記事タイトル:2003年5月の『日記』 


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テーマ: どっちがどうとは、言えません。   
 TEACCHやABAの対象になる行動や認知の障害と、AS状態の人に必要な、誤謬を修正し妥協す
るための「永遠のカウンセリング」。どちらが楽で、どちらが簡単だなんて、言えるものではな
い。
[2003年5月31日 9時39分56秒]

テーマ: 普段はできていること。   
 普段はできていることでも、ここ数ヶ月のように、回避しているトラウマを目の前に突き付け
られて鬱状態になり、向いの店の田舎の権化が、やってくる客の一人一人に大きな声で余計なお
世話の説教話をしているのが聞こえてくると、シャットアウト状態になってしまう。
 自分がめちゃくちゃになっている時ほど、まともな時にできていることをまとめておこうと思
って、「地球人から身を守る方法」を書き出してみた。
 (ただし、PTAの場合は子どものための活動であり、正しいことを教える大義銘文を持つ学
校がバックについているので通用することでも、田舎社会に対しては通用しないことがある。
・・・ひたすら人情と下ネタの世界。そして、一人離れていたり違うことをしている人がいるこ
とそのものに、向こうが耐えられない。それは、向こうの感情を著しく害するものらしい。)

【地球人一般対策】
1、挨拶を欠かさず、スモールトークに応じる。
2、自分の得意分野に話を持ち込もうとする癖を、よくわきまえておく。その話題を話して良い
  場・相手かどうか考えることと、講釈を始めて良いかどうか気を使う必要がある。
3、義務は果たすが、義務でないことには極力参加しない。特に、苦手を通り越して苦痛である
  事柄は、できるだけ避けるか、参加の程度を浅くするか、味方を探す。
4、ニュースを見ることを習慣にして、知識として丸暗記してしまう。(それを再生するだけ
  で、感心されることが多い。ただし、その話題から感情話に発展してしまったら、口出しし
  ないようにする。)
5、こちらからの挨拶や会釈は、必ずする。こちらがしても無視された場合は、仕方ないと諦め
  る。つまり、相貌失認だの、注意や感情障害の問題だの、こちらには対応し切れない接触が
  多くあったことだの、侵入経路違反や領界侵犯諸般への拒絶反応などの諸般の理由から「打
  ち解けないヤツ」と認めていただいたことは、ありがたいと思う。
6、黙っていられなかったがために、根本的な考え方や感情の違いをイヤというほど思い知らさ
  れてしまった時にも、仕方がないと諦める。星が違うのだから、張り合うことはない。(自
  分を取り戻すための音やグッズを使って、その記憶を消去してしまう。)
7、自分が、どこで活動すれば良いかわきまえておく。それ以外の場所では、できるだけ余計な
  エネルギーを使わないようにし、消耗しないように配慮する。
[2003年5月30日 18時37分27秒]

テーマ: 軽度が重度になる、ということ。   
 言葉・学習・行動の異常のないASの場合、見る人が見れば幼児期に判るが、たいていは思春
期以降、社会的孤立が目立って初めて「おかしい!」と言われるようになる。
 それまでは、いかにもASらしい行動や発言をしていても、ほとんど気にも留められずに放置
され、「またやってる」「また言ってる」では済まなくなって、「それじゃあ、生きてけない
ぞ!」になってしまうわけだ。(いまだに、「ASは、幼児期には何の症状もなく、思春期以降
に発顕する。」などと言っている一派がいるが、いい加減、ちゃんと勉強して欲しい!)
 なにしろ、本ばっかり読んでいるし(今なら、パソコンを使いこなしているし)、先回りして
何でもやってしまうし、きちんとしないと気が済まないので事細かに調べ上げることが得意なた
め、基本的な二者間関係すら成立していないことや、語用論的障害や社会的認知障害のカタマリ
で、がんじがらめになっていることに、だ〜〜〜れも気づかない。
 (ウチの子どもたちのように)幼児期の内から言葉・学習・行動の異常があって、「さあたい
へん!」と親が必死にできる限りのことをして育てるだけでも、全然違う。幼児期に問題がなか
ったからといって、明るい未来が保証されるわけではないのだ。
[2003年5月30日 15時25分56秒]

テーマ: 6月6日は…。   
 6月6日は、カエルの日です。
 今年は、かえるまつり
も行われます。私は行きませんが、現地在住の特派員を派遣して、グッズの収集に当たります。
今日は、これを見て、SSRIを飲まずに済みました。
[2003年5月30日 9時19分22秒]

テーマ: これからはきっと…。   
 二次障害を起こしていない人、社会に居場所のある人、特定の療法や団体の関与によって効果
の上がる人が脚光を浴びるようになるだろう。
 私の双極性障害までは確かに合併症で、それとは上手く付き合っている。だが、大うつ病の方
は、明らかにこの地に来てから発症した二次障害であって、ここにいる限り絶対に治らない。私
の嫌いなこの土地によって、せっかく克服してきたものがすべて台無しになってしまう危険は、
今この瞬間にもある。
[2003年5月30日 8時37分37秒]

テーマ: 人は…。   
 人は、「同情」できる人だけを助ける。そして、それを知っている人たちは、「同情」を呼ぼ
うと努力したり、「同情」されやすい人を看板に担ぎ上げたりする。「理解」することで助けよ
うとするのは、その能力の備わっている人だけ。
 ずっと海岸にいて、海の中を自由に泳ぎまわっているペンギンなら可愛いものだ。しかし、陸
に上がってしまったものの、海に帰る力がなくてひからびかけているかわいげのないペンギン
は、ギャーギャー泣くだけだ。(二次障害を起こしてしまったが最後、見捨てられるってこと。
それが分かっていたから、子どもの方はなんとか助けた。)
[2003年5月30日 8時31分23秒]

テーマ: 戸部けいこさんの偉いところ。   
 昨日の放送で、とても感心したことがある。それは、戸部けいこさんが、「誤解さえしていな
いことに気づいた」ことだ。
 誤解するどころか、全く関心がなく意識さえもしていない。これが、一般的。そして、「いい
じゃないですか。誰も気にしていませんよ。」「何をそんな騒ぐんですか?」と言われるのが関
の山。ひどい場合は、「どうして自分や自分の子どもを、わざわざ障害者にしようとするの
か!?」「どこもおかしくないじゃないか!」「ちゃんとできているじゃないか!」になる。
 誤解は、いつか理解に変わることを期待できる。しかし、全く見えていない相手は、絶対に変
わらない。そこには、絶望しかない。
[2003年5月29日 17時30分18秒]

テーマ: 分業。   
1、個々人の“違い”に全く無知で、誰もがみな“同じ”であることが正義であるかのように
 “できないこと”を責める。⇒完全に破綻する。
2、“いやなこと”“できないこと”から逃げてしまうために、何となく、または、仕方なく分
  業している。⇒状況が変わると、対応できなくなる。いずれ破綻する。
3、個々人の“違い”を認め、個々人の生活上の不都合を最少限度に食い止めるためのトレーニ
  ングを行う。それでも残る“できないこと”を把握し、無理のし過ぎや怠惰に歯止めをか
  け、個々人の“良さ”を最大限に活かす努力をする。⇒誰がやる?

