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ルディとティアラが生み出した風の魔法は、竜巻となって凄まじい勢いで練兵場内を席巻した。 行きがかり上、咄嗟に障壁を張ったステラに庇われる形となったエリカは、自分達を包む結界の意外な頑丈さにのんびりと感心する。 「あら、やればできるじゃない。尤も、力の出所は風水系じゃないみたいだけど」 「そういう問題じゃねぇだろ」 対するステラは、素気無く言い捨てると険しい顔つきで場内に視線を走らせた。 幸いにも、この場に居合わせた隊員の半数は魔導防御の結界を張っていたし、残りの面々も大半が【土星】の試験を免除される程度には身を護る術を心得ていた。 おかげで、暴走した魔法の規模の割りに人的被害は抑えられている。 だが、個々に展開された障壁では、空間そのものに掛かる負荷までは防げない。 頼みの綱のロアは防御魔法を使えない隊員達を護る為に力を割いているし、ルディもティアラに引き摺られた魔法を抑えるので手一杯だった。 肝心のティアラは、虚ろな瞳でぼんやりと中空を眺めて立ち尽くしている。 どうやら、自身の呼び起こした力に妙な具合に共振してしまっているらしい。 そうする間にも、みしみしと不吉な軋音を響かせて壁が撓み、次第に罅が走り始めた天井からはぱらぱらと建材の欠片が落下して来る。 「このまんまじゃ持たねぇぞ」 まるで、状況を危惧するステラのその言葉が引き金となったかのように、とうとう風圧に耐えきれなくなった窓ガラスが高く澄んだ音を立てて砕け散った。 その場に居合わせた全員が、惨劇を予期して息を呑む。 だが、予想された衝撃が彼等を襲う事はなかった。 戸惑いがちに周囲を見回した一同は、練兵場全体を包み込む強力な魔導障壁と、その中央に突如として浮かび上がった転位の魔法陣に目を瞠る。 彼等が茫然と見守る中、光の粒子が踊る呪陣の中心に降り立ったのは、刀身に七星の刻まれたレイピアを手に提げたランだった。 「青々と生い茂る木々、白々と冴え渡る刃、黒々と湛わるる湖水、赤々と燃え盛る炎」 謡うようにランが紡ぐ言葉と呼応して、練兵場内の四方の壁に隠されていた呪符に青、白、黒、赤の4色の火が灯る。 「四方を治めし四神の理の不変なれば、四相の変わらざるを以って四象を留めん」 呪文を詠唱するランの静かな声は、不思議と吹き荒れる風にもかき消される事なく響き渡る。 繰り返し韻を踏む詩歌のような呪言がひとつ、またひとつと詠み上げられる度に、場内を蹂躙する暴風は徐々に鎮まっていった。 やがて、暴走した魔法が完全に制圧されるのを待って、ランは恭しくこう呼びかける。 「瑠璃、真珠、烏羽玉、珊瑚」 その声に応えるように、ランの周りに4つの宝珠そのままの色をした光球が現れた。 4色の光球は、風に踊る蝋燭の炎のように揺らめくと、霊獣の姿を象る。 北方に背を向けて立つランの左手に煌めく鱗を持つ神獣青竜、右手には悠然と風を従えた美獣白虎、背後に蛇頭を尾に持つ黒亀玄武、正面に炎を纏う朱鳥朱雀。 4体の霊獣の放つ光が辺りを包むのに従って、崩壊しかけていた建物が復元されていく。 「ランの術、か…?」 陶然と呟くステラに、これまたいつの間に現れたのか、年少部隊長のシェルアが珍しく素直な感嘆を含む声で応えた。 「符術を用いて四神を召喚し、時空間を固定して事象を回帰させる大業だ。さすが月瑠の前当主、たいしたものだよ」 そうする間にも、4体の霊獣は更に姿を変えて人の容をとる。 守護神さながらに四方を固めて立つ霊獣の化身に向かって、ランは粛然と謝罪の言葉を口にした。 「このような私事で手を煩わせてしまって申し訳ありません」 堅苦しく恐縮するランを、真紅の長袍を纏った柔和な顔立ちの朱雀の化身たる青年は気安い口調で窘める。 「他人行儀な事を言いなさんなって」 「我等はこの名を賜りし時よりそなたの四神」 「お前が望めばいつだって、何処からだって馳せ参じるぞ」 玄武の化身たる黒衣の少女が淡々と至当の理を説けば、白く輝く鎧に身を包んだ白虎の化身である戦士も当然のように明言してのける。 目の覚めるような青いチャイナドレスの少女が、腰に手を当て、小さな子供に言い聞かせるような調子でこう締め括った。 「だから、もっと頼ってくれて良いのよ」 彼等の厚意を素直に受け止めたランは、はにかむように淡く微笑むと改めて謝意を告げる。 「…ありがとう」 柔らかな謝辞に鷹揚に頷いて、四神の化身は彼等自身が属する界へと戻っていった。 後には、つい今し方までの騒ぎが嘘のような静寂が残される。 大半の隊員達が畏怖にも似た驚嘆に囚われている中にあって、ステラの行動は迅速だった。 ちっと行儀悪く舌打ちすると、ランが立つ呪陣につかつかと歩み寄る。 そうして背後からランの腕を掴むと、勢いバランスを崩して倒れ込む彼の頭上に不死鳥の羽根を放り投げた。 ふわりと宙に浮かんだ羽根は、金赤色の輝きを放って燃え上がる。 舞い散る灰は、きらきらと煌めく光の粉となってランとステラの上に降りかかった。 仄かな光に包まれているうちに、蒼褪めていたランの頬に僅かに赤みが戻る。 目を閉じ、温かな波動に身を委ねたランは、自分の背中を支えているステラに向かってこう問いかけた。 「良いのか?せっかくのお宝だろう?」 「煩ぇよ」 そこに揶揄するような響きを聞き取って、ステラは不機嫌に言い捨てる。 「符術で魔力の消耗抑えても、他で浪費したら意味ねぇだろーが」 ステラは、ランが予め仕込んでおいた術を発動する傍ら、魔力に中てられたティアラの意識を引き戻す為に絆魂の鎖の術を一時的に強化したのに気づいていた。 当然、大きな魔法の重ね掛けは術者に過大な負担を強いる。 おそらくは苦虫を噛み潰したような表情をしているであろうステラの、突き放すような言葉とは裏腹な気遣いに、ランは微かに口許を綻ばせた。 不本意そうにランの身体を支え続けるステラの許に、ようやく正気に戻ったティアラと魔法を静め終えたルディが駆け寄って来る。 こうして、数々の騒動と幾つかの課題を残して、LUX CRUX年少部隊の新入隊員に対する考課査定は終了した。 + + +
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