■ ■ ■ ■ ■ ■ noblesse
oblige by エスカリナータ ■ ■ ■ ■ ■ ■
[2] ルーファウスは、寝室のベッドボードに枕を背中にあてて、くつろいでいる。枕元のランプ以外の明りはなく、ベッドから離れたところにある一人用のテーブルの上には、酒とグラスが置かれ、氷だって、よい状態にされている。レノは、その贅をつくされた中にぼうと浮き上がるルーファウスの顔を見ながら言った。
「約束どおり、来たぞ、と」
「そこに椅子がある。腰をかければいい」
確かに、座り心地のよさそうな椅子が一脚ある。ベロアを張った肘掛け椅子は、中には、羊毛を入れているため、座るとなかなか心地がよい。
「勝手にさせてもらっていいのか」
「構わない。足りなければ、用意ぐらいしてあるから、遠慮なく言えばいい。オヤジの残した酒だ」
最後の方は、強い調子で言ったが、レノは、気にすることも、構うことなく、独酌で栓を抜き注いだ。
「元社長の形見、とはねぇ、と」
そう言ってちらっとルーファウスの方を見る。ランプの明りだけしか、光源はなく、白く浮かび上がるルーファウスの顔を見ながら、ふと、こんなことを思っていた。
これで、女なら、どうなっていただろう、と。
響くのは、氷の音と人の息の音。それ以外は、ひっそりとして、静まっている。レノは、どうして、こんなことをルーファウスが求めるのか、ちょっとわかってきた。なんとなく、ふとした瞬間、人肌恋しいと感じる時はある。無性に、誰かの肌の温もりを感じたいと思う時がある。
おもわず、叫びたくなる。大声で。自分は、今、たった一人で、どうやって帰ればいいのか、生きて行けばいいのか、全くわからないと。ねじきれんばかりの淋しさが、ふとした瞬間、襲うのだ。襲われた日には、一人でいることが辛いから、つい飲み歩いている、と言うこともしばしばしている。不思議なのだが、ルーファウスのこの状態を理解している自分がおかしく思える。
似ている、そんなことはない。レノの生きた環境とルーファウスでは、天と地ほどの差がある。それをレノは、はっきりと意識している。していながらも、しかし、この一体感に似たものはなんだろうと、首をかしげる。傾げつつも、ルーファウスを見た。
「こっちに来て、飲まないか、と」
「灰皿は、いらないのか」
「欲しい」
その一言で、ルーファウスは、ベッドから出て、ガウンをひっかけると、部屋を出て灰皿を探してきた。何も人に頼めばいいのにと、レノは思ったものの、ルーファウスの親切心を無駄にしたくない。ごとっと置かれたそれは、カットガラスで、細工が細かく、美しい。
「それで、100万ギルは、くだらないと、誰かが言っていたな」
ルーファウスは、ベッドの足元の台に腰をかけている。飲む気はないようだ。
「ひゃ、100万」
レノは、しみじみとその灰皿を見ていた。どこから持ってきたのかは知らないが、しかし、美しいガラスの灰皿だ。
「使わないから、別に気にしなくてもいい。この家には、ガラクタが多いんだ」
本人の声は、乾燥していて、しんしんと響く。この部屋の中で。レノは、ちょっと、驚きつつも、理解している淋しさについては、口を閉ざしたつもりだった。けど、ルーファウスは、レノに向かって言う。
「わかっているのだろう。私がかけた電話のことも」
「いや。ただ、はた迷惑だな、とは、思ったが」
思わず、言い訳をしながら、どこまで洞察力が深いのだろうと、疑問を投げかける。ツォンは、毎日、ルーファウスの相手をしているわけだが、自分では、無理だろうと、思っていた。たぶん、相手に自分の考えを読まれてしまいそうな気がしたからだ。
同質の淋しさを持つ者同士にしかわからない『縁』と言うよりは『絆』だろうか。
レノは、そんなことを感じつつも、ルーファウスの方を見た。
「明日も、出勤なんでしょう、と。社長」
「おまえもな。レノ」
「オレは、別に構わないですけど」
「明日は、何もしたくないだろうな。机に座っていても」
「何にそんなに悩むんです。あんたみたいな、権力者が、と」
すると、ルーファウスは、ちょっと笑っている。大輪の花が咲いたような艶やかさで、レノは、同性でありながら、つい、魅とれた。
「私だって、考えるし、悩む時だってある。それに、そういうことは、おまえに一番言われたくない」
まかりなりとも、ムカッと来た言葉だったが、その裏に隠れたものは、なんだろうと、レノは思う。
淋しさを隠しているのだろうか。それとも、何を。
「恋をしたことはあるのか」
「唐突ですね」
「聞いているのだが」
「ありますよ、と。何度かね」
