宮島線の敷設と廿日市変電所の設置
 大正6年(1917)8月広島市内の軌道線を経営していた広島電気軌道鰍ヘ広島瓦斯鰍ニ合併して広島瓦斯電軌鰍ニして発足し、既に広島軽便鉄道鰍ェ免許を受けていた草津線己斐町〜草津町間の軽便鉄道の敷設権を大正8年(1919)9月に継承した。広島瓦斯電軌鰍ヘさらに宮島線草津町〜大野村間の鉄道敷設の免許を受け、大正9年(1920)11月草津線と宮島線の工事施行の認可を受けた。
 大正11年(1922)8月22日に廿日市変電所が完成し第1期工事で複線開通した己斐〜草津間に給電した。大正5年(1916)に宮島電気軌道鰍ェ申請した電気鉄道の起業目論見書によれば「原動力ハ蒸気機関ニヨリ発電機ヲ運転シ電気ヲ発生シ、之ニヨリ電車ヲ運転セシム」とあり、当時はまだ電力会社の電力供給はなかったようである。
 本変電所も「工事施行認可申請書」によると変電設備とともに発電設備を設けており、原動機は汽力(蒸気機関)を使用し発電機を1基設置して回転変流機2基設置するようになっている。また、事故に備えて千田発電所と連繋するようになっていた。
 大正13年(1924)4月第2期工事の草津〜廿日市間、大正14年(1925)7月第3期工事の廿日市〜地御前間、大正15年(1925)7月第4期工事の地御前〜新宮島間、昭和6年(1931)2月第5期工事の新宮島〜宮島間が開通し、己斐〜宮島間全線に給電するようになった。
 昭和20年(1945)8月9日原爆にて不通の西天満町〜己斐間が復旧し、廿日市変電所の予備用の回転変流機からの送電により運転を再開している。
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