■ ■ ■ ■ ■ ■ noblesse
oblige by エスカリナータ ■ ■ ■ ■ ■ ■
[1] 優雅な朝の一時を迎えていた。何も変らないはずの朝、カップが片隅に置かれ、香気漂うコーヒーと書類を決裁して行く若き社長。金色の髪が朝の光を受けて、銀色、と言うより、プラチナブロンドに見える。それを知っているのは、たった一人の人物を他置いてはいない。
規則正しいノックが三回。する相手は決まっている。短く、しかし命令調で言うのだ。
「入れ」
入ってきたのは、ツォンである。何かあるなと、睨んでいたが、しかし、本人は、心当たりがないと言う顔で、コーヒーを飲んでいた。しかし、変な味がする。鉄錆臭い味がする。ルーファウスは、これは、罰なのかと、ふと考えてみる。
「社長、昨夜は何をしておりましたか」
「飲み歩いていただけだ」
「ただ、ですか」
嫌味たらしい言い方に、本人はムカッと来ていた。ルーファウスは、内心むくれつつも、当然だと言う態度で臨んでいる。ツォンは、溜息を漏らしつつ、続ける。
「あなたに怪我を負わされたと、今朝、二人ばかり、来ているんですがね。息を巻きつつも」
「さあな。その辺のゴロツキが、私の名を騙った奴にやられただけの話だろう。第一、そんなものを、どうして、私に言う」
ルーファウスがわからないと、ポーズで示すと、ツォンは、こめかみにひしひしと青筋が立っているのを感じている。
「あなただと、彼らは証言しておりますし、それに、調査もしてまいりました」
「芸の細かい奴だな。で、なんと結果は出たんだ」
「あなたが、したそうですね」
「だから、何だと言うんだ。嫌がる女に強要する奴らを始末して何が悪い」
「やはり、そうでした」
しまったと思った時には、もうどうすることも出来ない。となれば、居直りしかない。
「売春でもしていたんですか。その女と言うのは」
「いや、そんなんじゃあなかった。街娼と言う感じじゃあなかった」
「で、どうして、男たちに強要されていたと、思うんです」
「通り掛かりにいきなり、言ったんだ。助けてって」
「それで、あのような、結果を?」
ツォンは、その話だけを聞くと、ルーファウスは、悪くないようだ。しかし、その相手がどうやら、マフィアの下っ端達らしいのだ。
「話は、後から聞いた。マフィアの幹部の愛人をしていたんだけど、借金のカタに売られそうになったから、逃げて来たんだって。身体のあちこちに痣があって、見ていると、痛々しくて、仕方なかった。暴力も日常的で、大変だったと」
「それで、その女性は」
「逃がした。別の場所に」
「だから、彼らは、あなたに聞けばわかると思ったのでしょう。玄関にいますよ」
「おまえに任せる。それは」
「わかりました。すぐさま、口を聞けないようにしておきます。躾を施しておきましょうか」
「私が何者か知れば、あれらも少しは尻尾ぐらいは巻くだろう」
ツォンは、恭しく一礼すると、ルーファウスが立ち上がっていた。それから、ツォンのネクタイを掴むと、そのまま引き、自分の顔の近くまで持ってくると、キスしていた。した方は、平然としていたが、された方は、驚きのあまり固まっている。
「どうしたんだ。されて、嬉しくないのか」
「いえ、そういう、わけでは……」
「なら、早く行くんだ。今度、戻ったら、もっと良いものをやろう」
ルーファウスの目が妖しく誘うように濡れて行くのを感じて、ツォンは、このままいたい気もしたが、しかし、頼まれたことをしなくては、本人の気を殺ぐだけであることは知っているのだ。
ツォンは、一階のホールに外観エレベーターを使って降りる。その間、ルーファウスがこちらに向けた、艶やかな眼差しを思い出すと、ゾクゾクする。しかし、今は、そういうことを感じている場合でないことをしっかりとわかっている。受付のところで、二人の受付嬢と話し込んでいた時に、ツォンが出てきたのを見て、彼女たちの顔がちょっと安堵の色に染まる。
もちろん、面白くないのは、その男たちである。ルーファウスには、やられるし、受付嬢たちは、ツォンを見て、ほっと安堵の色を浮かべている。これほど、彼らを腹立たしい状況に追い込んだものはない。ルーファウスは、黙って立っていれば、その手の趣味の者も、女たちも振りかえるほど、美しい顔立ちをしている。グレース・ケリー並みの美貌を持っている。クールな印象だが、案外と、シニカルな面もあるのだ。