 どんなことにも、“できない”が“できる”に、“わからない”が“わかる”に変わる時期が
ある。特に、成長期の子どもにはそれが顕著だし、その瞬間は、年齢を問わずドラマになる。そ
して、感動も呼ぶ。
 しかし、“できるようにならない”こと、“わかるようにならないこと”というのも、必ずあ
る。そうなった時に、どうなるか?・・・答えは簡単。「非情」の一言。
[2003年5月29日 17時22分11秒]

テーマ: ラッキーな床屋、発見。   
 田舎の町では、髪の毛を切る場所を探すのに苦労する。たいていの美容院は、いかにもオシャ
レな雰囲気で、ご丁寧なサービスがつきもの。ああしますか・こうしますかと尋ねられるし、ナ
ントカ診断までされる。勝手に週刊誌を持ってくる。しかも、途中にいろいろ話しかけてくるの
で、世間話が始まる。近所だと、「どこの・だれ・では・・・」から逃れることは不可能に近
い。(たいてい、黙って寝たふりをしている。)
 ところが、都会には、早くて・安くて・無駄がないことをウリにしている床屋がある。今日
は、昼をまたいで遠くの病院に行ったので、いちいちどこに何をしに行くか言わなくていいし、
お昼に帰ってこないことをブツブツ言われる心配もなかったので、思い切ってそういう床屋に行
ってみた。
 それは、魚河岸のとなりの食堂みたいな、サバサバした雰囲気で、とってもオシャレとは言い
がたいような店員が突っ立っているところだった。余計な話は一切ない。とにかく早い。勘定す
る時も、「カットです」なんてしゃれたことは言わない。髪の毛を切ってくれた、こまっしゃく
れたおっさんが、「切っただけです。切っただけです。」と大声で、レジのところにいるおっさ
んに聞こえるように、言った。
 髪の毛を切って、こんなに疲れなかったのは、初めてだ。
[2003年5月28日 23時10分25秒]

テーマ: 弁明。   
 今日の『福祉ネットワーク』で、「自閉症は、うつ病や引きこもりと勘違いされていて困って
いる。」とハッキリ言われてしまったので、弁明させていただく。
 ASの場合、うつ病の罹患率がとても高い。だから、AS成人が後輩の為に“生き方の指針”
を書く時には、必ず、自分自身がうつ病になってしまった経験に基づいて、「そうならないよう
に人生設計するにはどうすれば良いか」述べることが多い。
 まずは、自閉症者は、一般人にとっては何の苦にもならないことが感覚的に辛かったり、普通
の人にとっては楽しみとなるやり方での対人接触に非常な苦痛を感じていることがベースにあ
る。それから、一般人には何でもないことや言葉の端々が過剰に気になってしまい、なおかつ
“白か黒か”“全か無か”“善か悪か”で割り切ってしまうことも原因している。
 ASの場合は特に、普通なら疑問に思わないようなことまでもキッチリと追求しないと先に進
めなくなる。これは、知恵や学歴をつけたからそうなったのではない。元々、本の虫なので、誰
が教えなくても自分で知識を得てしまうし、それがまた大の得意なのだ。(そのためなら、医学
の専門書だって読んでしまう。)本がない場合は、自分で法則や法律を作ってしまう。しかも、
たいていそれは「こだわり」と容易に結びつく。
 しかも、こういう「思い込み」を無視せずに納得のいく説明ができるかどうかという観点か
ら、接触する人すべてを吟味し裁いている。思春期以降は、こちらが人類の力量を試していると
言っても良いかもしれない。私はずっと試し続けて来たが、役にかなう身近な人は全くいなかっ
た。もっとも、昔なら、リアンさんやアインシュタインやキュリー夫人(注:ASであったとい
う確証はないが、AS様であったとして取り上げられている)クラスでないと、無理かも。今
は、ちゃんと“そういう子ども〜♪”として育っているハズだよね〜ぇ!
[2003年5月28日 21時46分46秒]

テーマ: 決着!   
 肝機能の方は、急速に回復していた。水曜日の先生はやっぱり大当たりで、すべての疑問に答
えてくれた。
 まず、原因となったウイルスについては、EBウイルスのような有名で深刻なものについては
検査済みで、たちの悪いものではないことも判明。B型肝炎・C型肝炎でもない。未知のウイル
スはたくさんあるので何かはわからないが、風邪を起こすようなウイルスの一種とのこと。風邪
症状に見えた息苦しさは、胸腺の腫れによるもので、だんだん上に上がって喉が痛くなったの
は、リンパ節の腫れによるもの。また、左脇腹の痛みも、今回は脾臓が腫れているために当然だ
が、普段のものは腎盂腎炎だろうということだった。その脾臓の腫れも、最後にもう一度超音波
検査をして、最終的にはおさまったことを確認してくれるそうだ。
 また、(内科主治医がとても気にしていた)薬剤の長期連用や(私が個人的に原因だと思って
いた)カビによるものでは異型リンパは出ないことも説明してくれた。薬は通常通り飲んでいて
良いし、カビとアレルギーの検査もしてくれることになった。

 なんだか、金曜日に勉強不足で態度の悪い医者にかかった分だけ損しただけだったようだ。お
陰で鬱はひどくなるし、気にしないで何でも食べたらとんでもないことになった。近所の内科主
治医と水曜日の医者が言ったように、今朝から、肝臓や胃腸に負担をかけないように慣らして行
くパターンに変えたら、全然調子が良い。

 というわけで、心配してくださった皆様方、ありがとうございました。
[2003年5月28日 21時17分17秒]

テーマ: 見〜つけた!   
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肝臓病の食事は、以前は「十分なエネルギーやタンパク質をとり、脂肪を控える」ことが大原則
でした。ところが現在では、病んでいる肝臓に多くの栄養を与えても、かえって負担を増してし
まうことがわかっています。
肝臓病の食事療法の基本は「適正なエネルギーと栄養のバランス」。ただし、病態によって異な
るので注意が必要です。
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 人気があって予約殺到の水曜日の医者は、最新の医療情報をしっかり勉強している人なのかも
しれない。(近所の内科主治医も、その辺はしっかりしている。それから、何か言うと私がしっ
かり調べて来ることも、ちゃんと心得てくれている。)
 実際、昨日、「十分なエネルギーやタンパク質をとり、脂肪を控える」を実践してみたとこ
ろ、最悪の一日だった。


