真夜中。
 机に向かったまま転寝していた僕は、コツコツと窓を叩く音に目を覚ました。
 寝惚け眼のまま窓の外に目を遣ると、金色の子供が僕を手招きする。
 「おいでよ!お祭りに行こう!」
 気安く声をかけてくる彼の名前を呼ぼうとして、僕は一瞬躊躇った。
 だって、彼の名前を知らなかったんだ。
 でも、何故だか、見知らぬ他人という気はしなかった。
 だから、僕はダッフルコートを着た上からマフラーを巻きつけて家を飛び出した。



 雪のちらつく夜の町を、金色の子供について歩く。
 ひとつめの角を曲がると、装飾的で時代がかった金属製の柵がどこまでも続く通りに出た。
 道なりにまっすぐ進んで行くと、途中、ひとりの少女に出会う。
 クリームブロンドにグリーンアイの少女は、僕と一緒にいる男の子に気づくとおずおずと話しかけてきた。
 「こんばんは、クワン」
 へぇ、この子の名前、クワンっていうんだ。
 ――って、あれ?何だか聞き覚えがあるようなないような?
 戸惑う僕を尻目に、クワンは少女に問いかける。
 「今日はお出かけしていいの?」
 「今夜は特別な夜だからって、お婆様が」
 少女は、初々しい喜びに頬を上気させてそう答えた。
 クワンは、にっこりと笑って少女に手を差し出す。
 「じゃあ、一緒に行こう」
 はにかむ少女の手を取って、クワンは再び歩き出した。



 ふたつめの角を曲がると、児童公園の入り口が見えて来た。
 がさがさっという物音に振り返ると、車道を挿んで反対側の歩道に植えられたアザレアの茂みから、くるくる巻き毛にとんがり帽子を被った子供達が飛び出して来る。
 子供達は、色とりどりの風船を手に転がるように駆けて行った。
 きゃっきゃと歓声を上げてはしゃぐ彼等を見ていると、あぁ、お祭りなんだなぁと思えてくる。
 実は、未だに何のお祭りなんだか解ってないんだけど。
 そんな事を考えていたら、最後尾の黒髪の子供がぽてっと転んだ。
 泣き出すんじゃないかとおたおたしてる僕の前で、その子はきょとんとした顔で瞬きする。
 それから、何事もなかったかのように立ち上がると、またきゃらきゃらと笑いながら走り出した。
 …何ていうか、小さい子って元気だよね。



 みっつめの角を曲がると、見晴らしの良い展望台に出る。
 住宅街の外れにあるこの場所はちょっとした高台になっていて、眼下に広がる町の光が見渡せた。
 意外なほど綺麗な景色に見惚れてると、思わぬ方向から声がかかった。
 「よぉ、クワン。せっかくの祭りの夜にコブつきでデートかい?」
 駅前の商店街へと下りる階段の手摺りに禿頭のおじさんが腰掛けていて、ひらひら手を振っている。
 すっきりさっぱりスキンヘッドってのが、なかなか粋でカッコイイ。
 「コブじゃないよ!彼はボクの友達で今夜のお客様なんだから!」
 「おぉ、そいつは失礼。この坊やが今年の客人か」
 ぷぅと頬を膨らませて反論するクワンに、おじさんはへらりと笑って謝罪した。
 それから、僕の頭をくしゃりと撫でで、こう言い添える。
 「ま、何はともあれ楽しみな」
 階段を下りきってから振り返ると、彼はまだ僕達に向かって手を振っていた。



