同居人の条件
〜イアンという人(『こころという名の贈り物』より)〜
- 店内の他の店員とは違って、彼の対応は、驚くほど間接的だった。礼儀正しい親密さと、快い笑顔をふりまきながら相手をしているものの、あくまで距離を置き、感情を交えない。(P251)
- わたしたちは、防御のための自己コントロールがお互いあらわになってしまっているのを見て、少しずつ、武装を解いていったかのようだった。(〃)
- イアンもまた、「消える」のが上手な人だった。(〃)
- 「気にしてないよ。ぼくのことがいろいろわかるみたいで、びっくりしているだけだ。他に誰もそんな人はいないから。」(P252)
- イアンにとって、社交的であるということは、相手の期待や要求に完全に自分を合わせ、それらにまちがいなく応えるということだった。そしてわたしに対しても、そうしようとした。何らかの表情を捜して、読み取ったり解釈したりしようとする。ことばの上での合図や手がかりも捜して、見落とさないようにしようとする。ところがわたしの場合、そうしたものはひとつも現れないのだ。おかげで何のきっかけもつかめず、イアンは困惑した。それもそのはず、わたしには、期待も要求もなかったのだから。(〃)
- 「どうしてそんなにぼくのことがわかるの?」(P253)
- 「ぼくは自分のことなんか全然好きじゃない」・・・「自分の人生は、少しも幸せじゃない」・・・「自分が誰かもわからない」・・・「あらゆる場面、あらゆる相手に合わせて、ぼくにはいくつもの顔がある。」(P254)
- わたしたちが装うイメージは、あまりにもすべてにゆきわたっていて、本来の自分というものを、完全に否定しているちということ。・・・(中略)・・・ことばづかい、姿勢、声の高低、抑揚、信じていること、好き嫌い、表情、興味の持ち方。それらすべてが、どこからか拝借してきた人物のイメージごとに、はっきりと違っていて、それがまたぴったりと合っているのだ。わたしたちとそういう人物とは、ひとつの体から分裂したクローン人間のようであった。(〃)
- 自分は何もかもに、心の中で左右対称の線を描くんだ、と彼は言った。(P258)
- しかし、たとえ自閉症児たちに演技することを教え込めたとしても、それらを、彼らが身をもって感じ取り、経験するのと同じようには、教えることができないはずだ。・・・(中略)・・・それはただ、そうしたことをする時には、人はこう感じるのかもしれないと、分析させるだけに終わってしまう。つまり、感覚や感情や意思という概念に出会うことはあっても、それが自閉症児自身のものにはならないのだ。概念とは、感覚でも感情でも意思でもないのだから。それは単なる記憶力の良さや、どのように外見を取りつくろえばいいかというレパートリーの一端に、すぎない。(P261)
- とにかくわたしたちの間にあるものは、ただ「あるがまま」の世界だった。(P263)
ドナとイアン、診断的に言えば「自閉症」から始まった人と最初から「アスペルガー症候群(言葉の不自由と知的障害のない自閉症)」だった人という、アスペ同士の二人。重度の「自閉症」で神経症状の重いドナと、軽度の「自閉症」で精神的には爆弾を抱えているイアン。見た目がどんなに違っていても、どちらも、「自閉性障害(広汎性発達障害)」という大きなファミリーの一員です。
でも、二人の共感の内容を読んだ一般の精神科医の多くは、二人をこういう人だと思うでしょう。
- 家族の一員であることを含めて、親密な関係を持ちたいと思わない、またそれを楽しく感じない。
- ほとんどいつも孤立した行動を選択する。
- 他人と性体験を持つことに対する興味が、もしあったとしても、少ししかない。
- 喜びを感じられるような活動が、もしあったとしても、少ししかない。
- 親兄弟以外には、親しい友人または信頼できる人がいない。
- 他人の賞賛や批判に対して無関心にみえる。
- 情緒的な冷たさ、よそよそしさ、または平板な感情。
これは、『分裂病質人格障害』の診断基準です。
発達障害は生まれつきの脳の機能障害ですが、人格障害というのは成人期早期に始まるもので、基本的に別のものです。それから、「自閉性障害」の「社会性‐情緒性的な相互性の欠如」というのは、"感情が無くなる"とか"感情が平坦になる"精神分裂病の失感情状態とは違います。それから、薄情なのでもありません。
「自閉症」者には、「自閉症」者の感覚・感情・意思というものがちゃんとあります。ただ、それが非・自閉症の他の人たちと違っているのです。だから、世の中のほとんどの人と共感できません。「早期小児自閉症」だった人は、スタート地点での違いがあまりにも大きすぎて、全く奇妙な行動をとってたり言葉が遅れたりします。成長とともにその遅れを取り戻して、「アスペルガー症候群」の範疇に入って来るというのは、もともと"無い"ものを"有る”かのように見せかけて、必死に演技ができるようになっただけのことなのです。
「自閉症」だから、人と喋れなかったり人と係われなくなってしまうことがあります。でも、"付き合い方のルールを守ってくれる人"と"同じ構造を持った人"には、"一定の距離を置いている限り"において、関係を保ち続けることができます。
地球上に生存し続ける為には、生活力のある人と一緒にいた方が有利なのに決まっています。でも、自分が消えてしまわないといられない場所には、そう長くは居られません。
※やっぱり、他人の口を借りて喋る方が安全だ。
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