 余談だが、インターネットの病気診断を消化器系の項目だけでやってみた。風邪症状のチェッ
ク項目も、疲労に関するチェック項目さえも全くなくて、ウイルスに感染してダメージを受けて
いることも度外視しているのに、結果は「肝炎」「大うつ病(ちなみに、合併症は「自殺」とあ
った)」「躁鬱病」だった。・・・やっぱり、身体は正直。
[2003年5月28日 7時55分22秒]

テーマ: 情報源。   
 今回の病気について、わからないことを解決してくれたのはインターネットだった。自分で検
索して調べたこともあれば、メールで教えてくれた人もいた。←感謝!
 また、血液内科の医者にとっては、白血病でもなければ他のややっこしい病気でないことが血
液検査で判って、既に解決済みみたいな扱いになってしまったようで、たくさんの可能性があっ
た中の何であったかの説明が全くなかった。結局、近所の主治医に聞いたことと、インターネッ
トで集めた情報を元に確認して、どうすれば良いのかがわかったのだった。
 こういう情報の集め方をすると、とんでもなく余計な心配や勘違いをしてしまうこともあるだ
ろうが、初めにいろんな可能性を示唆されいて、ネットでそれについて調べたのであって、余計
な知識を収集したわけではない。こういうことをする患者に対して説明をしなかったり、バカに
したり、怒ったりするようでは、サービス業はできないと思う。なので、今後は、どんな事情が
あろうとも、金曜日には絶対に行かない。ものすごく混んでいて待ち時間が長くても、水曜日に
行く。(もともと水曜日の患者なので、何も言わなくても水曜日の予約になっている。)
[2003年5月27日 14時32分13秒]

テーマ: 早期発見・早期介入の意味。   
 幼児期からの療育がカギというのは、何も幼児期の内に治してしまうということではない。ま
してや、その時期を逸したらだめということでもないし、何をやったからどうだということでも
ない。思春期をどう過ごすかということなのだ。
 そして、普通の育児書の中に、ADHDやLDや自閉症やASがごく普通に載っているのが当
然であり、成人の本やドラマなどの中に、そういう人たちが大人になった姿が登場していて当た
り前なのだ。
 つまり、そういう子どもなのだから・そのように育て、そういう人なのだから・そういう人と
して社会にいる。しかし、現状では、そういう子どもとして育てられていないし、そういう人と
して社会に存在していない(社会に出られていないか、ソーシャルスキルを習得できて
いないが為に、誰かが困っている)。
[2003年5月26日 17時51分32秒]

テーマ: つまりそれは…。   
1、軽度発達障害を放置してきた、従来型母子関係の罪。
2、この世界で起こることは、ほぼ例外なく誰かの手がかかっており、自分自身が何の努力もせ
  ずに誰かによって奉仕されて当然ではないということ。
3、生活や自己責任といった、自立を目指しての教育を、家庭で行なってこなかったことによる
  破綻。
[2003年5月26日 15時51分8秒]

テーマ: どこまで付き合えばいいのだろうか?   
1、構造化しても実行できない、ルーティンのない者。遂行するためのスキルを教えても、その
  スキルを使うことができない(あること自体を忘れてしまう)者。そのスキルを覚えて、何
  とかしようという意志の全くない者。
2、身辺のことは、誰かがやってくれて当然で、他人は自分を盛り立てるために存在していると
  思っている者。
3、見るに見かねて誰かがやってくれてきたので、苦手なことからは徹底的に回避すれば、その
  内何とかなると思っている者。
4、社会的責任感やソーシャルスキルなど無くて良いと、思っている者。

 これらのことに悩みもしないし、無意識の内に無理をし続けて身体症状や精神症状が出ること
も決してない。
 実行能力障害は、療育しても身につかないこともある。しかし、こういうことが必要だなどと
はこれっぽっちも思わないような、王様気分で育ってしまった結果である場合。つまり、全くの
無自覚。逆に、これらのことを要求する者に対して、自分が被害者だと思ってしまうような場
合。これは、単なる発達障害の問題では留まらない。
[2003年5月25日 16時33分33秒]

テーマ: 腑に落ちないことが、もう一つ。   
 私は、脾臓の機能が弱いらしく、よく左脇腹が痛くなる。走ったからではなく、風邪を引いた
り無理をしすぎた後に、しょっちゅうそうなる。今回も、ピークの時には、シップ薬を貼らなけ
れば眠れないくらいに痛かった。
 金曜日に超音波検査をした時に、「脾臓がちょっと腫れている」と言ったので、「それで、左
脇腹が痛かったんですね?」と尋ねたら、「痛くなるほど腫れてない!」と、金曜日の医者は嘲
笑った。
 しかし、左脇腹が痛かったのは、紛れもない事実である。脾臓が何cm以上腫れないと痛くなっ
てはいけない、という法律でもあるのか!?
[2003年5月25日 10時3分3秒]

テーマ: なんてこった!!!!!!   
 8時開始の町内一斉清掃なのに、7:40に話し声が聞こえる。外を見たら、集まってくだら
い世間話をしている。これに間に合わないと遅刻で、罰金1000円!←バカバカしくて、やっ
てらんない!
[2003年5月25日 7時46分13秒]

テーマ: 仕事といっても…。   
1、自分自身が日常のルーティンを変えられないことによるもの。
  ←これは、やらないと気持が悪いので、苦にはならない。ただ、病院に行けば、雨戸を閉め
   たくても雨戸がないので、やりようがなくなるだけ。
2、自己管理のできない家族の管理をしなければならないこと。
  ←管理しないと、社会的にNG。これで緊張する。だが、管理されると文句を言われる
   ので、不快。
3、コミュニケーション障害者との接触。
  ←その傍若無人さと論理性のなさは、思い出すだけで苦しくなる。すべてが癇癪の原因。
4、忌避のための強迫的行動。
  ←自分と全く考え方の違う田舎人に、「これをしたら・こう言われた」「こうしなかったら
   ・こう言われた」という記憶がそのまま強迫観念になっている。

内科ではなくて、精神科に紹介状を書いてもらった方が、良かったのかもしれない。
[2003年5月25日 7時33分43秒]

テーマ: それから…。   
 水曜日の医者は、肝機能異常のために気管支炎の治療が途中で止まってしまったことを心配し
て、そちらの検査などもしないといけないと言っていたのに、金曜日の医者は、「ウイルスにや
られたんだから、息苦しかったり喉が痛くて当然だ。」と言った。お陰で、喉の痛みと頭痛がだ
んだんひどくなってきている。
[2003年5月25日 7時22分54秒]

