君が向かったのは、川の下流にあるらしい湿地帯だった。
 川や崖はともかく、湿地だったら頑張れば歩いて越えられなくもないだろうという思惑があってのことだ。
 だが、現地の様子を一目見て、君はうんざりと顔を顰めた。
 ――これって、「沼」って言わないか?
 湿地というのは、どれほど水に侵されていようと一応は地面があって初めてそう呼ばれる筈だ。
 然るに、目の前のこの光景はどうか?
 目に映る範囲は一面水浸し、ところどころに浮き草らしきものはあるものの、陸地はおろか水底さえ碌に見渡せないときている。
 迂闊に足を踏み入れようものなら、頭の先までずぶずぶと飲み込まれて一巻の終わりに違いない。
 さて、どうしたものかと首を捻っていると、誰かが君のパーカーの裾をくいくいと引っ張った。
 「ん?」
 見れば、緑色のレインコートを着た小さな子供が、きょろりとした目で君を見つめている。
 その子は、君と目が合うとぱちくりと瞬きしてこう訊いてきた。
 「どうしたの?」
 「うん、此処、何とかして通れないかなぁと思ったんだけど」
 何気ない気持ちで君が答えると、その子の表情がぱあっと明るくなる。
 「何だ!それなら僕について来て!」
 そういって駆け出した子供の後を、君は慌てて追いかけた。
 男の子は、湿地もとい沼の岸辺までやって来ると、1番近くにある浮き草の塊にぴょんと飛び移る。
 その次の塊まで身軽く飛び移ってから、その子は君を振り返った。
 でも、君は岸辺で二の足を踏む。
 何しろ、男の子と君とでは体格が違うのだ。
 彼には平気でも、君が乗ったらあんな浮き草なんて簡単に沈んでしまうかもしれない。
 そんな君の躊躇いを見抜いたかのように、男の子は無邪気に君を手招きする。
 「大丈夫。僕が通ったとおりに来れば沈んだりしないよ」
 自分よりずっと小さな子供に気遣われてしまった君は、ちょっぴり情けない気分になった。
 そして、これ以上自己嫌悪に陥らない為にも、覚悟を決めてえいっと浮き草の足場に飛び移る。
 君が飛び乗った瞬間大きくふらふらと揺れはしたものの、その足場は思ったより丈夫でしっかりとしているようだった。
 男の子は、君が岸を離れたのを確かめて、次の足場に移る。
 その後について、ぴょんぴょん、ぴょこぴょこと君は浮き草伝いに沼地を渡って行った。



 ふらふらと揺れる足場を抜けてようやく堅い大地に足をつけた君は、すぐ傍の草むらの中にチカッと小さな光が瞬いたのに気づいた。
 その場に屈んで目を凝らすと、何か複雑な形をした欠片が月明かりを反射している。
 「s(9)」と書かれたその欠片を拾い上げた時、絹を裂くような悲鳴が辺りに響き渡った。
 目の前の低木の茂みの向こうから、ただならぬ不穏な気配が漂ってくる。
 「蛇王か!」
 短く叫んだ君は、勢い良く茂みを飛び越えた。
 

待ってろ!蛇王!