移りゆく季節の中で

このコーナーは、渡良瀬川やその周辺の山などを歩きながら、私の目に留まった植物、動物、昆虫、人間、風景等を広角レンズ的な視野から拾い集めて皆さんに紹介するコーナーです。

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.なごりの春
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日々刻々と変化し続けている春....わが峠道はすでにスミレの季節も終わり、辺り一面が沸き立つような新緑に覆われてしまった。思えば、早春の、まだ冬景色の残る山の斜面にスミレが一つ二つ咲いたといって喜んでいた頃がまるで嘘のようだ。今や春は、もう私をとっくに追い越し、私の遥か前方を急ぎ足で夏に向かって突き進んでいる。...春をこの手に捕まえるためには、もはや千メートル級の山に登って、待ち伏せでもする他はない。今日の写真は、そんな過ぎ去りし早春の記憶を少しでも留めておきたかったので、あえてスミレばかりを載せてみた。次に峠道で、これらのスミレに出会う時....それは、間違いなく来年の春なのです....。(4/25)

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 ヒカゲスミレ            アケボノスミレ            エイザンスミレ

    
タチツボスミレ            マルバスミレ             マキノスミレ

    
シハイスミレ             ニオイタチツボスミレ         オカスミレ

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決定的、その瞬間(3)......オオタカ、カラスを襲う!!

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カラスがオオタカにちょっかいだして、オオタカを追いかけ回している場面はよく見かけますが、オオタカがカラスに襲いかかる場面は、なかなか見るチャンスがありません。今回たまたま私の相棒が、自宅付近でその場面を目撃して、運良く写真に収めることができましたので、皆さんにも紹介したいと思います。襲った方のオオタカも襲われた方のカラス(ハシブトガラス)も共に若い個体のようです。オオタカといえども、若い個体は、まだまだ狩りが下手で、我々が考えるほどには狩りの成功率は高くありません。従って、成鳥のように狩りの腕が上達するまでは、何回もの失敗を経験しなければなりません。しかし、よりによって、カラスを襲うとは.......。下手をすれば、逆にカラスに反撃をくらい、オオタカも但では済まないはずです。なにせ、カラスの、あの大きくて頑丈な嘴です。あの嘴で攻撃されたら、いかにオオタカと言えども、傷ついてしまうこともあるでしょう。それなのに、何故オオタカはカラスなどという危険な鳥を敢えて標的に選んだのでしょうか。この個体、よほど腹を空かせていたのでしょうか.....。それとも、カラス達の執拗な嫌がらせに、ついにキレタのでしょうか......。いずれにしても、オオタカの獰猛さには驚くばかりです。残念ながら、今回の狩りの現場は駐車場だったため、通行人が近づいて、オオタカを逃がしてしまったとのことです。カラスのほうも、致命傷を負わなかったので、危ういところで難を逃れることができたそうです。それにしても、さすがはオオタカです。猛禽と言われるだけのことはあります。同じ猛禽でも、昨日山中で見た『ノスリ』とは一味違うタカです。(1/7)
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(野口氏撮影)
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お願いだから、私のことを『実(み)』と呼ばないで......
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(1)                (2)                (3)

皆さんよくご存知のジャノヒゲです。リュウノヒゲとも言います。『実』は成熟度によって、白から緑、そして最終的には、宝石のような輝きをもった青に変化していきます。子どもの頃、この『実』をたくさん集めて、手作りの鉄砲の弾として、よく遊んだものです。じつは、このジャノヒゲの『実』は実(果実)ではなく種、種子なのです。ふつう私たちは、赤い実、青い実などと、草木になっているものは、何でも実(果実)にしてしまいますが、本当は実と種はしっかり区別されているのです。一般に、実(果実)というのは、子房のなかに種子が収まっている状態のものを指し、種子と言った場合は、子房のなかの、胚珠の成長したものを指します。従って、この概念に基づきジャノヒゲを判断すると、明らかに実(果実)ではなく種子に属するです。
それでは、ジャノヒゲの実(果実)が確かに種子であることを説明します。
まず(写真2)をご覧下さい。種子のてっぺんに、萼のようなものがちょこっと付いているのがおわかりでしょうか。じつは、これは萼ではなく、子房壁(果皮)が破れて残ったものです。ジャノヒゲの種子は、成長の過程で、子房の壁を破ってむき出しになってしまうのです。最初の段階では、子房のなかにちゃんと複数の胚珠が収まっているのですが、それがある時期がくると子房の外に飛び出した状態になるのです。胚珠の段階では、兄弟がいるのですが、成熟できるのは、兄弟のなかのいくつかに限定されてしまいます。成熟できなかった胚珠の兄弟の名残が(写真3)です。青い種子の上方に、小さな粒がご覧になれるでしょうか。それが、かつて、子房の中に、いっしょに収まっていた胚珠の兄弟なのです。
おわかりいただけたでしょうか。ジャノヒゲの『実』は実(果実)ではなく、種子なのです。実(果実)ならば、果肉部分に栄養があり、栄養価も高いのですが、種子ですから、果肉はほとんどありません。従って、仮に鳥が、この種子を食べたとしてもあまり栄養にはならないのです。ですが、ジャノヒゲの方は種子を他の場所に運んでもらえるので、それこそ万々歳なのです。もしかしたら、ジャノヒゲは、自分を栄養たっぷりの果実に見せかけて、だれか(鳥)に食わせてしまおう、という算段かもしれませんね。それは、ちょうど、詐欺師が宝石のイミテーションを外観の輝きだけで誘惑して、客にイミテーション宝石を買わせてしまおうとする戦法によく似ています。『食わして(買わせて)しまえば、こっちのもんだ!!相手が得をしようがしまいが、知ったことではありません!!』.....詐欺師やジャノヒゲがそう言ったかどうかわかりませんが、いずれにしても、『愛』のない商法は長続きしませんよね.......。(11/26)

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懐かしの『オオワシ』
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菊地氏撮影

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知り合いの菊地氏が送ってくれたオオワシの写真です。今、日光の中禅寺湖に飛来しているそうです。
オオワシと言えば、私にも懐かしい思い出が二つあります。一つは、かつて榛名山で見たオオワシです。ちょうど今頃の時季でした。多分、11月23日の勤労感謝の日だったと思います。沼野原の草原を歩いていると、突然今まで聞いたこともないような奇妙な鳴き声が聞こえてきたのです。猛禽類の鳴き声であることはわかっていたのですが、正体は不明でした。ところが、間もなく、前方上空のかなり低いところに巨大な鳥の影が目に飛び込んできたのです。巨大な影は、私のほうに向かってぐんぐん近づいてきました。瞬間『オオワシだ!!....』思わず声をあげてしまいました。オオワシは私の頭上を通り過ぎると山向こうに消えてしまいましたが、その時の光景と感動が、今でもはっきりと脳裏に焼き付いています。
二つ目は、オオワシとオジロワシを求めて厳寒の北海道に友人と二人で旅した時のことです。羅臼の、と或る民家の庭先でした。民家の裏山の木の枝に止っているオオワシをガタガタ震えながら必死に望遠鏡で覗いていた時のことです。私たちの、あまりにも寒そうな様子に見兼ねたのでしょうか....。家の中からおばちゃんが出てきて『....ご苦労様ですね。寒いでしょ、お茶でも召し上がりなさい....』と言って、わざわざコーヒーを持ってきてくれたのです。もう、その時は感激してしまって、『北海道の人って、こんなに親切なんだ.....』と思い、鼻水をすすりながら熱いコーヒーを頂いたのです。なにせ、2月の北海道です。寒いなんてものじゃなく、皮膚が痛くなるほどの冷たさなのです。あの時のコーヒーは本当に有り難かった。あのおばちゃん、今はどうしているだろうか........。今となっては、二つとも懐かしい思い出となりました...。(11/25)
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せんぶり『アリーナ』
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遠くには雪化粧の富士の山        巨岩『タイタニック』       峠のムラサキセンブリ

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センブリの花弁の数を調べたのが、つい昨日のことのようだ....。あれから、もう1年が経過してしまった。今年も、出かけよう出かけようと思いながらも、なかなか出かけられず、とうとう今日になってしまった。
行ってみると、案の定、時既に遅しで、センブリの花は一つも見つけることができなかった。残念である。ここから眺める山の景色は去年とほとんど同じなのに、今年は欠けているものが二つもある。一つはセンブリの姿、もう一つは..........。寂しい限りだ。今日は眼前に広がる山並みの向こうに『夕日』は沈むのだろうか......。(11/25)

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驚き桃ノ木、『虫コブ』の虫!!....
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山の小径は、もう落ち葉でいっぱいだ。晩秋の青空の中を、黄色や茶色に色付いた落ち葉を踏みしめながら、ゆっくりと歩く。私が歩を進めるごとに落ち葉がでカサカサと音を立てる。実に心地よい響きだ。もう、ほとんど葉を落とし切ってしまった木々の間からは、明るい晩秋の光が差し込んで、落ち葉の色彩を、より一層鮮やかにしている。哀愁漂う晩秋の落ち葉積もる山の小径である.......。
そんな山道を『物想い』に耽りながら、しばらく歩いていると、足下の落ち葉に、奇妙な丸い粒の付いた葉が目に入ってきた。虫コブだ。虫コブは、皆さんご存知の方もあると思いますが、或る種の昆虫が植物体に産卵することによって、一部の細胞が増殖したり、肥大化したりして、異常な塊になったものです。今回、私が見つけたものは、ミズナラとコナラに形成された虫コブです。これはナラメカイメンタマバチという昆虫によってつくられたもので、ナラメカイメンタマフシとよばれている虫コブです。なんだか長ったらしい名前ですが、虫コブの名前は、このように長いものが多いのです。とは言うものの、私が興味を抱いたのは、虫の名前ではなく、この虫が産卵に選んだ葉の場所(位置)です。実は、この虫コブ、よ〜く観察すると、葉の裏側に産卵しているだけではなく、ミクロン単位の細い側脈上に産卵しているのです。これにはびっくりしました。人間が縫い針を使ってこの細い側脈の真上に刺そうとしたって簡単にできることではありません。それを、この虫は側脈を寸分も外れず真上に産卵しているのです。この昆虫には、いったいどんなセンサーがついているのだろう.........。しかし、驚いたのは、それだけではありません。なぜ、葉表の側脈ではなく、葉裏の側脈を選んだのか、ということです。これも、皆さんご存知のことかもしれませんが、葉の表側の側脈と葉の裏側の側脈では、役割が違っているのです。表側には導管というものが通っていて、主に水分の通り道になっているのに対して、裏側は師管という葉でつくられた栄養分の通り道になっているのです。ここまで書けば、もう賢明なる読者の方はおわかりでしょう。そうです、昆虫は師管の上に産卵すれば、幼虫は葉でつくられた栄養分を、そっくり横取りできることをちゃんと知っているのです。私は、ここまで考えると、思わず溜め息が出てしまいました。いったい、こんな微小な昆虫が、どのような手だてで、師管の存在と在処を知るのだろうか......。本能の為せる技といってしまえば、それまででしょうが、それにしても驚くべき昆虫の能力です。それに比べて人間は、なんとまあ.....。(11/24)

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藤原定家が、いかに歌詠みの達人でも...
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キョウチクトウの仲間にテイカカズラという蔓性の植物があります。特別珍しい植物ではないので、近くの低山に行けば、杉の木などに絡み付いている姿を容易に観察することができます。いわゆる光寄生植物というやつです。自分の力では上に登ることができず、木々の助けを借りて上へ上へと伸びて、光合成をおこなっている植物です。この植物、キョウチクトウの仲間だけあって、花も小振りながらキョウチクトウとよく似ていて、この花を見ると、思わず小さな風車を連想してしまいます。ただし、渦の巻き方はキョウチクトウとは逆向きですが........。
このテイカカズラが今ちょうど果期を迎えているのです。実は、この植物の果実が、大変おもしろい。まるでハンガーを吊り下げたような格好をしているのです。中心から二股に別れるように二つの細長い鞘状の果実が垂れ下がって、木の途中にぶらさがっています。風がふくとぶらぶらと、まるでモビールの飾りがゆらゆらと動いているような印象を与えます。.....テイカカズラは何故、こんな不格好な果実を身につけるようになったのでしょうか.....。
実は、これにもれっきとした理由があるのです。果実を裂いてみるとわかるのですが、鞘のなかには、種髪(しゅはつ)とよばれるタンポポの綿毛のような、細い、柔らかな毛を身にまとった種子がいっぱい収まっているのです。果実が熟して、鞘が裂けるようになると鞘全体が風に揺すられて、中からこの種髪付きの種子が飛び出して風に乗って遠くまで飛んでいきます。それはちょうど回転するスプリンクラーの蛇口から、水が飛び散っていく様をイメージすると分かり易いかもしれませんね。テイカカズラからすれば、自分の子孫をできるだけ遠くまで飛ばすための手段として考えた(?)のでしょうが、結果的にはこんな仕掛けになってしまったというわけです。まったく面白いですね。しかし、面白がるのはまだ早いのです。もっと凄いことがあるのです。種髪です。実は、この種髪の一本、一本は本当に何ミクロンという細さなのですが、顕微鏡でみると、なんとガラス管のようなつくりをしているのです。管状のつくりになっているのです。私も顕微鏡で確認して、これには全くおったまげてしまいました。しかし、よくよく考えてみると、このつくり、ちゃんと理にかなっているのです。飛ぶものは、すべてできるだけ自重を軽くした方が断然有利なのです。となれば、中身が詰まっているよりは、中が中空になっている方が、いいに決まっています。それは、ちょうど鳥の骨のつくりに似ています。鳥の骨も実は中空になっているのです。これらは、すべて飛ぶことに高度に適応した結果、そうなったということになりますが、植物でも、同じようなつくりになっているとは本当に驚きです。しかも、ミクロン単位の細さのものが、それだけで、もう十分軽いはずなのに、更に軽さを求めて中空になっているのですから、これはもう我々の浅はかな人智を遥かに超えている、としか言いようがありません。まったく『自然の驚異、ここにもあり』ということになるでしょうか........。藤原定家がいかに、歌詠みの達人であっても、テイカカズラがまさか、こんなふうな仕組みになっているとは、夢にも想ってみなかったことでしょう......。(11/23)

  

  

    種髪と種子             種髪の一本一本       同倍率で見た私の髪の毛の一本

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わたし誰の子、スギナの子?.....
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『わたし、ツクシなんですけど....』
そんなこと言われたって、すぐに『はい、そうですか...』と納得できるような代物ではございませんよ。第一、ツクシが11月の今頃に出てきますか?.....
第二に、仮に季節を間違えて出てきてしまったとしても、本来の色とは随分と違ってはいませんか?.......
そんな青々としたツクシなんか、未だかつて一度も見たことがありませんよ。.........だいたい、春のツクシは、もっと淡い褐色ではなかったですか?......。それに、出ている位置だって、少しおかしいでしょう?.....
ツクシは胞子体(胞子茎)といって、ふつう栄養体(栄養茎)とは別の位置に顔を覗かせるもんですよ.........
思わず、そんな遣り取りをしたくなってしまうほど、変な『ツクシ』でした。実は、この変てこりんの『ツクシ』、正体が分からなかったので、いろいろ調べてみたところ、やはり、スギナの変異型で、栄養体(栄養茎)の先端に胞子嚢をつけてしまったものらしいのです。所謂、突然変異というやつで、遺伝的には固定したものではないそうです。一応ミモチスギナという名前がつけられています。
私も『変わり者』とよばれて、随分と長い時間が経過しましたが、いや〜、スギナの世界にも、こんな『変わり者』がいたなんて、驚き桃ノ木山椒の木です!!....。まさに類は友を呼ぶの原則通りの出会いです。
.........きっと『あなた』は、この時季に、私という変わり者に出会う運命だっのですよ......。(11/8)
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蝶と蛾
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自然観察会で、チョウの話をしていると、必ず『チョウとガの違いはどこにあるのですか?....』との質問を受けます。そして、これまた、必ず『夜活動しているのがガで、昼間活動しているのがチョウですか?.....』と聞いてきます。これは、大筋では間違いではないのですが、ガの中には、昼間活動しているものもいますから、すべてがあてはまるわけではありません。『それでは?.....』ということになるのですが、わたしは一番違う点は、『触角ですよ』と答えることにしています。チョウの触角は、こん棒状になっているのに対して、ガの場合は、櫛状というか羽状というか、雌の出すフェロモンを敏感にキャッチできる仕組みになっているのです。夜間活動への高度な適応といっていいかもしれません。ここに載せた触角の写真は、ルーペで拡大したものですが、私は、これを更に顕微鏡で覗いてみました。そうすると、もっと微細で複雑な構造がはっきりとわかります。そして、不思議なことに、この触角に得体の知れないミクロン単位の線虫らしきもの(生物ではないかもしれません)が、螺旋状にからまっていたのです。なんだか見当もつきませんが、まさにミクロの私たちには想像もつかない世界を垣間みた思いがしました。(11/4)

     
                    (ヒメヤママユ) 

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刺がとれて円くなるのはヒイラギで、角がとれて円くなるのは......
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我が峠道の入り口には、山の神様を祀っている祠があります。その祠を囲むようにして、樹齢数百年の杉が数本そびえ立っています。そして、杉の木の下には、3、4メートルはあるでしょうか。一本の常緑樹があります。わたしは、長い間、その常緑樹をシキミだと思っていました。しかし、先日花を見てシキミではないことが判明しました。実は、その木はシキミではなく、ヒイラギの老木だったのです。ヒイラギといえば、すぐに思い出されるのは葉縁にある鋭い刺です。事実、私の頭のなかには、ヒイラギのイメージとしては、あの独特の刺のある葉しかインプットされていませんでした。従って、老木にヒイラギ特有の刺のある葉が付いていれば、すぐにヒイラギとわかったのですが、その老木についている葉は、どれも刺はなく、ほとんどが全縁だったので見過ごしてしまいました。後で、調べてわかったことですが、ヒイラギという木は老木になると、葉の刺がとれて、円みを帯びた全縁の葉に変わるのだそうです。そういえば、どこかの生き物の世界にも、『角がとれて円くなる』という表現があったような気がします。植物の世界でも、生き物の世界でも、歳をとるということは、そのようなことなのでしょうか?........私は、まだ当分、刺も角もとれそうにありません.....。(11/4)

    

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春恋し
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これから、師走を迎えようとしている、この時季に、我が家の庭でヒゴスミレとアカネスミレの花が咲きました。可憐な花をじっと見つめていると、我が心は、思わず過ぎ去りし春に舞い戻ってしまいそうでした。春の『あのヒゴスミレ』は、どうなっているだろうか............。(11/4)

  

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サイカチの種子散布についての『おもろい仮説』
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前回までで、サイカチに於ける『雄花、雌花、両性花』の問題は、少なくとも私の中では決着がつきましたので、次なる『問題』に取り組むことにします。私には、サイカチについて、もう一つ残っている『問題』があります。それは、あの巨大な種子の『散布手段』についてです。
『...いったい、サイカチは、どのような手段を使って種子を散布しているのだろう......あんなデカイ重量のある種子が、風で遠くまで飛ばされるわけもないし、そうかと言って、オニグルミのように水に乗っかって、旅をしていくことも考え難い。その他、エトセトラだが、そのなかでも一番可能性が高いのは動物による被食散布だ。しかし、散布という観点から考えられる動物といえば、これも限られてしまうだろう。鳥かほ乳類以外には、ちょっと考えられない。では、どんな動物あるいは鳥が、食べているのだろう.......。キツネ?、タヌキ?、ネズミ?.......。鳥にしたって、これまで、あのゴッつい種子を啄んでいる鳥の姿なんぞ一度も見たことがない。では、「だれ」が.......。』
そんことを考えている時に、たまたま、サイカチについて述べている記事のなかで、とても面白い仮説を提唱している人に出会った。以下、その人の説を紹介します。その人は、ある時、BBC制作の自然番組を見ていたのだという。そのなかで、アフリカ象がアカシアの、サイカチの実に似た大きな鞘付きの実を食べて、その糞の中から種子が発芽したことを知ったというのです。で、もしかしたら、サイカチも......と考えたそうです。にやにやしながら『ヘェ〜.......日本にも野生の象がいるんかい?.......』などという野暮な質問はしないでくださいね。今の日本に野生の象がいないことくらい幼稚園生でも知っていますから.....。では、『日本の像』とは?......それは、ナウマン象のことです。かつて日本にはナウマン象が生息していたことが化石から明らかになっています。サイカチはかつて、2万年前に絶滅したナウマン象に食されていたのではないか、というのです。そして、サイカチはナウマン象が絶滅した、その時から種子散布の手段を失ってしまい衰退の道を辿っているのではないか、というのです。これは、もちろん実証されたわけでありませんので、一つの可能性に過ぎませんが、私はとっても面白い仮説だと思いました.....。(10/29)
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サイカチ.....やっと、スッキリしました。
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あれから、何ヶ月たっただろうか。あのサイカチに、こんなに大きな実がなりました。長さは20センチはあるでしょうか。サイカチの果実を見る度に、その大きさに驚かせられます。さて、今回、再びサイカチを取り上げたのは、『サイカチに、本当に雌株はあるのだろうか......』に始まる一連の疑問に対する一つの解答になり得るようなヒントを見つけたからです。そのヒントとは........実は、これは全くの偶然だったのですが、ある資料でサルナシのことを調べていたのです。すると、サルナシについて、こんな記述が出てきたのです。『サルナシには、雄株と雌株があり、雄株は雌しべが退化して雄花ばかり。一方雌株は、雄花と雌花をもつ両性花が咲き、実がなる。両性花には多数の雄しべがあり花粉を出すが、この花粉は中身がなく、花粉を雌しべに付けても実はできない。両性花の雄しべの花粉は昆虫をおびき寄せるためのイミテーション......』ここまで読むと、私の頭の中に、ふっとサイカチのことが浮かんできたのです。まさに、サイカチにもぴったりと当てはまるサルナシについての記述だと思ったのです。サルナシは蜜を出さないので、蜜に代わるものを用意しなければ、昆虫に雄株と雌株を行き来してもらえない。そこで、サルナシが蜜に代るものとして用意したのが花粉です。しかも、サルナシの両性花が用意したのは、本物の花粉ではなくイミテーション花粉、これならコストもかからない。自家受粉で結実できる種類ならいざ知らず、自家不和合性の種類が両性花の雄しべにコストのかかる本物の花粉をつくっても意味のないことですものね.......まさに、驚くべきサルナシの経済戦略です。
私は、このサルナシについての記述を読んで、サイカチもサルナシと同じ戦略をとっているのではないかと直感したわけです。もし、サイカチがサルナシと同じ戦略をとっているとすれば、私が探していた『雌株(雌花)』は必要ないし、存在もしていないということになります。
確かにサイカチの花に蜜があるか、花粉は中身があるのか、実証しなければならない点はありますが、サルナシの記述はサイカチにもあてはまるだろうことは間違いないように思われます....。(10/20)
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妙義山......シナノアキギリを求めて
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妙義山....もう、かれこれ36、7年は経つだろうか。まだ、学生だった頃だ。仲間3人で、ここを訪れたことがある。その時は、まだ3人とも山の知識、経験は皆無で、ただ何となく山に行こう、という程度でまとまった山行きだった。なぜ、妙義になったのかはぜんぜん思い出せない。リュック無し、食料無し、登山靴無し、服装はまるで街中でも歩くような超軽装....要するに山に登るための装備は一切用意してなかったということだ。そんな、スタイルで、この険しい妙義に登ったのだから、これはもう、馬鹿というか、無謀というか、怖いもの知らずというか、今思い出すとぞっとしてしまう。実際、どこを、どう登ったのか、ぜんぜん覚えていないのだ。ただ、行く先々が岩場岩場の連続だったことだけは、はっきり覚えている。途中、険しい岩場を前にして立ち往生をしている女性ばかりのワンゲルのグループに出会ったが、それ以外は、誰一人として行き交う者もいなかった。やがて、我々はどこかのピークに達したのだが、その場所も未だに全然思い出せない。ただ、記憶に残っているのは、そこからの眺望がとにかく絶品だった、ということだけだ。真っ青な空、爽やかな秋風、紅や黄色に彩られた山々の紅葉.....目を閉じると、今でも、その光景が鮮やかに蘇ってくる。遥かなる遠い過去の、懐かしい妙義の景色だ。...今日歩いた妙義は、そんな遠い日の妙義によく似ていた....。(10/5)

