RACING
SIDECAR, Engine
History, to 2000year
Jan.19/2000
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世界選手権レーシングサイドカーレースで使用されてきた、歴代のエンジンをご紹介します。 |
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歴代のチャンピオンエンジン BMW レーシングサイドカー・ワールドチャンピオンシップに於ける、レーシングサイドカーで使用されてきたエンジンを、歴史を交えながらご紹介してみたいと思います。 1949年世界選手権がスタートしてから5年間が車体と共にNortonでありました。対抗するエンジンとしてイタリアのジレラ4気筒エンジンが存在したのですが、タイトルを獲得するまでに至りませんでした。
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BMWに対抗する為に、ホンダ450ccツインカムエンジンが使用された時期もありましたが主だった成績は残せませんでした。 |
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2ストロークエンジン その後もBMWを打ち崩す為に、いわゆるコンストラクタ−により2サイクルエンジンを使い様々なトライがされます。その1人1960年BMWでチャンピオンを取った「ヘルムート・ファス」と言うドライバーも自己資産をもって2サイクルエンジン「URSエンジン」を苦心の上製作し、68年に初めて2サイクルでのチャンピオンを獲得したのです。 また71年にも新エンジンを投入したドライバーがいます。「ロルフ・シュタインハウゼン」という人物です。そのエンジンが右写
真のものですが、ドイツのケーニッヒと言うフラット4、2ストロークエンジンを使い始めます。 しかしながら2ストロークへの移行は着々と進み、BMW離れが進行していったのでした。 |
1975、76年をもってその勢力交代が始まります。ドイツのケーニッヒエンジンがこの2年連続メーカーチャンピオンを獲得したのでした。長くチャンピオンの座を守り続けてきたBMWはクラウザ−(ドイツ、コンストラクタ−)製ツインカム4バルブのシリンダーヘッドを装着してパワーアップし反撃するものの、この時点で倍近くのパワーを出していた2ストロークエンジンに対しては既に立ち向かう余地は残されていなかったのある。 長く続いたBMW時代はこれをもって終止符をうつ。近年、2000年の報道ではBMWがモータサイクル・チャンピオンシップに戻るのでは?、と言うニュースがされているが、BMWサイドはこれを認めていない。是非またBMWがサーキットを走るのを見たいものである。
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YAMAHA 2ストロークエンジン 1976年から2ストロークの勢力は更にそのエンジンの種類を変え進化していきます。 また同年、クレッセント3気筒エンジンをチューンしたルディ・カースも新たなユニットを製作します。YAMAHAーTZ350(2気筒)をべースに、シリンダーブロックを1つ追加し3気筒500ccエンジンを開発したのです。 |
このエンジンは1977年ドイツGP予選において、2輪も含め全てのマシンの中でベストタイムを記録しています。これは車体の側車もステアコントロールされるマシンであった為、その要素も起因していた様です。しかし以降流れは、YAMAHAーTZ500をベースにした500ccエンジンによるパワーソースが基本になり開発が進められていきます。 |
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エンジンコンストラクタ−による発展 前記したTZ500、このクランクケースを基にヨーロッパ各国のエンジンコンストラクタ−により、さまざまな改良が施され発展していきます。目的はサイドカーの特徴に適合するようにモディファイすることでした。このようなトライが行われた背景は、ヤマハが製作したTZ500のクランクケース材質はマグネシウム合金であり、いわゆる純正状態では加工が不可能な状態だったのです。
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そもそも2輪用に設計された物なので、車体も130Kgも重くパッセンジャーの重さも加わるサイドカーの中では、高速域の特性よりも、中速域のエンジン特性が必要な訳です。 また、吸気方式ピストンバルブ方式で合った為、より特性の良い方向になる現在主流のクランクケースリードバルブ方式に改良したのでした。 |
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そのコンストラクタ−をご紹介しましょう。 1987年頃からフランスの「JPX」らが独自にアルミニウム合金で、独自のノウハウとチューニングを施しクランクケースを製作し始めます。 左写真はJPX製の物ですが、上段はTZ500そのものです。対し中段は87年に製作されたケースで、吸気方式をクランクケースリードバルブに改良しているのが分かります。後ろ側にキャブレターが装着できるようになっています。シリンダーはTZ250用。 更には、1987年頃からドイツ製Krauser(クラウザ−)が活躍し始めます。このエンジンの原形もTZ500です。吸気方式はやはりクランクケースリードバルブ、シリンダーもTZ250用などを使用している。クランクケースはアルミダイキャスト製になり、シリンダーはヤマハ以外に、ホンダRSを用いる事が可能になったのです。 |
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その後1995年頃から98年頃まで、Krauserの設計者が独立して作ったメーカーである「ADM」製エンジンがチャンピオンを獲得し始めます。 このエンジンのシリンダーにも、ヤマハ製以外にホンダRSを用いたりしています。これらアレンジする要素としては、ボアXストロークが初期は56X50mm駄 ったのに対し、54X54mmとロングストローク化する事で、トルクを向上させる為だったのです。その為、希望とする特性を得易いシリンダーを選択していたのでした。 対し、2輪の方では70年代から80年代にかけて54X54mmから56X50mmへと高回転型へと変化していきました。 当然コンロッドの長さは異なる為、長さの合う物を選択し、または調整し組み上げられます。それは、量 産車TZRのものであったり、モトクロスの物であったりします。負荷が大きいエンジン特性である為、レースを走りきる信頼性が必要な為です。 |