 よっつめの角を曲がると、幾分様子が変わる。
 其処は小さな個人営業の店の並ぶ商店街だった。
 花屋に本屋、レコード店、煙草に駄菓子に紅茶専門の喫茶店と日常の必需品ではない品を扱う専門店ばかりが並ぶこの通りは、だからこそほんの少し贅沢な気分が味わえる。
 そんな通りの端にひっそりと軒を連ねる雑貨屋の店先で、居眠りをしている老婆に会った。
 艶やかなシルバーグレーの髪をしたふくよかな体つきの彼女は、僕達が通りかかると重そうな瞼を片方だけ持ち上げて胡散臭げにこちらを見遣った。
 「騒々しいと思ったら」
 その迫力に思わずたじろぐ僕達をじろりと睨んで、老婆は欠伸混じりに呟く。
 「そういや、今夜は祭りだったね」
 それっきり再び目を閉じて舟を漕ぎ始めた彼女の前を、僕達は足音を忍ばせて駆け抜けた。



 いつつめの角を曲がると、先刻よりも賑やかな大通りに行き当たった。
 駅に近いこの辺りには深夜営業の遊技場やパブが多くて、真夜中を過ぎても煌びやかなネオンが消える事はない。
 華やかで、でもどこかイケナイ雰囲気の大人の町にちょっと気後れしつつきょろきょろと周りを見回していた僕は、不意にかけられた声にびっくりして身を竦ませてしまった。
 「おや、みかけない顔ぶれだ」
 現れたのは、白いスーツにチョコレートブラウンのシャツを合わせた綺麗な青い目の優男だった。
 「リトルレディ、よろしければ僕とご一緒しませんか?」
 クワンの知り合いらしい少女の前で胸に手を当てて腰を折る仕草は気障ですかしてるけど、整った顔をした彼には似合ってる気がする・
 「気をつけなよ。こいつ、すっごく女誑しなんだから」
 人見知りして怯える少女にクワンが囁くのを聞きつけた彼は、魅力的に憤慨してみせた。
 「心外だな。可愛い女の子がいたら口説きたくなるのが男のサガだろう?」
 残念ながら、僕には彼の言う男のサガとやらは理解できない。
 彼は、「もう少し大人になれば解るよ」と笑ってその場を後にした。



 むっつめの角を曲がると、一転して物寂しい裏通りになる。
 「あら、クワンじゃない」
 街灯の下に立っていたお姉さんが、こちらに気づいて軽やかな足取りで歩み寄って来た。
 「そっちの可愛らしい彼はクワンのお友達?」
 そう言って首を傾げる彼女の羽根飾りのついた白いドレスはやたらと露出度が高くて、僕はちょっとどぎまぎしてしまう。
 それを見透かすように、お姉さんは僕の顔を覗き込んで色っぽく微笑んだ。
 「オニイサン、踊りは如何?」
 僕が何か応えるより早く、クワンが口を挿む。
 「踊り子は大人しくお祭りの舞台で踊ってれば良いの!」
 「まぁ、可愛げのない」
 クワンの耳を引っ張って黙らせた彼女は、僕に向かって「また後でね」と艶やかに片目を瞑ってみせた。



 ななつめの角を曲がると、噴水のある広場に出た。
 一体どこからやって来たのか、小さな広場は既に結構な人出で賑わっている。
 でも、僕達が広場に足を踏み入れた途端、其処に居合わせた人々は一様に僕を見て黙り込んだ。
 しんと水を打ったように静まり返った広場の中、中央にある噴水の前に立つ人物が口を開く。
 「ようこそ、客人」
 堂々とした雰囲気の豊かな焦げ茶色の髪のその人は、威厳たっぷりの深みのある声で僕を迎えてくれた。
 「今宵は年に1度の一族の宴。この1年の間に生まれた子供達に祝福を授ける祝祭の夜。子供達と縁を持つ異種族の方、どうかこの儀式に立会い、我々に幸いを授けて欲しい」
 意表を突かれた僕の手を引いて、クワンは彼の前へと足を進める。
 一族を統べるその人物は、目の前に辿り着いたクワンと僕の手を取ると、その手を両手で包み込んでこう告げた。
 「汝がこの世に生を受けた事に感謝を。その未来に祝福を」
 音楽が奏でられ、再び広場に活気が戻る。
 僕達は、祭りに興じる人の波に飲み込まれた。

そして、祭りの夜が明けて…