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  ツルニンジン       アズマヤマアザミ        シロヨメナ        シラネセンキュウ

   
セキヤノアキチョウジ     ヤマハッカ         カシワバハグマ       オクモミジハグマ

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蕎麦の話....『ツル、ツル...』ってわけにはいきませんが....。
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今日は、蕎麦は蕎麦でも、蕎麦打ちの話ではなく、ソバという植物の生態にまつわるお話です。みなさんは、ソバの花というものをよく見たことがあるでしょうか。......実は、ソバの花には二つのタイプがあるのです。一つは、『長花柱花」と呼ばれているタイプで、もう一つは、『短花柱花」とよばれているタイプです。長花柱花は、雌しべが周りの雄しべより長く、短花柱花は、雌しべが雄しべより短いつくりをしている花です。このように、ソバには、長花柱花と短花柱花の二つの異なったタイプの花が混在しているのです。喩えは、ちょっと違いますが、モンキチョウの雌に、黄色と白の二つのタイプがあるようなものと考えてもらえばいいと思います。ここまで書くと、読者の皆さんから、『わかった、だから、どうなんだ!!?.....』そんな声が聞こえてきそうな感じがしてしまいます。実は、『長花柱花と短花柱花の二つの異なったタイプの花が混在している』ということが、蕎麦の実の収穫量に、大きく影響しているらしいのです。......もともと、ソバは、他殖といって、自家受粉で種子を作ることができない植物なのです。他の株の花粉を貰わないと受精できない仕組みになっているのです。従って、当然花粉の媒介者としての昆虫が必要になってきます。そこが、イネやムギと大きく異なるところでもあります。イネやムギは自殖が可能なのです。つまり、自家受粉によって、子孫を残すことができるということです。もう、これだけでも、ソバとイネやムギとでは、大きく収穫量が違ってしまうことは明らかです。ふつう、私たちは、畑一面に咲く、ソバの白い花を見ると、たくさんの実ができるものと錯覚してしまいます。しかし、実際は違うのです。10アール当たりで比較してみますと、イネの葯550キログラムの収穫量に対して、ソバの方は、わずかに葯60キログラムの収穫量しかないということです。これは、大変な違いです。『どうして、そんなに違うのか!!?....』皆さんは、そう考えるかもしれません。それは、先ほどお話したように、自殖と他殖の差が収穫量の違いとなって現れてしまうのです。ところが、.........ソバの収穫量が少ないのは、それだけではないのです。実は、『長花柱花と短花柱花の二つの異なったタイプの花が混在している』ことも、大きな原因になっているのです。昆虫が、花粉を媒介するとき、『長花柱花と長花柱花』、『短花柱花と短花柱花』同士では、受粉ができないのです。受粉が可能なのは、『長花柱花と短花柱花』、『短花柱花と長花柱花』の組み合わせの場合のみなのです。(なぜか?.......それを説明していると、とても長くなってしまいますので、書きません。どうか、御自分で推理してみて下さい。ヒントは、『適度な大きさのハチ類』が、花の中に潜り込むと、ハチのどの部分に花粉が付くか、ということです。)兎に角、これでは、受粉率が低くなるのは当然です。私は、山に行く機会が多いので、山里の荒れ地にソバが植えられている光景を見る機会も大変多いのですが、これまでは、あんな荒れ地に育つくらいだから、収穫量も多いに違いないと勝手に決め込んでいました。しかし、事実は全く逆だったわけです。無知ということは、恐ろしいことだとつくづく思い知らされました......。私は蕎麦は大好きです。よく食べます。でも、これからは、蕎麦をすすりながら、少しは蕎麦の身(実)のことも考えながら食べたいと思います.....。(笑)
ちなみに、花の花弁状に見えるものは、ガクであることも、知って頂けたら幸いです。(10/4)


    

                     短花柱花              長花柱花  

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.タマシギの雄、それは父親の鏡です.....
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   菊地氏撮影(9/27)                 菊地氏撮影(10/5)

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タマシギのファミリーです。ファミリーといっても、父子家庭ですが......。タマシギに会ったのは久しぶりです。実は、この鳥は子育ての一切を雄が取り仕切っているのです。というよりは、雌に全部子育てを押し付けられてしまっている、と言った方がいいかもしれません。雌は産卵すると家族を捨てて、次の雄を求めてさっさと、家出をしてしまうのです。『なに〜!!?.....そんなことが許されるのか!!?.......』読者の皆さん、特に、世のおじさん、お父さん方の怒り狂った顔が目に浮かぶようです。しかし、おじさん達がどんなに怒ろうが、これが現実なのです。さあ、残されたお父さんは、大変です。まずは、卵を温めて、雛を孵すところから、子育ての第一歩が始まります。雄は、雛が孵るまでの約20日間、卵を抱き続けます。やがて、可愛い雛達が卵から孵ると、今度は雛達に口移しで餌を与えます。これは、雛が自分で餌を採れるようになるまで続きます。こんなことを、雄は2ヶ月以上、下手すりゃ3ヶ月ずーっと続けていくのです。私なんぞ、想像しただけで気が遠くなってしまいそうです。そして、つくずく思うのです。『ああ、タマシギの雄に生まれなくてよかった』と。.....ほんとうに、この鳥は、スズメなどの一般鳥類と、すべての面で雄と雌の役割が逆転しているのです。まず、姿形が違います。ふつう鳥は、羽色が美しいのは雄で、雌は地味な色合いをしています。そして、よく、さえずるのも雄です。雄は、雌に美しい姿を見せて、美しい声で雌を誘うのです。それが、普通です。ところが、タマシギは違います。雌の方が体が大きく、羽色も雄より雌の方が断然派手で美しいのです。ということは?......そうです。派手な装いをした雌が積極的に雄に近づき、アマ〜イ声(?)を出して雄を誘惑するのです。誘惑するのは雌なのです!!さあ、いい寄られた雄はどうするでしょう?......いつの世も、雄は馬鹿なのですね〜、悲しいですね〜........雌にいい寄られた雄は有頂天になり、あっという間に地獄の罠にハマってしまうのです。悲劇の始まりです。あとは、もう推して知るべし.....。タマシギとは、そんな鳥なのです。業界用語では、一妻多夫の婚姻様式と言います。ここまでお読み頂いた世のお父さん、誠にありがとうございました。よくぞ、ここまで我慢して読んでくれました。皆さんの渋〜い顔が目に見えるようです。でも、お父さん方、世の中は、そんな不平等ばかりではありません。自然は、ちゃ〜んと、一夫多妻という婚姻様式も用意していますから........。(9/29)
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ほんの些細なことですが.....
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   雌株                   雄株

   
     果実            左 雌株    右 雄株      上 雌株    下 雄株

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みなさん、春の頃、本HP上でサイカチの記事を載せたのを覚えているでしょうか。今日、久しぶりに あのサイカチに会ってきました。あの頃、まだ花だった両性花は、それはそれは大きな、見事な果実に変身していました。大きく育った果実を見つめながら、私も、あの頃の諸々のことが懐かしく思い出され、とても感慨深い気持ちになってしまいました......。
ところで、今日私が改めてサイカチの話題を取り上げたのは、『あること』に気がついたからです。雄株と雌(両性花)株の葉の色が明らかに違っていたのです。雄株の葉は緑が淡く、雌株は葉の緑が濃いのです。これは、部分的な違いではなく、全体の葉の色が明らかに違っているのです。私は、雄株と雌株とでは、こんなにも葉の色に違いがあるのかとびっくりしたほどです。....なぜ、そんな違いが生じるのでしょうか?......
ここからは、私の仮説になります。そもそも、緑が濃い、淡いとはどういうことなのでしょう.....。私の考えでは、緑が淡いとは、葉緑体の発達が不十分か、あるいは葉緑体の葉緑素が分解を始めたか、そのいずれかである、ということです。どちらの場合も、葉緑素の数が少なく、カロチノイド色素の方が葉緑素の緑より優位になり、見た目には黄色に近づいていくことになります。逆に、緑が濃いということは、葉緑体の発達が十分で、葉緑素の分解も進行してない。つまり、葉緑素の数が多いということになります。このことから、雄株の葉には、葉緑素の数が少なく、雌株の葉は葉緑素の数が多いということができると思います。では、なぜ雄株は葉緑素が少なく、雌株は多いのか?..........これこそが、問題です。
これも、私の考えになりますが、雌株は受精後、あの大きな果実を完成させるには、膨大なな時間と莫大なエネルギーを費やさなければならない。そのためには、エネルギーを継続的に十分作り出す必要があります。つまり光合成で、あの馬鹿でかい鞘と種子を作り出す素材(ブドウ糖)を安定的に十分作り続けなければならないことになります。そのためには、十分な数の葉緑素の確保がどうしても必要になってくるわけです。葉緑素が少なくては、十分な光合成はおこなわれません。一方、雄株の方はどうかというと、花粉を作るだけのエネルギーが確保されれば、あとは、もうそんなにガツガツしなくてもよいことになります。だから、葉緑素の数は、最初から少なめでもよいし、たとえ、たくさんあったとしても、ある程度のところまでいったら、分解して数を減らしてもなんら問題がないということになります。....そういえば、雄株と雌株の葉では、触った感じも、いくらか違うような印象を受けました。雌株の方が硬く厚みがあるように思えたのです。もしかしたら、最初から雌株の方が葉緑体の発達がいいのかもしれません。しかし、別の考えもできます。あるところまでは、同じ葉緑体の発達が進み、ある時点で、雄株の方が早く葉緑素の分解が始まり葉緑素の数が減りだすとも考えられます。これを、実証するには、それ相応の実験設備が必要となるので、私個人ではどうすることもできないのですが、いずれにしても、雄株と雌株の葉に色の違いが出てくるということは、以上のような理由があるような気がしてなりません。みなさんは、どのようにお考えになるでしょうか......。(9/27)
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夕焼け小焼けの赤とんぼ...
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  ヒメアカネ              マイコアカネ
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夏の間、気温の低い山地で避暑生活をしていたアキアカネ......秋の涼風に乗って、一斉に平地に戻ってきました。今、水辺や田んぼの上空をたくさんのトンボが飛び交っています......アキアカネに加えて、マユタテアカネやミヤマアカネ.....みんな赤トンボの仲間です。.田んぼの稲穂は黄色く色付き、草の間からは、虫の音のやさしく悲しい鳴き声が響いてきます........秋色のオブラートに包まれた、真っ青な空、やわらかな落ち着いた陽の光、さわやかな風、色付き始めた落葉樹の葉、そのどれもが、私の心を揺すります。夕焼け小焼けの赤トンボ......いつか会いたかったトンボです。(9/27)
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彼岸花に寄せて.....(2)
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最近、ヒガンバナの白花(シロバナマンジュシャゲ)を時々見かけることがあります。普通のヒガンバナがどぎつい紅色をしているためか、白花に出会うと妙に爽やかでやさしい印象を受けてしまいます。一体、この白花のヒガンバナは、どのようにして生まれたのでしょうか。一般に、白化個体は、動物でも植物でも遺伝子の突然変異で誕生することがわかっています。従って、ヒガンバナの白花もごく単純に考えれば、赤色個体の突然変異と考えても間違いではないような気がします。しかし、ヒガンバナの場合は、突然変異ではないもう一つの説があるのです。それは、ショウキズイセンという植物とヒガンバナの交雑によって生まれた雑種という考え方です。ショウキズイセンは、ご存知の方もあると思いますが、花の造りがヒガンバナによく似た黄色い花を咲かせる植物です。もちろん、ヒガンバナ科です。四国から沖縄にかけての暖地に生育している花です。英名は『Golden Harricane』という勇ましい名前がついているそうです。この花を見て、なぜハリケーンを連想するのか、私にはとても理解できませんが、もしかしたら、ハリケーンの渦巻き雲に由来しているのかもしれませんね....。余談になってしまいました。ここでは、名前の由来がテーマではありませんので、本題に戻ります。ヒガンバナの由来が、果たして『突然変異』によるものなのか、『交雑』の結果生まれたものなのか、上述したように説は二つあるのですが、実際のところは、どうもはっきりしないようです。現段階では、雑種という考えのほうが有力らしいのですが、これはこれで、また、いろいろと問題があるようなのです。なぜかというと、日本に生育しているヒガンバナは、みな染色体が3倍体といって、種ができない仕組みをもっているのです。だから、そんな個体がそもそも受精すること自体が矛盾しているという考えもあるのです。いずれにしても、どちらかであることは間違いないと思われるのですが、なんだか、よくわからない話ですね。要するに、私は、ここでは、ショウキズイセンという植物があって、それがシロバナマンジュシャゲの誕生に関わっている可能性があるということを知って頂けたら、それでいいと思うわけです。(9/27)

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思い草
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『うつむきて 誰を想うか 思い草』......この花をじっと見つめていたら、こんな駄作が浮かんできてしまいました。『思い草』とは、ナンバンギセルのことです。この植物は、葉緑素をもたないので、光合成ができません。従って、自分で栄養を作ることができないので、他の植物に寄生して、その植物から栄養分を取り込んでいる寄生植物です。多くの場合、ススキの根に寄生しているので、ススキのあるところで見られます。私がこの花を見つけたのもやはりススキの下でした。ススキの根元にひっそりと隠れるように咲いている思い草......秋風に揺れるススキの葉の下で、なぜか淋しそうにうつむいていました......。(9/26)

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ホントかしら?.....
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最近、公園の生け垣などでアベリアという低木をよく見かける。日本名はハナゾノツクバネウツギとよばれている。釣り鐘状の可愛い花を多数つけるツクバネウツギ属の低木である。しかし、この木の面白いところは、花より、むしろ葉の付き方(葉序)にある。葉序は大別すると、輪生、対生、互生の3つのパターンに分けられるが、一般的な植物は多くの場合、木本草本に限らず、種類によって、この3つのうちの、いずれかのスタイルをとっている。例えば、ツリガネニンジンは輪生、アジサイは対生、ヤマザクラは互生という具合だ。では、アベリアは?......実は、この木は、上述した植物達とは、少し様相が違っている。驚いたことに、アベリアには、輪生、対生、互生の3つのパターンが混在しているというのだ。私は、それが事実かどうか自分の目で確かめたくなって、さっそく、アベリアを探して調べてみた。すると、どうだろう、本当に複数の葉序が見つかった。まず、目についたのは対生で、これが一番多く、次に見つかったのが輪生(3輪生)、これは、そんなに多くはなかった。そして、互生.........ところが、互生の葉序....これは、私が探した限りでは、いくら探しても見つからなかったのだ。『多分、私の探し方が足りないのだろう...』そんな思いもあったのだが、一方では、あまり見つからないので『ほんとうに、互生もあるのだろうか...』そんな疑念が沸き起こってきたのも事実である。
そんなわけで、とうとう互生の葉序は見つからないままに終わってしまったのですが、これからも、機会を捉えて自分なりに探してみるつもりではいます。どなた様か互生の葉序を私より先に見つけた方がありましたら、教えて頂けたら幸いです。(9/25)

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彼岸花に寄せて.....(1)
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皆さんよくご存知のヒガンバナ(彼岸花)です。マンジュシャゲ(曼珠沙華)とも言います。天上に咲く赤い花という意味があるそうです。今、田んぼの畦道を歩くと、至る所で、その鮮やかな姿を目にすることができます。黄色く色付いてきた田んぼの稲穂と真っ赤なヒガンバナ....見事な配色です。二色効果です。ふつう二色効果という場合、植物が昆虫を含めた動物達に対して実施しているものですが、この場合は偶然にも人間のための二色効果になっているようです。お互いが引き立て合って造り出している美しい景観は、まさに天上の世界を表現している、と言っても過言ではないでしょう。それは、また、古来より連綿と続いてきた懐かしい日本の農村地帯の原風景というべきものでもあるかもしれません。広々とした田んぼに一人たたずみ、この美しい景観に浸っていると、心はいつしか遠い遠い昔に引き戻されてしまいそうな錯覚を覚えます。ヒガンバナとは不思議な力をもった花です.....。
.......ところで、ヒガンバナには曼珠沙華の他にも、もう一つ、とても素敵な名前が付けられているのをご存知でしょうか。『相思華』という名前です。ヒガンバナは花が咲いている時季には、葉はありません。また、葉がいっぱい繁っている時季には、これまた花はないのです。ですから、葉と花が地上でいっしょに出会う時はないのです。そんなところから、ヒガンバナは『花が咲く時は、花は葉のことを思い、また、葉の時季には、葉は花のことを思っている...』ということになったのでしょう。お互いに相思い合う花、つまり『相思華』なのです。実に詩情豊かなほのぼのとした名前ではありませんか。しかし、それは同時にちょっぴり哀愁を感じさせる名前でもありますね。...きっと、ヒガンバナに似たような男女がいたのでしょう......。
それに比べて、欧米人たるや、ヒガンバナのことを『Red spider lily』とは、あまりにも即物的というか、デリカシーに欠けるというか、これは、もう農耕民族と狩猟民族の感性の違いそのものなのでしょう.....。(9/22)
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やっぱり、お仲間さんでしたね.....
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ツユクサ                      ヤブミョウガ

先日、と或る公園に立ち寄ったら、その片隅にヤブミョウガの小群落があった。ヤブミョウガは、今ちょうど果期を迎えているところだった。光沢のある黒紫色の実が輪生状に並び、とても風情があって面白い。『...そう言えば、ヤブミョウガはミョウガと名が付いているけど、ミョウガの仲間ではなく、ツユクサの仲間だったな..... 』そんなことを考えながら、しばしの間、放射状に並んだ果実を見つめていた。『...ところで、ヤブミョウガはツユクサの仲間というけど、ツユクサとどこに共通性があるのだろう....』そんな疑問がふっと頭をよぎった。植物体の大きさといい、形態といい、ちょっと概観しただけでは、類似性は見えてこない。私は、ちょうどいい機会だと思い、確認がてら調べてみることにした。しかし、調べるにしても、どこを比較すればいいのか迷った。葉や茎、果実を調べたところで、あまりにも大きさや形態が違い過ぎるので、そこから簡単に共通性が浮かび上がってくるとは思えなかった。では、どこを調べればよいか?....妙案が浮かんでこない。ま、取りあえず『...両者の花のつくりでも比べてみようか.....』そんな軽い気持ちで、『花』に着目してみることにした岡田さんでした。幸いなことに、ヤブミョウガには果実に混じって、まだ咲き残りの花がいくつか残っていた。......花を見て、驚いた。小さいのだ。ツユクサどころではない。ツユクサの花より、ずっと小さいのだ。おまけに、ツユクサのように色がついているわけではない。白一色だ。これでは、遠目に見ただけでは、花のつくりなどわかりっこないと得心がいった。私はこれまでも、ヤブミョウガの花には何回も出会ってきた。しかし、私がこれまで見てきた花は、この小さい花の塊だったのだ。植物体全体の大きさは、ツユクサの何倍もあるヤブミョウガですが、個々の花はツユクサより、ずっと小さかったのです。そして、更にわかったことは、両者の花のつくりが、とてもよく似ているということです。確かに、花弁一つ一つは大きさも形態も違うのですが、花弁の付き方や萼の付き方は、まさに『ツユクサ』なのです。雄しべ(6)雌しべ(1)の数も同じです。ここに至って、ようやくヤブミョウガがツユクサの仲間であることを改めて実感することができたのです。読者の皆さんからは、『何を今更....』と笑われてしまいそうですが、やはり、自然観察はものぐさをしていてはだめですね....。
ところで、話は変わりますが、両者の花を『ポリネーター』という視点から考えたら、どうなるでしょうか......。色は白一色で地味で小さいが、一株の花数ではツユクサを断然圧倒するヤブミョウガと、一株の花数は少ないが、花びらを大きくして、しかもその花びらには鮮やかな青を塗りたぐり、それでも、まだ足りずとばかりに、雄しべにまでに派手な細工を懲らして目立とうとするツユクサ.........さてさて、虫さん達は、どちらに強い『よろめき』を感じるでしょうか。『数打ちゃ当る』戦法と『一発必中』戦法の軍配はいずれに?....。(9/20)

 
      ツユクサ                        ヤブミョウガ

 ミョウガはショウガ科です。
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閑話休題......ウソのような、ホントのような『小話』(7)
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8月から9月にかけて、畦道や田畑でよく見られる雑草でタカサブロウという1年草があります。まるで、人の名前のような植物ですが、名前の由来は、はっきりしていません。くすんだ白色の小さな頭花をつける地味な草なので、特別植物に興味を持っている方を除いては、馴染みが薄いかもしれません。今日は、このタカサブロウをめぐっての先生と生徒のやりとりです。
或る日の観察会の帰りです。休憩のため、と或るドライブインに停車しました。先生は雑草が繁茂している場所に陣取り、生徒さん達が用を済ませて戻ってくるのをコーヒーを飲み飲み、タバコをふかして待っています。やがて、用を済ませた生徒さん達が一人二人と集まってきました。先生は、生徒さん達が勢揃いしたことを確認すると、何気なく、目の前の雑草についての解説を始めたのです。生徒さん達は、山でさんざっぱら、いじめられてきたので、もう頭の中は植物で爆発状態のはずです。でも先生は、そんな生徒さんのことなどお構いなしです。『これが、メヒシバ、その隣の太めのものがオヒシバ、真ん中辺に見えるオレンジ色の花はマルバルコウソウ、そして.........』
T 『その左の方に見える、白っぽい小さな花、皆さん見えますか? タカサブロウという草です。』
さ〜ちゃん 『へえ〜.....マタサブロウですか!!?....』
T 『...........』
T 『今、なんと言いましたか?......』
さ〜ちゃん 『マタサブロウです』
T 『マタサブロウ!!?.....』
さあ、先生の顔色が変わりました。
T 『ちがうでしょ!! タ、カ、サ、ブ、ロ、ウ!!.....』
T 『マタサブロウは宮沢賢治でしょうが!!今は文学の時間じゃありません!!....まったく!!.....』
その後、先生はマメアサガオやトキワハゼなどの野草の解説をした後、再びタカサブロウの白い花を指差して.......
T 『好子ちゃん、あれ、なんだったっけ?....』
意地悪な先生です。
好子ちゃんは、一瞬ドキリとした様子で、傍にいたさ〜ちゃんの後ろに、さっと隠れました。
そして、さ〜ちゃんの肩越しから、そっと顔を覗かせて、小さな声で....『トキサブロウ......』
それを聞いた先生、もうすっかり呆れ返った様子で、『ダメだ、こりゃ!!帰ろう!!帰ろう!!....』
一同、大笑いをして、車に乗り込んだのでした。
先生を含めてまったく愉快ないつもの観察会の面々でした。(9/17)
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 クサギ....美しくもあり、また、おかしくもあり
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クサギの花と果実             花                果実

