『自閉症とアスペルガー症候群』(東京書籍刊)
〜ウタ・フリスの論文より〜
アスペルガー症候群の発達過程
- 自閉症はひとつの発達障害であり、その行動上への現れは年齢や能力によって異なります。その中心的特徴である社会化とコミュニケーションおよび想像力の欠陥は、すべての発達段階、あらゆる能力水準を通じて異なった形で見られます。(P17)
- 自閉症児の生涯の最初の一年間は、いまだに謎に包まれています。この初期段階に本当に自閉症児だけに特異的な行動異常を見出せるかどうかは、いまもって明らかではありません。これはどんな異常も観察されないとか、将来も発見されないだろうというのとは違います。問題は、それが自閉症だけに特異的なのか、ほかにも見られる非特異的なものなのかの識別なのです。(P18)
- 就学前の年代は、通常でも発達はたいてい荒れ模様ですが、自閉症児と家族にとっては、最大の厄介な問題を抱えた時期となることが多々あります。この段階では、個々の膨大なバリエーションはあっても、自閉症はたいへん識別しやすい行動パターンを生み出します。(P18)
- 五歳から十歳にかけての時期は、確かな進歩と感じられる発達的変化が多くなるのが特徴的です。この頃から子供がたどる道筋は大きく分岐を始め、自閉症のサブタイプの考え方が無視できなくなります。話がよくできる自閉症の子供と、言葉が少ししか、または全然ない子供とでは進歩は大きく違ってきます。何らかの分野で能力の片鱗を見せる子供と、あらゆる知的能力が損なわれるまで広い範囲に渡る脳損傷を受けた子供とでも進歩は違ってきます。(P19)
- よちよち歩きの頃には重度の自閉症の症候をもっていても、劇的な進歩を見せる子供もなかにはいます。多くは成長につれて他人に強い関心を示すようになり、孤立して閉じこもった自閉症児の決まり切ったイメージとは合わなくなります。それでも人に話しかけたり言葉を交わしたりの対人関係は、いつまでも不器用です。多くは青年期までに、自分は仲間とどこか違う、そして自分は締め出された人と人とが触れ合う広大な世界があると何となく気づいてきます。世の中の事実をいくら学習しても、その知識は妙にばらばらな状態だと見られます。(P20)
- 成人期には、アスペルガー症候群の人は、少なくとも表面的には、うまく適応をとげ、なかには大変な成功を収めている人もいます。しかし全体としては、著しく自己中心的で孤立的な状態に止まります。決まったやりとりなら十分こなせる一方、親密な相互関係に入り、それを続ける才能はないようです。(P20)
アスペルガー症候群の特徴
- ほかの自閉症の人たちと同じく、IQテストでは非常に典型的な得点パターンを示しますが、しかしその人々とは異なり、たいていは平均的知能に当たる得点をあげられます。ところが親がいつも嘆くのは、彼らは学科では能力が高いことがあるのに、常識に欠けるのです。(P20)
- 自分の特異性や自己中心的な無骨さ、弱さなどのために、他人と生活や仕事をともにすることに困難をおぼえ、精神科医の助けを求めることもあります。このことは、彼らが知的に高く特殊な技能や才能をたいていはもつという事実にかかわらずにあるのです。(P20)
- こうした技能をもつのに伴い、彼らは何かの関心事を熱狂的に追い求め、それに没頭する傾向があり、環境的に恵まれれば満足の行く成功に手が届くこともあります。(P20)
- アスペルガー症候群の成人に身体面での類似性はありませんが、身体の動きは見るからにぎこちないことが多く、話し方はほとんど例外なく奇妙に響きます。ちょっとした自然な会話の流れに入ってくることはほとんどなく、言葉や身振りの使い方は堅苦しいことがよくあります。知的に極めて高くてハンディによく対処できた人たちでさえ、人には変わっているという印象を与えます。この奇妙さは、背筋も凍る冷淡さと取られることから、愛すべき昔ふうの律儀さと思われるまで様々です。(P21)