テーマ: しかーし!   
 医者は、一つ計算間違いをしている。家にいて、安静にできるハズなどないのだ!(39℃の
熱があった時も、私は休んでいない)。しかも、今日は、小学校のリサイクルがあった。明日
は、集合時刻に行くと「遅刻だ」と言われて×をつけられる、オカシナ町内一斉清掃。
 今にして思えば、せっかく、家にいなくても良いように支度して出掛けたのだから、どこかの
温泉旅館にでも泊まれば良かったと思う。そもそも、一番初めに「即入院・要点滴治療」と言わ
れた10日前に入院していたら、とっくに治っている頃なのに…。これ以上長引かせないために
も、入院した方が良いのではないかと考えたのだった。(病気ばっかり見て人を見ない医者に
は、こういうことは分かるまい!)
[2003年5月24日 19時4分18秒]

テーマ: それにしても…。   
 DSMは恐ろしい。誰にでも平等に診断がつけられる操作的診断基準のはずが、使う人がどこ
で学び・どういう解釈をするかによって、全く違う結論が出されてしまう。合併しているとか優
先順位がどうかという問題ではなく、どこかの一文を根拠に、同じ状態の人がASにもADHD
にも適用除外にもなってしまうという現実。
 要は、ASがどういうものか、ADHDがどういうものかを分かっていることが大事なのに、
文言に人をあてはめるための基準になってしまっている。これは、明らかに本末転倒。
[2003年5月24日 10時7分48秒]

テーマ: 解決編。   
 まず、内科の主治医に相談。水曜日に即入院していれば、それなりの処置を病院で取ったはず
なのだけれど、その時点で断ったのでそういうことになったとのこと。つまり、水曜日に入院し
ていたら、点滴治療をまず行っていただろうし、数値が下がってくれば徐々に食事を再開するよ
うになるのは当然なのだが、水曜日に入院しなかったのでそれに準じて指示を出したのではない
かというわけだ。(“H”が消えていたのは意図的なものではなく、前回と比較するシステムに
なっているのではないか?とのこと。)
 いずれにしても、まだ高数値であることに変わりなく、入院患者に準じた療養が必要で、食事
も食べたくなった時に・食べたいものを・無理せずに食べれば良いという結論になった。

 それから、親戚の件。考える度に鬱の症状が出るので、早めに言ってしまった方が良いと思っ
て電話した。診断名はともかく、紹介した児童精神科医はとても良いアドバイスをしてくれてい
て、何かあったらいつでも相談するようにとも言ってくれたそうだ。
 なので、今後、相談はそちらにするようにとハッキリ言った。「こちらで受けてしまうと、気
軽に聞けるので依存してしまうが、医者はすぐに電話に出られないことが多いので、なかなか話
ができない。それに、医者に話すとなると、多少考えをまとめなければいけないと思う。前に人
から言われたことなどを思い出すし、自分で考える。そして何よりも、自分たち自身が覚えてい
く。それが大事。」と、言い渡した。
[2003年5月24日 9時32分25秒]

テーマ: 徳永(昔)を聴いて…。   
 例によって、混乱した時の徳永サン(モヤモヤ病前)を聴いて、考えた。
 39℃の熱が出て全身痛くて動けなかった時に、泣きながら頭の中で遺書をずっと書いている
自分を発見した当初は、ただの感冒性の鬱(これが、私には小学校の時からある)かと思った
が、どうやら「ここで起きることのすべてが鬱の原因」であることに気がついて、それが怖くな
ってしまったのだった。
 普段は、極力顔を合わせない、話をしない、何かぶつぶつ言っていることは耳に入れずぶつぶ
つ言われそうな場面を起こさせない、忘れる、何も感じない・何も思わないことで回避していた
のだが、同じ被害に遭っている親戚の愚痴をたっぷり聞かされたことで鬱が再発してしまった。
しかも、その相手が、完全な依存症で、すべての判断をこちらに委ねてきた。(この依存は、や
はりキッパリと断ち切るべきだと思う。すでに、相談できる児童精神科医を紹介したし、親の会
を探してあげたりという、できる限りの手配もした。ただ、最後の頼みの綱の児童精神科医が何
と言ったかが、問題。)
 とにかく、私の使命は、ここで潰されてしまうことではない。「一度も理解された経験がない
と、もっとひどい飼い主に飼われても、そのことに気がつかない。」ことをしっかりと伝え、二
度と同じ被害者を出さないことにある。
 まずは、肝臓を良くするためにはどちらの血液内科医の言うことを信じるのが良いか、内科の
主治医に聞いてみた方が良さそうだ。
[2003年5月24日 7時51分56秒]

テーマ: 本当に大丈夫?   
 診察室では、「良くなっている」と言われ、“H”が消えた検査結果を見せられたのだが…。
家に帰ってよく見たら、そのうちの一つは1しか下がっていなかった。しかも、“H”がついて
いないのは絶対にオカシイ、高数値だった。
 昨日私が診察室で言ったことは、水曜日の医者に言われたことほとんどそのままだったのだ
が、金曜日の医者はバカにしたように嘲笑った。数値が下がっているから、「楽になっているハ
ズだ。」と勝手に決めつけて、こちらの言うことは何も聞かないのは、良い医者の態度だろう
か? しかも、水曜日の医者は、いつも予約が満杯の人気のある医者。(いったい、どちらの言
うことを聞くべきなのだろうか?)
[2003年5月24日 7時28分21秒]

テーマ: 肝臓は大丈夫。   
 水曜日に即入院と言われたものの、子どもの学校があるので今日(金曜日)に伸ばしてもらっ
た。ところが、入院しても大丈夫なように片付けと段取りをして行ったら、数値が急に下がって
いた。(こちらは、医者や看護婦がびっくりするほど異常な数値が出ていてもけっこう平気で、
ちょっとしたことで大袈裟にダメージを感じるので、まったく区別がつかない。)
 しかも、水曜日には、この状態では何かを食べると肝臓に負担がかかって悪くなると言われた
のに、今日は、脂っこいものを避け暴飲暴食をしなければ、何でも食べるようにと言われた。医
者が違うからなのか、数値が急に下がったせいなのか、水曜日に医者から言われて気にしていた
ことを、今日はすべて否定されて、わけがわからない。とはいえ、水曜日の医者に言われたこと
を守って、昨日一日チーズ(インターネットで検索して調べた食材)とクラッカーだけで過ご
し、しっかり休んでいたことが効いたのかもしれない。