キバナアキギリの黄色い花が咲き始めた我が峠道、さすがに今日の曇り空は『秋の恋空』というわけにはいかなかったが、それでも、植物達は間違いなく秋の到来を告げていた。今が盛りとばかりに鳴く、ではなく、『咲く』ホトトギス。ミズヒキに囲まれながら、楽しそうに一人ハンモックにぶら下がっているツリフネソウ。優しさと儚さを漂わせ、私の心をそっと揺さぶるアキノノゲシ。そして、小さい、小さい白い花は、秋を知らせるマツカゼソウ...。
一方、木々達は、と言えば、花の季節を無事乗り越えて、今は立派に育った果実が熟すのを唯ひたすら待つばかり。そんな木のなかで、今、花と果実がいっしょに見られる木本がある。クマツヅラ科のクサギという木だ。クサギは漢名で表記すると『臭木』で文字通り『臭い木』という意味である。実際、葉をちぎって臭いを嗅いでみるとニワトコの香りにも似た独特の強い香りをもっていることが了解できる。葉は食用にできるので、もちろん毒ではないが、特有の香りは人によっては、敬遠してしまうかもしれない。峠道には、このクサギが道に沿って、けっこう生育しているのだ。実がついているくらいだから、もちろん花のピークは過ぎて、花数は少ない。しかし、この時季、花と実が同居しているということで、花から果実ができる過程を順序よく確かめることができる。私も、これまで花や果実をその都度観察してきて、それらがとても魅力的であることは知っていたのだが、敢えて花から果実に至るプロセスや花や実のつくりを詳しく調べたことはなかった。今日は、たまたま、いい機会を得たので、私自身の確認の意味も含めて、皆さんにも少し御紹介することにする。
(1) これは蕾ではなく萼。蕾は萼に包まれて見えない。
(2) 萼に包まれていた蕾が中から出てきた。
(3) 蕾が成長すると、こんな花(合弁花)になる。雄しべ(4)雌しべ(1)。ピンク色のふくらみは萼。
(4) 受粉すると、やがて、花は雌しべだけを残して、そっくり抜け落ちてしまう。
(5) 残った雌しべが萼の中から伸びている。蕾が出てくる時に、萼は一度開いたはずなのにしっかり閉じている。不思議ですね〜.....。
萼の中には大切な子房が入っているので、それを保護するために、また萼片をしっかり閉じてしまったと考えられる。
ガクを分解して子房を調べたら、直径2ミリ弱の緑色をした子房が収まっていた。雌しべ(花柱)の長さを測定したら、なんと5センチあった。驚きでした。ちなみに、花筒の長さは2、5センチ、直径は2ミリだった。このことから、この花のポリネーターは、相当長い口吻の持ち主でないと吸蜜できないだろうことが容易に推測できた。事実、観察中にモンキアゲハとオナガアゲハが飛来して吸蜜していたので、この植物は、大型のアゲハ類と共生関係にあることがわかった。
(6) 子房が成長してきたのか、萼が一層赤味を帯びてきたのと同時に全体が膨らんできた。
(7) 成長した葯8ミリの子房(果実)が 萼の中から姿を見せ始めた。
(8) 果実が完全に露出すると同時に萼片は外側に反り返り、見事な星形を形成した。完成である。配色といい、造形美といい、実に見事である。特に、赤と青の配色は、『二色効果』といって、自然のなかで自分を一際目立たせるための工夫である。クサギはいったい、誰のために、自分を目立たそうというのか?......それは、もちろん、鳥である。鳥にいち早く見つけてもらい、食べてほしいのだ。しかし、残念ながら、鳥はこの果実をあまり好まないらしい。それでも、ルリビタキやメジロ、ジョウビタキなどは、この果実を食するというから、そんなに極端に不味くはないのだろう....。
それにしても、この木、もっと他に名前はなかったのでしょうか。こんなにも優雅な花と、ユーモラスな果実を見事にコラボさせて一生懸命生きている植物に、単なる『クサギ(臭い木)』とは、あまりにも小馬鹿にし過ぎているような気がしてならないのですが....。(9/15)

    
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『恋空』in September
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今日は朝から雲一つない、文字通りの快晴だ。こんな晴れ晴れとした天気は、いったい何日ぶりだろう.....ちょっと振り返っただけでは思い出せない.。そのくらい久方ぶりの青空に思えた。幸いなことに今日は仕事が入ってない......となれば考える余地はない、一分でも早く野山に繰り出すだけだ。方面は運転しながら決めればいい.......。
私は急いでいつもの最低限の装備を整えると、車に飛び乗った。車を運転しながら行き場所を考えたが、不思議と今日は遠出をしたい気持ちは起こらなかった。どこか近場....それも、いつも峠道ではない近場の山.....。
谷沿いの山道を行き止まりまで進めると、そこには一台の車もなかった。もちろん、人の気配もない。私一人だけだった。駐車スペースを囲むようにして杉の木立が立ち並ぶ。初秋のやさしい光が木漏れ日となって地面に絵を描いている......静かだ.....。
小さな谷に沿って林道を歩き始めるとツクツクホウシの鳴き声が聞こえてきた。その声からは、まるで去り行く夏を懸命に押しとどめようとしているかのような悲痛な叫びにも似た響きが伝わってくる....。斜面の薮からは、もう美しくさえずる必要もなくなったウグイスやホオジロのやさしい地鳴きが耳に入ってきた。鳥達も繁殖という大仕事を無事に終え、今は疲れ切った体を癒しホッとしている最中なのだろうか......。
道沿いには、野菊が可憐な姿を見せ始めた。シラヤマギクやユウガギク.....私の大好きなアキノノゲシも咲き始めた。秋だ.....。
雨降山のピークに辿り着く。すばらしい景観だ。頂上から下に続く反対斜面は伐採後なので、前方の景色を遮るものは何もない。梅田の街並みを間に挟み、真正面には鳴神から吾妻山に至る連山が長く横たわる。澄み切った爽やかな山上の空気と初秋のやさしい光、頭上に広がる真っ青な空.....。
私は切り株に腰を下ろしタバコに火をつける。白い煙は青空に向かって、ゆっくりと上昇していき、やがて青空の中に溶け込んだ.....。(9/9)

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いったいお前は何者ぞ!!?......
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(上記の写真は別々の個体です。恐らく、時間の経過が違う個体でしょう。)
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この得体の知れない不気味な生き物....なんだかおわかりになりますか?。これは、アケビコノハというガの幼虫なのです。たぶん終齢幼虫で、この後まもなく蛹になる個体だと思われます。本当に奇怪な姿をしています。第一、どっちが頭で、どっちが尻なのかもわかりません。ちょっと見ただけでは何がどうなっているのか分からないのです。たぶん、何かに擬態していると思われますが、いったい何に擬態しているのか皆目見当もつきません。でかい目玉模様にしても、丸い部分にしても、私にはどう見ても『化け物』に似せているとしか考えられないのですが、皆さんなら何に見えるでしょうか?....
さて、この奇怪な幼虫、いずれは蛾になって飛んでいく訳ですが、この成虫がこれはこれで、また『ただ者』ではないのです。実は、この成虫の翅が、これまた尋常ではないのです。なんと、翅が『枯れっ葉』にそっくりなのです!!。いや、枯れ葉そのものと言っていいくらい、よく似ているのです。葉の葉脈まで『偽装』しているのです。いつぞやの偽装建築士のカツラどころではないのです。まさに、完全偽装といってもよいでしょう。そのくらい、枯れ葉に似せた翅をもっているのです。私なんぞは、もうその『枯れっ葉』を見ただけで、目玉がきょろきょろして、目玉が飛び出てしまうほどに自然の驚異を感じてしまうのですが、この蛾の不思議は、それだけに止まらないのです。或る時、この蛾の成虫を山の中で見つけて、行動を観察していた時のことです。逃げる個体を追っていくと、その個体は、青い葉っぱの付いている枝には止らず、なんと枯れ葉がいっぱいぶら下がっている枝を見つけて、そこに止ったのです。自分とそっくりな枯れ葉でした。成虫と枯れ葉が並んでいる姿はまるで、枯れ葉に同化してしまったかのように思えました。ちょっと、目を離すと、どれが蛾で、どれが本物の枯れ葉か区別できないくらいよく似ていたのです。幼虫は『化け物』、成虫は『枯れっ葉』.....まったく言葉がないとは、このことでしょう。
以上、アケビコノハの擬態がいかに凄いかということはお分かりになったと思いますが、私の興味関心は、他にもあるのです。それは、『枯れっ葉』に似た翅をもつ蛾が、自分にそっくりな葉っぱを探し出し、そこに止るとはどういうことなのか?という問題なのです。『自分にそっくりな葉っぱを探し出す』ことができるということは、その前提として、最低限、自分が『枯れっ葉』模様の翅をもっていることを自分自身が了解してなければ、目当ての『枯れっ葉』を探し出すことは不可能だと思うのです。果たして蛾は、『自分自身』を知っているのだろうか.....人間の自意識とまではいかないまでも、人間以外の生き物も、何か人間に似たような自己を認識できるような能力というか仕組みを持ち合わせているのだろうか.......これは、私にとっては、いつも興味深い謎なのです。(8/2)

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たとえ道半ばにて、命尽きようとも.......
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これは、脱皮(羽化)に失敗して、なす術もなく、命尽きるのを唯じっと待っているだけの悲しくも実に哀れなオニヤンマの姿です。....5年もの長きにわたり、山あいの細き流れの砂底に身を潜め、いつの日か大空を自由に飛び交うことができる日の来ることをひたすら信じて、今日まで懸命に生きてきた彼女でした。しかし、運命は彼女に対してあまりにも残酷だった。あと何分か我慢すれば自由になれると思った最後の最後の瞬間に、無惨にも、彼女から夢を奪い取ってしまったのです。4枚ある翅のうち1枚が殻にひっかかり、殻を脱ぎ捨てることができなかったのです。あらゆる生き物の中で、トンボほど飛行技術にすぐれた生き物はいないといわれていますが、そのトンボでも、3枚翅ではどうすることもできません。万事休すです。これが自然の厳しさだと言ってしまえば、それまでですが、それにしても何とも痛ましく哀れなオニヤンマの姿ではありませんか...。トンボは脚があっても歩くことができません。従って彼女は移動ができないので、食べることも飲むこともできません。唯ぶら下がったまま命の尽きる時を待つ他はないのです。なんと哀れな....。彼女は、あと幾ばくもない『生』のなかで、枝にぶら下がりながら一体何を考えたでしょうか.....。空を飛べなかったことを、自分に運がなかったことを、ひたすら嘆き悲しんだのでしょうか......。それとも.....大空を自由に飛び回ることはできなかったが、これまで水面下からしか伺い知ることしかできなかった憧れの『世界』をほんの僅かな時間ではあったが、実際に自分の目で見て、確かめることができた....それができたことだけでも幸せだと思ったでしょうか......。人間である私にはトンボの真実はわかりませんが、ともかくも、そんな愚にもつかぬことを考えながら、私は足下を流れる爽やかなせせらぎの音をぼんやり聞いていたのです。すると、一瞬夢でも見たのでしょうか。水の音に混じって、誰か人のような、人でないような声が私の耳元に届いたのです。それは、慈愛に満ちたとてもやさしい口調でした。『....山並みの向こうに広がる夏の青い空、白い雲、...生命感に溢れた木々や草の緑、そして、君が5年間暮らした清き水の流れ、その流れに冷やされた爽やかな涼風.....そのなかの一つでも見て感動できたら、君は幸せ者だよ.....。』....それは、天命を全うし得なかった哀れなオニヤンマに対する自然の神からの慰めのメッセージのようにも思えた.......。(7/23)

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淋しくもあり、嬉しくもあり.....来年、また戻ってお出で!!
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サンコウチョウが無事巣立ちました。昨日(9日)の早朝、平野さんが観察に行った時は、もう雛達は巣の中にはいなかったといいますから、巣立ちしたのは8日ではないかと思われます。私も今日、行ってみましたが、雛の姿はもちろん、親の姿も声も確認できませんでした。もう、場所も移動してしまったようです。結果的に、前回の写真が雛達の最後の姿になってしまいましたが、目の前から姿が消えてしまうと、それはそれで何だか淋しいものです。
しかし、巣立ったとは言え、まだまだ十分な体力も飛翔力も持ち合わせていない子ども達です。今後、どれだけの困難と試練が彼らを待ち受けていることでしょう.....何とか力強く成長して、無事に越冬地に向かってほしいと思います....。(7/10)

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一日花
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以前も本HPで紹介したことのあるヤブカンゾウです。今、我が家ではこのヤブカンゾウの花が最盛期を迎えています。かつて山里から一株とってきて餓えたものが、今や増えに増えて花茎が50本以上も出るようになってしまったのです。ヤブカンゾウは、皆さんよくご存知のように、ユウスゲやニッコウキスゲと同じ仲間、ヘメロカリスの一種です。ヘメロカリスというと、今では園芸品種群をさすようですが、本来はユリ科ワスレグサ属の総称をヘメロカリスというのです。ちなみにHemerocallisはギリシャ語の「hemere(一日) + kallos(美)」から造られた言葉であると言われています。『一日の美』『一日だけの美』....なんとステキな言葉ではないしょうか。確かに、ユウスゲやニッコウキスゲにしても花の命は短く、ほんの2、3日です。ヤブカンゾウに至っては、完全に一日で終わってしまいます。...明日を憂うこともなく、過去を振り返ることもなく、今日一日だけを精一杯美しく生き切り、新しい命を次の蕾に託して、自分は夕べには騒がず悔やまず静かに枯れていく.....なんと潔い生き方なんでしょう!!...。人間もこんな風に生きられたら、どんなにかすばらしいでしょうに.....。
『一日花』とはよく言ったものです。儚さを漂いさせつつも、実に味のある美しい響きをもった言葉ではありませんか......。
実は、私は、ヤブカンゾウをこんな風に語るつもりはなく、花を食べる話をしたいと思っていたのです。しかし、この『流れ』のなかでは、心境的に、とても花を食べる方向に話を向けることができなくなってしまいました。いずれ、新たな心境のもとで、別の角度からお話したいと思います。(7/9)

    
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決定的、その瞬間!!(4)......増々大きくなりました!!
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平野さんからの8日現在の最新情報です。サンコウチョウの雛が増々大きくなってきました。この様子だと、あと2、3日で巣立ってしまうかもしれません。それにしても、雛達の成長速度の速いこと、速いこと........びっくりしてしまいます。(7/8)

  
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トンボの夏
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まるで、梅雨があけてしまったかのような猛暑のなかを、私は頭には麦わら帽子、首にはいつもの青タオル、足はもちろん長靴、そして夏になると不思議と着たくなる愛用のシャツを身にまとって、と或る山中のトンボ池に遊んできた。......そう言えば、このシャツを着始めてから一体どのくらいの年月がたっただろうか...。ずいぶんと長い間着てきたように思う。今まで、シャツのことなんか、改まって考えてみたこともないが、単純に振り返ってみただけでも、恐らく20年は経っているのではないかと思われる。もう、襟首部分の布はとっくの昔に裂けてしまい、ご丁寧にも裂け目は布製のテープで塞いである。また、シャツを広げて透かしてみると、向こう側が見えるのではないと思われるくらい布地は薄く擦り減ってしまっている。それでも、まだ捨てないで着ている......普通ではない。人が見たら、こんなのをいまだに着ている奴は、よほどのケチか、金がないか、あるいは、よほどこのシャツを大切に扱ってきたか、そのいずれかと思うであろう。しかし、実際は、そのいずれでもないのだが.......。とにかく、とても人様の前で堂々と着られる代物ではない。だから、これを身につける時は、夏の盛りの、とりわけ暑い日の、しかも人気の無い山中を一人で歩く時に限られる。実は、このシャツ、肌触りがよくで着心地が絶品なのだ!!....。それに、このシャツには、私がこれまで山歩きをしてきた夏の時間が凝縮されて染み込んでいるような気もする。このシャツを着て歩くとき、何故か遠い昔の自分に出会っているようなとても懐かしい気分になるのだ。....そんなことを考えながら、私は今日も、このシャツを着て、汗びっしょりになりながら、お目当てのトンボを探しに池まで歩いてきた。今年もトンボの夏が、あの擦り切れシャツと共に私を訪れたのだ。トンボの夏は私の夏であり、それはまた、私が少年に戻る季節でもある。私はこの先、愛用の『ぼろシャツ』を着てあと何回夏を経験できるのだろうか。『ぼろシャツ』が使い物にならなくなってしまう前に、私の体の方がボロボロになってしまわなければいいのだが.......。(7/7)
                             イトトンボ三題

  
モノサシトンボ           キイトトンボ            クロイトトンボ

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決定的、その瞬間!!(3)......こんなに大きくなりました!!
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日に日に成長するサンコウチョウの雛達.....昨日、私も平野さんに案内して頂き子育ての様子を観察してきました。雛達のなんと可愛らしいこと!!
.....巣のなかには全部で4羽いるのですが、できることなら、皆さんにも見せてあげたいくらいです。残念ですね〜......。(7/6)

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決定的、その瞬間!!(2)......
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いつも、野鳥に対して温かい眼差しを向け続けている平野さんの『決定的、その瞬間』第2弾です。今季、サンコウチョウを追い続けていた平野さんが、ついに、サンコウチョウの姿はもとより、巣までもゲットしてしまいました。姿を見るだけでも、なかなか大変な鳥です。ましてや、子育ての様子など見たいと思ってもなかなか見られるものではありません。きっと、平野さんの日頃のご努力に対して、自然の神様からの取って置きのプレゼントだったのでしょう...。せっかくの機会ですので、サンコウチョウの繁殖生態の一端を読者の皆様にも御紹介したいと思います。(6/29)


雌                 雌の抱卵             雄


 雄の抱卵           孵化したので、殻をくわえて外に捨てる    孵りたての雛に給餌する雌
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閑話休題......ウソのような、ホントのような『小話』(6)

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シソ科の草本のなかに、秋に花を咲かせるカメバヒキオコシという植物があります。葉っぱの形が ちょうど亀の甲羅としっぽを連想させるところから付けられた名前です。特徴のある植物なので、たぶん皆さんのなかにもご存知のある方がいらっしゃると思います。今日は、観察会の途中で たまたま このカメバヒキオコシに出会ったので、その時の先生と生徒さん達のやりとりを例によって実況ライブでお送り致します。
先生がカメバヒキオコシを指しながら、生徒さん達に話し始めました........

T この葉っぱの形、何かの生き物に似ていると思いませんか?....
T みなさんのよ〜く知っている生き物です。
T どなたか?......
生徒さん達、少し考え込む......そして、十数秒後『ハイっ!!』と元気な声
P 『カメです!!....』
T ピンポ〜ン!!......正解です!!
T どうしたんですか?スゴいですね!!今日は一発ですよ!!......
T そうです。カメの甲羅としっぽにそっくりでしょう。
T だから 名前をカメバヒキオコシ(亀葉引き起こし)というのです。これなら、みなさん無理なく覚えられるでしょう。
  また、後で聞きますから、しっかり頭に入れておいてくださいね。
    
実は、先生、生徒さん達に植物の名前を覚えさせるために、次に同じ植物に出会った時に、わざと『これ、何?...』と聞く癖があるのです。生徒さん達は もう そのことをこれまでの経験からよ〜くわかっているので、できることなら自分に『これ、何?...』が降り掛かってこないようにと、できるだけ先生のそばに近寄らないことをモットーにしている人もいるくらいなのです。

そうこうしているいちに、不幸にも再びカメバヒキオコシに出会ってしまいました。さあ、大変です。
先生、カメバヒキオコシを指差して.......

T 『これ、何でしょう?.....』
P 『?????.....』
T あれっ、どうしたんですか?まだ、何分も経っていませんよ......

不幸にも、この時、先生の一番近くにいたのは佐藤さん....

T 佐藤さん、『これ、何でしょう?.....』

突然のご指名にあわててしまった佐藤さん、すぐに名前が出てこずに、

P 『カ、カ、カ、カ.........』
T カ、カ、....何ですか?......
P 『カ、カ、カ........カネヲヒキオトシ!!......』
T ??????.......
T もう一度言って下さい....
P 『カネヲヒキオトシ!!.....』
T なに?!!...... 『カネヲヒキオトシ(金を引き落とし)?!!』.......』

さあ、大変です。例によって、先生の顔色が変わりました。

T あなた、ここをどこだと思っているんですか!!....
  ここは銀行ですか!!?......銀行のATMの前ですか!!?......
P 『..........』
T だいたい、何が『ヒキオトシ』ですか!!......『ヒキオトシ(引き落とし)』ではなく、『ヒ、キ、オ、コ、シ(引き起こし)!!...』
  これじゃあ、まるっきり、正反対ではないですか!!.......それに、カメを『カネ(金)』にまで勝手に換えて
  しまって!!.......いったい、どこの銀行で『亀』を『金』に換えてくれるところがあるんですか!!......

