Wishing you every Happiness for the coming year

故郷にいれば、今頃ニューイヤーの豪華な食卓、打ち上がる花火、それから。
ヒューズは真っ暗な塹壕のなかで俺にぼやいた。残念ながら今年はそういう訳にはいかない。あと数分で年が変わってしまうから。


「何もこんな日に攻勢に出なくてもよかろーに…」


お前みたいに油断しきった奴らが多いと踏んだんだろう。そう言う代わりに眉を上げた。新年なんて祝っていられないほど、時期なんて選べないほど、向こうは切迫しているのだ。そしてその判断は正しく、奇襲を受けた駐屯地の幾つかは酷く混乱している。そして、此処も。

パパパと軽い銃声がして土煙が上がったかと思うと、最後の一発は鉄柱に弾かれてキィンと耳に触った。狙撃してきているのは数人だ。方向はほぼ掴めた。有刺鉄線の向こう、崩れかけた廃屋の二階からだ。塹壕からひょいと顔を覗かせて弾道を盗み見ては、すぐに頭を下げ前へ走る。今居た場所へ、銃弾がヒステリックに降り注ぐ。小雨が降っている。足下はぐずぐずの水溜り。視界は素晴らしく悪い。


「あそこか…」


銃声が途切れて、双方睨み合う静寂のなかでヒューズが呟いた。そして、ちらりと視線を走らせて遮蔽物になりそうな壁や建物を確認していく。銃を握り直す、今にも飛び出していきそうな気配。軍靴がぬかるむ音。


「待て、軽率に動くな」


位置が分かっているなら俺が。そう言うとヒューズは屈んだまま振り返って「雨だぜ?」と戯けた顔で口を尖らせた。敵の弾薬が切れたと思ったのか、塹壕から数人の兵士が飛び出して狙い撃たれた。

唇を噛むと、突然、「あと何分だ?」と静かな声が訊いた。一瞬何のことか分からない俺に、「あと何分で今年が終わる?」と言葉を足した。何で今そんなことを知りたいんだと内心で毒づきながら、胸から銀時計を引き出した。

白い月光が無表情に照らす針は、もうすぐ頂上で重なりそうだ。


「4…、3分」


文字盤を見せると頷き、時計の上から掌を重ねて軽く握った。狂ったエンジン音と銃声が響き、爆風が頭の上を抜けていった。一瞬息を詰めたヒューズが、舌打ちをして手を握ったまま俺を引っ張るように位置を変える。熱風が収まったのに顔を上げてみると、防護壁が破られ、突っ込んできたジープが横転して炎上していた。雨に濡れた壁に、照り映える赤が揺れる。


「寒みぃわ雨だわ泥まみれだわ、最悪の最終日だな」


それはいいから、もう手を離せ。肘から下を軽く振るって無言で意思表示をしたつもりだったが、ヒューズは呆れたことに堂々と「もうちょっと」と言って笑った。信じられん馬鹿だ。手が温い。雨に体温を奪われて、重ねた手だけがやけに。


「ヒューズ」


咎めるように名を呼ぶと、「頼みがある」と真剣な目をする。もちろん手は離さない。
戯けてると死ぬぞお前。死ぬなら俺の手を離してから死ね。


「何だ、さっさと」
「鴨のオレンジソースもアスパラのムースも骨付き肉のグリルもない」
「当たり前だろう、だから何だ」


列挙されたのは、ヒューズ家の正月料理だ。余談ながらヒューズの母上手製のアスパラのムースは旨い。まあ、こいつの故郷の新年は田舎にしては驚くほど賑やかだから、侘びしがるのも仕方ないかもしれない。どこの家も食べ切れないほどの料理を作り、腹が満ちれば広場に集まり、大道芸を見て、歌を歌い、誰彼なく挨拶を交し、気持ち良く酔って花火を見上げる。色ガラスのランプが家々の軒に灯り、しんと冷たい冬の石畳に色彩を撒き散らす。


「ニューイヤーっぽい事がしたい」
「来年しろ」
「今したい」
「出来るか」


声を殺して口早に諍っていると、繋いだ手のあいだで、銀時計の針がかちりと重なる音がした。



「する」



暗くて視界が非常に悪いので。唇より先に眼鏡のフレームの角が鼻にぶつかった。


「バッ…」


「カ」は、ガサついた、荒れた踵みたいな唇に吸い込まれた。この馬鹿はきっと支給されたワインを三人分ぐらい飲んだんだろう、絶対そうだ。ワインの香気が口から匂う。

どうしようもない俺達の頭上を、花火の代わりに青白い照明弾が斜に飛んで世界を照らした。本当に最悪のニューイヤーだ。泣けてくる。頬を叩けば音がするので、腹へ拳を叩き付けた。ヒューズは俺の攻撃を見越して腹筋に力を込めていた。防御も出来ない股間を狙ってやろうかと殺気立ったが、情けない悲鳴を上げられても厄介だ。心底泣けてくる。



「っんだよ、お前知らねえのか。
 年が変わった瞬間、傍にいる奴とキスしたらラッキーな年になるっていうだろ?」



そんな頭の緩い行事は、お前の村だけでやれ。というか、俺はそんな行事に出くわさなかったぞ。お前の家で年を越したとき。いや、そんなことよりこの緊張感の無さはどうだ。俺は疲れきって、奴から自分の右手と銀時計を引き戻した。強くなった雨が銀時計を叩いた。錆びて壊れたらお前の所為だ。


「適当な話を作るな」
「作ってねえよ、フォッカーがそう…っていうかそんな嫌そうに拭うな」



照明弾に続いて増援が到着した。「報告!」と吠える中隊長の声に、ヒューズが塹壕に沿って声のする方へ這っていく。その後を追って腰を上げ幾らか歩くと、再び噛み付くようなエンジン音がジャッと水を跳ね上げながら近付いて来た。それは今度は止まらず、つい先刻まで俺が座っていたあたりへ突っ込んだ。ひしゃげた車体。積まれた火薬は、雨で湿気たのか不発だ。尻を上げた格好で、後輪が虚しく回転している。跳ね上げられた泥が飛んで、髪と言わず顔と言わずへばりついた。






どういうことだ。
ツイてしまったじゃないか。


憤懣遣るかたない俺の頭上を、また照明弾が白々と上がった。

















前線でこんなにダレていいものか…(だめ)(20050101)