で、男たちは、その優男のルーファウスの後ろに隠れた女を引き渡すように言うのだ。しかし、女は、小刻みに震え、どれだけ必死になって逃げてきたのかわかる。だから、ルーファウスは、女を守った。身体のあちこちにある痣を見て、何が現実として起こっているのか、はっきりと認識しただけである。男たちは、ルーファウスにやられてしまい、女は、ルーファウスの手で、逃がされた。こんな生活から、逃げれるすべはないと、女は言った。
悲しそうな、それでいて、諦めに似た色をその目に浮かべる。
「女が一人で生きると言うことは、厳しいことなのよ。よく覚えておきなさい。ありがとう、助けてくれて。それじゃあね、お坊ちゃま」
そう言って、女は、ルーファウスの頬にキスしてそのまま立ち去った。どうしているのか、わからない。彼女が、街娼をしているのか、どこかのマフィアのボスの愛人をしているのか。
ツォンは、その方向に歩いて行く。男たちは、この紳士的すぎる男が、あの坊ちゃんの子守りなのかと、考えたし、思った。事実、それに近いのだが……。
「話がしたいので、こっちへ」
そういって男たちは、付き合う。そこで待っていたことは、言葉にしても、凄惨なものとなった。
確かに彼らは、躾を施されて、家に送り返された。一緒にいたレノは、その様子にちょっと驚きつつある。
「どうしたんです、ツォンさん。今日、やたら、熱が入っていたな、と」
レノの以外な発言に本人は、ちょっと考える。そうかも知れないと思った。それより、早くルーファウスの元に行きたい。ルーファウスが言っていた言葉とあの妖しい眼差しの前では、さすがにツォンもよろめいてしまうのだ。早く会いに行こうとしているツォンの後ろから、レノが言う。
「あれ、報告書にしてまとめておきますか」
「資料でいい。いずれ、つぶすことになるだろうからな」
レノは、それに素直に従い、そのまま部屋に戻って行く。ツォンは、社長室に入る。ルーファウスが書類から目を上げる。
「で、どうしたんだ」
「躾は、施しておきました」
ドキドキしながら、待っていた。ルーファウスが近くに来ることを。ルーファウスは、確かに近くに来たが、いきなり、ぐいっとネクタイをひっぱる。
「やり過ぎてはいないんだろうな」
「もちろんです。それは、ぬかりはありません」
そう言うと、ルーファウスは、ツォンにキスしていた。長いキスの後、ルーファウスは、ツォンの耳の下をぺろっと舐めていた。それから、首筋にキスしていた。
「ルーファウス様」
「ん、何だ」
「このままでは」
「無粋な奴だな。私からのせっかくの褒美が受け取れないなんて」
「そういう、こと、では……なく……て」
感覚がマヒして行く。ツォンは、その身をルーファウスに預けきっている。二人とも、こうして、何度か肌を実質的には、重ねている。重ねあわせるたびに、想いが深くなって行くような気もする。一体感が味わえる。しかし、ルーファウスは、どこか、風が吹き抜けて行くのを感じる。
何故なのか、わからないが、奇妙な空虚感がある。埋まりきれないもの。ツォンが自分に惚れているのも知っている。しかし、何か、埋まり切れないものがある。それが何と、形があったり、見えたりしないので、ルーファウスもわからないでいた。
ツォンの顔は、快楽のあまりに溶けそうな顔をしている。本当に、部下たちには、見せられないくらいに。絶頂まで上り詰めるには、そうかからない。ルーファウスもツォンも同じように絶頂を上り詰めていた。ゆっくりと、ルーファウスが離れて行く。ツォンは、これから、どんな顔をして、出て行けばいいのか、改めて考えさせられる。しかも、声が外に漏れていると思えない。秘書は、席を外したままだったし、なるべくなら、耐えていたから。
「ツォン」
「悪かったな、私の後始末をおまえに任せて」
「いえ、仕事の一部です」
「していたこともか?」
ツォンは、一瞬、ルーファウスを見てしまった。別に、これは、仕事とか、奉仕の意味なんて、全くなくて、純粋にルーファウスに抱かれたいと思っただけで、その意味をどう本人に言うべきか考えていた。
「私は、そんなつもりなんてありませんよ。ただ、私は、ルーファウス様を」