ここまで、言われてしまった佐藤さん、もうしょんぼりです。先生のそばにいたことをとても悔やんでいるようでした。
一方先生はというと、いつものこととは言え、生徒さん達の想像を絶する豊かな発想に、唯只呆れ返っている様子でした......。(6/22)

  

人気のないランではございますが.....
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2、3日前までは、サイカチ、サイカチと大騒ぎをしていたはずなのに、今日は、もう話題がランのほうに移っている......『あなた、少し、おかしいんじゃない!!?.....』..... そう言われても仕方がありませんが、私としては、『そんなこと、知ラン!!...』と答える以外にありません。
実は、今日は、先日見つけておいたジガバチソウというランの一種をもう一度確認すべく『峠の我が家』ならぬ『峠の他人様の山』に行って来たのです。いつもは、峠の麓に車を置いて、『とんぼとぼと、とんぼとぼと...』峠まで歩いていくのですが、今日は、マゴマゴしていると雨が降り出しそうなので、取りあえず車で峠まで行き、そこからジガバチソウのところに直行することに決めたのです。ここからならば、ほんの一山登れば、すぐ目的地に辿り着くことができるのです。
.さて、峠のジガバチソウですが、私は数年前に一度観察しただけで、その後は、花の時季とうまくタイミングが合わなかったりして、なかなか花に出会うことができなかったのです。それが、今年はうまい具合に、花の時季に訪れることができたのです。ところが、今年の個体は、まだ花の時期が少し早かったのでしょうか。あるいは、花弁の色が本来の色より薄かったせいもあったのでしょう。後になってから、『あれっ、...あれは、もしかしたらクモキリソウだったかしら?....』そんな疑念が、ふっと私の頭をよぎってしまったのです。多分、帰り道、山の斜面のあちこちでクモキリソウの株をたくさん見つけてしまったせいもあったかもしれません。花の咲いていない時季のクモキリソウとジガバチソウの葉は、本当によく似ているのです。
そんなわけで、ひとたび疑念が生じてしまったら、なんらかの結論が出るまで追求しないと気の済まない岡田さんです。気になっていたジガバチソウをもう一度確認するべく峠までひとっ走りしてきたというわけです。
結果は、というと、やはり最初確認した通り、ジガバチソウに間違いありませんでした。松の木の根元の一カ所に、大小合わせて6株確認することができました。そのうち花が咲いていたのは4株で、残りの2株はまだ幼株でした。ただ、残念なことに、この周辺には6株以外には、一つも見つけることができなかったということです。確か、数年前はもう少し数が多かったと思うのですが......。
もともと、ジガバチソウにしてもクモキリソウにしても決して人目を惹くような派手なランではありません。むしろ、地味過ぎて人気のないランと言った方がいいかもしれません。しかし、数が減少してくれば、それはそれで大変貴重な種になってくるのは、どの種に於いても同じです。人気があるとかないとかとは、また別の問題です。いずれにしても、かつて観察できた鳥や植物が、見られなくなるというのはとても寂しいことです。
今回確認できたのは、たった数株だけでしたが、今後この数株を守りきれるかどうか、これまた大変な問題です。絶えることのないように、なんとか、生き延びてほしいとは思うのですが......。
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さて、突然ですが、話はランから鳥に飛躍します。実は、今日はジガバチソウ以外にも別の嬉しいおまけが一つあったのです。アオバトを8羽観察することができたのです。『アーオ、アオー....アーアオ、アオー、ワオー.......』と、まるでターザンが突然叫びだしたのではないかと思えるような不気味な声を発するハトです。この鳴き声が、山全体にこだまするかのように響き渡るのを想像してみて下さい。知らない人が、この声を聞いたら、多分びっくりしてしまうでしょうね。それほど異様な鳴き声なのです。ちょうど、150メートルくらいはあったでしょうか、前方の尾根にある枯れ松に止り、しばらくの間さえずっていました。新緑に相応しい柔らかな黄緑色の羽毛が、何とも言えぬ美しさを醸し出していました....。(6/5)

 

ジガバチソウ                      クモキリソウ

サイカチの『花』をめぐって、再び!!...
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前回のサイカチの観察結果から、図鑑に記述されている『同じ株に雄花序、雌花序、両性花序が混在する。』の内容に関して、『同じ株に』と『雌花序』の2つの点で疑念が生じたことは、前述した通りである。今回、この2点について、改めて調査をし直したので、その結果を公表したいと思います。
まず、『同じ株に』雄花序、雌花序、両性花序が混在しているのかどうか、という疑問であるが、わがフィールド内にあるサイカチ5株について調べたところ、次のような調査結果が出た。
5株のうち、3株は雄花序のみ、2株は両性花序のみで構成されており、同一株内での雄花序、雌花序、両性花序の混在の事実は、どの株においても見られなかった。
続いて、二つ目の疑問である、『雌花序』の存在についてであるが、『雌花序』を雌しべだけで構成されている小花の集まり、と規定した場合、その存在は、5株のうち、どの株においても、確認できなかった。私が確認できたのは、雄花序と両性花序のみであった。『雌花序』なるものは、どこにも見つけることができなかったのである。
以上の結果から、雄花序、雌花序、両性花の3花序が株内に存在するとしている図鑑の記述には、更なる疑念が増大した。結局、今回の観察で、私が確認し得た事実は、サイカチの花序は、その株ごとに決まっていて、種類も3つではなく2つであったということである。つまり、サイカチには雄花序で構成されている株と両性花序で構成されている株の二つのタイプがあるということである。
ただし、サイカチの場合、両性花序の小花に配置されている雄しべは、雄花序の雄しべに比べると、葯が非常に小さく花粉もほとんど作られていないと考えられる。つまり、雄しべとしての機能を発揮してない、いわゆる不捻性であると考えられるので、観点を変えれば両性花を雌花とも見なすことはできるかもしれない。その意味で、雄花序で構成されている株と雌花序で構成されている株の二つのタイプという捉え方も可能であるように思える。しかし、私の立場としては、両性花に配置されている雄しべが、いくら不捻性を示しているとは言え、形としては雄しべの形態をしっかり残しているのだから、両性花として考えた方が、より自然ではないかと思うのである。いずれにしても、今回の観察から『同じ株に雄花序、雌花序、両性花序が混在する。』としている図鑑の記述には、重大な欠陥があるように思えてならない。これは、かなり有名な出版社からでている最近の図鑑からの引用であるが、他の図鑑を見ても、サイカチの『花』についての記述は、どれも非常に曖昧である。私の今回の調査対象になったサンプルは5株と非常に少ないので、そこから軽々に結論を導きだすことはできないが、今回の観察から得られた情報は、少なくとも今後の研究の参考にはなるのではないかと思われる。この記事をお読みになった方で、サイカチの花に興味をお持ちになられた方がおりましたら、是非、私に観察結果をお知らせ頂けたら幸いです。(6/3)                    

自然観察の醍醐味は、プロセスにあり!!....
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わが渡良瀬川の野鳥観察コースの途中には、サイカチと呼ばれているマメ科の大木がある。幹には長さが数センチはあろうかと思われる鋭い刺をもち、秋には長さ20センチ以上のマメ科特有の袋をもった大きな果実をつける木である。これまで、この木については、大きな果実ばかりに注目してきて、花にはほとんど関心の矛先を向けてこなかった。理由は、この時季になると、鳥の観察期間を過ぎてしまうため、渡良瀬川に出向く回数が極端に減少してしまう。そのため、花に出会う機会がなかったのである。それが、今日は、たまたま別件で渡良瀬に出向いて、偶然サイカチの花に遭遇することができたのだ。私は、サイカチの花に関しては、全く知識を持ち合わせていなかったので、『...サイカチの花って、こういう花なのか、ふ〜ん....』てな感じで、ぼ〜っと眺めていた。特別に、人目を惹くような花ではなかった。黄緑色の小花がブドウ状になって垂れ下がっているだけの地味な花だ。そのうち、あることに気がついた。地面に、無数の小花が落ちて、一面花を敷き詰めたようになっている部分があったのだ。私は、そこから小さな花を一つ拾い上げた。そして、花を観察してみると、どうも、それは花粉をすっかり出し切って、用済みになった雄花の残骸のようなのだ。私は、そのことを頭上で咲いている花で確かめようと思い、なんとか手の届きそうな花序を見つけて花序ごともぎ取った。花序のなかから、一つ取り出して調べてみると、やはり思った通りで、花の中は雄しべばかりで、雌しべはなかった。他の小花も調べてみたが結果は同じだった。その花序は全部雄花で構成されていた。ブドウ状になって垂れ下がっていたのは雄花序だったのである。私は、だんだん、この花をもっと調べたくなってきた。『雄花序があるなら、当然、雌花序もあるはずだ...』そう思って、雌花序の探索に入った。そして、あっちこっちを見回しながら探していると、雄花序とは小花の数が際立って少ない花序を見つけた。もしかしたらと思い、それをやっと、もぎ取った。何せ、簡単に手の届くところにないので、もぎ取るのも結構大変なのである。手に取った小花を観察してみると...『あれっ....雌しべと雄しべがある!!...』...その花序は、両性花序だったのである。『な〜んだ..この木は、雌花序はなく、バイケイソウのように、両性花と雄花で構成されている植物だったんだ.....』.....その時、私はそう納得してしまった。
一応、ケリが着いたと思ったので、私は、その場を離れて帰宅の途に着いた.....。
帰宅後、一服しながら、念のために図鑑で槐を調べてみた。すると、どうだろう。サイカチについての記述の中に『同じ株に雄花序、雌花序、両性花序が混在する。』とあるではないか!!.....私は、唖然とした。『やはり、雌もあるのか....』私は、すぐにでも出かけていって、雌花序を探したい衝動に駆られた。『しかし、もう6時だ、今からでは遅い....そうかと言って、明日は明日で用事があって出かけられない.....どうしようか?...』私は、考えた。『ようし、しようがない。こうなったら、ここは一つ、時給250円の助手に未来を託しておくか!...』そう決めると、早々に電話した。助手には『無理にではないのですよ.....』と前置きしながら、ことの成り行きを説明し、『半強制的』にお願いした。しかし、お願いをしてはみたものの、自分でも確かめたい気持ちをどうにも抑えることができなかった。....私は決心した。『でかけるぞ!!...』私は、車に飛び乗り薄暗くなった渡良瀬に向かったのでした。サイカチの大木の下に着くと、私は懸命に『雌』を探した。しかし、いくら探しても、それらしき花序は、どうにも見つからない。いくらか気落ちしながら、ぼ〜っとしていると、『無数の小花が落ちて、まるで花を敷き詰めたようになっている部分』が目に入って来た。『あれっ?...』....『...どうして、雄花序の下にだけ落ちていて、両性花の方には落ちてないのだろう?...』『ギョっ!!....両性花序が付いている枝と、雄花序が付いている枝は、株が違うじゃないか!!.....』.....実は、そこにはサイカチの大木が並んで2本あったのです!!私が見た限りでは、両性花序と雄花序が垂れ下がっている枝の株は間違いなく別株なのです。.....だとすると、図鑑の『同じ株に雄花序、雌花序、両性花序が混在する。』の記述は何!!?......さあ、面白くなってきました。これこそ、自然観察の醍醐味です。真実は何処に?.....と、同時に、私のなかには、本当に雌花序はあるのだろうか?......そんな疑問も沸き上がってきてしまいました。いよいよもって、面白くなってきました。決着は、これからの観察で付けることにいたしましょう。私は、次回の観察に期待を寄せながら、本日2度目の帰宅の途についたのです。しかし、話はこれで終わらなかった。私は、信号待ちして止っている間に重大なことを思い出してしまったのです。....『しまった!!...風呂のお湯を出しっ放しにしたままだった〜!!.......』(5/30)


サイカチの大木          昨年の果実の残骸          落下した雄花群


雄花序


両性花序

閑話休題......ウソのような、ホントのような『小話』(5)
みなさん、イノシシの『ぬた場』というものをご存知でしょうか?...... イノシシは薮の中を移動して生活するため、ダニなどの寄生虫がつきやすい。そのため、湿地に穴を掘り、ねそべったりころがったりして寄生虫が体に付くのを防いでいます。 こうしたイノシシのどろあび場を、猟師は『ぬた場』といい、どろ浴びをすることを『ぬたをうつ』と言っています。実は、わが自然観察のコースの途中に、このイノシシの『ぬた場』があるのです。
今日も、先生は生徒さん達を連れて、このぬた場にやってきました。このグループの生徒さん達は、去年もここを訪れているので、先生は復習のつもりで生徒さん達に質問しました....。
 ここは、ある動物の どろ浴び場です。何の動物か、覚えていますか?
P1 はい!!イノシシです!!.....
よく覚えてましたね〜!!その通りです!!....
今日の生徒さんの あまりの出来の良さに、先生、ニコニコ顔です。
 では、この どろ浴び場のことを、何と呼ぶか覚えている人いますか? 
生徒さん達は、少し考えている様子です。そして、一人が元気よく発言しました....
P2 イノシシの『憩いの場!!...』
 憩いの場!!?.....う〜ん、なかなかいいですね〜.....でも、違うんだな〜....
今日の先生、いつもの短気な先生と違い穏やかです。
 他にありませんか?...
すると、今度は別の生徒さんが、ハイっと手を挙げ大きな声で答えました。
P3 イノシシの『健康ランド!!...』
この発言を聞いたとたん、先生の顔色がさっと変わるのがわかりました。いつもの短気の先生に戻ったのです。
 何!!..健康ランド!!?...
 あなたは、いったい、何を考えているのですか!!?....ここのイノシシは、健康ランドに行くんですか!!?....
P3 ......
T だいたい『憩いの場』にしても『健康ランド』にしても、考えてることは、イノシシのことではなく、み〜んな、自分のことじゃないですか!!?
 あなた方には自然観察にきているという自覚がまるで感じられません!!もしかして、あなた方の頭の中は、温泉マークでいっぱいなんじゃないですか!!?..... こんな調子じゃ、今年もこのグループは全員落第ですね!!留年です!!....

これを聞いた生徒さん達、気落ちするどころか、『来年また来られる!!..』と内心思ったのか、嬉しそうな顔をしてお互いを見合っているのでした。                                                      (完)(5/28)


人生いろいろ〜....男も女もいろいろ〜....
          植物だ〜って、い〜ろいろ咲き乱れるの〜....
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いつの世も、美男美女がもてはやされ、人々の注目を集めてきたことは、これまでの歴史が示している通りである。しかし、美の基準には個人差があり、ある男性が美しいと感じる女性を、別の男性はぜんぜん美しいと感じないかもしれない。同様に、ある女性が美しいと感じる男性を、別の女性はぜんぜん美しいと感じないかもしれない。むしろ、他の人には感じられない美を、その人独自の基準で、一人の人間のなかに見つけた時、『愛』が成立するとも考えられる。とは、言うものの、世の中には、多くの男性や女性、誰が見ても、美しいと感じさせる男性や女性はいるものだ。植物だって、同じだ。誰が見たって、美しさを感じさせる植物がある。そして、そのような植物は、大抵ある程度目立つ大きさの花を持ち合わせている場合が多い。もちろん、小さい花だって、よく見れば美しい花はいっぱいある。しかし、多くの人にもてはやされるのは、やはりある程度の大きさの花をもち、人目にもよく目立つ植物なのだ。そのことは、植物を紹介している多くのHPを見てもわかる。HP上に紹介されている草木の花は、おしなべてどれも目立って美しい。かく言う私だって、これまでそのような花を紹介してきたし、これからもそうするであろう。そのことは、別段否定されるべきことではない。しかし、世の中には、人間が美男美女ばかりでないのと同様に、マニア以外には特別相手にもされず、人知れずひっそりと生きている植物もいっぱいあるということだ。今回は、そんな植物の一つに焦点をあてて、紹介してみたいと思う。....今、わが峠道には、カヤツリグサという植物の仲間が、ちょうど果期を迎えている。興味のない方には、ぜんぜん面白くも何ともない植物だが、『私は大好きなのです!!』.....こう言うと、また、或る人に叱られてしまいそうだ。実は、余談になりますが、私は、植物を人に教えている時に、『私はこの花が大好きです!!』とか『私はこの花の色が大好きです!!』とかの『大好き!!』を連発するそうな....。その方に言われてしまいました....『あなたの話を聞いていると、出てくる花出てくる花が、みんな大好き!!になってしまうのですが、大好き!!って、そうそうはないんじゃないですか!!?....』更には『..今まで、出会ってきた女の人にも、み〜んな、そう言って騙してきたんでしょ...』と、だめ押しの一撃!......痛いところを突かれてしまった私は言葉を詰まらせながらも懸命に答えた。『う〜ん....いや、.その、..じっさい、...花を前にすると、み〜んな大好きになってしまうのです。.....でも、女の人を前にしては、絶対そのようなことは言ってません!!間違っても言いません!!....』私としては、脂汗を滲ませながらも全身全霊をこめて反論したつもりでした。しかし、その方には私の半信半疑の答弁は、にわかに納得できなかったようでした。『信じられな〜い』という顔付きをして、じっと私を見続けるのでした......。なんだか、私の立場が非常に危うくなってきてしまいました。この辺で話をさっさとカヤツリグサに戻してしまわないと、このままでは、私は窮地に追い込まれ大変なことになってしまいそうです!!。.....要するに、わが峠道には13種類のカヤツリグサの仲間が、今、果期を迎えているのです。どれも、これも決してもてはやされることのない日陰者ばかりです。おそらく、この峠道で、この植物たちに熱い眼差しを向けているのは、私ただ一人でしょう。だからこそ、私は人類を代表して(?)、敢えて言いたいのです...『私はあなたがたが大好きです!!』と.....(5/26)

  
ヒゴクサ              エナシヒゴクサ           カワラスゲ
  
マスクサ              ヤワラスゲ             ミヤマシラスゲ
  
ゴウソ               ヒメゴウソ             コジュズスゲ

※ 今回、確認されたカヤツリグサの仲間は、上記写真掲載のものを含めて13種でした。
  以下参考までに確認種を列記しておきます。
  カンスゲ、ミヤマカンスゲ、ヒメカンスゲ、ヤワラスゲ、ジュズスゲ、コジュズスゲ、ゴウソ、ヒメゴウソ、カワラスゲ、
  ミヤマシラスゲ、ヒゴクサ、エナシヒゴクサ、ヤマアゼスゲ

                          
月と日と星、それに花....
昨日の仕事疲れが残っているのか、あるいは『別』のことで疲れているのか、原因は定かでありませんが、今日はとても峠まで歩き通す『元気がでません』でした......と言っても、歩かないではいられないのが、これまた、私のもつ習性の悲しいところなのですが.....。
そんな時は、これまでも、私は本道ではなく『第二峠道』を歩くことにしてきました。この道は、ちょうど峠道の左手に位置する道になります。このコースは、いつもの峠道にくらべると、距離は遥かに短いが、その代わり通り抜けができないため、人や車の数は峠道より更に少なくなります。このため、途中人と会うことは滅多にありません。峠道に比べると確かに運動量は少し足りなくなりますが、私は、この『第二峠道』がもっている雰囲気も峠道に負けないくらい好きなのです。峠道と同じように、右側の道沿いには小さな谷が流れていて、左横は、山の斜面になっています。私は、この谷と斜面に挟まれた小径を『雑草』を見ながら、鳥の声を聞きながら、あるいはトンボや蝶に誘惑されながら、トんボトボと、トんボトボと彷徨い歩いていく訳です...。ここには、いわゆる珍種と呼ばれるような植物もなければ動物もいるわけではないのですが、一つだけ自慢できるものがあるとすれば、それは、バーダー達の間でも特に人気の高い、あのサンコウチョウ(三光鳥)が飛来することです。毎年この時季になると必ずここを訪れてくれるのです。昨年は、谷の改修工事があったため、大量の杉が伐採されてしまったので、今年は飛来してくれるかどうか少し心配でした。しかし、心配は無用でした。今年も、あの『ツキ、ヒ、(ホシ)ホイホイホイホイ.....』の懐かしい鳴き声が山の斜面の杉林から聞こえてきたのです。ほっとしました....。かつての飛来地からどんどん姿が消えてしまっている現在、この周辺は、サンコウチョウの飛来地として貴重なエリアとなっていることは間違いないでしょう。いつまでも、あの独特の鳴き声を谷間いっぱいに響かせてほしいものです....。きょうは、サンコウチョウの他に、私の大好きな花が二つも咲いていました。どちらも、山や谷間の少し薄暗くなっているような環境を好む植物です。繊細で控え目、それでいて、実にやさしく、ほんのりとした感じを与える花です。いつの日も私を惹き付けて止まない花達です....。 『立ち止まり 見上げし斜面は 春浅き日の夢の跡........』(5/24)



           コアジサイ                      ミヤマカラマツ

たまには、トンボも.......
ここのところ、鳥だ、花だ、蝶だ、といって、しばらくトンボにご無沙汰していました。今日は、なぜか無性にトンボに会いたくなって、わがトンボ池に出かけてきました。この私専用のトンボ池は、ちょうど峠道の入り口にあたるところにあります。小さな砂防ダムの水溜まりで、これまでも、よくトンボを観察してきた場所です。しかし、今季はまだ一度も訪れた事がなく、今日が初めてでした。しかし、ここには一つ問題があるのです。それは、この池まで行くのに、途中、草木が生い茂った薮道を通り抜けなければならないのです。実は、この薮道が恐ろしいのです!!この薮道にはこの時季、こわ〜い生き物が待ち構えているのです。なんだと思いますか?『熊!!? ...』いや違います!!『イノシシ!!?....』違います!!『では、へび!!?....』まだ、違います!!.......正解は『毛虫.』です!!.....。私は、昔から毛虫が大嫌いで、毛虫を見ただけで鳥肌がたってしまうくらいなのです。その大嫌いな毛虫が薮道の途中にいるのです。それも、ここにいる毛虫は唯の毛虫ではなく、毒毛虫なのです!!.....チャドクガといって、こいつが一匹でも体に取り付こうものなら、もう家に帰ってからが大変、大変.....痒くて、痒くて...誰かさんの歌ではないですが、『も〜、ど〜にも止らない〜....』状態になってしまうのです。私は、これまで、こいつに何度痛い目、ではなく痒い目に合わされてきたことか!!....ああ、思い出しただけでぞっとしてしまいます。そんな訳で、今日も慎重の上にも二重三重の慎重を重ね着して、一歩ずつ前進をしていったのですが、途中まで進むと、思った通り!!『いるわ!!いるわ!!....』チャドクガの幼虫が、こっちの葉っぱにも、あっちの葉っぱにも、うじゃうじゃいるのです。こんなの見たら、私、もうダメです!!...私は前に進むどころか、足は自然に180度回転して、顔は早くも元来た方角を向いていました。結局、薮道は断念して、別のルートを探してトンボ池を目指すことになってしまいました。幸い、新しいルートが見つかり、そこから池に辿り着くことができたのですが、まさに命がけ(?)のトンボ観察です!!(笑)....なんだか話が大分ずれてきてしまいました。この辺で、そろそろ本題に入らないと大嫌いな毛虫の話だけで夜が明けてしまいそうです。話をトンボに戻します。本日の命がけのトンボ観察の成果です......今日の観察では、コオニヤンマ、クロスジギンヤンマ、コサナエ、ダビドサナエ、ヒガシカワトンボ、オオイトトンボ、と本日の大成果であるムカシトンボの7種を確認しました。ムカシトンボの観察は、かれこれ10年ぶりくらいになるでしょうか。桐生の山奥で観察して以来です。まさか、この場所で観察できるとは思ってもみませんでした。ムカシトンボはイトトンボ類からトンボ類に進化する途中の形態をしているので、ムカシトンボ亜目という特別なグループに属しています。同じ形態のものが化石のなかから見つかることもあるので『生きた化石』と呼ばれてきました。日本特産種で群馬県では、準絶滅危惧種に指定されています。幼虫期間は6年から8年といわれており、夏の水温が16℃以下の清流で、しかも7年ぐらいは安定した環境が保たれていないと、この種は生息できないことが知られています。貴重なトンボです。(5/19)



ムカシトンボ

    
『ムグラ』です。『モグラ』ではありません......
『ムグラ』とは『葎』で、広い範囲に渡って生い茂る雑草という意味があります。わが峠道には、この『ムグラ』の名のつく植物が、4種類あります。皆さん よくご存知のヤエムグラ、それから、クルマムグラにオククルマムグラ、それについ最近見つけた ピンク色の5ミリにも満たない小さな小さな花をつけるハナヤエムグラです。どれも、皆『ムグラ』ですから、人間の側からすれば、たぶん雑草の部類に入る草ということになるのでしょう.......確かに、どの種類も花は小さくて目立たないし、成長すると そこら中にはびこってしまうので、厄介者として扱われても仕方のない面もあります。しかし、雑草という人間中心の捉え方を離れて、一つの野草として、それぞれの『ムグラ』を見つめてみると、それはそれで とても風情のある植物であることがわかります。特に、ハナヤエムグラは他の種類の花が白いのに対して、薄いピンク色の花弁がとても可愛らしく、思わず、そっと撫でてやりたい気持ちになってしまいます。でも、この花、可哀想なことにあまりにも小さいので、その存在に気付いてくれる人はほとんどいないでしょうね.......。(5/19)

