【BABYLON -1-】
by-Toshimi.H
会員制の高級バーラウンジで、ルーファウスは窓際のカウンタテーブルに据わり、眼下に広がるミッドガルの夜景を眺めていた。
時々こうして仕事の合間を見つけては、一人静かな時を過ごす。
神羅ビル70階から見下ろす夜景には、到底及ばないが、それでも薄暗い店内の広い窓から広がる夜景は美しかった。
他の客は誰も、ここに神羅カンパニーの社長が居る事に、気付いていない。それぞれが、自分の取り巻きや、連れの者との歓談を楽しんでいた。
ラウンジ内では男性ピアニストの曲に合わせて、女性が美しいソプラノでラブソングを歌っている。
細長いグラスの中の緑色の液体を、考え事をするわけでもなく、ぼんやりと見つめる。
カクテルに使われている炭酸の泡が、次々と浮き上がっては消えて行く様を、ただ、じっと見つめる。
ふいに、声を掛けられて、我に返る。
「――良いですか?」
再び訊ねる声の主の方へ振り返ると、そこには見慣れた長身の男が、グラスを片手に立っていた。
「…!ツォン…」
その声には驚きの色が混ざっている。この、他人には無関心な連中ばかりの空間で、声を掛けて来る者など居る筈がない、と思っていたから尚更だった。
「驚きましたか?あなたがここへ出入りしているのは知っていましたが、今日逢えるとは思いませんでした」
そう言いながら、ルーファウスの隣の椅子に掛ける。
タークスの制服以外を着ている姿を見るのは、初めてではなかったが、黒いスーツに身を包んだツォンを、物珍しそうに眺める。
そのダブルのスーツは、ツォンを更に長身に見せていた。
「……どうか、しましたか?」
「いや…。その…制服以外を着ているのが、珍しかっただけだ」
心の中を見透かされた気がして、少し狼狽える。
「クスクス…。私だって、こういうところに来る時まで、制服は着て来ませんよ」
最もだ、とルーファウスは失笑する。
そういうルーファウスも、いつもとは違う白いスーツを身に付けている。有名デザイナーのシャツに、丈の長い純白のベストスーツ。それだけで、ルーファウスを随分と大人に見せていた。
ルーファウスは手持ち無沙汰にグラスを弄ぶ。クルクルと廻されるグラスの中のチェリーが、その動きに合わせて踊る。
「あぁ、曲が変わりましたね」
グラスに口を付けながら、ツォンが言う。
見ると、ソプラノ歌手は握手を求められた客の手を握り、一礼をすると、奥へと去って行った。残されたピアニストの指が、聖譚曲を奏でる。
降誕祭が近かった。
ミッドガルの夜景を眺めながら、ツォンが問う。
「――…ミッドガルは“方舟”になれるのでしょうか?」
聖書では、神は愚かな人間を滅ぼす為に、大洪水を起こした。神に選ばれたノアの一族のみが、方舟によって生き残る。
「さぁな。それは星が決めることだ。少なくとも、黒マテリアを手に入れない限り、どう転ぶかは判らない」
相変わらず、ルーファウスはグラスを弄ぶ。
そして、しばらくの沈黙の後。
「今日……、お前のところに行っても良いか?」
ツォンは驚いてルーファウスを見る。
肘を付いた腕で隠れて、その表情を伺い知る事は出来なかった。しかし、照れ隠しの格好であることが、容易に判った。
この一言を言うだけで、どれだけの勇気が入ったかも、よく判る。
「良いですよ。あなたの方からそう言っていただけるとは、光栄ですね」
ツォンはルーファウスの耳元で、そっと囁く。くすぐったそうに顔を上げたルーファウスの顔は、アルコールの所為もあって、紅潮していた。すかさず、頬に口付ける。
「ば…っばかっ。誰かに見られたらどうするんだ」
「大丈夫ですよ。ここでは誰もが他人には無関心です」
「自信過剰なヤツだな」
「フフ…。最高の誉め言葉です。それだけが、取り柄ですから」
――私が参ります。
彼はそう言った。
黒マテリアを手に入れる為に。ルーファウスのために。
――セフィロスも向かっています。
その言葉がルーファウスの胸に突き刺さる。
ツォンのマンションは、ジュノンの私室と同じく、必要なもの以外のない、殺風景な部屋であった。ただ違うのは、ジュノンの部屋は会社から支給されたものばかりだが、この部屋は主が揃えた調度品が並べられていることである。
ツォンの匂いがする、とルーファウスは思った。
部屋に招き入れられると、そのままベランダへ出る。風に当たりたかった。