ADHDが誤解されている!

注意事項
  • 今からここに書くことは、「荒れる・十代/17歳」と言われている風潮に関する事で、基本的に学校教育と子供のことです。
  • ただでさえ誤解されているのに、ここに改めて誤解されている内容を書くと、逆に誤解を広めてしまうことになってしまうので、ADHD以外の用語はすべて伏字にしてあります。

私が、ADHD(注意欠陥多動性障害)という言葉を始めて知ったのは、今から8年ほど前・・・長男にこの診断がつけられたのが、きっかけでした。診断書には「DSM−3−Rによる」と、一言付け加えてありました。

しかし、当時はまだ、それまでMBD(脳微細機能障害)と呼ばれていた病態をLD(学習障害)として紹介する書物がボチボチ出始めていた頃でした。本屋さんに並んでいた本のタイトルには、LDや「学習障害」と書かれていたものばかり。「注意欠陥障害」という用語は、"LDとは何か?"を説明する章の文中や図で、精神遅滞(知的ボーダーの意味)・自閉症と並んで、原因となる発達障害の要素の一つとして載っていたぐらいでした。

当然、高機能自閉症・アスペルガー症候群・広汎性発達障害という用語は、一つもありませんでした。そして、「アスペの会」や杉山・辻井両先生を知る前に、私がずーっと主張して来たのは、「ADHDと診断されたウチの長男は、確かにADHDではあるけれど、根本的に自閉症だ! 何故なら、私と同じだから。そして、言葉や知的な遅れがない自閉症だってあるのだ!」「たとえ重複しているADHDの方が重篤で目立っても、自閉症としての対応をできるだけ早期にする必要がある!」ということでした。

それで、「自閉症」について長々と書いて来ていたし、「自閉症」以外のことにはあまり興味もありませんでした。私が、直接係わっていた子どもたちも「自閉症」だったし、学校で担任の先生たちに説明したのも、「自閉症」に関することばかりでした。それに、たまたま長男の学年は、70人前後に3人もの「自閉症児」がいる(しかも、それぞれがカナータイプ・アスペルガータイブ・PDDタイプと多岐にわたり、合併症もそれぞれに違っている)という珍しい学年でした。だから、それ以上に話が広がるということもありませんでした。

しかし、その子供たちが小学校高学年になって、「自閉症」らしさや「自閉症」としての問題行動が落ち着いてきたと同時に、次男のADHDとLDがハッキリしてきたのをキッカケに、状況が一変しました。特に、去年、次男が小学校に入学したので、担任の先生にADHD関係の本を渡しながら、「診断がおりるほどのこともない、症候群のレベルの子どもはたくさんいます。」と言ったら、「あの子は?」「この子は?」と逆に質問されるようになったのです。そして、この関係の本を渡すと、他の先生方も読みたいと又貸しになって、なかなか手元に帰ってこないという状態のまま年度末を迎えています。

時代の風潮もありますが、文部省が「学習障害」「注意欠陥障害」「高機能自閉症」をやっと認知し始めたので、学校教育の現場では避けて通れない問題になりつつあるようです。実際に、「こういう子どもを受け持った先生はみんな対応に苦慮しているので、できるだけ多くの情報を求めている。」と言われました。児童精神科医や早期診断を受けた親御さんや、診断のついている子どもを受け持った小学校の先生方の間では、ADHDへの理解はかなり進んできているように思います。しかし、一般には、まだまだ知られていません。

この一群の障害は、早期に発症し(通常は5歳以前)、認知の関与を必要とするような活動を持続できず、1つの活動を終わりまで成し遂げることなく次々に別のことに移り、まとまらず、統制を欠いた過動を伴うという特徴がある。他の異常を合併することが多い。多動児はしばしば向こうみずで衝動的であり、事故をおこしやすく、熟慮の末の反抗というよりは軽率な規則違反を犯すため、しつけの問題とされることが多い。大人との関係において、しばしば社会的な抑制が欠如し、通常みられるはずの注意や遠慮がない。他の子供たちとの関係でも人気がなく孤立しがちである。認知の障害が通常みられ、運動発達や言語発達の特異的な遅延が不釣合いなまでに多くみられる。反社会的行動と低い自己評価が二次的に合併することがある。

ICD−10『精神・行動の障害−用語集−』多動性障害(HD)の解説より

一般的に問題になるのは、最初の下線の部分。「しつけ」の問題とされやすいというところです。「しつけ」と言っても、「ADHDと診断されていて、正しい対処法をして」いても、全く事情を知らない第三者から、「放任している」とか「何でもないことに小うるさく言い過ぎる」と解釈されてしまいます。が、普通の意味では、子どもの行動が脳の機能障害によるものだと知らない親が「自分の育て方が悪い」と自分を責めたり、「わがままで・がんこで・反抗的」だと自分の子供と対立していることを示す方が、圧倒的に多いようです。(どちらの場合でも、他の父兄や近所の人たちからは「しつけが悪い子ども」「ちょっと元気が良すぎて、好奇心旺盛な子ども」としか見られないという点では、違いはありません。)

それから、発達障害や児童精神科のことを知らない精神科医や犯罪心理学者が誤解しやすいのは、二番目の下線の部分です。それは、成人の診察を専門にしている精神科医は、成人後に精神疾患や人格障害と診断された人たちの、現在の様子からさかのぼる形で小児期のADHDの存在を問題にするので、あたかもそういう行動をする人たちの予備軍のような捉え方をしてしまっているのではないかと思います。発達過程を順に追って、「どこに・どういう分岐点があるか」を探りながら成長を見届けている、親たちや児童関係の専門家たちと、方向が逆になっている。どうもその辺が、最近有名になりつつある"売れっ子精神科医"たちの勘違いの原因なのではないでしょうか?

