ASによるASの子育て
@ASの子育て
さて、今回は子育ての話です。つい最近までの私は、まだ「自閉症」だと気づいていなかったけれど、自分が欠陥製品だという自覚は十分にありました。だから、生まれてきた子供を欠陥商品にしない為の努力を惜しみなく続けて来ました。そのためにしてきた事をいくつか並べてみます。
まず、子供を名前ではなく、始めから"ボク"と呼びました。人は自分のことを名前で呼ぶけれど、自分は自分だから"ボク"でいいという立場の違いがわからないだろうと最初から見越していたからです。自分を一人称の代名詞で呼べるだけで何がそんなに変わるのかと思われるかもしれないけれど、「自分は場面ごとにバラバラなのではなく、ひとつのまとまった存在」だと認識できるか出来ないかの違いは意外に大きいのです。それは、人に係わっていくための基地を作ることなのですから。
思春期を乗り切る困難さは痛いほど身にしみてわかっています。「子供に教えるすべてのことをその時期までに済ませてしまわないと手に負えなくなる」という焦りを原動力にして、全てに子育てを優先させて当たりました。更にいうと、言葉・学力・社会性は九才までが勝負です。別にこの時期を過ぎたら手遅れというわけではありません、その後は教えるのがたいへんになるからです。楽をしたいのなら「鉄は熱いうちに打て!」です。
子供が勉強を終わらないと9時でも10時でも夕飯を食べられないなんていう家庭が他にあるでしょうか。別にスパルタ教育をしているわけではない、学年相応の発達を強要してはいない。ただ、「自分のやるべき事をきちんとやり遂げるまで」いつまでも待っています。まず、始めるのに時間がかかる、やり遂げるまでにはもっとかかる、やっていることはわからなくてパニックの連続、でも待ちます、家族全員が。自分の責任においてやることに結果として「人に迷惑がかかる」のがわかったら、ちゃんと8時までには勉強を終わらせる事ができるようになりました。
自分で自分を「バカ」だと言い始めたら、決して許しません。「あなたはバカなのではなく、あなたなりのやり方が必要なだけなのだ」と言い聞かせました。自分なりのやり方でやればできるのに、わざわざわかりもしない"人並み"のやり方にこだわって「できない」とわめくなら、本当の「バカ」になってしまいます。この言葉を自分に向けて言うようになったら、それは指導する側の問題でもあるのです。そうして「できるようになったのに、やらない」のは自分の問題です。
逆立ちしたってできないことを「やれ!」とは言いません。一生かかっても克服できるような障害ではないからです。でも、いつも要求が通るとは限らないということは根気よく言い聞かせます。いくら「自閉症」だからといって人間として大事なことは一緒です。「パニック」を起こさずに「がまん」させるにはテクニックが必要です。自分で納得して我慢する力をつけるためには「やることをやらないと、やりたいことはできない」ことを徹底して叩き込むのが基本です。
「友達を作れ!」とどんなに口うるさく言ったって自分で友達を作るのは至難の技です。もともと、限られたものにしか興味を示さず、その方法も一般的ではない子供です。「友達を作れと言う前に、友達と遊べる子供にする」ためのお膳立ては、やはり大人がするしかありません。別に流行りの物を追いかけて振りまわされる必要はないけれど、話題に入れなければ最初の接点さえないのです。気に入りそうなものを選んで、本人に合ったやり方で遊べるように用意してあげます。他にもけんかの仲裁から、誤解を招きそうな行動の意味を同級生に説明してあげること、いじめた子供への対応など、友達との架け橋を作ることと共通項を作ってあげるのは親の仕事、でも、友達を作るのは本人の仕事です。あとは本人にまかせます。
手と目の協応が悪い私の息子は自分でゲームができません。私がゲームをやるようになったのは、ゲーム機を与えたところでやりそうにない息子に代わってやって見せたのが始まりです。当時はポケモン・ブームだったのでこれ一つやれば良かったので楽でした。私がゲームをやって、視覚認知のやたらと良い息子がそのキャラクターの名前を覚えて絵を書く、学校はその話をする為に行っているようなもの(?)です。でも、今はもう高学年、いつまでも親掛かりなのは逆にバカにされるので、「お母さんが好きでやっている」ことにしています。友達が来ると、ゲームの進め方は私が話しますが、息子はちゃんと話題に入って"みんなで"遊んでいます。
「自閉」といってもその症状は各人各様・千差万別で一概には言えません。確かに、中には訓練次第で汎化できるところもあります。だからといって「教えたはずなのに何故できない」と思うのは一番いけないことです。教えてできるくらいなら障害ではないのです。そして、その場ではうまくやってみせたとしても、マネをしただけで本当に身についたのでないモノはすぐに忘れます。「きのうはできたのに‥」なんてことはざらにあります。「できることはどんどん、できないことはすこしずつ」根気よくやっていくしかありません。
私が「自閉」の子供たちの世界に容易に入りこめたのは、自分も「自閉」民族だったからだといえばそれまでです。しかし、そうでない人たちのためにいくつかのヒントを提供することは可能だと思います。
- 「障害」を困った事・悪い事と思わない。元になる「障害」は治すのでなく緩和することを目的にする。
- 相手の反応を見て、補助が必要なところは自分でできるようになるまで助け、出来そうな事は一つ上の課題を与える。