  

飾り花
峠道はもう、春という字を使えないほどに深い緑に覆われてしまい、曇りの日などは、薄暗い感じさえするようになってしまいました......。
そんな深緑のなかで一際目立って咲いている白い花があります。ヤブデマリです。スイカズラ科の低木ですが、この木が峠道の谷筋に沿って何本かあるのです。どの木も、今白い花をいっぱい付けています。この花は『純白の大きな花』が真ん中の『小さな花達』を取り囲むようにして一つの花序が創られています。ふつう『純白の大きな花』を飾り花、『小さな花達』を両性花と呼んで両者を区別しています。では、何故『純白の大きな花』を飾り花と呼ぶのでしょうか?.....実は、そう呼ばれるには、呼ばれるだけのちゃんとした理由があるのです。一般に、花には単生花と両生花があり、単生花には雄しべだけの花(雄花)と雌しべだけの花(雌花)があります。両生花とは、一つの花の中に雄しべと雌しべの両方をもつ花のことです。これは常識であり、知らない人はいないと思います。では、飾り花は単生花に属するのか、両生花に属するのか?これが問題です。.....実は、飾り花は、単生花でもなければ両生花でもないのです。何故か?....それは、花の中に雄しべも雌しべもないからです。つまり、飾り花は、その植物の生殖に何ら関与していない、単なるお飾りの花なのです。だから、『飾り花』あるいは中性花などとよばれているのです。....おわかり頂けたでしょうか?....。では、『生殖はどこで行われるのか?....』こんな疑問が残るかと思いますが、それは、皆さん、心配御無用です。.....実は、生殖は、『小さな花達』がしっかりとやってくれているのです。その『小さな花達』の一つ一つこそが、実は両生花なのです。ヤブデマリの両生花は直径がほとんど5ミリあるかないか位の大きさですが、その小さな、小さな花の中で受粉が行われているのです。.....そうすると、飾り花は、いったい何のためについていることになるのでしょうか.....。
ごく、一般的な解釈としては、両生花があまり小さくて目立たないので、飾り花を付けることによって花粉の媒介者であるハナアブやハナバチ類の昆虫に目立ちやすくするため、という説があります。しかし、これも仮説の一つに過ぎません。事実、ある研究者によれば、飾り花を付けた場合の昆虫の訪花率と飾り花を全部取ってしまった場合の訪花率との間には大きな違いが出なかったという研究データもあるのです。もちろん、その逆のデータもあります。要するに、より多くの昆虫を呼び寄せるため、という考え方は決定的なものではないということです。では、真相はどこに?.....。私には、わかりません。わかりませんが、もしかしたら、....昆虫のためだけではなく、『人間をも楽しませる...』.....そんな配慮も加わって創られていると考えたら、少し考え過ぎになってしまうでしょうか.....。私は、今日、改めてじっくり飾り花を見ていたら、小さな両生花の周りに たくさんの蝶が群がり、まるで、吸蜜でもしているかのような....そんな不思議で楽しい光景が見えてきてしまいました...。『 飾り花 蝶二頭で 川遊び 』 (5/13)
                                          

  

絶叫『女軍団』
いつものように生徒さん達を連れて、展望台のある所にやって来た。ここは、榛名山でも、一番展望のいいところで、晴れた日には、赤城山から、日光白根、上州武尊、谷川、上越方面の山々、白根まで一望できる、絶景ポイントである。.......車から降りると、すぐ下の林の中から、何やら勇ましい掛け声が聞こえてきた.....『1、2、3、4、何とか何とか!!..1、2、3、4、何とか何とか!!..』まるで、自衛隊の訓練行進のような掛け声だ。この声を聞いて、私は一瞬『まずい!!...』と思った。中学生の修学旅行の集団に出くわしてしまったと思ったのだ。子ども達には大変申し訳ないが、学校の子ども達と一緒になってしまうと、やかましくてゆっくり景色を堪能するどころではなくなってしまうのだ。私は少し憂鬱な気分になりながらも、彼らが来る方向を見つめていた。....やがて、掛け声がだんだん近づいてきて、一人二人と路上に姿を現し始めた。すると、先頭のリーダー格らしき者であろうか、『掛け声止めー!!...』と一言大きな声を発した。その瞬間、集団は、ぴたりと掛け声を止めた。あとは、林のなから『生徒』が芋づる式にぞろぞろと路上に現れてきた。わたしは、『生徒達』をぼんやり、眺めていた.....皆、白い帽子に、ジャージー姿だ....そのうち、私はあることに気がついた。『あれっ!!?女ばかりだ...』『なんだ、女ばかりの中学生か...』.....そして、更に見ているとまた、別のことに気がついた。『中学生にしては、随分老けてる....女子校生か!!?、』更に観察を続ける。『いや、女子校生にしても老け過ぎている....女子大生か!!?...』更に観察を続ける。『女子大生にしても、まだ、まだ老け過ぎてる.....どうみても、40代、50代もいる...』......ここに至って、やっと、私はこの集団が、中学や女子校の学生さんの修学旅行などではなく、どこかの観光ツアーのお客さん達だろう、と考えることで、やや気持ちが落ち着いた。とは言うものの、全員が女性、添乗員も一人もいない、どこか変だという思いは、私の頭から消えることはなかった。私はとりあえず道路より一段高くなっている展望台へと向かった。展望台では、もう、先の団体さん達でごったがえしていた。すると、間もなくして、団体さんのなかから、『は〜い、それでは、みなさん、これから全員展望台の端にいって、手すりに掴まってくださ〜い!!...』という大きな声が聞こえてきた。私は、いったい何事が始まるのだろう、と事の成り行きを見守った。リーダー格の指示を聞いた団体さんの面々は、まるでクモの子が散るように一斉に手すりの方に近づき手すりに掴まった。全員が、遥かなる山並みの方角を見ている。総勢、30人はいただろうか。そして.....次に、私の耳に入ってきた言葉....この言葉こそ、本日のメイン イベントの開始を告げるに相応しい合図というべきものであった......リーダー格の一人が叫んだ!!『全員、心に溜まっていること、考えていること、思っていることを思いっきり叫んでくださ〜い!!...』 唖然、呆然とは、まさにこの時の私のような状態を指し示すのだろう..。手すりに掴まっていた女性達全員は、リーダーの言葉を聞くや否や、一斉に訳の分からぬ言葉を絶叫し始めたのだ!!。またしても、わたしは、唖然、呆然、雲仙岳!!....もう、私には語る言葉は見つかりませんでした。完全に脳死状態です。私にできることと言えば、唯只目の前に繰り広げられている、凄まじき現実を呆然と見つめることだけである。まさに『絶叫女軍団』ここあり!!としか言いようのない光景です。....『いったい、何なんだ、この団体は!!....』私の頭はすでに混乱の極みに達しており、このままの状態が続けば、酸素欠乏症で倒れてしまうのも時間の問題と思えるほどに茫然自失の状態であった。.....思えば、子どももいるし、夫もあるだろう、そんな歳の女性達ばかりです。その女性達が、事もあろうに、榛名の絶景ポイントに陣取り、絶叫マシーンと化し、今や気違いじみた言葉をあらん限りの大声で連呼し続けているのです。皆さん、この空恐ろしい光景を想像できますか!!?.......ああ、恐ろしや恐ろしや、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏..........
しかし、幸いなことに狂った時間は、そう長くは続きませんでした。リーダーの『止めー!!』の合図で、やがて、もとの静寂の時間を取り戻すことになったのです。わたしは、ほっとしました。その後、全員が集合させられるとそれぞれの班に分かれて昼食をとるようにとの指示。『以上!!気をつけ!!礼!!....解散』の号令のもと、それぞれの班は別れて三々五々、思い思いの場所で昼食をとりはじめる.......。なかには私のすぐそばに席をとり、食べ始めたグループもいた。私は、この得体の知れない団体の正体をどうしても突き止めたかったので、私は思い切って、近くで食べていたグループに近づき声を掛けることにした。私は、恐る恐る『あのう......この団体さんには、男性が一人もいませんが、いったいどのような団体さんなのですか....』と尋ねた。すると、一人が答えた。『女の会社なのよ!..』『ええ!!?女の会社!!?...』わたしは聞き返した。『そう!!化粧品の会社なの!!』『化粧品!!?...』わたしは、これを聞いて総てがやっと納得できたと思った。なぜ、女性ばかりの集団だったのか、なぜ、中学生よりも、女子高生よりも、そして女子大生よりも老けて見えたのか....実は、彼女達はすべて、中堅以上の化粧品会社の社員だったのです。NHK流に表現すれば、まさに『たずねて、ガッテン!!』といったところでしょうか。しかし、それにしても.....化粧品の会社にしては、皆さんの『お顔のお肌』や『お体つき』はあまりにも......。わたしは考えた。『そうか、ここにいる皆さんは、自分たちのことを犠牲にしても、他の女性達を美しくすることこそが、それぞれに与えられた使命だと思っているのだ....そうだ、そうだ...きっとそうに違いない!!』と。わたしは、またしても、勝手に『そう考えて、ガッテン!!』したのです。『ところで........』わたしは、尚もしつこく質問を続けた。『榛名には皆さん、会社の慰安旅行で来られたのですか?...』その質問に、今度は別の女性が答えた。『いえ、違います。研修です!!日本全国から富岡の研修所に泊まり込みで研修に来ているのです。』『はあ!!?研修!!?.....』これを聞いて、わたしは唖然とした。と、同時に謎が解けた。あの『絶叫マシーン』の謎が解けたのです!!。『あれは、研修の一環として、無理矢理にやらせられたものなのだ.....』恐らく、前の晩、宿舎で暗示にかけられていたのでしょう。もっともっと業績を伸ばすには、今の自分を乗り越えなければならない、そのためには......とか、何とか、言い含められて今日の気違いじみた絶叫シーンを演ずることになったのでしょう。
.....そう思うと、私は何だかとても複雑なやりきれない気持ちになってしまった。そう言えば、最近渡良瀬川の河川敷でも、よくこんな光景をみかけます。ただし、こちらはすべて男の集団ですが.....。広い河川敷のグランドの両サイドに別れて、直立不動の姿勢で『ありがとうございます!!.....また、おこしください!!....』と大声で連呼しているのです。きょうの榛名の『絶叫女軍団』とまったく同じ類いです。しかし、わたしは許せないのです。一営利団体が、自分たちの営業業績を上げる目的のために、自然を、あるいは人を私物化して、競争させて、人の迷惑も考えずに我が物顔に振る舞うことを!!われわれ一般人は、巷の雑踏を避けて、わざわざ自然を求めて山や川にやって来ているのです。春の一日、そよ風を体いっぱいに受けながら、花を見、鳥の声を聞き、静かに景色を眺めたいがためにやってきているのです。そんな一般庶民の心など、まるで無視するかのように、榛名一の絶景ポイントを占拠して、しかも、美しく雪化粧を施した、遥かなる神聖なる山々に向かって、企業利益に繋がるような気違いじみた言葉を半強制的に連呼させている....とても正気の沙汰とは思えません!!自然に対する冒涜もいいところだ!!...だいたい、化粧品というからには、少なくとも『美』を追求している集団であることに間違いないであろうに...。であるとすれば、彼らのなすべきことは、自然のなかに美を見つけ、それに感動し、その美を生かす方法をそれぞれの課題として、探求させなければならないはずです。それこそが、本当の研修であり、自然の中で研修をさせることの大きな意義であろうと思うのです。美しい自然に、聞くにも堪えない、えげつない言葉を大声で浴びせかけることが、どうして業績を上げることにつながるのか、私には到底理解できないことである......(5/11)
閑話休題......ウソのような、ホントのような『小話』(4)
と或る山で観察会を実施している時のことです。一頭の蝶が、皆さんの前に飛来してきました。サカハチチョウという山地性の蝶です。この蝶は、平地にはいません。従って、この蝶がいたということは、その場所が間違いなく山地である、ということの証明にもなる.....そんな蝶です。『サカハチ』とは、逆さまの『八』という意味で、翅に漢字の『八』の字を逆さまにしたような模様があるところから、この名前が付けられました。今日の小話は、例によって、この蝶をめぐっての先生と生徒さんのやりとりです.....。いつものように、飛んできた蝶について先生が生徒さんに、説明を始めました。
先生が蝶の方を指差しながら........
T 『みなさん、あの蝶はサカハチチョウという蝶です...』
すると、生徒さんの一人が、間髪をいれずに
P 『尺八!!?...』と聞き返したのです。
すると、そこは、いつもの短気な、先生です。むっとしたような口調で
T 『なに!!?...尺八!!?....』
T 『なんで、ここに尺八が出てくるんですか!!...』
T 『尺八ではありません!! サ、カ、ハ、チ!!... 』
P 『...........』
T 『どうしてあなた方はいつも、いつも、こう、トンチンカンになってしまうのですか!!...』
P 『...........』
先生は、半ば呆れ返ったような表情をしながら、生徒さん達を見つめていました。
でも、先生、決して生徒さん達が嫌いなわけではなく、それどころか、いつも優しい眼差しを向けて生徒さん達に接し続けているのです....。(5/7)

やっと、『あなた』に会えました!!....
イワウチワという植物です。それは、それは 、やさしい感じのする花で、眺めているだけで、思わず気持ちが和んでくるような、そんな愛らしい素敵な花です。私の好きな花の一つです。ところが、この花、どこでも見られるという花ではなく、私の住んでいる所からは、ちょっと遠出をしないと見られません。おまけに、開花の時季が早いため、これまでも、いつも花が終わった後でした。『あ〜あ、今年も遅かったか〜....』....毎年、この嘆き節が口癖になっていたのです。ところが、今年は運良く、花がまだ残っていたのです。この花は、斜面に群落をつくって生育しているので、タイミングさえ合えば、それはそれは見事な景観をつくり出します。そんなわけで、今年は、敢えて、この花を求めて出かけた訳ではなかったのですが、たまたま去年より1週間ほど早かったため、運良く1/3以上の花が残っていたという訳です。足場が悪く、斜面をすべりながらの苦労の撮影でしたが、やはり、花は、それが自生している場所で見るのが、一番!!......そんな印象を改めて強く抱いた本日の山紀行でした。今回はどこの山に行ったかは、敢えて言わないことにします。別に、もったいぶってる訳ではないのですが、読者の方々が御自分で想像して場所を特定するのも、また楽しみの一つかとも思います。ヒントは、風景の写真と、イワウチワ以外の3種の植物です。この3種も、どこにでもある植物ではなく、日本海的要素が入っている植物です。群馬県内で日本海的要素が入っている有名な山と言えば......ここまで言えば、もう、おわかりでしょう!!.......『ピンポ〜ンです!!...』(5/6)




イワウチワ


 スミレサイシン          ニシキゴロモ         オオタチツボスミレ

         
峠の『ウツギ』

わが峠道には、ウツギの名前が付いている木本がいくつかある。ウツギ、ヒメウツギ、マルバウツギ、ミツバウツギ、コゴメウツギ、ツクバネウツギ、オオツクバネウツギの7種類だ。このうち、ウツギ、ヒメウツギ、マルバウツギの3種はユキノシタ科のウツギで、ミツバウツギはミツバウツギ科、コゴメウツギはバラ科、そしてツクバネウツギ、オオツクバネウツギはスイカズラ科だ。ウツギの名前が付いているから、皆同じ仲間と思うととんでもないのだ。同じようなことが、『ラン』についても言える。ノギラン、ヤブランとあるからランの仲間だと思うとユリ科であったり、まったく日本の植物名はややこしい。話をウツギに戻そう。それでは、それぞれの『ウツギ』が別の科に属していながら何故『ウツギ』の名前が与えられているのだろうか。ウツギと名が付いているからには、それなりの共通項があるはずである。その答えは、ウツギを漢字で表記してみると理解できる。ウツギは漢字では『空木』と表す。ここまでくれば聡明なる読者諸氏には、もうおわかりでしょう。ウツギとは空木、つまり『空っぽの木』という意味なのです。上述したウツギの幹や枝を輪切りにしてみるとよくわかるのですが、どの種も中に柔らかい随が詰まっていて、その随を取り除くと、木の中が中空になっているのです。中空になっているから空っぽの木、空木(ウツギ)なのです。つまり中が中空になっていれば、どんな科に属していようが『空木』(ウツギ)なのです。単純明快です。実に日本的です。
ところで、皆さんは『卯の花』をご存知でしょうか。実は、『卯の花』はウツギのことであるといわれています。正確には、ウツギとヒメウツギのどちらを指すのか、という疑問も残りますが、両方の可能性もあります。実際、わが峠道では、ヒメの方が圧倒的に数が多く、花を咲かせる時季もヒメの方が少し早いのです。従って、今の時季ならばヒメウツギ、もう少し後ならばウツギということになるでしょう。いずれにしても、ウツギ類(ユキノシタ科ウツギ属)の花を『卯の花』と称していることは間違いなさそうです。
....今、わが峠道ではヒメウツギの花が真っ盛りです。汚れのない清々しいヒメウツギの白い花を見ながらの散策は、また格別です...。(5/4)

                                                     
  ヒメウツギ           ミツバウツギ          オオツクバネウツギ

  コゴメウツギ           マルバウツギ          ツクバネウツギ

     ※ ウツギは、まだ蕾の状態で、開花するまでにはもう少し時間がかかるでしょう。

『春』の記憶
私の遥か後方を歩いていたあなたでした....。
私はあなたが来るのをずっと、ずっと待ち続けました。
あなたの歩みが余りにも遅かったので、立ち止まっては振り返り、立ち止まっては振り返り、いつもあなたの姿を探しました。
時が過ぎて、あなたはやっと私の見えるところまでやってきました。
わたしは、あなたに手を振り、早く!!早く!!と大きな声で何回も何回も催促しました。
あなたは、やがて私に追いつき、『お待ちどうさま!』と言って、微笑みました。
わたしは、これでやっとあなたと一緒に歩める....そう思った瞬間でした!!..。
あなたは、わたしを追い越して、どんどん遠ざかっていくのです。
わたしはあなたに追いつこうとして、必死に歩みを進めますが、とてもあなたに追いつけそうにありません。
わたしは、今、あなたの後ろ姿をじっと見つめています。
ぼんやりしてると、あなたの姿がわたしの視界から消えてしまいそう......
そうならないうちに、せめて、あなたの面影を、せめてあなたの輝きを.......
そうならないうちに、せめて、あなたの面影を、せめてあなたの輝きを.......


ジュウニヒトエ           オドリコソウ           ヤマツツジ

ミヤマガマズミ           オトコヨウゾメ          マルバアオダモ

ヒメハギ              チゴユリ             ツクバネウツギ

う〜ん、どっちだろう?....
春先、林の中を歩いていると、林床に白い可憐な花を見つけることがあります。小さいので、つい見過ごしてしまうこともあるのですが、ちょっと注意深く探せば、誰にでも見つけることのできる花です。チゴユリです。漢字で表記すると稚児百合となります。子どものように小さな百合ということになりますが、百合ではありません。百合を小さくしたような花という意味になるでしょうか。春先に咲く花のなかでも、私の好きな花の一つです。さて、問題はその次です。実は、チゴユリには2種類あるのです。チゴユリとオオチゴユリです。大抵は、外見だけで区別がつくのですが、少し大きくなる個体だとチゴユリか、オオチゴユリか、同定に困ってしまうことがあるのです。そこで、今回は連休中の大出血サービスということで、迷った時の同定のポイントを超格安のお値段でお譲りしたいと思います。まず、林を歩いていて、出会った個体がチゴユリか、オオチゴユリかの同定に迷った時は、必ず花の中の子房と花柱(雌しべの部分)を見て下さい。何せ、小さいので、老眼の人は、この時必ず老眼鏡をおかけ下さい。(笑)さて、老眼鏡をかけたら次は、花柱の長さと子房(丸く膨らんでいる縦の部分)の長さを比較します。(花柱も子房もわからないという人には、残念ながら今回はお譲りすることはできませんので、またの機会に、乞うご期待です。...笑)そして、花柱の長さ子房(丸く膨らんでいる縦の部分)の長さだったらチゴユリ、花柱の長さ子房(丸く膨らんでいる縦の部分)の長さだったらオオチゴユリです。どうですか、この説明おわかりになりましたか?(『わかんね〜!!』という悲鳴にも似た叫び声が我が鼓膜の一歩手前まで飛んできているようです。).....。最後に、くれぐれも注意しておきます。同定に当たっては必ず老眼鏡をかけること!!いいですか、老眼のマナコ(眼)で見たら、花柱の長さもへったくりもありませんからね.....。以上のことをよ〜く頭に叩き込んだら、いよいよ老眼鏡を持って、出陣です......人生、歳をとっても挑戦あるのみ!!です.....(笑)
皆様方の御健闘を心よりお祈りしています。(4/28)

 
            ( チゴユリ )                      (オオチゴユリ)

閑話休題......ウソのような、ホントのような『小話』(3)
今、低山は、眺めているだけで 思わずうっとりしてしまうくらい すばらしい新緑に覆われています。スミレが咲き、ニリンソウが咲き、ヤマブキが咲き、いろいろな草木の花々が一斉に咲き始めました。そんな、或る日、山道の春を十分堪能しながらの自然観察会の一場面です。例によって、先生が生徒さんに説明をしているところです....。
T これは『ヒトリシズカ』という植物です。
T これによく似ている植物で、『フタリシズカ』というのもあります。
女性ばかりの生徒さん達は、皆うなずきながら『ヒトリシズカ』に見入っています。
すると、一人の生徒さんが、突然、先生に大きな声で質問しました。
P 先生!!..『サンニンシズカ』というのはありますか!!?
T 『......』
次の瞬間、先生は半分怒ったような口調で
T そんなの、あるわけないじゃないですか!!.....だいたい、3人になれば、もう『静か』とは言いません!!『3人賑やか』というのです!!
それを聞いた生徒さん、口を半分開けたまま...『ポカ〜ン』としていました.....
ついでに、小話をもう一題.....
こちらは、広大な干潟で野鳥を観察していた時の先生と生徒さんのやりとりです。
干潟の真ん中辺りに白い鳥を見つけた女性の生徒さんが大声で叫びました。
P 先生!!先生!!鶴です!!鶴がいます!!.....
その叫び声を聞いた先生、一瞬ギョっとしてしまいました。
先生は、白い鳥の正体を、もうとっくにわかっていたからです。
先生は、半分興奮状態の生徒さんを制するかのように
T 小さい声で!!小さい声で!!...恥ずかしいから、頼むから小さい声で言って下さい!!....ほら、周りの人が振り向いたじゃないですか!!
T あのね、ここには鶴はいないのです。あの白い鳥は、ダイサギという白サギの一種なのです。
これを聞いた生徒さん、これまた、口を半分開けたまま...『ポカ〜ン』としていました..... (4/26) 
決定的、その瞬間!!(1)....
渡りをするタカで有名なサシバです。毎年、4月の中旬頃になると、渡良瀬川周辺の山々にやって来ます。渡って来たての頃は、山の上空をサシバ独特の大きな声を発しながら飛翔するので、すぐにサシバとわかります。今日は、平野氏が交尾に至るまでの決定的なシーンの撮影に成功しましたので、公開したいと思います。このような写真は意図して撮ろうと思ってもなかなか撮れるものではありません。平野氏の日頃のご努力あっての作品である事をご理解頂けたらと思います。なんと迫力のある交尾シーンではありませんか!!.....(4/20)

