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ヴィリディス
―エルフの森―
さやさやと遠くで囁きを交わす声が聞こえる――。
それが梢を渡る風の音だと認識した瞬間、俺の意識は束の間の転寝から覚める唐突さで覚醒した。
途端に、ゲームを始めるのに必要な情報が「俺自身の記憶」という形で頭の中に流れ込んでくる。
此処はヴィリディス。cubic Worldの6つの相のひとつ、【緑】のステージだ。
ちなみに今立ってるのは旅篭町の入り口近くで、門の外から続く道を辿っていくと鬱蒼と生い茂った森が地平線を覆い尽くしているのが見える。
なるほど、これがステージの名称の所以というわけだ。
俺が就いてるクラスはレンジャー。シーフの素早さと器用さ、戦士の戦闘能力を併せ持った上で、そこそこ魔力も高いなかなかにお役立ちなクラスだ。
これについては希望通りだったので、ちょっと安心する。
【cubic World】では、プレイヤーは自分の好きなクラスを目指す事が出来るけれど、潜在能力や適性はゲームスタート時に自分で設定した初期能力の数値と心理テストもどきの問答である程度限定されてしまう。
その結果、希望する職業には向いてない、なんて事もあり得るわけで…こんなところにまで現実のシビアさを持ち込まなくても良さそうなもんだけど。
だから、概ね望んだ通りの能力値を得られたのはラッキーだった。
とりあえず現状把握が済んだところで、背後から遠慮がちに声をかけられる。
「あなたがアル?」
初めは、ありがちなNPCだと思った。
この手のRPGでは、初心者が世界になれるまでの案内役としてゲームの序盤だけ行動を共にするキャラクターが出てくるのがお約束だったからだ。
そんなわけで、ちょっと身構えつつ振り返ると、長い黒髪をふたつに結い上げた10歳かそこらの少女が俺をじっと見つめているのと目が合った。
「ギルドから紹介されて来たのだけれど」
おずおずとそう切り出す少女は、大きな黒目がちの双眸といい、整った顔立ちといい、まるで人形みたいに綺麗で可愛らしい。
にも拘らず、俺の脳みそは彼女の姿を一目見た瞬間に固まってしまった。
俺の装備はレンジャーらしく機動性を重視している。
得物はハンガー――斬撃も刺突も出来る片刃の剣で、サーベルよりも短くて幅広な分戦闘場所を選ばず激しい打ち込みにも耐えられる実戦向きの武器だ――とスリングショット――ハンティングやゲリラ戦向けに改造したパチンコで、しっかり殺傷能力もある――のふたつ。
防具は申し訳程度に左胸を覆う胸当て以外に、両肩と両膝、右の肘にサポーターをつけ、左腕にガントレット。右手には滑り止めも兼ねて指貫のレザーグローブを嵌めている。
カーゴポケットの付いたワークパンツにトレッキングシューズっていう組み合わせがいまいちファンタジー世界にそぐわない自覚はあるものの、腰に回したベルトに剣を下げてるおかげで何とかそれらしく見える筈だった。
だが、目の前の少女の格好は、完全にこの世界から浮いている。
「…なんでゴスロリ…?」
目の前の少女の服装は、所謂ゴシック&ロリータと呼ばれる部類のものだった。
フリルとレースを重ねた大きめな襟の白いブラウスに、黒いヴェルベットのアンサンブル。ウエストに大きなリボンのついたミニスカートの裾からは、これまた白いレースがひらひらと覗いている。
半袖の上着から伸びる細い腕は上腕部までビロードのリボンで編み上げる手袋で覆われていて、靴は踵の高いレースアップのロングブーツときた。
一応、スカートの下にはスパッツを穿いてるとはいえ、間違ってもこの格好で大立ち回りはして欲しくない。
…それ以前に、視覚的な違和感そのものを何とかして欲しいところだ。
ぐるぐるとそんな事を考えて遠い目をする俺に、少女は作り物めいた表情のままさらりとこう応えた。
「この姿を見れば、自分が何処から来たのか思い出すでしょう?」
そりゃ、確かに…と納得しかけて、ふと我に返る。
彼女の姿が、俺が【cubic World】に飲み込まれてしまわないようにする為のストッパーなんだとしたら?
脳裏に浮かんだ疑問を口にするより早く、少女がその答えを口にする。
「そう。私が今回の仕事のパートナーよ」
そう言えば、ナビゲーターを兼ねたサポートをつけるとか何とか最初に説明されたような気がしなくもない。
忙しく頭を働かせて記憶を辿る間にも、少女はゲームの中でパーティーを組むのに必要な情報の交換を兼ねて自己紹介を続ける。
「名前はレイ。クラスはあなたに合わせてレンジャーにしてあるけど、どちらかというと魔法系の方が得意ね。そういう意味では、バランスが良いんじゃないかしら」
レイが示した彼女自身のパラメーターを見ると、レンジャーにしては確かに魔力と精神力が異常に高かった。
その上、回復系の白魔法、攻撃系の黒魔法共に中級レベルまでの呪文を習得済みになっている。
素早さが高めで力はそこそこ。生命力と体力の低さは見かけ通りといったところだろうか。
とにかく、どちらかというと物理攻撃向けの俺とは好対照だから、パーティーを組むには理想的な相手だった。
クラスが同じっていうのも、行動に制約がなくてやりやすい。
ようやくそこまで思考が辿り着いた俺に、レイがにっこりと微笑みかける。
「よろしく、アル」
こうして俺は、ミニマムサイズな相棒を手に入れた。