淋しいのはお前だけ



「悪いが今日は先約がある」


そう言い放ったときの、ロイの底意地悪そうな笑みといったら。
そんな馬鹿な、ロイが俺に冷たい。いや、冷たいのはいつものことだが、邪険にされたことなんか一度だって無かったはず。態度は邪険でも、ココロ、心の話ね。いつも文句を垂れながら、不承不承俺に引き摺られて飲みに付き合う、酔いがまわると不機嫌の仮面が外れて笑ったりもする。それがロイ・マスタングという可愛い生き物のはず。

天井までの大きな窓を背に、ロイは執務机から立ち上がった。夕陽がその輪郭をすこし溶かす。

「何だ、不満そうだな。大体お前はいつも連絡も入れずに、突然来たって私にも予定というものがある」
「そりゃそうだけどよ、俺もう明日の朝の列車にしちゃったよ。今夜誰とどうして過ごせと?」
「給料日前でピーピーしてる部下に奢ってやれ。良かったな、ハボック」
「……って、え!?俺っすか」

突然のご指名に、ハボック少尉は思考のエアポケットに落ちたようだ。書類に何やら書き込んでいたペン先もピタリと止まった。しかし悲しいかな、上官の不条理に慣れてしまったのか、不幸回路を一瞬にして遮断し、けなげな順応性を見せた。「うわー、マジ助かりますー」声は棒読みだが、笑顔は及第点だ。その隣で、なるべくこちらを見ないようにしつつ、ハラハラしているブレダ少尉の豊かな腹のうちや如何に。いや、俺の腹のうちだって、そう簡単に割り振られて納まるわけはない。

「デートか、デートなんだな。お前、友情よりも女を取るなんて…」
「妻帯者の台詞じゃないな」

ロイは口に出してから、“ん?今の台詞、別に普通だよな”という顔をしてみせた。大丈夫、もっと妬いてくれても構わないから。俺がちょっと機嫌を直したのを敏感に気取って、ロイはムッとしながら懐中時計を開けた。

「何時からだったかな、中尉」
「19時にホテル・エルミタージュのロビーでお待ちです」
「着替えていった方がいいかな」
「そのままでも問題ないと思いますが、お着替えになるのでしたらそろそろ」

リザちゃんも何だか忙しそうだ。エルミタージュ。イーストで一番敷居の高いホテルだ。どこぞの金満ジジイとやんごとなき会合か?いや、誰とも会合のあるはずはない。俺はロイのスケジュールを半年先まで知っている男だ。気持ち悪いとか思わないでくれ。これも職務のため、そして士官学校で鍛えられた記憶術による悲しい性だ。

「俺は知らねえぞ」
「まだいたのか、そろそろ酒場も開くぞ、行け」
「今日、そんな予定があるなんて聞いてねえ」

俺は口に出してから、“ん?今の台詞、痴話喧嘩っぽいかな?”と思ったが、そんなことは今更、この場の誰も気にしないので俺も気にしない。しかしロイだけは気にするらしい。こめかみをピクと痙攣させて苦々しく吐き捨てた。

「プライベートなスケジュールまで、調査部に提出しなければならないのかね」

プライベート!そっちがプライベートなら、俺だってプライベートだ!よく意味の分からん反論が口をついて出そうになったが、さすがにこらえた。俺の達者な口が固まったのを見て、ロイはまた余裕を取り戻してフフンと笑った。


「私もそろそろ身を固めようと思ってな。
 誰かの家庭自慢ばかり聞いているのも飽きた。
 今夜はまあ、上官のセッティングしてくれた見合いのようなものだよ。
 分かったか?なら同期の幸せを祈りつつ、酒場で乾杯でもしてくれ」


上官だと?東方司令部配属の将軍クラスの人間とその家系図が、何層にも別れて俺の脳裏に展開する。ロイとつり合う年齢の娘を持つ将軍は5人。リザちゃんのこの態度からして、グラマン中将は抹消、となれば残りは。リザちゃんは手早くどこぞへ電話をし、受話器を置いて俺に言った。

「中佐のご宿泊はいつものスプレンディッドで宜しかったでしょうか。予約を入れておきました。もういつでもチェックインできます」

何というソツのない仕事!でもちょっと待って、今はその手早さがなんか悲しい。

ロイはコートを羽織ると中尉に目配せし、「じゃあなヒューズ。細君によろしく」と片手をひらりとあげて出ていこうとした。そうだ、待て待て、お前の大好きな。

「グレイシアがお前に焼いたアップルパイも持って来たぞ!」

ロイは扉の前で一瞬ぴたりと止まったが、肩越しに振り返り「ありがとう。明日いただくから、私の机の上に」と笑って、リザちゃんを連れて出ていってしまった。お前みたいな奴に、リンゴの芯だって喰わせてやるか。俺は大声で「持って帰るよ、バーカ!」と叫んだ。廊下の向こうを偉そうな足音と愉快そうな笑い声が遠離っていった。





「…あのう…、俺、帰りますから…」

振り向けば「どうかこのまま帰らせてください」って顔のハボック少尉がいた。そして、殊更他人事の顔で、残業する気満々に机の上に書類を広げるブレダ少尉。

「お前ら、来い」

中腰のハボック少尉と、テコでも動かない構えで椅子に座っているブレダ少尉に、俺は春風のごとく優しく微笑みかけた。


「上官命令だ。血ィ吐くまで俺を接待しろ」















あと2/3で終わります…半端なとこですいませんつづく。(2006.08.14)