 さて、それはそれとして、鬱の再発防止策の方を何とかしなければならない。今回は、親戚な
ので、ついつい電話相談を引き受けてしまったものの、あれだけ依存され、しかもトラウマを喚
起することばかりズケズケ言われると、いくらなんでも参ってしまう。(肝臓が良くなったのに
だるくて気力がないのは、鬱から来ているものだ。実際、抗鬱剤を飲まなければならない状態
に、このところ何度も陥っている。)
 同じ依存でも、受容と理解が進んで行く依存なら良いのだが、受容できなくて愚痴を聞かされ
たり、理解できなくて何度も何度も同じことを繰り返し話さなければならない依存は、どこかで
断ち切らないといけないと思う。これ以上続けても、あちらはちっとも理解せず、すべての判断
を人任せにするだけなことは分かり切っている。
 しかし、どうしても避けられない事務的な用事が残っているのだが、一度でも電話をかけたら
また元の状況に戻ることが恐くて、それができずにいる。
[2003年5月23日 17時15分16秒]

テーマ: もう、我慢しない!   
 それが何なのか(主題)の説明もなく、何をどうすれば良いのか全く何も言わず、「オレの思
っていることが伝わって当然」しかも、されられることはすべて低俗。こんなところで、ひたす
ら自分を殺すしかなかったバカバカしい生活には、二度と戻らない。
 自分を殺す代わりに、壁を叩く。しかし、これでは何も変わらない。オカシイことには、オカ
シイと言う。嫌いな人には、嫌いと言う。できないことは、できないと言う。してはいけないこ
とにも、できないと言う。
 ただし、これは逃避や回避ではない。私は、できる限りのことはやってきたし、今もちゃんと
やっている。ただ一つ、理不尽なことを理不尽だと察知する能力が全く欠けていた。これが、そ
もそもの間違い。
[2003年5月22日 12時27分29秒]

テーマ: ここにいては、治療にならない。   
 ここにいては、鬱がひどくなる。それだけではなく、医学的な理解力の低さからしても危険。
なので、入院することに決めた。←って、入院していないことの方がオカシイのだけれど…。
(それまでは食欲が全くなくて安全だったのだが、一昨日から胃腸が動き出してしまったため、
「何も食べずに点滴」しないわけにはいかなくなったという、医療的な理由もある。)
[2003年5月22日 9時37分43秒]

テーマ: 理解不能者。   
 発達障害的視点を一切持つことができず、理解する能力が完全に欠如している人間には、何を
しても無駄なことが判明した。そんなヤツは、透明にして、一切心を動かさないことだ。心が動
いたが最後、自分が死ぬか相手を殺すかのどちらかになってしまう。
 というわけで、たとえ肝機能が回復していたとしても、明日、絶対入院することに決めた。
[2003年5月22日 7時22分46秒]

テーマ: 薬のせいではありません。   
 肝機能の異常を表わす数値は、日々上昇を続けている。今日は、血液内科で精密検査をしても
らった。始めに言われた通り、即入院・1週間の点滴治療が必要な状況に変わりはない。(一番
最初に言われた時に入院していれば、もう退院している頃だ。)学校があるので、入院するなら
金土日にしてもらった。でも、極力、入院は避ける方針。
 で、原因は、あくまでもウイルスによるもので、普段精神科の薬を飲んでいるからでもなけれ
ば、気管支炎の抗生物質によるものではない。←これに関しては、精神科だけでなく内科の主治
医もいるので、きちんと管理している。(今回は、異常なリンパ球が多数出たので、白血病かど
うかの確認もした。その心配は全くないとのこと。)
 ただ、別の状況の為に、鬱が再発しやすい状態になっている。これから逃れるためには、入院
した方が良いのではないかと思っている。
[2003年5月21日 19時18分1秒]

テーマ: もてなしの心。   
 旅番組や商売繁盛顛末記などを見ていると、「こう言われると・うれしい」「こうされると・
うれしい」が、自閉者と非自閉者では逆になっていることが、よくわかる。
 その違いを認める前に、「いかに普通になったか」を自慢したいという向きもあるだろう。
が、私は、まず“違い”を認めた上で歩み寄るという方針を貫く。
[2003年5月21日 7時8分23秒]

テーマ: 発言権。   
 人間扱いされている恵まれた人には、社会的発言権があり、発言するたびにファンが増えて行
く。(自分を人間扱いするように、上手に主張できる人も、そうかもしれない。)
 しかし、今現在人間扱いされていない人は、何か言おうとすると「黙れ!」と言われる。つま
り、永久に、発言さえ出来ない。
[2003年5月19日 13時26分1秒]

テーマ: 田舎の人は、良い人ばかり?   
 テレビの旅番組で、レポーターが田舎に行く。田舎旅番組では、出演者かレポーターか解説者
の誰かが、必ず、「ここの人は、みな良い人ばかりだ。」と言う。
 では、田舎の人は良い人ばかりなのか?・・・いや、それは、“いいひと”違いである。ここ
で言う“いいひと”と言うのは、たいてい「自分と似たような感じ方・考えを持っていて、付き
合うのに楽な人」ということなのだ。つまり、「話せば分かる人」ではなく、「話さなくても分
かる人」のことだ。
 まあ、精神科医の視点からすると、カウンセリングマインドが欠如した最悪の相談相手である
みのもんたが絶大な人気を誇っている国なので、“いいひと”の基準は、推して測るべし。
[2003年5月18日 18時56分17秒]

テーマ: 無理解に対する炎症。   
 そもそも、この世の中の、化学的・物理的・人的環境そのものが、生理的に合っていない。
 自分で勝手に作り、いかに手間暇かけたかとか・いかにくろうしたかとか・いかに貴重なもの
であるか等を自慢し、「おいしい」だの「身体に良い」だのと押し付けてくる地球人の親から逃
げたと思ったら、もっとひどい別の親が現われる。
 こちらにとってそれらのものが合わない理由はちゃんとあり、論文にも書いたというのに、そ
んなことが理解できるほどスマートなニンゲンは、ここには一人もいない。それどころか、毎日
毎日、これでもかと言わんばかりに無理解な言葉ばかり聞かされている。こちらはそれを全く無
視しているし、聞いたとしても心を動かさないことに決めている。
 (しかし、同じ状況にいる地球人の配偶者から、地球人のフィルターをかけた感情たっぷりの
愚痴をさんざん聞かされたのでは、たまらない。侵入的な質問をたくさんして来たので、一度、
本当にシャッターをガチャンと降ろした。しかも、これが依存性が強すぎる。こういう人の相談
は、制限を設けないと為にならない。もともと、自分で考え判断することに恐怖を感じているの
で、そのための材料を供給すればするほど依存してくることが、よーくわかった。)

