障害ってなに?

生まれつきの脳の機能障害の中で、現在『障害』として公認されている「精神遅滞」の診断基準(DSM−4による)には、このように書かれています。

  1. 明らかに平均以下の知的機能:個別施行による知能検査で、およそ70またはそれ以下のIQ(幼児においては、明らかに平均以下の知的機能であるという臨床的判断による)。
  2. 同時に、現在の適応機能(すなわち、その文化圏でその年齢に対して期待される基準に適合する有能さ)の欠陥または不全が、以下のうち2つ以上の領域で存在:意志伝達、自己管理、家庭生活、社会的/対人的技能、地域社会資源の利用、自律性、発揮される学習能力、仕事、余暇、健康、安全。
  3. 発症は18歳未満である。

しかし、生まれながら脳の機能障害があって、社会生活に支障をきたすほどの困難を持ち合わせているかどうかの境目は、IQ=70でキッチリとつけられるものではありません。

実際に、ICD−10では、IQ=50〜69の「軽度精神遅滞」についてこう説明されています。

「自閉症、その他の発達障害、てんかん、行為障害、あるいは身体障害などの合併症はさまざまな割合で見出される。」とあります。

(DSM−4では多軸評定を行うので、精神遅滞は第二軸・臨床疾患は第一軸に、それぞれ別記されます)。

注:古典的な「自閉症」の中で中核をなす、いわゆる中機能群の自閉症は、ここに属します。

そして、「精神遅滞」全体の[診断ガイドライン]には、このように書かれています。

得られたIQの高さは一つの指標として提供されるものであって、どの文化にも妥当性のある問題という考え方で厳格に適用するべきものではない。これらのカテゴリーは複雑な連続体を任意に分割したものであり、絶対的な正確さで定義できるわけではない。

その証拠に、上の記述は、IQ=70〜85または90と言われている「知的ボーダー」の説明として、そのまま使えます。IQを70を境にするのは、あくまでも制度的・行政的な区切りでしかありません。

知的障害のレベルがこれくらいなら、学業についていくことはできなくても、身辺自立に必要な日常生活や職能訓練をすれば就業できる可能性が高いというわけです。


今のところ、知的障害がない(標準以上のIQを持っているとされる)から、「軽度発達障害」は『障害』ではないと批判されています。それから、本人や専門家は生き難さを訴えているのに、家族や近親者が『障害』として認めることに抵抗して、軋轢になっているケースも多くあります。

ただし、『言語障害』(言葉の遅れ)は、誰が見ても歴然としているので、早くから『障害』として公認されてきました。けれども、その他の『軽度発達障害』は、最近になってやっと事の重大さが騒がれるようになって来たものです。

主に、学業上の困難があるもの

主に、社会生活上の困難があるもの

これらの『障害』の「診断」は、基本的には医学的なものです。けれど、学校教育上の特別な配慮が必要なことが多いので、教育現場では『学習障害』と一括して呼ばれていることがあります。また、「広汎性発達障害」や「注意欠陥多動性障害」には、もともとの障害特性による学習上の困難があることに加えて、明らかにいろんな『軽度発達障害』が重複していることも多いので、教育に当たっては〔この『障害』にはこれ〕というような固定化された方法論は必ずしも存在しません。(ただ、本当に必要なことを見落とさないために、正確な「診断」は必要です。)

このうち、「学習障害」は、基礎学力に当たる「読み・書き・計算」ができないのですから、それに続く学業に困難があるだけでなく職業的な技能を習得するのにも不利益になることは、当然、予想されます。

また、「広汎性発達障害」でも、知能検査の各下位項目間の格差が大きいために、学習上の困難を持っているケースが多くあります。それに加えて、人と関係を持つことが困難なので、生涯に渡ってたいへんに深刻なハンディを背負うことになります。特に、知能が標準以上の高機能者は、学業成績は優秀なのに就労できないことに悩みます。

しかし、軽く見られがちなのに、意外に困難が大きいのが、「発達性協調運動障害」と「注意欠陥多動性障害」です。身体が上手く使えないとか不器用なのは、何をするにも不便です。それから、「不注意」と「衝動性」というのは、課題遂行上の実行能力を著しく低下させます。

つまり、「知的障害がなくて学業についていくことはできても、身辺自立に必要な日常生活訓練や職能訓練が必要な人」だっているのです。また、たとえ何らかの訓練を受けて技能を習得できても、「監視が始終ないとできない人」もいるのです。こういう人たちは、『障害』を持っているのに健常者と同等に仕事をすることを要求されて、非常に大きな精神的ストレスを感じています。

これらの『軽度発達障害』を、単独で持っているだけでも十分に生き難いのに、重複していることが多く、他の「神経症」を合併しているとなると、個々別々の『障害』への対応も大切ですが全人的な配慮をする必要があります。更に、もともとこういう『障害』を持っているのに、「努力が足りない」「みんなは、ちゃんとできているじゃないか」「がんばれ」「そのうちできるようになる」「わがままだ」「甘ったれるな」などと言われ続けると、『適応障害』という二次障害を起こして他の「精神疾患」にかかってしまいます。

人間の能力は「知能」と呼ばれますが、人間が活動できるのは、認知や言語の能力だけあればいいのではないのです。運動や社会生活能力をも含めた全体が機能できないのは、やはり『障害』なのです。

そういう人の存在を無視して、「みんながみんな、同じように一人前になることを前提としている社会」というのは、機能不全社会と呼んで良いのではないでしょうか?


      

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