そこから先は言えなかった。ルーファウスが唇でぴったり蓋をしていたからだ。
「そこまで言う必要はない。わかっている。ツォン、いいのか、出て行かなくて」
「わかっていますよ。あなたは、私を追い出して、楽しいですか?」
「楽しいなら、こんなことをしないで、さっさと追い出す」
それもそうだと、ツォンはどこかで思う。肌と肌の温もりが嘘のように消える。あの一体感も何もかも消えてしまう。ルーファウスは、終わってしまうと、信じられないくらいクールになっている。最初何故なのか、わからなかったが、今では慣れきっている。
きちんと、整えると、そのまま退室する。二人の間のことを知っているものはいない。出て来てみると、秘書は、そこにいて、パソコンの画面を見ている。その部屋の中で行われたことは知らないのだ。
ルーファウスは、何事もなかったかのような顔で相変わらず書類の決裁をしている。コーヒーは、ぬるくなり、さらに味気なくしていた。しかし、この鉄錆臭さは、抜けておらず、ひたすら、罰のような味わいに舌鼓を打たなくてはならなかった。
変な味のコーヒーを朝から飲んだせいか、会議は、着々と進む。ルーファウスは、一応集まっている重役たちを見回す。父親のいた時からの役員たちで、変わっていない。
顔ぶれは、実に個性的だが、しかし、内心は、計り兼ねる。スカーレット一人とっても、その経歴は、きれいと言えない。コレル村の魔晄炉爆発の際に、兵士を投入して、村を一つ壊滅してしまったと言う過去がある。
そういうことから、ルーファウスは、細心の注意を払いつつ、御して行く必要はあった。父親のプレジデントのような金がかかりすぎる方法ではなく、恐怖で人を支配する。それを実行に移そうとしていた矢先、セフィロスの出現で、それどころではなくなった。
恐怖は、色の付いていない水を赤にも青にも変えれる力を持っている。そのことをルーファウスは、意識している。恐怖政治。それをいつ実行すればいいのか、ルーファウスは、時期が熟れるのを待っていた。時期は熟れた頃がいい。衰退の一歩をこの時、踏み出したことを知らない。
プレジデントに取って代わったルーファウスだが、その跡継ぎはと、聞かれてもいない。仮に結婚して、子供がいたとしても、リーブは、子供を守ろうとするが、残りの者は、殺そうとするだろう。ルーファウスがいなくなれば、案外と脆かったりするのだ。世界に名だたる神羅カンパニーは。
ルーファウスは、セフィロスの行方について、報告を受けつつ、その被害の方も聞く。コスタ・デル・ソルでは、手痛い失態も犯している。クラウドたち一味とセフィロスを取り逃がしている。そのことは、きちんとハイデッカーに償ってもらうつもりでいる。
報告を受けつつ、ルーファウスは、違うことを考えていた。あまりに深く考えすぎて、つい、呼ばれているのも忘れた。
「しゃ……社長……社長」
「どうしたんだ」
「いえ、意見を聞きたいと思いまして」
自分がどれだけ考え込んでいたのか改めて知り、ルーファウスは、言われたことに対する意見と対策を考えるように言うと、そのまま会議を解散した。何に対してそんなに深く考えていたのか。ルーファウスは、自分の過去をちょっとばかり振り返っていたのだ。
昔、まだ副社長とか、社長と言うものをそう意識しなくてもよかった時のこと、ある女性と付き合っていた。名前も顔もそこそこ知られていた。彼女と知り合ったのは、たまたまその家の息子と知り合いだったと言うことにすぎない。その女性がすべてルーファウスに教えた。
シニカルやスノッブの正しい楽しみ方やデカダンスとは、いったいどういうことなのか、彼女から受けた影響は大きい。
コロンの種類まで彼女が決めて、贈ってもらったものと同じ物をいまだに使っている。ユニセックスな感じのする匂いで、ルーファウスによく合っていた。女性について彼女は、ルーファウスに言う。
「私たち、女性と言うのは、決して弱い存在ではないわ。私のように、女の弱さを武器にしている者もいるの。すべての女性は強いのよ。いざとなればね」
「強いって」
「愛する者のためなら、命だって投げ出せる人だっているわ。あなたは、これを迷惑だと思う。それとも、愛の印だと思う」
「そんなものなら、欲しくないよ」
「まだ、わからないわね。そこまで女に惚れ込まれたことがないんですものね。だけど、あなたは、これからよ」