- 極端な行動上の問題を呈する人もいれば、穏やかで扱いやすい人もいます。学習能力の特異な障害があり、学業が振るわない人もいれば、非常に優秀な成績で大学で学位をとる人もいます。一方では社会に適所を得て、相応に満足できる生活を送っている人もいれば。他方には浮浪者となったり、社会に不適応なままの人もいます。その奇妙さにかかわらず、アスペルガー症候群の人たちは、受けるに値する必要な援助や同情に巡り合うことがほとんどありません。(P21)
社会適応について
- アスペルガーは、そうした子供たちの認知を強く訴え、彼らには社会に役立てるべき隠れた能力があることを指摘し、非常に特殊な教育的指導が与えられるべきことを始めから主張しました。(P81)
- 行動がしだいに正常にちかづいていくことは、やがてそれが診断を要する問題ではなくなると考えてよい理由とはなりません。補償的学習は、より正常に溶け込んでいく行動を生み出すことを目指しているのです。(P79)
- 正常に近い行動を達成できるこの可能性こそ、他の形態の自閉症と対照される、アスペルガー症候群に共通した最も示差的な特徴と言ってよいでしょう。(P53)
- アスペルガーの人は、日常の決まった社会行動をうまく身につければ、単に変わっているだけの印象を与えることができます。(P53)
- もちろん、そういう苦労して勝ち取った適応には犠牲が伴います。アスペルガーの人は、他人はごく自然に身につける学習にも非常な努力を必要とします。十分な援助が与えられることや、高水準の動機づけも必要でしょう。残念なことに、高い代償を払って達成したことも崩れやすく、他人が楽にできるところでも苦労を重ねなければなりません。(P53)
- そうして得られたものは、高い犠牲に値するかという問題がもち上がってきます。懸命の努力をしても、すべてのアスペルガー症候群の人たちが正常とほとんど変わらずに社会に融け込めるようになるわけではないことも一方で認識しておく必要があります。(P53)
予想される問題
- もしも自閉症の人が、自分を他人とまったく同じと見て、人からもそう扱われていたとしたら、どんな結果になるでしょう。以前から同じ手順が決まっていて、ものごとが順調に進んでいる間は、この態度でも正しいのかもしれません。それからは、勝利と成功の喜びがもたらされて当然です。しかし、もし何かにつまずいたとしたら? (P56)
- 何も知らない雇用主は、普通の人にはたいした苦労でないこともアスペルガーの人には大変な努力を要することを知らずにそれを要求してきます。突然のパニックもありえます。(P56)
- 無理して正常を装うだけでは、慎重に組み上げてきた補償的学習の網の目に突然の亀裂が走っても、それは容認されません。金切り声を上げるなどの破局的反応のために、仕事はそこで失われてしまうかもしれません。(P56)
- 自閉症の人々、とくにアスペルガー・タイプの人々は、ある種の法的な難事件との関わりをもってきました。彼らの犯罪は、ときには独特の興味を一心に追い求める結果だったり、バニックによる防衛反応だったり、常識が完全に欠如するためであったりします。(P59)
- これとともに、多くのアスペルガーの人は法律侵犯どころか、正しい行為をなすことに極度の関心をもっていることを述べておかねばなりません。彼らは、自分が違法と信じる行為を不安に駆られて抑制し、他人にも法に反しない振る舞いを求めます。(P59)
- 自閉症と反社会的行動については、暴力行為から聖人を思わす徳行までの幅が観察され、そこから信頼をおける論議を導き出すことはできません。(P60)
- 自閉症は、一つのハンディである事実からは、逃れられないのです。最も適応がよいアスペルガー症候群の人でさえ、普通以上に困難な問題を背負っています。もしも世俗を超えた天才というロマンチックな観念が、知的な自閉症の人たちが必要としている理解と援助を受ける機会を奪ったとしたら、ことは悲劇的です。(P81)