レノの古傷が疼く。時々、思い出したようにして。そういう時は、見ないふりをして、酒を浴びるほど飲んで、泥のような眠りにつく。そうしなければ、苦しくて、かなしくて、もがき倒してしまいそうだった。自家中毒を起こすのではと、思うほど、辛い。
「私は、愛する者をただ、傷つけることしか、出来ないのだ」
その言いたいことが理解できない。愛する者を傷つけると言うのは、どういう意味で、どうして、レノにそんな事を言うのか、わからない。これを聞いてもらうために呼んだ、そういうことでもないのだろう。
「傷つけたくない。だが、私は」
ルーファウスは、苦しそうに言い、レノは、ルーファウスに言うのだ。
「本当に言いたい相手は、オレじゃなくって、別にいるんじゃあないんですか、と」
そうだ。レノの指摘通りだった。ルーファウスは、反論できない。レノの言っていることは、最もなのだから。言わなければ行けない相手に言わないで、言わなくてもいい相手に対して言っている自分が嫌になっていた。自己嫌悪の中にいたルーファウスに対してレノは、言うのだ。
「あんた、ほんとに相手のことを好きだと感じているのか、と」
言われると、気分が悪くなる。どうしてだろう。ツォンの泣くところを見てしまったからなのか、それとも、本人と肌を重ねたことなのか、わからない。混乱する。しかし、答えを探そうとすると、どこかで悲鳴を上げる。どこで。心が、叫んでいる。
見るな、見ては行けない、と。
「そんな大事なことは、好きな相手に対して言うべきことだろ、と」
そんなこと、言われなくても、ルーファウスは、承知済みだ。そして、レノが持っていたグラスをひったくると、そのまま注いで、ぐっと一気にあおっていた。止める間もなく。
「お、おい、それは、ストレートであんまり飲むものじゃあ……」
レノの制止も聞かないで、ルーファウスは、飲み続けてていた。
次の日、二人は、悪酔いしていた。ルーファウスの酒飲みにレノが付き合っていたためで、入ってきたメイドは、卒倒しかけた。無理もない、すばらしい絨毯は、汚物まみれで、悪臭を放ち、しかも、その汚物の中に、自分の主人がいたら、確かに、卒倒寸前かも知れない。
二人とも、吐き気に襲われて、その辺で吐いていたのだ。無理らしからぬ飲み方のために。
とにかく、入浴して、その酔いも、匂いも消そうとしたのだが、しかし、汗まで酒くさい。仕方ない、抜けきっていないのだから。
レノは、バスローブのままルーファウスが出て来るのを待っていた。着ていた物は、すべてクリーニングに出していた。椅子に座っていたレノは、ルーファウスに言う。
「社長、あんたのせいで、オレまで、悪酔いしているじゃあないか、と」
「別に構わないだろう。道連れで」
レノは、あきれつつも用意された食事にはいっさい手を出さず、コーヒーだけを飲み干していた。
こんな時に、食事をしたいとは思わない。ましてや、いつまた、吐くかも知れないのに、食べたいとは思わない。ルーファウスも同様だったらしく、二人とも、物をいっさい受け付けない。食事をした方がいいですよと、進められたが、食べれないのだ。
胃液まで吐いたようで、辺りは、胃酸の匂いが鼻を突く。そして、それを何人かのメイドたちが掃除している。ルーファウスは、あそこまで飲むつもりはなかった。レノが止めた手さえ振りきって、飲まなくてはならないことが自分にあったのかと、考えていた。
ツォンのことがあった。ツォンが、どこかに、消えてしまうのではいう、強い不安。ルーファウスは、レノから言われた言葉が、刺さったまま抜けない。
『あんた、ほんとに相手のこと好きだと感じているのか、と』
ツォンのことは、確かに愛していた。大切にしたいし、そう想ってもらっていることが、逆に嬉かったりする。しかし、亡くなった相手と比べて、居心地の悪い思いをしているルーファウスは、ツォンがそのことについて、一言も言及しないことに気がつく。
ツォンは、知っているのだろうか。ひょっとして、ルーファウスが苦しんでいるのを知っているのだろうか。それとも、自分の痛みと同様に感じているのか。
ルーファウスは、いてもたってもいられない。不安と焦りとが、背中を押す。それらに押されながら、電話の受話器をそっと持ち上げる。さも、重たそうにして。その様子をレノに見られていることも、わかっている。滑稽だと笑われてもいいと、思った。醜態を見せているような気がした。しかし、構っていられない。