そう言っていた彼女が病死したのを知ったのは、ずいぶん後だった。死に際を看取られるのが嫌だった。しかもあまりにも若すぎる恋人に看取られるのが。だから、息子には固く口を閉ざすように言いつけておき、自分の最期を愛する者に看取られないで、死んだ。
知った時は、彼女の葬儀の時で、死に際には立ち会えなかった。それから、何度も恋はしたが、しかし、ルーファウスの中にあるものが埋まったわけではない。
ツォンといたとしても、埋まるものではない。ルーファウスは、何もかも教えてくれた女性のことを思い出していた。溜息を大きく漏らし、それから、ヘリポートのところに出ていた。突風が時々吹き上げ、ルーファウスの着ていたスーツの裾を持ち上げる。白いスーツと青々とした空はよくマッチしていた。雲の数も少なく、流れて行く。太陽がじりじりとルーファウスを焼く。
その時、生きていると言う感覚とどこかで忘れたものを見つめてしまう。
その女性とツォンをつい、比べてしまう。どちらもルーファウスを愛している点では一緒なのだが、たまらなく不安になる。このままいなくなってしまうのではないかと言う、不安。
彼女は、ある日突然、別れを切り出し、それっきり、ルーファウスと会わなくなった。何があったのか、不安だったが、しかし、関係を知らない息子に聞くわけには行かなかった。どれだけ、不安で心配で胸がつぶれそうになったか。
「あれは、私の前から、黙っていなくなることはないのだろうか」
そうつぶやいてみる。あの時の別れと悲しみと未だ、その死を受け入れていない自分がそこに三位一体でいる。別れも、悲しみも、死も受け入れなくてはならない。しかし……。
何かが、拒否する。それを受け入れると言うことは、自分の中にある物が音を立てて壊れてしまうと言うことだろう。
どこかに置いてあるもの。ルーファウス自身の心。未だ麻痺したまま、誰の手にも触れられるのを拒み続ける心。愛する者が傍にいてほっとするはずが、かえって居心地の悪いものに変えてしまっている。そのことをやめようとしても、どこからとなく沸き上がるのだ。
ルーファウスは、どことなく悪いと、思いつつもやめれない自分がいた。そのうち、別れを言わなくてはならないような気がする。
なんと、なくだが。
そういえば、泣いたことがあったのだろうかと、ふと、自分に問い掛けてみる。ツォンのことを意識したのは、最初は、涙だった。指輪がポケットから落ちて、拾うとした瞬間、涙が溢れて零れた時のことを鮮明に覚えている。
「どうしたんだ」
「いえ、何もありません。失礼いたしました」
そういってハンカチを探していたツォンの手が止まっていた。ルーファウスが、その涙を舌で舐めたのだ。
「しゃ、社長……」
戸惑ったのは、ツォンの方である。ルーファウスは、そんなことを耳にしていない。ただ、もう片方をぺろっと舐めてしまってからぽつりと、言った。
「塩辛いものなんだな。涙と言うものは」
「はい?」
つい、間の抜けた返事をしてしまったツォンだが、ルーファウスは、頬を両手で支えてそれから、キスしていた。された方は、半分パニックだったようだが、ルーファウスは、そんなことを構っていない。ネクタイに手をかけて、ほどくのかと思えば、いきなり、引っ張るのだ。
「おまえは、私のためにいるんだ。いいか、勝手に死んだり、浮気なんてしてもみろ、八つ裂きにしてやる」
「あの、社長……それは、告白、ですか」
「で、なければ、なんに聞こえると言うんだ」
相変わらず引っ張ったままで、離す気配はない。ツォンは、その手に手を添える。
「離して、もらえませんか」
「おまえが、私の元にいると、誓うなら離してやろう」
「私は、そういう趣味でも、まして、社長を愛人にしょうなんて」
「私の言ったことが聞こえなかったようだな」
そういうと、さらに力を加える。首が絞まって行くのがツォンにだってわかっている。本気でないことは、わかっているのだが。しかし、いつになく、熱が入っている。
「わ……わかりました。確かに、誓います」
解放してもらいたいだけの一点張りが、いつのまにかに、恋心へと転じていた、と言うわけで。
それ以来、ルーファウスに振り回されていた。いきなりの呼び出しがあるかと、思えば、食事についてこいだの、買い物に付き合えや、いろいろわがままに付き合っていた。