去りし人の遠き想い出辿る時、涙流れても時は流れず....
これは、或るおばあちゃんの物語です......そのおばあちゃんが亡くなって、もうかれこれ20年は経つでしょうか.....おばあちゃんは、とても複雑な家庭に生まれ、子どものころから、精神的にも経済的にも、とても苦労したそうです。頭はとても優秀で、昔女学校と呼ばれていた頃の女子校を卒業したということです。でも、家が極度に貧困であったため、在学中は授業料もまともに払えないような状態で、納入日になると忘れたとか、その他いろいろな理由を付けては納入を先延ばしにしていたそうです。『納入日が近づいてくると、もう辛くて辛くて....』これが、当時のおばあちゃんの心境だったそうです。.....学校を休んでしまった事もたびたびあったそうです。また、家に帰れば帰ったで、家のごたごたが待っていて、ひと時も心の休まる日がなかったそうです。そんな、ある日、度重なる心労が影響したのでしょうか、突然、耳が聞こえなくなってしまったのだそうです。今で言う突発性難聴というやつでしょうか。その後、難聴は改善されることなく、80歳を過ぎて亡くなるまで耳の不自由は続いたという事です。でも、おばあちゃんは、不自由な耳に屈する事もなく、何とか女学校を卒業すると裁縫をならい、針仕事で生計をたてられるまでになったそうです。やがて、おばあちゃんも、結婚して3人の子どもをもうける事になりましたが、不幸なことに早い時期にご主人を病気でなくして、女手一つで子ども達を育てなければならなくなってしまいました。その間、人には言えぬほどの多くの苦労があったといいますが、3人の子ども達は、みな立派に育ち、おばちゃんも長女夫婦と平穏に暮らす日々が続いていきました。.....おばあちゃんは、鶴を折るのが大好きでした。暇さえあれば、鶴を折っていました。千羽鶴が一組出来上がると、それをおばあちゃんの親しい人にあげ、また一組仕上がると別の親しい人にあげる.......そのようなことが99回続き、いよいよ100組目ができあがったとき、この千羽鶴を誰にあげようかと考えたそうです。そして、最終的に決めたのが福祉関係の施設だったそうです。この時点で、一応区切りがついた折り鶴作りでしたが、おばあちゃんは鶴作りを止めませんでした。101組目の千羽鶴を目指して、また、こつこつと折り始めたそうです。『101組目の鶴が完成したら、今度は誰にあげようか....』この時も、おばあちゃんは、いろいろ考えたそうです。でも、決まらず、当時、おばあちゃんが、とっても親しくしていた或る人に相談したそうです。そして、その人が、こう言ったそうです。『おばあちゃん、今度は他人のためではなく、自分のために折りなさいよ...』それを聞いたおばあちゃんは、『そうか、自分のためか....そうしよう!!』そう言って、101組目の千羽鶴作りに挑戦を始めたという事です。しかし、101組目の千羽鶴は完成する事はありませんでした。おばあちゃんは、事半ばで脳内出血を起こして倒れてしまったのです。激しい出血だったそうです。おばあちゃんは、意識を失ったまま、二度と目を開ける事はありませんでした。作りかけの千羽鶴を残したまま、黄泉の国に旅立ってしまったのです。葬式の日、棺の中には、おばあちゃんの作りかけの千羽鶴を糸から取り外して、おばあちゃんの亡骸を取り囲むようにいっぱい並べてやったそうです。おばあちゃんは、たくさんの鶴をお供にして、火葬場の火の中に送られていきました。やがて、時間が経ち、おばあちゃんの遺骨を釜から引き出す時が来ました.......係の人が、棺を乗せた台車を釜から引き出した、その時です!! あろうはずのないことが起きたのです。あの、鶴達が形をそっくり整えたまま、真っ白な灰の鶴になって、おばあちゃんの遺骨をぐるりと取り囲んでいたのです!!。これを目撃した或る人が、思わず、『おばあちゃんは、鶴に守られながら旅立って行ったんだ!!....』...そう、叫んだそうです。(4/19)
渡良瀬川で出会った人は数々あるが.......
渡良瀬川で出会った人は数々あるが......こんな人は初めてだ。........仕事が終わった3時過ぎ、ちょっと渡良瀬に寄ってみたくなった私は、いつもの所に車を置いて、いつもの鳥見コースを歩き始めた。そして、ちょうど川原の広場に差し掛かったときだ。広場に、一台の車が止まっているのが目に入った。釣り人の車のようだった。すると、次に、車に近づいていく一人の男性が目に入ってきた。釣り人とは、違う人物だ。私は車から少し離れたところから、なにげなくその人物を眺めていた。すると、その人物(S)は、車の持ち主である釣り人と、何か話を始めた。私は、距離が少し遠かったため、二人が何を話しているのかわからなかった。そのうち、二人の話し声が、だんだん大きくなってきた。様子を伺っていると、二人の話しっぷりは、どうも尋常ではないことに気がついた。Sは釣り人に川原に車を乗り付けたことを糾弾しているようすなのだ。私はてっきり、国交省の人間が釣り人に注意を促しているものと思った。私は、Sに近づいて、国交省の方ですか?と尋ねた。Sは違うと言った。そうこうしているうちにも、二人の遣り取りは、売り言葉に買い言葉で、どんどんエスカレートしていく。そのうち、Sが激昂しだして、『てめ〜みて〜のが、いるから.....』と言ったかと思うと、そばにあった石をつかんで、釣り人になぐりかかろうとする勢い....瞬間、私は『やばい!!』と思い、Sの前に立ちはだかり、必死にSを押さえた。釣り人は、恐れおののき、後方に逃げる。Sは、私を振り切り、つかんだ石を川に向かって思いっきり投げつけた。私は、釣り人に向かって投げなかったことに、一瞬ほっとした。しかし、それで事は終わりはしなかった。Sは再び石をつかみ取り、釣り人を追いかけようとした。私は、慌てて再びSを押さえる。もう、釣り人は顔面蒼白だ。私は、Sを制止しながら、釣り人に言った。『もういいから、早く行きなさい!!...』釣り人は、青ざめた表情を浮かべながら、そそくさと車に乗り込み何やら一言二言いうと、その場を去った。その間、私は興奮状態にあるSをず〜っと押さえっぱなしだった。突然でっくわした出来事に、Sとは違った意味で興奮気味だった私は、もう疲れて、ひどい脱力感に襲われてしまった。とにかく疲れた.....。その後、Sの興奮を鎮めながら、少しずつSと話を進めていくと、彼は、そんなにわからない人間ではないことがわかってきた。彼は、『車の乗り入れを禁止されているにも関わらず、乗り込んでいる連中に我慢できないのだ』と言った。これは、私とても同じで、心情的にはとても共感できる思いであった。一部の心ない輩が、乗り入れ禁止のゲートの脇を破壊し、そこから侵入している現実を目の当りにしているからだ。しかし、一市民の立場で、しかも単独で直接行動を起こせば、このような結果になるだろう事は容易に理解できるので、そうならないように極力目をつぶってきたのだ。これまでも行政関係者に何回か苦情を述べてきたのだが、積極的な対応はまるでなかった。本来行政がやるべき事をやらないから、一般市民に、このような不幸が生じてしまうのだ。....Sは、愛鳥家でもなければ、さりとて積極的な自然愛好家というほどの人間ではなかった。しかし、子ども時代を渡良瀬川で過ごした、ということで、よき時代のよき渡良瀬川を知っている人間でもあった。きっと、年々渡良瀬川が破壊されていくことに我慢できなかったのだろう......もし、そうだとすれば、それはSだけではなく、私の思いでもある....。(4/16)
春来たりてスミレ咲く
雨にも負けず、雪にも負けず、風にも寒さにも負けず.....そして、杉の花粉にも負けずに、ひたすら歩き続けてきた冬の峠道にも、やっと本格的な春がやって来た。....米粒のように小さいユリワサビの花を一つ二つ見つけて、『春だ、春が来た!!....』と喜んでいたのは、ほんの一月前のことだ。それが、今や、ユリワサビは谷沿いの至る所で、愛らしい花をいっぱいつけて、春の到来を心から喜んでいるように見える.....。
......谷間沿いに群生している、赤子の手のような新葉をいっぱい付けた低木のコクサギからは、ミカンに似た芳香がほんのりと漂ってくる.....懐かしい匂いだ。わたしは目を閉じて思わず深呼吸をしてしまう。峠道に再び春がやって来たことを実感できる至福の瞬間だ。コクサギの甘く懐かしい香り、それは、私の中で久しく眠っていた春の記憶を呼び起こすには、最高の気付け薬でもある。その意味からも、春は草木の目覚めの季節であると同時に私自身の目覚めの時でもある。......私は、コクサギのかぐわしい香りを胸いっぱいに吸い込みながら夕暮れ迫る峠を目指す。
道沿いにはタチツボスミレが咲き、マルバスミレが咲き、ヒカゲスミレが咲き、そしてスミレの女王ともいうべき、気品あるレエイザンスミレやヒナスミレ、アケボノスミレまで咲き始めている。一月前の冬景色が嘘のようだ。今や峠道はスミレ組のオールキャストがすべて出そろった感がある。期間限定の、この時期だけにしか見られない可憐なスミレ達だ。しかし.....私は、スミレを見ながら、ふと思った....『...この峠道で、この小さな花達に気付いて、やさしい眼差しを向けてくれる人が、一体何人いるのだろうか....』と.....。
そんな馬鹿なことを考えながら、ふと顔をあげると、夕日はすでに山の尾根近くまで傾いていた。『こんなところで、のんびりしてはいられない、先を急がなくては.......』 やわらかな夕日差し込む、静かな静かな春の峠道であった....。(4/7)


エイザンスミレ           ヒナスミレ            アケボノスミレ


ニオイタチツボスミレ        マキノスミレ           マルバスミレ
※ 我が峠道では、上記の種の他、6種のスミレが観察され、これまでに合計12種類のスミレが確認された。

『コペルニクス的逆転換』の時代
ついに、ついに、ついに、スミレです!!......今春はじめてのスミレが、ついに我が峠道に姿を現してくれました。たった一輪の小さな花ですが、意地らしくもけなげな、そして愛らしいその表情は早春の野には欠かかすことのできない『春の顔』です。毎年、間違いなく同じ場所に出るタチツボスミレです。このスミレは、日本のスミレのなかでも最も多く人の目に触れることのできる種類で、芭蕉の『山路来てなにやらゆかしすみれ草』のすみれ草も、このタチツボスミレであろうと言われています。...何はともあれ、早春の、この時季に、『わたし』のために、わざわざスミレという愛らしい花を用意してくれた『Something Great』に先ず感謝の意を表すべきでしょう.......。こんな、表現をすると、どこからか『何を、おまえは、たわけたことを言ってるのか、スミレは『Something Great』が創ったものでもなく、お前のために花を咲かせているわけでもない!!.....』という声が聞こえてきそうですが、おっとどっこい、ところがところがです......最近の科学の一つの理論である、『インテリジェント デザイン理論(Intelligent Design Theory)』によると....『ますます精度を高めつつある観測や観察によって、この宇宙がビッグバンの初めから将来人間を生み出すために、基本的な物理的数値が恐るべき精度でもって「微調整」されていたとするいわゆる「人間原理」が、いよいよ疑い得ぬものになるとともに、生命科学や情報科学の方からも「知性によるデザイン」を論証する理論が出現するに及んで、我々は宇宙解釈の選択を突きつけられた形なのである。いかに根源的な問題を問うことの嫌いな日本人とはいえ、今までのようにこれを避けて通るわけにはいかないのである。有神論(何らかの形での)か無神論=唯物論かの二者択一を迫られているのである。つまりインテリジェント・デザイン派の立場は、自然的原因によっては出現不可能なデザインの事実を指摘するものであって、それが神によるか悪魔によるか幽霊によるかは、実証的科学であるかぎり問わないということであろう。ただ、自然世界がそれだけで完結したものでなく、超自然世界へ向かって開かれたものであることを、科学的事実として認めようではないかという主張である』......私も、この理論にお目にかかったのは、つい最近ですが、実に驚きました。この理論は、今まで主流をなしてきた、ダーウィニズムと真っ向から対立するだけではなく、我々の世界観、人生観をも変えてしまうほど、インパクトをもった、まさしく革命的と言えるほどの理論なのです。そりゃ〜、そうでしょう!!突き詰めれば、この地球と人間を含む生命は『Something Great』によってデザインされたものである。それは、自然発生的に生まれたものではなく、あくまでも『Something Great』に意図的、計画的に設計されて創られたものである。と言っているのですから....それも、宗教家ではなく現代の最先端の科学を研究している科学者が言い出したのですから.....。この考えは、一見宗教の考え方と似ているが、宗教と決定的に違う点は、『はじめに神ありき』ではなく、現代の科学者の最先端科学の研究成果のなかから生まれてきたという点です。現代の科学者が、自然的事実を探求、追求してしていくプロセスで、どうにも、こうにも『Something Great』によってデザインされたとしか考えようのない『姿』に出会ってしまったということなのです。今までは、『科学対宗教の対立』という構図のなかでの有神論か無神論かの議論だったのが、今や、それが『科学対科学の対立』という構図のなかでの有神論か無神論か、の議論になっているのです。これは本当に凄いことです!!今後、議論がどう展開していくかわかりませんが、我々は今、もの凄い時代の転換期にはいってきたことは間違いのないことのように思われます。....もしかしたら、それは『コペルニクス的逆転換』の時代の到来と言っていいものかもしれません......。(3/3)

  

  

閑話休題.....ウソのような、ホントのような『小話』(2)

昨年は、渡良瀬でも異常なほどに、ウソがよく見られました。しかし、今年は、その反対で、これまで渡良瀬川では1羽も観察されていません。でも、わが峠道は違います。数こそ少ないですが、このところ必ず2,3羽は観察することができます。姿はもちろん、声も、とても独特で、この鳥に出会うと、何故かほのぼのとあったか〜い気持ちになってしまうのは私だけでしょうか.....。
ここのところ、わがHPも少々お固い(真面目な)記事が続きました。そこで、今回は読者の皆さんの疲れ直しに、『ウソ』を題材に、ウソのようなホントのような小話でもしてみたいと思います。読んで、一瞬の間でも頭の疲れがとれてくれれば幸いです。...とは、言ってはみたものの、読んで、更に頭が混乱してしまったらお許し下さい。(笑)  登場人物は例によって、先生と生徒です。

     T あそこの枝に止っている鳥がウソです。
     P 『うっそ〜!!.....』
     T いや、ホントです。
     P 『あれが、ウソですか!?....』
     T そうです。あれは、ウソです。
     P 『胸が赤いですね〜!!...』
     T あれが、『真っ赤なウソ』、アカウソというのです。
     P 『うっそ〜!!.....』
     T いや、ホントです

そばで、じっと二人の話を聞いていた生徒さん(P2)、最近先生がタバコを吸わなくなってたのが、何となく気になっていたようです。そんな折も折り二人の『ウソ、ホント』のやり取りに触発されたのでしょう......突然、先生に....

     P2 『先生、最近タバコ止められました?....』
     T .....はい!!
     P2 『うっそ〜!!.....』
     T はい、今のはウソです。『真っ赤なウソ』です!!
     P2 『やっぱり〜!!.....』
P2さん、鳥のウソより、先生のウソの方に、よほど納得された様子でした。
その後、先生はポケットから、おもむろにタバコを取り出すと、まるで2ヶ月も休煙していたとは思えない、いつもの仕草で、タバコに火をつけました。タバコの煙は、陽の光を受けて青く染まりながらゆっくりと上昇していきます。先生の視線は、もう、遥か彼方の空間を彷徨っている.......そこには、いつものタバコ吸いの先生の表情がありました......。 (完)                          
                                                 (2/23)                                            

春いちばん、見〜っけた!!.....
わが峠もやっと、『ちいさな春』が枯れ葉の蔭から、ちょこんと姿を見せてくれました。峠道で春一番に咲く花、ユリワサビです。それは、それは小さい花で、見つけようとしなければ、多分見過ごしてしまうでしょう。それくらい小さく、可愛い花です。この植物はワサビという名前の通り、皆さんが、よくご存知のあのワサビと同じ仲間です。『本ワサビ』のように辛みはほとんどありませんが、葉や花の姿形は『本ワサビ』そっくりです。このユリワサビが、わが峠の谷沿いには、たくさん生育しているのです。毎年、この時季になると花が気になりだして、落ち葉をどかしたりして、ついつい花を探してしまいます。....この時季、見られるのは、まだほんの一粒、二粒の花数なのですが、それでもこの花を見つけると、『おお、春が来た!!....』と一気に春を実感できるのです。そんな意味からも、この花は、私にとって、文字通り『春告げ鳥』ならぬ、『春告げ花』と言っていいでしょう.......。
ところで、皆さんは、ワサビはなぜ辛いか?.....そんなこと、考えてみたことはありませんか?......『そんなこと、お前に教わらなくても、とっくの昔から知ってらい!!....』そう、おっしゃる方及び『わたし、辛いの大嫌い!!....』とおっしゃる方は、ここで、この記事を読むのは止めて、どうぞHPをお閉じ下さい。そして、このあとは、『辛さの秘密を知りたい!!....』『わたし、辛いの大好き!!...』という方々のみお読み下さい...。(笑)では、では....。
実は、ワサビにはシニグリンという化学物質が含まれていて、このシニグリンが酵素のはたらきで、化学反応を起こして『アリル辛し油』という辛み成分を作り出すのです。これが、『辛み』の正体なのです。皆さんがワサビを口にした時、悲しくもないのに『辛い、辛い...』と言って涙をこぼす理由はここにあったわけです。ところが、不思議なことに『アリル辛し油』には涙をこぼさせるほどの辛みがあるのに、シニグリンそれ自体には辛みはないのです。では、何故ワサビは、もともとは辛くもないシニグリンを酵素などを使って、わざわざ『アリル辛し油』などという辛み成分をつくる必要があったのでしょうか......実は、これこそが、とても大事なところなのです。ワサビは通常の時ならば、酵素をはたらかせる必要はないのです。
では、酵素がはたらく時とは?.......実は、これは、ワサビが通常ではいられない時、非常事態に陥った時、即ちワサビが敵である害虫に襲われて、食害を受けて細胞が破壊された時なのです!!ワサビは自分の細胞が破壊された時はじめて酵素をはたらかせてシニグリンから『アリル辛し油』を作り出すのです。何のために?....もちろん、自分の身を守るため!!です。.....もうここまで書けば、賢明なる皆さんですから、すべておわかりになったでしょう......実は、辛みとは、害虫に対する、化学兵器(アリル辛し油)を使ったワサビ側からの必死の反撃だったのです!!.....ああ、それなのに、それなのに、人間様はワサビの気持ちも知らないで、『練りワサビ』だ『生ワサビ』だと言っては、根をすり潰し(細胞を破壊しつくし)、やたら化学兵器(アリル辛し油)を増産させ、しかも、それを醤油とコラボさせて『味わい、愛でて』しまう......人間とは、やっぱり並の『害虫』ではありませんね....。
      .......何はともあれ、今年も峠道に、早春の花、ユリワサビが咲き始めました。(2/23)


  

『お釈迦様でも気がつくめ〜....』
マンリョウ(万両)、センリョウ(千両)、ヒャクリョウ(百両)、ジュウリョウ(十両)、イチリョウ(一両).....これ、何のことかおわかりでしょうか?.....実は、これらはすべて植物に付けられた名前なのです。誰が付けたのかわかりませんが、よくまあ、名付けたものだと感心するやら、呆れるやら.......。それにしても、人間の金に対する欲望と願望が、これほどまでに表現されている植物群もあまりないでしょう...。わたしも、これまで、これらの植物にとりわけ興味をもっていたわけではないのですが、仕事柄、ちょっと知る必要が出てきたので、これを契機に少し調べてみることにしたのです。
そして、調べているうちに、マンリョウ(万両)について大変おもしろいことがわかってきました。.........これまでも、マメ科、ハンノキ類、ヤシャブシ類の根っこには根粒という小さな粒が付いており、その中に根粒菌という菌が住み着いていて、その菌が空気中の窒素を固定することにより、前述の木々の生長に一役かっている、という事実は知っていました。しかし、マンリョウ(万両)においても、そのような菌との共生があるとは全くしりませんでした。それも、マンリョウ(万両)の場合は、根粒菌ではなく、『葉粒菌』と共生しているというのです。『葉粒菌』というのですから、根ではなく葉に菌が住み着いているわけです。では、葉のどこに?.....実は、葉をよく調べてみると、葉の縁に沿って、小さな粒状の膨らみがあるのです。触ってみるとよくわかります。この小さな粒粒のなかに「ザントモナス」という菌が住み着いていて、ここで空気中の窒素を固定しているのだそうです。.....そう言われてみれば確かに、センリョウ(千両)やジュウリョウ(十両)などの葉とは見た目も、感触も違っていました。しかし、いくら何でも、そこの部分に『葉粒菌』なるもが住み着いているとは、『お釈迦様でも気がつくめ〜....』ではなく、全くの私の不勉強そのものでした。この記事をお読みになられて、興味をおもちになられた方がございましたら、是非ご自分の目でお確かめ下さい。葉縁を触ってみると、すぐにわかります。ちなみに、この葉を土に挿しておくと『葉粒菌』の働きで発根するそうです。私も機会があったら、是非確かめてみたいと思います。それにしても、この植物、なかなかのしたたか者で、千両役者ならぬ万両役者というところでしょうか.......いや〜、植物も奥の深いこと、深いこと.....。(2/14)

            
                マンリョウ                       マンリョウの葉
 ヒャクリョウ(百両)のことを別名カラタチバナ、ジュウリョウ(十両)のことをヤブコウジ、イチリョウ(一両)のことをアリドオシともいいます。

