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菜食の思想
 
今だからこそ
   


今だからこそ、菜食

は地球上のさまざまなものを食べ肉体を維持していくことが可能ですが、 その多様な選択肢の中で、あえて植物のみを食べ物として生きている人々がいます。
 それは単なる食癖の一つでも、食べ物を自由に選択することができる豊かな国の人間のわがままでもないようです。

 食べ物を選択することなく与えられたものを感謝して食べることは、とても大切なことです。しかし食べるものを自由に選択できる豊かな環境にありながら、 また肉食が主流の食文化の中にありながら、敢えて彼らはその環境に甘んじることなく菜食をするのはなぜでしょうか。


本においては、過去千年以上の長い歴史の節々において肉食禁止令がでて、また仏教を国教としてからは一般庶民に至るまでほとんど菜食に近い食文化であったと言えます。
 しかし現在の日本においては近年「変わり者」として扱われることもあり、日本における菜食の社会的認知度は残念ながら高くありません。
 それは、菜食の思想と理論が多様であり、実践方法も様々でわかりづらいことが理解されにくい要因だと思います。
 また、日本では明治以後の脱亜入欧の思想による積極的な肉食文化の取り入れ(国力としての体格向上)と、 戦後は米国の肉(飼料としての小麦)の消費市場として位置づけるための政治的な施策により、 肉食文化の優位性が誤って知らされてきたためでもありましょう。

 日本以外においても菜食の歴史は古く、年代・地域により様々な理由で発生し継承されてきています。
 今この時代にもう一度その菜食の歴史を振り返り、菜食の思想の視点にたち現代のライフスタイルを検討してみる事が、 行き詰まりを見せるこの社会を救う解決の鍵の一つになるのではないかと思います。

いま、この地球文明を救うひとつの行動として
菜食の実践をする時代(とき)ではないでしょうか。


食を選択すると言うことは、 自分の心身について、世界の飢餓、貧困、差別、病気、環境問題...等について、「いのちのつながり」について考えるという事です。
 それは、単に肉を食べるか食べないか、動物を殺すか殺さないかということだけを問題にしているのではなく、 自分と肉体、自分と他人、自分と社会、自分と宇宙との関係を同じこととして認識できるかという事です。

 食べると言う行為には、その人の思想が現れるものです。
 菜食を一言でいえば、「愛と平和」を食の行為で表現したものであると言えるのではないかと思います。 単に野菜だけを食べるからベジタリアンではなく、ベジタリアンだから肉食は必要ないのです。

 地球環境が日々破壊されていくこの時代において、地球資源を過剰に消費する先進国の一員として、 菜食のライフスタイルを取り入れることは様々な意味で実践するに値すると思います。


 それでは、これから数回にわたりベジタリアンがどのような世界観を持っているのか見て行く事にしましょう。
 皆様のライフスタイルの転換の一助となれば幸いです。

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