でも。
「ツォン、私は、おまえをどう想っているか、わかっているな」
と言われた後に、キスなどされてしまえば、それだけよかったりするのだ。ちゃんと、ツボは、ルーファウスの方が心得ている。
真夜中、一人で起きていると、人肌が恋しくって仕方ない。そういう時は、カーテンを開けて、月夜を眺めていたりする。
このまま、自分が自分でなくなれば、どれだけいいだろう。
ルーファウスは、ぽつりと、思う。自分を愛する者たちに試練を知らない間に与えている。どれだけ嫌なことを頼み込んでも、やってくれる相手を捜してはいない。ルーファウスは、恐かった。失うことが。何より、死より恐いものは、失うことだろう。
母親は、病弱がちで、ベッドから、なかなか離れることが出来ず、ルーファウスは、淋しい少年時代を過ごす。しかし、人間と言うものは、三歳までに母親から分離するための準備をしている。それが出来ない子供は、依存的な子供になって、いつまでも、母親にべったり甘えた関係になってしまう。一つは、母親との接触不足があげられるが、ルーファウスの状態は、それに等しかった。
母親も、父親も、ルーファウスを構ってやれなかった。物資的に恵まれていても、子供は、親に愛されることを望む。どれだけ、憎み、恨んだとしても。子供は親から愛されなければ、死んでしまうことに近い状態にされる。一人でいることが辛くて、淋しくて、たとようもないほどの孤独に蝕まれることもままにしてある。
人が一人でいるための能力は、幼い時の、母親との関係に深く影響しているようである。
ルーファウスは、ベッドサイドに置いてある電話を見たが、かける勇気もない。ツォンは、今、寝ているはずで、明日は、休みではないはずだ。それなのに、電話に手が行きかける自分をいさめながら、ふと、心当たりのある人物を思い出した。
ルーファウスは、さっそくそこに電話して見る。繋がれば、どうとなりと、話をつける自信はあったのだ。
「もしもし」
「ん、あんた、誰?」
あんた、誰は、いきなりないだろうと、思いつつも、酔いの回った相手に対して言う。
「私を知らないとは、いい態度な。減給にしてもよいのだが」
それに相手の酔いも醒めたらしい。本人は、慌てた様子で言う。
「しゃ、社長?! いったい、どうして、オレのピッチの番号を」
「知らないと、思っていたのか」
まぬけとでも、言いたそうな態度に、カチンと来ていたが、減給だけは、ごめん被りたい。それだけは、レノ自身、勘弁してもらいたい。
「で、何の用事ですか。良識のある人間なら、とっくに寝ている時間ですがね、と」
「と言うことは、おまえは、良識と言うものから、はずれていることになるのか」
「あんただって、同じことだろ、と」
「そういうことになるな」
あっさりと言うと、レノは、ちょっとばかり、不意打ちを食らった気分になる。しかし、どういう用件で、ルーファウスが電話をかけたのか、わからない。しかも、真夜中に。人肌が恋しいのか、それとも、ただ、しゃべりたいだけなのか、どっちにしても、レノにしてみればいい迷惑だった。
女を連れ込んだメイクラブの最中であったら、どれだけ迷惑だったことか。
「で、社長は、どういう用件で、オレに電話をしたんだ、と」
「月がきれいだ。見ていないのか」
「はあ? あんた、今なんて自分が言っているのか、理解しているのか。どうも、わからんな」
レノは、相手の目的が見えなくって、困り果てていた。そして、ルーファウスが言う。
「今すぐ、私のところに来ないか」
「行って、どうしろとおっしゃりたい、わけで、と」
投げやりな答え方だったが、常識的に考えても、ルーファウスの真夜中の電話は、おかしい。
「ただ、来て、傍にいるだけでいい。いるものが必要なら、私が用意しておくが」
「酒だけ、あれば結構です」
「控えめだな」
「せっかくの酔いを飛ばしてくれたんですから、高いものを」
「わかった、用意して置こう。執事に話を通しておく。そのまま、私の寝室に案内するだろう」
「寝室って、寝ていたんですか、と」
「常識で言うところのな」
レノは、沈黙し、とにかくすぐ出ることを伝えると、面倒くさそうに切り、服に袖を通す。
「やれやれ、疲れるものだな、と」
と、言いながら、レノは、部屋を後にした。