コンビニの店員とも、なぜか話の噛み
合わない日だった。
先日の中学での騒動は、どうやら私が社会復帰を果たした証だったらしい。それで、人に対して
ちゃんと話ができていない、と言うか、人に向かって言っているだけで人に対して言っていな
い、コミュニケーションをする意志さえもなくしゃべっているだけだということが、ビンビンに
感じられるようになってしまったらしい。
それは、三年前に、周りの人が自分とは全く違うことを考えていて、自分の方が異常だと気づい
たことに匹敵するショックだったのだろう。ただ、今は、多少は人を信じる気持ができて、あの
時とは全く状態が違うので、それほどに感じなかったのかもしれない。

で、何がこたえたかといって、やっぱり「状況が変わって、約束したことと違うことを言われ
た」ことについていけなかったことだった。
その場では、言葉に詰まり、繰り返しばっかりしながらなんとかかんとか話をまとめて終わった
ものの、予め頭の中に書いてあったシナリオと全く違うことをいきなり言われて、すっかりわけ
がわからなくなってしまった。これが、全く約束がなく、どうなることか分からなくて、いろん
な可能性をいくつも想定して臨んだのならば、あんなに混乱しなかっただろうに…。
で、家に帰って、ちょうどAmazonが送って来たばかりの「ソーシャルスキル」のテキストにあ
る“始めに思ったことが経過次第で心変わりして行くイラスト”を見て、今日あったことはこれ
だったのだと、自分で自分を納得させているところ。

社会復帰するということは、毎日がこんなことの連続になるってことかも?
[2002年11月14日 22時57分25秒]

テーマ: 教育と医療のギャップ。   
学校関係者の問題意識は、とても高い。学校間連絡網を使って、あっという間に広まるし、「も
っと教えてくれ」と言われる。

しかし、医療関係者の方は、「悪いイメージが伝わっているよりもなにも、とにかくみんな知ら
ないし、分からない」と言われる。
総合病院に行く度に、何らかの発達障害のありそうな子どもを連れた人が、いかにも迷惑そうな
顔をしたり、自分は関係ないと言わんばかりの態度で子どもの横に座っているのを、よく見かけ
るんだけどなぁ。

今のところは、親が気づかないと誰も気づかないのが、全国的なシステムなのだけれど…、
次に来るのは、問題意識を持ってしまった人が、その目で辺りを見まわすと、そこらじゅうにい
ろんなものが見えてしまうということ。でも、黙っているしかない。
乳幼児健診や学校でのアセスメントで分かるようになったとしても、親がその気にならなければ
何ともならないわけだから、これからは世の中全体の雰囲気がとても大事になってくるだろう。

ひとこと“自閉症”と言えば、何の説明もいらない社会を願って!
                        『光とともに・・・』(3)帯より

ホント、業界内部でシェア争ってる場合じゃないって!
[2002年11月14日 15時3分1秒]

テーマ: 100人に一人。   
いつも精神科で処方してもらっていた薬を、内科に振り替えてもらった。内科の先生は、とても
話のよく分かる先生。
ところが、薬局の若いモノときたら、「体、悪いんですか?」だって。もう、この薬局は利用し
ない。くだらないことで時間を潰してしまわずにすむように、ちゃんと自分を守らなければ。

分かってくれる人が一人増えると、その度にその周辺にいるとんでもない人に10人ほど出会っ
てしまうことになる。自分が動けば動くほど、イヤな記憶も増える。
でも、悪循環のサイクルが動き始める前に、立ち切っていけばいい。もう、先に進むしかないの
だから。

100人に一人は、自閉症スペクトルの人がいる。と、よく言われる。
けれど、私の実感では、100人に一人ぐらいしか話せる人がいない。
[2002年11月14日 14時44分11秒]

※本人以外の書き込みはできません。
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