普通の感覚

いわゆる"感覚"の異常というのは、「自閉症」に必ずしも付き物ではないと言われているし、診断基準にも入ってはいません。けれど、全く感覚異常の無い自閉症者がいるかどうか確かめた人なんていないし、本人の感覚の問題だから確かめようが無いというのが本当のところではないでしょうか? だいたい、本人にとっては生まれつきのものだから、「ずっとそういうもんだと思ってきたことが実は人と違っていた」と人に言われなければ気づくはずが無くて当然ですから。

感覚の異常が過敏にせよ鈍感にせよ、度を越していれば何らかの明らかな異常に現れるので比較的簡単に(といっても、そういう事情に詳しければの話しだけれど)見分けがつくでしょう。過敏か鈍感かと言っても、高機能者の回顧録はほとんどが過敏を訴えていることは、何かを物語っていると考えざるを得ません。感覚の異常から起きると思われる他の障害を考えて見ると…

触覚の異常

  1. 接触防衛反応が強ければ、人に触れられたり抱っこされることが不快なので、人と係わることに重大な障害となる。
  2. それほどでもなくて、抱っこされても丸太のように体を硬くして自分からしがみつかないという程度でも、自分と自分に係わってくる他の人間達との関係はよそよそしいものである。
  3. はたして、触覚の異常が先なのか他人への関心の無さが先なのか、他の理由があるのかどうかは別として、自分に係わり・自分にとって有益で・自分も模倣すべきものとして"他人"を捕らえていなければ、そちらに視線を向けること(アイ・コンタクト)もないだろうということ。

聴覚の異常

  1. これらのことが同時に複数あり、その程度が重ければ、発語が遅れる可能性が高い。
  2. これらのことの程度と項目の組合せによって、自閉的な特徴を持ついろいろな形の言語の遅れとなって現れる可能性がある。

視覚の異常

  1. 蛍光灯の点滅まで見えてしまうというような重篤なものならば、パニックを起こすほどになって当然ということ。
  2. 普通の人に見えていない光線が見えている、普通の人よりも光の刺激が強く感じられるという程度でも、物や人を直視する妨げになりうる。

こうしてみると、だいたい、自閉児が幼児期にとる奇妙で親を困らせる行動というのは、感覚異常によるものが多いような気がします。でも、過敏性がわずかで、ほとんど表だった異常として現れないからといって、ただのワガママと片付けて欲しくないと思います。

例えば、私の場合のように、触覚と視覚がちょっと過敏で聴覚は注意散漫という程度のものだと、言葉や認知の遅れや行動に現れるような障害はまるでありません。けれど、他人、ひいてはニンゲン一般に関するデータというのは、非常に不足しています。その為に、私は普通に振る舞うことは出来ても、普通に人と係わることは出来ないのです。そして、どうしていいか分からない不安がいつもつきまとっています。

たまたま、私は、自分の子供達の行状や他の自閉児・自閉症者の様子と自分の体験とを結びつけるたくさんの機会に恵まれました。そして、テンプル・グランディンさんの著書を読んで、どこが普通と違っていたか知ることが出来ました。何のへんてつも無い"茶色のサングラス"とSSRIが、生活に欠かせないものとなりつつあります。(後者は、そうなっていいかどうか疑問ですが。)

普通の人って、こんなに楽な世界にいるんだから、自然に他人に関心が向いて当然だと思います。一方、私が、外の世界に注意を向けようとする時には、「よっこらしょ」と掛け声をかけて体を持ち上げる必要があります。しかも、一度に一つのことしか出来ません。ただ、普通に見えるからといって普通に振る舞うように要求されて、普通以上に振る舞ってきた今までの自分は、どんなに無理を重ねてきたことでしょう!!! もう、ここらで一息入れたっていいんじゃないかって一人で勝手に思っています。そこで、一言。

普通の人ってズルイ! だけど、つまんない!


        

「SSRIのおはなし」へ   「ペンギン日記」へ  「苦労みそアメ」へ