『ソロモン』の言葉
最近、峠道を歩いていると、道沿いでルリビタキによく出会います。これまでは、山の斜面の比較的奥深いところで鳴き声を聞くことが多かったのですが、ここのところ何故か道沿いに頻繁に姿を見せるようになってきたのです。峠に着くまでに、3、4回は遭遇するでしょうか。或る個体は路上で餌をついばんでいたり、また別の個体はガードレールに止っていたりと、かなりの至近距離で観察できるのです。しかし、それは、雌だったり、雄だったり、あるいは雄でも若い個体であったりと、色彩がイマイチで、なかなか美しいブルーの成鳥雄個体にお目にかかることができなかったのです。ところが、先日やっと、久々に目の覚めるような『ブルーな奴』に出会うことができたのです。嬉しかったですね〜!!....この時ばかりは私も一瞬我を忘れて、じっと見入ってしまいました。それ相応の年数に達した雄の『青』は、やはり、一味も二味も違うものです。まさに『山の神さま』から頂いたプレゼント.....そんな感じのした、すばらしい『ブルー』でした。
....そう言えば、プレゼントで思い出しましたが、先日、私のHPの読者の方から、素敵な言葉をプレゼントして頂きました。と或る女性の方なのですが、英語が堪能で、英詩が大好き、という方です。彼女曰く『私がかつて感動した言葉』ということで、ワーズワースの詩の中から一つ、『サラとソロモン』という物語のなかから一つ、合計二つを紹介してくれました。なかでも、『サラとソロモン』という物語のなかから紹介してくれた言葉は、私にもぴったりの言葉で、大変感動しました。この本は、ふくろうが人生をいかに生きるべきかを少女に語る哲学書のような本だということですが、本の中でふくろうのソロモンが少女のサラに『....自然を味わい愛でることが生きることなんだ』と語るのだそうです。『....自然を味わい愛でることが生きることなんだ』.....何と素敵な言葉ではありませんか!! 私のように何の取り柄もない人間からみると、まさに珠玉の言葉で、心から共感できる言葉でもあります。『自然を味わい愛でること』...それは、言葉で言うほどに簡単なことではありませんが、私としては、この言葉には大変勇気づけられる思いがしたのです。この素敵な言葉を紹介して下さったNさんに、ここで改めてお礼を言いたいと思います。(2/1)
カラスザンショウ.....野鳥の視点から
この時季、冬枯れの峠道に残っている木の実(種子)と言えば、ムラサキシキブとカラスザンショウぐらいなものである。その両種でさえ、大半の種子は落ちてしまい現在はわずかに残っている程度である。しかし、そこに生息している鳥達にしてみれば、木の実(種子)が残っているということ自体大変有り難いことなのである。十分な餌を確保できない厳冬期にはムラサキシキブやカラスザンショウなどの木の実(種子)は鳥達にとって貴重な食料になっている。特に、カラスザンショウの種子は鳥達には大変人気が高い。果実が裂開すると中から黒い乾果が顔を出すが、この色が、鳥達の食欲を多いに刺激するらしい。幸い、わが峠道沿いには数本の大きなカラスザンショウの木があるので、そこを訪れてくる野鳥を散策の途中少し観察してみることにした。結果は次の通りであった。鳥の種類はシジュウカラ、ヤマガラ、メジロ、ジョウビタキ、ルリビタキ、ヒヨドリ、シメ、コゲラ、ツグミ、シロハラ、トラツグミの11種にも及んだ。なかでも、ツグミ、シロハラ、シメはこの種子が好きらしく、いずれの種も小群をなして訪れていた。意外だったのは、トラツグミで、今回私はトラツグミがカラスザンショウの種子を食している場面を初めて観察する機会を得た。いずれにしても、この時季、カラスザンショウの種子を求めてやってくる鳥が予想以上に多いことを改めて確認することができた。カラスザンショウは、冬期、鳥を呼び寄せるための木としては大変すぐれていると思われる。今回の観察は、あくまでも散策のついでに実施しただけで、その場所に居座って集中的に行ったものではない。従って、本格的な調査を実施すれば種数はもっと多くなるかもしれない。来冬は時期、時間等を含めた集中的な調査を是非試みてみたいと思っている。(1/19)
悲しくも心やさしき人々
今日はいつもより早めに峠道を歩いてきた。風もなく、静かなたたずまいはいつもの通りだ。渡良瀬もそうだが、同じところを繰り返し繰り返し歩いていると、自然の姿が少しずつ見えてくる。そう、少しずつ....。自然は、決して己のすべてを一度に見せることはない。私たちが意図的に見ようとしたものだけを見せてくれる。だから、意識して見ようとしない者には何も見えない。まったく同じ峠道でも、昨日の峠道と今日の峠道では観えるものが違う。それは、自然の懐の深さに因ることはもちろんだが、見る側の視点が日々違うということも大きい。おまけに、見る側の人間には感情という厄介なものもあり、日々瞬間移り変わるこの感情の種類によっても見え方が違ってしまう。同様に、同じところを繰り返し繰り返し歩いていると、そこで行き交う人の姿も少しずつ見えてくる。そう、少しずつ......。自然と同じように人も、決して己のすべてを一度に見せることはない。私たちが意図的に関わりをもとうとした時だけ、その一部をちらりと見せてくれる。しかし、自然と違って、人は自分をあらわにすることを拒否する者もいる。例えば、公園の東屋に朝からじっと閉じこもり、誰とも関わりをもたず、ひたすら携帯電話を操作して一日を終える人....彼は周囲の人々にはまったくの無関心を装う。また、或る者は、ひたすら絵を描くことを喜びとしている。画家なんぞというかっこのいい人間ではない。生活費はゼロ、食う物も食ったり、食わなかったり。借り家はあるが家賃が払えない。それでも生きて絵を描いている。そして、そんな生活でも一向に卑屈になっているようすがない。実に不思議だ。そうかと思えば、万引きをして、とうとうブタ箱に入ってしまったテント暮らしのホームレスもいる。彼とは5、6年来の付き合いだったが、彼は犬猫などの生き物をこよなく愛し、自分の食い物を削ってでも餌をやるような男だった。彼がいつか言っていた言葉が印象に残っている。『人は、俺のことを、こんな暮らし、こんな暮らしというけど、俺は、この暮らしが好きなんだよ〜.....』。彼の可愛がっていた犬がいた。その犬は、彼が出かけると、夕方帰る頃になると公園の入り口でいつも彼の帰りを待っていた。主人のいなくなった今、あの犬はどうしてしまったのだろうか.....。私は、もう随分と長く渡良瀬を歩いてきた。渡良瀬ほどではないが峠道も然りだ。例えば、『わしは足尾銅山で15年働いていた』が口癖の84歳のおじいちゃん、彼はいつも私と反対側の上り口から、車で峠までやって来る。『かかあも死んじまったし、昔の友達もみんな死んじまって俺だけ生きてる。な〜んもおもしれえことなんかね〜、早く死にて〜だが迎えが来ね〜.....』これも彼のいつもの悲しい口癖である。毎日、峠を挟んで向こうから、こちら側までを行き来しているという。また或る者は、『リストラされて職を探しているが見つからない。』歳は58とか59歳と言っていた。『40歳代で結婚して、子どもができたのが50過ぎ、子どもがまだ小さいのでなんとかしなければと思っているのだけど、どうしようもない。家にいずらいので、ついつい、この場所に来てしまうのです。』『ここは静かで落ち着くのです。』そう言いながら、ビニール袋に入っている空き缶を見せてくれた。『こんないいところに空き缶をすてて汚す奴がいる。わたしは、来る度に少しづつ拾って持って帰っているのです。』自分が逆境にあるにも関わらず、このような行動がとれることに、私は全く頭の下がる思いがするのです。また、こんな人もいる。彼とは、峠の途中で行き会うのですが、いつも車の中で休んでいる。そしてわたしとすれ違う時に必ず『私は別に仕事をさぼっているわけじゃないですから..』と言い訳じみたことをいうのだ。見も知らぬ人間に、普通は言わない言葉だ。そんな時私は彼に、こう言うことにしている。『いいんですよ、だ〜れも、あなたのことをそんな風に思っていませんから。どうぞ、ゆ〜っくりお休み下さい』と。どんな理由があって、そのような言葉を語るのか私は知る由もないが、悲しい人です。このように、渡良瀬と峠道で私は実にいろいろな人々と出会ってきた。野鳥関係の人達はもちろんだが、その他、多くの変人、奇人にも出会った。もちろん、なかには『生きていない人』との出会いもあった。また、ここに紹介できないような『ことがら』を演じている人にも遭遇したことがある。しかし、総じて共通しているのは、出会った人々の多くが、善良で心やさしき人々であり、同時に、人間の暮らしのなかで、何が大切であるかを、しっかりわきまえている礼儀正しい人々であったということです。(1/17)
わたしとあなたの間柄は.....
この時季、峠道を歩いていると、いろいろな果実に出くわす。赤い実、青い実、大きい果実、小さい果実、それこそ植物の種類によって様々だ。その中で毎年見る度に『面白い形だな〜』と感じる果実の一つに、コクサギ(ミカン科)という樹木がある。峠道の谷に沿って分布している落葉低木だが、この木は、新緑の頃独特の香りを放ち、黄緑色の若葉と共に視覚と嗅覚を通じて、いち早く谷間の春を体感させてくれる樹木でもある。私はこの木の香りを感じながら峠道を歩くのが大好きだ。また、この樹木は葉の付き方が独特で『コクサギ型葉序』として植物学的にも重要な位置を占めている。一般に植物の葉の付き方(葉序)は、輪生、対生、互生の順で進化してきたと言われているが、コクサギは対生から互生に移行中の葉序を示しているという。話を果実に戻そう。コクサギの果実は分果といって、果実が4つに分かれている。実はこの4つの分かれ方がすばらしく見事なのだ。真上から果実を見ると、真四角の枠に収まってしまうくらいしっかりと正方形を保っている。私は、この形にはいつ見ても惚れ惚れしてしまう。それくらい不思議な魅力をもった果実、それがコクサギの果実なのです.....。
本当は、これで本日の記事を終わりにしてもよかったのですが、今日は不幸にも私の頭の中に『ほんじゃ、コクサギ以外のミカン科の果実はどうなってんだべ...』なる妄念が沸き起こってしまい、ついついコクサギ以外にまで手を伸ばしてしまったのです。それが、カラスザンショウという樹木です。私は、この峠道には4種類のミカン科の植物(草本1、木本3)があることを知っていたので、そのうちの一つ、カラスザンショウに目をつけたというわけです。結果はどうだったか........おもしろかったですね〜!!カラスザンショウの果実は4ではなく、3分果だったのです!!。つまり正方形ではなく、正三角形ということです。コクサギとカラスザンショウの間柄は、文字通り『わたしは四角形、あなたは三角形』の幾何学を共通項にもつ仲だったわけです......。(11/26)

  
          コクサギ                         カラスザンショウ
      
閑話休題......ウソのような、ホントのような『小話』(1)
似て非なるものは世の中にたくさんありますが、植物の世界も同じです。その一つに『ススキ』と『オギ』があります。
とある観察会で先生が生徒さんに『ススキ』と『オギ』の違いを説明している場面です。

T『花を見て、花にノギが一本あれば、それはススキです。ノギがなければオギです。わかりましたか。』
P『はい!!』
その5秒後
P『先生、もう一度確認します。オギがなければノギですね!!...』
T『????』
T『そうじゃないでしょ!! ノギがなければオギ!!...』
まるで、落語か漫才のような話ですが、実際の話です。植物もおもしろいですが、人間はもっとおもしろいですね....。(笑)(11/17)

      

            (ススキ)                         (オギ)

     

知る人ぞ知る『不思議な木』

 これはシロダモとよばれているクスノキ科の樹木です。一般に植物はだいたいが花の後に実をつけるのが普通です。ところが、このシロダモという木はとても変わり者で、花の後に実をつけるどころか、花と実を同時季につける不思議な木なのです。花の時季が実がなる時季、実がなる時季が花が咲く時季なのです。わたしは且つて、この季節に花と実の両方をつけているシロダモに初めて遭遇した時、『ヘェ〜....世の中には、こんな木もあるんだ〜....』と、とても不思議な気持ちになったことがあります。雄株と雌株があるので、その両方があるところでないと見られないので、どこでもというわけにはいきませんが、是非一度ご自分の目でお確かめ下さい。感動すること請け合いです。(11/10)

      
      実と雌花                 雄花                雌花

         .

センブリを少しだけ調べてみました....。

.先日、センブリ(リンドウ科)の花を紹介しましたが、少し気になっていたことがあったので、再度調べてみた。『気になっていたこと』とは、センブリの花の、花弁の数です。これまで私の記憶では花弁は5枚だったのですが、今回4枚のものもあることに気付き、他の株はどうなっているのか、その割合を調べてみたわけです。今回の調査では、センブリが比較的群生しているエリアを選び、そこに生育している122株について、それぞれの株に於ける花弁の数を調査してみた。その結果、センブリには、5枚、4枚、3枚の3パターンの花弁をもつ花があることが判明した。6枚以上の花弁をつけた花は見られなかった。以下、122株について調べたことを簡単に紹介してみたいと思う。
まず、花弁が5枚の花だけで構成されている株は49株/122株(40%)、花弁が4枚の花だけで構成されている株は40株/122株(32%)、花弁が3枚の花だけで構成されている株は0株/122株(0%)だった。次に、一株のなかに花弁が5枚と4枚の花から構成されている株も見つかったので、その他の株についても調べてみた。その結果、一株のなかに花弁が5枚と4枚の花から構成されている株は31株/122株(25%)、一株のなかに花弁が4枚と3枚の花から構成されている株が2株/122株(1%)見つかった。以上の調査から、このエリアに生育しているセンブリ122株については、花弁が5枚の花だけで構成されている株が最も多く分布していることが判明したが、一株のなかに花弁が5枚と4枚の花の組み合せをもつ株も相当数あることがわかった。3枚の花弁をもつ花は、花弁が4枚と3枚の花の組み合わせをもつ株からのみ見つかった。花弁が3枚の花だけで構成されている株は見つからなかった。
尚、今回は、花器官のつくり、特に花弁の数と雄しべや雌しべの数との対比関係、また、一株中の5花弁と4花弁の花の割合、あるいは4花弁と3花弁の花の割合などについて課題が残ってしまった。また、いつか機会ができたら調査してみたいと思っている。
これまで、センブリについては、秋に咲く気品ある美しい花でおわっていたのですが、今回のように花弁の数に焦点を合わせて観察してみると、これはこれで、今までとは一味も二味も違ったセンブリの姿がみえてきてとても興味深いものがあった。いずれにしてもセンブリは、私のなかでは、これまで通り『この花を見ずして秋を越せない』花の一つであることは間違いありません.......。(11/1)

 

       5枚花弁              4枚花弁               3枚花弁 

               

          ムラサキセンブリ                   リンドウ 


秋.....それは、死出の旅路

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どこを見渡しても、からまつ、からまつ、からまつ.......もう、黄金色とは言えないが、すばらしい黄葉には違いない。ここは信州、湯ノ丸高原。私はこれまで、秋の山(高山)にはあまり出かけたことがない。私にとって山といえば、それは色とりどりの草花に満ちた春と夏の山。夏がおわれば、もう1年が終わったのと同じだった。秋になったとたん『早く春がこないかな〜....』それが私の口癖になっていた。まさに「春待ち人」そのものだった。それが、今年は少し違ってきた。時間に余裕ができたせいか、歳のせいか、それはわからない。とにかく、秋を秋なりに味わうことができる心境になっているのだ。とは言ってみたものの、結局私は秋には勝てはしないのだが.....。もともと、私は寂しがりやだから、秋の美しくも物悲しい風景に接するといろいろのことを感じ過ぎてしまう傾向がある。だから、よけい秋を敬遠してしまうのかもしれない。もしかしたら、私のなかでは秋とは文字通り『死出の旅路』という意味をもった言葉として存在しているのかもしれない。ほんとうに!!......。
秋は美しいですよ〜.....と〜っても!! でも.....悲しいですね〜...と〜っても!! (神無月)

  

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キバナアキギリ......なんと巧妙な仕掛け!!

キバナアキギリ.....分類学的にはシソ科アキギリ属キバナアキギリと分類される。種名の由来はアキギリに似て花が黄色いためにキバナアキギリ(黄花秋桐)。花の形も桐の花に似ている。低山に赴けば、普通に見られる花だが、今はもう盛りを過ぎて最後の花が残っている程度になってしまった。私が足繁く通う峠道の谷沿いにも群生地があり、花の時季には薄暗がりの谷間を明るくするほどに咲き誇る。やさしい感じのする花だ。通常ならば、この程度の解説で、あとは写真を載せてアップすれば本日のHPも出来上がりということになるわけだが、今日は、更にもう一歩深く踏み込んで、キバナアキギリの驚くべき繁殖戦略の一端を御紹介することに致します。
一般に植物は子孫を残す方法として受粉という過程を経なければならないわけだが、受粉をするためには当然のことながら送粉(花粉を雌しべに運ぶ)が必要だ。そして、この送粉の方法が種によって様々に異っている。或るものは、送粉の媒介として風を使い、また或るものは昆虫などの動物を送粉者として利用する。なかには水に頼っている植物もある。....では、キバナアキギリは?.....もちろん昆虫だ。キバナアキギリはハナバチ類を送粉者として利用している虫媒花なのだ。問題なのは、訪花した昆虫にどうやって花粉をくっ付けるか?だ。....そこに、それぞれの種のスタイルというか戦略が生まれてくる。

<キバナアキギリの花粉くっ付け戦略.....>

知れば知るほど、その手口の巧妙さ、凄さに驚いてしまう。キバナアキギリは花粉を昆虫の体にくっ付けるのに、なんと物理学の法則(てこの原理)を使っているのだ!! 一般に良く知られているように、てこの原理を応用して作られている道具は身の回りを少し見渡しただけでも、そこら中に見つけることができる。例えば、はさみ、シーソー、バールなどなどである。いずれも、支点、力点、作用点の3点を具えている。では、キバナアキギリは?.....実は、この花はバール型なのだ。『くの字』型の釘抜きを一つ想像してみて下さい。『くの字』の下側に力を加えれば(力点)、支点を中心にして回転力が発生して、上の部分が下方にぐっと下がるでしょう(作用点)。もしもその時、下に何か物があったら、どうなるでしょう?『くの字』の上の部分が物にぶつかってしまうことは明白です。これこそが、キバナアキギリが花粉を訪花した昆虫にくっ付けてしまう原理そのものなのです。実際の花の中では、力点は仮の雄しべで、作用点が本雄しべ、支点は花弁に合着している部分になっています。仮の雄しべは紫色をしていて、昆虫がやって来たときの目印になります。しかし、この雄しべからは花粉は出ません。本雄しべは、ふだん外側からは見えません。上側の花弁(上唇)の中に格納されているのです。そして、ひとたび、昆虫が訪花して仮の雄しべの部分に圧力を加えれば、その瞬間に『てこの原理』が働いて、それまで閉じられていた上唇の格納庫が左右に開き、中から本雄しべが飛び出し、下にいる昆虫の背中に花粉をくっ付けてしまうというわけなのです。まったく巧妙で、凄いというしかありません。ちなみに、この『てこの原理』を利用して、昆虫に花粉をくっ付けるシステムを持っているのは、シソ科のなかでもアキギリ属の種です。サルビアやボッグセージ、メキシカンセージ、メドーセージなどのセージ類もアキギリ属ですから皆、このシステムを使って送粉しています。但し、但しです!! これらのセージ類が採用している『てこの原理』はキバナアキギリと違って『バール型』ではなく『シーソー型』であることも、今回の調査で判明しました。『シーソー型』は『バール型』と違って、昆虫が下から潜り込んで、下がっている一方のバーを下から押し上げることで、もう一方のバー(本雄しべ)を下げる.....そのことによって昆虫の体に花粉をくっ付けるという方法をとっていることです。いや〜実に巧妙ですね。不思議ですね〜....。自然て、本当に凄いです。面白いです!!(10/23)

『バール型』花粉くっ付け装置をもつキバナアキギリ


紫の仮雄しべに虫が止る      花の全体         本雄しべ格納中     仮雄しべを押すと本雄しべが出る

シーソー型』花粉くっ付け装置をもつセージの仲間

             

    チェリーセージ       メキシカンセージ      メドーセージ        こんな風に虫が止る               
(長いのは、いずれも雌しべ)                                                                     

『バール型』、『シーソー型』とはパターン化するために岡田が便宜的に使った用語であることを御了承下さい。

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この花を見ずして.........

『この花を見ずして、秋を越せない...』とは、セキヤノアキチョウジのことだったが、私にとって、『.....見ずして、秋を越せない』花と言えば、やはりセンブリでしょうか....。もう、そろそろ見られるはずと思いながらも、今季はなかなか出会うことができなかった.........それが今日、とある山で、偶然見つけることができたのだ。この山はセンブリの生育に適しているのか、見つけ始めると至る所で愛らしい姿を見せてくれた。この花の持つ、きりっとした清涼感は清々しい秋晴れの空気にぴったりだ。本当に気持ちのいい花だ。....もしかしたら、今日のセンブリは頂から眺めた峰々の美しい景色とともに、生涯忘れ得ぬ特別の意味をもった『センブリ』になるかもしれない。そんな気がした。.....それほどに愛しさを強く感じた今日の『センブリ』だった。.....夕暮れ迫る静かな、静かな秋のひと時でした......。(10/吉日) .

  

  

木漏れ日溢れる秋の峠道

久しぶりに、秋の峠道をのんびりと歩いてきた。人気のない林道は、木漏れ日が溢れてとても気持ちがいい.....光と陰が織りなすまだら模様の妙をじっくりと味わいながら歩を進める。見上げれば杉木立の上には、一片の雲もない真っ青な空が広がっている....。雨の日も、曇りの日も、それぞれに味わい深い峠道だが、青空のもとに歩く峠道は、やはり格別なものがある。低山故に、紅葉はまだ早いが、それでもヌルデなどのウルシの仲間は紅や黄色に変色し始めた。緑の中の紅葉が実に鮮やかだ。
林道脇の花達は、まるで『私たちが今年最後の花よ....』と言っているようだ...。どの花も、みな微笑んでいるように見える。
2007年、秋の峠道......。来年の秋は淋しい峠道になりそうな気がする.....。(10/21)






秋の妖精

『この花を見ずして秋を越せない』......それほどに、この花のファンは多いと聞く。この花の美しさを知っている者なら確かにうなずける話だ。花そのものは、決して大きな花でもなければ派手な衣装を身に纏っているわけでもない。どちらかと言えば小型の地味な花....そう言った方がこの花を的確に表現しているかもしれない。にも関わらず人々を魅了して止まない何かをもっている......その魅力の秘密は一体どこにあるのか。......それは、この花がもっている色彩....あたかも見る者を吸い込んでしまいそうな、透き通った青....この色彩に人々は惹かれてしまうのではないだろうか...。かく言う私も、例外ではない。この花のもつ気品ある透明な青は、見る度に私に感動を与え、何か、この世的ではない響きすら感じさせる。もしかしたら、この花は........そう思いたくなってしまうほど不思議な魅力をもった青なのだ。まあ、そこまでは私の考え過ぎだとしても、もしも、この花を見ずに秋を通り過ぎてしまったとしたら、やはり私も想いを残してしまうことだけは間違いなさそうだ。セキヤノアキチョウジとは、そんな花だ......。(10/13)

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秋の武尊は景色も人の心も絶品でした.....

