美しい満月の明かりの中に浮かんだその人は、とても悲しそうな顔をしていた。しかし透き通る様な、病的とも思える青白いその横顔は、とても儚げで美しいと思った。
今夜の寝床と決めた野営近くの小川に、水を汲みに行く、と言ったきり、なかなか戻って来ないフロドを迎えに来たアラゴルンは、川岸の大きな石の上に座る彼の姿を見て、しばし見惚れていた。
芯は強い彼の事だ。俯いてはいるが、泣いているのではないだろう。
「フロド」
アラゴルンの呼び掛けに、フロドの小さな身体がビクリと動き、ゆっくりと顔を向けた。
「遅いから、迎えに来たぞ。あまり長い時間、一人でいる事は感心しないな」
彼はフロドの据わる岩の側へ歩み寄った。
「すみません。すぐに戻るつもりだったんです。でも考え事をしているうちに……」
投げ出されたフロドの足の上に置かれた掌には、鎖を通された例の指輪が置かれていた。アラゴルンがそれに視線を移した事を見たフロドは、慌てて指輪を上着のポケットに仕舞った。
アラゴルンには、この『一つの指輪』を葬るという任務の重圧に、押し潰されそうなフロドの気持ちは痛い程よく判った。それが存在する事が、どれ程危険で忌しいものなのかを、知り尽くしているが故に。
「フロド…。皆んなの所へ戻ろう」
そう言って、アラゴルンは手を差し出した。
しかしフロドは、膝を抱えて顔を埋めると、大きく首を振った。
拒否されては、アラゴルンは差し出した手を、引っ込めざるを得なかった。
仕方ない、といった様に溜め息を吐く。と、ほぼ同時だった。
「僕は…怖いんです。このまま旅を続ける事が。もしかしたら、誰一人としてモルドールへ辿り着けないのかもしれない」
顔を上げたフロドの横顔は、より悲しげだった。
「フロド。確かに私達は誰もモルドールへ辿り着けないのかもしれない。だが、きみは誰を犠牲にしても、何を犠牲にしても進まねばならない」
アラゴルンはフロドに言い聞かせる様に優しく言う。
顔を向けたフロドと視線が合った。
「私は誓った。命を賭けてきみを守ると。その言葉に嘘偽りはない」
見上げたフロドの僅かに潤んだ碧い瞳に、吸い込まれそうになるのを感じる。
「だけど…」
そう言いかけて、フロドは視線を外し、俯いてしまった。
「だけど、僕にはみんなに守って貰う価値はありません」
岩に上がり、アラゴルンはフロドの横に膝をつく。そして、彼の小さ過ぎる身体を抱き締めた。
思い掛けないその行為に、フロドは驚いて身を強ばらせた。
「きみは正統な指輪保持者だ。それだけで理由は充分だ」
アラゴルンの低く優しい声が、耳元で心地良く響く。
「――それに…」
彼は言いかけた言葉を飲み込んでしまった。そして腕からフロドを解放し、肩に手を置くと、柔らかく微笑んだ。
「そろそろ戻ろう」
そう言って立ち上がると、フロドに背を向けて野営地へ歩き出した。
「ま…待って下さい!」
フロドは思わず叫んだ。
アラゴルンが振り返ると、身を乗り出したフロドが必死の眼差しで見つめていた。
しかし我に返った彼は、急に狼狽した様に視線を泳がせた。
「あ…あのっ、その…『それに』の続きは…言って貰えない…のですか?」
最後の方は、消え入りそうな声だった。
アラゴルンは再びフロドに歩み寄り、腰を落として眼をフロドと同じ高さにした。
「フロド。それは言ってはならない言葉だ。聞けばきっと、きみは後悔する」
見つめて来るフロドの瞳が、月明かりに揺れていた。
「それでも僕は聞きたいのです。僕を重荷から救って下さい。あなたが居てくれたら、僕はどんな困難も、乗り越えれる気がするから…」
しばしの沈黙が流れる。
そして、先に口を開いたのはフロドだった。
「……僕はあなたの事が…」
アラゴルンの武骨な指が唇を押さえ、静止を掛けられた。
「フロド。それを言うのは私の方だ。今まで口に出してはならぬと、戒めていたが…きみが求めるなら、はっきり言おう」