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サイドカーエンジンに求められる事 これまでご紹介したエンジン全て、ヤマハTZ500並列4気筒クランクケースの基礎設計を基に製作された物でした。その背景としては、前期した通
り車体が2輪と比較して130Kgも重くパッセンジャーの重さも加わり、また足周りもタイヤサイズも4輪と同様なのでコーナー立ち上がり時に2輪とは次元の違うトルクが出る仕様エンジンでないと、脱出スピードが稼げなくタイムが出ない傾向になるので、これら特性を向上させる為に結果
的にエンジン各パーツにかなりの負荷が掛かかる事になります。 |
現在の2サイクルエンジンの限界回転域は、設計上13000prmと言われており、それ以上の回転数域で出力を得ようとする事は無理な訳です。4サイクルの1燃焼する間に2サイクルは2回燃焼しますので、熱的ストレスも過酷な状態になります。現在のワールドチャンピオンシップのレースでも、40分に近いレース距離で使用されている為、その金属疲労によるトラブルは多いそうです。 この様に、同じ2サイクルエンジンであっても、2輪とは異なる味付けをサイドカー独自の世界で築き上げて来たのです。 |
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シリンダーとピストン ここまでが、エンジンで言ういわゆる「腰下」の概要。腰上であるシリンダー、ピストンですが、こちらは現在の2輪レーサーである、ホンダRS250,125,ヤマハTZ250,125の物が使用されています。ですので、これら消耗パーツは日本国内でも容易に調達できますし、ヨーロッパ各地の各メーカ系店鋪で供給されています。メーカーは2社ある訳ですが、チューニング方向の好みに応じてチョイスします。それぞれポート吸気、排気タイミング、燃焼室容量 等の仕様がありますので、バランスを考え構成する事となります。ここがエンジンチューナーの腕の見せ所でもある訳です。サイドカーの面 白みはドライバーとパッセンジャーの連携で走らせる事の他、エンジンをどのように仕上げていくか、この辺にもある訳です。 |
このシリンダーの種類の中では、80年代初頭に登場した「HHシリンダー」があります。これはサイドカーにとって必要な耐久性、低中速域トルクを増やす為にサイドカー用に製作されました。製作者は「ハンス・ヒュンメル」と言う人が製作したため、HHシリンダーと名付けられました。 我々のチームも3年間程使用しましたが、その耐久性と特性には驚かされた記憶が、体感的に覚えています。レース中ピットにヤマハ関係者が来て、興味深く見ていた記憶もあります。実はこのシリンダー、特性が良いのでその後2輪のレース関係でも、もてはやされていました。HHシリンダーはサイドカーが先に使用したのです。 これと組み合わせるかたちで、クランクケースのところで上げた、「Krauser」「ADM」「JPX」が独自で製作したケースを組み合わせ改良され、よりパワフルなエンジンとなってきた訳です。 |
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スイスオートV4エンジンの登場 1993年頃迄は、ヤマハTZ500エンジン並列4気筒を基礎としたエンジンでした。しかしこの頃より開発されてきたエンジンが活躍し始めます。それがスイスオートによって製作された、V4エンジンです。 このスイスオートV4エンジン、非常にコンパクトに設計されています。その大きさは2輪レ−サ250ccに近い大きさです。このエンジンの特徴は、日本メーカーのレプリカと言う事ではなく、サイドカー用に設計されたヨーロッパ独自のエンジン設計であると言う事です。 できるだけトルク、出力を得る為に不用となるフリクションを無くす為の取り組みがされていて、190psの出力を実現しています。一方反面 、バランサー機構を持たない事から、振動によるトラブル、クラック及び破損が多発した様です。 |
このエンジンは初期にサイドカーで使用されたのですが、「サイドカーの帝王ラルフ・ビランド選手」により、1995年にシリーズ投入されたのですが、事ごとくトラブルにみわわれ、前年のチャンピオンでありながらトラブルによるリタイヤが続いていました。95シーズンも後半改良を施されてきたフランスGPで優勝を獲得しています。この時のラルフ・ビラント選手はドライバーシート上に立って喜びを表す程でした。 |
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このエンジンは、2輪WGPチームのMuzで使用されていました。96、97年には、elf−500にも搭載されていました。左写
真がその搭載時のものです。 スイスオート社は、アウディのチューニングカーの製作等も行っており実績のある会社です。このエンジンを搭載したマシンは日本国内でも、Fujioka Racingによって活躍していました。
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2000年からのエンジン、4ストロークエンジン FIMレギュレーションでサイドカーエンジンの4ストローク化が歌われたのは1998年でした。サイドカートップチームはいち早く1999年より4ストロークエンジンを搭載し選手権を戦いました。そのエンジンユニットはスズキGSX1100、1997年より世界チャンピオンであるスティーブ・ウエブスターによりドライブされました。 |
2000年シリーズ戦がスタートした際は、世界選手権チームの7割が4ストロークエンジンを使用しています。しかし2ストロークエンジンも使用が認められているので、混走してレースが行われています。 |
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