 こーんなとんでもないところにいるので、高熱が下がらなかった時には、うれしくて小躍りし
たいくらいだった。近所や家で発生する葬式には出なくて良いし、うつるからという理由をつけ
て嫌なヤツの顔を見なくて済むし、だいいちこのまま死ねる。
 鬱病は、世の中の無理解に対して心が炎症を起こしているということなのだろう。
[2003年5月18日 9時29分7秒]

テーマ: 急性肝炎。   
 高熱の原因は、気管支炎だった(重度の風邪という位置付け)。しかし、息苦しいだけで、咳
は全くない。どうも、原因はカビらしい。
 鬱病と、その治療のために数年間寝ていたために落ちていた心肺機能も徐々に回復していたと
いうのに、1ヶ月前から息がし辛くてオカシイと思っていたことから考えると、どうも老人がも
のすごくカビ臭くて樟脳をビンビン効かせた服を着て家の中を歩いていた時期と一致する。もと
もと私は、すごいカビアレルギーなので、カビの生えた餅が一つでも部屋にあったら入らないく
らいに過敏なので、あれは本当にきつかった。
 で、その急性気管支炎は、ジスロマックという抗生剤で治り、四日間続いた39℃の高熱も下
がった。

 ところが、今度は、これらの薬(解熱剤を含む)の為に、急性肝炎になってしまった。こちら
も、長いこと抗精神薬とビタミン剤などを服用している(と言っても、微量)と肝機能が落ちる
ことが分かっていたので、次第に減らしており(現在は、ソラナックス1/4錠、デプロメール
1錠のみ)、血液検査の結果も非常に良くなっていただけに、残念だ。
 (デプロメールはやめるとヤバイことになるので継続するが、体温調節の切り札だったソラナ
ックスは、今後思うようには飲めなくなるかもしれない。つまり、仕事ができなくなるかも。)
[2003年5月18日 6時30分52秒]

テーマ: それだけ抽出できない。   
 発達障害だけを、純粋に抽出することはできない。主観的な思い込みが必ずしも的を得ている
とは限らないが、客観的な判定も当てにならない。そして、正しい方法を知ったからといって、
すぐに治療ができるわけでもない。それに、理解や受容ができない周辺住民からの愚痴を、たっ
ぷりと聞かされる。
[2003年5月16日 7時58分32秒]

テーマ: 適用除外にも、いろいろある。   
 あまり不都合がなく、本当に診断が不要な人もいる。(客観的に見れば明らかにそうだが、周
囲の人も特に不都合を感じていない。)
 しかし、本人自身には何の自覚もないが、自分が社会的に通用していないことを薄々感じてお
り、本人自身の社会的認知障害やソーシャルスキルの欠如の為に受動的防衛をしている場合、絶
対に何らかの問題を引き起こす。なのに、それを本人には言えない。(言うと怒るし、言われて
も決して反省しない。)
 この遺伝子が、あっちこっちで問題を起こしている。自分の家の中では相手にしていないが、
これだけたくさんの問題をあっちこっちで起こされると、付き合い切れるものではない。
[2003年5月15日 15時11分44秒]

テーマ: 一番の加害者は…。   
 自分こそが、一番の被害者だと思っている。自分のやりたいことが自由にでき、自分の欲情は
すべて満たされるべき、自分の好きなことに打ち込める環境を作るのが家族だと思っている。そ
れなのに、自分がやりたいことは自分一人が勝手にやりたいだけだった、欲情は我慢しなければ
ならない、自分の世話をしてくれるはずの家族の為に、自分が何かをしなければならなかった。
それで、自分が被害者だと思っている。
 回避性人格障害者に溺愛されて、療育どころか躾もなにもされずに激甘に育てられ、読字障害
とADHDの為に論理的思考ができず、従って、ソーシャルスキルゼロの自己中ドケチ人なら、
さもありなん。
[2003年5月15日 15時3分6秒]

テーマ: ↓の書き込みを自分で書いて…。   
 もしかしたら、これは風邪かも?と思って熱を測ったら、38℃あった。それから二日間、
39℃前後の熱と頭痛と全身の痛みに苦しみ、鎮痛解熱剤を飲めば良いことに気づいたのは昨日
だった。(しかし、座薬で下痢をしてしまい、今朝になって買い置きの薬を自分で見つけて飲ん
だ。)
[2003年5月12日 7時5分16秒]

テーマ: 情緒障害好きな国民。   
 この国では、元に発達障害があっても、親子関係が悪化しているとか諸般の事情から情緒的な
問題が絡んでいる場合、努めて“情緒的な問題”として片付けたがるのは、なぜだろう? しか
も、精神科の医師にも、その傾向があるようだ。
 恐らく、自分たちの発想では、“情緒的な問題”と考えるのが最も楽なのだろう。どうして、
「初めに発達障害ありき」という、簡単なことがわからないのだろうか?
 明らかな診断が下っていてさえ、こういう傾向がある。ましてや、学校や家庭外で問題行動が
ないとなると、これはもう親が過剰に心配しすぎているとか、親の考え違いだとか、ただの“個
性”としかみなさない。DSMの除外規定は、そのための道具に利用されているとしか思えな
い。「本人自身の実感なんてどうでもいい」とでも言いたいのだろうか!?・・・いや、実際に
そう言っている。

 関係ないけど、今日のこの寒暖の差は非常にこたえる。全身痛いし、動くのもたいへんだ。
 これは、私にとっては非常に明白なことで、これ以上自明なことはないれっきとした「事実」
なのだ。でも、世の中的には、「怠けてる・サボってる・情けない」ことにしかならない。
 サーモグラフィかなんかで測定すれば、証明できることかもしれない。でも、それが辛いこと
は認められたとしても、「たいへんだね」で終わってしまうばかりか、「そんなの理由にならな
い」と言われるだけだ。私的には、こんな状態で強要されることは、れっきとした搾取である。
 もっとも、クラスのほぼ全員にとって楽しみであるはずの「遠足」が、私にとっては拷問以外
のなにものでもなかったことだって、同様に処理され続けてきたのだった。←今日、次男が遠足
で、本当に楽しんでいるのを見たので、これも思い出してしまった。

 こういうものは、こちらが透明になるしかないので、寝るか音で消すかのどちらかだ。
[2003年5月9日 18時0分18秒]