ツォンのPHSにダイヤルした。何度かのコール音は、ルーファウスには長い時間のように思える。待っている間に窒息するのではないのかと、ルーファウスが感じた時、手のひらにうっすらとだが、汗をかいていたのだ。
「もしもし」
「私だが」
「社長、どうしました。それと、レノを知りませんか。さっきから、かけているのですが、繋がらないので」
レノは、PHSを弄んでいる。ルーファウスは、視線でそれを追う。時間は、会社の就業時間をすぎている。遅刻になるのは、二人とも同じことだったし、レノは、PHSの電源自体、入れていないのだ。呼ばれた時から、ここに来るまでの間に切っていたらしい。
「私のところにいる。本人に代わってもいいが」
ツォンの様子が強ばるのがわかる。電話越しでもだ。どれだけルーファウスを想っているかと考えると、耐え切れなくなる。ルーファウスは、ツォンに言う。
「おまえが、考えているようなことはない。これだけは、はっきりしておいてやる。私が、無理矢理呼び出したんだ。それで、二人で、飲み明かしただけだ。それだけだ。今日は、レノを休ませてやってくれないか」
「わかりました。そういうことなら。では」
声が固い。ルーファウスは、切られる前に、大声で怒鳴ってしまう。
「このっ、わからずやっ! どうして、おまえと言う奴は、私の言っていることが信じられないんだ。だいたい、吐いた中でする趣味なんて、私は、一つも持ちあわせていないぞ」
そういって自分から、叩き付けるように切ってしまうと、レノが言う。
「ふーん、ツォンさんと、そういう関係とはね、と」
レノは、物珍しげに言う。ルーファウスは、赤くなった。醜態を晒していると感じていた。しかし、今更、取りくつろえるものではないことをわかっている。レノは、ルーファウスの上気した顔を見ながら、遊んでいたPHSをテーブルに乗せた。
「あんたって、面白いね」
「何がだ」
ルーファウスは、ちょっとがなっていたが、しかし、迫力も威力もない。ましてや、レノでは。
「見ていると、つくづく思うよ。あんたは、何にそんなにもがいているのか、知らないが、いいかげん止めた方がいい。自家中毒を起こしかねないからな、と」
「経験があるのか」
「さあね、と」
レノは、そういって、ルーファウスを見ていた。お手上げ状態だった。
ルーファウスは、会社に出勤していた。ツォンが訪ねてくる。聞くだろうなと、思っていたことを聞かないので、つい、自分で聞いてしまう。
「昨日、私たちが何をしていたのか、知りたくないのか」
「あなたが、話してくれるまで、待つつもりですよ」
「私は、あいにくと、気が短いんだ。レノを呼び出しのは、私だ。二人で、飲み明かしていた」
「飲み明かして、って……」
「二人して、悪酔いしていたのだ」
「私を呼ばなかったのは、どういう意味なんです」
「寝ていると、思ったからだ」
「私は、呼ばれれば、あなたの元に駆けつけたのに」
「寝ている者を起こすのは、私は、嫌いなんだ。レノは、起きていたから、呼んだまでだ。私は、おまえに言わなくてはならないと、思っていた」
「何を、ですか」
「私は、おまえとある女性を比較している。どれだけ彼女が私を想っていたか、つい、比べていた。どれだけ、居心地が悪かったことか」
ツォンは、ルーファウスの方を見ていた。何も言わない。ルーファウスは、苦しそうに目を背ける。
「私は、失うことが恐い。そう、恐いのだ」
「ルーファウス様、私だって、同じ気持ちです。誰だって、失うことは恐い」
「私は、彼女が死んだことを未だに受け止めていないのだ。受け止めきれない」
ルーファウスは、ツォンの顔をじっと眺めていた。それから、ぽつりと言った。
「おまえは、私から離れる時、私にちゃんと言うのだぞ。私に納得出来る理由をちゃんと言うんだぞ」
ルーファウスは、そういって、ツォンのネクタイを引っ張る。それに苦笑していたツォンだが、しかし、ルーファウスの顔は真剣だった。ツォンは、それについて、頷く。ルーファウスは、手を離してから、書類に目を向けた。
「嫉妬したのか? 昨日、電話した時、声が強ばっていたな」
「違いますよ」
ツォンはそういって、ルーファウスから必要な物を受け取る。ルーファウスは、その手を取り、そっと軽く唇が触れていた。そこから見上げた眼差しは、艶やかで、ツォンは、ドキドキしていた。
「私が、レノと寝ていたとでも、勘違いしていたのか」
「そんなこと、ありませんよ。私の愛する人は、常に私のことを考えてくれていますから」
と、ツォンは、ルーファウスに対して意味深に言ってから、退室して行く。ルーファウスは、その一言の前に、顔を崩していた。あまりにも、嬉しすぎる一言だった。