運命の流れが一巡りした時
〜グロールフィンデル〜
恋 人-8-


「取り敢えず、これに着替えなさい。私は向こうに居ますから」
 備え付けの台に、手にした夜着を置き、部屋を出て行こうとすると、レゴラスに呼び止められた。
「グロールフィンデル様! 抱いて下さい、今すぐ! ここで!」
 私は軽く溜め息を吐くと、レゴラスの服を脱がす。そして先程、台に置いた夜着を羽織らせた。
 やはり私の服では、丈が長く、長さを調節して、腰帯を結ぶ事にした。
 レゴラスの前で膝を付き、帯を結んでいると、レゴラスの冷たい指先が、私の髪を絡め取る。
「レゴラス、止めなさい。あなたがどんなに誘って来ようと、今晩、あなたを抱く気はありませんよ」
 尚も、レゴラスの指先は妖しく蠢く。
 彼の手が私の後頭部に回され、疼いているであろう股間に、私の頭を押し付けようとしているのが判った。
「何故です? 以前は嫌がる私を、決して放しては下さらなかったのに」
 帯を結び終え、立ち上がる。
 私とて、すぐにでもレゴラスの身体を抱きたかった。雨に冷えた身体に、私の熱を分け与えたかった。だが――。
「あなたはこの豪雨の中、たった今到着したばかりだ。今宵はゆるりとお休みなさい」
 私の頭の中は、明日エルロンドに何と報告すべきか、と困り果てていた。
「――下着はご自分で、お替えなさい」
 レゴラスが抗議の色を浮かべて見つめて来るのも構わず、私はそう言い残して、衣装部屋を後にした。
 レゴラスの着替えを待つ間、私は読書の続きをする気にもなれず、いつ止むともしれない雨音に、ただ耳を傾けていた。
 この激しい雨の中、愛する王子は、私に抱かれたいが為に、馬を駆って霧降り山脈を超えて来たのか。それが、自分の欲望を満たす為だったとしても、その相手に私を選んでくれた事が嬉しかった。
 衣装部屋の扉が静かに開き、レゴラスが部屋から出て来た。
 軽く腰の前で重ねた手の、袖口から指先が僅かに覗いている姿が可愛らしかった。
「やはり、袖も長かったですね」
 私は苦笑しながら立上がり、衣装部屋から適当な紐を二本持って来て、レゴラスの二の腕で結わえる。
「髪も乾かさないとね」
 タオルを取りに行こうと、彼に背を向ける。
「どうすれば、抱いて戴けるのです?」
 肩越しに彼を見やる。
 自らの肩を抱き、潤んだ瞳で見つめて来るレゴラスの姿に理性が崩れかけるのを感じる。
 濡れた髪。僅かに開いた艶やかな唇。縋る様に私に向けられた瞳。
 伸ばされた手が、私の腕を掴んだ。
 レゴラスの左手の指先が、私の頬をなぞる。背伸びをした彼の顔が近付き、唇が重なる。
 彼の口が開らかれ、こちらへ舌を侵入させて来る前に、私の方から舌を絡め取り、吸い上げ、歯列をなぞる。
「んっ…はぁ…あんっ」
 レゴラスの口から、熱い吐息と共に、甘い声が洩れる。それと共に、口角が上がり、笑ったのが判った。
 そう、これはゲームなのだ。
 彼は私のものになる為に、ここへ来たのではない。私を――私の心を試しに来たのだ。ならば、私も受けた以上、それに答えなければならない。
 でもね、レゴラス。押すばかりが手ではありませんよ。
 彼の腰を抱くと、レゴラスの腕が、私の背に回される。
 唇を離したが、未だ銀糸が二人を繋いでいた。それは次第に細くなり、すぐに切れた。
 一際強く風が吹き、窓に雨粒が叩き付けられた。
 レゴラスは誘う様に、自分の唇を舐めると、私の唇に付いた、お互いの混じり合った唾液を舐め取った。
「あちらへ、レゴラス」
 私は美しき緑葉の君を、寝室へ誘う。
 彼は目を細めて、満足気に笑った。
 それは、欲望が満たされる事への笑みなのか、自分の思惑通りに事が運んでいる事への笑みなのか。
 私達は縺れ合う様に、寝台へ倒れ込む。
 レゴラスの幾らか小さい身体を、シーツの海の中に沈め、口付けを繰り返す。レゴラスの方も私を求め、首に腕を絡めて来る。
「…はぁっん…っあ……」
 既に広げられた、レゴラスのしなやかな両足の間に身体を入れ、重なりキスし合う事で擦(こす)れる彼のモノは急速に頭を抬げる。
 そこで私はキスを止め、顔を上げた。
「今夜はこれで、お休みなさい。レゴラス」
 目に、今にも零れそうな涙を浮かべ、頬を紅潮させたレゴラスは、意外そうな顔をして、私を見つめて来る。
「…嫌です」
 レゴラスは腕に力を込める。
「あなたを愛していますよ?」
 そう耳元で囁く。
「この先を続けて欲しいなら、“愛している”と言いなさい、レゴラス」
 レゴラスの碧い瞳が見開かれた。
 人一倍プライドの高い彼の事だ。例え、欲望を満たす為とはいえ、心にも無い事を、口に出来る筈がない。それよりも、偽りの愛の言葉を聞いて、空しい思いをするのは私の方だ。
 私は起き上がり、髪を掻き上げ、寝台を降りた。
「出来なければ、このまま一人でお休みなさい」
 優しく微笑んだつもりだったが、レゴラスの瞳には残忍な笑いに映ったかもしれない。
 上体を起こし、身を乗り出して据わるレゴラスを残したまま、寝室を後にした。

 翌朝は、昨夜の豪雨が嘘の様に晴れていた。
 窓を開け、朝の澄んだ外気を取り込む。葉から今にも落ちそうな水滴が、朝日に反射して光った。
 『最後の憩』館の中は、エルフ達が活動をし始めていた。
「さて…」
 私は溜め息を吐く。
 昨夜、突如やって来た客人の事を、館の主にどう説明すれば良いのやら…。
 寝室の扉を静かに、少しだけ開け、その本人の様子を伺う。
 レゴラスは私の寝台の中で、蓑虫の様に頭からシーツを被り、じっとしている。
「レゴラス、起きてますか? 食事に行きましょう」
 しかし、彼は私の声に反応して、余計に身体を丸めた。仕方無く、一人で食堂へ行く事にし、扉を閉めた。
 朝食を取っていると、俄かに表が騒がしくなった。多分、エルロンドの息子達が帰って来たのだろう。
 しばらくして、旅装束のままの二人が食堂に現れた。
「グロールフィンデル様!」
 双子の為、良く似ているが、基本的に髪を上げて結っている方がエルロヒアで、結っていない方がエルラダンである。
 こちらはエルラダンの方だ。
「お帰りなさい、お二人共。雨の中、大変だったでしょう?」
 手にしていたスプーンを置いて、彼らの方へ向いた。
「私達は大丈夫でしたが、馬が可哀相でしたよ」
 テーブルに着きながらそう言ったのは、エルロヒアだった。
「馬と言えば――」
「そうそう。迷子の白馬を拾いましたよ」
 この言葉を聞いた途端、私の顔は凍り付いた。背中に嫌な汗が流れるのを感じる。
「彼のメアラスの一頭程で無いにしろ、あそこまで見事な白馬は、そう滅多に居るもんじゃありませんよ」
 ……間違いない。レゴラスの馬だ。
「ご覧になりますか?」
 と、二人同時に、私の方を向いて、そう言って来た。


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