テーマ: 透明人間。   
 自分の人生に組み込むほどの価値のない現実の人々(つまり、そのことに余計なエネルギーを
費やすのは無駄であるような人々)の方を、透明にしてしまう。仕方がないから存在だけは認め
るし、社会的な責任は果たすが、自分の心まで乱す必要は全くない。そして、自分がすべき仕事
を、その価値を認めてくれる人々と共に、黙々とやる。
 「ここにいるけど・ここにいない」から、「ここにいないけど・どこにもいる」に変わった。
それを可能にしたのは、やはりパソコン。もし世の中に、この仮想現実の世界がなかったら、私
は本当の無になってしまう。その裏社会が、表社会を変える日はきっと来ると、確信している。

 そういえば、中学に入ってからウチの長男をサポートしてくれたのも、パソコン関係者だっ
た。長男は、システムや構造を自力では理解できないので、誰かにお膳立てしもらわないとパソ
コンを使うことはできないが、“理科の先生で情報技術部の顧問”の先生や、“学校中で一番パ
ソコンに詳しい先生”が見事にリレーして受け持ってくれた。現在、家庭でのパソコン学習が公
認されているのも、そのお陰。
 現実指向が強い、身体派の人々が、どんなに巻き返しを計って世論を先導しようとも、この道
が閉ざされることはあってはならない。
 パソコンやテレビが壊してしまう人間関係もあるかもしれないが、パソコンやテレビのお陰で
人や社会との関係を持てるようになる人は、確かに存在するのだから。
[2003年5月9日 8時58分16秒]

テーマ: 子育て事情に敏感なわけ。   
 発達障害の子どもの親は、まわりの人たちの子育てしている様子にとても敏感になることがあ
る。
 なぜなら、普通の何倍も手をかけ・目をかけ・考えないと、毎日の生活そのものが成り立たな
いような子どもを育てているからだ。(もちろん、発達障害のことを知らずに、逆の方向に突っ
走っていることもあるけれど…。)
 にもかかわらず、子どもの様子を見て、「躾がなってない」とか「親の態度が悪い」と言われ
続け(常に、後ろ指さされているような気がしていることも含む)、実際、子どもはなかなか一
人前にならない。
 人様に迷惑をかけて謝ったり、年齢にふさわしくない行動に恥をかいても、自分のやって来た
ことに自信を持ち、「この子はこれでいい」とほほえましく見つめているなんて、並大抵ででき
ることじゃない。(私から、勲章をさしあげたい。・・・イラナイかぁ?)
[2003年5月8日 22時14分21秒]

テーマ: 中学校の体育館。   
 小学校の体育館はそうでもないのだが、中学の体育館は不快。
 話の途中でものすごい音がしたので、晴れたはずの天気がまた悪くなって急に大雨が降り出し
たのかと思って外を見たら、暗幕を貼る音だった。それに、マイクの音は、耳を塞がずにはいら
れない。(これは、マジで耳栓が要る。)
 しかし、もっとも不思議なのは、私以外、誰もそれを不快に感じたり驚いたりしていなかった
ことだった。
[2003年5月8日 21時52分46秒]

テーマ: 除外規定再考。   
 ADHDでもASでも、DSMには「その障害は社会的、職業的、または他の重要な領域にお
ける機能の臨床的に著しい障害を引き起こしている」のでなければ診断から除外する、という規
定がある。
 しかし、今現在は社会不適応を起こしていないからといって、将来的に起こすだろうと予想さ
れている場合も除外されるのは、おかしいと思う。それから、元にごく軽度の発達障害があるこ
とに気づかずにいて、情緒的な問題や二次的な問題が大きくなっているのに、「発達障害は子ど
もの障害」として片付けてしまうのも考えものだ。(それに、家庭内暴力は社会不適応に該当し
ないという日本的な発想も、どうかと思う。人が二人以上いれば、そこはすでに社会ではないの
か?)

 社会不適応を起こしていなければASと診断されないというのなら、リアンさんもASではな
いことになる。それを知っているので、ご本人も診断を不要としている。(しかし、どうやら、
リアンさんの父親もASであると分かったらしい。確定診断を受けたのかリアンさんと同じ経緯
で確信したのかどうか、私は知らない。)
 しかし、医学的な診断からは除外されるけれど、教育的配慮や本人の人生の問題としての自覚
が必要なケースは非常に多い。もし、DSM遵守をうたうのなら、今現在は、第5軸の「機能の
全体的評価」のどのあたりにいて、将来的にどのような問題が起きると予想できるかというとこ
ろまで言うのが筋なのではないだろうか?
[2003年5月8日 9時1分4秒]

テーマ: 三者択一。   
「個性」として片付けるか、
「親子関係に問題がある」として、親の再教育に躍起になるか、
「障害」として、したり顔で“教えよう”とするか。

どうして、このうちのどれか一つだけを選ばなければならないのだろうか?
[2003年5月7日 17時47分11秒]

テーマ: 中途半端に広まって…。   
○一般社会では、まだまだLDやADHDやASというものが、この世に存在していることさえ
 も言えない。

○学校では、LDやADHDやASというものがこの世に存在していることから説明しなくても
 よくなりつつある。
 確かに、存在証明をする必要はあまりなくなったけれど、「全く知らないので、教えて欲し
 い」という人も減ったような気がする。逆に、「知ってますけど、気にしていません」という
 人が増えたみたいだ。

 学校生活上の支障がなければ、先生には“普通”の子としか見えないのだろう。しかし、学校
では我慢していて、家でだけ問題行動を起こす子もいるし、学校でも家でも何の問題もないとみ
なされているけれど、見る人が見れば十分に危ない(今後、不適応を起こす可能性がある)子だ
っている。
 学校に適応しているからといって、社会生活に適応できるとは限らない。逆に、学校に適応で
きないだけであって、社会から落伍したわけではない子だっているだろう。
 名前が知れるようになったことで、説明が省けて楽になる面もあるかもしれないが、無理解・
誤解・曲解との闘いは、果てしなく続いていくような気配。
[2003年5月4日 22時37分15秒]

テーマ: 『光とともに・・・』4   
 小学校入学以来、順調(←一般的にはそうは言わないかも)に療育の成果をあげ、軌道に乗っ
た光君に、学校の現実が襲いかかるの巻。
 自閉症の子どもを学校にやったことのある人なら、誰にも思い当たる節があるような先生が、
続々と登場。でも、その先生が“気づく”過程が今後描かれるようなので、乞うご期待!といっ
たところでしょうか。←私は、秋田書店の回し者ではありませ〜ん。

 しかしながら、自閉症を描いた作品って、どれも本人の行動が落ち着くまでは自閉症の話なの
だが、その後は際限なく地球人のドラマになって行くのは、なんでだろー? つまり、本人はそ
のまんまで、変わって行くのは周りの方。今回は、地球人の観察ができて、おもしろかった。
[2003年5月2日 18時1分53秒]

