大野鉱山
鉱山の位置・鉱床
 大野鉱山のおおまかな施設は鉱石を採掘する坑道、鉱石塊を粉砕して有用鉱物を分離取り出す選鉱場、鉱物の集積場、作業関連施設、従業員宿舎などでこれらの跡とみられる遺構が山中に分散して残されている。
 高見地区から高見林道を遡って行き林道終点からは高見川の岩原を渡って船倉山への登山道となる。林道終点の右側で高見川左岸一帯樹林内には石積みの平壇が数段みられることから鉱山関係の従業員宿舎や鉱物の集積場があったものとみられる。ここからは左岸に設けられた幅2m位の山道を登って行くと選鉱場跡に至るが、長らく羊歯や雑木が茂っており通行は困難であったが最近通行できるように伐採されたようである。
 高見川の岩原を渡って登山道を登って行くと下流側の砂防堰堤があり、ここから対岸の山斜面を見ると樹木の間に選鉱場跡の構築物が見られる。上流側の砂防堰堤を過ぎるとほどなく高見川本流と右谷支流の合流点の岩原に降りてここから中央の尾根筋を登って行くが、合流点の右岸一帯に石積みの平壇が数段みられ鉱山関連施設跡とみられる。
 中央の尾根筋を少し登ると石積みの小さな平壇がみられ、ほどなく登山道は前面に襄ケ嶽が聳え花崗岩の露出した右谷支流を渡るところに至る。この付近の右岸に2ケ所の坑道口がみられ、左岸の登山道を少し登ったところに1ケ所の坑道口がみられる。
 この坑道跡付近の花崗岩に鉱脈がありこれを採掘して鉱物を産出していたのである。鉱床は中国地方地学事典によると「鉱床は広島型花崗岩を貫く石英脈で、走向N60度W、傾斜35〜45度N、脈幅は平均20pである。脈と接して母岩はグライゼン化している。鉱石鉱物は鉄マンガン重石のほかに黄銅鉱、硫砒鉄鉱、少量の方鉛鉱、ビスマス鉱物を伴い、脈石鉱物としては蛍石、氷長石、石英などがある。」とあり、主にタングステン鉱と極少量の金、銀、銅、鉄鉱を産出していたようである。

鉱山の歴史
 昭和12年(1937)に始まった日中戦争により特殊鋼の需要が飛躍的に増加して、これに対処するため同年12月に商工省は金銅鉄その他重要鉱物の増産をはかるため本議会に「重要鉱物の増産促進に関する法律案」を提出した。
 昭和13年(1938)3月28日には法律第35号で「重要鉱物増産法」が公布され、同年5月24日に商工省令第25号で「探鉱奨励金交付規則」が改正された。また、同年6月9日に「重要鉱物増産法施行令」「重要鉱物増産法施行規則」が公布されたが、これらは産出規模の大きい鉱業が適用されていた。
 しかし、軍需急増に対処するために重要鉱物を積極的に開発増産することが必要になって、採算不能の小規模鉱山である大野鉱山も開発されたものと思われる。大野町誌などによると大野鉱山は昭和13年に開発されて同19年(1944)頃まで産出していたとあり、50〜60人の従業員が作業をして2tの有用鉱物である精鉱を産出したようである。
 昭和26年(1951)3月1日現在友和、大野、津田の内で753,480坪の鉱区採掘権を日本鉱発工業鰍ェ持っており、大野、友和、津田の内895,500坪、友和、大野の内935,300坪、友和、大野の内984,200坪の鉱区試掘権を友和鉱業鰍ェ持っていたが、昭和48年(1973)の時点では鉱区採掘権、鉱区試掘権は消滅していた。

鉱山の遺構
 坑道は高見川右谷支流の右岸に2ケ所と左岸に1ケ所にあるのが確認できるが何れも崩壊や崩壊の恐れがあるために坑道内を伺うことはできない。右岸の上流側の坑道は入口からすぐ下方に向かった枝坑道がみられ当時の坑木が残っており、坑道の奥では上部にある2ケ所の坑道口から接続して鉱脈に沿って複雑に坑道が掘られている。
 このほかに左岸から右岸の高い位置を遠望すると掘削石屑であるズリがみられるので坑道があるものと思われるが、急斜面で羊歯や雑木が繁茂しているので近づくことが出来ず確認はしていない。
 「大野鉱山」に掲載されている古写真には坑道からのレールとトロッコがみられ掘り出された鉱石塊はトロッコで高見川左岸に設けられた選鉱場に運ばれていたようである。坑道口から少し下がった左岸にはトロッコ道の跡が見られるが、しばらく進むと崩壊でルートが全くわからなくなっている。上流側の砂防堰堤上付近からはトロッコ道の跡が見られるようになり選鉱場の最上段(1) 貯鉱場に至っている。高見川の少し下流には土石流で流されたレールが巨石の下に残されているのがみられる。
 選鉱場は下流側の砂防堰堤がある左岸の急斜面上にコンクリートと石積みで段状の平坦地を7段設けており、上の段から順次鉱石塊を粉砕機で破砕して物理的方法で分離された有用鉱物である精鉱が、最下段(6)の下に設けられた2槽の集積槽(7)に集められたものとみられる。
 集積槽に集められた精鉱は左岸に設けられた山道を下って林道終点ケ所にあった集積場に運ばれたものとみられる。林道終点ケ所にある平壇は比較的に大きく立地的にも集積場と従業員の宿舎跡とみられるのである。
 高見川本流と右谷支流の合流点右岸の平壇と合流点中央の尾根筋を少し登ったところにある平壇などは鉱山の作業関連施設跡とみられるのである。

 ※高見林道の途中、地蔵橋の脇にある広島湾要塞第三地帯標石が一部で大野鉱山と関連付けられているようであるが、この標石は別の目的で設置されたものであり詳細はこちらを参照してみて下さい。

選鉱場概略配置図・断面図
坑道口1 坑道口2
坑道口3 坑道口3−枝坑道
上部鉱山施設跡 トロッコレールの残骸
選鉱施設跡 選鉱施設跡
選鉱最終施設跡 下部鉱山施設跡−集積所・宿舎跡?
おおの地区点描