- こちらから何かを教え込もうとしない。上へ引き上げるよりも、同じ所に下がって一緒にやりながら下から押し上げる方が効果が上がる。
- 自分からやろうという気になるまで待つ。ちょっとした言葉の端にそれとなく予告を匂わせたり、自分からやらなければいけないと思わせる環境を作る事も大切。
- 仲間のような関係を保ちながらも、人間として守らなければいけない一線を超えそうな時は、「これだけは許さない」という断固とした態度で臨むことも必要。
ASによるASの子育て
AASによるASの子育て
自分が「自閉症」だと自覚する前に幼児期の子育てを終えてしまって良かったと思います。まだ、人並みに子供の為に自分を犠牲にする事が出来たからです。赤ん坊、しかも相手も≪群れる≫構造を持っていない ASなのですから、自分の[予定]通りに一日が終わるなんてありえません。それに、オシッコとウンチのトラブルの連続で、(現在も進行中)[きれいさ]の順に並んでいる[私]の世界は始終かき乱されつづけています。こういう[こだわり]を捨てなければいけないといけないと思ったからこそできたのでしょう。
しかも、たとえ自分の母親でさえも、整然と秩序付けられている[私]の家に入ってきて彼女なりのやり方で歩き回られるのは迷惑なので、全部ひとりで背負わなければなりませんでした。自分の時間を作ろうと思ったら子供が起きている間は全面的に子供のほうを向いていたほうが得策だと観念して、なんとか乗り切りました。おかげで、頭の切り替えができるようになるというオマケもつきました。
私はもともと「人に関心が無く・係わり合いを持とうとしない」人種だったと気づいてしまった今では、お役ご免とばかりにパソコンとPlayStationに向かっている毎日です(それでも、ちゃんと仕事はやっている!)。子供は子供どうしで勝手に遊ぶし(といっても、遊べるようにしたのは私です)、勉強はパソコンがやってくれるし(ここまでしたのも私です)、嵐のような幼児期が終わってホッと一息ついているといったところでしょうか。いや、これから来る思春期の「嵐の前の静けさ」でしょうか。
まあ、私の子供たちは「変わった子供」と見られているけれど、ところがどっこい、親はもっと「変わっている」から、別にどうってこと無いのです。私のことを「あの人は変だ」と言われたって「まともになる気などさらさらない」から何とも思わない。普段は家の中にこもりきりで、会う人といえば「自閉症」の子供とそのお母さんか、プレステ仲間の子供たちだけだし、パソコンに向かって「自閉症」のことを書き綴っている分には私の精神状態は安定している。
といっても、この異変は、三ヶ月前に家にパソコンが来た時に始まったものです。それまでは、人とどう話して良いか・どれくらいの距離を保って良いのかわからなかった。それでいて、「うまくひとづきあいをしなければいけない」という固定観念に凝り固まっていました。一方、あからさまにいやな顔をされたり、あてつけがましい事を言われたりするたびに、いつかは「世間の鼻を明かしてやろう」と悶々と企んでいたのでした。
ところが、そんなことは始めからしなくていいことだったんです!
「誰からも好かれる人になれ」とか「人に合った時に目をそらされるような人になってはいけない」とか「いつも明るく、友達が多いのが幸せ」と、唱えられてきたお題目。ずっとこういう人生観を押しつけられて生きてきたけれど、それは[私]とは違う人種の為のもので、[私]は自分の種に合ったやり方でこの社会に係わっていれば良かったなんて! 自分の子供にはさんざん言って来たことだけれど、私は誰もこう言ってくれる人に出会わなかったので自分で自分に告知したのです。
「自閉症」は人格の障害だから生涯にわたって治るものではないということ、どんなにうまく人並みでいるふりをしたところで世間様の目はあざむけるはずも無いこと、「自閉症者」に健常者の理屈を押しつけることが無意味なこと、長い年月のうちには少しずつ社会に同化して落ちついてくる面もあるけれど[私]はやはり[私]のままだということ。総じて、「自閉症」は、治そうとしないで「それなりにどう行動したら良いか」学習した方が適応が良いという一種の行動療法を体験したようなものです。
こちらから目を合わせようとしないでも目が合ったら会釈すればいいし、話しかけられたって話したくなければ話さなければいいし、人の顔と名前がわからなかったら知らばっくれていないで聞けばいいんです。何も自分が「自閉症」だなんて宣言しなくても「私はこういう人間なので」と断れば済むことだったんです。
この気楽さを私は子育ての中から学びました。私は相変わらず、誰でもない・何処にもいない[私]として、世の中の片隅にちゃんと収まって生きていくことにします。こんな私だからASの人達にも住み良い社会を作るなんて大それたことは出来ないけれど、「社会に住めるASを育てる」ことをこれからの仕事にして行きたいと思っています。
これからを生きていくAS達へ。
「自閉症」は一生治らないからと言って、決して落胆しないようにして下さい。生涯にわたって続くという見通しがあればこそ、肩肘張らずにお気楽に生きていきましょう。
私たちは「社会性」が無い≪群れない≫人種です。でも、立派な社会の一員なのです。私たちなりのやり方で社会に係わっていく新しい生き方を一緒に探していきましょう。
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