同居人の条件

〜イアンという人(『こころという名の贈り物』より)〜

ドナとイアン、診断的に言えば「自閉症」から始まった人と最初から「アスペルガー症候群(言葉の不自由と知的障害のない自閉症)」だった人という、アスペ同士の二人。重度の「自閉症」で神経症状の重いドナと、軽度の「自閉症」で精神的には爆弾を抱えているイアン。見た目がどんなに違っていても、どちらも、「自閉性障害(広汎性発達障害)」という大きなファミリーの一員です。

でも、二人の共感の内容を読んだ一般の精神科医の多くは、二人をこういう人だと思うでしょう。

  1. 家族の一員であることを含めて、親密な関係を持ちたいと思わない、またそれを楽しく感じない。
  2. ほとんどいつも孤立した行動を選択する。
  3. 他人と性体験を持つことに対する興味が、もしあったとしても、少ししかない。
  4. 喜びを感じられるような活動が、もしあったとしても、少ししかない。
  5. 親兄弟以外には、親しい友人または信頼できる人がいない。
  6. 他人の賞賛や批判に対して無関心にみえる。
  7. 情緒的な冷たさ、よそよそしさ、または平板な感情。

これは、『分裂病質人格障害』の診断基準です。

発達障害は生まれつきの脳の機能障害ですが、人格障害というのは成人期早期に始まるもので、基本的に別のものです。それから、「自閉性障害」の「社会性‐情緒性的な相互性の欠如」というのは、"感情が無くなる"とか"感情が平坦になる"精神分裂病の失感情状態とは違います。それから、薄情なのでもありません。

「自閉症」者には、「自閉症」者の感覚・感情・意思というものがちゃんとあります。ただ、それが非・自閉症の他の人たちと違っているのです。だから、世の中のほとんどの人と共感できません。「早期小児自閉症」だった人は、スタート地点での違いがあまりにも大きすぎて、全く奇妙な行動をとってたり言葉が遅れたりします。成長とともにその遅れを取り戻して、「アスペルガー症候群」の範疇に入って来るというのは、もともと"無い"ものを"有る”かのように見せかけて、必死に演技ができるようになっただけのことなのです。

「自閉症」だから、人と喋れなかったり人と係われなくなってしまうことがあります。でも、"付き合い方のルールを守ってくれる人"と"同じ構造を持った人"には、"一定の距離を置いている限り"において、関係を保ち続けることができます。

地球上に生存し続ける為には、生活力のある人と一緒にいた方が有利なのに決まっています。でも、自分が消えてしまわないといられない場所には、そう長くは居られません。

※やっぱり、他人の口を借りて喋る方が安全だ。


          

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