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3度目の入山で、やっとリフトに乗ることができた。これまでは、いつも平日だったのでリフトは動いていなかったのだ。ふつう観光地ともなれば、動いているのが当たり前なのだが、ここは普段は訪れる人が少ないということで平日は運休になっていた。実は今日も本当はここを訪れる予定ではなかったのだが、『もしかしたら....』の当てずっぽうで急遽ここに途中下車してしまったのだ。結果は大当たりだった。天気は絶好の秋晴れ、人気はほとんどなし。これ以上の条件は望めないほどの幸運に恵まれてしまった。30分ほどかけて上るリフト上での眺めは予想を上回る絶景で、遠く日光白根から皇海、赤城までも展望することができた。本山の頂上を目指すには、リフトの終点から更に3時間あまり歩かなければ登頂できないのだが、散策程度の歩きなら、リフトの終点付近だけでも十分だ。キャンプ地も兼ねている良く整備された散策コースがあり、ススキの草原のなかに立つ白樺の木々がとても美しい。紅葉には少し早いが、それでもナナカマドやヤマウルシ類が紅く染まり、秋を体感するには十分すぎるほどだった。お昼には、ジンギスカンを売り物にしている食堂が一軒あったので、取りあえずそこに入った。結構広々とした部屋だったが、私が入った時は客の一組の老夫婦が、ちょうど店から出るところだった。二人とも相当な年配者に見えた。旦那さんは奥さんを抱き支えるような格好で出口に向かって行った。帰り際に、奥さんが店員に『....ごちそうさまでした。美味しかったですよ。すいとんと大根がとても美味しかったです。』と言ったのが、私の耳に届いた。そして、客はもう誰もいなくなってしまった。私は内心、『どうせ高くて美味くないだろう..』とタカをくくっていたので、奥さんの挨拶は社交儀礼だと思い特別気には留めていなかった....。私は型通りジンギスカンセットを注文した。女の店員だが、とても愛想がいい。しばらくして、店員がセットを運んできた。『これは、うちで作ったすいとんと大根の煮付けです。よろしかったら、いっしょにどうぞ。』私は、ここで、ようやく老夫婦の言ったことが理解できた。『すいとんと大根....』これのことだな.....。
とりあえず、わたしは『すいとんと大根....』を試食してみることにした........『美味い!!実に美味い!!...』.....本当に美味いのだ、すいとんはキノコのダシがしっかりきいているし、大根は大根で、これまたしっかりダシが染み込んでいる。こんな美味しいすいとんと大根は食べたことがない、ちょっとオーバーだが、そのくらいいい味だったのだ。その後、お新香も味がいいし、もちろんジンギスカンもとても美味しかった。最後に、メニューにはなかったのだが、温かいコーヒー飲めますか。と尋ねたら『インスタントでもよかったら、サービスしますよ。』という答えが返ってきた。私は即座に『お願いします。』と言った。若い優しそうな男の店員が運んできてくれた。一口飲むと、なんとコーヒーの味もいいのだ。『ここでは、インスタントのコーヒーも美味いのか!!?....』思わず、そういいたくなった。『インスタントだからタダです。』と言われていたけど、もちろん帰りがけに、代金を置いてきたことはいうまでもない。私は、帰り際に愛想のいい女店員に『....ごちそうさまでした。美味しかったですよ。すいとんと大根がとても美味しかったです。』と、老夫婦が言ってたのと同じことを言っていた....。(10/6)


霧降の谷間にて......

花を咲かせている植物といえば、ノコンギクやユウガギクなどの野菊の仲間だけになってしまった。山道には、もう黄色く変色した枯れ葉がたくさん落ちていて、落ち葉を踏みしめる足には秋の深まりが否応無く伝わってくる。谷間を流れる水の流れはあくまでも透明で美しいが、水面を渡る風は冷たく来るべき冬の到来を予感させているようで寂しい。新緑のもとに眺める春のせせらぎと何と違うものか.....ああ、恋しきはスミレ花咲く春の水辺なり.....。(10/某日)

雲海、果てしなく.....

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コノシメトンボ     アオイトトンボ   ルリボシヤンマの産卵  ハナイカリ     オヤマリンドウ

それは、あたかも一万メートル上空のジャンボ機の窓から見下ろした光景と同じようだった.....。眼下に広がる景色は雲海そのもの。真綿を一面に敷き詰めたような柔らかな雲が限りなく前方に広がっている。雲の下はもちろん関東平野だ。雲がなければ、平野全域が一望できる。もしかしたら、わが古里の近くまで見えるかもしれない......ここは上州赤城山、長七郎の山頂。
......今私が立っている位置から上空は真っ青な空だ。雲一つない快晴。実に不思議な感覚を覚える。私も、けっこう山歩きはしてきたほうだが、この程度の標高から、こんなに美しい雲海を眺めたのは初めてだ。思わず溜め息がでてしまうほどの絶景であった。いくつかの気象的条件が奇跡的に組み合わさって生まれた景色に違いないが、今後何回ここを訪れても今日のような光景には二度とお目にかかれないかもしれない......少なくとも私には、そう思えた.....。
トンボ飛び交う初秋の、とある一日であった,,,,,。(9/3)
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青き空、碧き海.......そして、蒼きヤンバルの山々

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オキナワチョウトンボ          ツマムラサキマダラ           アカヒゲ

沖縄にいる娘に誘われて四日ほど沖縄の地を歩いて来た。
これまでも、何回も何回も誘われていたのだが、出不精な私は、その都度娘の誘いを断り続けて来た。しかし、今回は娘の強い誘いを拒みきれず、ついに根負けして出かけてしまったというわけである。
降ったり、照ったりと、まさに亜熱帯を象徴するような変化に富んだ天気であったが、それなりに『青き空、碧き海.......そして、蒼きヤンバルの山々....』を楽しむことができた。しかし、何と言っても、一番強く印象に残ったことは、本土との『生物相の違い』である。これまで南方を一度も訪れたことのなかった私には、植物をはじめ、その他の生き物すべてが新鮮に感じられた。当たり前のことだが、これまで慣れ親しんできた北方系の生物相とはあまりにも違いが大きかった。樹木一つとっても、即座に同定できるものがほとんどないのだ。鳥を除いて、蝶やトンボの昆虫類もほとんどダメ。これには、さすがの私も参った。家族からも言われてしまった。『お父さん、亜熱帯についての勉強を一からしないとダメね......』まったく、その通りであった....。かくして、『わからない』というストレスを抱えての4日間の行脚であったが、苦行だけではなく幾多の感動もあった。その一つがアカヒゲとの出会いである。私は、これまで随分と長い間野鳥の観察をしてきたが、こんな鳥との出会いは初めてであった。なにが、初めてかというと........これまで私が出会った鳥のすべては一定の距離に私が鳥に近づくと、100パーセント逃げてしまった。これは、当たり前で普通です。日本では、野鳥は人間が近づけば逃げる、これ、常識!......ところが、ところがです、このアカヒゲさん、逃げるどころか逆に、私に近づいてきたではありませんか!!これには、さすがの私もびっくり仰天!!.....最初、7、8メートル前方の地面の上にアカヒゲを発見した私は、石になりながら、『....頼む、逃げないでくれ、逃げないでくれ....』と念じながらバシバシ、シャッターを切っていた。すると、どうでしょう....あれよ、あれよという間に私の方に向かって歩いてきたではありませんか!!....私は、『まさか!!...』と疑念を抱きつつも、尚も石になり続けていたら、とうとう私の足下まできてしまった!!......もう、その時の私といったら、体は石になって凍ったまま.....心臓はバクバク......私は、こんな鳥が、日本にもいるかと上気した気持ちを抱いたまま、じっとアカヒゲの行動を見つめていた。『なんて愛らしい鳥なんだろう!!.....』.......私は、これまで鳥に対して抱いたことのないような愛しさをアカヒゲに感じていた........まったく思いもよらない至福のひとときだった....。
ちなみにアカヒゲは南西諸島の特産種。天然記念物と特殊鳥類に指定され、ここに行かなければ見られない鳥である。
また、この日はアカヒゲだけでなく、同じ場所で、3メートルの至近距離でサンショウクイを観察したり、アカショウビンやリュウキュウヨシゴイを観察したりで、鳥見人にとっては何とも贅沢な一日になりました.....。
干潟では、南下してきたチュウシャクシギやダイシャクシギなどのシギ類、ムナグロなどのチドリ類が体を休め、いよいよ渡りが本格化する季節になってきたようです。2007年、不思議な、夏の終わりの4日間でした.......。
(8/28)
『 青き空 碧き海見て 夏終わる 』

愛しきかな....幾とせ過ぎて会いし『花』

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この地で最後にレンゲショウマを見てからいったい何年経ったのだろうか.....。私自身はっきりした年数は思い出せないが、もしかしたら10年以上は経っているかもしれない.....それほどに久しく訪れることのなかった場所である。...いずれにしても随分な年月が経過したものだと、つくづく思う.....。
.....今日は久しぶりにこの花に会いたくなってこの場所を再び訪れてみたのだが、目的地に着くまでの薄暗く人気の無い林道は昔のままだった。林道脇を流れる水の音と木立の間から聞こえてくるセミの声が妙に懐かしく感じられる.....あの日の夏も多分、こんなだったのだろう......私は汗だくになりながら、ひたすら林道の最奥を目指していたに違いない......そして、その途中で見つけたのがこの場所のレンゲショウマであった。........あれから10年.........きょうも『彼の花』は私をやさしく出迎えてくれた...。(8/21)
『 奥山に 夏を惜しみて 咲きし花 』

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渡良瀬を歩けば....

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キクイモ               クズ                 ヘクソカズラ

  
ツルボ                ツリガネニンジン            サボンソウ

暑さが和らいだので、久しぶりに、ちょっとだけ渡良瀬川を歩いてきました。
ここのところの猛暑のせいでしょうか。河畔林のニセアカシアやオニグルミの葉が異常なほどに黄色く変色し、『もう黄葉が始まってしまったのか?』..一瞬そんな印象を抱いてしまうほど、秋モードになっていた今日の渡良瀬川でした....。
また、いつもの河畔林の小道には多種多様な雑草が繁茂し、まるで私が前進するのを拒んでいるかのようです。.......。
そんな鬱蒼とした河畔林ですが、唯一救いだったのは所々に群生しているキクイモです。その鮮やかな黄色は暗い林の中でも一際目立ち、立ち止まって眺める私の心を何故かほっとさせてくれるのです。やはりキクイモは真夏の河畔林には無くてはならない植物の一つなのですね.....。(8/18)
                    

ホトトギス去りて、ホトトギス咲く....

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オオシオカラトンボ          アキアカネ               ネキトンボ          

   
 イワタバコ           ヤマジノホトトギス     シラヤマギク        ヘクソカズラ  

     

ヤマノイモ         ヤブラン          ミズタマソウ        クサギ

2、3日ご無沙汰すると、峠道には、もう新しい花が咲いている........ホトトギス、イワタバコ.....そして、キク科のシラヤマギクも咲き出した。頭上にはクサギの花が咲き誇り、石けんに似た芳香を辺り一面に漂わせている........花だけでも十分美しいのに香水までつけて、いったい誰を待っているのだろうか.........。
それにしても、今年は暑い、どうしようもなく暑い。こんな暑さはこれまでに経験したことがないような気がするのだが....。幸い、わが峠道は谷あり、木陰ありで、結構涼しい。暑さを一時的に避けるにはもってこいの場所だ。この様子だと、きっと明日もここに来ることになるかもしれない。いっそのこと、本でも持ち込んで、ここでのんびり避暑生活とでも、洒落込もうか.......。(8/15)

たおやかな山並み、そして美しき花達......

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青き空、白き雲、たおやかな山並み.......眼下にはシモツケソウの群落がやさしく広がっている.......夏の光は透明に輝き、心地よい高原の風が私の頬をかすめていく..........前方には八ヶ岳が静かに聳え立つ........私の大好きな霧ヶ峰だ。
春のレンゲツツジ、夏のニッコウキスゲ、そして夏の最後を彩るシモツケソウやヨツバヒヨドリの群落........そこには、四季折々の美しく優しい霧ヶ峰の姿がある......。  『 花の原 一息ついて 白き雲 』   (8/6)

秋の足音

   
ソバナ             オトコエシ         クズ            ヤマニガナ

   
ハグロソウ           タマアジサイ         クサギ          マルバヌスビトハギ

      

マタタビの虫こぶ        ヒヨドリバナ        メスグロヒョウモン(裏)  メスグロヒョウモン(表)

『マタタビの実を採っているのですか?...』私が橋の上から声をかけると、その御仁は私の方を振り向いた。そして大きな声で言った。『そうです!!』 私は目の前のマタタビを見ながら再度『虫コブがいっぱいなっているでしょう......。』と、彼に同意を求めるような口調で話しかけた。すると彼は『ええ、私はその虫コブを集めているのです。』と答えた。私はマタタビの虫コブが漢方薬として利用されていることは知っていたので、その効能について彼に質問した。私は、その場ですぐに返事が返ってくると思ったのだが、彼はすぐには答えず、わざわざ谷から上がって私のそばにやって来た。
『.......この虫コブをいっぱい集めて、天日で10日間乾かすんです。そして、乾燥したものを器に入れてお湯をかけ、そのだし汁を飲むのです。リュウマチに効くというので、知り合いにあげているのです....』そう説明してくれた御仁は、汗びっしょりの薄汚れた着物を身にまとい、顔はどす黒く無精髭、耳たぶ付近には大きな腫れ物ができているらしく、絆創膏まで貼られていた。何か異様な風体に感じられた。彼は、マタタビだけではなく、ドクダミの採集にもよく来ているらしかった。
その後、彼とは山菜のことなどについて少し話をして別れたが、私もここのところ通る度にマタタビの実が気になっていたので、ついでだと思い、帰り際に、谷沿いに生育しているマタタビを調べてみることにした。
........調べて驚いたことに、この周辺のマタタビにはまともな実をつけているものは一つもなく、全部虫コブだった。ちなみに、マタタビにできる虫コブとは『マタタビの蕾の頃か花の直前に花の中心の子房の中にマタタビノアブラムシという小さな虫が産卵するために、子房が正常な果実に生育することができなくなり、異常な姿に変質してしまった実のようなもの....』ということです。それにしても正常な実が一つもないとは.......。今年はアブラムシの異常繁殖でもあったのでしょうか、確かなことはわかりません........。
いずれにしても、峠道はマタタビが実をつける季節になってしまったことは事実です。谷の反対側の山際には可憐なソバナが花を咲かせ、オトコエシやクズも小さな声で秋をささやき始めました。そして私の頭のなかにも、ほんの少しだけど....秋風が吹き始めまたような気がします........。(8/4)
『そば菜咲く 峠の道に秋を観る』


ばかな私.....


  
ハグロトンボ              キツネノカミソリ            ムラサキシジミ

炎天下の昼下がり........久しぶりに渡良瀬川を歩きたくなり、いつもの出で立ち(麦わら帽子、ブルーのタオル、長靴、七つ道具の入ったトラネコちゃんの鈴つきバッグ)で出かけたまではよかったのだが.......さすがに炎天下の川原は暑く、おまけに河畔林は雑草が生い茂り、草いきれでムンムン......植物はどれも余りの暑さにぐったりしきっている様子だった。(私も十分ぐったりしたが.........。)私は、どうも暑くなると不思議と野山に繰り出したいという衝動に駆られるらしい.......。
その昔、植物を始めた頃、私は暇さえあればリュックとカメラをかついで野山を駆けずり回っていた......特に夏休みはほとんど毎日と言っていいくらい出かけていた。......あの頃は、見る植物見る植物すべてが初々しく感じられ、感動の連続だった。
.....きっと、その頃のイメージが私の脳裏に今でも強く焼き付いていて、暑くなると、ひた向きに植物を追いかけていた頃の自分が、つい、頭をもたげてきてしまうのかもしれない。......もしかしたら私は、あの頃の自分に再び会いたくて暑さも顧みず出かけてしまうのかもしれないのです。全くばかな私です.......。(7/29)

尾瀬を歩けば......

  
ブナの巨木を見上げながら.......     ブナの葉陰から至仏山を眺める      深き森の調べを聞きながら......

  
尾瀬ケ原から至仏山                               尾瀬ケ原から燧ヶ岳

  
ヒツジグサ咲く尾瀬ケ原の池塘群.....   イワナが遊ぶ清き水の流れ......      夏の青空映して尾瀬ケ原.......                 

   
キンコウカ          ヒツジグサ         ナガバノモウセンゴケ     モミジカラマツ

   
コバギボウシ         ミズチドリ         カオジロトンボ        ハッチョウトンボ

天候不良で一日延ばしになった尾瀬詣で.......延期した甲斐あって、この日は雲一つない絶好の山日和になった。
尾瀬はやはり、夏の青空がよく似合う。たおやかな山容を見せる至仏を背にしながら歩く広大な尾瀬ケ原......辺り一面に広がる草原の緑が眩しく輝いている....。いくつもある池塘には、青空と小さな白い雲が一つ映っている...。時折草原を吹き抜ける涼風が、草達を通して私にやさしく語りかけてくる...。遥か前方には至仏とは対照的な姿をもつ燧ヶ岳が聳えている......。目の前の湿地にはキンコウカの黄色い花が咲き、池塘にはヒツジグサ、遠くの山並みからはホトトギスの声が聞こえてくる......今私に見えているすべてのもの、今私に聞こえているすべての音、そして今私が感じているすべてのもの......そのすべてが『夏の尾瀬』だ。.....もう幾度となく経験してきた尾瀬なのに、何度訪れても変わらない懐かしい尾瀬の姿があった.....。(7/28)

峠 道

      

  
ミツモトソウ              タケニグサ            ノギラン
  
フジ                  ウスノキ             ヤブデマリ
  
ノシメトンボ              フキバッタ             ウラギンシジミ

峠を下り始めて間もなくだった。前方から一台の軽トラックが近づいてきて、私のそばで止った。端に避けて立っていた私を見ると、運転手は温和な口調で話しかけてきた。白髪頭のいかにも人の良さそうな年配者だった。
『この道はずっと続いているんですか?....』
    『ええ、続いていますよ。峠を下りると松田に出ます。』
    『どこに行こうとしているのですか?』
『それが、わからないんですよ......』
この言葉を聞いて私は一瞬耳を疑った。私はすぐに聞き返した。
    『自分がどこに行こうとしているのかわからないのですか?!!.....』
『ええ.....知り合いがイチゴを作っているというので来てみたんですが......』
    『イチゴを作っている場所ってどこですか?』
『それが、わからないのです......』
    『わからないって!!.......だいたいの地名くらい聞いているでしょうに!!....』
『それが、わからないのです.......』
    『...........』
    『いったい、貴方はどこから来たのですか?!!』
『中之条です。』
    『えっ、中之条!!?......あの渋川の向こうの!!?.......』
『そうです....』
私は、もう唖然としてしまって、それ以上言葉が出なくなってしまった。
彼は『とりあえず峠まで行ってみます...』と言って、その場を立ち去ったが、さすがに、私も
『気をつけて行って下さいね...』という以外、他に言葉がみつからなかった。
私も、ふだん相当ボケていて、どちらかというと変人、奇人の類いに近い人種なのだが、いくら何でも、目的地の名前もわからずに遥か遠方までイチゴ狩りに出かけるような奇行まではとても、とても真似ができません........
『いや〜まったく....世の中には、上には上がいるもんですね〜........』(7/23)
葛花のほんのり薫る峠道
                                                     

雨の峠道

  
                        エビガライチゴ

ここのところ遠出が二日連続で続いたので、少々疲れた。きのうは一日ぐうたらしてしまったので、今日は体調を整える意味も含めて、いつもの峠道..........しかし、今日も雨だ.........例によって傘をさして一人山道を歩き始める。少々薄暗い感じがするが、深緑の葉の一枚一枚が雨に濡れて光っている.........私のすぐ右側を黒いアゲハがかすめていく。オナガアゲハの雄だ。
立ち止まり蝶の飛ぶ方向に目を向けると、前方の路上に二羽のキセキレイ。尻尾を上下にせわしく動かしながら餌を探している.....一羽のキセキレイは何かミミズのようなものをくわえている.........私がキセキレイのいる方向に歩を進めると、それに合わせるかのようにキセキレイも前進する。私が再び前進すると、キセキレイも更に前方に.......。キセキレイのいつもの行動パターンだ。谷沿いの道を車で走っていると、時々こんな場面に出くわす。『わざわざ前方に移動しないで、脇にそれてしまえば、一度で逃げられるのに......』いつも、そう思うのだが、決してそうはしない。キセキレイにはキセキレイの都合があるらしい.......まったく愛らしくも滑稽なキセキレイの習性である。.........キセキレイとしばし戯れた私は、再び峠を目指して歩き始める。左の薄暗い杉林からはサンコウチョウの鳴き声が聞こえている。サンコウチョウの『......ホイホイホイホイ』の声と、新しいバッグにつけた可愛らしい鈴の音が優しく溶け合ってとても心地いい。ここは人気のない雨の峠道、まだ四合目だ......。(7/21)

雨にも負けず

 

小雨降るいつもの峠道.......道ばたのススキの葉にじっと止っている小さな小さな蝶が一頭.......セセリチョウの仲間のホソバセセリという蝶だ。晴れていれば、それこそ、目まぐるしいほどの素早い動きで草むらから草むらへと飛び交っている。
しかし、今日は雨........。雨が苦手な蝶は唯ひたすら雨が止むのを待つより他に手はない。身動き一つせず、じっとススキの葉に掴まっている........。雨だからといって、人間のように、愚痴をこぼすこともなく、文句を言うこともない。怒ってイライラすることもない。唯只、雨の止むのをじっと待っている.........。私は、この一頭のセセリチョウを見つめながら、ふと考えた。『もしかしたら、ほんとうの精神の強さとは、この蝶のような姿をいうのではないだろうか』と.....
小さな小さな一頭の蝶のなかに、大きな大きな、そして静かで強い『精神』の存在を垣間みたような気がした......。(7/17)

渡良瀬川の新顔さん


トトロの林が伐採された跡地に出現した、アメリカオニアザミというアザミです。もちろん帰化植物です。最近あちこちで爆発的に増えているそうです。鋭い刺をもっているため、触るのもためらってしまうほどです。まさに鬼です。渡良瀬川では初めて観察されました。(7/6)

我はネムノキ

皆さん良くご存知のネムノキの花です。夜になると葉が閉じてしまうところから、眠りの木、即ちネムノキという名前が付けられました。中国では、このネムノキのことを合歓という漢字で表します。意味はもちろん、『合わさりて歓ぶ』の意です。葉が閉じて重なり合うという一つの現象を、日本人は眠る姿と見たてたのに対して、中国人は相思相愛の男女が『合わさりて歓ぶ』姿として感じ取ったわけです。さて、どちらが、よりロマンチックでしょうね。私なら、もちろん中国に軍配をあげますが、あなたなら?......(7/11)
                        

美味しいですよ.......

今、野山の至る所で咲き誇っています。この仲間にはノカンゾウとヤブカンゾウがありますが、本種はノカンゾウです。ヤブカンゾウのほうは八重咲きになっています。我が家にも、ヤブカンゾウが植えてあり、毎日たくさんの花を咲かせています。私はこの花をお浸しにしてポン酢で食べるのが大好きで、毎日食べています。一日花ですので、その日に全部摘み取っても、次ぐ日にはまたいっぱい花を咲かせます。みなさんも是非一度御試しになって下さいませませ.......。(7/13)

好きです!この花が....

ふと顔をあげたら、目の前に可愛らしい花が二輪咲いていました。ハルシャギクです。
いつだったか、誰だったか、『この花がとても好きです。』と言ってた女の人がいました。名前がどうしても思い出せません........。(7/2)

スミレの戦略、ここにアリ

みなさん、これ、何だかわかりますか?....。これは、アリの巣穴と、巣穴から運び出された植物の種です。或る種の植物の種には、アリの好むエライオソームという物質をつけているものがあります。アリは、この物質が大好きで、この物質をつけた種を見つけると、巣まで運んでいきます。そして、御ちそうだけをいただいてしまうと用済みになった種は巣の外に捨てられてしまいます。この写真は、その場面を撮ったものです。自分では動くことのできない植物は、このようにアリに運んでもらうことによって、自分の子孫をより遠くまで殖すことができるのです。アリを使った植物の子孫拡大戦略の一つです。
実は、皆さんよくご存知のスミレもこの戦略を採用している植物の一つです。(7/12)
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