(最近、よく書店の店頭に並んでいるその手の本を、いくつか読みました。確かに、警告している内容そのものは、発達障害のない子供を持っている親たちに向けている限り、正論であることが多いです。本当に、その通りになっている事例というのもあります。ただし、もしそういう本を、発達障害の子供を持つ親たちが読んで真に受けてしまった場合、とても危険なことが起きる可能性が、無きにしもあらずだと思います。)

どうして、こういう誤解が起きてしまっているのでしょうか?

上の「多動性障害」の記述を読んで、お気づきの方も多いかと思います。それは、ADHDがICDに限らずDSMでも、元々MBDと呼ばれていた頃の古典的な症状に基づいて、病態として類似している他の障害の項目に分類されているからです。

ちなみに、かつてMBDと呼ばれていた子どもはどんなものなのか、ガードナーの著書から拾ってみます。(この本の第一版は、1973年に出版されたもので、原題では“MBD”となっています。しかし、上野一彦先生が訳した再版版(1982年)の邦題では「学習障害児と家族のために−みんなのMBD−」としてあり、しかも「訳者あとがき」で、学習障害の啓蒙をしているところからも、時代の流れが感じられます。)

MBDの主(器質的なという意味での)症状

{通常、このうちのいくつかを持っている。これらの全てを示す子どもはひとりもいない。}

MBDの二次(心理的なという意味での)症状

確かに、DSM−4の「診断基準」や、ICD−10の「研究用診断基準」には、「不注意」項目・「多動−衝動性」項目のチェックリストにかけ、該当する項目数によって、『混合型」「不注意優勢型」「多動−衝動性優勢型」に分類するようになっています。かつて、MBDと呼ばれていた病態の典型的な症例は、「混合型」に当たります。多動−衝動性のない「不注意優勢型(ADD)」は、本人の心理的負担と精神的苦痛が多いにもかかわらず、問題行動を起こさないために周りの人々はさほど困らないので、現在でも、診断&治療を受ける可能性が低いようです。それは、"不注意で落ち着きがない程度"ではなく、"社会的に問題となるほどの抑制困難を伴うもの"や、"学習障害や言語発達遅滞を持つ者"だけを診断の対象とする傾向がある、と言うより、そういう子どもでない限り"(日本では)親が医療機関を受診しない傾向がある"からのようです。


最近の精神医学の「診断」は、病因(症状の原因)よりも病態(症状の様態)を優先しているので、「発達障害」なのは明らかであっても「診断基準」は別項目に記述されるようになっています。それを利用する人が、ヒトの心的な("身体的な"ではないという意味)発達に詳しければ、同じ項目に分類されている「障害」でも、「発達過程」に影響される部分を正しく識別することができるでしょう。しかし、実態の知識を持たない人が字面だけ読んでチェックをかけた場合、行動に表われた類似部分で判断されてしまいます。

だから、ADHD(その他の発達障害はF7とF8なのに、ICD−10ではF9に分類されている/DSM−4でも同じ扱い)は、下記の「障害」と同じ項目に入れられているのです。

F91「◎◎障害」

◎◎障害は、反復し持続する反社会的、攻撃的、あるいは反抗的な行動パターンを特徴的とする。そのような行動は、最も極端なときには、年齢相応に社会から期待される行動を大きく逸脱する。したがって、そのような行動は、普通の子供っぽいいたずらや思春期の反抗と比べて、より重篤で持続的な行動パターンである(6ヶ月以上持続する)。◎◎障害の症状は、他の精神科的病態の症状でもあり得るので、その場合には基礎にある疾患の診断を優先させなければならない。

F91.3「△△□□□障害」

ふつう低年齢の小児に現れるこの◎◎障害には、極めて挑戦的で不従順で破壊的な行動が含まれるが、非行やさらに極端な攻撃的または反社会的行動を含まないことが特徴的である。この障害の診断にはF91の診断基準を満たすことが必要であるが、度の過ぎた悪戯やふざけた行為があるからといって、それだけでは診断にとって十分でない。

ICD−10『精神・行動の障害−用語集−』より

そのため、ICD−10ではADHD(注意欠陥多動性障害)ではなくHD(多動性障害)という診断名が用いられており、その理由も述べられています。

この一群の障害は早期の発症、著しい不注意と持続した課題の遂行ができないことをともなった調節不良な多動、そしてこのような行動特徴がさまざまな状況でも、いつまでも持続していることによって特徴づけられる。

体質的異常がこのような障害の成因として重要な役割をになうと一般的に考えられているが、現時点では特異的病因は不明である。近年、このような症候群に「注意欠陥障害」という診断名の使用が推奨されている。ここでそれを用いない理由は、まだ受け入れられていない心理学的過程の知識を含んでいること、そしてさまざまな問題によって不安になったり、没頭していたり、あるいは「夢想的」で無感情な小児を含むことを示唆するからである。しかしながら、不注意という問題は、行動という見地から、これらの多動症候群の中心的な特徴を構成することは明らかである。

ICD−10『精神・行動の障害−臨床記述と診断ガイドライン−』より

基本的に、「注意の転動性」「多動」「衝動性」という脳の機能障害と、それに随伴する「心理的な誤まった防衛反応」の組み合わさった「発達上の障害」なので、行動上の特徴だけを拾うのではなく、マイナス要因をたくさん持って生まれついた"本人の生き難さ"をフォローする姿勢が大切なのです。

「診断」の付け易さを優先させて分類するのも結構ですが、もうちょっと原点に立ち帰って考えてあげて欲しいです。せっかく、「今ならまだ間に合う」のが分かっているのに、余計な遠回りをさせられている子どもがいるのを、指をくわえて見ていなければならないのは、とっても残念です。


      

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