弘道館
国指定特別史跡

 国の特別史跡に指定されている旧水戸藩の藩校で、現在の建物のうち正門、正庁及び至善堂は国の重要文化財に指定されている。
 当時は現在の県庁、三の丸小学校などを含めて、17,8ヘクタールあり、文武両道はもちろん医学、薬学、天文学さらには蘭学まで幅広い学問が取り入れられ、総合大学とでも言うべきものであった。
 水戸藩第2代藩主徳川光圀(義公)は、藩士の教育のため、藩校の建設を計画したが、大日本史編纂のため多忙で果たせなかった。この遺志を第9代藩主斉昭(烈公)が継ぎ、天保11年(1840)建設に着手し、翌年の天保12年8月に開館したものである。
 この藩校は、当時の社会情勢の中にあって、国家の独立と発展を全うするためには、まず優れた人材・真の日本人を育成しなければならないという考えのもとに、幕府や諸藩の学校とは全く違った構想で建設されたものである。

 

Kodokan was built by Nariaki Tokugawa(1800-1860), the ninth Lord of Mito Clan (Han) in 1841.In those days the Mito Clan was facing the fear of crumbling of the baku-han system(centralized shogunate relationship with provincial clans) and the threat from the foreign colonial powers.
Nariaki had initiated a reform of the han(clan) administration. As a part of this, he aimed at higher education of his clansmen, and he built Kodoukan in this context.

弘道館正門
弘道館正門

正門は本瓦葺き四脚門で一般の出入りは許されず正式の場合(藩主来館のとき及び諸行事を行うとき)のみ開門する。門の左右には瓦葺き白亜の土塀が連なる。門柱、梁、扉に弾痕が見られるのは、明治元年に城方の勤王派と弘道館にたてこもった佐幕派との藩内争闘の銃撃戦のものである。正門に向かって右手に通用門があり、その傍らに番舎が建つ。


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