テーマ: コストの削減(できること・できないこと)。   
 どうしてもできないことがあってこだわりが強いと、日常生活するためにコストがかかる。そ
れに、人手が必要になることもある。
 この、“生活するのにコストと人手がかかる”というのが、地球上では最も嫌われるところ
だ。なぜか、日常生活では倹約することが美徳で、ブランド品や服や宝石に金をかけてゴージャ
スななりをしていると、もてはやされるらしい。
 家一軒まるごとクリーニングに出したいと思っているのを我慢していることは、節約でもなん
でもないが、この不況の最中、こだわりと両立させるために多少は考えている。
 例えば、私は、何をするにも強迫的に手を洗うので、ウチの水道使用量はめちゃめちゃ多い。
しかも、一定温度以上のお湯でないとキレイになったと認めない。従って、ガス代も高い。この
経費を削減するために、水道のコックをきつくして、一度に出る水量が少なめになるようにし
た。それから、お湯を使わないとキレイになったと認めないのは、掃除の後とお皿を洗う時だけ
に限定するように、ルールを変更した。
−−−それでも、地上の価値観では無駄とされるコストが、いつまでもかかってしまう。

 教育に金をかけることは、健常児でも障害児でも批判の対象にはならない。だが、療育のため
の道具を買ったり作ったりしていることは、全く価値を認められることではない。
 ここは田舎なので、塾・家庭教師・習い事に金をかけていると、立派な子育てをしているとも
てはやされるが、パソコンソフトを使って家でやっていることは自慢話にしかならない。(とい
っても、ウチで利用しているソフトは、受験勉強用のものではなく基礎のものなので、月謝を払
い続けるのと比べるとめちゃめちゃ安いのだ。これも、コスト計算をちゃんとして始めたこと
だ。)
 そして、塾・家庭教師・習い事に金をかけた家の子の中には、部活動で活躍したり、レベルの
高い学校に進学したり、良いところに就職したりというブランドを獲得する人が出てくる。つま
り、金をかけた分に見合う結果が出る。そうなると、その子育てが成功したと関連付けられる。
 しかし、ウチの子どもは、どんなに手をかけ金をかけても、自立する見通しは立たない。ほら
見たことか、になる。こっちはマイナスから始まっていることは、誰も知らないから…。
−−−結果が出るとは限らないコストが、いつまでかかるかワカラナイ。
[2003年5月2日 9時58分41秒]

テーマ: ニアミス。   
 そんな(下のような)頭の時に、バリバリの地球人から子どもが行事に参加するかどうか聞く
ための電話がかかって来たって、とっさに脳ミソが入れ替えられるはずがない。どこのだれ? 
何の用? そんなことあったっけ?の状態なのに、えらく早口で事務的に聞かれたので、YES
なんだかNOなんだかわからないへんな日本語で答えてしまった。気になったので、こちらから
電話をかけなおした。今度は、相手の名前と、用件と筋書をメモに書いて、きっちり説明した。
 考えてみれば、日本語がおかしいことの方が普通で、電話をかけなおすことの方がおかしいの
かもしれないけれど…。
 まあ、そういうことがあっても、相手の聞き方が悪いだと怒ったり、何かの陰謀だのと勘ぐっ
たり、間違ったまま最悪の事態を迎えることを想像したりすることもなく、いつまでもこのマズ
イやり取りの音声記憶が頭の中で再生され続けることもなく、こうなってしまったメカニズムを
冷静に分析できているのは、ここ数年の学習の成果だ。←そもそも、こんな風に分析することか
ぁ?(しかし、日常の一つ一つのニアミスについて、これくらいの妄想を巡らすことは常なので
ある。私は。)

 今度こういうことがあったらどうすればいいか考えたところで、同じことは絶対に何度も起き
るでしょう。そして、同じように混乱頭に陥るでしょう。
 かといって、周辺住民に、「私に何かを聞く時には、前もって日時と用件を伝えるように」と
言ったところで、???と思われるだけなことも分かっている。また、とっさに頭が切り替わっ
て自動運転状態になれば、逆に、ものすごく素晴らしい受け答えもしちゃうし…。
 私の頭の中で余計に飛び交う不安分子を鎮めるための方策が取れて、仕方がないねと思えるよ
うになったことが、大きな収穫だったかも。
[2003年5月1日 22時42分40秒]

テーマ: 学習ソフト。   
 このところ、長男の勉強のことで頭が一杯。英語の単語やら、数学の公式やら、歴史用語やら
が頭の中を飛び交っている。今日は、注文した学習ソフトが来て試しにやってみたりして、すっ
かり“学習モード”になっている。(一緒に来た、『光りとともに4』を受け容れるスペースさ
えも脳にないので、そのまま置いてある有り様。)
 まあ、明日からはパソコンが本格的に先生をやってくれるので、ちょっとは気が楽だ。なにし
ろ、家庭教師を頼んだところで、特別支援教育を知っているわけではないし、塾に行かせても一
対多の授業じゃ全く意味ないし、一対一で教えると何も考えずに言われたことをそのまんま書い
てしまうので、パソコン学習を選択したという次第だ。これなら、画面には一つ一つ出てきて注
意がそれないし、人がいないので自分の頭で考えるし、間違えても明るくやり直せる。
 (とはいえ、子どもたちにマウスを触らせると、びたびたにされるので、私的にはあまり喜ば
しいことではない。しかも、明日からの連休は、パソコンを占領されてしまう…。←そんなにい
っぱいやれるかぁ?)
[2003年5月1日 22時40分54秒]

テーマ: 最近は…。   
 最近は、ブームなので、今まで教育一般をやってきた人や、障害児教育をやって来た人が、こ
ぞって“自閉症”業界に参入してきている。自閉症のことはよく知らないが、自分たちのやって
来たことが自閉症にも通用するとか、たまたま教室内にいた自閉症児を例に出して、「ほ〜ら、
こんなに良くなった!」という風にウリに出すことは、十分に考えられる。
 一方で、「我こそは自閉症のプロフェッショナル也!」とうたいあげるカリスマ専門家が現わ
れて、名乗りをあげている。
 こんな二極分化状態が、いつまで続くやら…。それどころか、日本では、多極分化がどんどん
進行しつつあるように思う。私はカヤの外にいるので、まあ、好きにやっとくれ!
[2003年5月1日 15時43分26秒]

テーマ: なぜ?   
 なぜ、日本では、『これで自閉症は治る』だとか『これで自閉症は良くなる』という本ばっか
り出るのだ???―答えは簡単。自閉症を知らないからだ。
[2003年5月1日 15時18分5秒]

※本人以外の書き込みはできません。
テーマ



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